子どもが迷路のワークに夢中になるとき、ワークを買ってどんどん難易度を
上げていくだけって、どうなのでしょう?
子どもにワークをさせるとき
お母さん、火って何から出来ているの?のふるまりさんの記事にあるように
あくまでも、子どもの楽しみのためにドリルをしているのであって、ドリルをさせることを目的としないようにする
という慎重さが大切だなと感じています。
子どもが本能的に迷路のようなものを好んで、
より広い世界を理解する方向へ向かうのに対して、大人が迷路ワークしか思いつかなくて、そのイメージを子どもに刷り込んじゃうのって、
何だか子どもの可能性を人工的で狭い世界に押し込んじゃうみたいで……。
迷路が好きになるってとき、
お城の城内の通路のような設計や、
ピラミッドの内部の地下に続く不思議な通路、
秘密の隠れ家作りなどへの興味につながりやすいときです。
まだまだ幼い考えだけど、その思考をどんどん追いかけていって、「そうだ!こうだったのか~」ってゴールにたどりつくのに
喜びを感じるときでもあります。
だから、迷路に関心を持ち始めたら、
そうしたより
大きな不思議に心を開きつつ、
今、ワークの迷路がおもしろいなら、それをたっぷりする、
でも飽きたら、そうしたものから離れて
忘れる期間を持つことが必要なんじゃないかな?
って考えています。
タイトルの話題から少しそれますが……
忘れることって、今の時代大事にされていませんが、
学ぶときに欠かせない要素です。
『ナチュラルな子ども時代』には、こんな一文が……。
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書き方を覚えるのは、子どもには本当に骨の折れる過程で、
bとdは
どれがどっちか、意識して覚えなくてはなりません。
でもいったん覚えてしまえば、
ルールなど忘れ、言葉の意味に集中できます。
技能の習得にはすべて、
このような本質があるのです。
子どもの教育では忘却の役割はたいてい無視され、私たちはすべて「おぼえている」状態にさせようとしています。
子どもが学んだ重要な経験は、忘れるという領域を通りぬけます。
そしてあとで思い出したときには豊かになっているのです。
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