虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 10

2011-05-27 08:47:25 | 子どもの個性と学習タイプ

自分の劣等機能にあたるものの価値に、
正等な評価を与えることは難しいです。
ですから、長所が「ノイズ」として攻撃されるといったことは
しょっちゅう起こります。

たとえば私は、「感情」が優れている親御さんが、
「思考」が優れている子たちの発する「考える力の高さ」を
感じさせるもののほとんどを「ノイズ」と捉えて遮断するか、抑圧するのを
しょっちゅう見かけます。

「感情」が優れている方の劣等機能は「思考」にあたるのです。

感情タイプの人は、思考を疎ましく思って馬鹿にしているわけではなく、
思考できる人を絶賛したり、
「頭が良いことこそ全て」という考えにとらわれることがよくあります。

そして、自分の子の知的開発に力を注ぎこみます。

そのように、「理想の自分」とは、
自分の劣等機能と関わりが深いものなのです。

問題なのは、子どもの知力を伸ばす手段として、
ユング研究所の講師であるフォン・フランツが、
「劣等な思考の性質を帯びている」と表現する方法……

数少ない概念で、ありとあらゆることが言い表せるし、可能になると考える方法や、

陳腐な決まり文句やスローガンが、全てを解決するカギであるかのように信じる方法
を、あえて選びがちなことです。


何かひとつの方法を信じて、幼い頃から訓練すれば、
理想通りの結果が得られると考えるのは、
ある面、思考することを放棄して、
「劣等な思考の性質を帯びている」方法に、考える行為を丸投げしている
といえます。


効果のあるなしの問題より、
これから思考することを学んでいく子どもに、
親が「思考しない」という悪い見本を示すのは
やはりよくないように思うのです。



「小学校低学年までの子は機械的な暗記をとにかくさせるのがいい」とか、「計算訓練を多量にさせると脳が変化して頭が賢くなる」とかいう
考え方も、
確かに一理あるし、

感情や感覚が優れている子たちなら、「じゅげむ」を唱えたり、伝承遊びに興じるような雰囲気で、それほど嫌がらずにするうちに、
「九九制覇」とか「計算が速くなった」などの成果を得ることも可能です。


ただ、思考が優れている子たちは、かなり幼い時期から深く考えていくことを好むし、
同じことを繰り返させると、素直に訓練に従わずに、もっと効率的にする方法を考え出したり、自分のしていることに疑問を差し挟んだりしがちです。

また、ゆっくり考える時間がないほど、
次々、単純な作業を与えられると、非常に苦痛を感じるようです。

思考を好む子はある面、ゆっくりしていたり、きまぐれだったり、
気難しかったり、ひねくれているように見えたり、ぼんやりしていたり、しつこかったり、がんこだったり、一言多かったり、自分の内にこもっていたり、冷淡な傍観者のようだったりします。

そうして自分の見聞きしている現実を鵜呑みにするのではなく、
自分の頭でこねくりまわして考えているのです。


そうした思考タイプの子が自分で考えるための時間を確保しようとする姿は、
感情が優れている親御さんにすると、
「ノイズ」として映ることが多いようです。

感情が優れている方は、
成績とか、評判の学校の制服とか、自分の目で見て、周囲からも評価できるものの中で、学ぶことを捉えがちです。

ですから、あるときまで受験勉強をしていて、やはり受験をやめるという話になったときに、
「これまで受験用の問題集を解くのに使った時間や労力がもったいなかった」ということをおっしゃるときがあります。

学べばそれだけ考える力や能力が鍛えられているので、
損得はないと思うのですが、
たとえ頭がよくなっていたとしても、何らかの見える成果がなければ
よかったという実感に結びつかないようなのです。

以前、虹色教室の小学生で「物理」に関わる能力が非常に高いと
思われる子がいました。
私はこの子とピタゴラ装置作りや物理実験をしていたのですが、
独創的な問題解決能力の高さにいつも驚いていました。
この子はおそらく外向的直観の思考寄りの子で、ペーパー上ではなく、
電子工作のような手を使って作業するときに、
思考力の高さが発揮される子でした。

私はそれをいつも親御さんに伝えていました。
親御さんは感情が優れている方で、
「そんな能力が高くても、学校のテストでうっかりミスが多いので、
あまり意味がないのでは?」と考えているようでした。
今、テストの点がよくなければ、将来、自分の能力をいかした仕事につけないし、仕事につけなかったら、その道の才能を伸ばしていてもしょうがないかも……と感じていたようなのです。

またあるときは、「うちの子にはそんな才能はないと思います」ときっぱりおっしゃっていたので、この方にとって、
外の世界にその才能を測定したり評価したりするシステムがないことと、
その才能自体が存在しないことは、
イコールで結ばれることなんだな、と感じたことがあります。

私は「それが今の学校で学んでいる教科になかったとしても、
その子の思考力がいかんなく発揮できる体験の場は大事。
その子に自分の能力を自覚させ、
考える楽しさに気づかせて、学習への内発的な動機を育てたい」
と考えていたので、そうした方法も大切なことを伝えました。

すると、その子の進む学校に「そうしたクラブ活動がないから」という理由で、この子の「物理」に関わる能力の存在は、親御さんにとって「ノイズ」のままで終わりました。

感情の優れている方が、みんなそうした対応になるというのではなく、
人間関係や社会での体験を積んで、幅広い考え方や大らかな捉え方を身につけている方もたくさんいます。

また、私とその方との間で意見のすれ違いが起きたところで、
感情が優れている方とは、さまざまなことがバランスよくこなせるし、
人との関係も良好で、社会人として誰もが好印象を抱くような方なのです。
私も、その魅力的な面を十分承知してはいるのです。


子どもの発するものを「ノイズ」と捉えてしまう場合にしても、

このタイプの方が、社会で価値を置かれているものに敏感で、
それに適応することを第一前提にして、
子どもの才能開発しているからでもあるのです。

もし、子どもに個性などなくて、ある理想に向って
親が作り上げる商品だとしたら、
効率的なよい方法とも言えるのです。

今、社会で何が認められていて、流行っていて、評価されるのかを基準に、
それに適するものだけ、
子どもから発信されるものを拾って、それ以外を遮断するということは、
ビジネスの世界では当たり前の常識なのかもしれません。

でも子どもは白紙の状態から親が作り上げていく商品ではないので、
「ノイズ」として切り捨てたもののなかに
その子の存在や、将来を形作っていく潜在的な才能の種があるかもしれない
という視点が必要になってくるのです。

たとえば、ある系統学習を子どもにさせている方が、
「幼児のうちに英検●級を合格させる」とか「小学生のうちに算数で高校レベルまで進む」といった目標を持って、子育てするとします。

すると、子どもの疲労感も、友だちと遊びたいという思いも、
自分でいろいろ悩んで考え込むようなことも、
親にとっては「ノイズ」でしかなくなります。

また、時間をめいっぱい成果をあげる活動に使いたいですから、
子どもの個性的な才能も、
「ノイズ」として伝わりがちですよね。

子どもを、白紙の状態から親が作り上げていく商品として捉えたら最後、
子どもがひとりの人間として何を発信したところで、
親にとっては、自分の計画を邪魔する
「ノイズ」でしかないのです。

「子どもは自分が作りあげる商品ではない」ということは、
あたり前なようで、
今の時代は、それに気づくことすら難しいのです。
どうすれば、この難しい時代に、きちんと目覚めた状態で子育てしていけるのかというと、
「情報」を信じるのではなくて、
活用する「情報」と自分の目の前の「現実」の間で、
ゆらいだりぶれたりしながら、柔軟に考えたり判断したりする空間を作る
ことが大切なのだと感じています。

ある方法を信じて、そのマニュアル通りに固定した生活を送るのではなくて、

ある方法を利用するなら、
それを通して得られる体験のなかで、悩んだり迷ったりしながら、
柔軟に思考し、行動する能力を親自身がアップさせていくことが
大事なのではないでしょうか。



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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 9

2011-05-26 14:16:18 | 子どもの個性と学習タイプ

子どもの外側にある価値のありそうなものを与えるのに忙しくて、
子どもの内部にある価値を見いだすことをおろそかにしている場合も、
子どもの発信するものを「ノイズ」と捉えてしまいがちです。

特に内向的な子たちは、
どんなにすばらしく見えるものよりも、どんなに高く評価され、どんなに人気があって、どんなに得したように思えるものよりも、
自分の内部にあるものに価値を置きます。

周囲からはどんなに無価値に見えても、
自分で思いついたアイデア、
自分で考えたこと、自分が好きだと感じているものが、
一番だったりするのです。

ですから、こうしたタイプの子たちには、
「すばらしい体験をさせてあげよう」「こんな知識、あんな知識を与えよう」
といった親の態度が、

「自分の発信しているものを否定された」「自分自身は無価値な人間だ」という伝わり方をしてしまうことがあります。

また実際、いろんなすばらしい体験を与えることに忙しければ、
子どもが思いついたアイデアは親の目には色あせて陳腐なものに映るし、
子どもの考えたことに耳を傾けるのは、忘れがちになります。

子どもが「好き」と思うものがあっても、
「そんなものよりもっともっとステキなものをあげたいのよ!」と
喜ばせたい気持ちが先に立って、
その子の好みをスルーしてしまっている事実にも気づけません。


1歳後半のおそらく内向的感覚の思考寄りと思われる★くんのレッスンで、
★くんのお母さんは、★くんがかわいくてたまらない様子でした。
★くんはとても利口な子で、電車のおもちゃを指しながら、
細かい部分にも気づいて指摘していきます。
さまざまなものを几帳面に観察していて、語彙も豊富です。

慎重で神経質な性質なので、自分から積極的に何かをはじめることはまれで、
たいていは、
お母さんに誘われたり、ちょっと背中を押してもらったりしてから、
やりはじめるのですが、
少しすると緊張した面持ちになってやめてしまいます。

それか、★くんは自分では動かずに、
お母さんに欲しい物を取ってくれるよう催促したり、お母さんに自分の代わりにやってくれるよう頼んだりしていました。
★くんのお母さんは、ほとんど機械的に、
★くんに催促されると、すぐにそのように動くことを繰り返していました。

その様子を見た私は、★くんが、電車のおもちゃを取って!と身振りで催促するときに、すぐに渡さずに、それを後ろ手に隠しました。
すると、びっくりした表情の★くんが、
私の方に「んっ!」と言いながら手を突き出して、さらに催促しました。

そこで、私は、その電車を子どもイスをくぐらせて★くんの方に
滑らせました。
それから、★くんがどうするのか様子をうかがっていました。

★くんは、しばらくはそれまでと同じく一人遊びを始めて、
電車のおもちゃを無表情で動かしていました。
が、急に思いついたように、子どもイスをくぐらせて電車のおもちゃをこちらに滑らせてきました。

私は「内向的な★くんにとって、このように自分から思いついて他人に働きかけるのは、本人にすれば重要な意味を持つのだろう」と感じました。
ここで、しっかり★くんからのメッセージを受信したのです。


すると、その日★くんは、静かに一人遊びをしているかと思うと、
あっと思いついたように、こちらに電車を滑らせてくるということを
何度も繰り返して、
そうするたびに、それまで見たことがないような顔をくしゃくしゃにさせた笑顔を見せるようにしました。
★くんは、私の方に電車をシューと滑らせるたびに、
「これ、ぼくが自分で考えたことなんだよ」とでも言いたげな
自信に満ちた満足そうな表情を浮かべていました。

★くんは、「これは●色」「これは●●だよ」といった
自分の知識をたくさん発信していて、それにはお母さんがきちんと応えてあげています。

けれども、「これしてごらん」という指示で動くか、「これして!」とお母さんにしてもらうか以外、自分から動いて、
誰かがしたことを真似してみたり、
自分で考えたフィードバックを返したりすることがほとんどないので、
こんなささいなことも、心躍らせる出来事だったようです。

それは自分で思いついて、やってみたことだったからです。


「ささいな」と書きましたが、内向的な子どもたちにとって「ささいな」ことしか大事でない場合は多いのです。
外からくる多量の刺激は、美しくて面白いものでも、
苦痛でしかないか、自分自身の感性をにぶらせて、
ぼんやりした意識で
ベビーカーに乗ったまま楽しむものでしかないのです。

こうしたタイプの子たちは、
遊園地にお出かけしなくても、
親御さんたちが自分のおしゃべりに心から面白そうに注目していれば、
それは最高の休日なのです。

内向的な子たちは、外にあるすばらしいものではなく、
「自分から発信するもの」「自分の内部にあるもの」が何より大切で、
親御さんにそれを認めてもらい、
愛情を込めて大切に扱ってもらうと
幸せそうにしています。

もちろん、外向的な子たちにしても、子どもは
外のすばらしいものを与えてもらったり、自分に付け加えるよりも、
自分のすばらしさを親に発見してもらう方がうれしいのです。
そこには才能の種が芽吹いているし、
そうして注目されて、日が当たったり、水が与えられたら、
子どもの能力は自然にどんどん伸びていくのです。


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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 8

2011-05-26 08:57:43 | 子どもの個性と学習タイプ
前回の続きです。
子どもの発信するものを「ノイズ」と捉えてしまう理由のひとつに、
子どもの個性についての知識が少ないために、
その子の性質の長所も含めたあらゆる面を「悪いもの」や「ノイズ」として受信してしまうということがあります。

たとえば、内向的感覚の子が「新しいチャレンジにぐずぐずして参加しない」のは、
「やりはじめたことは簡単に投げ出さずに、根気よくていねいに関わる」ことと表裏一体なのです。

けれども、次々と新しいことを求めて探索し続ける直観が優れた親御さんでしたら、
「何をさせようとしてもぐずぐずして取り組まない姿」を
「ノイズ」として捉えるだけでなく、

「根気よくていねいに取り組む姿」も
「まだ同じことばかりやっている。進歩がない……」として「ノイズ」と感じてしまうことが多々あるのです。

フォン・フランツは、『ユングのタイプ論』という著書の中で次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

実際上とても重要になるのが、タイプ論です。
なぜならこれがまるきり見当違いに人を理解しないようにする、
唯一の方法だからです。
自然な反応がまったく捉えがたく、こちらが自覚しないで対処すると取り違えてしまう、そんな人を理解する手掛かりとなるのが、
タイプ論なのです。
             (『ユングのタイプ論』創元社)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

性格タイプによって勉強への取り組み方のようなものもずいぶん違います。
先日、内向的思考の感覚寄りと思われる小2の●くんが
算数の問題を解く様子を「面白いな」と思って眺めながら、

この子の解き方は見る人によって「ノイズ」として扱われてしまうことがあるんだろうな……と考えていました。

●くんは、とても思考する力のある子で、プライドも高くで、
知的な課題では、非常にチャレンジャーな一面を見せることがあります。

それまで習ったことがない自分なりの方法で式を立てて解こうとするのです。
といっても、思考とともに感覚が優れている子なので、独創的に解くのではなく、
式をより洗練させる形で工夫します。

たとえば、この日私が出した問題は、●くんが初めて解く問題で難しいものでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

バケツに 水を 入れて、長い ぼうを まっすぐに 立てました。
つぎに その ぼうを さかさまにして 立てると、水に ぬれなかった ところが
7cm のこりました。 水のふかさが68cmだとすると、ぼうの長さは
何cmですか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すると、●くんは、68×2+7
と書いて解き始めました。

●くんにすると、68+7+68なんていう式がダサい……と感じるらしいです。
ですから、いつもよりシンプルでかっこよく見える()を使ったり、かけ算や割り算を入れたりした式にして
表そうとするのです。

私が解答の答えを示すと、次にはそれと同じではなくて、より美しい式にできないかと必死になります。

こうした態度は内向的直観思考寄りのうちの息子が小学生のときにも
よく見られて、息子の場合は直観が優れているので、
同じ算数で見せるチャレンジャーな一面も、「洗練された美しい式を立てる」ことに向わず、
「公式そのものが生まれたときの理由にまで遡って、
全くゼロの地点から新しい解き方を生み出す」
ことに燃えていました。

●くんにしても、うちの息子にしても、こうした一面は、
公立私立に関わらず、小学校では頭ごなしに否定されてしまうことがよくあります。

●くんの場合も、息子の場合も、先生の指示通りの式を書かない点でも
たとえ正しくても減点されるし、

おまけにそうしたチャレンジゆえに計算間違いなどをしてしまうときには、
ひねくれていると取られたり、
厳しく攻撃されることもあるのです。

そうした面を、「ノイズ」として捉えてしまうと、
無視するか、注意してやめさせるかしか選択肢がありません。

でも、そこに、その子の個性的な能力の輝きを見出すのなら、
今は無意味で無価値に見えても、
時が経てば、それはその子の人生で必ず役に立つ何かになるはずなのです。


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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 7

2011-05-26 05:53:14 | 子どもの個性と学習タイプ
昨日は1歳後半の★くん、☆ちゃんのレッスンでした。
★くんはおそらく内向的感覚の思考寄りの男の子。
☆ちゃんはおそらく外向的感情の感覚寄りの女の子。


★くんは新しいことにチャレンジしようと思うたび、少しやりかけると
お片づけが気になって、まだ遊ばないうちから
緊張した表情で几帳面におもちゃをきっちりそろえて、お片付けをはじめます。
親御さんがいつも片づけを強要しているからというより、
内向的感覚の子独特の神経質さが、そうさせているようでした。

出したものを片づけられることは大事ですが、
それが気になって、何もはじめられなくなったり、していることへの熱意がすぐに遮断されるようでは困ります。

内向的感覚の子のように慎重で神経過敏な性質の子には、
これまで何度も書いてきている
「親が子どもの発するものを受信する」力が非常に重要になってくると感じています。

さまざまなことが「できない」とき、
能力的な問題でできないのではなくて、
取りかかる時に不安が強すぎて、その結果、ほとんど何もしないために
できるようにもならないという子がいるのです。

慎重すぎる性質の子には、親は
「これしてごらん」「あれしてごらん」と後押しして
やらせようとすることが増えます。
でも、それが原因で、もともと慎重で、「あれがしてみたい」という意欲が生まれる機会が少ないのに、そのチャンスをほとんど親が奪ってしまうので、
本人は自発的に始めたという実感がいつまでも持てない場合があるのです。

声をかけるとすれば、
「子どもの好奇心や意志が表情に浮かんでいるのを見て、自分から関わろうとするまで黙って待ってあげる」など、
タイミングがとても大切です。 

ただ慎重な子というのは、親が期待する反応と、その子の今にとってちょうど良いレベルの反応というのに、
かなりの落差があるので、
注意が必要です。

慎重な子の場合、初めて目にするものなら、「あれ?面白そうだな」と
チラチラそれを楽しそうにしている様子をうかがう……
程度でその日はお腹いっぱい状態だったりするのです。
無理やりやらせると、不安や恐怖心や嫌悪感が高まって
2度とそれをしようとしなくなるかもしれません。

ですから、「消極的で何をするときも嫌々取り組む姿が心配です」といった内向的感覚の子には、
本来なら、「あれ?面白そうだな」とチラチラと見る段階の経験をたくさん積ませてあげて、しまいにやりたい気持ちがあふれてきて、
自分から働きかけていくのを待ってあげると、
このタイプの子の「一度はじめたことにじっくり取り組み、完璧になるまで根気よく繰り返す」という良い面が発揮されるようになるのです。

次回に続きます。



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安全と小さな危険の間

2011-05-25 17:16:19 | 教育論 読者の方からのQ&A
今日、買い物に出た先で、ちょっとした事故に遭遇しました。
横断歩道を渡ろうとしたとき、
私の真横で自転車を漕いでいた方が転倒したのです。
前かごに子どもを乗せるスタイルの自転車で、2歳くらいの子がそこに乗っていました。
自転車は安全設計で作られているものだったし、子どもはヘルメットをかぶっていたし、これから漕ぎだそうとする瞬間でスピードも出ていなかったので、
子どもは擦り傷ひとつなく無事でした。
驚いてちょっと泣いていたけれど、少しすると泣きやんでいました。

そんな風に子どもは落ち着いたのですが、
気が動転して、安全を確認しても心が収まらなくなっていたのは、
その子の母親らしい女性でした。

転倒した自転車の私とは反対側で自転車に乗っていた年配の女性に
激しく食ってかかりました。
その女性はおどおどして謝っていましたが、
転倒する様子を目撃していた私は複雑な気持ちでした。

最初に、子どもが乗っている前かごの重さにバランスを崩して、
フラフラと倒れかかったのは子ども連れの方なのです。
隣の年配女性はというと、自分の方に自転車が倒れかかってくるので
いっしょになってバランスを失って倒れかけたところに、
ゆっくりとですが子どもごと自転車が横倒してきたのでなすすべもなかったのです。

転倒した母親らしき人も、倒れた際の事情はわかっていたようですが、
どうして転倒しかけているときにパッと飛び出してきて
子どもを守ってくれなかったのか、倒れないように支えてくれなかったのかと、いくらののしっても許す気になれないようでした。



事故の後で、私はうちの子が小学生のときの出来事を思い出していました。
数人の親しい家族で子どもを遊ばせていたときです。
娘の友だちふたりが、ふざけてかけまわっていてぶつかったのです。

ふたりともふざけていたとはいえ、一方の子がもうひとりの子にぶつかっていくような形で、ぶつかられた子が倒れて半泣きになりました。
といって怪我をするほどの転倒ではなく、転んでびっくりしているだけで、
痛みはすぐ引いていたようでした。

が、その時、ぶつかった瞬間にはそこにいなかった転んだ子の母親が
激しく相手の子や相手の親に怒りをぶつけたのです。

その場にいた転んだ子の兄も
ふざけないように止めに入らなかったことで叱られました。

私は、「ここは走ってもいい場所だし、
大人の私が見ていたんだからお兄ちゃんは何も悪くないよ。
ふざけすぎないように注意すればよかったわ、ごめんね」と謝りました。

が、その方の怒りは収まらず、それからお互いに絶縁状態になりました。
その方はそれは子どもをかわいがっていて、
いつも絶対、怪我をさせないように
注意していたのです。

そのように子どもが怪我しないようにしじゅう気を配っていたのは
その方だけでなく、
うちの子が幼稚園時代も、同じクラスの子に引っかかれたというので、
激怒して、乱暴な子にいっさい近づかないように
子どもに言い聞かせていた方もいました。

転ばないように、怪我しないように、ついでに服もよごさないように、
いつも子どもが礼儀正しくおとなしくしているように
気をつけている方もいました。


完全に安全な世界で子育てしたいと願うと
親も子も生きづらいし、
子どもから冒険心や小さな怪我や危機管理能力を奪ってしまいます。

本当は安全な世界ではなく、
安全と小さな危険のすきまにある自由な空間が
子どもが成長していく場所なんだろうなと思います。

現実の空間だけでなく、
親の心の中も、この「安全と小さな危険の間にあるゾーン」を
作っておく必要があるなと思いました。

大きな危険はしっかり防ぎつつも、
小さな危険に気が動転して、
親の剣幕で子どもが震え上がってしまわないように、
世界を恐ろしいもののように捉えて、チャレンジ精神をしぼませてしまわないように気をつけないといけないな~と感じました。



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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 6

2011-05-25 06:24:13 | 子どもの個性と学習タイプ
前回の記事のように、子どものその時その時の状態を
素直に「そういう状態」としてきちんと受信する親御さんと、
「ノイズ」と捉えて、正確に受信しない親御さんの間には、
表面的な違いはほとんどありません。

けれども、「ノイズ」と捉えて、正確に受信しない親御さんは、
親御さん自身や外からは感じ取りにくいレベルで、
その子の今の育ちに満足していない気持ちを、
常に自分の内面から発信し続けているようなところがあります。

虹色教室に3歳のときからレッスンに来てもらっている
現在、5歳になる男の子がいます。
親御さんは、この子が赤ちゃんのとき、高価な教材のセットをそろえて
マニュアル通りカード類を見せたり、教具で遊ばせたりして育てていました。
その教材と同系列のお教室にも通っていました。

その男の子が虹色教室に来たとき、
「社会性も知能も言葉の発達もその月齢の子として
しっかり育っているな。
快活でユーモアがあって、非常に気持ちの優しいところがある子だな」と感じました。

私がその子のそうした長所を伝えると、親御さんは、
心配こそしていないけど、ちょっと不満そうでした。
というのも、そういう高価な教材セットを購入する際には、
「これを与えたら、こんなすごいこともできる、あんなすごいこともできる天才児になりますよ」という話を信じているからこそ
買っているのです。
でも、目の前のわが子は、健やかにバランスよく
その月齢の子よりちょっと進んでいる程度に発達しているだけなのですから。
私がその子の優れた点を指摘するたびに、
「保育所の子には、もっとよくできる子がいますから」と
と集団のなかでも飛びぬけて発達のよい子とだけ
わが子の育ちを比較しているような返事が返ってきていました。

その子が4歳になる頃は、小学1、2年生用のぴぐまりおんの教材も
きちんと解いていけるし、
お友だちのグループでリーダーシップを取りながら
仲良くゲームをしたり課題にチャレンジできるようになっていました。

親御さんは、かわいがるという点では、
この子のことを目に入れても痛くないほどかわいがってはいるのです。
ちょっと体調が悪いようなときには、
すぐにも病院にかけこんだり、
この子の大好きなお弁当を作って準備したり、
遠方の教室まで労を惜しまず連れて行ったり……。
いつも優しい口調で話しかけて、
抱きしめてもいました。

でも、この子がどんどんできるようになっていくことが、
親御さんの理想像の周囲の人を圧倒するような天才的な賢さでは
なかったためか、知的な成長にはいつも不満そうでした。
子どもが何か新しいことができるようになっても、
次にできるようにさせたいことに気を取られて、きちんと見てもいないようなところがあったのです。
また、この子がどんなことが好きで、何をするとき楽しく感じているかという点であまりにも無関心な一面がありました。
その月齢の子らしい遊びに興じているときは、
「子どもっぽい遊びしかしないんです」と顔を曇らせていました。
私がそうした遊びをしているなかから伝わってくるその子らしい長所を指摘しても、「でも、これでは……」と
苦笑いする姿がありました。
おそらく親御さんの心のなかには、天才的な趣味に心を奪われて
知的な雰囲気を漂わせている理想の子ども像があったのだと思います。
「赤ちゃんのときから、そうした理想通りの天才児に育ってあたり前なほど
お金も時間も労力もかけているのだから、
普通の子より少し賢い程度にしか見えないわが子は
いつになったらすごい才能の片鱗を見せてくれるのか……」と
ため息をついているようでもありました。

そうするうちに、それまでお勉強タイムには喜んで飛んできていた
この男の子が、はっきりは嫌がらないけれど、
呼ばれてもぐずぐずと来るまでの時間を引き延ばすようになってきました。
親御さんは、「どうすればいいんでしょう?」「この子は困った子で」と
私に相談を持ちかけて、
いきいきと学習に取り組む良い子に変えて欲しいと期待するのですが、
そうすればするほど、親御さんに呼ばれても無視して好きな遊びに興じたまんまでいることが増えてきました。

その頃から、親御さんからは、「この子は発達障害があるでしょうか?」「多動でしょうか?」という心配が寄せられるようになりました。
でも、私が判断できる立場ではないけれど、
これまでの育ちを見ても、心の成長具合も見ても、
発達障害があるとは思えないのです。
時が経つにつれて、親御さんの声を無視して
好き勝手に振舞うようになっていたので、
確かに見たところ、そうしたハンディーキャップをもった子の行動と似ていなくもないのです。
でも、どう考えても、私にはこの子にハンディーキャップがあるように
思えませんでした。
それでも、親御さんのそうした心配をすればするほど、
この男の子は衝動性が抑えきれないような様子で、
うろうろと動きまわるようになりました。まるで心で何も感じていないかのように振舞うことも増えました。

私自身もこの子の成長に関わりながら、
親御さんとその子の心の絆が、ボタンをかけちがえたような状態のまま
それが悪化していくのを食い止められなかったことを
悔やんでいました。
何が悪かったのか、何が間違っていたのか、どうすれば良かったのか、
これから良い方向に改善していくにはどうすればいいのか、
悩みました。

叱りすぎるとか、叩いてしまうといった
善悪の見分けがつきやすい問題は、
親御さん自身にとって問題点を自覚しやすいので、
ゆっくりでも関係を改善していくことは可能なのです。

けれども、周囲の誰もが認めるほど子どもをかわいがりながら、

親御さんの心の内部にのみ、
その子の今の状態に満足できていない気持ちが潜在しているという状態‥‥‥

それが、ちょっとしたため息や
その子としての成長をすなおに喜べない気持ちや
子どもの好みをつまらないものだと感じるといった

「悪いとも言い難いけれど、
子どもからすると存在を否定されたり、
拒絶されたりしているように感じられる」
という関係の連続を生み出しているとき、
子どもにとって予想以上に大きな害を与えるように感じています。

その悪い面は、親にも周囲にも子ども自身にも
自覚されにくいだけに、
全ては子ども側の問題へと還元されていくからです。

親として、子どもに良い反応ばかり返すことはできないし、一時期、わが子の姿に不満を持つことは誰にでもあるのです。

ただ何かの理想像に固定された形で、一貫して、
自分の子のあるがままの姿から発信されることを「ノイズ」として
気づくことすらできない状態が続く場合、
非常に注意が必要だと感じています。




次回に続きます。

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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 5

2011-05-24 23:07:41 | 連絡事項
ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 1で紹介した★くんの親御さんは、
子育てでぶつかる気がかりなことや★くんらしさを、
これまでも今回も、「ノイズ」として捉えたことはありません。

心配し過ぎるのでもなく、無視するのでもなく、攻撃するのでもなく、
ひとつひとつを愛情を持ってきちんと受け止めて、
★くんとはどういう子なのか、どのように成長していっているのかを知る手がかりにしています。

もちろん「言葉が少し遅いのではないでしょうか?」とか、
「このごろ、乱暴なところが目立ちます」とか、
「ちょっとすると飽きて、次々遊びを変えますが大丈夫でしょうか?」といった
その時期、その時期、
親御さんから少し心配している様子で質問をいただいたことはあるのです。

でも、この★くんというのは想像力が豊かな子で、
ゆっくりぼんやり考える時間が必要で、
他の子が疑問を抱かないような見えない部分の仕掛けにも
思いを馳せる内面世界の深さを持っていることを伝えると、
それに自分の評価や価値観を差し挟まずに、
★くんの発信しているものを愛情深く確認して、
しっかり受け取っていらっしゃいました。

たいていの親御さんにすると、「ノイズ」としか感じ取れないないような
子どもの行動にも、それの意味することに、
ちゃんと向き合って、素直に受け取ることを
ずっと続けてこられたのです。

すると、言葉の発達がゆっくりだったのですが、それは、
ゆっくりじっくりと考え、自分なりの意見を一生懸命伝えようとする姿になり、
科学的な疑問を口にしたり、その原理を自分で考えて言葉にできる姿へとつながりました。
今も、ゆっくりとおしゃべりするのですが、
「はやくはやく」とせかされてきていないので、
安心して自分の考えを練りながら、話をするのです。
前回のレッスンでは、これまで学習したことがない小学校受験の「四方からの観察の問題」や「鏡にどのように映るかという問題」「回転の問題」を出題してみたところ、
どれもすんなりと即答し、
思考力の高さがうかがえました。

言葉の発達がゆっくりだった場合、発達障害の心配などはないとわかっても、
それを「ノイズ」として捉えて、
何とかしゃべらせようと圧力をかけたり、
それから目をそらしてしまったりしがちです。
でも、きちんとそれに目を向け、耳を傾けると、
そこにはユニークなその子の魅力が隠れていることもあるのです。

わがままに見えたり、乱暴に見えたり、しつこさがめだったり、ふざけすぎていたり、がんこだったり、飽きっぽかったり‥‥‥
そんな子どもが発するネガティブなものも、
「ノイズ」として遮断せずにきちんと受け取れば、
男の子としての成長が順調に進んでいるのだったり、
解決しなくてはならない問題に気づく機会となったり、
個性的な良い面が表現する場所を求めて現れているのだったりするのです。

★くんの弟くんは、まだ幼いのですが反応が早くきびきびした子で、観察力があって、積極的で、ぐずぐず言うことがめったにないしっかりさん。
★くんは弟くんとは正反対の気質です。

親御さんたちは、弟くんの長所に気づくと同時に、正反対の反応を示すことが多い★くんの魅力と長所を改めて受け取りなおしている様子です。

「こういう子であってほしい」という親の色眼鏡をかけていないので、

子どもはどの子も、知れば知るほど、魅力的で面白くて
すばらしいことに子育てしながら、感動していらっしゃるのです。



次回に続きます。

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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 3

2011-05-24 11:11:12 | 子どもの個性と学習タイプ
小学校高学年くらいの頃、私は「人生をリセットしなおしたい」という
願望を持っていました。

そうした願望は、深刻な悩みからきていたものではなく、
単純にもう一度、小学1年生くらいからやりなおしたら、
成績バツグンで、スポーツも万能、何をしても「すごいね、すごいね」とみんなから賞賛される自分になれるのに……という
気持ちから生じていました。
思春期を前にして、
「もっと褒められたい、もっと認められたい、もっとすごい自分になりたい」
そんな思いが渦巻いていたのでしょう。

高校生くらいの頃は、
親しい友だちが、
「もし子どもができたら、子どもといっしょに一から勉強しなおしたいわ」
とつぶやくのに、共感してうなずいていました。
その友だちにしても私にしても、まぁ勉強が好きなタイプではあるのです。

でも、本当に勉強することを愛しているのなら、
「子どもが生まれたら……」なんて言わずに、
高校生から本気で努力すれば、そこが学問の世界のスタート地点でも
あるはずなのですが、

「子どもが生まれたら……」なんて言葉の背景には、大学受験をゴールと捉えて、
「もうちょっと早い時期からあれとこれとそれをしておけばよかった」
「全てをリセットしてやりなおしたい」
という後悔の気持ちが混じっていたのです。

私のなかから、
すっかりこのリセット願望が消えてなくなったのは、
ひとり目の娘を育てながら、自分自身のそうした願望を娘にかぶせて
子育てしようとしている自分に気づいて、
違和感や嫌悪感や危機感を感じたからでもあるし、

生活したり、働いたりするうちに、
欠点も含めたあるがままの自分に対する親しみや自信が
蓄えられてきたからでもあります。

前回の記事に、

子どもから発信されるものを「ノイズ」として受信して、
遮断してしまいがちで、
自分の側からは、無意識のうちに、子どもに関することで「ノイズ」を発し続けている親御さん

について書きましたが、こうした態度の陥っている方というのは、
けっして冷淡な心を持っているわけでも、受信する力に特別な問題があるわけでもなく、ごくごく一般的な愛情深くて常識的な親御さんでもあるのです。

でも、それならどうしてかわいいわが子に向って
そうした対応を続けてしまうのかというと、
先ほど書いた「リセット願望」のようなものを
無意識のなかに温存させているからではないかな、と感じるときがあります。

そうした親御さんの心のなかには、
自分自身がずっと、そうなりたいと憧れてきて、
その立場に立つ人が受けている賞賛や注目や表彰を受けたいと焦がれている
「理想の自分像」があって、
常にそれに照らし合わせてわが子を眺めているように見えます。

そうなると、「理想の自分像」と重ならない
わが子の発するものの
全てが「ノイズ」なのです。

もうひとつ、「理想の自分像」はぼんやりとしてつかめないけれど、
「ダメな自分」「足りない自分」は、
しじゅう意識しているという方もいます。

「他人から劣っていると見えないように」
「他人から変な子だと思われないように」
「周囲から浮かないように」
「みんなに遅れないように」
と常に考えているので、
子どものささいな欠点に見えることに関しては、
耳を塞ぎたいノイズとして即座に受信するけれど、
良いところは、受信してもたちまちこのノイズにかき消されて聞き取れなく
なっているのです。

次回に続きます。

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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 2

2011-05-24 08:43:12 | 子どもの個性と学習タイプ
「一番大事な働きかけ」とタイトルにつけつつ
前回の記事ではどこが一番大事なのか
ぼやかしたまま話が終わってしまいました。

教室で子どもたちの成長を見ていると、
子どもの内面からまるで輝きが増すように成長していく子と、
もともとすばらしいものがたくさん見られたのに
そういった能力が徐々にしぼんでいくように見える子がいます。

そうした差が出るのには、やはり親御さんの「働きかけ方の違い」という
現実があるな、と感じています。

「働きかけ方の違い」という言葉を使うと、
親が一生懸命がんばったか、怠けたかで結果が生じているように
見えますが、そうではないのです。


★ 親が子どもが発するものの何を
「ノイズ」として捉えて
スルーしたり攻撃したりしているか。

★ 何に注目しているか。


という親が受信する際、選択的に排除したり、選んだりしているものいかんによって、
子どもは他の何よりも強く影響を受けていることを感じるのです。


ある子たちの親は、
何もせずに、のんびりしながら子どもを放任しているようなのに、知力も体力も才能も伸びていき、
ある子たちの親は、
懸命に子どものために必死で時間や労力を使いながらも、
子どもの意欲をしぼませていく方向に子育てしているのです。

この「ノイズ」という言葉は、内田樹氏の『下流志向』という著書の中で見かけたものです。


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精神科のお医者さんに聞いたんですけれど、思春期で精神的に苦しんでいる子どもたちの場合、親に共通性があるそうです。
子どもの発信するメッセージを聴き取る能力が低い親が多い。
子どもが発信する「何かちょっと気持ち悪い」とか「これは嫌だ」とかいう不快なメッセージがありますよね。
それを親の方は選択的に排除してしまう。
というのは、子どもが心身に深いを感じているという情報は、いわば「製品」がノイズを出しているようなものだからです。
それは製造工程に瑕疵があるということを意味する。
それは親は自分の育児への失敗を意味する記号として理解する。
だから、耳を塞いでしまう。
             (『下流志向』内田樹氏 講談社文庫)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この著書では、子どものSOSの発信をノイズとして遮断してしまう
親のことが書かれていました。

私が、親が「ノイズ」と捉えて、無視するものは、
こうした子どもの心のSOSだけではなく、
「子どもの持っている独自の才能」や
「個性的な長所」や「その子らしい好み」なども含まれていると感じています。
それで、この「ノイズ」という言葉を、
「親がノイズとして受信しているもの全体」
に広げさせていただいて、
使わせていただきますね。
才能や長所を「ノイズ」という言葉で表現するのは変なのですが、
それを受信する親御さんにとって、
「ノイズ」としてしか存在していないので、
こうした言葉を使わせていただきます。


このように子どもから発信されるものを「ノイズ」として受信して、
遮断してしまいがちな親御さんというのは、

自分の側からは、無意識のうちに、子どもに関することで「ノイズ」を発し続けています。

ですから、外からは、
子どもが自分の内面から「これは苦しい」という気持ちや、「独自の才能」や「個性的な好み」を発するたびに、
そのフィードバックとして、親のネガティブな「ノイズ」が
多量に子どもに浴びせられているように見えます。

私はこれまで、その人その人の子育て観や性格や考え方があるのだからという理由で、
少し遠まわしな言い方で
それを指摘してきたのですが、
最近では、そのあまりの害の大きさにとまどっていて、
一度はっきりと言葉にして伝える必要を感じました。


次回は、具体的な例をあげて、もう少しくわしく説明しますね。


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ひとりひとりの子にとって一番大事な働きかけ 1

2011-05-23 13:53:05 | 子どもの個性と学習タイプ

今日は幼稚園に通い出したばかりの★くんのレッスンでした。(今日は休園日でした)
★くんは、ひとつのことでじっくり遊びこむのが上手な子ですが、
このところ少し落ち着きがない様子で、
「あれがしたい」と言っては、すぐにやめて、
「あっちがしたい」「こっちがしたい」と気が変わりやすくなっていました。

「園から帰るときは満足しきった明るい表情をしているのですが、
疲れてもいるらしく、すぐ遊びを変えたり、かんしゃくを起したりします」
という親御さんのお話でした。

幼稚園に通い出して、★くんはそれまでの中性的な優しい顔立ちから、キリッとした男の子っぽい顔立ちに変わってきていました。
口調も、時折り、俺様調になって、
1歳の弟くんに手荒に接する姿もありました。

★くんは想像力が豊かで、
目には見えない物に仕組みや原理に強い興味を示す子です。

虹色教室では、これまでそうした興味を工作活動を通してアウトプットするように手助けしてきたので、
「足で踏むと開くゴミ箱は、どうして開くのかな?」
「ティッシュ箱からティッシュが次々出てくるのはどうして?」
といった疑問をたくさん抱いて、よく観察してから自分の推理を言葉にしたり、簡単な紙工作で仕掛けを作ったりすることに
とても積極的でした。

ところが、幼稚園への入園後、久しぶりに教室に来た★くんは、
磁石で玉を移動させるおもちゃで遊んだかと思うと、
「それと似たおもちゃを作ってみよう」という誘いに、ちょっと乗ったかと思うとやめて、

「これが作りたい」と発泡スチロールの地面の下の生き物模型を指し、

発泡スチロールを用意して作り出すと、
「やっぱりあれがしたい」「これがしたい」と気持ちが揺れていました。


そうした姿を見ると、幼稚園生活に慣れるのに疲れていて、
集中力や根気を失っているようにも見えます。

けれども、
次々、することを変えながら
★くんが私に訴えようとしていることを聞いていると、
ただ飽きっぽさが際立って、遊びを変えているのでもないことがわかりました。

★くんの話では、お家に戦隊物のパチンコのおもちゃがあって、
それと同じようなものが作りたいのだけど、

「このおもちゃはどんな風に動くのかな?」
「この材料で作れそうかな?」と
そのイメージに合いそうなことをあれこれ試してみるのだけど、どうもしっくりこないようなのです。

★くんと会話を交わしていると、以前より自分が何をどのようにしたいのか考えるようになっていて、選んだり判断したり振り返ったりすることが上手になっているのがわかりました。

今、★くんは、
以前よりもっと自分のイメージに合ったものを、
自分で選んで、自分で決めて、自分で創作したいという思いが高まっているようでした。
それだけに、「ちょっとちがう」「ちょっとちがう」と試したり、考えたり、ボーッと想像したりする時間が長くなっているようなのです。
頭を使う時間が増えているので、
落ち着きがないようにも、あまり生産的でないようにも
見えるのです。

そこで手っ取り早く「これしなさい」と課題を与えてしまわず、

★くんのイメージの世界に耳を傾け、

★くんが試行錯誤して必要なものを選ぶのを待ってあげ、

「この子は自分で考えだしたことは、最後まで放り出さずに
完成させる能力がある」という信頼感を持って接するようにしました。

ここで、★くんの表面的な行動だけを見て、
「やりはじめたことは最後までしなさい」と注意するのでなく、

★くんが「こういうことがしたい」という一貫したイメージを持ち続けていることを認めて、
あれこれ試すのを、★くんの思いに耳を傾けながら、
適度に手伝ってあげるようにしたのです。

それから、
「★くん、いいもの見せてあげようね」と言って、
磁石のエサに食いつくと、バタバタと暴れ出す魚のおもちゃを見せました。

「どうして、動くんだと思う?」とたずねると、
魚の口の中をよく観察してから、
「磁石でね、このところが、引っ張ってギューッてなって、それでなる」と
パアッーと表情を輝かせて目を答えました。

「お魚を泳がせる海が作りたい。それで、釣竿で釣りたいよ」と言うので、
青い布や紙がないので白いテーブルクロスを海に見立てることにしました。
すると、★くんは、うれしそうにいろいろなアイデアを出しながら、
海の中の景色を熱心に作りました。

★くんは、これまでも何か制作をするときには、
部屋全体を使って恐竜の世界を作ったり、
ストーリーを自分で考えて劇を演じたりするなど、
スケールの大きな舞台で、自分の想像力をさまざまな方面で使いきることを
楽しんでいました。

そうした好みや性質を考えて、
この子にとってやりがいがあってワクワクする活動というのは
どのようなものか配慮すると、
一度、落ち着きがなくなる時期があっても、
それを超えると、より創造的で、知的な遊びを展開するようになってくると思います。






★くんは、電車で遊んでいるときにも、
「走り出すと、こうやってだんだん速くなっていくんだよ」と言ったり、
「どうして、この中をすべるとき、ひっくり返るのかな?」
「どうして~なんだろう?」
と科学に通じる興味を口にすることがよくあります。

科学の絵本や
易しい科学の雑誌のようなものに親しめるようにしてあげると、
そうした疑問や考えを言葉で言い表しやすくなるように思いました。

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