利発でハキハキした幼児を育てている親御さんに
小学校高学年や中学生の子を持つ親御さんたちが、
「かしこいのは今だけよ~小学校に上ったらどんどんフツーの子になるから…」
とアドバイスしているのを聞いたことがあります。
この先輩母さんたちは、
別段、意地の悪い気持ちからそうしたアドバイスをしているわけでもなくて
よくある事実…自分たちが経験したことをそのまま口にしているだけなのです。
現実に幼児期に輝いていた子たちが
小学校生活を送るうちに
ごくごく平均的な能力の子に近づいていく…のはめずらしくありません。
小学校受験を終えて、有名な私立の小学校に通っているという子も
同じような道をたどるとよく聞きます。
私も月一度の工作教室をしていたころ、こんなことが何度かありました。
幼児期には言語力も思考力も発想も巧緻性もずばぬけているな~と感じていた子が小学生になった後、
親御さんとお会いしてお話すると、
算数や国語の成績も普通で、あれから工作をすることもない…とおっしゃるのです。
とても賢い子ですから、それは一時期のことで、
高学年、中学生になると伸びてくるのかもしれません。
それにしても、なぜ幼児期に能力が高かった子が
だんだん学力が平均化していくのでしょう?
私は小学生の暮らしや遊びから
脳に良いもの 脳を育てるものが
どんどん失われているからではないかな…と感じています。
塾や習い事に行っている時間が長いと
頭を使っているように錯覚しますが、
実際には脳の一部分を慣れによって鈍らせた形で繰り返し使っていることの方が
多いと思います。
主婦にしてもパートで同じような作業を繰り返していると
しんどいし、確かにその仕事の効率は良くなり技術もマスターするでしょうが
脳そのものが高度になるわけではないですよね。
私が子どものころは、小学○年生 の付録は
説明書とにらめっこしながら何時間もかけて作らなければならないものばかりでした。
田舎に帰省すれば将棋や難しいゲームを習って
年上の子のグループに入れてもらってました。
小学校ではあやとり、シャーリング、編み物、お手玉、読書などが
休み時間のみんなの楽しみでした。
放課後は友だちといろいろ計画しては実行し、失敗しては学びました。
遊び時間も長かったから話したいこともたくさんあって
「せんせい あのねという作文帳には
毎日書きたいことがたくさんありました。
親に聞いてもらいたいこともたくさんあったし、
友だちとじっくり話すこともいろいろありました。
先生に読んでもらったお話は、そのまま妹や近所の幼い子に
話してあげていました。
また暇な時間がたっぷりあったので、読書もずいぶんしました。
特にかつての子が賢かったわけでもないでしょうが、
塾に行く子なんてめずらしかったけれど、学校の勉強についていけない子はほとんどなかったように思います。
それが最近の小学生の暮らしや遊びは、
話す 表現する 相談する 友達に習う あこがれる
聞く 読む 書く 見る 考える 改良する 発想する 想像する 推理する
作る 学ぶ 感じる 感じたことを伝える 選ぶ 反省する 計画する
熟練する 達成する
など…放っておいても小学生が内側からの衝動で
自然に発達させようとするものを伸ばせる
時間も環境も精神的な基盤も
貧しいのです。
そうしたものの代わりに
テレビやビデオや携帯や携帯ゲームや習い事などが
隙間を埋めています。
私は、小学生には、表面的な成績につながりそうな勉強や
外から評価される習い事の技術を上げることにばかりさせるのでなく
脳を育てる
という観点からのアプローチが大事なのじゃないかな? と思っています。
それは、その子のやってみたいという活動…
(ビーズのアクセサリー作りやキャンプでも秘密基地作りやお料理など)
にじっくりかかわらせてあげることです。子どもは自分の脳に必要な活動を
その時期ごとにやりたがりますから…。
その後、親子で言葉を使って感想や感動を伝えあうと良いのではないでしょうか
?
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