うちの子たちと議論していて、
子どもたちが「新しい言葉が必要だよ
★記事」とか「イメージを一新する必要があるわよ
★記事」と
結論付けるのを聞くたびに、
ジェネレーションギャップ(世代間格差)とでも言ったらいいような
感性の違いに驚いている私……。
先日、それを強烈に感じる物を目にしました……『鉄下』です。
新大阪のみやげ物売り場を通り抜けようとしていた時のことです。
おみやげのお饅頭のセットの隣に
子ども用の靴下がぶらさがっていたので、
思わず、んっ?と目を留めると、「鉄下(てつした)」という大きな文字が飛び込んできました。
よく見ると、靴下は鉄道のデザインです。
「ああ~そういうことね。」とうなずきつつも、
「鉄ちゃん(鉄道を趣味とする人)とか、子鉄(鉄道好きの子ども)とかいうイメージで色づけすると、
子ども向け靴下でもこんな場所に
進出できるんだ……」とちょっと面食らってしまいました。
電車好きの子ども向けの電車の柄の靴下なら、
昔から どこの衣料売り場でも扱っていたはずです。
でも、それが「鉄下(てつした)」とネーミングされたとたん、
何ともいえずに愛らしい「子鉄」というイメージと新しさを背負っているのです。
ちょっとくらい値段が高くても、鉄ちゃんの親としては
手を伸ばしてしまうのでは‥‥‥? と勝手に推測していました。
「そうそう、この『鉄下』の売り方にある感性が、
私にはなくて、うちの子たちには赤ちゃんの頃から、
時代に刷り込まれてきた感じ方なんだわ~」と気づきました。
それで急に思い出したのが、うちの子たちが小学生の頃、毎日、近所の子たちと繰り広げていた『ごっこ遊び』のことです。
それが、私が子どもだった頃のように、お母さんごっことか、美容室ごっことか、先生ごっこといった身近な大人の世界を模したものでも、テレビアニメやドラマを模したものでもなくて、
どこから思いつくのか妙にリアルな社会の姿を、パロディーチックにアレンジしては遊んでいました。「社員研修ごっこ」とか「入試」とか「面接」とか、「プレイパーク」や「強盗事件のドキュメンタリー映画作り」などなど……。
おそらくそのネタの元は、CMや報道バラエティーなのでしょう。
そうした遊びをするとき、「遊ぶ内容」以上に「言葉の持つ響きやイメージ」が遊びの面白さのカギを握っているようでした。
もう読んだという方はパスしてくださいね。過去記事を貼っておきます。
この過去記事を書いたときは、
子どもたちが、広告のコピーがどこにも溢れている今の時代からどんなものを受け取って自分の中に育てていってるか……という見方は全くしていなかったのですが、
そういう視点からこうした遊びを眺めてみるといろんな発見があって面白かったです。
子どもは良くも悪くも、その時代から影響を受けながら育っていくものですね。
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『お母さん、火って何から出来ているの?』という
6歳のタロウくん、2歳のハナちゃんの日々をつづったブログを
いつも楽しく見させていただいています。
このタロウくんとハナちゃんの思いつきや工作の仕方……言動もですが、
うちの子たちの小さいころにすごく似ていて、
読ませていただいているうちに思わずうちの子たちが小さいころにタイムスリップしています。
失礼ですが、お母さんのふるまりさんのゆるい対応(ごめんなさい~)も、私の子育ての手抜きワザとそっくりで……
世の中、似たような方法で子どもと付き合ってく方もいるもんだな~とちょっとびっくりしたりもしています。
そんなふるまりさんの
★タロウのプレゼン失敗と、本当の「問題解決能力」という記事に、次のような思いがつづってありました。
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タロウには(ゆくゆくはハナにも)、自分のやりたいことをやるために、どんな状況であっても諦めずに努力する力、をつけていってもらいたいと思っています。
そのためには、少々の困難(この場合はダンナのダメ出し)にもくじけず、
「では、どうすれば良いのか」
を考える力をつけていくのが大事なのかな、と。
でも、そうやって、「問題を乗り越えていく力」というのはなかなかエネルギーがいるもので、そのためには、その原動力となる、「~したい」という強い思いがなくてはダメです。
子供であれば、遊びがその原動力となると思いますが、その遊びを通じて、「~するためにはどうすれば良いのか」という対応能力を、つけて行ってもらいたいなーと。
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読ませていただいて、
そうそう~うちの子たちのやる気とか自発性とか多少のことはめげずに問題を乗り越えていく力は、
小学生時代に毎日、毎日、
遊んで遊んで遊びつくしたあげく作られていったものだな~と思い当たりました。
どちらかというと、うちの子たちは、飽きっぽかったり、人間関係で、打たれ弱かったりする所があったのですが、
子ども同士わいわい群れてする遊びは自然に子どもをたくましくしてくれるな~と思います。
前にも書いたことがあるのですが、
娘が5、6年生、息子が2、3年生のとき、近所の子どもたちといっしょに、
息子を社長にして、そそそ会社という架空の会社を立ち上げていました。
娘と娘の友だちは、いつも息子をふざけてからかうことも多いのですが
、社長に祭り上げているあたり……
遊びを生み出す発想力に関しては息子のことを一目置いてたんでしょうね。
「この子の思いつくアイデアに乗ってたら、はずれがなく面白いはず……」と。
娘と娘の友だちは、いつも社長より一段上の会長職か何か……のような
立ち位置にいて、陰の支配者のようにも見えました。
この会社、子どもたちの思いつくままにどんどん事業を広げて、
(よく思いつくもの……と呆れるうちに……)
テレビゲーム製作部門、おもちゃ製作部門、販売部門、映画制作部門、販売部門、プレイパークの運営……
あげくの果てには、学校経営にまで手を出していました。
それで、近所の低学年を勧誘して、面接試験をし、社員研修までおこなっていました。
この試験とか、社員研修といったアイデアや内容は、ほとんど娘の友だちが考えていました。
「将来はシナリオライター?」と思うほど、おもしろおかしい文章やアイデアがつらつら出てくる子なんです。
二階で好き勝手に遊んでいるのですが、時々、聞いていると、
このそそそ会社の面接試験も、経営している学校の入学試験も、世間の価値観の逆さまなのです。
「トイレに行ったあとで手を洗いますか?」といった質問には「いいえ」と答えないと減点されて、試験に落とされたりするのです。
本気で試験に挑んでいた子が、泣きながら試験に落ちた~と私のところに訴えてきたこともありました。
時折、バーッと外に出て行っていなくなったな~と思うと、
バタバタ駆け戻ってきて、また遊びが再開するという繰り返し……でした。
子どもって、親が選ぶ「良いこと」だけでは育たないな……。
と子どもが大きくなるにつれて感じます。
子どもの気持ちを前向きでチャレンジャーにしてくれるのは、
失敗したってどうってことない、飽きたら次を考えれば済む~という
環境のゆるさだったりします。
「新しくこんなことしてみたい、自分の全力をこれに傾けてみたい」
と閃いたとき、一瞬の迷いも、大人への遠慮も、罪悪感もなく、
自分をその中にどっぷり投入できる……
それが子供だけでする自由な遊びのよさですよね。
思い通りにいかないことが多いこと、
頭をしっかり使わないとすぐ退屈すること、
きょうだいも、友だちも、
自分から働きかけて、一生懸命、説得するなり、ぶつかりあうなりしないと、
親や大人たちのように、簡単に折れてくれないこと……
とにかくジレンマを感じる場面に何度もぶつかるし、
考えてもみなかった事態に遭遇することもよくあります。
でも、それが「どうしてもこれがやりたい!」という気持ちに駆り立ててくれるし、退屈ついでの言い争いが、多少のことにくじけず
あきらめず どうすればいいのか考え続ける
挑戦し続ける姿勢を作ってくれるのです。
私は毎日の子どもの生活に、退屈や無駄やけんかや、
大人から見ると「無意味で非効率的」なことがたくさんあるといいな~
と感じています。
また、親の私が正しいと思う考えとは対極にあるものも
チラホラあるのがいいな~とも。
実際、子どもたちがかなり大きくなってみると、
私が価値をおいていなかったものが、子どもたちを鍛え成長させてくれていたことがよくわかります。
ふるまりさんの記事にもうひとつリンクさせていただいて↓
★「輪ゴムをひっかけてあそぼう」オモチャ タロウくんが地団駄を踏んで、「これがしたいんだ~」「これじゃなきゃダメなんだ~」と訴えて、その熱意におされて、しぶしぶ
工作準備に手を貸す様子が描かれています。
これを読んで、そうそう~もし、最初から、
「お母さんはいつでもあなたの工作に手を貸しますよ、スタンバイしてますよ」
だったり、
「子どもに工作をしてほしいのは、本人よりお母さんかもしれない」って
状況だったり、
「工作教室で、きちっと材料が整っていて、今工作の時間ですよ」
だったりしたら、
それほど工作に熱が入るのか……
工作以外のことまで、貪欲にやりたいがんばりたいという気持ちが起こるのか、
疑問だな……と感じました。
こうしたところに、子どもをやる気にさせる、主体的にさせる
原動力が生まれる瞬間が潜んでいて
それは大人が「がんばって」作ろうとするとすごく難しいことだな
と感じるのです。
まず、本気で交渉すれば相手が動くという経験なり信頼感がベースにあって、
それでいて、まあまあ手ごわかったり、
思い通りいかなかったりして、
軽いジレンマや、
必死に、あの手この手でぶつかる時間があって……
つまり、時間に追われていないことが大事で、
その後、人と人との間で自分の思いが達成できたという満足感が残るという経験
そうした繰り返しのなかでこそ、
自分の知力や、技術力や、体力や、精神力の限界が把握できるし、
自分が何がやりたいのか、
内面から湧き上がってくるものを実感できるのですよね。
2歳くらいの子でも、
新しいおもちゃを渡しても見向きもしなかったりするのに、
お友だちが持っていると欲しくなる、
取り合うとさらに欲しくなって、
ものすごくやってみたくなる、
いつもならすぐに飽きてポイなのに、渡したくないからおもちゃに熱中するという瞬間がありますよね。
そうやって人と人との間でジレンマを抱きながら、自分の気持ちがワーっと湧いてくるから、
いろんなことに夢中になれるようになるのですよね。
もちろん勉強だって、
大人の期待に応える形ではなく、
また級とか賞とか、プレゼントとか関係ないところで
「自分自身の心が強く強く何かを欲した経験」がベースになって、
がんばれるようになるのだと感じます。
うちの子たちの小学生時代のことを思い返すと、
何が良かったのかって、
大人の価値観に真っ向から反抗して、好きなように無駄をやりつくして、
ひとつも「大人のため」が入っていない世界で
自分のしたいことをした~
やりたいことのエネルギーがいくらでも湧いてきたという
経験なのでしょうね。
そこで、すっきりとゼロの自分になって、
自分の人生にどんな計画を思い描こう、
この人生に自分の知力、技術、体力、精神力の全てを投入して
何をやってやろう!
って力が湧いてきたのでしょう。
そして、今度は、一歩、現実の世界にも
足を踏み入れて、その力を勉強なり、人との関係の構築なりに
使い出すのだと思います。
わが子や近所の子たちがしていた遊びについて
もう少しくわしく書かせてくださいね。
確かに、娘が5,6年生、息子が2,3年生というころの
わが子や近所の子たちが繰り広げる遊びを思い出すと
それぞれの個性が輝くような豊かでユニークな発展が見られました。
ビデオカメラを使って撮影していた映画は、本当の撮影現場のように
おもちゃの家やミニチュアの人形たちが配置され、
子どもたちが最近体験したプレイパークでの遊びや社会の様子がていねいに
再現され、きちんとシナリオもありましたから。
でも、この子たちの遊びが最初からこのように大人の目にもわかるような
意味を持っていたかたいうとそうではないのです。
娘が幼稚園、息子が赤ちゃん~という時代から、うちの子たちは、
自由気ままに友だちと群れて遊んでいましたが、
遊び方は生産性から程遠く見える、1年観察し続けたところで、
少しも変わっていないように見えるものばかりでした。
でもたっぷり退屈や無駄な時間があって、
さまざまな年齢層のたてのつながりがあって、
ついでに、あまり協力的とは言えないけれど、がんばって頼み込めば
自分たちに必要なものはたいてい用意してくれる親(私です
)がいる状況だと、
遊びは日々進化していくようです。
また、かなり無理な願いでも、
自分たちで責任を持ってやり遂げる約束をすれば、目をつむって
やらしてくれるアバウトな親(これも私です
)がいると、
遊びに本気さや夢や知恵がどんどん投入されることになるのでしょうね。
とにかく親は「がんばり過ぎない」姿勢が、大事と感じています。
私は習い事の送り迎えもやってなければ、子どもに毎日の学習習慣をつけようと
気を揉むこともなければ、子どもがちょっとしたトラブルに遭遇しても、たいして悩むこともありませんでしたから、
子育てでは、かなり楽をさせてもらってました。
ですから、しつこく頼まれたことくらいは、
「えーっ、めんどくさい」
「常識的考えて、それは無理でしょ。やめてよ」と思えるようなことでも
できるように努力したり、
「あきらかに無駄なもの」でも買ってあげたりしていました。無駄で価値がないように見えるというだけで、値段は安いものばかりですが。
話をそれぞれの個性が輝き出す~という部分に戻すと、
そそそ社長(息子)が、
すごい野望を掲げて、毎日、部長の女の子(友だち)と、商品開発やら、社員とぶつかり合いながらいろんなおもちゃを作り出すやら、
販売やらで駈けずりまわる姿を尻目に、
娘と娘の友だちは、ふたりで、うだうだしゃべりながら、
会社の運営に口を挟んだり、試験官をやったり、自分たちが思いついた面白いことをやったりしてました。
自分たちが思いついた面白いこと……のひとつは、雑誌作りでした。
アメリカのオールドファッションの雰囲気に表紙をコラージュし、
お菓子の作り方や、娘の友だちの書いた小説やらを編集して、
それをコピーして何冊か作って、
販売していました。(おもちゃの通貨です)
この雑誌の目玉は、娘が思いついた
「年下の子たちの詩を集めて、それに娘と娘の友だちがイラストをつけたり、
絵本につくりなおしたりするボランティア」でした。
それと、お人形の周りに野球場とか、
花畑などの設定でいろいろ飾り付けて写真を撮り、
それをまとめて写真集を作ることもしていました。
また、この姉と姉の友だちの仕事は、そそそ会社の作り出すゲームで
実際遊んでみたあとで、辛口の批評を加えることでした。
「お前の作るゲームは、初心者向けちゅう発想がないんかぃ~!!」
「もうちょっと面白いゲーム作って出直してこい!」とか激が飛んでおりました~。
最初のうち、息子は、動くサッカーゲームや、
自分のオリジナルの人生ゲームやモノポリーを量産したかった模様で、1つ2つ年下の子たちにハッパをかけて工作させて、
どんどん働かせようとしていましたが、思うように働いてくれません。
そこで、姉たちのする社員研修に送り込んで、
ちゃんと仕事のできる社員を養成しようとしていました。
が、しまいには逃げ出されて、
わが家にその子からこんなファックスが届きました。
「ぼくも、しゃちょうになりたいから、どくりつします(たぶんお母さんに、独立って文句を考えてもらったんでしょうね)」
そんな苦労をしながらも、毎日、大作をたくさん生み出し、
旺盛な生産性を見せていた そそそ会社 は、途中から、テレビゲームの
ソフトの製作に取り掛かり、これはかなりの成功をおさめていました。
というのも、ダンボールをファミリーコンピュターのソフトのサイズに切り抜いたものに、好きなタイトルと絵を描いただけ(写し絵も多し…)の商品だったんですが、
すぐ作れる上、自分のオリジナリティーをアピールできるとあって、
子どもたちの間では大うけだったのです。
それで、日ごろは、批評役の姉たちまで夢中になって、
「ペット育成ゲーム」とか「ヨッシーアイランドの新作」とか「●●の秘宝」
「スポーツゲームシリーズ」とかを
部屋中ダンボールの札だらけになるほど作っていました。
その間、調べ物コンクールに応募した作品が
賞をいただき東京に呼んでいただいたり、
本当のお菓子会社のお客様相談センターに自分の考えた
アイデアを送ってお菓子の詰め合わせをいただいたりしたのですが、
うちの子たちは、そんなことはすぐに忘れてしまって……
とにかく自分たちのゴミくず生産工場みたいな遊びが楽しくって仕方がないようでした。
そして、10年近く経った今となると、無駄に見える時間ほど、
それぞれの子が自分の個性や才能を十二分に開花させて、切磋琢磨していたんだな~と思えるのですよ~
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