虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

本当のモンテッソーリ教育 2

2010-09-26 16:36:48 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
海外で行われているモンテッソーリ教育の本を読むと、
今、ちまたで行われているモンテッソーリ教育の多くは、
モンテッソーリの考えから、かなりずれているように見えます。

「いろんな教育法から、良いとこ取りして、育てればいいんじゃない?」
「ダメ出しばかりされたら疲れてしまうわ」
と感じる方もいるかもしれませんね。

でも、モンテッソーリが、強く強調していたことを無視して、
自己流に良いように解釈してモンテッソーリ教育をおこなうのって
どうなのかなぁ?
という気もするのです。
また、子どもの手先が器用になって、よその子よりテキパキとして、
イライラせずに作業ができるように
なることのみを目指すのも、偏った捉えかたじゃないかな?
と疑問が残るのです。

モンテッソーリの考えていたこと、強く訴えていたことは、
とても共感できるものです。
教具から離れて、モンテッソーリの声に耳を傾けると、
とても心に響きますよ。

モンテッソーリは、子どもには3種類の大事な経験があると考えていました。
どれも欠かすことができない大事なものだとも。

①庭のボールを蹴ったり、砂を掘ったり、歩きながら時おり立ち止まったり。
大人から無意味に見えても、子どもが環境から自分で学んでいる経験。

②学習的な意図を持って、大人が子どもに始めさせる体験。
スーパーで食べ物を見つける手伝いなど。

③大人に参加させられるのではなく、
子ども自身で始める体験。
例えば、子どもが庭の石を蹴ったなら、虫がいるかどうか確かめるのを
見るよう子どもに提案してみるなど。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
観察と発見から学ぶ2歳~

動物や植物が触覚やその他の感覚にどのように反応するかなど……。

目の機能が完成されていく時期……というと、視力さえよくなればOK
と受け取られがちなのですが、
子どもは見る技術、観察する技術、集中して、しっかり目で追う技術などを、
この視覚が敏感な時期に獲得します。

また、モンテッソーリは子どもが自然界や世界と関わり、
連続性を理解していく中で、過程と予測する力を養うことを
大事にしていました。

それから、子どもは参加することによって、
精神的な発達が得られるとも考えていました。
ですから動物の世話や植物の手入れ、家のお手伝い、手芸やアートクラフト
などの活動を勧めていました。

庭に、子どもが植物を育てる場所を作ることや、
鳥を呼び寄せること、5歳くらいから月々の表を作って
晴れ、曇り点点といった天候を記録したり、
気温を計測することも提案していました。

また、算数、科学、地理に親しみ、学ぶため
さまざまなゲームも考えていました。

モンテッソーリは、ゲームを、

親と子に積極的に参加に関わらせ、親と子の健全で価値ある関係を築く


として重要視していました。

日本の子育てって、
「親と子の健全で価値ある関係を築く」大切さを
無視しがちです。
子どもにいろいろ教育して、いろいろできるようにさせることが大事なんじゃなくて、
「良い親子関係を作ること」自体が、
モンテッソーリ教育の真髄のひとつでもあるのです。

でも、そうした基本的なことを学ばないまま
単なるお受験用の保険くらいに思って
なんちゃってモンテッソーリを続けることは、
親子関係を無価値でむなしいものに変えていく場合もあるので
注意が必要ですよね。




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本当のモンテッソーリ教育

2010-09-26 08:47:33 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
最近では、モンテッソーリ教育という名前が広まって、
「モンテの園に通っています」とか、「モンテッソーリ教育しています」
という声をいろんな場所で耳にするようになりました。

でも、お話をうかがっていると、
日本で行われているモンテッソーリ教育って、

2ピースから、4ピース、4ピースから8ピースと……
ピース数をゆるやかに増やしていく「パズル」を、

他のはさみで切ることや、水を移しかえること、
服の脱ぎ着、数概念を教具でマスターする
といったことに広げただけ……
という印象もあるのです。

算数や国語のプリントでする系統学習の
体験版……という感じ。

でも、モンテッソーリ教育って、本当はそういうものではないし、
海外で行われているモンテッソーリ教育にしても、
それとは、似て非なるものなのです。

『モンテッソーリの知恵』
LESLEY BRITON 著    辻井正 訳
ブラザー・ジョルダン社

は、モンテッソーリ教育の真の姿を伝えてくれる貴重な本です。

モンテッソーリは、
子どもの知的能力を発達させる秘密は親と保育者の関わり方だと考えていました。
日本だと、教具や教材にばかり重点がおかれがちですが……。
また、日本だと、技術のマスター、つまり教材ができるようになることばかり
注目されますが、
それを通して知的能力を発達させることを、モンテッソーリは
大切にしていたのです。

新しい遊びのスキルを学ぶ能力を、
人間が暮らす環境と文化に適応するために、
その新しい技術を使う能力が知性(インテリジェンス)の一般的な定義です。

それが、スキルアップとなると、そこばかり気にかけて、
「人間が暮らす環境と文化」そのものが
貧弱で、何だかよくわからないものになっていても、
気にかけないのが、日本流の仕方のまずいところだなぁと感じます。

たとえば、私たちにしろ、海外の見知らぬ土地の食物の料理法となると、
さっぱりわからないですよね。
そこで、料理するために、「切ることだけ」練習していっても、
実際料理を披露できるのかというと難しいはずです。
そこの文化を吸収できる環境があってこその
スキルなのです。

上の著書には、2~5歳の各年齢と発達の段階が書かれています。
2歳は意識しない吸収力のある心
3歳は意識的な吸収力のある心で
世界に敏感に対応しています。

3歳の知的な力を取り上げると、次のようなものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「絶え間なく質問する時期」とあって、
●想像力が活発になる
●世界の映像を構成するための概念がより複雑になる
●物を調べたいという強い願望
●短期間の記憶が徐々に増加する
●過去と未来の出来事を認識しはじめる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つまり、モンテッソーリ教育では、子どもが手や身体を使って
動くことで世界を学び取ろう、認識しよう、吸収しようとする
活動を支えていますが、
目的なしに、他の子より、切る、貼る、縫うが上手にできるようになることなど目指ししていないのです。

大人の教具のスキルアップばかりに注目する癖は、
子どもの周囲の世界を曇らせて、
子どもが動いて学び取るものから、
「学び取る」目的を失わせてしまうかもしれません。

子どもが何かを、はやくできるようになったところで、
できるようになる過程で子どもが身につけるはずだった知的な力を
無視していては何もならないのです。

モンテッソーリ教育の豆を分ける作業なども、そこから子どもは
論理的に物を考えるための構成を学んでいくのですが、
周りが論理的に物を考えようとせず、
表面的なうわべだけの理解で、生活しながら、
豆を分ける速度を子ども同士比べていたのでは、
ただの身体能力をマスターする作業で終わってしますよね。

栗拾いに出かけているのに、一番にゴールすることだけを目指して
栗を拾うのを忘れてしまっては意味がないですよね。

競うことにばかり気を取られると、
目的が何なのか、すっ飛んでしまいがちなのです。


レッスンが近づいたので、続きは次回に書きますね。
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大人だけの勉強会 小学6年間の学習 と 中学入試のポイント

2010-09-25 08:24:17 | 教育論 読者の方からのQ&A
23日の晩、小学6年間の学習 と 中学入試のポイントをテーマに
大人だけの勉強会を開きました。

maple familyの記録の はちbooさんも参加してくださり
そのときの様子を
レゴクリエイター:3IN1の記事の中で少し取り上げてくださっています。

これで、2タイプの大人だけの勉強会を開いたわけですが、
大人だけの勉強会って、参加者の子どもの個性や発達段階やニーズが見えにくい
ので、

学習の HOW TO だけをテーマにした方が
進行がスムーズ……実りが多い気がする……と感じました。

新しい試みをすると、
いろいろ勉強になります。

勉強会には、今、小2、小4、中1の子の家庭教師をしている
以前の私の生徒の★さんにお手伝いにきてもらってました。
また、子どもさんの勉強の参考に……と私立小の先生もみえていたので、
今の小学生の学習内容と、つまづきの原因について
現場の声をいただけて助かりました。

小学校6年間の、家庭教育ではどうしたことを補っていけばよいかについて、
私なりに感じていることを、
公立小のカリキュラム、中学入試問題、
多くの子どもたちがつまずいている問題などを見ていただきながら、お話させていただきました。

公立の小学校で習う内容って、それほど多くありません。
頭の回転が速い子なら、小学2、3年生までに6年生までの
教科書を終えてしまうことも、難しいことではありません。

けれど、現実には多くの子どもたちが3年生くらいから、学習につまずきだし、
塾に通っていても落ちこぼれるという子がけっこう出てきます。

どうしてそんなことが起きるのかというと、

便利な物に囲まれている現代の子どもたちは、何かにじっくりゆっくり
根気よく
関わることがとことん苦手だから……

というのが、私が感じる主な理由です。

おまけに、小学生になるまで、瞬時に答えを出すプリント類を
してきた子も多く、
低学年は基礎学力のためと、やたら計算ばかり練習するものです。

その結果、3年生の時点で、
「3行以上の文章題を読んで、考える」という
最低1分以上は考えなくてはならないような「じっくりゆっくり」腰を
すえた作業が強いられるものを、
極端に避けるようになるのです。

子どもにすれば、「考える」などという「もたもた」したことは、
それまでしたことがない作業で、
すばやく答えを暗記してしまいたいところが、
算数の文章題って暗記するパターンとして捉えると、
「何百パターン覚えればいいの?無理!!」ってほど、組み合わせによって
変化しますよね。
それで、「できないできない」とお念仏のように唱えたり、
「先生読んで!」「お母さん、教えて」と、自分で読まずに大人に読んでもらおうとしたり、自分で考えずに答えだけ教えてもらおうとする子が続出するのです。

とにかく、「がまん」という経験はあまりしたことがないので、

「わからない」という不安な状況に耐えて、よく頭で考えてみる 

とか、

1度にできないものは、3段階くらいに分けて、ひとつずつしてみる

といったことがとても苦手なのです。

難しい問題というのは、簡単な問題が3つ4つ合体したものです。
難しいときは、いくつかの易しい問題に分けて、ひとつずつ順に解いていけばできます。
それが、とにかく瞬時に答えを出す癖が刷り込まれている子たちは、
この「いくつかに分ける」「ひとつずつ取り組む」
というのができません。

こういうのってプラモデル作りなどでも身につきます。
ふるまりさんが参考になる記事を書いてくださっています。
★コチラ

虹色教室では、設計図どおりに組み立てるブロック遊びなどで
そうした力を育てています。
また、工作も、

段階に分ける、ひとつずつ取り組む

が身につく作業です。

もうひとつ、小学生がつまずく原因は、幼児期の体感が少ないこと、身体図式ができていないことにつきます。
身体図式に関してはikkoさんが、わかりやすい記事を書いてくださっています。
コチラ
教室で、子どもたちと工作をするとき、ものさしで測ることを早い時期から
させているので、
「3.5センチ測って」と言えば、ちゃんと測ることが
できる幼稚園児がけっこういます。
直感的に感覚で少数や分数を理解するようになるのです。

それが、計算訓練等を積んで、算数ができるという小学生が
少数や分数を学びだすと、さっぱり意味がつかめない~
ということがよくあるのです。

数を、あくまで計算時に使う記号として捉えて、
訓練して扱えるようになっているので、
なんとか計算ルールは丸暗記できても、数年すると忘れてしまうのです。

学年トップで小学校を卒業……でも、分数も少数も計算の仕方がわからなくなっている
中学生……
そんな子とちらほら出会って驚くのです。
体感として意味がわからないまま進むと、暗記するものが増えれば、
電話番号の暗記みたいに古いものから消えていきますよね。

一方、中学入試をしようと勉強を始めたときつまずきやすいのは
「表やグラフ」の読み取りや、表やグラフにする力です。
ここを学校で習っているときは簡単なのですが、
受験問題にあたりだすと、ちょっと習って読めるレベルでは
とても太刀打ちできないのです。
折れ線グラフなら、見ただけで大事なところと、問いたいことがわかるくらい
それまでの生活で表やグラフと親しんでいないと、
問題を読んで考える以前に挫折してしまいます。
といっても表もグラフも幼児でもわかるような
目で見て直感的に理解していけるものですから、
生活に取り入れていれば難しくもなんともないのです。

★文章を読んで、イメージに直していくこと
★根気よく考えること
★表やグラフを読み取ってかけるようになること
★外遊びや工作などの経験で身につく空間認知能力

などは、今、小学校に授業ではほとんど体験できません。
(塾では、パターン暗記となりがちです。)
けれど、実際、中学入試も高校入試も、それら4つの力が
すごく問われるものばかりです。
基礎計算や計算速度が速いくらいで解ける問題は、皆無に近いのです。
ぜひ、入試問題集を分析してくださいね。
それらに6年間しっかり関わっていても難しいくらいの内容ばかりです。

ですから、学校での成績が良くない場合も、

★文章を読んで、イメージに直していくこと
★根気よく考えること
★表やグラフを読み取ってかけるようになること
★外遊びや工作などの経験で身につく空間認知能力
の4つが、きちんと育つ生活をしているなら、
本人がやる気にさえなれば、すぐにできるようになることも
可能なのですよ。

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ハイスコープの学習についての本を紹介してください

2010-09-24 22:09:51 | 本の紹介
忙しくて、手付かずになっている 虹色教室通信 別館の記事、

★計画ー実行ー再考  の学習 ハイスコープ


★計画ー実行ー再考  の学習 ハイスコープ 2



★子どものあこがれを創作活動へ♪

について、質問をいただいていました。
ハイスコープという学習法について調べても
英語の論文くらいしか見当たらないので、
関連書があれば教えてほしい……
というご質問でした。

ハイスコープ の教育法を扱った本が、
これまで日本で発売されているのは見たことがないのです。
でも、その考え方にとても近いと思われる
本でしたら紹介できますよ。

「考える力」はこうしてつける

ジェニ・ウィルソン&レスリー・ウィング・ジャン著
新評論

です。
学校の教員用の書かれた内容ではありますが、家庭でも参考になりますよ。

この本の他には、多元的知能を扱った本は、ハイスコープの考え方に近いと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すでに必要な思考力と知識をもっている子どもでもよく
学べないことがある。
メタ認知能力が育っていないからである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自立した学習者を育てることを
目的とするこの本では、子どもに「考える力」をつけるための
さまざまな方法をしるしてあります。

またセルフ・エスティーム(自分としても誇りに思い、他者からも充分に認められるであろうという自負心・自尊心)を
高めるための活動もいろいろ載っていて、海外の学校はすごいな~。
学校でこういう活動をすることなど思いもつかない
日本の子の自己肯定感が最悪なのもよくわかる~」と感じました。

この活動のねらいは、
●自分の存在価値を見いだす。
●自分自身の能力に自信を持つ
●作業をするときに肯定的な姿勢で臨む
●生徒たちに、自分の長所や短所、または学びをどのように
改善できるかを考えさせる

といった点です。
日本の学校で、こうした能力を伸ばしてもらうのが難しいなら、
各家庭で、きちんと時間を取って、
子どものセルフエスティームを高める努力をしなくてはなりませんね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
話を
自立した学習者を育てること
に戻しますね。

この著書は、教師用のテキストではあるのですが、
「すごいな~」と感心するのは、
さまざまな活動をする際、
使う思考力をチェックしているところなんです。

理解する
解釈する
仮設を立てる
分析する
まとめる
振り返る
理由付けする
明らかにする
判断する
一般化する
評価する
合意を形成する
計画する
調査する

といった思考力のひとつひとつが具体的に活動の中で
発揮していけるようていねいに授業案が練られているのです。

また、「まとめる」という使う思考力のひとつにしても、
論理的数学的能力を使う場合
デザインする  推論する  分類する
仮設を立てる  立案する  系統立てて説く  提案する

言語能力を使う場合
詩や文を書く 書き直す 提案する 推論する 応用する ディベートする
擬人化する 制作する

空間能力を使う場合
系統立てて説く  計画する 提案する 整える デザインする 
構成する 作り直す

音感能力を使う場合
編曲する 表現する 即席で演奏する 感情を表す 象徴化する
作曲する 物語を話す 移調する 

身体運動能力を使う場合
感情を表す 物語を話す(創案する 組み立てる デザインする 建造する
整える 立案する 分類する)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まとめるというアウトプット法ひとつとっても、
これだけあって、学校で、具体的に子どもたちがそれを学ぶ工夫をしているのは
すごいことです。

私が虹色教室で目指している子どもへの接し方も、
ハイスコープや多元的知能の研究についての
考え方を元にしています。

ですから、工作活動であっても、絵本を読む活動であっても、
論理数学的な能力、言語能力、空間能力などを
まんべんなく使えるように工夫しています。
そうして子どもと接していると、
子どもというのは、それぞれ得意な知能をもっていて、
それを発揮する場があると、(もちろん、いきなり大人の期待通りに変化するわけではありませんが……)
意欲的で前向きにがんばるように
なるのを感じています。


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新大阪の工作イベントの発表です♪

2010-09-24 20:25:12 | 生徒募集 イベント参加募集
新大阪の工作イベントに参加していただく方の発表です♪
たくさんの方に応募いただいたのに、一部の方しか参加していただくことができずすいません。
今回参加いただけなかった方対象に、参加していただくイベントもこの秋の終わりごろか、冬には考えておきますね。

10月2日(土)10時~12時 に、参加していただく方

ユニコさん ななみママさん ぴーなつさん Mさん
はちbooさん どらどらさん ikkoさん タルトタタンさん ぱんちゃんまんさん
クウガさん たけさん ここさん ともみ母さん らんさん
ところてんさん asibeさん あさひさん かおりんさん

場所はココプラザ 美術工房です。
場所がわからない方は、 新大阪 ココプラザで検索していただくか、
メールと電話番号を書いてコメント欄に書き込んでくださいね。
非公開で見させていただいて、
ココプラザまでの住所を書いたメールを送らせていただきます。



大人同士の仲良しグループ と 孤立 1

2010-09-24 08:59:45 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
わが子が幼いときも、小学生くらいのときも、
公園やサークル活動を通して大人同士の仲良しグループができあがっていて、
私もそうした輪の中で、子育てしてきました。

といっても仕事をしていましたし、習い事や買い物までいつでも「いっしょ」
というのは苦手でしたから、

会えば親しくするけれど、べったりどっぷりとまでは付き合わない……
ひとりふたりの本当に気の合う人とは、深く付き合う……といった

自分ペースの参加の仕方でしたが……。

が、中には、グループ以外で行動しているのを見たことないな~
という感じにどっぷり参加している方々もいました。

こうした方々って、
ある面、親同士の評価では、
オールマイティーに高得点が取れるような良いママなんです。
気がきくし、よその子(グループ内のお友だちの子)に声をかけるし、
子どもを怒鳴ったりせずにいつも優しいし、相談を受けたら親身になって答えるし、子育ての悩みもなさそうだし、子どもは明るくはきはきと育っているし……。

今は、子育て中のママがひとりで孤立して、自分と子どもだけの
殻に閉じこもってしまうことが
行政にまで、危惧されています。
ですから、
外に出ましょう! ママ同士の友だちを作りましょう!
と、これまた行政までが、市の施設で、お膳立てする時代です。

良いといえば良いし……
何が悪いの?という疑問を抱く方もいるでしょうが、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうした仲良しグループで、ひとりの子が習い事はじめると、
仲間はずれになるような不安から、すぐさま自分の子にも習わせ、
どこかに行くとなると、いつもいっしょに出かけて、
何か決めるときは、必ず友だちママに相談……。

いつもニコニコして、お友だちの子に声をかけ、
わが子がお友だちの子におもちゃをかさないなんて
場面があると、有無も言わせずとりあげて、おもちゃを差し出したり、
「うちの子いじわるなのよね」「うちの子ケチなのよね」
と自分の子に関して、常に低めに評価することで、周囲から好印象を得る……
「そんなことないよ。○ちゃんかわいいし、かしこいよ~」
という相手のフィードバックを受けて、「そんなことないない~」と笑う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そうしたママ友グループって、仲良く楽しく子育てしているように見えるし、
実際、次々、グループ内で流行することを追うのは、常に目新しい楽しさを
味あわせてくれるものです。
子ども同士も、「○○ちゃん」と見知った友だちと
笑いあう様子は、幸せそのもので、コミュニケーションの発達にも良い
ように見えます。

そうしたママ同士の仲良しグループは、
親にも子にも良いところもたくさんあるはずです。

でも、
「自分の頭で考える。
自分の心で感じる。
成長するために、それまでの自分を変える。」

という点では、グループ活動が多くなるほど、
親も子も、少し鈍感になってしまうかもしれません。

集団で決めることにすぐ従い、
集団で共有している思いにすぐ同調していると、
個人の知能レベルより、いくらか低下した状態で、
少し幼稚で依存的な考え方に偏りがちになるのは、人の性質でもあるのです。
自分の行動を、グループ内の人が自分をどう評価しているか、どう見ているかということだけに、頼りがちで、

実際、自分自身が、それをどう感じているか、自分をどのような人間だと思っているか、どのようになりたいのか、
という部分があいまいになってしまうのです。

うちの子たちが幼い頃を振り返ると、
いたずらっ子、ミスが多くてテンポがずれがちな子などが、
笑われ役、ピエロ役としての役をになって、グループの
仲のよさを保っていたりして、
そこにいる他のメンバーは、その子を見れば、自分の子育てに安心できて楽しい
し、
みんなでその子にあるがままでいいんだよ~と
メッセージを送っている風の関わり方が、自分たちの子育ての正しさや良さを確認させてくれるような雰囲気を生んでいました。

でも、私は、そうしたグループ内にできあがった
意識されない関係や役割が、それぞれの子が、個性的なひとりの人間として、
周囲から投げかけられるイメージ以外の自分の良さを伸ばしたり、
自分の殻を破って、欠点を克服したりするときには、
無言の縛りとして働いていて、
独特の息苦しさがあるように感じました。
ママがママとして周囲からよく思われるほど、
子どもが本来持っていそうな成長する力を失っているのです。
「大事にされるみんなの赤ちゃん」としてのポジションから抜けられないまま
それぞれの子が、成長しがちなのです。
無意識の「抜けがけは許せないわよ」というメッセージが存在するのかも
しれません。

子育てには、優しさも厳しさも必要です。
ていねいに接することも、ほうっておくことも大事です。
ルール厳守も、時には甘さや許しも大事です。
飽きたらやめることも、根気よくがまんしてみることもいります。

その場面場面、その発達段階などで、コロコロ変わる……
正解がないのが子育てなのです。
ですから、
孤立せずに、人の輪の中で子育てすることは大事ですが、

自分の判断や勘、気持ち、
子どもの思いや状況などに、個人として、目覚めた心で
自分で結論をくださなくてはならないのです。

そこに他人の視線を割り込ませてばかりだと、
子どもが大人のコントロール術ばかり覚えたり、
すねてひねくれた態度を身につけたり、
過剰に適応して自分の気持ちを無視したり、
大人の前では良い子、陰では陰湿ないじめや万引きをしてしまうような弱さを持ったり
してしまいがちなのです。

こうした話は、ママ友と集うママたちを評価したり、批判したり、脅したりするつもりで書いているのではありません。

ママ友と仲良く明るく子育てしていきながら、
同時に、自分の足でしっかり立つこと、自分とわが子を個として尊重すること、
凛とした心で暮らすことの大切さについて、
感じていただきたいたいな~
と思って書いています。
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前回の補足です♪ 「見る」能力を衰えさせるのは?

2010-09-23 09:55:59 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達
幼児の「見る」能力を衰えさせると思われる
活動をいくつか紹介します。

ひとつは、ショッピングセンターなどにある乳幼児用の遊び場です。
もちろん、ごくごくたまにこうした場で過したから
問題が起こるわけではないのです。

でも、ショッピングセンターでは、子どもが小さな糸くずのようなものを目にとめて、遠近をはかりながら、それに手を伸ばそうとすると、
「バッチイ!」と遠ざけて終わってしまいますよね。

幼児のために……と人工的に用意された空間のほとんどは、
大人の頭の中の幼児像に合わせて作っているもので、
人生の中で一番大事な仕事をしているともいえる乳幼児には
あまりに学習要素が少なすぎるものです。

またおもちゃのコーナーのようなガチャガチャしすぎた場は、子どもが強い刺激にしか反応しなくなる原因をつくります。
つまり、インプットする力が鈍感になるのです。

昔、野良仕事の傍らで、カゴに入れられていた赤ちゃんは、
それは豊富な「見る」体験をしていました。

空を見る、雲の動きを見る、そうした目にしている自然と空気の温度などを感じ取るなどなど。

自然の草や花を見る場合、それは木のように見上げるものから、微細な目をこらさないと見えないものまでさまざまです。
動くものもたくさんあるし、働きかけるとフィードバックがありました。

そのように「見る」ひとつにしろ、あらゆるパターンをインプットして、
じっくりていねいに観察することができるよう目の機能を調節していたのです。

それが、現在は人工的なものが多すぎる上、
赤ちゃんが自分のペースで見る活動を広げにくいため、

自発的に見て、それを持続する

ということが、月齢が上るにつれ、難しくなっている場合があります。
表面的に大人が指示するところだけ
見る癖がついているのです。

へんなたとえですが、顕微鏡にはいろんな倍率のものがありますよね。

小さなものでもはっきり見える倍率の製品もあれば、
性能があまりよくないものもあります。

1~3歳はこの顕微鏡のレンズの倍率を決める時期、作っている時期ともいえるのです。

まずは、とても性能が高い目の機能が完成するまで、
強い刺激を与えすぎたり、
テレビを見せすぎたり(英語のDVDも注意がいります)
人工的で見るものがない場におきすぎたり、
子どもが見ることを楽しんでいる間、親がせわしない気持ちでいたりするのを
やめなくてはなりません。

子どもはまずは、さまざまな見ることを楽しんで、

「いないない ばあ」と、見ない、見るを繰り返したり、
指の間のゴミを取ろうとしたり、
動物に触れようとしたり、
紙をくしゃくしゃして、それを見つめたり、
影を振り返ったり、大きなものを見上げたり、遠くのものを見たり……

その後、見る力をさらに発達させ、
見えていないときを推理したり、
パズルをしたり、
間違いを指摘したり、カード取りを楽しんだり、数を数えたりします。

注意が必要なのは、見る敏感期にきちんと見る力を伸ばさないまま
「見る」ことをトレーニングする
迷路やパズルなどをしていると、
見え方が平面的になって、立体の把握が難しくなるといった
物の捉え方にゆがみが出る子がいることです。

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1~3歳児の能力を高める大切なステップ

2010-09-23 07:59:03 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

2,3歳になると、こども同士、意欲やできることに
大きな開きができてきます。
親御さんの中に、不安やあせり、また優越感といったものが
生まれやすい時期です。

それで、さまざまな習い事に入れてみたり、
トレーニングしてあれこれ教えてみたりする方も増えてきます。
でも、この時期の子はとても大切な敏感期のさなかにあるので、
親の思いで好き勝手に振り回すと、後々まで、学習困難ややる気のなさにつながる場合があるので注意が必要です。

敏感期というのは、その部分の発達が目覚しく、子どもがそれを発達させる活動に非常に敏感になる時期です。
その時期を過ぎてしまうと、いくら訓練してさせようとしても、
なかなか身につきません。

現代は、幼い子の自然な発達を無視して、
子どもにいろいろなトレーニングをしようとする情報があふれています。
そのため、子どもそれぞれの敏感期が無視され、
一番伸びる時期にそれを伸ばさなかったため、その後ずっとできないことが残る
という子をたくさん見かけます。

子猫にある時期まで目隠ししていると、その後、ずっと見る能力を失ってしまうことが実験でわかっています。
子猫にとっても、「見る」という能力を獲得する敏感期があって、
それを逃すと、そうした能力を獲得するのはとても難しくなるのでしょう。

人間の子にも、この「見る」という能力を発達させ、
洗練させていく敏感な時期があります。
1歳、2歳の頃です。
とても小さなものでも、じっと見つめ、指で糸くずを拾おうとしたりします。
動くボールも何度でも目で追います。
また小さな虫の手足の動きや花の種をふ~っとした後の
目では見えないほどの反応すら、目で見続けようとする時期があるのです。

こうした「見る」ということに敏感な時期というのは、
一生使う目の機能を作っている時期です。

この時期に、ゆったりお散歩しながら、子どもがありの行列を見たがったり、
小石を拾いたがったりするのに
じっくり付き合うと、次には、集中しておもちゃで遊んだり、
じっくり観察して物を作ったり、知育教材を使って考えることを喜ぶようになったりしていきます。

が、「見る」敏感期に、ベビーカーで移動しては、ゆっくり「見る」ことができない環境に連れて行くことや、
大人が子どもの「見る」行為に共感せず、
きちんと目の機能を育ててやらず、
いきなりおもちゃをちゃんと扱えることや、工作や、知育教材などで、
何かできることを期待すると、
壊れた道具やゆがんだ物差しで何かさせ続けることと同じになってしまいます。

3歳くらいの幼児の集まる場に行くと、
子どもの目や耳や身体の感覚が発達する大切な敏感な時期に、

それらの発達を邪魔する方向にたくさん働きかけをした結果、
またそうした能力の獲得が難しい環境に置き続けた結果、

じっくり集中して見る力や、集中して聞く力が、
0歳後半の子より弱まっているように見える子が大勢いるのです。
また、人と共感しあって、非言語でコミュニケーションする力も、
0歳児よりできなくなっている子もたくさんいます。

今の幼児教育の間違いは、
カメラであれば、レンズの部分の微調整をしている時期に、
レンズが曇ろうと、欠けようと頓着せずに、
カメラの外見のデザインにいろいろ手を加えようとするのと似ています。

箱に入ったり、もぐったりして
自分の身体の情報を学ぶのにも、敏感な一時期があって
それを逃すと、そうしたものはとても身につきにくくなります。

1歳くらいから、計算訓練をしているという知的に発達しているように見える4,5歳児に絵を描かせると、
バランスよく頭、身体、手足といった
人の姿が描けない子がいるのです。

敏感期にきちんと、子どもが発達させようとしていることを伸ばさないと、
それ以外のことがいくらできても、
後では問題が出てきます。
中学入試や高校入試でよく出てくる空間図形の問題にしろ、時速や割合などの問題にしろ、自分の身体を中心とする感性が発達していないと、
暗記して解くことはできても、
自分でハッと直感的にわかるということが
ほとんどないのです。
前回の記事にも書きましたが、幼児期の終わりまでに
自分の背丈を越える量のプリントをこなした子たちが、
小3で、つまずきはじめるのです。


「何をすればいいの?」「どうすればいいの?」とあせる必要はありません。
幼い子を大人のペースで連れまわすのではなく、
幼い子のペースや興味に
大人がゆっくり付き合う時間を増やすだけでいいのです。
そうすれば、子どもの中の自然の知恵が
自分にとって必要なことをひとつひとつ外に表現していることがわかります。


1歳後半~2歳ちょうど 子どもを伸ばす活動 2

2010-09-22 19:02:27 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達
1歳後半の★くん。
おそらく内向感覚型だろうな~と思われる慎重で敏感な男の子。
ザワザワした人の込み入った空間は、かなり苦手な様子。
落ち着いた静かな部屋で、きれいな色、洗練されたデザイン、気持ち良い感触、美しい音などに囲まれていると、それは幸せそうに笑っています。
ひとつひとつのおもちゃとじっくりゆっくり付き合います。

他の子が遊び終えてからゆっくりおもちゃを触り出すので、
ただぼんやりと真似っこしているだけのようにも見えるのですが、
よく観察していると、★くんは、お友だちのすることをていねいに見ていて、
「こうしたい!」という強い気持ちを抱いてそれをしているのがよくわかりました。
ですから、はじめてすることでも、
2手順くらいをきちんと真似てみて、「できた!」という達成感を抱いて、
お母さんの方を見返しては満面の笑みを浮かべていました。

私は子どもの気質によって、
それがたとえ1歳の子でも、その子の個性にあった
学習意欲が高まる空間があると感じています。
周囲が、関わるタイミングや呼吸を合わせることに気をつけるだけで、
集中力が増し、
最後まで物ごとを達成したり、
その子にとって難しい課題に果敢にチャレンジしたりするのです。

この日、★くんは、「はさみで切る」「水風船を膨らます道具で風船を膨らまそうとする」「なぐりがき」「絵カード取り」「カギを回す知育おもちゃ」「木製の玩具」「回転させるおもちゃ」「コマ作り」などで熱中して遊びました。
コマ作りは、作りやすいように球体で作っています。
マジックを取り上げて、自分で塗り、
色がカラフルに変わる様子に手をたたいて喜んでいました。

また、「カギを回す知育おもちゃ」は、カギをまわすのに力がいるし、ひねる動作が少し難しいのですが、きちんとマスターし、
がんばってやり遂げては、「達成できた!うれしい!」という喜びを
表現していました。

集団の場で、評価しながら子どもに何かさせる場合、
こうした子どもの心の満足感に対して、鈍感になってしまう場合があります。
子どもの中でうずまくさまざまな思いが見えなくなって、周囲からの目や、子どものできるできないにだけ注がれる場合があるのです。

子どもは、どんなに小さくても、「こんなことができるようになりたい」と願い、できるようになると、心底幸せそうな表情をします。
そして、そのうれしい気持ちをお母さんやお父さんといっしょに
味わおうとして、満面の笑顔を向けます。
もしそれが他の子がとっくにできていたことでも、
その子にとっては、本当にうれしい出来事なのです。
「やりとげた」という感動を、お母さんやお父さんに表現して、
喜んでもらいたい、認めてもらいたいと思っています。

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 「考えること」 「変わる」ことへの抵抗を刷り込む 家庭と学校 

2010-09-22 06:02:20 | 教育論 読者の方からのQ&A
東京から2、3ヶ月に1度、通ってくれている小1の★くんのレッスン。
虹色教室に通いだしたのは、家庭で幼児教育を受けるうち
「勉強いや~きらい~!」となってしまったことがきっかけでした。
虹色教室での理科実験や物作りが気にいって、
それには一生懸命取り組むものの、ワークを出すと
イヤイヤモード。

1年生に入学してから、「学校の勉強は簡単だよ!できる!
家での勉強は習っていないからしない」と言うようになりました。
そう言い切られてしまうと、親御さんもとまどって、
無理に先取り学習をさせる必要もないし、学校でできているからいいのかな……
でも何だか気にかかることもあるなぁ……
と★くんの姿に、心が揺れていました。

今回、虹色教室に★くんが来た際、私は★くんにちょうど良いレベルの
問題をいくつか出題しました。
すると、少しひねってあるとはいえ、2,3分考えればできる
問題を、「できない~学校で習っていない」と言い張るのです。

★くんは幼稚園時に測ったIQも高く、
好きなこととなれば高い能力を発揮できる子です。
でも、学校に行き出して、
「めんどうなこと、がまんがいること、かんがえることは
どれも、1分だってしたくない~いつも楽しい楽なことだけしていたい」という
態度をさらに強め、「習っていない」を言い分にして
考えることを強く拒絶するようになっていました。

ここで、「どうして学校で習っていないことを
やらせる必要なんてあるの?」と疑問を抱いた方がいるかもしれません。

虹色教室でしているのは、
学校の先取りでも補習でもありません。

シンプルに、その子の能力に応じて、
「考える」力を伸ばすということをしています。

そして、長い文章であっても、それをイメージに変換して、
途中で放り出さずに扱えるように指導しているのです。

その難易度の目安は、その子の能力で、精神を集中させて、意欲的に取り組めばできるレベル。
難しそうでも、ていねいに読んで、2,3分考えれば
自力で解けるレベルです。

それが、学校に通い出して、勉強って、考えてするものじゃなくて、
答えさえ出して、先生にOKもらえばいいんだ~
と思い始めた子は、とにかく「考えない」姿勢にこだわるケースがよくあります。
そのほとんどは、誤った幼児教育の影響で、
向上することも、学ぶことも、
大人を喜ばせるため、大人から承認を得る目的で存在する
という考えが、身に染み付いているからのようです。

それにしても、どうしてそれほど「考える」ことが苦痛なのか
と観察していると、
そうした子たちの多くは、
「学ぶこと」=「大人の評価を受けること」がセットになっていて、
間違うかもしれない自分にちょうどよいレベルの問題は、

間違えて悪い評価を受けて辛い思いをするリスクがあるから……

という理由で避けるのです。

目的が評価や褒められることにあると、

自分の能力より、1~2学年下のレベルに固執したり、
得意な計算や漢字以外を解きたがらなかったり、
幼児の場合、弟や妹に出された問題ばかりしたがる子がいます。

この日、★くんが、「習ってないからしない、イヤだ~」と
抵抗していた問題に、
「落ち着いて、1,2分は考えること」と言い渡すと、
サッと解けていました……。

考えれば1分かからないものを、「考える」行為そのものに
強い抵抗があるので、できていなかっただけなのです。
付き添いのお父さんには、「たくさん学習させる必要はなく、
週に、1~2問でいいですから、2,3分は考えるレベルの問題をさせた
方がいいですよ。避ければ避けるほど、考えることが苦手になりますから」とお伝えしました。

計算ドリルや漢字練習のような考える必要のないものは、
パッパとするので、
「考える」ことを避ける性質があっても
外からは気づかれない小学生は大勢います。

夕べは、以前私が教えていた子で、今は小中学生の家庭教師をしている
女の子が事務の手伝いに来てくれていました。
その子に、この話を伝えたところ、
「4年でも6年でも、小学校で、考える問題をすることは一度もないですよ。
たの算(たのしい算数)も、四角で抜いたところに覚えた言葉を
埋めるばかりだから。あと、簡単な計算。
学校で、考える経験をすることなんて、ないない~」という
返事が返ってきました。

「親の不安を煽ると、学校に苦情がくるから、
テストはいつも100点取れるようにできてるし……」とのこと。

今、小学校では、6年生まで、通知表もテストも満点近かった中学生の
家庭教師をしていて、分数も少数も少しもわかっておらず、中学の勉強が成り立たない現実に困惑しているそうです。
少しもわかっていなくて、解けなくても、
良い点数が取れるようになっていて、
錯覚で、親を安心させる小学校のシステムってどうなのでしょう……?

明日の大人だけの勉強会のお手伝いにこの女の子に来てもらうことになっています♪家庭教師をして感じた話、気づいた話を、少しだけしてもらう予定です。

数日前に子どもさんのレッスンに見えた私立小の教師をしている方も、
3行くらいの文になると、読んで解くことができない
小学生の姿にとまどっておられました。
入学当初は、背丈を越えるプリントをこなして、入学を果たした子たちなのだそうです。
入学時は、頭の回転がとてもよかった子たちが、
2,3行の文章題を読み取ることができないって、なぜなのでしょう(一方で、とてもできる子もいるそうです)?

少し話題が脱線するのですが、
教育に関わる仕事をしておられる方から、こんなコメントをいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

…人を評価するという形があまりに日本の社会に浸透していて…子どもたちと関わる中で、この形が子どもたちを苦しめているのを感じています。
小学生の高学年になると、大人から評価され続けてきたので、子どもたちは自分が(誰かの)評価することは、当たり前だと感じています。また、子どもは~であるべき。という答えを求められ続けてきた子どもたちは、当然、大人や友達にも、親は~であるべき。先生は~であるべき。友達は~であるべき。と、答えを求め、周りにいるすべてのものを評価してしまいます。でも、完璧な人なんて、どこにもいないんですよね。友達関係でも自分の思い描いた態度をとってもらえないと、この友達はダメだ!嫌な子なんだ!と、考えたり、また、私が悪いから、嫌われてるから…と悩んだり、この形に絡めとられ、苦しんで孤独を感じてしまう子どもたちは、私のまわりにも多くいます。
…人と人が集う場にリラックスできる空気が流れるようにみんなで努力していかなければ…まさに今、日本は変えていかなければならない時でしょうね。
… 悩んだり苦しんだりしなくても「大丈夫よ。がんばっているね。」というまなざしを受け取って人の力で癒されていくような環境でなくてはならない…子育てだけでなく子どもから高齢者まで、今、日本で問題になっているすべてのことは、根っこの部分は同じなのだと感じています。
私もまずは自分から一歩踏み出していこうと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子どもたちに会うと、問題の根源はそこにあるんですよ~。
評価にさらされるうち、
素直な気持ちを失って、何もかも、誰もかれも辛らつに評価して
生きる癖がついてしまうのです。

勉強って成長することだから、「変わる」ことです。
今の自分を卒業して、「変える」ことです。

でも、「変わる」=自分がダメな人間だという評価を受けること

というイメージが刷り込まれていて、頑なに変化を嫌う子、拒む子が多いのです。
また、「考える」ことを怖がります。
「考える」ことは、
間違うリスクがあるからです。

知っていることを、自慢するだけなら安心ですよね。

どうして、こんなに大人が躍起になって子どもに勉強させているのに、
昔の子より、子どもたちの学力が落ちてきているのでしょう?
これほど塾に行く子が増えたなら、
ゆとり教育の影響なんて受けるわけないのに、
中学3年間を終えて、A~Zのつづりが書けないなんて高校生がいるのは
なぜなんでしょう?

私たちは幼児期の6年間、子どもを評価する目で見続けて、
「変化」への恐れ、「考える」ことへの不安感を刷り込んでいないでしょうか?

小学校の6年間に、子どもの成績やテストに夢中になって、
「考える」力を破壊していないでしょうか?

大人が自分を「変える」ことへの抵抗を手放し、子どもの教育に関して、
錯覚に甘んじず、自分の目できちんと確かめて、
自分の頭でしっかり考える必要を感じています。

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