以前、記事にした
どうして現代の子育てにはこんなにも不安が生じるのでしょう? 1
どうして現代の子育てにはこんなにも不安が生じるのでしょう? 2
の続きです。
子どもさんの中学入試を目指している方から、「何年生くらいから、塾に入れたら良いでしょう?」とたずねられました。
虹色教室では、中学入試の問題が自分の力で解けるようになる
シンプルな考え方や、
そうした入試問題を考える力の基盤となる体感して学ぶ数学的なものを教えてはいます。
でも、他の塾への斡旋をしているわけではないし、
うちの子が「中学入試をしたい」と言い出したのは、
6年生になってからなので、(それからノロノロ受験勉強をスタートさせていたので)
そうした質問にアドバイスのしようがないのです。
そうした事情を前置きして、「5年生くらいからでしょうか? でも、それでは心配という方は、4年生くらいから塾に行かせているようですね」
と答えたところ、
「知人は、大手の受験塾に入れるには、3年生の入塾テストに受からなければならないから、小学1年生から塾に行かせなくてはダメだとおっしゃるのですけれど……」というお返事で、
すごくびっくりしてしまいました。
そんな情報が飛び交っていたらあせりもするし、不安にもなりますよね。
でも、人の噂って本当に当てにならないものです。
先日も、うちのダンナさんが、近所の子どものお母さんから、
「お宅は、地域の子の○○の役員をやっていて、
小学校の校長先生とも親しいから、子供さんたちの成績が良くっていいですね。」と言われたらしく、
ちょっとびっくりしてしまいました。
何でも、ダンナさんの前とその前にその役についていた方々
のお子さんたちがみんな名の通った学校に進学しているので、
裏口入学……じゃないですけど、そうした地域の役をする人は、
かなり内申書や成績に手を加えてもらっているにちがいない……という憶測があるようなのですよ……。
それはありえないですよね……今時……
教員をされている方々が、そんなあらぬ疑いをかけられていることを知ったら驚くでしょう
話が変わりますが、
中学入試を考えている親御さんの多くが、
子どもが高学年になって本当に受験したいという意志をしるすかどうか
心配していて、
子どもにそうした気持ちを抱いてもらうための下準備……というか「種まき」として、
学校見学や塾やさまざまな下準備をしておかなくてはならない……と
考えているそうなのです。
私も、勉強にしても、科学実験にしても、音楽や制作活動にしても、
子どもが何かに意欲的に取り組ませる前に、「種まき」期間として、
上達させるとか、正しい形でするとか抜きにした
親しむだけの時期……そうした対象への愛着や愛情だけを
育む時期を大事にはしています。
でも、私が捉えている子どもへの「種まき」と、
そうした子どもに、大人の希望するレールに乗りたい気持ちにさせる「種まき」とは、
ちょっとちがう……
いや、ずいぶんちがう……
と何だかもやもやと嫌な気分がくすぶりました。
まあ、程度の問題とも言えるし、
親の気持ちを子どもの気持ちときちんと境界線を引く心構えがあるのなら
それも「あり」なのかもしれませんが……。
早い時期から、「お母さん(お父さん)はあなたがこのような気持ちを抱いてくれるようになることを望んでます」というのが、
親子の純粋な交流や愛情の背後に見え隠れしていて、
自分が「中学受験したくない」という気持ちを抱くことが、
親への裏切りや親をがっかりさせることや、親子の愛情を危うくするようなこととイコールで結ばれているように、
感じながら子どもが成長するのはイヤだな~と思いました。
私自身は、
高校受験、大学受験ならいざしらず、してもしなくてもいい「中学受験」なんだ……っていさぎよく考えつつ、子どもの受験したい、したくないに対応するのが、良いような気がしています。先は長いですから……。
何度か紹介しているセラピストのイザベラ・フィリオザが、
次のようなことをおっしゃっています。
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あなたが何の情熱もなく、同じことを繰り返してつまらなそうに生活していれば、子どもたちはこう思うはずです。
「あんなつまらない生き方をするために、どうして大きくならなくちゃならないんだろう?そうして勉強しなくちゃならないんだろう?」
私たちの生きる姿それ自体が子どもたちのモデルになる、ということを
忘れないようにしましょう。
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子どもを異常に可愛がり、あらゆるものを与え、どんな小さな欲望でも叶えてあげようとする行為は、
子どもの自律心を奪うだけでなく、怒る権利さえも奪ってしまいます。
その結果、子どもの無意識には、とてつもない怒りが
溜め込まれます。その怒りは、ずっと後にならないと表面化してきません。
あるいはそれが本人自身に向かうことになる場合もあります。
ですから、子どものために生きる前に、まず自分自身のために生きるようにしましょう。
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子どものために……と自分を犠牲にする場合、
自己犠牲している親は必ず子どもから見返りを求めます。そんな親のもとで育てられた子どもは、人生とは取り引きなのだ、と考えてやりきれない気持ちになるものです。
自己犠牲のフラストレーションを感じないようにするために、多くの女性が<反動形成>というテクニックを駆使します。
つまり自分の感情やニーズをまったく感じないようにして自分のことを忘れさり、子どものことだけに気持ちを集中させるのです。そして、子どもが幸せになりさえすれば、自分も幸せになれると考えるのです。
(『未来をひらく愛の子育て』 イザベル・フィリオザ PHP)
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親が自分をそっちのけにして、
子どもに夢中になり、子どもの人生に夢中になり、
自分の思い描く未来の図にぴったり合う子になるように、
その準備にいそしむとき、
親の望むとおりの、ニコ二コした理想的な「イイコ」に
育っていくのかもしれません。
ただ、そうしたニコ二コした理想的な「イイコ」というのは、
「自分はニーズを持ってはならない。私には自分自身の人生を生きる権利がない」という思いを心の底に抱いている場合があります。
子どもが親を癒す……親の自分の人生に対する物足りなさを癒すという
「危険で不可能なニーズ」に駆り立てられるとき、
子どもは自分もニーズ(こんなことがしたい、こんな人生を歩みたいという気持ち)を持っていいのだ、と思うことを断念しているのです。
次回に続きます。
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