虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』 と 天才の話あれこれ

2011-02-16 21:31:13 | はじめに
『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』という話を聞いたことがあります。

何でも、次にあげる2つが重なると天才が作られるそうです
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①10000時間を費やせる努力と情熱。開始年齢はあまり関係ないらしい。

②時代と才能が一致するタイミング
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①の10000時間を費やせる努力と情熱。

と言うと、エジソンの
「天才は1%のひらめきと99%の汗」という言葉が浮かびます。

本当は、エジソン自身はピピピッとひらめくことを
重視していたらしく、

(1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならないという
ニュアンスでこの言葉を発言したらしいのですが…。)

竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても
挫折せずに努力し続けたエジソンの姿は、
英才くん、秀才くん、できるくんからすれば、「実験オタク」や、単なる「オバカ」なのかも知れません。
天才を作る時間が10000時間という話の真偽の程はどうであれ、

「何かが好きでたまらないこと」
「心底、ひとつのことに夢中になって打ち込めること」
「誰かのためにでなく、自分で自分の人生を切り開いていること」

が天才の必須条件のようです。

②の運

私はこれは、偶然の産物ではなく
宇宙とうまくシンクロできているかどうか……。
SQ(精神的知能の略)…意味や価値という問題を提起して解決する能力を
人生のなかで十分高める事ができたかどうかに関わっているのだろうと
思っています。
SQを高めて行くことが、自分を個性的な人生へと導き、天職と出会わさせるのだと感じるからです。

SQとは、
広い豊かな視野に立ち、自分の行動や人生に意味を見出す能力のことです。
数あるなかから、より意味のある行動路線や
人生の道を選ぶための能力です。

『SQ 魂の知能指数』ダナー・ゾーハー イアン・マーシャル 徳間書店
によると…

IQなら、コンピューターも高いです。
EQ(こころの知能指数)は、動物達も高いです。周囲の状況を察知する能力にたけ、過たずにそのルールに従うことができるのです。
しかし、コンピューターも動物も、
なぜそのルールがあるのかも、なぜそういう状況になっているかも
問うことがありません。

SQを持っている人間は、ルールや状況を変えることができます。
限界と遊び、識別し、道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情で
やわらげることができます。
同情や理解が限界に達したら、限界だと悟る事ができます。


IQは、脳内の「直列的な神経配線」にもとづいているそうです。
EQは、「連想を引き起こす神経配線」にもとづいているそうです。

SQは、脳全体のデーターを統一する神経の共振にもとづいているそうです。


「天才」という言葉から、ずいぶん脱線していますが…

SQテスト
★柔軟である能力(積極的かつ自発的に適応できる能力)
★高度な自己認識
★苦しみに立ち向かい、苦しみを利用する能力
★苦しみに立ち向かい、苦しみを乗り越える能力
★夢や価値に触発される資質
★不必要な危害を他人に加えたくないという気持ち
★多岐にわたるものごとのあいだに関連性を見る傾向
★「なぜ?」とか「もし何々だったらどうなる?」という質問をし、
★゛根源的な”答をもとめる顕著な傾向
★心理学者が、゛場独立性”と呼ぶものであること。つまり、因習に逆らう器量を持っていること。

↑のテストがたくさん当てはまるというSQの高い人は
世間の評価はどうであれ「天才」と言えるのかも知れません。


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「天才」という言葉、日本ではタブーのように扱われている部分がありますね。

「英才」や「秀才」や「できる子」は目指せるし作れるけれど、
「天才」は生まれつきのもの
誰もが目指してはいけないもの
子どもが天才であってほしいと願うなんて、ずうずうしいにもほどがある……

そんな声をたびたび耳にします。

でも、私は、英才とか秀才とかできる子って言う言葉が、
あんまり好きではないんですよね。
受験戦争や競争社会という小さな枠のなかで
勝ち抜いていけるか……ていう
大人側からの期待や願望から生まれているような気がするからです。

そして「天才」は……というと、レオナルド・ダ・ウ゛ィンチとかアインシュタインのように、
学ぶことを愛してやまず
人生を自分の思うままに生き抜いたイメージ

が、大らか~で好きなんですよ。

「天才」とは、一般常識や他人の期待に振り回されずに、
「自分」の興味と夢を満喫して生きられる人でしょうし
幸運にも「天職」と呼べる仕事と出会えた人なのでしょう。

私は周囲に認められるか、
その時代から「天才」という言葉を授けられるかは別にして、
出会う全ての子どもたちには どの子にも天才のようにいきいきと生きいって欲しいなぁと思っています。あくまでも願望ですが……。

天才という言葉に過剰反応する方を時折り見かけるのですが、
そうした方々は、
天才と呼ばれた過去の人物の型破りな生き方や、
天才であっても多くの欠点を抱えたひとりの人であった事実を、
勝手に自分のイメージで脚色しているように感じます。

キュリー夫人やヘレンケラーやライト兄弟の一生などを
自分の人生に重ねて、その簡単にあきらめないねばり強さや
どんな境遇でも学び続ける強さなどは無視して、

天才と言われる人が何したこれした~と自分より
下だと思って安心できるゴシップ的な話題ばかり集めてきて、
天才は~~と愚痴ばかりこぼすのをよく聞きますから。

天才とは、ひとつのことを伸ばすために、他の価値観を捨てていく生き方だという捉え方は、
オリンピックなどの世界で「人工的に天才を作ろう」と無理する場合に
親のエゴが生む考えを指していて、
実際の「天才」という言葉とは線引きしなくてはならないものだと思います。

私はこれまで「天才」とたたえられた人々は、『自分の境遇』

つまり能力、強み、環境などの『自分がもっているもの』を、
自分の力で(親に作ってもらうのでなく)
最大限に生かそうとし続けることができた人なのだと思っています。

例えば、みんなが良い大学を目指すことを教育の目標にしたとすると、
頭脳活動に向いた遺伝子を受け継いだ子や
コツコツがんばる学習欲を強みとする子が有利ですよね。
おまけに経済的にめぐまれていて、
他より早くから競争をはじめ、他の子よりたくさん学習し、
他の子より寄り道せず、他の子より学習だけに専念し、より有利な受験アドバイスをもらい、それに逆らわず、スムーズに受験をし終えればそれは可能なのでしょう。

でも、現実には、努力家なんだけど、考えるのが苦手とか、
頭はいいんだけど、コツコツすることができないとか、
能力は申し分ないけど経済的に恵まれないとか……だれもが
完璧な境遇ではないわけです。

そこで、途中までは、がんばったけど、勝ち組になれないから、
もういいや~って、自分を高めることも、勉強することも、
放り投げてしまうか、

それでも自分の境遇の中でベストをつくしていくか、

に分かれると思います。

これまで天才と呼ばれてきた人は、どんな境遇でも、自分の手札が最悪でも、
自分を見捨てず、あきらめず、育て続けた人です。
ヘレンケラーなんて三重苦です。
それでも自分の可能性を追求し続けたところがすばらしいのだと思います。

一般の人だと、ちょっと他より記憶力が悪いとか、
ちょっと小学校の学習でみんなより出遅れたとかで、自分をあきらめてしまいがちです。
でも天才として名を残した人は、
欠点を抱えたまま、自分の強みを追い続ける強さを持っていたのでしょう。

そうしてその人にスポットライトがあたったとき、
「天才って、ひとつの能力だけ伸ばすために、弱点を克服することを犠牲にしてきた人でしょう?」と簡単に結論づけてしまいがちです。
でも、実際には、
「もともとハンディキャップを持っていて、それにもかかわらず、自分を精一杯生かしてきた……。
けれども、やっぱりハンディーはハンディーとして
成功しても残っている」
そうしたナチュラルな人なのだろうと感じています。

だいたい、秀才を育てるとか、英才を育てるとか、天才を育てるとか、
まるで、ロボットの人工知能を操作するように
大人が子どもを自分の思う何かに作り上げようとすること自体に
疑問があるのです。

天才の話にしても、生きた先輩たちの道から、
大人も子どもも気づきや感動を得るなら良いのですが、
それを勝手にメソッドにして、「天才作り」を目指しちゃうと
間違った方向に行ってしまうのでしょうね。

「天才」の話ついでに……
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『アインシュタインファクター』
ウィン・ウェインガー リチャード・ポー共著
                          きこ書房
の中にこんな話が載っていました。
精神科医のアーネスト・ハートマンは、
「怖い夢」を見やすい人がいる原因に興味を持ちました。
そうした100名を調査したところ、
共通の特徴があることがわかりました。
それは非常に現実味を帯びた夢を見る人は、見た夢をはるかによく覚えているということです。
また『自由でコースをはずれた』と見える思考モードを使い、
2,3歳の頃のことをはっきり記憶しており、ほとんどが、
ミュージシャンや画家、作家などクリエイティブな職業についていたそうです。

ハートマンは1992年に書いた著書の中で、
悪夢を見がちな人は『薄い境界線』をもっている。
つまり人間関係や外的な刺激に対して、並外れた敏感さをもっているという結論をくだしています。


この話を読んで、教室の数名の生徒の姿が浮かびました。怖い夢を見るかはさだかでないけれど、
ショッキングな画像や話に強い拒絶反応をしるす子ら
(地震や忍者の武器程度の絵本の場面でも嫌がるので見せていません)が、
同時に、水彩絵の具で絵を描くことや、
質の良い積み木で製作することに
強い興味をしるすことが多いのです。

子どもは大人よりも感受性が強いです。
臆病で傷付きやすい反面、
美しさや不思議さを敏感にキャッチする感性ももっているのです。
こうした子どもの感受性は、美や知識に対するオープンな態度と、
ときに並外れた学習効果を達成する要因なのだそうです。

フロイトは『自我境界線』という言葉を最初に提唱しました。
外部からの脅迫や抑制された記憶から壊れやすいセルフイメージを守る精神的バリヤーを意味します。

この心の境界線は、適切な部分ごとにいろいろな機能をロックすることで、
脳本来の正常な働きを保護していると
フロイトは信じています。
このような境界線がないと、コンピューターのパワーサージ状態のように
パンクしてしまうかもしれないのです。

ハートマンによると、子どものころは誰でも、程度の差こそあれ、薄い境界線をもっているそうです。年を重ねるにつれて、自分を傷つける刺激から守ろうと、境界線は厚くなっていきます。

成人の境界線のほとんどは、敏感でも無感覚でもなく、中間の社会に適応するのに理想的な状態であると言えるそうです。
一方、それはアイデアを素直に吸収したり、
加速学習をするにおいては、あまり好ましくありません。

一般的に薄い境界線を持つ人は、
突然、自分の中から湧き上がる鋭い洞察や
潜在意識からのメッセージを素直にキャッチしやすいようです。
痛みや混乱から守ってくれる回路ブレーカーは、
すばらしい想像力の流れを止めてしまいます。

つまり、かなり薄くて浸透性のある境界線こそが、
天才を作り上げる重要な要因と言えるそうです。
なぜなら、天才的能力というものは視覚や聴覚、考えや記憶などあらゆる知覚を同時に働かすことから生まれるからです。
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少し前の記事で紹介した『ハイコンセプト』の著書に、
自分が「左脳型」なら突拍子もない発想をする右脳型の人と対話し、「右脳型」なら、論理的で分析的な「左脳型」の人と会話を繰り返すことの大切さが力説してありました。
自分の脳にそうして常に刺激を与える癖をつけることが、これからの世の中で成功を勝ち取るためのカギとなるそうです。

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子どもの成長に合わせて 親の働きかけを変えていくことについて

2011-02-16 19:16:40 | 幼児教育の基本
子どもは常に成長していきます。
ある時期、子どもにとって必要だった働きかけも、
子どもの成長に応じて、変化させていかなくてはなりません。

どんな場合 変えた方がいいのかというと、
親子でひとつのパターンが定着して、子どもがそれに依存しはじめた
時です。

たとえば、子どもが問題を解くたびに「お母さん、あってる?」とたずねて、
自分では答えがあっているかどうか見直す素振りがないとします。
たいていの場合 親御さんは 子どもが間違いを直して正しい答えを覚えることに気持がいっています。
ですから「あってるわよ」とか「そこちがうわよ」といったコメントを返して終わってしまいます。

でも、注意が必要なのは、そうした質問をする子は、
『解いた問題をチェックするのはお母さん』というパターンに慣れてしまって、
自分のしていることを少し高い視点から眺めて、
解いた答えがあっているかどうか確かめようとする
メタ認知の働きが弱くなっているのです。

そんな場合は、まず、答えが正しいかどうか確かめる方法を、
ポイント、ポイントに注意してていねいに教えてから、
「解き終わったら、お母さんあってる?ってたずねる前に、こうやって自分であってるかな?って確かめるのよ」と説明して、
少しずつ少しずつ親側が手を抜いていくようにした方がいいです。

写真は「見本どおり積めるかな?」という積み木の問題。
「1階、2階、屋根 OK!」とひとつひとつ指差しして確認すると
答えが正しいかどうか自分でも確かめられますね。

課題にチャレンジしている場合以外でも、
親子でできてしまった同じパターンの繰り返しが
子どもの成長の邪魔をしているケースがよくあります。

たとえば、「これ何?」「これ何?」としじゅう子どもにテストをするような声かけをしていたり、「これは赤よ」「これは『あ』って読むのよ」などと何かを教える声かけばかりしている親御さんの子どもで、
会話をする能力にかなりの遅れが見られることがあるのです。


会話というのは、決められた質問にワンパターンの答えを返していくだけでは育ちにくいのです。
子どもが自発的にあれこれ話すのに、大人がちょうどいいフィードバックを返してあげていると、上達していきます。

悪いパターンは、大人の視点が子どもの「できる」「できない」にだけ向けられているときつきやすいです。
子どもに働きかけるときに、子どもを見ることに夢中になるのではなくて、
自分自身の言動と、子どもと自分の間で交わされている言葉や気持のキャッチボールの内容に気を配るようにすると、
子どもはできなかったことを次々自分で乗り越えていきます。


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新しい形のボランティア これからの社会貢献 2

2011-02-16 07:12:14 | 日々思うこと 雑感
前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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わたくし事ですが・・・
障害者のためのデイワークでボランティアをしていた時の話しですが・・・
障害を持った方たちと普通に会話をしていて、ズキンっ!とする事を言われました・・・ 「健常者の方が色々とボランティアをしてくれるのはありがたいけれど、助けてあげてるんだ みたいな気持でやられるのはちょっと・・・・」と・・・
被災地のボランティアやら掃除のボランティアやらに芸能人の協力を仰いでボランティア自体に関心を持ってもらうのは非常にいいアイディアだと思います^ 
が・・・・、ボランティアにも色々な種類があるので、種類によっては生半可な気持ちでの参加は気を付けたほうがいい物もありますね・・・
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ボランティアに安易に参加する人々が増えてくると、
自分勝手な人々がそうした場にズカズカ土足で踏み込んでいって、ボランティアの場を引っ掻き回していくのではないか……?
そんな恐れが、こうした新しい形のボランティアを阻んでいる原因のひとつだと思います。
そして、もしこれまで通りの『ボランティア』の形に、
そうした新しい形で参加する人が入っていく形だと、
そうした心配が現実のものとなる可能性は大きいでしょう。
かといって被災地のボランティアやら掃除のボランティアなど、
めったになかったり、事故が起こりやすかったり、ゴミ袋やそのゴミの処理など別の問題も生みやすく、イメージが固定されているボランティアだと、
若者たちが喜んで参加するかというと難しいのかもしれません。

私が「娘のアイデアが実現するために大事なカギとなるだろう」と思ったのは、

★プラットフォーム上で、能動的なテーマでボランティア募集を募ること

★若い世代が意欲的に参加したくなるような解決しなくてはならない壁や乗り越えなければならない山があるボランティアであること

★芸能人が農業に参加するプロジェクトのテレビ放送のように、
若い世代がすでにイメージの世界では憧れたことがあり、一通りの流れを体験することに魅力や満足感を感じることができる型
を参考にすること

★掲示板等でアイデアを出し合い、参加方法をじっくり練ることができるようにし、問題にぶつかったときに、それ自体が解決する楽しい刺激となるようにしておくこと

といった点ではないかと思いました。
能動的なテーマでボランティア募集を募るとは、

「○○養護施設の本棚は、子どもたちの年齢に適した本が少なく、本を読みたい気持ちを起させてくれない。
魅力的な本をそろえて、すてきな読書コーナーを作ってあげたい!」

「○○川の河原にゴミが増えすぎて、渡り鳥たちがよく怪我をしている。
鳥たちが喜んできてもらえる場所にしたい!」

「○○駅では、観光客が少なくて、駅が消えかけている。もし駅がなくなると、その地区のお年寄りたちがとても困ったことになる。
この駅に観光客を呼び寄せるための魅力的な観光スポット探しをしてほしい」

といった具体的で、参加意義が感じられ、参加方法がいろいろ選べて(お金、労働など)短期間でひとつのことをやりとげることができるものを
募集するということです。

そこには芸能人が「やってみたい」と思うような新しさや物語が必要になってくるのだと思います。

また、「全国の小中学校の図書室を魅力的なものに変えて、子どもの読書欲を向上させるボランティア」なども、
本の内容を演じたり歌にしてパフォーマンスしたり、
読書コーナーを魅力的に改装したりすることは、
芸能人にとっても、ボランティア参加者にとっても、
やりがいのある活動だと思います。
また応援する人々の利益にも配慮できるでしょう。

忙しい今の時代に適したボランティアとは、ひとつひとつが完結していて、
ボランティアする側にも、ボランティアを募る側にも、周囲で応援している人にも、
感動が残るような形が良いのだろうと感じています。

娘と話をしながら、『ハイコンセプト』という著書の中の
「ハイ・コンセプト」や「ハイ・タッチ」という概念が、ボランティアの場でも必要になってきているのだろうと感じました。

「ハイ・コンセプト」とは、パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力、などです。

「ハイ・タッチ」とは、他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取る能力、自らに喜びを見出し、また、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、そしてごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力などです。

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この話題、息子はというと、ボランティアとか社会貢献といった言葉にちょっと引っかかっている様子でした。

息子 「地理や現代社会の勉強をしていると、今見聞きしている以上に
世界が莫大な問題を抱えていることがわかるだけに、それらに個人でどう向き合うえばいいのかって社会貢献なんて言葉の重さに気後れしちゃうんだけどさ。
ボランティアをしたり、社会貢献することが、必ずしも困っている人々を幸せにするとは限らないけど、自分が生きていく基本的なポリシーとしては、
自分が人にしてもらってうれしいことは他人にもするって思いは当然のように持っているよ。
ぼくがそういったことをするとしたら、社会貢献したということが相手に気づかれないくらいの形でしたいな。
ぼくはLinuxを開発したリーナス・トーバルズのように、どんな貧しい国の人々もITと親しめる職業向けのチャンスを広げながらも、
個人的にはボランティアしたとか、社会貢献したという かしこまった形を取らない何かをすることに憧れているんだ。
エジプトとかインドのようにパソコンが高価すぎて手が出せなかった国々にLinuxがした貢献はすごいと思う。必ずしも、それが良いものだけを生んだわけじゃないだろうけど。

自分が作り出したもので大金持ちになって、そこから大金を困っている人々に寄付するという方法は、みんなからお金を取って、次にそのお金を貧しい人々の方に
行く流れを作るという点で良い方法だとは思うんだよ。
でも、そこにはどうしても上から下へという目線や、支配の構図があると思うんだ。」


息子 「でもまず自分としては、そうしたみんなが必要な物を作り出す前に、まず自分が本当に作りたいもの……それがマイナーだから経済的な何も生み出さなかったとしても……
を作りたいんだよ。

そうやって本当に自分が作りたいものを作っていくことは、まわりまわって必ず、みんなのためになるものともつながっていくんだろうと信じているよ。
まだ何もできないのにえらそうなことは言えないけど、
生き方のポリシーとして、お金や権力なんかを超越した思いを抱いて生きていくつもりだよ」

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新しい形のボランティア これからの社会貢献 1

2011-02-15 22:11:11 | 日々思うこと 雑感
夕食後、JustGivingというファンドレイジング・ツールが子どもたちとの話題に上りました。JustGivingとは、
個人が「このNPOを支援したい!」というボランティア先を選んだ後で、
支援したい団体のために寄付を集めるプラットフォーム(コンピューターを動作させる際の基本的な環境や設定)
で、チャレンジしようと思うことを宣言します。
「毎日、マラソン2キロする」「デブ脱却」とか、「2歳の娘に歯磨きの習慣をつける」など何でもOK。
友人や家族からそのプラットフォームへの寄付を募る形で、(子どものことなら、祖父母からの寄付も大きいのでしょうね)自分のがんばりが、支援団体への寄付につながるようになっているのです。

この話を知ったとき、私は単純に「いいアイデアだな。さすが!」と思ったのですが、うちの子たちの反応はそれぞれ意外なものでした。

娘 「そうしたツールは確かにすばらしいし、スポーツ選手たちも参加しているのだったら 実際 寄付も集めやすいでしょうけど……。
でも、一時期の流行に終わってしまう可能性があるから、日本には もう少しボランティアの選択肢があってもいいと思うわ。
日本で いざボランティアをしようと思うと、自分で何もかもしなくてはならないイメージがあって、誰でも気楽に参加できるというものは限られているでしょ。
もちろん、JustGivingのようなものなら、参加へのハードルは低くなるのでしょうけど、お金を寄付して終わりとなってしまうのが惜しいの。
日本は、ボランティアというと、お金だけのかかわりになりがちだから、海外みたいにもっと自分も動かなきゃ、障害のある人々や寄付を必要としている人々との溝は埋まらないはずよ。
私は、もっと芸能人がボランティアに参加すべきだと思うの。」

私 「芸能人が?」

娘 「若者は自己中だってイメージがあるけど、英語科の友だちは、海外の貧しい国でボランティアがしたいから英語を学びたいという子もけっこういたわ。今の友だちも心が優しい子ばかりよ。
でも、それならどうして若者がボランティアに参加しないのかというと、
ダサくて恥ずかしいって気持ちがあるからなのよ。

今、日本のボランティアの世界に一番必要なのは、
若い世代に向けて、
ボランティアとか社会貢献という言葉のイメージの一新を図ることだと思うわ。

ネットアイドルには、農業好きのノギャルとかあるから、
ボラアイ(ボランティアアイドル)っていうのを地域でどんどん作って応援していくのもいいと思うわ。
アイドルごとにクラブやコミュニテーを作れば、
毎回アイドルが来なくても、何回か参加していれば、何ヶ月かに一回会えるかも……というだけで、ボランティアに参加しようという人はけっこういるはずよ。
ネットアイドルの側にしても、プラスイメージがある上、活動をユーチューブなんかで宣伝していけるし、ボランティア参加が先で後から応援していく人もいるでしょうから、参加して損はないはずよ。」

私 「AKBが秋葉からスタートしたように、ボランティアに関心の高いネットアイドルが地域のコミュニティーへの参加から活動を広げていくということね。
それは面白いわね。メジャーではないスポーツ選手たちも、そうしたボランティアのイメージ向上に貢献しつつ、自分のファンを集められるから参加してくれる人がいるかもね。ネット上で、プラットフォームを作って運営していけばうまくいくかもね。
それなら、ゆるきゃらも参加できるかもね」

娘 「ゆるきゃらはダメよ。ゆるきゃらが参加すれば、参加したがる子どもたちはいるでしょうけど……。
今必要なのは、ボランティアという言葉のイメージの改革なのよ。
ボランティアというとおばちゃんたちと子どもってイメージがあるから、
ゆるきゃらが参加すると、地域の自治体がファミリー向けにやっている『ダサい』イメージのイベントといっしょにされちゃうわ。」

私 「そ、そうね……。ゆるきゃら好きなんだけどな。お母さんは。」
やっぱりおばちゃんの発想は、おばちゃん風なのでしょうか?

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憧れの大工仕事

2011-02-15 15:22:14 | はじめに
私の母親は、建築や農業や畜産を職業にしている家に9人のきょうだいの末っ子として生まれました。
食べるものには困らなかったけれど、
きれいな服を着て、ピアノや絵を習いに行く一人っ子やふたりっ子の友達に憧れながら育ったそうです。

それで、私と妹が生まれたとたん、
最新の服飾デザインの型紙を使って子ども服を作っては
私と妹にとっかえひっかえ着せて、
ピアノだ習字だそろばんだと、見たり聞いたりする限りの習い事をさせました。
私も妹も母に命じられるままイヤイヤ習っていますから
上達するはずもなく、
どの習い事も発表会や参観日に母の力作の○○○デザインの子ども服を
他の親たちに見せびらかす目的以外、何の役にも立ちませんでした。

そんな習い事をさせることに熱心だった母は、
自分自身もいろんな習い事に通っていました。
着物の着付け教室とか、粘土で花や人形を作る教室、パン作り教室、
手芸教室、絵画教室などです。
数ある教室の中で、母が一番楽しそうに通っていたのは、
『女性のための大工教室』でした。
確か、江坂で現職の大工さんが開いている教室ではなかったかと思います。
大人になって思い返すと、やらされた習い事は何ひとつ今の自分にとってプラスになっているものはないけれど、母が自分でしていた習い事からはどれも
大きく影響を受けて、たくさん学んでいるのです。

亡き母を思うとき、あれこれ習い事を強いられてうんざりした気持ちとともに、大工仕事を習うというので子どものようにはしゃいでいた母の姿が面白おかしく浮かんできます。

大工つながりで過去記事を……。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
去年の話ですが、ツタヤでCDを選んでいたら、いきなりトントンと背後から肩を
たたかれて……振り向いたら、
背の高い20歳くらいの男の子(人?)がニコニコしながら
立っていました。

誰……???

と一瞬、面食らって、誰だかわからずに
ポケッとして、相手の目を見ていたら、「あ~!!!これは……!!」
と思い出しました。
数年前に、私が大工仕事を教えてもらった小学生……
 
ということはまだ、中学生か高校生……?
すごく大人びていて、背丈も見上げる感じで対面しているんですが、
笑顔は当時のまんま~(いまだに友だちと思ってくれていたのか……?)

あまりに突然でボケていたので……「仕事は何をして……」と問いかけて、
「いや、まだよね……学生よね」とひとりごとを言っている間に、
ニコニコしながらさわやか~に去っていきました。

「よその子はすぐ大きくなる」っていう話……よく聞くけど
ホントだわ~と思った出来事でした。


↓その男の子に大工仕事を教えてもらった話です。
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以前、近所の小学校でする子ども会主催の「たこ作り教室」の手伝いを
していたことがあります。
そこで、おとなしすぎる小学生と活発過ぎる小学生が、
小競り合いを始めました。
私は、けんかを妨害するように、
二人の間に自分の「たこ」を広げて、「たこ」にイラストを描き始めました。
その前の年は「火の鳥」を描いたんですが、
その年は「だんじり」

すると、それまでけんかをしていた活発な方の子が、
さらに私の近くに席を移して、
だんじりの絵をなめるように見ていました。
そして、自分も「たこ」にだんじりの絵を描き始め、
だんじりについて熱心に語りだしました。
私が、一番興味を惹かれたのは、
その子が、自分で、大工道具を使って、だんじりを作った…という話でした。

実は、私は、何年来、大工仕事にあこがれていて、
今は廃材や紙で工作しているけれど、いつかは木材で
子供用のままごとセットなど作ってみたいと考えていました。
それで、その子に、材料の入手先や道具について、
あれこれ質問しました。
すると、その子は、それは熱心に、

自分の作っただんじりを見に来るように…
それは、子どもが乗ったって大丈夫な作りなんだ…
今日にでも、ホームセンターと木材屋に連れて行ってあげるから、
「たこ作り教室」の後の予定は空いているか?

とたずねます。

うーん、それは魅力的な誘いではあるけれど、
お母さんに聞いてみなくてはならないよ。
勝手によその子をホームセンターに連れて行くわけには…(連れて行ってもらうわけには…)

といったんは、ていねいにお断りしたんですが、
帰りはしっかり我が家まで付いて来て熱心にすすめてくれます。
そこで、親御さんに連絡して、
(「うちの子でお役に立てるんでしたら、どーぞどーぞ」とのこと)
さっそく二人で買い物に出かけました。

「ちょっとお金がかかるかもしれないよ~
ドリルはまず必要だからね。
それと、サイズのちがう釘もいるし~。
それとさ~いらなくなったとき、リサイクル料金400円かかるかもしれないけど、大丈夫~?」としゃべり続けて、
男の子は、私の財布の中身をすごく気にしてくれてました。
そして、
ただで木材を分けてくれる材木やさんに寄ったり、
途中で家を建築中の大工さんに声をかけて、
木の廃材を分けてもらったり、
ホームセンターの特価品コーナでお買い得の板を集めて
くれたんですよ。

私の場合、買い物だけで、疲れちゃったんですが…
「だめだめ、思い立ったときに、ある程度仕事を進めとかなきゃ…。」
と注意され、
さっそく「だんじり作り開始!!」

それが、のこぎりやドリルの音が思った以上に大きくて、

騒音だ~!
ご近所迷惑だ~!

と気が気じゃなかった私は、
なんとかそれらしい形までこぎつけたときは、
涙が出そうでした。

その子は、小学生とは思えない仕事っぷりなんですが、
勉強はすごく苦手なんだそうです。
そこで、大工仕事を教えてもらったお礼に、
製図に役立ちそうな算数を教えてあげるよ~と言ったんですが、
断られました。

それで、帰りに本人が持っていないというサンダーを
あげることにしました。
というのも、大工仕事を教わってみて、
「こんな都会の真ん中で、そんな作業できるわけない!」
という現実をしっかり勉強させてもらったからなんです。
それと、大工仕事の、大体の流れと、購入場所も
しっかり学習できました。(かかった費用のもとは取れました。)

「サンダーはかなり音が出るけど、大丈夫?」
「いつも使っている電動のこぎりも、電動ドリルも
同じくらいの音だから大丈夫だよ。
でも、ほんとのほんとに、サンダーもらって良いの???」
とその子は喜び勇んで帰って行きました。

その後、小学校の柵のそばで、数人の子と群れて遊んでいるその子を
見かけました。手を振ったら、「おっ!」と挨拶。
「だれ~?」と友達に聞かれると、
「ともだち~」と答えていました。

ともだち…ですか?
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子どもの困った性格をなおす方法?

2011-02-15 11:40:57 | 幼児教育の基本
「こどもじかん」バースボールマガジン社 という雑誌で、

子どもの「困った」性格をもう嫌いにならない!

という特集が組まれていました。

すぐふてくされる
繊細すぎて半泣き
言い出したらきかない
わがまま あきっぽい 甘えん坊

等、ついイライラきちゃうような子どもの性格…
どうやったらなおるのでしょう?
それに性格なのに、なおしちゃって良いの??

まず子どもの困った性格が気になるときは、
別の視点からその性格を捉えなおす必要があります。

落ち着きのない性格は、裏を返せば、明るく元気な性格。
どっちつかずちゃんは…優しい子
ワガママっ子は…意志が強い。
優柔不断は…慎重。
おせっかいは…親切。

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教室の中で、子どもの困った性格は、こんな良いものを生んでくれています。
神経質で繊細な子は、ていねいで気づきやすいので、
学習上の ミスが少ない。
飽きっぽい子は好奇心が旺盛なので、理科実験にも、新しい分野の学習にも
積極的。
甘えん坊の子は、人なつっこいので、
大人が様々な概念を教えていきたいときに、
喜んで聞いてくれる。
わがままな子は、自己主張できるので、
多少厳しい学習を強いても平気。
引っ込み思案の子は、おだやかなので、
大人の話をていねいに聞き、読書に親しませやすい。

それでは、困った性格のなおし方でしたね
このように、子どもの性格の困った部分だけでなく
その性質からくる良い部分に光を当ててあげることです!!

すると、認められることと、
本来の性質が自由に表現できるうれしさのおかげで、
困った部分は次第に陰をひそめていきますよ。


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「持つ」教育  「ある」教育

2011-02-15 09:33:51 | はじめに

虹色教室をする前に、頼まれて何人かの知人のお子さんの勉強を見ていたことがあります。
そのうちひとりの男の子は、小4から週1回30分学習を教えていました。
その子が中学生になるとき、
友だちと同じように塾に行きたいということで、入塾テストを受けに行きました。結果を聞きにいった親御さんは、そこの塾長から、
「これまで、どこで教わっていたのですか?」と驚いたような様子でたずねられたそうです。
「近所の方に少しだけ習っていただけです」と知人が答えると、
塾長は、「その方に感謝しなくてはならないですよ。この子は、考える力も理解する力も申し分ない。基礎学力もしっかりついていますよ」とおっしゃったそうなのです。
知人が会うたびに何度もその話をして
御礼を言ってくれるものですから、私の方はきつねにつままれたような気持ちで
すっかり恐縮してしまったことがあります。
というのも、勉強を見る時間が30分と短いですし、宿題も出していないので、
一通りのことをさらっとさせていただけで、教えるというほどのことはしていなかったからなのです。

みんながみんなそれほど伸びたわけではないけれど、
他に教えていた子たちの中にも、短期間で中学入試用の難問もスラスラ解けるようになった子もいました。こちらも教えていた時間も少しですし、謙遜とかではなく実際にたいしたことをしていたわけではないのです。

そうしたことを最近まですっかり忘れていたのですが、

『教育哲学のすすめ』山崎英則 編著 ミネルウ゛ァ書房

という本の中で、フロムの次のような考えに触れて、ふいに勉強がらくらくできるようになっていく子に共通する「あること」に気づいたのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「持つこととあること」は2つの基本的な存在様式である。

現代の大量生産・大量消費の社会に生きているわれわれは、できるだけ多くの
物質や富の獲得、
またそれを可能にする権力や地位を所有することに専念しようとする。
すなわち「持つ様式」の生き方に傾倒しがちである。

だが、われわれは、他方では、自分の人間的な力を生産的に使用し、
内面的な能動性を発揮し、自己を表現し、充実して生きることも求める。
すなわち、「ある様式」の願望を欠くことができない。

ところが、前者が後者を圧搾し枯渇させてしまっているところに、現代の深刻な人間疎外状況を見ることができる。
              (『教育哲学のすすめ』より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ある様式」の生き方の再生・復活こそ、フロムの目指しているものです。

ふと感じたのは、
この「持つ」と「ある」という2つの様式があることが、
勉強の場合でも言えるな……ということなのです。

勉強する側も勉強を教える側も、
大量生産・大量消費の社会の延長線上で、もっと知識を獲得し、もっと解き方を獲得し、もっと短時間で達成する能力を獲得し、もっと好成績を獲得し、
もっと多くの検定、もっと多くの資格、もっと多くの読んだ本の冊数、もっと低年齢で成果を獲得し、もっと学習時間を増やし、もっと時間を有効活用し、
もっともっと……
と「持つ」ことを求め続けるのが学習と信じられているふしがあります。

でも、歴史を振り返っていくと、
「持つ」ではなく「ある」を大切にして学習が行われていた時期もあるはずなのです。
頭がよく見える証明を得て かしこく見せるために学ぶのではなく、
知識を貪欲に求めて自然にかしこく成長していた時期が。

学んだことを自慢するために学ぶのではなく、学ぶことに喜びを感じて学んでいた時期が。

内面的な能動性によって学ぶことが当たり前だった時代が、
今の教育制度を作ってきたのではないでしょうか?

学力低下の話題が出ると、「内発的動機なんて理想論だ!」と声高に言い切る方々がいるのですが、
「持つ」教育が「ある」教育を圧搾し枯渇させてしまった状況では、
そんな乱暴な言葉がまかり通るのかもしれません。

話を最初に書いていた知人のお子さんのことにもどしますね。
子どもの勉強を見ていると、大人の過保護や過干渉が少ない子は、
すっと「ある様式」の学習に入っていきやすいのです。


「勉強って、あれもこれもそれも……もっともっととゲットしていく作業だ……」と捉えている子と、

「できるようになるのは面白い。勉強は自分を成長させることだ」と捉えている子とでは、

学習時間の長い短いとか、学習内容とかは関係なく、後者の子の方が断然伸びがいいのです。

短時間でもいいので、子どもの意識のスイッチが、内発的動機から出発できるように調整してあげることは、
「足りないから、他国に負けるから、もっともっと知識を!」と子どもを煽るよりずっと効果的に能力を伸ばすことができるのです。
大人たちが勉強させなくてはと熱くなるほど、子どもたちは、
勉強もしていないのに、「やらなきゃいけない雰囲気で頭がいっぱい」「あれもこれもと考えるだけで疲れた」「何もしていないのに何となく忙しい」
とやる気が減退しているのです。

↓過去記事から内発的動機について書いた記事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


『モチベーション3・0』ダニエル・ピンク著 
に、こんな実験が載っていました。

マーク・レッパーとデイビィット・グリーンという心理学者が、
幼稚園児を数日間にわたって観察し、
「自由遊び」の時間に絵を描いて過す子たちを見つけました。
次に、この子どもたちが楽しんでいる活動に対して、
報酬を与えた場合の影響を調べる実験を考案しました。

子どもを3つのグループ

★「賞がもらえることがわかっているグループ」(賞をもらえることを告げられており、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)

★「賞をもらえることを知らないグループ」(賞をもらえることを知らされていないが、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)

★「何ももらえないグループ」

それから、2週間後の自由時間に、幼稚園の先生は紙とフエルトペンを用意しました。
研究者たちが観察していると、「何ももらえないグループ」と「賞をもらえることを知らないグループ」は、
実験前と同じくらい熱心に絵を描いていました。


ところが、「賞がもらえることがわかっているグループ」(賞をもらえることを告げられており、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)は、
実験前より絵に対する興味を大幅に失っていて、絵を描く時間も少なくなっていました。

これは、
報酬が、興味深い仕事を、決まりきった退屈な仕事に変えてしまうため
だと考えられています。
<ソーヤ効果>と呼ばれたりしています。

報酬があることで、内発的動機づけが下がるのです。

遊びが仕事に変わってしまうこともあるのです。
何の見返りも期待せずに、「やりたい気持ち」「好奇心」「やり遂げたことへの感動」から、何かをするとき、
人は、すればするほど意欲が湧いてきます。

しかし、「交換条件つきの報酬」は、自律性を失わせ、
モチベーションのバケツに穴があき、活動の喜びが漏れてしまうのです。

社会人となった大人の場合、やる気がない状態で、報酬のために働くことも
大事でしょうが、
子どもの場合、せっかく生まれ持った「自分で自律的にやる気を感じて物事をしよう」という気もちを、わざわざ低下させる必要はないですよね。

今の時代、通信教材にも、習い事にも、内発的動機づけを低下させる
釣りエサのようなものがたくさん用意されています。
小学校低学年の極端なやる気のなさや、中学生の英語嫌いともつながっているようで
注意が必要だと感じています。

『モチベーション3.0』によると、
具体的な条件つきの報酬は、内的動機づけや創造性を弱めることが多いけれど、
あまり影響を与えない仕事もあるようです。

激しい情熱を呼び起こしたり、深い思考を必要としない作業です。
この場合は、アメが問題にならないどころか、
功を奏する可能性があるそうです。

おそらく音読カードとか、そろばんなどには有効なのだろうと思います。
芸術家たちを調査したときも、注文作品は自主的な作品と比べて、
創造的な面でははるかに劣るけれど、技術面の評価では
両者にちがいはなかったそうです。
長期間にわたって実施された調査では、外的な報酬への関心が、
芸術家としての最終的な成功を妨げるおそれがあるとわかったそうです。

話を戻して、

型通り決まった仕事には、次の3つが、
その取り組み方のヒントなのだそうです。

★その作業が必要だという論理的な根拠をしるす。
★その作業は退屈であると認める。
★参加者のやり方を尊重する。


一方、ひとつひとつの指示を受けて、そのとおりにこなす以上の、
高度な内容が要求される仕事には、
報酬はいっそうの危険が伴うそうです。

虹色教室でも、創造的に深く考える、
好奇心を持って根気よく取り組む、
学ぶことを心から楽しむ
といった特徴をしるす子というのは、
報酬をともなうような学習法と、ほとんど関わりなく生活している子たちです。

うちの子も、大きくなるにつれて、勉強が好きになってきましたが、
幼い頃から、
学ぶことは、自分の気持ちや好奇心を満たすことに直結していて、
ごほうびでつって何かさせるようなことはありませんでした。
ただ、がんばったときに、
お祝いするような形で、何かをしてあげたことはちょくちょく
ありました。
報酬が悪いというより、
目的が報酬になって、それ自体のおもしろさが色あせると
よくないのかな?
と感じています。
報酬を得ない部分への「研究したい」「より知りたい」といった願望は
弱まるように見えます。

私は報酬で子どもに学ばせるより、子どもが好奇心を抱いたことや、
発見したことに、大人が強い関心を寄せ、
子どもの能力を信頼し、よりそれを発展させる手立てをしるしてあげることが大事だと思っています。
子どもは学ぶこと自体に強い愛情を感じます。テストの結果などとは
関係なくても。

「交換条件つき」報酬やその他の外的な報酬は、危険な副作用を
引き起こす可能性があるとされています。
ロシアの経済学者アントン・スボロフは、
「一度交換条件つきの報酬が与えられたら、似たような仕事に
直面したとき、
(従業員、生徒、子ども)側は、再びそれを期待し、(雇い主、教師、親)側は繰り返しそれを利用せざるえなくなる。
この点において、報酬には(麻薬のような)依存性がある」と説明しています。
また報酬への依存は意思決定をゆがめます。

鼻先にぶらさげられたニンジンは、どんな状況においても
悪影響をおよぼすわけではありません。
ただ、短絡的なものの見方を生む短期思考につながるようです。

報酬は思考の幅を狭める傾向があるのです。

さらに外発的動機づけ(具体的な交換条件つきの動機づけ)も
思考を萎縮させるおそれがあります。
遠くにあるものが目にはいらなくなり、
すぐ目の前にあるものしか見えなくなるからです。

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幼児期は、
<自律性>
<熟達>
<目的>
からなる内発的動機づけが
何より大事だな~と実感しています。

モンテッソーリが幼児の秘密として発見したことは、
幼児が絶え間なくこの<自律性><熟達><目的>を目指して
自分から外界に働き続けていく事実だったのです。

一方、発達障害のある子たちにとっては、報酬をはっきりしるして、
しつけや学習をさせることが大事な場合があるのも、
事実だと思います。
ただ、私が発達障害のある子たちと接していて感じるのは、
必ずしも、アメとバツだけが有効な子たちではないということです。
他人に認められること、自力でやり遂げることなどを通して、
報酬なしでも、自己コントロールを学んでいく子は多いのです。

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『ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』 2

2011-02-14 13:18:47 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
『ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』には、
これから成功する人物像のひとつに、

「二つの文化に通じ、ハードな面の知識とソフトな面の知識を兼ね備え、
ときには対立することもある異なる集団の間を外交官さながら如才なく行き来できる人」

が挙げられていました。
異なる文化の橋渡しをして、創造的な何かを生み出していくという仕事は、
海外でだけ必要とされているわけではないな。
同じ日本人同士でも、人の能力と人の能力を橋渡しをする力に秀でた人がいると、
新しい価値がもっと生まれてくるはず……

そう感じたきっかけは、先日、右脳的な特質が今後の成功のカギと書いてあったとつげたときの、「右脳かー!ぼくはどっちかっていうと右脳寄りだし、右脳派を応援したい気はあるよ。でもさ、じゃあ、右脳が大事だって人ばかりでいろいろやり出すと、やっぱり左脳派の人で回っていた時期より悪い状態になって、もとの状態に逆戻りってなるんじゃないかな?」という手厳しい息子の反応からでした。
右脳的なものが大事になると言っても、右脳的なものだけではビジネスは成り立たないのでしょう。(それは『ハイコンセプト 』でも強調されていました。)

デザインに敏感で、共感することができ、物語を生み、遊び心があって、全体の調和を大切にし、「モノ」より「生きがい」に価値を置く

そうした右脳的といわれる特徴を持った平成生まれの子どもたちは、
どこででも見かけます。

うちの子どもたちも、特に娘はそういう資質に優れているように感じます。
娘は自分のそうした資質を軽視しているけれど、
私はその繊細な能力のクオリティーの高さにいつもうなってしまうのです。

しかし、右脳的な特徴を持っていると、飽きっぽかったり、ミスが多かったり、ハングリー精神が弱かったり、
仕事が遊びの範疇から抜け出しにくかったりと
それはそれで社会に通用するわけではないのです。

これまででしたら、社会に出たとたん、そうしたタイプの子の弱さもろとも、
良い右脳的な資質も世の中に叩きつぶされてしまったことでしょう。

それが、『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』  3で取り上げた、「三日月百子(みかづきももこ)」という創業12年で年商28億円の売り上げる300円均一ショップの物河昭社長の

『直感でビビビッと感じて動く女の子たち』と

『大きな売り上げを誇るビジネス』の間に橋をかける知恵のすごさに驚いてしまったのです。

この社長は、まさに右脳的なものだけで考えているような女の子たちに仕入れまで任せているわけですが、そこには、この子たちの弱い部分を補い失敗させない工夫をうまく盛り込んでいるのです。

「仕入れ額はすべて150円、それ以上高くても安くても契約しない」
というルールです。
どこがすごいのかと言うと、右脳で判断する子らは、まさに一瞬見たときの「カワイイ!」のあるなしで、買う買わないを決めています。
そこに深い理由はありません。けれどもそこには今の時代に響くデザインや遊び心といったものを的確に見分ける勘が存在します。

ただ、150円という決まりがあると、無理を言う売り手に若い女の子たちも断る口実ができるし、安い値段設定に気持ちがゆらいで本来の直感的な「カワイイ」が働かなくなることもありません。
右脳的な力だけが突出した子たちも、考えず、感性と感情だけで
仕事ができるようにする社長の工夫なのです。

この社長の知恵に触れて、
「これからは互いに相手の弱点を責め合って、足を引っ張り合う時代ではないんだな。
互いの長所を全面に出して、調和させ、弱点を補い合って新し物を生み出していく時代なんだな」
と感じました。

前々回、『創造的で生産的な何かを生み出す会話って?』という記事を書いたので、過去記事から、会話から新しい創造的なものが生まれてきた出来事を見つけてきました。↓
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わが子が、小学生だった頃、
もっとも大切にしていたのは、
ワークをさせることより、何かを教えるよりも、
まずよく「会話をする」ことでした。

マンガを読んだり、
テレビゲームをしたり…子供たちは自由に過すことが多かったので、
していることの質はどうか…???
というと実に怪しい時もありました。
しかし、子どもが、「どうかなぁ…?」
と思う遊びに傾倒しているときも、
その内容について、親子で深い部分まで掘り下げて
討論するようにすると、
それはそれで、子どもにとって、
すばらしい成長をもたらしてくれたように思います。

小学校中学年頃、
娘の場合、きちんと机に向かうことも多かったのですが、
息子はとにかくゲームをすることが好きで、
今日のところは勉強には目をつむっておこう…
という日も よくありました。

そこで、ワークをさせるかわりに、
息子の大好きなゲームについて語り合ったり、
調べたりしました。

当時、私は、娘や息子の言葉をできるだけそのまま
記録して残しておきたいという思いがありました。
そこで、日々の出来事や家族会議の様子を
会話を中心に書き残していました。(原稿用紙にして何百枚…)

その頃は、あまり深く考えずしていたのですが、
今になると,その時期その時期の 心や知能の成長の記録として
大切な宝物になっています。
乳幼児さんも写真だけでなく、おしゃべりも記録しておいてあげてくださいね。

それで、この調べ学習というのも、
息子と私が、ひとつの疑問について会話を膨らませていった
過程の記録が中心になっています。

息子が小4の時の家族の会話です。

家族でゲームをしているとき、
息子が、どうして将棋ばんは、9×9マスなのか?
ということに疑問を持ちました。

息子 「チェスもオセロも8×8マスなのに、どうして…
将棋はなんで…9なんて2つに割れない中途半端なマス目をしているんだろう?
戦うとしたら、領土がきちんと半分ずつ分かれた方がいいんじゃないかな?
不思議だ。」

母「もしかして他の国の領土に侵入していくような戦い方を
する人々と、決闘場をもうけて戦ったとか?
将棋がどうやって生まれたか知りたいわ。」

父「奇数っていうのは、覚えやすいからだよ。きっと。」

息子「覚えやすいって?」

父「将棋のこまの位置を暗記して、頭で動かすとき、
偶数より奇数の方がごちゃごちゃになりにくいと思うよ。」

  数日後 なにやらひらめいた息子

息子「9は3で割り切れる数でしょ。
自分の陣地、相手の陣地、中心の戦いの場が、まったく同じになるんだよ。
それから、オセロが64マスなのは、
こうじゃないかと思うんだ。
オセロは黒と白の多さで決着するから、マスは偶数でなくちゃいけない。
でも100マスでは多すぎる。
次に小さいマス(でちょうど良いのは…)は8×8の64なんだ。」

父「それは、おもしろいアイデアだ。」

母「本当によく思いついたね。
うちの家族は、推測したり仮説を立てたりするのは好きだけど…
そう、実験するのもすきだよね。
でも、きちんと理由をたしかめて、くわしく調べることはめったになかったでしょ。
今度、図書館を使った「調べる」学習賞コンクールって
いうのがあるらしいから、納得がいくまで調べてみない?」

息子「ぼくは、ずっと前からさいころがなぜ6までなのか、トランプがどうして52枚なのかと不思議に思ってきたし…
ゲームと数の秘密について、もっと知りたくなった。
チャレンジしてみるよ。」

…という会話からスタートした、調べ学習でした。

で、調べる段になって
息子「ぼくの考えは仮説だから、本当のことをしらべてみなくちゃってお母さんは言うけど、本にのってることも仮説の場合があるんでしょ。
いろんな人が、いろんな別の仮説を立てている場合とか…。
大昔のことなんて実際見た人いないんだもん。」

母「でも、思いつきの仮説とたくさんの事実にもとづく仮説は、別物よ。」

息子「ぼくさ、さいころってだれがつくったか不明だと思うよ。
昔の人が、石ころころがして表とか裏とかしていて、自然にさいころになったのかも。
だから、本当に作った人とかいるのかな?」

…つづく。
こんな風に、小学校時代は、勉強させるより、
いっしょに会話を楽しむことが多かったです♪
今になると、かなりプラスになっている気がします。
調べ学習のヒントになるかと思うので、少し続きを書きますね。

息子といっしょに調べ学習をする時、私たちは、
本を見て表にまとめるのではなくて、
最初に「表の枠」を作って、
あとから本を調べながら整理していきました。

そうすると、表に空白ができて、きれいに仕上げることは、できません。
いくら調べても、資料がないことも多いからです。

しかし、その空白が好奇心を刺激し、
たくさんの本に接する機会を作ってくれました。
もしこれが、すぐれた資料を
ただ整理し、要約する形でまとめていたら、
調べが、わくわくする体験にならなかったのではないでしょうか?

はじめに、インドの象棋(しょう棋は、インドで生まれたそう。ただ、日本では
象に乗って戦う習慣がないので、当て字の将がつかわれたのだとか…。)
チェス
中国象棋
日本の将棋
のマスの数、図、ルール、ルーツ、特徴について、
表にまとめました。

そこで、息子が驚いたのは、9×9マスは、
日本人が考えたとばかり思っていたのに、
子ども用の中国象棋で7×9マスの写真を見つけたことでした。

息子との会話の中で、
東洋的な考え方から、マスに奇数のアイデアがもたらされたのではないか?
という新しい仮説が生まれました。
東洋の過去の「家」制度からいっても、
チェスのように女王が戦場に出てくるゲームは受け入れられなかったのでしょうか?

つまり、チェスのようなゲームから、
女王が除かれて 奇数になったのか…??

そう考えるうち、何時代に将棋や囲碁が日本に入ってきて、
どのように遊ばれていたかを調べないと、
こんがらがってきました。

そこで、息子は、はじめて「歴史年表作り」にチャレンジしました。

そうして進んだ調べ学習は、
さいころのなぞに取り掛かり始めたとき
最高にわくわくするものになりました。

当時の息子の作文です。

「さいころのすごいなぞ」 4年○組○○○○

図書館でとりよせてもらった本は大人向けの専門の本だった。
けれどびっくりするような写真がいっぱい載っていて、ぼくは夢中になった。
一番驚いたのは、紀元前8世紀のアッシリアのさいころ。
他の資料では、ずっと、後になっても、
ぼうの形や動物の骨のさいころを使っているのに、
なぜかこんな昔に立方体のさいころが。
おまけに絵のさいころじゃなくて、今とおなじ玉の数を
あらわしている。
写真をじっと見ていたら、横の面に大きな穴のようなものが見える。
なんだろう。
「この数なんだろう。」とお母さんが言ったので、
ぼくは急いで自分のさいころを持ってきて、
面と面をくらべてみた。
4のはずだ。
でも、穴はひとつみたいだけど。
「昔のサイコロは、今とおなじ玉の位置とは限らないよ。」と
お姉ちゃんが言った。
ぼくは、さいころのなぞを考えるのが、おもしろくておもしろくて、
こういうことを調べる学者さんになりたい、
と思ったくらいだった。
でも前からなりたかったゲームをつくる人になる夢も捨てがたい
ので、「将来はゲームをつくる人になって、
参考のために、そのなぞを調べたりする人になりたい。」と言った。



うちの息子は、何をするにも、たらたらぐずぐすする性格で、
宿題に取り掛かるのも、明日の準備をするのも、とにかく
あとまわし…。
ねころがってゲームの攻略本を何時間も眺めていたり、
休みになると食事に帰るのも忘れて遊びほうけていたりしました。
1つくらいは習い事をさせたいと思っていたのですが、小学校の6年間、
頑固に拒絶して、何もせず…。
それでも、こうした作業をいっしょにしてみると、
そうした子の中に広がるイマジネーション溢れる世界に触れたような
心地がしました。
それぞれの子に、それぞれの個性…わが子もその通りです。
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『ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』 1

2011-02-14 08:44:39 | 日々思うこと 雑感
ここで紹介するような話は幼児を育てている親御さんには、遠過ぎて興味が湧かない内容かもしれません。でも、子どもたちが成長して社会に出て行く年齢になるまで、今の時代は今の時代のままではありません。

うちの子が幼かったころには周囲の裕福なお宅の親御さんは、
「子どもは歯医者にするか、薬剤師の免許さえ取らせてあげたら、一生安泰で食べていける。
今いくら教育費がかかったとしても、遊び時間を削ったとしても、
このどちらかの道に進めるよう何でもする」とおっしゃっていました。
それが、その子たちが社会にでる今となって、人気の職業だったどちらも
なり手が多すぎて十分な収入がないという方々もけっこういるのです。

ですから、まだ子どもが幼くても、社会の将来に向けて、少しだけ興味のアンテナを向けておくことは、とても大事なことだと思っているのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』
ダニエル・ピンク 大前研一(訳)  三笠書房

には、日本人がこれから一番身につけなければならない
★「右脳を生かした全体的な思考能力」
★「新しいものを発想していく能力」
と、
★その実現の可能性を検証する左脳の役割

などについてわかりやすくまとめられています。

この著書が、これまでの時代を象徴する能力、すなわち「情報の時代」を引っ張ってきた「左脳的」能力は、今日も必要だが、それだけでは十分ではない。
これまで軽視されてきた創作力や共感、喜びといった「右脳的」な特質が重要になるとと主張している理由は次の3つです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●過剰な豊かさ

「左脳主義的思考」によって生じた豊かさ(多くの人が車、電化製品、多様な物を所有している)は、その重要性や価値をさげ、手ごろな価格で十分な機能が備わっているだけでは売れない時代となった。
それほど合理的ではなく、右脳的感覚に訴えるもの、つまり美しさや精神性、感情といったものに、より大きな価値が見出されるようになった。

●アジア

高校でよい成績を修め、有名大学でエンジニアリングかコンピューター・サイエンスの学位を所得し、ソフトウェア企業で働き、銀行や航空会社向けのコンピュータ・プログラミングを開発しているインドで働く人々は、年収160万円に満たない年収で働いています。
こうしたインド各地やフィリピン、中国などで同様の職業についている人々が、北アメリカやヨーロッパのソフトエンジニアや左脳的職業につく人を大いに脅かしています。

アウトソーシング(間接業務の国境を越えた委託)問題は、
今日のナレッジワーカー(ドラッカーの言葉で、学校で学んだ知識を生かして収入を得ている人々のこと)たちに、「業務を処理すること」「人間関係を結ぶこと」「ルーチンワークをこなすこと」よりも、
「斬新な課題に取り組むこと」、「全体像をまとめあげること」といった「右脳主導型」の能力を活かすよう課題を示しています。

●オートメーション

典型的な左脳思考型の3つの職業、コンピューター・プログラマー、医師、弁護士について考えてみる。

イギリスの小さな会社が、ソフトウェアを書くことのできるソフトウェア開発し、一般的なプログラマーが一日にする仕事を、1秒で仕上げてしまうようになった。単純作業は機械がやることになるので、エンジニアやプログラマーは、「処理能力」より「創造力」、「技術マニュアルで得られる知識」より「潜在的知識」、「細かい部分にこだわること」より「大きな全体像を描く脳力」がますます求められるようになった。

オートメーションによって医師の仕事も変わりつつある。一連のデンジョンツリー
(「乾いた咳か、たんのからむ咳か?」「T細胞の数は標準以下か?以上か?」など)をたどることで病気を診断する手法が使われてきた。
二者択一ロジックのデンジョンツリーなら、コンピューターは人間が足元にも及ばないほどの速さと精度で処理できる。そこで患者がコンピューター画面の問いに答えていくだけで、医師がいなくても予備診断を下せるソフトウェアやオンラインプログラムが登場してきたのである。

同時に近年、医療健康関連の電子情報データーバンクが飛躍的に増えてきている。
こうした技術の発展によって、医療活動の中で、定型的で分析的で情報に基づいた作業から、患者と共感し、語り合う医療や全体的なケアへ移行しつつある。

同じパターンは法曹界にもあらわれている。
海外のあるウェブサイトでは、安い金額で離婚にかかる手続きを処理してもらえる。こうした変革に生き残れる弁護士というのは、非常に複雑な問題に取り組むことができるデーターベースやソフトウェアにはできない仕事をこなせる人である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『ハイコンセプト』の中で語られていることは、けっしてオーバーな妄想などでなく、すぐ目の前に迫ってきている現実なのだと思います。

次回に続きます。


0~3歳、3~7歳、7~10歳の脳のために良い子どもへの働きかけ方

2011-02-13 19:46:44 | 幼児教育の基本

日本大学医学部教授、マイアミ大学脳神経外科生涯臨床教授などを経て、
06年から日本大学総合科学研究科教授をしておられる林成之氏の著書
『子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!』(幻冬舎新書)に、
0~3歳、3~7歳、7~10歳以降の脳のために良い子どもへの働きかけ方が載っていました。
簡単にまとめて紹介しますね。(読みやすい本ですから、ぜひ著書を読まれることをおすすめします)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
0~3歳は、脳の細胞が増え続ける時期で、未熟な脳に負担をかける知識の詰め込みはNG。
将来的に才能が伸びなくなる原因を作ります。
理解力や思考力、記憶力を存分に発揮するための最初のかぎは、「興味を持ち、好きになり、感動すること」です。
人間の脳が「好きになる力」をつけるのに大きな役割を果たしているのが、お母さんの役割です。

3~7歳は、不要な脳の細胞が死んでいく「間引き」の時期。
脳神経回路網は、間引きが適切に行われるほどほどよく発達し、「勉強やスポーツのできる脳」の基礎固めを目指します。
適切に「間引き」し、脳神経伝達回路網のベースをしっかり作ることが重要なので、知識やテクニックを教え込む時期ではないのです。

この時期は、脳の機能や本能、心を鍛える際の妨げとなる「脳に悪い習慣」をやめることが大切です。

「脳に悪い習慣」

★物事に興味が持てない 感動しない

子どもが「面白くない」つまらない」「そんなのどうでもいい」などとしょっちゅう口にしていたら要注意。
興味や感動は、脳をしっかり働かせるためのかぎです。


★無理、できない、大変など否定的な言葉を使う

子どもの口から否定的な言葉が出るのは、楽をしたい、失敗したくないといった自己保存の法則が働いているから。
否定後が脳に及ぼす影響は、とても大きく、すべてA10神経群が情報にマイナスのレッテルを貼る作用があるので、口にするだけで脳の理解力や思考力が落ちます。

★よく「後でやるよ」と言う
★集中できず、途中で違うことを考える
★だいたいできたところでやめる
★人の話を聞き流す
★人をバカにする 尊敬できない
★学んだことを確認しない
★自分が失敗したことを素直に言えない
★損得を考えて手を抜く


7歳~10歳以降の勉強は、自主的に勉強させることが大切です。

この時期、子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけないそうです。
子どもを思えばこそ出る「勉強しなさい」。でも、「勉強しなさい」は封印しなくてはなりません。
特にある程度発達した子どもの脳にとっては、このような指示・命令は ”百害あって一利なし”だからです。
もちろんただ放っておけばいいわけでもありません。
自己報酬神経群の機能を高めつつ、うまく子どもを導くためには、「よい質問を投げること」が有効です。
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