虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

番外  同じ屋根の下で…(過去記事整理中です)

2010-06-21 21:08:45 | 記事のまとめ(リンク)
過去記事整理中です♪ もう読んだという方はスルーしてくださいね。

私の子ども時代の出来事です。昭和の香りがしますよ~♪

☆番外  同じ屋根の下で… 1

☆番外  同じ屋根の下で… 2

☆番外  同じ屋根の下で… 3

☆番外  同じ屋根の下で… 4

☆番外 同じ屋根の下で…5
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数の敏感期の子の 科学的な疑問を膨らませる 水遊びの工夫 2

2010-06-21 17:52:01 | 教育論 読者の方からのQ&A
今日レッスンに来た4歳になったばかりの★くんも、
たらいを出して水遊びを楽しみました。

★くんは、「こんなことがしてみたいな」「こんな風にしたいな」という
発想がたくさん浮かぶ男の子です。
「ヨーグルトとカレーを売るお店をしたいから、トロンってかけるものが欲しいの。
えっと、紙をくちゃってしてもいいんだけど、白い紙と茶色い紙を用意してくちゃってしたら、カレーみたいでしょ。ちょっと かけてるみたいじゃないけど……」と言うので、
片栗粉を水で溶いて、液体でも固体でもある不思議なドロドロを作りました。

さまざまな粉を水で溶くのは、簡単にできて、子どもにとって魅力的な体験です。
中でもこの片栗粉は、表面に触れると固体なのに、一瞬でとけてトロトロになるので、
何度遊んでも面白いのです。
粉の実験では、ついでに重さの量り方や、粉の成分について少し学ぶといいですね。

4歳前後というのは、少し長い内容を記憶することが楽しくなってくる時期です。
「~ください」とレストランに注文を出すシーンでは、
人形を2体用意して、
「ミッフィーちゃんには、レモンジュースとヨーグルト、
リサには、イチゴジュースとカレーをちょうだいね」
と、わざと少し難しくしています。
ときどき、「何だったっけ?」と首をかしげながら
楽しそうです。

また、こうしたやりとりにコインを加え、
「いくらですか?」とするのが楽しくなってくる時期でもあります。

遊びの豊かさは、記憶力、科学的な興味、数学的な感性を高めるのに
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数の敏感期の子の 科学的な疑問を膨らませる 水遊びの工夫 1

2010-06-21 13:52:19 | 理科 科学クラブ
4歳前後の子どもたちというのは、数にとても敏感な時期にいますから、
遊びの世界に、たくさんの量を意識させるものや、
質量保存の法則に気づかせる道具(とにかく何度も水を移し変えたがり、毎回、びっくりしたり、はしゃいだりします)や、
サイズ、数、分類、重い軽いに親しませるものを用意すると、
それは楽しそうに飽きずに遊びます。

写真は100円ショップのたらいと、100円ショップの小さなプラスチックのグラスで遊ぶ子ら。

ムシムシ暑い日が続いていますから、水遊びは子どもの遊びの定番ですね。
この日、4歳前後の子どもたちが4人とも夢中になっていたのは、
しょうゆ差しです。

キャップのネジを緩めて、水を入れ、また蓋をしめて、
水を小さなグラスに注ぐ

という一連の操作が、頭で計画して、自由に手足を動かすことができるように
なってきたこの時期の子らには楽しくてたまらない課題なんですね。
しょうゆ差しは、逆さまにひっくり返すと、圧がかかって水が出なくなります。
傾け方によって、ポコポコと水泡が水が出ると同時に起こります。

「どうして、逆さまにしたら、お水が出ないの?」
「どうして泡ができるの?」と不思議がいっぱいです。

しょうゆ差しの他に、空いたうがい薬のポンプも楽しい遊具でした。
水が弧を描いて飛び出すので、子どもの予想をいつも裏切るのです。

こうした遊びの中で、疑問に着目し、それをきちんとした言葉で表現できるようにフォローしています。

お向かいさんにウレタンの円柱を頂いたので、水に浮かべて、
グラスを同じ数ずつ分けて乗せています。
ゆらゆらして危なっかしいところが面白いのです。

こうした水遊びのついでに、浮く浮かないの実験、風の実験、
計量、氷の実験、リトマス紙を使った実験なども楽しんでいます。

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我が家のうだうだした話と うちの子たち~♪

2010-06-20 19:09:56 | 記事のまとめ(リンク)
数日前から腰が痛くて、
風呂をざっと洗って、湯を入れるだけの仕事の後で、
「よっこらしょ」と掛け声かけるような感じに、「あっ疲れた~」とつぶやきつつ
居間に戻ってきたら、娘と息子が爆笑しながら、
「どんだけ疲れやすいん?」「お母さんはいちんち家でのんびり過してるから~」
と自分たちがどれほどのハードスケジュールをこなしているか……
と目の回るような一日をとつとつと話されました。

「確かに……私にはそんな生活はできない……。
でもね、お母さんは、自分にとって快適な働き方のスタイルを作るために、
日々努力してきたわけよ。」
「それはわかるけどさ、周囲に忙しい忙しいってアピールして、現実は
ゆるゆる好きなことばっかしてるじゃん」
「別に周囲に忙しさをアピールしてるわけじゃないわよ。
ブログでもね、ストレスがたまってきたら、家事をさぼって本を読んでますって書いてんだから」
「それさーっ、別に疲れてなくても、いつでも読んでるじゃん」
「そうそう、いっつも読んでる!」
うちの子たちのイメージの中のわたしの姿
娘も息子も、「お母さんは、教室の子たちと遊ぶか、ブログ書くか、好きな本読んだり絵を描いているか、だれっと家事するか……毎日、気楽に過しているもんだな~」と思っているようですね「お母さんは自由人だから……」と〆る娘。
……
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うちの子たちネタの過去記事です♪

↓息子が??な方から、政治家になれと勧められた出来事。
☆番外 どこまでもマイペース♪

↓異文化交流。ジャグリングに驚いた話。
☆電車の中で突然外国の方に話しかけられました~

↓娘の真夜中のカブト虫救出事件。(今年はヤドカリが二回も脱走しました。無事救出)☆我が家の虫騒動

国立民族博物館でのイベントの顛末後の息子と私の最近の会話>
☆教育現場に欲しい新しい言葉と新しい概念 1
☆教育現場に欲しい新しい言葉と新しい概念 2
☆教育現場に欲しい新しい言葉と新しい概念 3
☆教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 1
☆教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 2
☆教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 3
☆教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 4
☆教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 5
☆教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

☆番外編 わが子とおしゃべり 出来事

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夏休みの算数クラブ、科学クラブの募集について♪

2010-06-20 08:35:31 | 生徒募集 イベント参加募集
夏休みの科学クラブと算数クラブの日程が決まりました。
たくさんのご応募ありがとうございます。
どのクラスも4名までです。(きょうだいが含まれている場合5名まで)
○歳以上とある場合、上限はありません。
大変申し訳ないのですが、今年は非常にたくさんの方からお申し込みがあったので、
科学クラブか算数クラブのどちらか1つのみ選んで、
3つまでの日程の候補をコメント欄に書き込んでくださいね。
(コメント欄で、事前にお申し込みをいただいている方に限ります)
募集人数より応募人数が多かったため、それでも抽選の形になります。
すいません~

7月12日(月)10時~12時  算数クラブ 3歳~5歳
7月19日(祝)2時 ~4時 科学クラブ 年齢自由
7月20日(火)10時~12時 科学クラブ6歳以上
7月28日(水)10時~12時 算数クラブ 5歳以上
7月29日(木)10時~12時 算数クラブ 6歳以上
7月30日(金)10時~12時 算数クラブ 6歳以上
7月30日(金)2時~4時    算数クラブ3歳~5歳
8月6日(金)10時~12時 科学クラブ  年齢自由
8月12日(木)10時~12時 算数クラブ 6歳以上
8月17日(火)10時~12時 科学クラブ 6歳以上
8月20日(金)10時~12時 科学クラブ 5歳以上
8月21日(土)10時~12時 科学クラブ 3歳~5歳
8月21日(土)2時~4時   科学クラブ 年齢自由
8月23日(月)10時~12時 科学クラブ 年齢自由
8月23日(月)2時~4時   科学クラブ 年齢自由
8月25日(水)10時~12時 算数クラブ 年齢自由
8月26日(木)10時~12時 算数クラブ 5歳以上
8月29日(日)10時~12時 算数クラブ 年齢自由
8月30日(月)10時~12時 算数クラブ 5歳以上 
8月30日(月)2時~4時   算数クラブ 年齢自由

写真は教室の子が作ってきてくれたイライラ棒です。(電池式)


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どんな幼児教育が弊害を生むのか? と 親子 家族の問題

2010-06-20 07:12:35 | 記事のまとめ(リンク)
(記事が増えすぎて、読みたいものを探すのに苦労しているとお聞きしています。そこで時々リクエストの多かった過去記事を再度アップしています)

テレビで幼児教育の特集をしていると、

運動や外遊びには弊害はない。
子どもが元気いっぱいではきはきして、お友だちに思いやりをしるしていたら、
これはすばらしい幼児教育がなされているにちがいない

そうした思い込みや錯覚のもと、
ちょっと引っかかるシーンや気にかかるところがあっても、まるで何もなかったように打ち消して、「すばらしい!」と思ってしまうときがあります。

私はどんなに感動的な演出を目にしても、

愛される存在でいるためには、他人の基準に合わせなければならない

というメッセージが子どもに強烈に伝わるような幼児教育をしている場は
信用していません。
もちろん、幼児は他人の基準にあわせる必要がないと考えているわけではありません。
幼児の集団生活を通して、
自分のニーズを主張することと他人の要求をのむことの折り合いをつけたり、友だちと協調することを学んだりしていく必要があると思っています。

けれども、それは、
「愛される存在でいるためには、他人の基準に合わせなければならない」と思い込ませることではないし、

自分の感情やニーズを切り捨てて他の人の意向を優先すること

ではないし、

自分の感情とのつながりを切断すること

でもありません。
数年前に話題になっていたAC(アダルトチルドレン)を生み出す家庭では、
「話すな」「感じるな」「信頼するな」「質問するな」「考えるな」という暗黙のルールがまかり通っています。

幼稚園のような場でも、
何かひとつの方法を盲信して、親も子どもも、個性や感じ方の違いも疑問も口にできない状態で、園の方針を信じこんで子どもを叱咤激励したり、評価したり、無視したり、時には虐待に近いことまでしているときには、
このACの家庭と同じようなことが起こることでしょう。

本来、私たちは、意見が違って良いし、
それぞれの子はその個性に応じて尊重されて良いし、
お互いその違いから学びあいながら、創造的な解決を探っていくのが社会ですから。
他の人が「物事はこうなっているんだ」と言うと、
疑うことを放棄して、自分の感覚を信じずに言いなりになっている場では、

子どもは、子どもではなくなり、しっかりとした大人(悪ぶった大人)のように振る舞い、
次のどれかの役を引き受けます。

●リスポジブル・チャイルド(責任を追う子)ヒーロー 優等生
●アジャスター(順応者)
●プラケイター(なだめ役)世話焼き
●アクティング・アウト(問題児)スケープ・ゴート、いけにえ

生き抜くための力が、自分の成長のために使われず、
家族や集団の得になるもののために消費されます。

そうした場で育つ子どもたちは、自立しているように見え、輝いて見え、
賢く見え、優しく見えます。
それなら、それでいいのでは?とも思いますよね。

そのように子どものときから大人のように生きた子たちが
大人になると、
立派に大人として社会に適応しているように見えて、
大人になりきれていない部分をかかえているそうです。

それは「子どもっぽい」のとは、ちがいます。
人並み以上に社会的責任を背負っていたりします。

けれども、大人としてじぶんの面倒を見て、自分を幸せにすることができない

のです。
自分の感情をありのままに受け止め、自分の必要を周囲に要求する練習ができていないのです。自分の望みや気持ちをしまいこんで、苦しい生を生きるようになるのです。

子ども時代に、「子どもを生きる」こと。

それは将来の幸福の土台を作ることでもあるのです。

アリス・ミラーは、

「おまえのためだ」と言って子どもを屈服させる教育を受けた子は、大人になってからも誰かに隷属しやすく、宗教的なカルト集団、全体主義的な政党に対しても簡単に服従してしまいやすい

と、指摘しています。

「おまえのためだ」と言って子どもを屈服させる教育は、
子どもの意志を破壊し、子どもの感情や創造性、感受性、反抗心を抑えつけてしまう教育です。
ミラーによれば、そうした教育は、モラル・ハラスメントの被害者を作るそうです。


私の育った家庭も機能不全の状態でした。長い期間、親と子、家族、集団の問題を見つめて、向き合ってきて、しみじみ、これは日本人全体が抱えがちな問題なんだな~と思います。「これが、ふつう」と思えてしまうくらいに。
これから育っていく幼い子たちが、
自分らしく幸福に生きていくために、そこから目をそらしてはいけないと感じています。

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 1

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 2

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 3

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 4

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 5

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 6

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 7

☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 8

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外向直感型の子にきちんとした学習態度を身につけさせるには

2010-06-19 12:52:46 | 子どもの個性と学習タイプ
外向直感型の子は、
目ざとくて、新しいもの好きで飽きっぽく、
奇想天外な発想で遊ぶ想像力と創造性の豊かな子どもたちです。

明るくて快活で楽しい子ですが、
単純な漢字練習や計算学習といった
コツコツ続けていく学習を嫌がるので、
学習習慣をつけるのは一苦労……。
知能ワークは好きで、やりたがるときは一気にワークを1冊終えてしまうこともあるのに、気分にムラがあるので、しないときは
全くしなかったりしますね。
早い時期から机に座る習慣をつけようと
強制的に学習させていると
かえってアダになって、勉強全般に強い拒絶しはじめることもあります。

今日の算数クラブには3歳10ヶ月の★くんが参加してくれてました。
おそらく外向直感感情寄りの男の子です。
線路を斜めに傾けてセットして走らせるといった奇想天外な発想で遊ぶ姿が多々見られ、
次々新しいことがしたくてたまらない様子で、あれもこれもと忙しく遊んでいました。

外向直感型の子って、とにかく新しいものを見つけて
それをやらせてもらうまでの間と、
やりはじめの時にエネルギーが最高に高まっています。

「やりたいやりたい~」と騒ぎ出したら我慢できないのに、
やりはじめるとすぐに飽きて、
次に「やりたい」ことを見つけて騒ぎ始める困ったちゃんでもあります。

そんなとき、「今出したばかりでしょ。それで遊びなさい」と言っても、
もう次にしたいことで頭がいっぱいで聞いていません。

それで根負けして自由にさせていると、
いつになっても、ちょっとやっちゃ飽きて~を繰り返して、
根気よくじっくり物に取り組んだり、
がんばってやりぬいた後の達成感を味わったりする体験が
皆無のまま成長することもよくあります。

私は外向直感の子が、きちんんとひとつのことに向き合い、
がんばってやり遂げた喜びを味わえるように
いくつか工夫していることがあります。

まず、「やりたい~!」がはじまった時点で
条件をつけて、その「やりたい」エネルギーで一仕事させてしまうことです。
「魚釣り遊びがしたい~」なら、
釣り竿を紙をまるめて作るところから始めて、準備にしっかり関わらせて
その遊びをはじめるとか、
「このおもちゃをきちんと片付けたら~で遊んでもいいわよ」
と言ったりすることです。

こうして、どんなことがあっても、目に付いて閃いたらやらないことには気がすまない外向直感型の子も、
手早く根気よく作業をすることを身体で覚えていきます。
また、きちんと他人の話を聞かずに衝動的に始めてしまう癖も、
この「やりたい」ことをする前のワクワクした気持ちの時に、
「今からやり方を見せるから、きちんと見ていてちょうだいね。集中してお話も聞いて」と言うと、緊張した面持ちでしっかり聞いています。
外向直感型の子にそこでビシッするべきことをさせず、
「努力せずに何してもいいよ~」と甘やかしていると、
成長するにつれて、条件を出しても、
「なら、いい。じゃ、こっちがしたい」と、選ぶ時点で目移りして、
手間がかかることを極端に嫌がるようになります。
注意が必要です。



写真は、「やどかりと遊びたい!」という★くんが、
やどかりの公園を作って、やどかりと遊ぶ準備をし終えたところです。
ほとんど自分ひとりで、力作を仕上げましたね。
叱ったり脅したりして、
コツコツすることを学ばせるのではなく、
身体でコツコツする気持ちよさを実感させると、
「きちんと聞く」「ていねいに手本を見る」「最後までがんばってやり遂げる」
という数年先の学習態度につながっていきます。

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知的な課題が好きな子に育つお母さんの態度 嫌いな子に育つお母さんの態度

2010-06-18 19:47:54 | 教育論 読者の方からのQ&A
(過去記事です)
虹色教室でたくさんの子どもたちと接していると、
0~3歳の時のお母さんの子どもへの接し方で
その後、知的な課題が好きな子に育ってくるか、嫌がるようになるかが
だいたいわかります。

気がかりがどんなささいなものでも、少しすると必ずといっていいほど目の前の壁となってド~ン!とあらわれるので、
子どもが知的な課題を拒絶しはじめたときに、
もう少し幼い頃、気にかかっていたことをもっとはっきり言葉にしておけばよかったのでは……と反省することもよくあります。

でも学習っぽいことを嫌がるようになる子というのは、能力に遅れのある子よりも
成長がはやく、お母さんお父さんのいろんなことをしてあげたい気持ちを刺激してくれる子が多いので、急速な成長期にささいな気がかりを伝えても
うまく伝わらない場合が多いのです。

(いったん知的な課題を避けるようになっても、
お母さんが気持ちや子どもの環境を少し修正していけば、
幼児期なら自然な知的好奇心が強い状態にもどっていくので、それほど心配いりません)

子どもが知的な課題を嫌がるようになるお母さんの態度と、勉強好きになるお母さんの態度は見たところほとんど区別がつきません。
どちらも優しくしんぼう強く、子どもへの強い愛情が感じられます。
ただひとつだけ少しちがうところがあります。

大きくなると知的な課題に喜んで取り組むようになる子のお母さんは、

子どもが何を喜んでくれるかな~?
喜んでることを何度でもしてあげたい。子どもが機嫌がよくて楽しそうにしていることこそ幸せ♪

という気持ちが子ども自身に伝わるような接し方をしているのです。

知的な課題を嫌がるようになるお母さんは、

子どもが何かができるようになること。マスターすること。
短所が減ること。

に気持ちがいっていることが多いのです。それが子どもに伝わって、子どもの表情に時折、とまどいや不安や緊張が浮かんでいるのです。

また少しでもはやく次のレベルの課題にすすんで欲しいという思いが
子どもが楽しんで繰り返していることが
少し年齢の幼い子の遊びだったり
いつも遊びたがる電車遊びやままごとだったりしたときに、

子どもが選んで好んでしていることをお母さんはよく思っていない

あなたが選ぶもの 好むもの=良くないこと つまらないこと

あなた=つまらない子

という具合に子どもに伝わっていて、自分への自信や信頼感を失い
自信がないからチャレンジしない
チャレンジしないからできないことが増える
の悪循環に陥ってしまいがちなのです。
すると子どもにその場、その場の快感ばかり求める
態度が身についてきます。

子どもを知的な課題を避けるように(勉強嫌いに)育てようと思えば、1~3歳の時期に、
その年齢以上のものを求める
大人の完璧主義を押し付ける
を繰り返せば簡単にそうなります。遊びでもお片づけでもしつけでも、その子の発達段階を超えたことを期待されていると、
最終的には知的な課題全般への消極的な態度となっていきます。

お母さんがそのつもりがなくても、習い事が多いと、よくない体験も増えると思います。幼い子の習い事には要注意です。

きちんと教えることに徹するのは禁物です。

4歳半くらいまでの子には

子どもがやりたいこと9に対し、大人が教えたいことさせたいこと1
くらいのバランスを保つことが大事です。
この比率は、子ども自身が成長にともなって縮めていきます。
自分から、[教えて~!もっとじょうずになりたい!」と言う様になります。

たとえば食事なら、わかりやすいかもしれません。
食べることが好きになってもらいたいのに、
食事に塩を入れすぎるのはおかしいですよね。
おいしいなと思ってもらうことに気持ちが行かず、
よりたくさん塩分を取らせることに気持ちが行くと、そんな奇妙な調理になって、しまいに食事を見るのも嫌!となるのはわかりきっています。
知的な刺激も塩加減、バランスが大事です。
まず「おいしいこと!」つまり「楽しいこと!おもしろいこと!もっとやりたいと感じること」が優先されなければ、知的な課題を目にするだけで逃げ出したい気持ちを育ててしまうのです。

きちんとまとめられていないので、このテーマに関しては
またの機会にもう少しくわしく書きますね。

写真は大人向けの工作ボランティア(幼児のボランティアをしている方々の遊び道具の作り方を学んでもらいにいきました)をしにいった時の様子です。
トーマスの仲間たちを作りました。
ペンキで服が汚れないように(大人の方々ですが……)もう少し準備をしていけばよかったと反省です。

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創造性はどうすれば伸びるの?

2010-06-18 11:16:12 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
ちょっぴり怪しげな右脳の本などには、
人はこれまで生きた人々のすべての知識の蓄積とつながりがあって、
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……
と うたっている本があります。


右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……は、

ある意味、真実ともいえるし、
かなりの誇大な解釈ともいえるのでしょう。

この右脳を通してアクセスできる……というのは、本当にできたところで、
人がインターネットできる状態のパソコンを所有しているのと
同じようなものではないでしょうか?
確かに、そうしたパソコンを所有している人は、
いつでもこの膨大なインターネットの情報にアクセスできます。
でもパソコンを持っていて、いつでも膨大な情報とつながる可能性があるから、
そのひとたちはみんな天才!!とは言いがたいですよね。
だからといって、インターネットの情報は
無意味で個人にとって利用価値がないともいえません。

不治の病にかかった人が、必死で、アクセスし続けたら、
その思いに引き寄せられるように、
病気を治すことができる異国の医師についての情報を手に入れるかもしれません。
しょっちゅうネットサーフィンをしながら、
自分の興味をあたためていたなら、
自分では知りえないほどの興味の対象の知識を持つようになるかもしれません。

インターネットと右脳が潜在意識や集合的無意識に蓄積された膨大な
情報を手に入れる方法は、ちょっと似ているな……と感じるのは、
天才と呼ばれる人々が世紀の発明品や著書のアイデアをひらめく瞬間が
本人の能力よりも、その思いや意志や願望やしょっちゅうアクセスしようとしていたか……にかかっているように見えることです。

古代のヨガの経典には、個人の心を活性化させて宇宙の力にする「方法」が書かれています。この方法……神通の達人は、他者の心や思考を知る力、すべての生き物の言葉を理解する方法、過去と未来を知る力、隠されている物や遠くにある物を知る力、前世を知る力などがあるそうです。
これらは、ヨーガの技法によって意識を拡張させていくものだそうで、
一歩間違うと、新興宗教の教祖さまのような人がそうした技法の一部を乱用してそうですね……。

この神通は、深い瞑想をおこなう現代人や、薬物を使って人の意識を探求しようとする研究者、また新しい世界の統一理論を模索する物理学者などによって
大真面目に再考されています。

「ありえる……」と……

↑の不思議さは怪しいイメージがつきまといますが、
人が集合的無意識の部分で過去や他の人々と相互につながっていることからすると
不思議でもなんでもなく、

パソコンでいうと、「検索」をかける方法をマスターしたり
ネットサーフィンのコツを身につけたりすることに近いもの
なのかもしれませんね。

唯物論でもなく
唯心論でもなく
(どちらも極端で怪しげな解釈ですから)
ピアニストで哲学者、世界賢人会議会長であるアーウ゛ィン・ラズローが、
探求している新しい世界観では
物質も心も実在ではあるけれど、実在の根源ではありません。

そのどちらも共通の母体……
宇宙の量子真空が持つゼロ点エネルギー場から進化してきた

そうアーウ゛ィン・ラズローは断言します。
また次のようにも語っています。

心と量子真空が持つダンスによって、私たちは周囲にいる別の人の心ばかりか、
それを超えた宇宙とも結びついている。この結びつきは
現代の洞察では
人間の脳はその頭蓋骨の外にある世界の特性をもっと広く処理している。その情報には、電磁波の可視スペクトルと音波の可聴領域にある情報ばかりでなく、真空に基づくホロフィールドにおける波動電波も含まれる。


創造性……の話は?
これと深く関わるのですが、かなりずれちゃいましたね。

右脳が膨大な情報にリンクする……そんな夢のような状態を
早期教育によって実現しようと考えている方もいるようですが……
こうした考え方はどうしてもちょっとこじつけで胡散臭くなりがちです。

ただこの摩訶不思議な右脳と宇宙の直通状態は、
創造性を発揮しているときには、子どもでも大人でも
しばしば起こりがちなことのように思います。

文章のうまい下手は別にして、私が文章を書くときはいつも
この潜在意識と接触をした後……という感覚があります。
文章や詩を書くのは、一番 朝方が多いのですが、
原因は目覚める時間ごろに、文章全体を塊のまま受け取るような
感覚があるからです。
だから、書くとき、どう書こう~と悩みつつ書くのでなくて、
「見た夢が消えてしまう前に書き留めなくちゃ~!」とあせるように
いっきに走り書きします。だから、今忙しい時期だから、ブログはお休みしておこう……と決めていても、ひと塊で文が浮かんだら、忘れる前に書きとめなくちゃならないので、結局パソコンの前に座っていることもあるんですが……。

知人から「同じことを言っている作家がいたわ」と
★エリザベス・ギルバート "創造性をはぐくむには"という動画を紹介していただきました。
(この動画で、エリザベス・ギルバートは、わずかばかりの一個人がジーニアス(天才)「である」のではなく、人間はみなジーニアスを「持っている」のだという急進的な考えを語っています)

わかる~わかる~その通り!とうなずきながら、動画を見ました。

文章だけでなく、創造性に火がつくとき、
このどこかから(おそらく心の層の深い部分から)何か自分を超えるものが
やってきた~という感じ……
それに駆り立てられるように作りまくる感じ……
を体感する方は多いです。
また教室でも、
創造的な何ともいえないエネルギッシュな思いに駆り立てられて
作りこんでいく子どもたちの姿を、よく見ます。

ブロック製作も絵画も、スローステップの系統的な学習を作り出して
順番に学ばせていく……という方法では、
子どもは本当に感動するような作品を作るようにはならないんです。
「うちの子、ブロックで何も作れません」という質問に、
「見本を見せるだけでいいですよ」と答えると、
見本を見せて、その通りに作らせようとする方がいるのですが、
そうした方法の「見本を見せる」では、子どもはいつまでも
ナチュラルにエネルギッシュに作品を作るようにはならないのです。

うまく表現できないのですが、
大人が遊び心を持って熱中している姿を「見せる」ことが大事なのです。そうした見本は、潜在意識や宇宙とかいうものとどのようにつながればいいのかを子どもに伝えることでもあるんです。

それは,
言葉から連想するような神秘的なものでもなんでもありません。

自分の作品がどう評価されているかな?
上手にできるかな?
といった「自分」に縛られている状態を手放して
今、目の前のことに夢中になるだけです。

そんな風に自分を「今していること」に
すっかり預けてしまえる体験を繰り返した子は、
創作だけでなく、知的な課題であっても難なくこなしていきます。

こうした状態を簡単に作り出せるようになった子たちの
作品は、幾何学模様や神秘的な完成された美しさを持っています。
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国に求めたい子育て支援の形 1

2010-06-18 08:45:50 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
以前、生徒のなのたん家といっしょに子どものための博物館のキッズプラザに行ってきたときの話です
詳しい様子は
こちらです。

キッズプラザには、キッズストリートという
幼児版の職業体験のコーナーがあります。
スーパー、こうばん、ゆうびんきょく、びょういん、おすし屋、サンドイッチ屋、すしやが並ぶ小さな町で、お仕事を体験できるのです。
小さな子たちにはとにかく人気で
子どもでごったがえしていました。

そこでなのたんにおすし屋さんやサンドイッチ屋さんを体験させて
あげようとした時、気になることがありました。

「さまざまな遊びの場で、子どもは順番を待つ」ということを教えられているのですが、
「協力し合っていっしょに楽しめる」遊びの場でも、
つきそいの親(キッズプラザの職員ではありません)の指導の下、
順番を待つというルールを厳守させられているのです。
それで、すぐうしろにボーっと自分も遊びたそうに立っている子がいても、
その子が仲間に入りたいんだなと気づく子も気にかける子もおらず、
立っている子も「入れて!」ということもない。

子どもが集っていても、「遊び」があるのではなく、
「物」を自分で触ることを 時間ごとに交代でしているだけなのです。
そこで、私が4歳くらいの女の子ふたりに
「おちびちゃんも入れてちょうだいね」と言って
なのたんを遊びの中に参加させてもらうと、ひとりひとりで食べ物のおもちゃを触っていたふたりに困惑の表情が広がりました。

しかし、
「トマトとハンバーグのサンドイッチをちょうだいな」「ジュースをくださいね」と頼むと、
うれしそうに作ってくれ、
表情に笑顔があふれました。
それから注文したりされたり
なのたんもお姉ちゃん達の真似をしたりと
楽しい時間が持てました。

大人は集団で過させるというと、
集団のルールを守らせることばかりに気持ちが行きがちです。

そこでは、いすがふたつ並んでいるというだけで、
ふたりずつ椅子をすわる順番を待つ遊び

を大人が勝手にこしらえてしまっていました。かなり自由な遊びの場にもかかわらず…です。

でも ここでとても気をつけなくてはならないことがあると思うのです。

自閉症の枠組みのひとつにある知能は高いけれど
人の気持ちを推測することが難しい高機能自閉症やアスペルガー症候群の子は
「ルールは厳守して守るけれども
柔軟性がなく お友達の気持ちを察したりすることが苦手」
というハンディーキャップを持っています。
他者のふるまいを見た時に、自分の頭の中でも
同じふるまいをしているように思いをめぐらせ推察する
ことができるミラーニューロンという神経細胞の働きが
弱いのではないかといわれています。
ミラーニューロンは、他者の意図をくみとったり、
共感したりするために働いているのです。

しかし高機能自閉症やアスペルガー症候群の子が持つ
「ミラーニューロンが働きにくい」というハンディーを
多くの障害がなく生まれた子たちが
育ちの中でわざわざ学習して持ってしまうことが多い気がするのです。

さまざまな遊びの場で、
4~5歳の子が、あまりにも周囲の子の心に無関心なまま遊ぶ姿、
共感もなく、協力することもなく、
自分の目の前のおもちゃだけを相手にする姿を
見かけます。
そうした子に軽度発達障害のある様子はありません。
ただ、どうしたらお友達に声をかけられるのか、
おもちゃで「一緒に」遊ぶにはどうしたらよいのか、
が わからなくて、ぼんやり順番を待っているのです。
その場にあわせて柔軟に対応できないのです。
たくさん子どもが集まっていても、
どの子も自分以外の子に自分と同じようにいろいろな思いが宿っていることに
気づいていないのです。


子どもを遊ばせる時は、
心よりも「ルール」ばかりをを優先して
子どものミラーニューロンの働きを弱めたりすることがないよう気をつけることが
大事だなぁと感じました。

こうした子ども向け施設で、施設を作って提供する側が、
人気さえ出ればいい、親のニーズにさえ応えればいい、見栄え優先という
考えで運営される場合、
親に、多くの誤った子育て観を与えてしまう気がします。
大人も子どもも
環境から教育されるものです。

たくさんの子どもが利用する施設や子育て支援の場では、
より高い視点から「実際の使われ方」と、「そこでの
子どもの成長」について、
現場の職員や子どもの発達について研究している機関が、
何度も吟味を重ねていく必要があるのではないでしょうか?

息子が小学生のとき、
「どうして先生は、道徳が大事、
友だちを大事にしなさいと言いながら、~君がこんな悪いことをしたから、クラスの子全員、居残りですとか、罰則で~~してきなさいなんて罰を出すの?
そんなことしたら、みんな心の中で、~君のこと恨むようになるじゃないの?
言葉ではこんなことをしたらダメといっても、
知らない間に、
先生がダメと言ってることをみんながしたくなるようなことを、
先生がさせるのはなぜ?」
とブツクサ言っていました。

教えようとしていることと、伝わっていることが違う……
言語では正しいことを言っても、非言語の部分に、それと正反対のメッセージをこめている

この息子のぼやき……市の子供向け施設や子育て支援の場でも、たびたび、目にする場面だなぁと思いました。
若い世代のお母さんたちが、
「子育てを支援する場で、ゲームセンターで子どもを過させるような
子育ての仕方を覚えこんでしまう」
のは、困った問題だなぁと感じています。


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