虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

名古屋ワークショップにいらしていただく方の発表です♪

2011-03-26 18:32:28 | 生徒募集 イベント参加募集
名古屋ワークショップにいらしていただく方の発表です♪
これまでボランティアで参加していただいた方と、
これまで何度か応募したけれど抽選で漏れてしまったという方を優先して
います。


くーままさん
悠さん
おにまんさん
ひなママさん
しおんさん
よきままさん
canakoさん
tomoさん
satomiさん
lapinさん
ケントのママさん
ちびまる子さん
ひいらぎさん
さくらんぼさん
なっちゃんさん
jyurikuさん

この記事のコメント欄にメールの宛先と電話番号をお願いします。
非公開で見させていただいて、
1週間以内にメールを送らせていただきます。

今回も大人だけで参加していただくボランティアを募集しています。
(ワークショップがはじまる前と終了時に後片付けの手伝いを少ししていただきます。
それ以外の時間は、自由に制作したり、学んだりしていただけます。
参加無料です。)


子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 (5,6歳児) 4

2011-03-25 19:26:26 | 日々思うこと 雑感
見える尺度、見えにくい尺度という見方は、
就学前の5歳児、6歳児にとっても大切なことだと思います。

今日はもうすぐ1年生になる☆くんのレッスンでした。


ぴぐまりおん(1、2年生)というワークで、
ビンゴカードを使った問題を解いていた☆くんが、
「たて よこ ななめのどれか一列がそろったら勝ち」
というルールを知らなかったので、
シークエンスというビンゴに似たルールのゲームを教えました。

すると、☆くんはゲームが難しい局面に入って、よく考えないと負けてしまうようなヒヤヒヤした勝負になるたびに大はしゃぎ。
「もう1回やりたい!もう一回!」と何度も言ってました。


他のゲームでも、すばやく見分けたり、
集めたカードを数えたりすることに
とても熱心でした。
このゲームでも、「もう1回!」「もう1回」と何度繰り返しても飽きない様子でした。
横で2歳半の弟くんが、カードを出すお手伝い中。

☆くんはこれまで、絵を描いたり、
ブロック遊びをしたりするのは好きだけれど、
頭を使ってじっくり考えるような遊びを嫌がるところがありました。

☆くんのお母さんは、ちょっぴりマイペースな☆くんが、
その時期、その時期、夢中になることに付き合ってきました。
すると、最近になって、
「頭を使うことがとにかく面白くってしょうがない」
「すばやく情報を処理すること、記憶すること、数字を扱うことが楽しくてしょうがない」という姿が見られるようになってきました。

根気良く何度も繰り返す
達成する
自分の力を限界まで使う
とにかく頭を使う

ということが楽しくて楽しくてたまらない時期に突入したようなのです。

自然な発達を大切にされてきた5,6歳児は、
就学前になると、
『自分の意志の力やねばり強さを極限まで使いきる』
ことに熱心になってきます。
そのあらわれ方は子どもの個性や好みによってちがって、
折り紙やあやとりでその力を洗練させる子もいるし、
カルタやなぞなぞでがんばる子もいます。
スポーツでその力を発揮する子もいるし、
ボードゲームや図形パズルに夢中になる子もいます。

幼児の場合、
やる気や根気のような力は、
学習を習慣付けることで身につくものではなくて、
子どもの内面で、そうした成長がとても敏感になるときに、
自分がやりたいと思うものに全力で取り組む中で育ってきます。


↑は☆くんがやりたがった『地層』作り。
他のグループの子たちの作品を見て、作りたくなりました。
真剣に制作する☆くん。
幼い頃から、「自分の好きなこと」を大切にしてもらってきたので、
何をするにも、ひとつひとつの作業に心から愛情を込めて行います。
落ち着いて全てをやり遂げた後で、満足そうな満面の笑みを浮かべていました。

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子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 3

2011-03-24 23:15:51 | 幼児教育の基本

2歳までに、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という
信頼感を育てるなんて、すごく難しいんじゃないかな?

まだ ろくにしゃべれないような子どもたちの気持ちを
きちんと受け止めるなんて本当にできるの?

現代の親じゃなくたって、
赤ちゃんの気持ちをきちんと察するなんてできなかったんじゃない?

と思った方がいるかもしれないので、
もう少し補足しておきますね。

『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という信頼感を育てるために
「大人は子どものサインを読みまちがえちゃいけない」
「いつも真剣に子どもの相手をしなくちゃいけない」ということは
ありません。

ちょっと適当でゆるいくらいの育児で、
そうした信頼感は育っていくように感じています。

話が遠回りになりますが、
先日、これまでの宮崎アニメの歩みを紹介するテレビ番組をしていました。
『ハイジ』というアニメでは、
「不安を感じている」
「だんだん打ち解けてきている」
「いきいきとした喜びが湧いてきている」
といった心の変化を、
少女ハイジの一瞬の笑みや表情で表現していてすばらしかったです。

アニメの中でこうした表現をしようとすると、
才能のある大人が、ああでもないこうでもないと頭を絞って
そのシーンを作るわけですが、

現実の赤ちゃんや幼児は、誰に習ったわけでもないのに、
あらゆる瞬間に、
その場に応じた自分の気持ちや思いを、
身振りや表情やしゃべれる語彙で、
適切に発信しているのですからすごいですよね。

でも、この『ハイジ』にしても、制作者がどんなに緻密な計算のもとで、
一シーン、一シーンを作っていたところで、

見る側の人が、
「これを見たらどんな得になるのかしら? 英語がマスターできる? 賢くなる?」とか
「このストーリーならもう知っているわ。歩けなかった女の子が歩くようになる話よね」

といった先入観を抱いて、表面だけサラッと見たとしたら、
ハイジの微細な気持ちの変化は、見る人に伝わらないのではないでしょうか?

大人には伝わりにくいハイジの気持ちは、
夢中になってアニメを見ている子どもには、きちんと伝わっている場合がよくあります。
子どもは主人公といっしょになって、ドキドキしたり、喜んだり、
悲しくなったりしますから。


年の近いお兄ちゃんお姉ちゃんがいる二人目ちゃんは、
コミュニケーションを取るのが上手で、
環境から新しい知識を学び取ろうとアンテナをしっかり張っている子が多いです。
親からすると幼いお兄ちゃんお姉ちゃんの赤ちゃんへの接し方を見ると
ひやひやすることもあるでしょうが、
実際には、子どもが子どもに接する場合、自然でどちらも成長できるような
関わり方をしているものです。

子どもは、相手がしゃべることができない赤ちゃんだからといって、
大人のように『良い接し方』をしようと 情報をいっぱい頭に詰め込んで、
一方通行のコミュニケーションを取ったりしないのです。
赤ちゃんが発するものを素直に受け止めて、
わからなければ、「なあに?なあに?」と受け取ろうとする努力をします。

たとえ、自分の思いがうまく伝わっていなくても、
「何を言いたいのかな?」と聞き取ろうと努力してもらううち、
赤ちゃんは今度は大人の伝えることを全身全霊で聞いて、
よくわからないことも、わかろうとしようとする態度を身に付けていきます。
自分にしてもらったことを
そのまま模倣するのです。

現在、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という
赤ちゃんの信頼感が育ちにくい理由として、

完璧でしつけが行き届いた育児がしたい

という大人の思いがあります。
「赤ちゃんの要求に応えてばかりじゃ、わがままな子になるのでは?」
という不安がブレーキになって、
赤ちゃんの発信するものをきちんと受け取れなくなっている場合があるのです。

でも、最初から「完璧でしつけが行き届いた育児がしたい」
と張り切ると、必ずといっていいほど失敗に終わります。

なぜなら、赤ちゃんが
大人の指示にきちんと従うことができるようになるには、
その前に、
自分が発信したことに、たっぷり十分すぎるほど
応えてもらう必要があるからです。

早期教育が弊害になるのは、こういうときです。
早期教育のマニュアルにそっていろんなことを赤ちゃんにしているとき、
大人が子どもにたくさん要求していて、
(ちゃんと教材を見てほしい、マニュアル通り成長してほしい、喜んで学習してほしい、習い事でよい子にしてほしいなど)
子どもからの発信を受け取るのは
すっかりお留守になっていることがあるのです。

大人の発信を赤ちゃんに受け取ってもらうのでなくて、
赤ちゃんの発信を大人が受け取るのが先だということを
忘れてはいけません。

虹色教室にいらっしゃる親御さんの場合、
早期教育のマニュアルで接したり、しつけを徹底したりするより、
赤ちゃんが可愛くてたまらなくて、
とにかく子どもの要求を何でも聞いてあげようと一生懸命な方が多いです。

けれども、子どもの要求に応えているつもりなのに、
大人が自分がしてあげたい甘やかしを押し付けているだけで、
赤ちゃんの望んでいることから
ずいぶんかけ離れている場合もよくあります。

ひとことで簡単に説明できそうにないので、
赤ちゃんがどんなことを望んでいて、
どんなことを望んでいないのかといった話は
また次の機会に、くわしく書いていきますね。


子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 2

2011-03-24 19:50:02 | 日々思うこと 雑感
前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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『今、その子の成長にとって最も大切なことをスルーしてしまう』
早期教育で、非常に見落とされてるところだと感じます。
娘が通っている工作教室に、娘よりも2つ年上の男の子がいるのですが、インターナショナルスクールに通う子で、早期教育に熱心な親子さんです。
でも、画用紙があっても、グチャグチャとペンを走らせるか、関係のない文字や数字をひたすら描いたりします。
自分から、描きたい作りたいって欲求が全くなくて、大人に評価されることを嫌がってグチャグチャにしてしまうという行動に見えます。
遊び方も、2歳の娘と同じような感覚的な遊びを好み、非常に幼さを感じるのです。
必要な時期に必要な遊び、内面的な発達が阻害されてきたのかな~と、思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『自分から発する要求がない』
『評価されることを嫌がって、いい加減な行動をとる』
という姿は、
早期教育の結果というだけでなく、
現代の誤った0~3歳の子に対する接し方によって
とても多くの子たちが陥っている姿だと思います。

また私が気にかけているのは、
『声をかけても聞こえていないようにスルーすることが多い』
『言葉を発するとき、伝えたいイメージをほとんど持っていない』
『興味を抱いて集中して物を見ない』
『意欲が乏しく遊びが発展しない』
『遊びの中で表現される体験の幅が狭い』
という3~4歳の子の様子です。

発達障害の疑いはなさそうだけど、
そうした気がかりな態度を示すという子は、
早期教育のマニュアルにそった接し方をされていた子が多いです。

子どもが意欲的で自分でよく考え、
大人の話にしっかり耳を傾けて、集中して物事を行うようになるには、
3歳までの大人の接し方がとても大切だと感じています。

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先日、1歳7ヶ月の男の子の★くんと、同じ月齢の女の子の☆ちゃんが
レッスンに来ていました。
☆ちゃんはおしゃべりはまだ片言だとはいえ、
身振りや表情を使って、さまざまなことを☆ちゃんのお母さんに訴えかけていました。
☆ちゃんにお母さんが話しかけると、
即座に、「うん」「ううん、いや」とはっきりした反応が返ってきて、
自分はどんな風にしたいのかと
伝えようとしはじめます。
いちごケーキのおもちゃに自分でいちごを乗せた後で、
それを小さなテーブルに乗せて
自分のひざの上に乗せたいということを、懸命に伝えようとしていました。

☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんの言葉がまだ片言でも、
表情や身振りやお母さんのしたことに対するフィードバックを
きちんと受け取って、
「こうかな?」「ああかな?」と大きな子に対するように
きちんと返事をしています。
すると、☆ちゃんも自分の伝えたいことを次から次へと表現して、
自分の記憶の中のイメージや見たこと、こうしたいと思っていることなどを
説明しようとしていました。



そうした☆ちゃんに対して、
★くんはお母さんから声をかけられても知らんふりして、
無言で電車のおもちゃを動かしていたり、おもちゃの果物をポンポン投げたりしていました。
その様子を見ていた私は、
★くんのお母さんが「語りかけなくちゃ」「名前を教えなくちゃ」と
良い育児をすることに気を取られているので、
★くんが発信しているさまざまな思いをきちんと受け取っていないことが原因ではないかと感じました。

それで、私が「★くんはこういうことを考えているのかな?」と察しながら、
★くんに声をかけると、真剣にこちらの言うことを聞いていて、
少しすると、「うん」とこっくりしたり、「いや、だめ!」と言ったりして、
自分の気持ちをちゃんと伝えるようになってきました。

たとえば、おもちゃの電車を片づけるときも、
★くんにすれば、「これとこれは片づけても良いけど、こっちの電車は
まだ置いておいて、後で遊びたい」といった気持があって、
それについてたずねると、ちゃんと身振りでそれを説明するのです。

また、電車を持ち上げて「あっあっ」と指さしているときも、
その時その時で、「これは連結できるの?」とか、
「この電車はビューッと走るよ。ぼくはビューッとできるよ」とか、
「この電車、前に見たことがあるね」とか
ちゃんと伝えたいことがあるのです。

それを適当に「それはドクターイエロー!」「それは新幹線!」と、
大人が教えたい名前を言うとか、
英語育児をしているからと
英語で名前を教えるといったことを繰り返していると、
子どもは人とコミュニケーションを取ることに無関心になっていきます。
コミュニケーションへの関心が薄くなると、
外の世界から何か学び取ろうとする強い意志が見えにくくなってきます。

★くんは電車を遠くまで滑らすことに夢中になっています。
それで、電車がスーッと気持よく遠くまで行ったときに、
「見て!すごいでしょ!」という表情でお母さんを見上げて、電車を指差します。
そのときに、お母さんの答えが、電車の名前ばかりでは、
きちんと自分の気持ちが伝わったという満足感は得られませんよね。
そこで私が★くんが興味を持っていると思われる内容で話しかけると、
★くんは集中してこちらの話を聞いて、どの質問にも、
きちんと返事を返してきました。
その様子を見た★くんのお母さんは、
赤ちゃんだと思っていた★くんが
そんなにもきちんと物事を理解していたことに驚いておられました。

このように2歳に満たない子たちの場合、
コミュニケーションの取り方に少し気がかりなところがあっても、
大人側が修正すれば、すぐに気がかりな点は消えてしまいます。

しかし、3歳前後になって、
それまでに悪いコミュニケーションの仕方を身につけてしまった子の場合、修正していくのはなかなか難しいです。

ひとつの基準として、
2歳までに、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という
信頼感が育っているかどうかが
とても大切だと感じています。
また、『自分で選んですることに自信を持っている』ことも大事です。

大人が四六時中、「こうしてごらん」「ああしてごらん」と声をかけて、
子どもはその指示で動くのでは、
何歳の子でも 自分で選んですることに自信を持つことができません。
失敗するたびに、正しい方法というのを口出しされるのも、
自信を失う一因です。

幼い子たちは、たくさんまちがう権利を保障してもらって、
まちがいから自分で正しい方法に気づくとき、
自分の能力に自信を持ち始めます。

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子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 1

2011-03-24 13:09:01 | 日々思うこと 雑感
0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 1
0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 2
の記事に次のようなコメントをいただきました。
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今回の内面的な敏感期?のお話、とても勉強になりました。今までは目で見て分かるような敏感期にばかりとらわれていたように思います。推測する力を伸ばしたい時期があるという発想は新鮮でした。
息子も何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、飽きもせずやり続けているので、何か伸ばしたい内面的なものがあるのかもしれませんね。そういった視点から息子を見てみると新たな発見がありそうで楽しみです。
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『何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、飽きもせずやり続けている』
のは、
自分とは他の人の心の動きや視線に気づきはじめる時期に
よくするように思います。

そのためか他者の情動を推測するのが苦手な自閉症スペクトラムの幼い子たちが、こうした遊びを喜ぶ姿はあまり見かけないのです。

(けれど、小学生前後の自閉症スペクトラムの子の中には、
こうした遊びを繰り返したがる子がいるように思います)

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↑の写真は今年、年長さんになる子たちのグループレッスンでのひとこまです。
『うちのタマ知りませんか?』というボードゲームをしています。
段ボールに入れられて捨てられたタマを探しに行くゲームです。

「自分ひとりだけ段ボールの中を確かめることができる」というカードを引いた☆ちゃんが、そっと段ボールの中をのぞいて、
「タマだったの?」というみんなの視線が集中する中で、
「タマじゃないよ~」と言いながら笑っているところです。
(本当はタマなのですが、嘘をついて、みんなに気づかれないようにタマを救いにいかなくてはならないのです)


このゲーム、言葉の上でも表情でも、みんなをだまして嘘をついて、
自分が有利になるように自分だけの秘密や
自分だけの記憶を保たなくてはなりません。

そのため、このゲームを本当に楽しむには、
複雑な他者の思いを理解できる準備が
できていなくてはならないのです。

男の子たちのグループだと、
こうした心理面での複雑なやりとりを面白がるのは
もっと月齢が上がってからかもしれません。
女の子たちは、とにかくおませです。


『自分が目にしているものを、
他の人からは見えないことを理解した上で、
自分がそれについて言葉で表現することで、
それが見えていない他者の心は、
自分の言葉を信じて真実と異なることを想像する。』

他者の心の動きに敏感になる時期の子たちは、
そうした体験をものすごく面白がります。
相手の表情を読んでは、ゲラゲラ笑い転げて、何度も繰りかえそうとします。

いただいたコメントにあった『物を隠して探させる』遊びの場合、
このゲームを楽しんでいる年長さんたちよりもう少し単純な

『他者の心が、目の動きやびっくりする表情で「見える」こと』
が面白くてしかたがない時期なのでしょう。


何気ない日常の暮らしの中で、
幼児の心は外からは見えにくい尺度で
進歩し続けています。


たくさんの乳幼児と接していて感じるのは、
体系化された早期教育や子育て情報の影響で、
幼児を 外から見える『ものさし』で測定しつつ育てることの弊害です。

外から評価できる尺度をあてて躍起になって子育てすると、
気がつかない間に、
子どもの内面で敏感になっているものを
無視したり、壊したり、つぶしたりすることが
起こりがちなのです。

早期教育の全てに、害があるというわけではありません。

外側に作られた尺度に気を取られるあまり、
子どもの内側から発信されてくる

『今、その子の成長にとって最も大切なこと』をスルーしてしまう

ことが、問題なのです。

このことは次回、もう少しくわしく
(2歳まで、3歳まで……という時期、
その後の成長に欠かすことができない内面の発達について)
書かせていただきますね。


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マヤ文明で生まれたピラミッド と 魔物語

2011-03-24 09:40:00 | 工作 ワークショップ
今年4年生になる★くんの作品。

『城のピラミッド』

城のピラミッドは、マヤ人によって作られたマヤ文明の遺跡です。
★くんがこのピラミッドを作ったきっかけは、遺跡の本でマヤ人たちが恐怖のサッカーをしていたことを知ったことです。
勝った側が生贄になったとも、負けた側が生贄になったともいわれている恐怖のサッカー。
サッカー好きの★くんに興味をそそったようです。

実は、この城のピラミッド作りは2度目のチャレンジ。
赤いブロックが足りなくなって、前のチャレンジでは、思うような作品ができなかったのです。
そこで、今回は内部を別の色で作り、ピラミッドの段差を緻密に計算して作りました。

なかなかの出来で、★くん、大満足。



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今年2年生になる子たちのグループでは、
100匹の猿たちを閉じ込める巨大な牢屋を作り、悪い博士が恐怖の実験を繰り返す
悪魔の島の物語を作っていました。
即席のストーリーを演じて遊んでいるので、
「何の話?」とたずねると、
「悪物語!」
「魔物語!」という怒鳴り声が(声も恐ろしく演出しています)返ってきました。


シングルフォーカスの特性を持つ子どもへの指導の仕方

2011-03-23 12:53:15 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
シングルフォーカス と  学習困難  人間関係
の記事に『“シングルフォーカスの特性を持つ子どもへの指導の仕方”を教えてください』というコメントをいただきました。
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★狭い細部に強く注目してしまう

★次の活動に切り替えられない

★全体の結びつきを理解しにくい

★聞くと書く 足と手 など同時にふたつのことを処理できない (不器用)
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といったシングルフォーカスの特性を持っている子に学習を教えていると、
「手を変え品を変えして説明しても聞いているのかすらわからない」
「頑固なほどに物分りが悪い」
という場面にぶつかることがあります。

その姿から、「この子はやる気がない」「他人の話を聞こうとしない」とか、
「この子は全然できない」「わかっていない」と決め付けてしまう方がいます。

ちょっと注意が必要なのは、
同じひとりの子が、シングルフォーカスに陥って、とても視野が狭くなっている時と、そうではない時で、
理解力や思考力に大きな開きがある場合が多いことです。

まるで頭がフリーズしてしまったように
「わからない!わからない!」と言い張るようなときは、
いったん学習を終わらせて、別の機会にそれまでとは違うアプローチで
説明すると、すんなり理解することがよくあります。

シングルフォーカスに陥りやすい子は、負のイメージを持った記憶を
いつまでも保っていて、
前のときにわからなかったものを
もう一度同じ方法で教えようとすると、
一瞥しただけで考えようともせずに「わからない!」と
決め付けることがあります。
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上の2枚の色板は、アスペルガー症候群のもうすぐ4年生の☆ちゃんの学習で使っていたものです。

この子は、とても記憶力が良いのですが、
前に覚えた知識に固執するあまり、新しい概念を学んでもそれを受け入れることができないことがよくあります。

たとえば、1の線分を10に分けたうちのひとつが10分の1だと習うと、
次にそれが 0.1 でもあると聞いたとたん、

「10分の1と 0.1 のどちらが正しいのかわからないから、全部ちんぷんかんぷんになってしまった」

という事態に陥ってしまうのです。

☆ちゃんが今、悩んでいるのは、はかりの読み方です。
☆ちゃんはどの量りも、時計のように、この位置ならこの重さという
決まった答えがあると思っています。
でも良く似ていても、時計とはかりは大違い。
同じひとつの目盛りに見えるものが、あるときはひと目盛り1グラムで、あるときは2グラム、あるときは5グラムと読み方が変わります。

そうした説明をいくら受けても、☆ちゃんは
最初の自分の思い込みにしがみつくばかりです。

そういうときには、教科書やプリントから離れて、
手で操作できるものを準備することが大事です。

写真の色板を見せて、「ここからここまでが10のとき、半分のこの位置はいくつかな?」とたずねてみると、
☆ちゃんは首をかしげています。
ここからここまでがどれだけの大きさかということから遡って、
半分だったらそれがいくつになるかわからないとすると、
はかりを読むのは難しかったはずです。
まず、こうしたシンプルな教具で、

10本色板を並べて、「ここからここまでが100グラムのとき、ここは何グラムかな?」とか、
5本の色板を並べて、「ここからここまでが100グラムのとき、ここは何グラムかな?」とたずねてみて、切る数によって、数値が変わってくることを感覚で学ばせていく必要があるのでしょう。

それでも、たいていの場合、すぐに「わかった!」と納得しないはずです。
でも、そうして教えてから、しばらく時間を置くと、ちゃんとできるようになっていることがよくあります。

シングルフォーカスの特性を持っている子は、

● 頭がひとつの考えに占められている状態が鎮まって、少し自由に考えられるようになるまでゆったり待ってあげること

● 視覚優位の子が多いので、目で見て手で操作して考えられるようにしてあげること

のふたつが大事だと思っています。


シングルフォーカスの特性を持っている子というのは、
自分のわかっている知識を想像力を使って加工して、
わからない知識を理解するのに使っていくというのが苦手です。

そこで、私がとても重要だと感じているは、
「想像力が弱い」という状態に対する
周囲の人の想像力です。

イメージすることに苦労しない一般的な人々は
想像力が弱いというのがどんな状態か、
想像してみるということはほとんどありません。

でも、自分の持っている想像力を使って、
そうしたハンディーが
どのような場面でどんな困難を生み出すのか
ていねいに考えていくようにすると、
子どもが先に進めなくて困り果てているときに、適切な支援をしてあげることができます。

たとえば、ものさしの絵と、リボンがいくつかに切りわけられている絵がワークブックに描かれているとします。

ものさしの目盛りには、左からだんだん大きくなる数字が書いてあって、
その線の位置の数値は、0からその場所までの長さを表しているという暗黙の了解があります。
リボンの場合、ある長さが、何センチという分量を表しています。

見た目がそっくりに描かれていても、一般的な人は、そうした暗黙のルールを想像力を使って見分けて、理解しています。
でも、シングルフォーカスの特性を持つ子たちには、
同じように線で描かれているなら、同じものに見えてしまうのです。

そこで、ひとつひとつ、実際に目で見て触れるものを用意して、
「この場合は、これを思い出して考えてね」「こっちの場合は、これを思い出して考えてね」と具体的に考えていける何かと結びつけてあげる必要があるのです。

そこに必要なのが、(繰り返しますが)「想像することが困難である」ということに対する
想像力です。

想像力にハンディーを持っていない人々も、
普段の生活では、過去のパターンに反射的に反応するだけで、
意識して想像力を使うことはあまりないようです。

でも、多くの人が、ちょっと意識して、いろんな場面で想像力をしっかり使っていくと、
想像することが苦手な子どもたちが、潜在している能力を伸ばせるようになるだけでなく、
少しずつ想像する方法を学んでいくことができるのです。

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0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 2

2011-03-22 18:13:07 | 算数
前回の記事で、
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テストや作業課題で測れるような表面的な『ものさし』ではなくて、
別の尺度のもっと微細な変化を測ることができる『ものさし』があると便利なのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と書きました。
これについて もう少しくわしく説明させていただきますね。

幼い子たちが夢中になる遊びは、たいてい

『今よりもっと難しい概念を理解できる状態』にステップアップする

という目的を含んでいます。

大人にとって無意味に見えても、
子どもが夢中になって何度も何度もやりたがることは、
それはその子が『現在、一番必要としている能力』を得るのに
ピッタリな手段である場合が多いのです。

小さなおもちゃを危なっかしい場所に置いて、
「落ちるよ、落ちるよ」とつついてみせると、
次に起こることを期待して、
目を皿のように丸くして見ていて、おもちゃが落ちたとたん、
キャッキャッと笑い転げる時期の子がいます。

どうしてそんなにも面白いのかと首をかしげたくなるほど、
何度やっても大受け。

グラグラするところに物を乗せていって、「あっ、崩れる崩れる!怖い怖い!」と言ったり、
水の入ったコップを傾けて、「こぼれるこぼれる!たいへんたいへん!」と言うと、吸い寄せられるように集中してジィッーと見つめていて、
崩れたりこぼれたりしたとたん、
テンションが上りすぎてピョンピョン飛び跳ねながら笑い転げて、
「もう1回!もう一回!」と大騒ぎする時期の子たちです。

子どもはみんなそんなもの……というとそうではなくて、
その時期の前の子どもたちは、これから何かが起こりそうというシーンを息を詰めて見つめたりしないし、
その時期の後の子も、もう少し複雑なユーモアの方に強く反応するのです。

なら、この「落ちるよ落ちるよ」が大好きな子たちとはどんな時期の子なのかと思って観察するうちに、
『想像力が未発達で、推測したり推理したりする力を伸ばす活動に
積極的な時期の子たちが多い』
ということに気づきました。

「次にどうなるのかな?」と推理して、その通りの結果を目の当たりにするのが楽しくてたまらない時期の子には、

少しずつ推理のハードルをあげていって、「どうなるかな?」と問いかけると、とても喜ぶし、想像力を使って考えるようになっていきます。

自閉症スペクトラムの子たちの中には、
この「落ちるよ落ちるよ」的な遊び(輪ゴムを思い切り伸ばして「怖い怖い」というのもあります)に、しつこくこだわって何度もやりたがる子がいます。

たいてい、「やめなさい」と注意されるか、無視されて……それでおしまい……
となりがちです。
でも、その遊びの世界に大人が近づいていって、それをよりレベル高い推理に洗練させていくと、
算数の問題で、変化した後にどんな答えになるのか当てる
といったことにも興味を示すようになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遊びではないのですが、
子どもにお菓子をあげると、
すかさず「もっと」と要求するようになる時期がありますよね。

大人からひとつ余分にもらうと自分の分が『増える』ということが
感覚的にわかりかける時期の子が、ひとさし指を立てて、「いち!もういっこ!」とやたらうるさいという印象があります。

このように『増える』ことがわかりはじめる時期に、
小物を使って、「1+1=2 2+1=3 3+1=4 」言いながら、
足し算のルールを目で見える形で表現したり、
ままごとで、食べ物を交換したり、袋や皿に入れていったりしながら、
数の増減を体感する遊びを喜ぶようになってきます。  


ハンディーキャップを持った子たちから、
「もっと」という要求や、
「たくさんある方がいい」と選ぶ様子が見られるとき、
(ちょっとややこしい しつこさ が出てきたな~と言うとき)
そうした行動の背後には
「子どもの中に新しい概念を理解する準備が進んでいるのかも」
という視点で眺めると、
その時期に適した学習課題が見つかるかもしれません。

発達が気になる子に対しても、そうでない子に対しても、
やるべき課題のレールを敷いて、
子どもに教育しようと構えると、
親も子も苦しくなってくるものです。

そんなときは、子どもの今の姿の中から、課題を見つけるようにすると、
学ぶことが楽しくて実りあるものになっていきますよ。

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0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 1

2011-03-21 09:28:53 | 算数
虹色教室には 0歳児や1歳児という非常に幼い子たちも通ってきています。
そのため 子どもがどのようにして数を習得していくのかや
数学的なセンスが どのような遊びややりとりを通して身についてくるのか
気づくことが多々あります。

そこでの発見が意外なところで役立って重宝しています。
自閉症や知的障害といったハンディーキャップを持った子たちに
算数を教えるときです。

私は特別な資格を持っているわけではないので、ハンディーを持った子向けの正しい教え方というのはくわしく知りません。

それでも良いのなら……と自閉症や知的障害の子のレッスンもお受けするうち、
ハンディーを持っている子たちの算数の学習を進めていくための自分なりのコツのようなものが見えてきました。

もちろん自分なりのコツなどという前に、まず、本で調べられる限りは情報を集めて、
それぞれのハンディーキャップに適した環境や教具を
準備してあげることは重要です。

しかし、障害名に合わせた教え方の<how to>をマスターし、
教材や教具を用意したら、すんなり学習が進むかというと
なかなかうまくいかないものです。

そんなときに、テストや作業課題で測れるような表面的な『ものさし』ではなくて、
別の尺度のもっと微細な変化を測ることができる『ものさし』があると便利なのです。

私は0、1歳児の時から子どもの内面に潜在している状態で発達していく
数学的なセンスのようなものが
その『ものさし』になるなと感じていて、
ハンディーのある子に教えるときに活用しています。

↑の写真は1歳4ヶ月の子のおままごとの様子です。
手にいっぱいおもちゃのいちごを抱えています。

このくらいの月齢の子は『いっぱい』を体感するような遊びが多いです。
箱に入ったブロックを豪快にひっくり返すとか、
袋にありったけの物を詰めるとか、
手に持ちきれないほど抱えてうろうろするとか。

こぼれるとか あふれるとか、バラバラに散らばるとか、『いっぱい』という
実感を何度も体験したがる一方で、『ひとつ』にだけ狙いを定めて、
必死でそれを取ろうとしたり、1個手にしたものを、「はい、どーぞ」とお母さんにとどけに行ったりします。

また『ゼロ』と『ある』を何度も確認することも好みます。
いろんなものにハンカチをかけて、「ないない」と「ばぁ」をしては、笑います。

2歳近くなると、ひとつの小さなコップにひとつのブドウの粒を入れていくとか、一脚のいすに一人の人形を乗せていくといった
1対1対応に気づく遊びが増えます。

また3歳頃になると、子どもは数の世界にとても敏感になっていき、
さまざまな遊びの世界に数学的な世界観が現われてきます。

何らかのハンディーが原因で、
小学生になって算数につまずいている子たちは、
赤ちゃんの頃からそうした行動をあまりしなかったという場合がよくあります。

そうした内側からの要請でする活動をしないまま
小学生向けの算数を易しくスローステップでできる状態で教えても
いっこうに進まなかったり、丸暗記で答えを書き込めてもさっぱり意味がわかっていないということも起こります。

そこで私は、
小学生であっても、子どもの内側で発達している数学的なものの発達が今どの段階にあって、
どんな課題を抱えているのか見るようにしています。

外から見える『ものさし』と
外からは見えにくい『ものさし』
の両方を見て、それぞれに必要な対応をしていくことが大事だと考えるからです。

次回に続きます。

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4歳児さんたちのおしゃべり

2011-03-20 20:34:01 | 日々思うこと 雑感
4歳児さんたちのおしゃべり。

★くんが、「ぼくが生まれる前にねぇ、お父さんとお母さんが結婚したんだよ」と、すごいでしょっ と自慢するように言いました。

それを聞いた☆ちゃんが、ちょっとあやふやに、
「あのねぇ、うちのお父さんとお母さんは私が赤ちゃんのときに結婚したよ(たぶん……という様子)」と言いました。

それを横で聞いていた●ちゃん。
「じゃあぁ、赤ちゃんだったけど、結婚式のときはお留守番してたの?」
と心配そうにたずねました。

考え込む☆ちゃん。

「だったらさぁ、いっしょに連れてってもらったらいいんだ。結婚式に」と★くん。
一同、そうそうその手があった~!とほっとしてから、大笑い。

「ウェディングケーキを作ろうか?」とたずねると、
「ケーキを作りたいけど、ウェディングケーキはいや!」と☆ちゃん、●ちゃん。
「なら、お誕生日ケーキ?」
「そんなのいやー!」
そう言いつつも黙々とケーキの飾りつけをする子どもたち。
「だったら、ぐりとぐらが森の中で焼いたケーキにする?」とたずねると、
「そうするー!!」「わたしもそうする!!」「ぐりとぐらのケーキがいい!」
と元気いっぱいの返事が返ってきました。