虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの能力は無限大 

2011-02-21 12:53:34 | 幼児教育の基本
子どもの能力は無限大 1

子どもの能力は無限大 2

子どもの能力は無限大 3
の記事で紹介した★くんは、もうすぐ年長さん。
最近になって、病院で知能テストを受けたところ、
知能テストの値が130以上もあって、親御さんも病院の先生もとても驚かれたそうです。
衝動性や社会性に関する課題はまだまだたくさんあるものの、
いろいろ働きかけてきたことが、きちんと実を結んできていることを
親御さんといっしょに喜びあいました。

というのも、★くんが3、4歳の頃に受けた知能テストでは、
空間を把握する力の弱さや物の違いを見比べる力の弱さなどが指摘されていて、
将来的に、学習障害となる可能性も告げられていたのです。

長い間、多動が激しすぎて ほとんどコミュニケーションが成り立たなかったため、言葉の理解力の遅れや
想像したり推測したりする力の弱さについても心配でした。

教室に通い始めた頃は、全てのおもちゃを容器の放り込んで混ぜることばかり繰り返していた★くんですが、
ブロック遊びと工作遊びにゆっくり親しませていくうち、
いつのまにか想像を膨らませて、さまざまなものを作りだすようになっていました。
観察力と思考力は、目覚しく伸びていきました。
制作活動のテーマとして、水辺の生き物や恐竜、乗り物などについて
図鑑で調べたり、映像で学んだりするうちに、
自分の考えをわかりやすく表現できるようになってきました。

毎日、毎日、工作を続けるうちに、
「待てない、他人の話を聞かない、気分の乗らないことには取り組めない」という性質が、だんだん和らいできて、
嫌いな課題でも、話を聞きながら最後まで取り組めるようになってきました。

★くんのお母さんはこれまで、次の3つの方針で子育てしてきました。

○ 「好き」なことを思う存分させる
○ 手作業を中心とした遊び と 身体をたっぷり動かす遊びを欠かさない
○ 過大な期待はしない。ゆっくりゆっくり成長していくことを認める

そうするうちに、苦手が得意に変わってきた★くん。
これからも、まだまだ乗り越えなくてはならないことはいろいろあります。
できることが増えるにつれて、かえって他人から誤解されたり、注意を受けたりすることも起こってきます。

困った問題にぶつかる度に、
「早いうちに問題に出会えてよかった。今のうちにこれに向き合っておけば、
これから先、少しでも生きやすくなるはず……」と、
明るく捉えて解決にあたっているそうです、







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左脳思考と右脳思考のバランスをとって生きるのは? 1

2011-02-20 18:07:26 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
左脳と右脳は協働しながら機能しているのだから、
その半球ずつを「左脳思考」「右脳思考」という言葉で表すこと自体、
間違ったことなのでしょう。

『ハイコンセプト』ダニエル・ピンク 大前研一 三笠書房

では そうした理由から、
「左脳主導思考」「右脳主導思考」という言葉を用いていました。


「左脳主導思考」とは、
連続的、機能的、分析的といった、左脳に特徴的な傾向を備えたものの見方や考え方を例えたものです。

弁護士、会計士、エンジニアなどになる場合が多いという
ロジカルで連続的でコンピューターのような論理が合っている人々の
思考法です。


「右脳主導思考」とは、
同時性があり比喩的、美的、文脈的、統合的といった
右脳の特徴が備わったものの見方や考え方です。

発明家やエンターテイナー、カウンセラー、
クリエイターや介護従事者などの職を選ぶ人が多い直観的で本能的で、
非線的な考え方がしっくりくる人々の思考法です。


『ハイコンセプト』では、
これから大きな変化の波に呑み込まれようとしている社会を生き抜いていくには、
誰もが自分の中で左脳的なものと右脳的なもののバランスを取っていく必要
と繰り返してありました。



昨年から今年にかけて、

「右脳的、左脳的とわれる能力のどちらかに偏ったり、どちらかを軽視してちゃだめだな……。
自分とは真逆の性質の人々と交流して、
自分の中に未知の性質を取り入れて調和させていくと、思わぬものが生まれてくるな~!」

と実感する出来事が何度かありました。


私はロジカルな考え方が嫌いではないけれど、
考え方はまさに直観的、本能的、非線形なものだし、
特技も 絵を描いたり 物語を作ったり 人とコミュニケーションを取りつつ何かをしたりすることなのです。

ですから、「右脳主導思考」で挙げられる項目なら、
どれもこれまで生活してきた年数なりの自信を持っています。

それが、「左脳主導思考」という物差しを取り入れたとたん
私の自己満足で終わりがちな自信は、
たちまちグラグラと揺らぎ始めるのです。
時には自分の無能ぶりをつきつけられるような気持ちになることもあります。

なぜ、そんな心もとない気持ちになるのかといえば、
「右脳主導」で動くのって、
「直観」などという たいした根拠のないあいまいなものを頼りに行動しているからなんですよね。

結果を出してから、
それを説明してくれそうな理論を集めてきたり、
自分の行動の意味に気づいたりと、後先が逆になる場合がほとんどです。

自分が「今」していることや、「これから」しようとすることの
意味や展開や効果を言葉にして納得してもらおうにも、

「ただの勘だけど、そうした方がいいような気がする」
「ただの勘だけど、この色と形がいいような気がする」

としか言いようがない状態なのです。

といって行き当たりばったりに適当にやっているのかというと、
そうとも言えなくて、
思いつきでやっている割にはそれが

今選んでしていること(選んでいる物)以外はありえないという
全体を俯瞰した上での「ピンポイント」

でもあるのです。

右脳的なものがこれまで軽視されてきたのも、無理はないのです。
いくら これからの時代は「右脳」が主役の「ハイ・コンセプト/ハイタッチ」時代がくると聞いても、
右脳的な能力をプラスするというと二の足を踏む人も多いはずです。
資格を取ったり語学力を磨くようにはいかないでしょう。


というのも「右脳主導思考」って、計測不能で 漠然としていて、
いかにも「職場」に不必要で不釣合いなイメージがあるものですから。

それでも勇気を出して、
固定観念をいったん脇に置いて、
左脳的な能力が優れている方が、右脳的なものにも心を開くなら、
さまざまな利益を生む可能性が広がるのでしょう。

また右脳的な能力が優れている方が、
左脳的なものに真剣に取り組むようになれば
かけがえのない価値あるものが生まれてくるはずです。

ずいぶん前置きが長くなりましたが、
私が「右脳派、左脳派で学びあうことが大事!」と実感した出来事をお話しますね。

このブログを長い間読んでくださっている方はご存知でしょうが……

私はこれまで何度か 鎌倉に住むyoshikoさん宅にお邪魔して、トムくんという自閉症の男の子といっしょに過したことがあります。

蒔いた種の芽が出てきた!算数・自発性・創造性が伸びてきたトムくん 1の記事に、
その様子を書いた記事へのリンクが貼ってあります。

yoshikoさんはとても知的な方で、論理的に分析的に考えることを得意とする「左脳主導思考」の優れた方です。
自閉症に関する豊富な知識を持っていて、熱心に息子のトムくんの療育に尽くしておられます。

私の方は、自閉症の専門家でも何でもないし、
ただ自分の体験と直観を頼りに、トムくんに対話や算数を教える手がかりを探るお手伝いをしていました。

私がすることというのは、いかにも「右脳主導思考」のなせるワザといったことが多く、
物事の意味や理由をきちんと分析してから行動に移すyoshikoさんにすれば、
奇妙なことばかりです。


それでも、yoshikoさんは
「なぜかトムくんに受けるから」という理由で、

yoshikoさんからすると、不自然に見える私の行動を、
「ひたすら形から真似てみる」ということをしてくださいました。

すると、「何となく腑に落ちる」ということがよくあったそうなのです。

たとえば、
間違えたあとの修正の仕方がわからないことが理由で、間違えそうな課題に消極的になっているように見えたトムくんに、
私がしていたのを思い出し、
yoshikoさんが先にやり、わざと間違えて「あれ?」とおおげさに困ってみせるということをしてみたそうです。
するとトムくんはにやりと笑って横からyoshikoさんの間違いを正したそうです。
また、こんなこともあったそう。
ワークで「あわせていくつ?」という問題をさせていたところ、
問題についているトラックの絵を惰性?で数えて、教えられた通りに書き込むものの、たぶん意味がわかってないだろうな~というような様子だったそうです。
それが、私が以前してみせたように木製ビーズを並べてみせると、パッと眼が輝いて、数えるのに迷いがなくなり、

さらに、ビーズをそれをそれぞれのお皿に移して、一緒だね、と教えたあと、ほかのかたちのお皿にざらっといっぺんに入れさせ「あわせて」と声をかけることをしたとたん、足し算の意味をしっかり理解したそうなのです。

このように、yoshikoさんが従来のきちんとした療育法にプラスして、
柔軟に直観的に対応する右脳的なアプローチもしてみるようになって、
トムくんは積み木やブロックで遊ぶことに興味を持ち始め、苦手だった立体の把握ができるようになってきたそうなのです。

左脳的なものと、右脳的なものを融合させていくと、
驚くような進歩が起こることがありますね。

私はというと、ひとつひとつのことを正確にていねいに分析して整理して考えていくyoshikoさんと交流することで、
おおざっぱでミスが多く、きちんとした確認を怠りがちな
自分の欠点とまじめに向き合うようになりました。
まぁ、長年気楽にしてきて刷り込まれたアバウトさは、
一朝一夕には直らないものですが、左脳的なものの大切さは自覚しましたよ。


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電子ブロックで遊びました♪

2011-02-20 12:22:29 | 虹色教室の教具 おもちゃ
今日は小1、小2生の算数クラブの日。
電子ブロックではじめて遊びました。
男の子ふたりのこの回路作りへのはまり様はたいしたもので、
自分たちだけで、『嘘発見器』を作ったり、
『ラジオ』や『マイク』を作ったりして、大はしゃぎでした。
よほど面白かったらしく、
帰り際、小2の★くんは、「どうしてもどうしてもどうしても欲しい!」とお母さんにねだっていました。



この電子ブロック、基本のものだけで150の回路を作って遊べるようになっています。
説明書をじっくり読む習慣もつくので、とてもよいおもちゃだと感じています。

午後から来た年少さんたちのグループの★くんも
電子ブロックに夢中でした。



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「10の合成」を簡単にマスターさせる方法

2011-02-19 22:59:51 | 算数
いくつといくつで10になるのか、パッと言えるようになることは、
計算する力の土台となります。

計算プリントで学ばせると、疲れる割に同じミスばかり繰り返して
上達しない場合がよくあります。

そんなときは、1~9までのカード(写真はアルゴカードを利用していますが、手作りでOK)を用意して、

★カードを1枚、子どもの前に置いて、あといくつで10になるか言わせる

というゲームをし、即答できたものは、子どもに渡し、答えるのに少し時間がかかったものは、傍らによけておきます。
そして、後から、ひとつひとつを指で表現して、
視覚でもきちんとマスターしてから、もう一度問題を出して覚えさせます。

ごく普通に指で数を作って、「あといくつで10かな?」と目で確かめてもいいのですが、
教室では、できるだけ面白い形でそれを表現するようにしています。

↓「7」のきつねさん。きつねに使わない数の「3」が答えです。

↓「8」のニワトリさん。とさかに注意。使わない数の「2」が答えです。



子どもがなかなか覚えられないのは、
7と3で10

8と2で10

6と4で10
の三つくらいだと思います。
子どもといっしょに、独創的な数を表現するの指の形をいろいろ考えてみると
楽しいですよ。


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幼児期、低学年で何をすれば、高学年になっても算数が得意なままでいられるのでしょう?

2011-02-19 16:15:25 | 算数
低学年、中学年の間は、算数が得意で、100点ばかり……
という子はけっこういます。
けれども、高学年ともなると、算数が得意という子は少数派で、残りの大多数が苦手意識を持っています。

幼児期、低学年で何をすれば、高学年になっても算数が得意なままでいられるのでしょう?

学年が上っても、算数が得意なままでいるために、
とても重要だと感じていることをお話します。

子どもたちのほとんどが、学校の授業等で「うーん」と少しでも考え込む子がいると、
「あの子は勉強ができないんだ」と思い込んでしまうふしがあります。
自分が、何かを考え込まなきゃならないような場面に遭遇したときも、
即座に「失敗した」「恥ずかしい」と感じているように見えます。

現在、たいていの親御さんが、子どもが先生から何かたずねられた時、即答できないとやきもきします。
事前にできるようにしておいて、
恥をかかせないように、
「自分はできる」という自信を持たせるようにと、
気を使っています。
授業中、考え込んでいたら、「できないのかしら?わからないのかしら?」と心配します。

そうした風潮の中で、多くの子どもたちは、

「考え込むこと」=「できない」「バカと思われる」「かっこ悪い」「叱られる」「怖い」

というイメージを抱いて成長しているのです。

そのため、学校では100点ばかりという子でも、ほんの少しの間でも考え込まないといけないような課題にぶつかると、
たちまち「できない」「習っていない」と投げ出したり、
すぐに答えを教えてもらおうとするのです。

いつも正解しなくてはいけないという強迫観念は、
「先に答えを教えてもらっておいて答えを言う方が、
自分で考えるより絶対得!安全!」という学習態度に結びつきます。

いつもいつも易しい問題ばかり解いて、良い点ばかり取っている状況は、
自信がつくどころか、
間違えることに対する恐怖心を大きくし、極端に打たれ弱い性質を作りがちなのです。

子どもたちに学習を教えるとき、いったん間違えてみると、「ああ、そうか」と自分で気づけるレベルの問題で、
たくさん間違わせて、
「間違えることは怖くないし、大切なことよ。
間違えるといろんなことに気づくし、間違えなかったときよりしっかり理解することができるのよ。うまくいかないなと思ったらじっくり考えるの。きっと問題を解くのが面白くなってくるわよ」
と子どもに言っていると、子どもたちは考えることを楽しみ、
難しい問題にも果敢にチャレンジするようになってきます。


今日は、年長さんの女の子3人のはじめてのグループレッスンでした。
3人とも、とてもよくできました。

はじめて見る文章題特訓の<集合>の問題にチャレンジ。
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15人の子どもたちが はたか 花のどちらかを もっています。
はたをもっている人は 8人で、
はたと花の りょうほうを もっている人は 3人います。
のこりの人は 花だけもっています。

①花をもっている人は なん人 いますか?
②はただけを もっている人は なん人 いますか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
紙に描いた図の上でハムスターを移動させながら、3人で協力して解きました。最初は間違っていましたが、
自分たちで間違いに気づいて、笑いながら解いていました。

間違えることを怖れない態度が身につくように教えていると、
子どもは本気でじっくり考えることができるようになってきます。



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世界一知能が高い IQ230の女性の知能上達法 と 創造力

2011-02-18 22:03:50 | 教育論 読者の方からのQ&A
写真は、スジャータの世界遺産バージョン。お城シリーズに続き、買ってみました。

以前、「次回に続きます。」と したまんま尻切れトンボに話が途切れたままずいぶん経ってしまった記事の続きを書くことにしました。

それから、今年の冬休みと春休みのレッスン……問い合わせをいただいていたので、ずっと悩んでいたのですが、どうしても都合がつきそうにないので、
夏休みまで待っていてくださいね。すいません~
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『「頭がよい」って何だろう』植島啓司  集英社新書

1985年のギネスブックでIQ230で
もっとも知能指数の高い人物として登録されている
マリリンという女性の話題が載っていました。

マリリン自身が語る
彼女の知的上達法は、次のとおり。

物事を書き留めたり、計算機を使ったりせず、頭の中で処理せよ。

なんでも断定せず、柔軟な心を保とう。
断定することは、学ぶことをやめることを意味する。
成就したいことがあれば、すべて自分で行動せよ」

というものでした。

子ども時代の柔軟な思考のあり方が、知的上達にいかに大切か
わかりますね。
著者の植島氏は、子どもには、身近なものに対する考え方を教えるべきだと書いておられます。

★ 必ずしも解答はひとつでないこと。
★ 違った道順で同じ結論に至ること。
★ 創造性は間違いの中にも潜んでいること。

などを、子ども時代にしっかり身に付けることこそ、
できるだけ最短距離を通って問題の核心に切り込めるようになる元となると。

幼児期から問いとひとつの答えを結びつける訓練をして、
学ばせることが、
子どもの頭を、大人のようにガチガチの固い状態にして、
先ほど紹介した3つの知的活動に不可欠な感性を
鈍らせないように気をつけなくてはなりませんね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それにしても、
★ 創造性は間違いの中にも潜んでいること。

とは具体的にどういう事をさして言うのでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アラン・チューリングという数学者が、

デジタル・コンピュータという機械が原理的に思考しうること(思考する存在として振舞えること)を探求していくときに、

「簡単な問題をしばらく考えてから間違った答えを出す」というコンピューターについて考えていました。

天才的な数学者アラン・チューリングは、
「間違える」ということを、とてもプラスイメージで捉えているのです。

えっ?

と疑問に感じるかもしれませんが、

A=Bといつでも、
問いから正しい答えに直結するような考え方は、
テストでは良い点に結びつくでしょうが、

柔軟性や、応用力は乏しいものです。
あまり創造的ともいえない。

大学のテストは、あっという間に全て満点の解答をはじきだせる
コンピューターは、作ることができるでしょうし、今も存在するのでしょうが、
それが何万台あっても、経済の問題も、環境問題も
解決しないものですよね。
そうした未知の問題を解決するには、不完全だけど、柔軟で、応用力があって、創造的な
人間の頭脳が必要となってくるのでしょう。

『「頭がよい」って何だろう』
には、
次のような一文があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一般的に、コンピューターは高速で計算処理ができるようにつくられており、
論理的な問題処理能力にはすぐれているが、柔軟性がなく、
応用力に乏しい。

それに対して、人間はあれこれ気をとられたりして、
なかなかひとつのことに集中できないし、
また、多くの過ちを犯すだろうが、
それによって、また新たな発見につながるようなプロセスを見出すことが
できるのである。

そう人間にとっては、間違えることこそ、
あらゆる創造力の源泉があるともいえる。
(『「頭がよい」って何だろう』植島啓司  集英社新書より引用)
--------------------------------------------------------------
間違えることこそ、
あらゆる創造力の源泉があるって、何だか不思議な表現ですね。

さまざまな創造力について書いてある本を読んでいると、創造力にとって、
「間違える」だけでなく、「忘れる」ということも、
大事なようです。

お茶の水女子大学で教鞭をとっておられる外山滋比古氏が、『知的創造のヒント』という著書の中で、次のように書いておられました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これまで学校教育が記憶だけ教えて、忘却を教えなかったのは、たいへんな手落ちである。上水道をつくって、下水道をつくらず、たれ流しにまかせておくようなものである。
知識の異常な詰め込みが行われている現代である。正常な自然の忘却機能だけに頼っているのが危険なことはわかりきっている。
それに気づかないでいるとは、いったいどうしたことであろうか。

……ものを考えるのは、ものを覚えるのとはちがうけれども、頭の中にいろいろごちゃごちゃ詰まっている状態が望ましくないのは共通している。
たとえ有用な知識であっても、頭がいっぱい詰まっていれば、そのあとおもしろいことを考える余地もない。
ちょうど一面に書き込まれている黒板のようなものである。新たに何か書こうと思えば、まず、書き込める場所をこしらえなくてはならない。
黒板をふくのである。
それが忘却である。

……心は白紙状態、文字を消してある黒板のようになる。
思考が始まるのはそれからである。自由な考えが生まれるのは、じゃまがあってはいけない。
(『知的創造のヒント』外山滋比古著 ちくま学芸文庫より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こうした話を読むと、子どもたちを、いつでもどこでも「何となく忙しい」「あれもこれもしなきゃ」「わすれないようにしなきゃ」「失敗しないようにしなくちゃ」という強迫観念から解放してあげなくてはならないと感じます。

「やるときは、自発的に集中してやる。
遊ぶときは、全てを忘れてのびのび遊ぶ。」

そうしたサイクルが可能になるよう、生活を整えてあげたいですね。



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5の合成 10の合成

2011-02-18 17:18:19 | はじめに

<5の合成 >

ままごと遊びをしたあとで、ちょっとお勉強。
3個、2個~など
どんぐりを入れた皿を用意して、どれも5個にしてもらいます。

何度もまちがえることが大事です。
まちがえるたびに1から数えて、「ちがうね~」と面白がって笑ったり、
だんだん5にするコツがつかめてきたら十分です。
5の合成も10の合成も
さまざまなおもちゃで楽しく体感できるようにしています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<10の合成 >

「じゃんけん、4。あといくつで10?」
「じゃんけん、3。あといくつで10?」
と、10の合成をじゃんけん遊びで学びます。
最初の人が4の指を出したら、もうひとりは、10になるように
6の指を出すルールです。

5の合成や10の合成がすっと言えるようになってくると、
計算力がついてきます。


創造的で生産的な何かを生み出す会話って? 4

2011-02-18 09:42:24 | はじめに
今日、学研パブリッシングの方からの電話取材を受けることになっています。
虹色教室での強みを生かした教え方について「頭のいい子の育て方」第15号に
載せていただくことになりました。

以前、取材していただいた
プレジデントベイビーは、ネット上で、(とても小さい画面ですが)雑誌の中身が全て見られるようになっています。
おうちで英才トレーニング大図鑑の特集の黄色い見開き2ページ分が、虹色教室の様子です。
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教室の子たちにしても私やうちの子たちにしても、
「会話というのは、遊び心のある生産的な行為」
という捉え方があります。
どうしてそんな風に捉えるようになったのかというと、
次のようなレッスン(うちの子の場合は遊び)の中で、実際に会話をしながら手を動かし、また会話をして問題を解決することで、
創造的で生産的な何かが生まれてきたという体験をたくさんしているからです。
年長~小1 科学クラブから 1 電子工作
年長~小1 科学クラブから 2 電子工作
年長~小1 科学クラブから 3 ブロック
年長~小1 科学クラブから 4 ブロック

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もうかれこれ8、9年前のことですが、「あったらウレシイ!」というものを公募する企画に、私とうちの子たちで応募したことがあります。
テーマは「女性が欲しいと思うもの」と「新しい文具アイデア」でした。

おやつを食べながら、「あんなのどう?」「こんなのどう?」とそれぞれがアイデアを出し合って、応募用紙に内容を書き込んで送ったところ、
採用されたのは娘でした。


それで、娘は、
『メーカーさん、女性はこういうものが欲しいのよ!』という こう書房
から出版した本の1ページ分を使って自分のアイデアを掲載してもらいました。

採用された娘のアイデアは、
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『シュガーボール』という丸い形に固めた砂糖に、コーヒー用ならシナモン味の粒が、紅茶用にはレモン味やアップル味の粒が水玉模様のように混ぜこんであるというもの。
それを透明の包み紙でキャンディー包みをして、小瓶に入れておしゃれな形態で販売するというもの。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このアイデア、ちょうどおやつに紅茶をすすりながら、クッキーをかじりつつ会話をしていたので、
おしゃべりの中で娘がひらめいたもの。
そのときは、誰もそれが採用されるとは思っていませんでした。
なぜって、角砂糖を入れるときに、
「これが丸いとかわいいと思うんだけどな」という娘のアイデアは、
誰でも思いつきそうなことにも思えたからです。

でも、それに私や息子がつっこみを入れることで、娘がその案にいくつかオリジナリティーを加えると、「私もあったら買いたいな」というアイデアに
進化していったのです。

会話の力ってすごい! 面白い! と実感したのは、前にも紹介した
『ゲームと数の?な関係』という小4のとき私と息子でした
親子合作の調べ物学習での出来事です。

「なんで将棋盤は9×9マスなのだろう?」
という息子の疑問からスタートした調べ物学習は、
家族総出で「ああでもない」「こうでもない」「ああなんじゃない?」「こうだろう?」とワアワア議論が飛び交いました。

その結果、いくつものトンデモ仮説が生まれ、
正誤についてはわからないままですが、会話から生まれてくる新しい考えの
ユニークさを存分に体感することができたのです。
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いろんな本を調べたものの、マスの秘密に触れているものはありませんでした。
それで、まったくの推測だけれども、
家族の中から次のような推理が生まれました。

★縦軸が奇数になったのは、中国に女王が戦いの指揮をとるというチェスのルールが受け入れがたかったのではないか?

★玉を挟んで、左右対称の日本の将棋の並べ方も、
文化的な背景があるからではないか?

★中国で縦のマスはすでに9だったけれど、動いていたのは線の上だった。
だから縦軸のマスには10個の駒が乗ります。
もしかして、偶数を作る過程で、奇数のマスが生まれたのかもしれない。

★中国象棋が入ってきたとき、日本人は線の上ではなく、マスの上をチェスのように動くルールを選んだのではないか?
遊んでみると、9段のマスは奥深い楽しさを含んでいたのではないか?

★サイコロが6面なのは、10進法が生まれる前に、60進法が生まれていたことと関係が深いようだ。6は親しみ深くも、神秘的な数字。
そうした数に関する全く別の面からの影響もあるかもしれない。
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創造的で生産的な何かを生み出す会話って? 3

2011-02-17 18:08:12 | 教育論 読者の方からのQ&A
創造的で生産的な何かを生み出す会話って? 1
創造的で生産的な何かを生み出す会話って? 2
の続きです。
の記事に次のようなコメントをいただきました。
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子供らがもう少し大きくなったら、夜の家族団らんの時間を有意義に過ごしたい・・・と、思っているのです^^ そんな私には、奈緒美先生のお宅は親子での会話が多く、おまけにその質が高く思えるのです・・・^^ 家族で過ごす時間で何か気をつけていた事とかあるのでしょうか・・・?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
うちの場合、そんな有意義な家族団らんではなく、
みんなそれぞれ一度座っちゃうと腰が重くなるダラダラ体質の人が多いので、
お腹がいっぱいになるとそのままファンヒーターにあたりながら「ああだこうだ」と好きなことをしゃべっているという感じです。(といってもダンナと娘は、ちょっとすると、さっさとおしゃべりから抜けて用事を始めるんですが……)

『親から子へ 幸せの贈りもの』 E.アンダーソン他 玉川大学出版部
の中で、自尊感情を伸ばす5つの原則のひとつめは次のようなものです。

「子どもたちの考えていることや感じていることに耳を傾け、認める努力をしましょう」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子どもたちが一番望んでいることの一つは、
大人が自分たちのいうことをよく聞き、自分たちを理解してくれることです。

自分たちには価値があり、
人生のなかで貢献できることがあると子どもたちが感じるためには、
親や世話をする大人たちが彼らの話を聞き、その考え方を認めることです。
子どもたちが受け入れられていると本当に感じると、
より早く大人としての行動がとれるようになります。

しかし 私たちは親として子どもたちに対して、彼らの話を聞いたり、理解したりするより、とかく指導し、忠告し、評価しがちです。

私たちは最善のことをしてほしいという期待を子供たちに伝えることが、子どもたちが私たちに話すことよりはるかに大切だと信じています。

それどころか、元気で活発な子どもたちが社会に受け入れられることを第一に考えるがゆえに、私たちが好まないことは正す必要があると信じ込んでいる人がいるのです。

そして、子どもたちにどのように考えるべきなのか、
どのように感じるべきなのか教えようとします。
もし子どもたち自身が気にしていることと、
私たちが子どもたちの気持ちはこうあるべきだと考えることが一致しない場合、
私たちはそのことを彼らにいってしまうことがあります。

そして子どもたちに自分は正しく考えたり感じたりしていないという印象、
すなわち自分はあるべき姿ではないという印象を
成長の早い時期に与えてしまいます。

(『親から子へ 幸せの贈りもの』より) 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子どもが最も望むのは、大人が自分の話に耳を傾けてくれることだし、そうするだけで自然に子どもは前向きで向上心に満ちた性質になってくることは、
私が接したどの子にも共通していています。

あれもしなきゃ これもしなきゃ、あれもさせなきゃ これもさせなきゃと忙しくせずに、普段から子どもとの会話を楽しむようにしていると、
子どもは自分の学習は自分でがんばります。
親としての仕事は、子どもが家庭でゆっくりリラックスできて、好きなことが口にできるようにしてあげるだけで十分なのかな……
わが子たちを見ていてそう思うときがあります。

子どもが幼児や小学生のときにオススメなのが、
簡単な工作をいっしょに楽しみながら会話をすることです。子どもは自分で作った物のことは、一生懸命言葉で表現しようとするからです。


会話といえば、
中学に入学したばかりの時に、息子が学校でこんな作文を書いてきました。
小学校の間、年がら年中、紙工作をしていた息子らしい会話の捉え方だなと感じました。(まだタイトルと文章の関係がよくわかっていなかったころなので、自分の考えとファジー理論がどう関係あるのか、肝心のところは抜けているのですが‥‥‥)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『ファジー理論と会話』 ○年○組  ○○○○

ぼくはファジー理論のことが書いてある本を読んで、今、創造力を大切にしないといけないと思った。どれだけ仕事をするのがうまくても、機械がやってくれる今の時代はどうしても負けてしまうことがいくつかある。
そんな機械が何でもやってくれる時代だからこそ、機械が持っていない創造力、人間性を使わないといけない。

機械は便利でいろいろな動きをしてくれる。しかし機械には、環境問題を考えたり、未来を創造したり、相手の心を感じ取ったりできない。
人間がやるべき仕事はそういうことなのだ。
人間性で考えると、日々の会話が大切で、しかも、ただ自分の言いたいことを一方的に言うのではなく、相手の言っていることをよく理解して聞くことでちゃんとした会話だと言える。

その会話によって、他人から情報を受け取りそれを応用することにより創造力が身につき人間性も増す、このようにして人間はよくなっていくのだろうとぼくは考えている。すでに授業と言う形で学校は 会話しているのだ。

しかし、会話をさまたげることがある。それは「常識」だ。
たとえば、人間が空を飛べるかの話をしていたとき、それは無理だろうと決めつけてしまうと、そこで会話はとぎれてしまう。
無理と決め付けなければ成功する可能性がもっと上るはずだ。
この際「そんなことありえない」とかそれはまちがっている」などの決め付けをなくせばアイデアや新たな成功のきっかけとなると思う。
そして決め付けを直すことによって考えが深まると思う。

ぼくも作文という形で会話を書いた。そしてこれを読んで会話が成立するのを心待ちにしている。
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幼児期の子育ての大切なポイント

2011-02-17 11:41:29 | 幼児教育の基本
過去記事から幼い子向けの記事をいくつかピックアップしました。

<子どもの中の「自然」が 見えない 愛せない>

☆ちゃんは、リズムのあるゆったりした暮らしと、
広々とした自然公園で時間を忘れて遊ぶことを繰り返しながらこれまで成長してきました。
虹色教室のレッスンには、1歳代から月1回通ってくれています。

3歳になって、自分の中で「こんなことがやりたい!」「こんなものが作りたい!」とイメージし、それに必要な材料を集めて、実行していく力が
目覚しく発達しました。(仲良しで同じような遊び方をしている★ちゃんも、そうした力がすばらしくのびています)
それこそ、この企画し、想像し、準備し、実現する能力に関しては
小学生も大人もなかなかかなわないほどなのです。

とにかくエネルギーが強い子なので、
2歳のころはおともだちとの喧嘩や物の取り合いもかんしゃくもすざまじい
ものがあったのですが、
そうした成長過程のすべてをお母さんといっしょに大切に見守ってきました。

3歳を過ぎてからはそれが創造性と
強い好奇心へと変化していきました。
虹色教室で忍者の勉強をしたあと、
寝ても冷めても忍者になって暮らし、
地図を学んだあとは、自作の地図をたくさんこしらえたあとで、
ぼくらの地図旅行という小学校高学年向けの絵本を隅々まで読むほどの
熱中ぶりでした。
人の身体を学んだあと、化石と身体の話に熱中し、
じしゃくで遊んだあとは、一日中、じしゃくでつくものとつかないものを調べていました。

☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんのお友だちとお母さんを
自然公園に誘うと、
ショッピングセンターも物も刺激もなにもない「自然」のなかで、
何も楽しめない、
何をしたらよいのかわからない、
どこが面白いのかわからない、
自然からなにも引き出せない
という方が多い……(子どもはいつのまにか上手に遊びだします)
というお話をうかがいました。

自然のそのままのよさを見出せない、感じれない
ということは、

「自然」のひとつである「子ども」の本来の良さや面白さを感じられない
ことにもつながってきます。
ただゆっくりと子どもが幸せそうにしていることの
価値が感じられず、

子どもの心の変化や望みや考え、想像の世界、愛情、感情

が大人に伝わらず、

何かさせよう、目に見える何かをマスターさせよう、子どもの時間を有意義で刺激的で効率的なものにしようとあせってしまいます。

そのため、
2歳、3歳で生まれてくるその子の「個性の中心」「意識の中心」が、
ワガママとも見えるエネルギーの爆発を起しながら
だんだん目覚めてきて
自分らしく成長していくのを壊してしまいます。

親のちっちゃなコピーを作ろうと努力しすぎてしまうのです。

子どもは、際限なく広くて奥深くて全てを含んでいる「自然」の姿と
同じ種類のものです。
生命であって、人間だからです。
けっして、良い行為をインプットしながら大人がこしらえていく
ロボットではないのです。
結婚したとたん、お姑さんから「嫁」として、評価されたり、「良い嫁」を他の人と競わされたり、「嫁教育」という働きかけだけで、接しられると、
がんばれないし、幸せに生きられないですよね。

それぞれの人が「自分」という意識の中心を持っているのですから、
他の人にいつもいつも心をいじられていると、
自分を否定する気持ちしか持てなくなってしまうのです。

☆ちゃんは、ただただ自分のしたいことを、寝ても冷めても追いかけ続ける
自由な時間の流れの中で、
個性的で利発で、しっかりとした自分の言葉と考えを持った子へと
成長しつつあります。
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↑の記事にあった
「『大切に見守る』具体的な方法を教えてください」
という質問をいただいています。

この大切に見守る……というのは、その月齢のその時期の課題(人生の危機)を頭において、
親の心がぶれて間違った方向に暴走しないように
(自分の心を)見守る
という意味が強いかもしれません。

削除してしまった記事の話題で悪いのですが、
3~5歳の人生の危機は、自主性と罪悪感でした。

1歳は、信頼と   不信
2歳は、自律性と  羞恥と疑惑
が、エリクソンによる人生の危機とされるテーマです。

1歳のテーマの信頼と不信は、
好ましい結果として、周囲と未来への信頼を得ます。
失敗すれば、未来への恐れや疑いに結びつきます。

現代の1歳児の様子を見ていると、ベビーカーや電化製品、便利グッズ……
お母さん同士のつきあい 住宅事情で外に出にくい 早期教育 親の不安
などで、

毎日、同じような……安定して心地よくて楽しい雰囲気の刺激の少ない世界で、
いつも大事に扱われて、泣けばあやしてもらえ、いたずらしたいときは存分にできるという 
「1歳児にとって、未来が明るく感じられる」状況から、かなりずれてしまう場合もあります。

0歳児や1歳児は、

「後で貸して貰おうね」と諭しても理解(納得)出来ず大声で泣き喚き、「お友達が使っているからダメよ」と怒っても大声で泣き喚く

といった状況になっても、

それは子どもの問題ではなくて、環境側を少し整えてあげればすむ問題です。

まだ物の貸し借りを理解する成長段階に至っていないからです。
取り合いになったら、だっこして、その場から少し離れて
あやしてあげればいいですね。
教え込もうとしたり、親が子どもの様子を恥ずかしく感じたりすると、
この時期の子の心に影を落とすように感じます。
この時期、ママはひたすら守って愛してくれる存在で、
十分だからです。

2歳の自律性と 羞恥と疑惑 の時期に

好ましい結果を得ると、
自分を制する能力と、自分で選ぶ能力。
強い意志、自尊心。自己管理意識。自己評価の意識
を得るといわれています。

好ましくない結果になると、
自己管理意識の欠如。外からの過剰な管理。
その結果、何かしたいと思うことも実行することも恥ずかしく思い、
自分には何もできないと思う傾向がでてくるようです。

私がよく「大切に見守る」という言葉を使っているのは、
この時期のテーマを良い方向に導くためのコツといえます。

エリクソンによると、人間は途中で出会う障害を乗り越えて成長するそうです。
成長の段階ごとにある障害をうまく乗り越えることができたら、
さらに強くなって次の段階にすすめ、乗り越えられないと、未解決のままその問題にとりつかれて
発達がとまるのだとか……。

教室で様々な子どもと会うとき、
2歳の段階の『自律性と 羞恥と疑惑』の問題にとりつかれて、
ある部分の成長がとまっているかのように
見える4歳、5歳の子がいます。

この問題は、発達障がいの子に ともなうことというより
優秀に見える大人から見た「良い子」や、ごくごく一般的な子にも
よくあります。

特徴としては、
何かしたいと思うことが極端に少ない、できるはずのこともする前からできないと思う、ぐずぐずくねくねして何かするのをためらう、
自分のことなのに、どこか他人事のよう、
すぐに「お母さんが……」と言う。

先ほどの繰り返しになりますが、
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2歳の自律性と 羞恥と疑惑 の時期に

好ましい結果を得ると、
自分を制する能力と、自分で選ぶ能力。
強い意志、自尊心。自己管理意識。自己評価の意識
を得るといわれています。

好ましくない結果になると、
自己管理意識の欠如。外からの過剰な管理。
その結果、何かしたいと思うことも実行することも恥ずかしく思い、
自分には何もできないと思う傾向がでてきます。
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この時期に、きちんと障害を乗り越えてすすむには
どうすればよいのでしょうか?

夢のようにぼんやりしていた赤ちゃん時期の意識の状態から、
自分の自我が芽生え、
意識の新しい中心が自分のなかに生まれはじめる時期。
表現できないような激しい感情の体験や
自分でも何が起こっているのかわからない混乱が
毎日続きます。

親の仕事は、この変わり目がどんなに大変で、
いかにイライラするものかわかってあげる必要があります。
また、大人に反抗したり、何かにこだわったりすることで、
子どもは自分をさまざまなものから遠ざけ隔てなくてはなりません。
それがこの時期のお仕事です。

自分のアイデンティテーを見つけるために、
いつでもママの言うことに「はい」としたがっていると
ダメだからです。
自意識の発達の上で、非常に大切な時期が、2歳後半~3歳~で、
この時期の子の、はじめての全身でがんばるお仕事を
見守ってあげなくてはなりません。

言いなりになるのでもなく、困り果てるのでもなく、
この時期の子を陰で支援しながら、一方できちんと向き合っていく
そうした地に足のついた親の姿が求められます。


専門家は、
早期教育や高価な運動器具が無駄や失敗に終わる理由として、
子ども本人より、大人が子どもが何をすべきで、何を学ぶべきで、筋肉のどこを動かせば発達するのか知っているかのような
『錯覚』を起すからだ、
と指摘しています。
子どもは自然なもっとも効率的な内部のプログラミングのもとで、
成長していきます。
親の仕事は、それをじゃませず、
そうした仕事がおこないやすいように環境をととのえてあげることなのです。

写真は、1歳から虹色教室に通ってくれている男の子と女の子のふたごちゃんです。
男の子はおっとりしておとなしく、絵本を見たり、教具で遊ぶことが好きです。
女の子は活発で、よく笑い、よく怒り、男の子のおもちゃをすぐに取り上げたり、
かんしゃくを爆発させる姿が目立ちました。

親御さんと、ひとりひとりの性質をとてもよいもの、
大事なものとして理解し、
ものの取り合いなどに発展しても、
片方を悪い子と決め付けるようなことがないように、
また、極端にトラブルを避けてしまうこともないように接してきました。
また、子どもの気持ちに配慮して、良い悪いを決め付ける
ないようにしてきました。
すると、2歳9ヶ月になったレッスン日、
男の子が読んでいる歌が流れる絵本が欲しくて
「ちょうだい!」と地団駄をふみかけた女の子が、こぶしをにぎりつつも、
自分で自分の荒くなった呼吸をしずめて、
「かしてね」と言って長い時間待っていました。
かさない!という強いかまえだった男の子も、女の子がしずまるにつれて、
少し遊んで「はい、どうぞ」と本を差し出しました。

これまで、「かしてあげなさい!」「取っちゃダメ」といった大人の指示で
この子たちを動かさないようにしてきました。

自分の気持ちが確かめられるまで
ゆっくり待ってあげていたのです。
そのときの答えが「かせない」なら、「かしたくないんだって……」と説明して、かしてもらいたかった悲しい気持ちにゆっくり寄り添うようにしてきました。
見守るとは、子どもが自分で自分の感情を味わったり、判断するのを
時間がかかっても待ってあげることです。
すぐに、その日に良い結果を出そうとあせらないことです。

そのため、片方の子がいつも損しているようにも
見えたのですが……
時期がくると、お互いにもっとも良い関係に
自ら気づくことができるのですね。

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