ちょっぴり怪しげな右脳の本などには、
人はこれまで生きた人々のすべての知識の蓄積とつながりがあって、
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……
と うたっている本があります。
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……は、
ある意味、真実ともいえるし、
かなりの誇大な解釈ともいえるのでしょう。
この右脳を通してアクセスできる……というのは、本当にできたところで、
人がインターネットできる状態のパソコンを所有しているのと
同じようなものではないでしょうか?
確かに、そうしたパソコンを所有している人は、
いつでもこの膨大なインターネットの情報にアクセスできます。
でもパソコンを持っていて、いつでも膨大な情報とつながる可能性があるから、
そのひとたちはみんな天才!!とは言いがたいですよね。
だからといって、インターネットの情報は
無意味で個人にとって利用価値がないともいえません。
不治の病にかかった人が、必死で、アクセスし続けたら、
その思いに引き寄せられるように、
病気を治すことができる異国の医師についての情報を手に入れるかもしれません。
しょっちゅうネットサーフィンをしながら、
自分の興味をあたためていたなら、
自分では知りえないほどの興味の対象の知識を持つようになるかもしれません。
インターネットと右脳が潜在意識や集合的無意識に蓄積された膨大な
情報を手に入れる方法は、ちょっと似ているな……と感じるのは、
天才と呼ばれる人々が世紀の発明品や著書のアイデアをひらめく瞬間が
本人の能力よりも、その思いや意志や願望やしょっちゅうアクセスしようとしていたか……にかかっているように見えることです。
古代のヨガの経典には、個人の心を活性化させて宇宙の力にする「方法」が書かれています。この方法……神通の達人は、他者の心や思考を知る力、すべての生き物の言葉を理解する方法、過去と未来を知る力、隠されている物や遠くにある物を知る力、前世を知る力などがあるそうです。
これらは、ヨーガの技法によって意識を拡張させていくものだそうで、
一歩間違うと、新興宗教の教祖さまのような人がそうした技法の一部を乱用してそうですね……。
この神通は、深い瞑想をおこなう現代人や、薬物を使って人の意識を探求しようとする研究者、また新しい世界の統一理論を模索する物理学者などによって
大真面目に再考されています。
「ありえる……」と……
↑の不思議さは怪しいイメージがつきまといますが、
人が集合的無意識の部分で過去や他の人々と相互につながっていることからすると
不思議でもなんでもなく、
パソコンでいうと、「検索」をかける方法をマスターしたり
ネットサーフィンのコツを身につけたりすることに近いもの
なのかもしれませんね。
唯物論でもなく
唯心論でもなく
(どちらも極端で怪しげな解釈ですから)
ピアニストで哲学者、世界賢人会議会長であるアーウ゛ィン・ラズローが、
探求している新しい世界観では
物質も心も実在ではあるけれど、実在の根源ではありません。
そのどちらも共通の母体……
宇宙の量子真空が持つゼロ点エネルギー場から進化してきた
そうアーウ゛ィン・ラズローは断言します。
また次のようにも語っています。
心と量子真空が持つダンスによって、私たちは周囲にいる別の人の心ばかりか、
それを超えた宇宙とも結びついている。この結びつきは
現代の洞察では
人間の脳はその頭蓋骨の外にある世界の特性をもっと広く処理している。その情報には、電磁波の可視スペクトルと音波の可聴領域にある情報ばかりでなく、真空に基づくホロフィールドにおける波動電波も含まれる。
創造性……の話は?
これと深く関わるのですが、かなりずれちゃいましたね。
右脳が膨大な情報にリンクする……そんな夢のような状態を
早期教育によって実現しようと考えている方もいるようですが……
こうした考え方はどうしてもちょっとこじつけで胡散臭くなりがちです。
ただこの摩訶不思議な右脳と宇宙の直通状態は、
創造性を発揮しているときには、子どもでも大人でも
しばしば起こりがちなことのように思います。
文章のうまい下手は別にして、私が文章を書くときはいつも
この潜在意識と接触をした後……という感覚があります。
文章や詩を書くのは、一番 朝方が多いのですが、
原因は目覚める時間ごろに、文章全体を塊のまま受け取るような
感覚があるからです。
だから、書くとき、どう書こう~と悩みつつ書くのでなくて、
「見た夢が消えてしまう前に書き留めなくちゃ~!」とあせるように
いっきに走り書きします。だから、今忙しい時期だから、ブログはお休みしておこう……と決めていても、ひと塊で文が浮かんだら、忘れる前に書きとめなくちゃならないので、結局パソコンの前に座っていることもあるんですが……。
知人から「同じことを言っている作家がいたわ」と
★エリザベス・ギルバート "創造性をはぐくむには"という動画を紹介していただきました。
(この動画で、エリザベス・ギルバートは、わずかばかりの一個人がジーニアス(天才)「である」のではなく、人間はみなジーニアスを「持っている」のだという急進的な考えを語っています)
わかる~わかる~その通り!とうなずきながら、動画を見ました。
文章だけでなく、創造性に火がつくとき、
このどこかから(おそらく心の層の深い部分から)何か自分を超えるものが
やってきた~という感じ……
それに駆り立てられるように作りまくる感じ……
を体感する方は多いです。
また教室でも、
創造的な何ともいえないエネルギッシュな思いに駆り立てられて
作りこんでいく子どもたちの姿を、よく見ます。
ブロック製作も絵画も、スローステップの系統的な学習を作り出して
順番に学ばせていく……という方法では、
子どもは本当に感動するような作品を作るようにはならないんです。
「うちの子、ブロックで何も作れません」という質問に、
「見本を見せるだけでいいですよ」と答えると、
見本を見せて、その通りに作らせようとする方がいるのですが、
そうした方法の「見本を見せる」では、子どもはいつまでも
ナチュラルにエネルギッシュに作品を作るようにはならないのです。
うまく表現できないのですが、
大人が遊び心を持って熱中している姿を「見せる」ことが大事なのです。そうした見本は、潜在意識や宇宙とかいうものとどのようにつながればいいのかを子どもに伝えることでもあるんです。
それは,
言葉から連想するような神秘的なものでもなんでもありません。
自分の作品がどう評価されているかな?
上手にできるかな?
といった「自分」に縛られている状態を手放して
今、目の前のことに夢中になるだけです。
そんな風に自分を「今していること」に
すっかり預けてしまえる体験を繰り返した子は、
創作だけでなく、知的な課題であっても難なくこなしていきます。
こうした状態を簡単に作り出せるようになった子たちの
作品は、幾何学模様や神秘的な完成された美しさを持っています。
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