虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

迷路に夢中になるとき

2010-09-14 07:47:12 | 虹色オンライン教材
子どもって迷路が好きですよね。
子どもが迷路のワークに夢中になるとき、ワークを買ってどんどん難易度を
上げていくだけって、どうなのでしょう?

子どもにワークをさせるとき
お母さん、火って何から出来ているの?のふるまりさんの記事にあるように

あくまでも、子どもの楽しみのためにドリルをしているのであって、ドリルをさせることを目的としないようにする

という慎重さが大切だなと感じています。

子どもが本能的に迷路のようなものを好んで、
より広い世界を理解する方向へ向かうのに対して、大人が迷路ワークしか思いつかなくて、そのイメージを子どもに刷り込んじゃうのって、
何だか子どもの可能性を人工的で狭い世界に押し込んじゃうみたいで……。

迷路が好きになるってとき、
お城の城内の通路のような設計や、
ピラミッドの内部の地下に続く不思議な通路、
秘密の隠れ家作りなどへの興味につながりやすいときです。
まだまだ幼い考えだけど、その思考をどんどん追いかけていって、「そうだ!こうだったのか~」ってゴールにたどりつくのに
喜びを感じるときでもあります。
だから、迷路に関心を持ち始めたら、

そうしたより
大きな不思議に心を開きつつ、

今、ワークの迷路がおもしろいなら、それをたっぷりする、

でも飽きたら、そうしたものから離れて
忘れる期間を持つことが必要なんじゃないかな?
って考えています。

タイトルの話題から少しそれますが……

忘れることって、今の時代大事にされていませんが、
学ぶときに欠かせない要素です。

『ナチュラルな子ども時代』には、こんな一文が……。
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書き方を覚えるのは、子どもには本当に骨の折れる過程で、
bとdは
どれがどっちか、意識して覚えなくてはなりません。
でもいったん覚えてしまえば、
ルールなど忘れ、言葉の意味に集中できます。
技能の習得にはすべて、
このような本質があるのです。

子どもの教育では忘却の役割はたいてい無視され、私たちはすべて「おぼえている」状態にさせようとしています。
子どもが学んだ重要な経験は、忘れるという領域を通りぬけます。
そしてあとで思い出したときには豊かになっているのです。
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ハートキャッチプリキュアごっこ

2010-08-09 17:00:41 | 虹色オンライン教材

年中さんの女の子たちのハートキャッチプリキュアごっこ
に付き合いました。
年中さんともなると、設定が細かくて
面白いです。
最初に、女の子3人で、
何の役をするかでもめていたものの、プリキュアたちの役ともうひとつふつうの人間の役の設定がいるそうで、
お母さん役が決まったあとで、「私、小学生をするわ」という子、「なら私、小学6年生をする」という子。

負けじと、ただの小学生から、「じゃあ、私も5年生にする」と修正する子。

すると、お母さん役の子が、
「小学2年生になったら、ひとりで学校に行かなくちゃダメで、帰りもそうなのよ。泣いたらダメだし、それと、登校班なんだから」
と、小学生役の子を、
ちょっとうろ覚えな小学生情報で諭してしました。

「先生、悪いのの役してよ」とせっつくので、
「イヤよ!悪者なんて!
先生は、スーパーにお買い物に行ってる途中で、財布を見つけて、
拾おうとしたら、財布から煙が出てきて、それが怪物だったから、
ハートキャッチプリキュア!助けて!って叫ぶおばさんの役ならするわ」
と言ったら、「それして!」と大喜びです。
そして、私が、かごを手におばさんの役をし、財布を見つけたふりをして、
「あ~煙が!助けて、ハートキャッチプリキュア!」と呼ぶと、
3人が飛んできて、「エイ!エイ!エイ!」と、
ビームのようなものを出してやっつけてました。

それが、えらくあっさりした戦闘シーンなんですよ。
殺虫スプレーを虫にひと吹きって、感じにしか見えないんだけど、
「えっ?もうやっつけたの?」というと、
「そう。ねぇねぇ、先生。スーパーにお買い物に行ってる途中で、財布を見つけて、拾おうとしたら、財布から煙が出てきて、それが怪物だったから、
ハートキャッチプリキュア!助けて!って叫ぶおばさんの役してよ~」
と、やたら細かい設定まで覚えていて頼んできます。
そこで、
「会社に行こうとして、電車に乗ったら、
駅にカバンを置き忘れたことに気づいて、戻って、カバンを持とうとしたら、煙がモクモク出てきて、カバンが怪物に変身して、ハートキャッチプリキュア!助けて!って叫ぶお父さんの役ならするわよ」
と言うと、
大うけで、おなかを抱えて笑い転げていました。

社会のこととか、人の生活とか、
年少さんの頃にくらべて、観察力や理解力がアップしていて、
いろんなシチュエーションを考えるのが楽しくてたまらないんですよね。
その後、3人は、
さまざまな「くどいシチュエーション」を考え出しては、
笑いこけ、相変わらずあっさりした「エイ!エイ!エイ!」という戦闘シーンでした。

そういえば、この子たち、数ヶ月前に、おもちゃのキャリーバックを引っ張りながら、海外旅行ごっこをしていました。
そのときは、空港のロビーで、
携帯電話で、ホテルに空き状況をたずねると一杯だと言われ、
いろんなところに電話をして、事情を説明して泊めてもらおうとする設定で遊んでいました。
てっきり旅行慣れしているのかと思って親御さんにたずねると、
海外に行ったことはないのだとか……。
この時期の子たちの世界観……面白いです。


ミッフィーちゃんの英語絵本を聴いてみませんか?

2009-02-17 19:36:59 | 虹色オンライン教材
の最初の画面をクリックしてから
次の画面の
のオレンジの服のミッフィーちゃんのボタンを押して、audio book を選んでください♪
ミッフィーの絵本を英語で読み聞かせしてくれますよ。
とっても心地よい声です。

musicはテレビでもおなじみのミッフィーちゃんの歌の英語版。かわいいです。

青い服のミッフィーでは実写の英語アニメが見れますが、音がイマイチです…。

このホームページは『ことりの森』というミッフィーちゃんのサイトで
紹介されてたんです。行ってみたらとてもかわいくて
うれしくなってしまいました。

ぜひお子さんと一緒に楽しんでくださいね。

子どもの頃考えたあんなこと♪

2008-07-05 18:10:00 | 虹色オンライン教材

子ども達に接していると、
まだ2歳前後の子どもでも
深く自分の中に入っていって考えることよく観察することを
味わっているように見える子に出会います。

そうした子は少し大きくなると、
やはり自分の考えたり空想したりする世界が、
現実に生きている世界以上に大きく広がっていくようです。

現代は幼い子までも忙しく、
目に見えること、数値に表せることを、
優先させられて動いています。
しかしそうした目で見て意識できることばかりを取り立てていると、
自分の内面世界を大切にする子どもの成長を傷つけ阻害します。

まず子どもを見て、どのような子かよく知ってから、
習い事や教育法を選んでゆくことが大切なように思います。

少し前に、子どもの頃に考えていたことを記事にさせていただいたところ、
興味を抱いて読んでくださる方がいて、
とてもうれしく感じました。
そこでもう少し私が子どもの頃に考えたあれこれを
もう少し紹介させてくださいね。

私が、小学生や中学生だった頃、
いつもとても強い関心を抱いていたのは「進化」についてです。
子どもの頃通っていた教会学校で、
「人間はサルから進化した…
すべてのものは無から生まれて進化してきたと考えられているけれど、
実はそれは間違いで神様がつくったのです。」と習って以来、
すっかり頭の中はそれ一色になってしまいました。

実は私は(親のすすめがあって)教会学校にこそ通っていましたが、
牧師先生のお話は、全て半信半疑で聞いていました。

もし神様が本当にいるとしたら、アフリカで生まれて、キリスト教の存在すら知らずに死んでゆく子がいるのは何でだろう?いつ何時も神様が見守っていると教わったのに、この不平等…それじゃあ、神様って人間の私よりもえこひいきが激しい性格だわ。

と考えていました。

けれどかといって「ダーウィンの進化論」はあまりにうさんくさい…
と感じていました。すべてのものが、「キリンの首が木の高さにあわせて伸びていった」のと
同じ過程で進化したとしたら、

人間の目が見えるようになる仕組みとか、
鳥が飛べて、世界を渡って行く仕組みとかいうのも、

同じように偶然の繰り返しの中でよい性質が選別されていった結果
できたということなのかな?
でも、それって2歳以下の赤ちゃんを何千万年もいっしょにしていたら、
その子たちがいろいろ考えて、
偶然が重なって、
今の社会みたいな建築物とか、電話とか電気とかテレビとかを
作ってしまいました…という
のと同じくらいの確率なのじゃないかな?

こうもりが2歳の人間の子よりも知能があるとは思えないのに、
超音波で獲物を捕まえる身体の機能を進化させたようなことは、
ダーウィンのいう進化論だけで説明できることなのかな?

中でも、年中考えていたのは、昆虫の擬態です。
「擬態」というものを進化させるためには、
虫が自分の目で見ている環境を、自分の遺伝子に取り込んで、
進化させていかなければならないのではないのかな?
そんなことできるのかな?

偶然が作り出して、そこに何の設計図や目標もなしに、
長い年月だけがそれをつくるとしたら、
不自然だな。
でもキリスト教や仏教のいう神さまという存在が、
それを作ったというのも、ファンタジーだ。
絶対おかしい…何かあるはず…

そうしたことを四六時中、全ての動植物を検討してゆく
勢いで考えていました。
そのせいで相変わらず学校では「ダメ子」はかわらなかったですが…
とりあえず成績は良くなって、高校に進学しました。

この疑問は高校に入ってから、量子力学の本や宇宙論の本などに興味を持つきっかけになりました。
いまだにそうしたことへの興味は、
自分の支えです。かといって何の価値を生み出したわけでもないし、
ずっと自分にとって生きている中心なだけですが…。
でも、社会的にどう価値があるか、
どんな評価をされるか…
ということは、私のように内面の生活が自分の主であるタイプにとって、
どうでもいいことでもあるのですよ。
自分の考えを追っていける自由が、幸せのもとですから…。

それより、良かれと思って、自分の考えや自由をコントロールしようとする
親が身近にいたら、
心を閉ざしてしまったように思います。

子どもが外向型の子か、内向型の子かで、
その接し方はまったく違ってくるように思います。
子どもが幼いからといって、その心に安易に踏み込んではいけませんね


哲学教育で 小学生のIQが上がったってホント?

2008-04-20 13:57:59 | 虹色オンライン教材
学研くるみの木 3 株式会社学習研究社に
こんな記事が載っていました。

スコットランドのダンディー大学の研究者たちは
地元の協力を得て
哲学の授業が子どもたちに与える影響について
調べました。

小学校高学年の生徒たちの一部が
1年間週1回の
哲学の授業を受けました。
その結果
哲学の授業を受けた生徒は
受けなかった生徒に比べて
IQが平均6.5ポイント高いことがわかったそうです。
またこの子どもたちが中学生になったときも
同様の結果が出ました。

また受けた子たちは
自分自身を高く評価し、EI(心の知能)も
高い傾向が見られたそうです。

「空はなぜ青いの?」「世界はどこまで続いているの?」
「みんな死ぬんだったら、どうして生まれてくるの?」
こうした答えに困ってしまうような質問に
大人が真正面から向き合って答えたなら
それが子どもが哲学に触れる第一歩となるそうです。

哲学について学ぶというのは決して大きな子どもの仕事ではなくて
3~5歳の子どもの得意分野です。

そうした問いにしっかり付き合って
考える道筋をしるしてあげると
哲学だけでなく
科学の概念 物事の考え方や思考の深め方を身に着けていくのだそうです。

写真中央「子どもは小さな哲学者」 は、20年以上前に手に入れて
何度となく読んだ愛読書です。

訳者のあとがきにこのような言葉で紹介されています。(一部ずつ切りとってます)

子どもとの「知的な」接し方への入門書。
子どもの知的能力を過小評価する一般の傾向に対する告発の書。
初めてこの本を読んだとき、子どもに対する温かい態度に、大きな共感をおぼえました。幼児と言うものは、突拍子もないことを言い出すし、
じつにみょうちきりんな質問をするものです。
私は、そうした子どもの問いかけに真摯な態度で接することのできる大人であり続けたいです。

写真左と右は息子の愛読書です。哲学は「考えること 学ぶこと」を大好きにさせてくれる学問です。