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子どもの自然な知力の発達を見守りながら、
新しい「おわん」を作っては、どこでも、ポタンポタン水がたまり続けている
状態にすることが
親のちょうど良い教え方だと考えています。
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実は、子どもだけではなくて、親にしても、
「こういう力が大事なんだ~」
「こういう部分を伸ばさなくては~」と目的をはっきりさせて、
おわんをつくって、それからポタンポタンと能力を溜めていく
というのがとても大切だと思っています。
親って、『フランチャイズ店の店員』の感性じゃいけないと
思うんですよ。
「最初にマニュアルを自分にインプットしたら、その後は、
それを繰り返すだけでOK」という捉え方です。
そうじゃなくて、『レストランの一流コック』のように、日々、自分を磨いて
成長していくような本当の意味での自分の成長が求められる
仕事なのでしょうね。
それは世間的に見て、
すばらしい親になるという意味ではなくて、
子育てという体験を通して、
「自分の中に新しい大切な力を育んでいこう」
「目の前の出来事ひとつひとつから、学んでいこう」
という柔軟な姿勢で、過していくということです。
「○○法」信者になって、
自分のやりたい育児法、教育法を突っ走っていくことや、
自分が夢見るゴールに子どもの手を握って、駆けて行くことではない
はずです。
努力は自分がするなら美しいものでも、
それを幼児という自分ではない存在に無理強いするなら、
支配やコントロールという醜さ以外の何ものでもありません。
「目の前の子どもを深く知る」
「子どもが自分を作り上げていく姿を、一歩下がって見守る」
「子どもが悩んでいるポイントに気づき、的をついた提案をする」
といった
相手を知る力『シナリオ力』を使って子どもと関わっていく技術は、
自分のやりたいことを子どもに投影する前に
学ぶ必要がありますね。
もし、相手の気持ちを察するのが極端に苦手で、
自分の子がどういう子か、何を望んでいるのか、何に関心があるのか、どんなとき喜ぶのか、どんな場合、意欲的か、どんなとき飽きてしまうのかといった詳細が、毎日いっしょにいても少しもわからない~という場合、
学習についてだけ「わからせたい!理解させたい!上手に教えたい!」と対話する力ばかりを
伸ばすのはどうなのでしょう?
親と子が同じ立場や視点に立っておらず、
お互いのビジョンが大きくずれていると、
親が熱心になればなるほど、子どもはやる気を失っていくという結果に
つながるかもしれません。
もちろん、「最初から、そういう能力がいる!」というわけではありません。
子育てにこういう力が必要なんだな~と気づくことで、
おわんができて、
それから子どもと過しながら、少しずつ学び続けることで、
ポタポタ~おわんに水が溜まるように
親の能力もアップしていくのだと思います。
大事なものは何か、気づいてさえいれば、
歩みがどれほどゆっくりでも、
必ず大成功が約束されているのではないでしょうか。
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