虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

性格のタイプ と 家族 子育て

2011-05-22 22:22:14 | 日々思うこと 雑感
家族って、ずいぶん長い年月、密着して暮らしていますから、
それぞれが 何に一番 価値を置いていて、
どんな動機で、何にどう取り組んで、
どう振り返るのか、
どのような見方で世界と関わり、
人と関係を作り、
何に惹かれ、何を嫌悪し、
どのように自分の考えを練り、
どのようにそれを伝えて、
暮らしているのか手に取るようにわかります。


うちのダンナはおそらく外向的感情の人で、私とは天と地ほども
考え方も行動の仕方も違います。
あまり違いすぎて、何十年いっしょに生活しようと、
お互いが理解不能の異邦人のままです。
かつてはけっこう言い争いもしたのですが、今では性格が180度違いすぎて、
かえって気楽に仲良く過せている気がします。

感情、思考、感覚、直観と、それぞれ優越機能が異なる人が、
同じ体験したとすると、
次のような態度の違いがあるな、と感じています。(直観のみ、外向的な場合と内向的な場合に分けていてすいません。)

目の前の氷山があるとすると、
感覚が優れている人は、
氷山のサイズや成分や温度や時間による変化や色などを正確に確認し、
技能や体感として自分の益となるものを得るでしょうし、

思考が優れている人は、論理的にそれについて分析して、自分の考えを整理して言葉に言い表すでしょうし、

感情が優れている人は、人といっしょにそれを楽しんだり、それを現実的な社会で価値がありそうなものとして生かすでしょう。

直観が優れていて、外向的な人は、氷山からさまざまな発想を得たり、
それを外の世界のさまざまなものと結びつけるでしょう。

直観が優れていて、内向的な人は、
なぜか見えている氷山にはほとんど興味を示さずに、
その氷山の下に広がっている未知の不可視の部分に目を凝らすはずです。



娘は内向的感情の外向的な部分もかなり持っている子、息子は内向的直感の
思考寄りの子です。

同じ事態に遭遇したとき、
娘と息子の価値の置き方や捉え方や行動の仕方の違いを見ていると、
そのふたつのタイプのちがいが浮き彫りになって見えてくることがよくあります。

たとえば、受験勉強にしても、娘は目標を達成するために何が必要か調べて、
段取りをつけ、
勉強を始めると、いかに要領よくそれをマスターするかということに重きを置いています。
周囲に評価されたり認められたりすることが、
娘の学習動機で、勉強内容に関しては、目標の達成に必要なことを
過不足なくマスターすることに興味を持っています。
娘を見ていると、感情が優れているということが、
いかに社会に適応していくのに役立つのかということが
よくわかります。

同じように受験勉強をしていても、息子の心に響くことは、娘の心に響くこととずいぶん違うんだなと感じます。

今日の昼食時も、息子が、
「(入試の科目に)地理を選んでいてよかったよ」と言うので、どんなところがよかったと思うのかたずねると、
次のような返事が返ってきました。

「地理を勉強すればするほど、いかにぼくたちに与えられている情報が統制されていて、日本が国家として国民にこういうことを信じていてほしいと思っているものにだまされているのかがよくわかるよ。

統計はある意味で嘘をつかないからね。

地理の勉強のために、
統計を眺めているとさ、何でこんな数値が出るんだろうって疑問が
次々湧いてくるんだ。
その背後にある理由を探っていくと、
とても面白い世界の現実が見えてくるよ。

たとえば、この近年、何かというと、エコ!エコ!って耳にするけど、
あれって先進国が地球の環境を汚染しているから、
環境保全に励んで、発展途上国の自然を守っていかなきゃいけないってイメージがあるよね。
でも統計では汚染物質を垂れ流して、環境破壊を加速しているのは、
中国やアフリカといったこれから発展していく国で、先進国が汚染の大元ってわけじゃないんだ。
だから、本当に先進国がしなくてはならないのは、
そうした国々に技術提供をして、さまざまな面で援助の手を差し伸べて
環境を汚染しないで成長する道を支援していくことなんだよ。

でも、エコ、エコ、騒いでいるわりには、
先進国はそうした本当の環境汚染を食い止める手段を実行するのは
避けて、しぶっているんだ。
そうした国々が力をつけていくのは脅威だからね。

二酸化炭素の削減にしても、あまりに大騒ぎしすぎだなってほど
そればっかり騒がれているけど、
それが原子力の問題を隠す情報拡散の役割を担っていたりするんだ。

地理を勉強していると、日本国内だけの常識にだまされる感性はなくなるよ。
もちろん、日本だけじゃなくて、海外は海外でその国民が
信じ込まされている何かがあるんだろうけどさ。

ただネットをやっていると、国がそうして情報統制する理由も
少しはわかる気がするんだ。
本当のことを伝えたところで、本当のことを理解せずに勘違いして、
パニックを起して暴走する人々がいるからね。
勘違いするくらいなら、事実をオブラートに包んで伝えようって気になるのもわかる。
放射能汚染の問題にしても、情報を受け取る側も、せめて単位について正確な感性を得た上で、その話題を議論するってことが必要だと思うからね。」

娘の場合、
「○○を受験の教科に選んでよかったわ」と感想を言うときには、
それが目標を達成する上で、有利だから……という
理由と結びついていたはずです。
息子の説明を聞きながら、受験とはあんまり関係のないポイントが
響く子だけど、
性格のタイプの違いは、本当に奥が深くて面白いなと感じました。

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食べ物を使った 理科の実験

2011-05-22 20:50:04 | 理科 科学クラブ
小2の☆ちゃんと
食べ物を使った理科の実験を楽しみました。




にんじんの中央にスプーンで少し穴を掘って、
塩を詰めます。


2~3時間の間にどんどん水が出て、にんじんがしわしわに
なっていきます。

簡単な実験ですが、作業が楽しくて、
子どもからさまざまな気持ちや疑問を引き出す実験です。

これまで、この実験では、子どもたちから、

野菜には水が含まれているのか……。
塩が水を吸って湿ってくるのが面白い。
にんじんが汗をかいたり、おしっこしたりしているみたい……。

といった感想がありました。


野菜からでんぷんを取り出す実験もしました。


牛乳に柑橘類の汁を入れて、
ヨーグルト状に固める実験もしました。



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直観の優れた子に「アウトプットする手段に枠組みを設ける」ってどういうことですか? 2

2011-05-22 10:47:33 | 日々思うこと 雑感
直観が優れている子に対して、
「いつも繰り返し遊んでいるごっこ遊びの中で
アウトプットできるように手助けしてあげる」というアイデア、
なかなか前々回の記事から連想できるものではないですよね。
このアイデアに気づいた親御さんは、
わが子の落ち着きのなさにほとほと疲れているという現状を
何度か相談してくださっていたのですが、
この発想が出てくるあたり、息子さんと同様に優れた直感の持ち主なのかもしれません。

ごっこ遊びは、新しいタイプの企業といったビジネスにも、
小説や作文の創作にも、映画作りにも、
社会の仕組みを理解するのにも、文字や計算の訓練にも(チケット作り等で)
役立つ本当にバカにならない遊びだと思います。

うちの子たちも、小学校の6年間を通して、年がら年中、
ごっこ遊びもどきをしていたな~と思い当たりました。
↓過去記事にその様子を書いています。

ジェネレーションギャップ  と 『コピー』で遊ぶ子ら

直感の優れている子は、自分自身で、
「アウトプットする手段に枠組みを設ける」遊びを見つけ出して繰り返すことも多いです。
それを周囲がバカにしたり、もっと生産的な何かに変えようとしなければ、
一生役立つ思考の補助道具を手にいれることになります。
私自身の失敗体験を目にして、子どもの好きな活動に
親はどこまで介入してもいいのか、
距離の取り方を学んでくださいね。


番外 白い紙と えんぴつと…

私は典型的な内向的直感型の子として成長しました。
大人になって、徐々に他の機能も発達してきて、
今は劣等機能である感覚とぼちぼち付き合いながら、いろいろ学んでいるところです。
客観的に物を眺められるようになった大人になってはじめて自覚したのですが、内側に向かう直感ってかなり変わっています。
自分の子どもの頃を思い出すと、
ある面、「目が見えていないんじゃないの?」と呆れるほど、馬鹿なところが多々ありました。
他の人と見えているものや、見ているものがちがうというか、
リアルな現実にはほとんど関心がなく、身の回りの世界の大部分が視界からも意識からもこぼれ落ちているのです。
ですから、ただただその場その場を半睡状態で過ごしているような
ところがありました。

ですから外から見た目はずいぶんお馬鹿さんだったろうし、
現実にあまり賢くなかったのですが、
自分が自由に動き回れるフィールド内では、
常にシャキッと目が覚めてる状態で、
たったひとつの見落としもありえないほど研ぎ澄まされた感性で観察していました。
自分が自由に動き回れるフィールドというのは、
リアルな世界の空間を指しているのではなくて、
子ども時代の私が常に注意を向け、計測し、観察し、分析していた
「目には見えないけれど感じられる何か」という世界についてです。

「目には見えないけれど感じられる何か」なんていうと、まるでスピリチュアルな不可視な世界について語っているようですが、
そういうものではなくて、
それはそれで目で見えはしないけれど、目で見えているものを通じて感じ取る現実にある何かで
見えているものの背後に隠されている雰囲気や違和感や予兆や原因といったものでした。

たとえば、私は幼稚園くらいのときも、自分の母親や幼稚園の先生の言動や考えや行動が、
何を根拠にしていて、どのような価値観のもとで生じていて、
どういう行動としてアウトプットされるのか、
まるで色や空間の広がりとして目で見て確かめられるものであるように
毎日計測しては、そのデーターを記憶していました。
ですから、幼稚園に毎日、忘れずに何を持っていかなきゃならないのか……
なんてことは、通い出して一年経っても
頭からすっぽり抜けているのですけど、

自分の住んでいる地区の人々が、ある理念には重要性を与えて
ちょっと強い口調で語り合いながら、
その理念と同じ内容でありながら別のことになるとまるでそこにないもののように無視しているような場合、それに気づかないということはありえませんでした。

幼稚園児なんですが、そこにピンポイントで集中しているのです。

そこから何か不協和音を感じ取って、
その背後にあるそうした心のあり方を作り出している何かに気づいて、
それについて延々と考え続ける……
ということをいつもしていました。

はっきりいって、私がそれにどれだけ力を注ごうと、現実の生活で役立つことはあまりありませんでした。
ちょっと間が抜けた感じの見た目になるくらいで。

でも、今になると、当時、そのような目で計測しながら観察していた記憶が、
過去を振り返っていろいろなことを考えるのには役立っています。
そういえば、今の仕事にも役立っていますね。

今の年齢になって、当時の自分を眺めると、
「絶妙なタイミングで怠けていて、親の思い通りに育たないでいて、
えらい!えらい!よかった~よかった~」という感想を持っている自分がいます。親からすれば怠けにしか見えないことも、
私にすれば最も得意な分野の開発に余念がなかった
わけでもあるのです。

もし、私が親の勧めるピアノやそろばんで完璧を目指すような子だったなら、
今の私の生きていく術となる特技なんて
大人になるまで残っていたのだろうかと感じるのです。

人生の長さを思うと、
私は、結局、「私」でしか生きていけないのです。

周囲に無理につけてもらった飾り物の能力が
いくつあったところで、
私にとって邪魔でこそあれ、きっと必要のないものだったでしょう。


子どもたちと接していると、
4歳くらいの子でも、当時の私ととても似た感じ方や行動の仕方をする子に出会って、「性格のタイプって後から身につくものではなく、生まれたときから
持っているものだな」と面白さや感動を味わいながら、
再確認しています。

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直観の優れた子に「アウトプットする手段に枠組みを設ける」ってどういうことですか? 1

2011-05-22 08:57:12 | 日々思うこと 雑感

前回の記事に次のような質問をいただきました。
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うちの子供は二人とも直感のような気がします。

新しいことに興味を示し、同じ作業をするのが苦手です。

最近、気にしていることが、先生のプログに書かれていた
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とにかく次々と興味が移るので、放っておくと、いろいろやりつくしたけど、何もその子の手の中に残っていない(確かな力がついていない)……
という状態にもなりやすいのです。
------------------------------------------
アウトプットする手段に枠組みを設けるのです。
------------------------------------------
と書いてありますが、どのようにすればいいのか、もう少し詳しく教えてください。

ブロックも紙工作も好きではあるのですが、続かないのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ブロックも紙工作も好きではあるのですが、続かない」という気がかりは、

親心としては、

ブロックや紙工作をするからには、
外からの評価されるような
技術的な向上や作品としての完成度を高める方向に進歩することを望んでいるのに、
いつまでも「好き」のレベルのまま変化しないことへの心配ではないでしょうか?

こうした たいていの方が陥る
「物作りに対する固定された価値判断の基準」は、
直感が優れている子たちにとって
百害あって一利もないものです。

直観が優れている子たちにとって、
アバウトにいい加減に作るからこそ
そうした行為が意味や価値を生むことが多いからです。

直観が優れている子たちにとって物作りは、
算数の文章題を解く時に簡単に図を描くことや、図形問題を解く時に
アバウトに補助線を入れる行為に近いものです。
また、それに直結したものでもあります。


思考を助ける補助道具として、
あくまでも思考を優先しながら、
具体的に目からのフィードバックを得ながら
何かを考えたり、アイデアを実現してその可能性を追求したり、
問題点を見つけて改善したりするためにあるのです。

美しい完成品を作って
他の人々から賞賛を受けるために
物を作っているわけではないのです。

ですから、
「ブロックも紙工作も好きではあるのですが、続かない」という状況そのものは、このタイプの子にとって、
「自分にとってハードルが低めですぐにできる」ことを持っているという

「ある枠組み内でアウトプットする手段を手にしている」良い状態を指してもいます。

私の場合は、その「好き」な状態の上に、
このタイプの子が次々持つ興味を、このブロックや紙工作上で
実現するにはこうすればいいのよ」という具体的な見本が
たくさんあると良いなとおもっています。


そうした見本と大量に出会うことを目的に、工作のワークショップ開いているのですが、
現実には、それぞれの親御さんが自分の価値判断のもとで工作を眺めていて、
それ以外の意味や価値をないものであるように遮断してしまっていてるところもあります。
子どもは感受性が優れているので、
それに直接アクセスして、
しっかり吸収しているのですが、
親御さんの価値判断の影響で、だんだんそれが鈍くなっている印象もあります。

直観が優れている子に、その子の能力を最高に高めてくれる
「アウトプットする手段の枠組みを設け方」は、ちょうど、web拍手に
すばらしいアイデアをコメントしていただいていたので、
それを紹介させていただきます。

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息子はまさに直感型だと思われます。細かな分類は分かりませんが、とにかく新しい物大好き、小さいころから床でも天井でも道ばたでも穴があればのぞき、引き出しがあればあけて、というタイプでした。好奇心旺盛で他の子が見向きもしない小さなことにも興味を示す。そんなところが息子の良さだと思いつつも、やはりそのために困ることもあり・・。でもこれは息子の個性で、好奇心の旺盛さはつけようと思ってもなかなかつく物でもなく、だけどこのまま放っておいていいものか。それはいつも親として思っていました。でもどうしていいのかわからずにいたのです。今日の記事を見て、息子なりのアウトプットの方法・・。7歳になったばかりの息子は、ごっこ遊びが大好きです。7歳でごっことは少し恥ずかしい気もしますが、年々進化しており、事前準備(自分でチケットやチラシを書き作る)もして相変わらず熱中しています。私も正直、ごっこ遊びの相手はうんざり、とも思っていましたが、息子が好きで熱中できる物、それはやはりごっこ遊びです。今まで嫌々、そして時々だけ付き合っていたごっこ遊びを進化させて、チラシやチケット作りを好きなだけさせて、私ももっと息子に付き合おうと思います。ごっこは一人じゃつまらないですし。息子なりのアウトプットの方法を探りつつ、大好きなごっこ遊びを進化させていきたいと思います。
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次回に続きます。
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3、4 歳児のグループレッスン  個性に合わせた働きかけ 3

2011-05-21 19:20:24 | 日々思うこと 雑感
☆ちゃんと、○ちゃんは直観が優れている子たちです。

それでふたり同時に、新しいものに目ざとく飛びつくので、
「私がする~」「私がする~」と奪いあっていたかと思うと、
あっという間に次の何かに興味が移っていました。

ふたりとも頭の回転が速くて、考える力も高いし、
物作りも大好きなのですが、
じっくり取り組まないので、
作業に根気よく取り組んだり、
器用にていねいな作品を作ったりするのは苦手です。

そんな姿を見て、親御さんたちは、
「どんな風に接したらいいでしょうか?」
「いつもお姉ちゃんのために準備したことをいっしょにするだけで、
この子のためにだけに何の働きかけもしていないのですが、いいでしょうか?」
と少し気がかりな様子でした。

☆ちゃんも、○ちゃんも、大人が何かさせようとすると、
たちまち自分たちで考え出した創造的なアイデアをミックスさせて
別の遊びに変えてしまいます。

そのため感覚の優れた子たちといっしょに過していると、
できることに大きな差が生じていくようにも見えます。

でも、このタイプの子たちは、一瞬しか興味を示さなかったものからも
とても本質的な何かを嗅ぎつけて、
驚異的なスピードで学び取っているので、
ちょっとした質問を投げかけると、
その賢さに舌を巻くことも、とても多いのです。


今回、私は「右」と「左」について学ぶために、
自分の右手を上げたり、お友だちの右足をくすぐったりといった
左右を体感するための遊びをしていました。

そして○ちゃんと、☆ちゃんを向き合って立たせて、
「右はどっちかな?」と○ちゃんにたずねました。
すると自分の右手を挙げます。
そこで、「☆ちゃんの右手はどっちかな?」と○ちゃんにたずねると、
「こっちだよ」と自分の手の側とは反対の☆ちゃんの右手を指します。

そこで、
「なら、もし、☆ちゃんの立っているところに鏡を置いたとして、
鏡に映っている○ちゃんの右手はどっち側になるのかな?」
これまでしたことのない意地悪な質問をしてみました。
まさか正解すると思っていなかったのですが、
鏡をのぞいているシーンを想像しているような身振りをしてから、
「こっちだよ」と正しい方を指差しました。

ちょっとやってみて、どんなものだか理解したとたん、すぐに飽きてしまいがちで、
小学校に行くようになると、
「どうしてもう覚えている漢字を何度も練習しなくちゃならないの?」とむくれたりして……
ちょっと困ったちゃんの一面もあるこのタイプの子ら。

けれども、
「わかれば次」「わかれば次」と好奇心のままに探索しまくる態度は、
洞察力や理解力を高めるのに役立っているようです。

そんな風に勝手に頭を使って、勝手に賢くなっていくので、
放っておいたらいいのか……というと、
それはちょっと問題があると思っています。

とにかく次々と興味が移るので、放っておくと、
いろいろやりつくしたけど、何もその子の手の中に残っていない(確かな力がついていない)……
という状態にもなりやすいのです。

私はこうしたタイプの子には、
広がりすぎる興味をひとつのフィールド上に
統合させてアウトプットすることができるようにしていくことが
大切だと感じています。

次々、新しい好奇心に突き動かされて動くことはこの子たちの
生まれ持った気質ですから、
それはそれとして大事にしながら、
新しい興味を、いつも紙工作で表現するとか、
ブロック制作で表現するとか、
興味をもつ範囲はどんどん広げても、アウトプットする手段に枠組みを設けるのです。
子どもによってはビデオで録画する活動や電子工作などが向いている子もいます。

すると、新しいことに目を奪われて興奮した頭を
手を使った作業の中で整理して、
それまで学んだ他のこともその中で復習しながら、組み合わせて、
継続的に技術を蓄積していくことができるようになりますから。
うちも息子が直観が優れているタイプだったので、
さまざまなことに関心を広げていました、
雑然となりそうな多種多様の知識は、
一枚の紙で工作してみて表現するという活動に集約されていました。

私も直観が優勢なタイプなので、とにかく次々と興味が広がりやすいのですが、「ブログ」というシンプルなアウトプット法の中で整理する習慣がついてから、
「とめどなく関心が散ってお終い……」という以前の悪い癖が減りましたよ。


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3、4 歳児のグループレッスン  個性に合わせた働きかけ 2

2011-05-21 14:10:54 | 日々思うこと 雑感
4歳前後の子たちに、
4方からのぞけるようになっている写真のような箱と、ある方向からのぞいている人形を見せて、
「ビッグバードには、何が見えるのかな?」とたずねると、
首をかしげます。

それで、子どもたちを呼んで、
ビッグバードののぞいている穴から中をのぞかせてあげると、
「あっ、しっぽが見えるー!!」と
びっくりした声をあげてはしゃぎます。

その方向から、どんな風に見えるか想像がつかなくて、
実際、目で確かめることができると心から感動するようなのです。
この年齢の子たちは、面白いです。
そうしたひとつひとつの現実にいちいちびっくりできて、心から感動できるところが……。

10つぶの小豆が入っている1000までの数で遊べる道具もままごとで人気でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レッスンに参加している☆ちゃんと○ちゃんは、直観が優れている子たち、
★ちゃんは感覚が優れている子です。

感情や思考が優れている子らも、何かをインプットしたりアウトプットする際は、直観か感覚のどちらかに寄っているので、
この2つのタイプへの(直観か感覚)対応を参考にしていただけたらと思います。

感覚が優れている子は、
根気があって、一度はじめたら集中して取り組む子が多いので、だんだんと器用になっていく子が多いです。
このタイプの子が不器用になるのは、
ある年齢まで手作業をあまりさせず、他の子のように上手にできないことを気にしたり、自分の理想のレベルの上手にできないことを気にかけるときです。
また、ひとつの基本パターンを組み合わせて
美しい大作を作ることが好きなのに、
自分で考えた自由工作を作るように期待されて、不安が強くなっている子も
不器用なままの場合があります。

感覚が優れている★ちゃんは、直感が優れている☆ちゃん、○ちゃんのように
新しい課題にすぐに飛びついたり、
自分でひらめていた考えを口にしたりするといった
すばやい反応は少ないです。
けれども、
ひとつの基本的な計測方法を学ぶと、
「このときはどうだろう?」「このときはどうだろう?」と

さまざまなパターンをひとつひとつ確実に確認していく姿がありました。

こうした感覚の優れた子たちの能力を引き出すには、
感覚が優れている子たちがどのような活動に興味を示して、
どのようにするとそれを洗練させていくのか
身近な大人が知っていることが大切だと思っています。



★ちゃんは、ものさしを使って工作したお人形の身長測定をしたのが気にいって、
おもちゃのアイロン台のたてや横や斜めの長さを測りたがったり、

四方から観察する箱が気にいって、中身の向きを変えたり、のぞく位置を変えたりして熱心にどうちがうのか観察したがりました。

1000までの数の箱から、100を取り出すのも
楽しんでいました。

それらは全て★ちゃんが自分でやりたがったアイデアです。
「斜めはどうなるのかな?」といった疑問を口にしたとき、めんどくさがらずにいちいち物差しを取ってきて、いっしょに測ってあげるという手間をかけると、このタイプの子はとても喜ぶなと感じています。

大人が自分のために手間をかけて動いてくれるのが、
とてもうれしいのです。直感の優れている子たちが、勝手に自分でどんどんやりたがるのと、ちょっとちがいます。

それで、物差しを片づけると、再び、「これはどんな長さかな?」とたずねます。

ていねいに見本を見せたり、
何かしたがるとき、やりたがるだけ付き合ってあげると、
何でも完璧にていねいに取り組むようになります。

次回は直感が優れている子たちへの対応を書きますね。

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3、4 歳児のグループレッスン  個性に合わせた働きかけ 1

2011-05-21 13:28:51 | 日々思うこと 雑感
今日は4歳前後の★ちゃん、☆ちゃん、○ちゃんのレッスンでした。



3人とも工作が大好きです。
かわいい工作道具が入っている箱から、ビーズやレースや羽を取り出して、
紙コップのお人形や傘やお家のカギなどを作りました。




「今月は何月かな?」と問うと、
「知っているよ、5月。」と○ちゃん。
「今月が12月ということにして、クリスマスごっこをしようか?」とたずねると、3人とも「それはおかしいよ」とゲラゲラ笑い転げていたわりに
寝たふりをして、プレゼントを待っていました。

それから、何度もクリスマスごっこをした後で、
6月になって雨がザーザー降ってきて、水たまりで遊ぶごっこや、
7月になって水族館にイルカショーを見に行くごっこなどをノリノリでしていました。
水たまりごっこの後で、「傘を作りたい」と○ちゃんが言ったので、
円を描いて、切って、傘の形の円すいを作りました。
★ちゃんは、こんな傘も作りました。↓

中から見た図がきれいになってとても喜んでいました。

その後、時計の読み方遊びをして盛り上がりました。

次回に続きます。 個性に合わせた働きかけは次回に。


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本当に その教育法でうまくいくの? 勉強につまずくときの対応と予防 6

2011-05-20 15:27:11 | 日々思うこと 雑感
本当に その教育法でうまくいくの? 勉強につまずくときの対応と予防 3の記事に次のようなコメントをいただきました。
----------------------------------------------------------------
長文で失礼します。
最近小学生の親向けの掲示板や教育雑誌に感じていたなんともいえない違和感が、「時間」を「お金」で買うという感覚だったのかなと思いました。私立の中学を選ぶ際に「東大合格率」で選ぶというのはまさにこの感覚から来るものでしょうね。「東大合格率の高い学校」に合格率の高い塾を探すのは、私立中学入学を希望する一部の親にとっては大命題になっているようです。

もちろん、こういう風潮が良いとは思いません。子供はできるだけ沢山お友達と遊ばせてあげたいとも思います。しかし現実はそんなに単純ではありません。私は神奈川に住んでいますが、神奈川の公立高校の入試はそのほとんどが先生の主観を含む内申で決まります。でも目の前の公立小学校の現状を見て、その子達が進む中学の内申で高校が決まる現状を考えると中学受験を考えざるを得ないのです。それは現場の先生方の努力ではどうにもならない問題だからです。そして中学入試を考えるということは、小学校生活後半の大部分の時間をそれに費やすということでもあります。時間にせよお金にせよ、その労力があまりにも大きいために、つい「対費用効果」を追求したくなる気持はとても理解できます。

更にその労力を少しでも楽にできたらと「早くからのスタート」を考える親もいます。一部は小学校入試に走り、他の多くは低学年でどのように過ごせば受験勉強を効率的にこなせるかを考えます。全ては子供を思うがためです。そして沢山の情報に流され、気がつくと子供を追い詰めているのです。追い詰められているのは子供だけではありません、親もまた「子供から大切な時間を奪っているのではないか」という自責の念にかられています。自分のやっていることが間違いだとは思いたくなくて、過剰防衛に走りやたら攻撃的になる親もいます。

当事者以外がそんな親の姿をみて「子供にとって何が本当に大切なのかわかっていない」と批難することは簡単です。でも批難している人間も、批難されている人間も「子供を思っている」気持自体は実はそれほど違うわけではないのです。実際、小学校時代にそういって受験する親を批難していた人から、公立中→高と進むにつれ「あの時多少無理させても受験させておけば」と後悔している声をよく聞きます。子供の教育を真剣に考えれば考えるほど、公の教育に任せておけない、と思うようです。今は親が何も考えずに地域の学校に任せておけば自分の子供の頃と同じように子供が育つ時代ではなくなってしまっています。そうしてなるべく子供をよく育てよう、親が賢くなろうと考え勉強したあげく、方法論に偏ってしまい、結局は子供を傷つけたりするのです。だからこそこの問題は根が深いのではないでしょうか。

教育にお金をかけることを全て否定するのも何か違うように感じます。稽古事にしろ塾にしろ、上手く嵌れば学校以上に子供に多くの気づきを与えてくれる場所になるからです。子供が、親と学校の先生以外の大人に触れるのも大切な経験ではないでしょうか。少なくともうちの小学生の娘は、お稽古事で精神的に大きく成長しています。
だからこそ「子供を追い詰める親」と「子供を成長させられる親」の違いが知りたいと思います。それは単に中学受験をするとかしないとか、勉強時間を何時間とるとかの問題だけではないはずだと思うからです。
それでも中学受験を選択した時点で、子供から何かを奪うことになってしまう。親として、とても苦しいです。
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苦しいお気持ち、とてもよくわかります。

子どもにより良い選択肢を与えたい、より良い道を歩めるように
手をつくしてあげたいと思うのは、
自然な親心でもありますよね。

私もうちの子たちを育てるなかで、何度も真剣に悩まなきゃならない
選択肢にぶつかったことがあります。

何を選んだとしても、
「最終的には子どもの自立と成長をうながす支えとなった」と満足する結果を得ることができた
私の工夫を紹介しますね。


★心の中に「選択肢に対して反対したり攻撃している敵」を作らない。


子どもの進路に関する大きな選択は、
子どもが決めたことでも、
それを許した親にも
後々まで責任が発生するし、覚悟も必要です。

ですから心の中の余計なノイズを省いて、
うまくいかなかったときのことも
しっかり想定して選ぶ必要があると思います。

自分の意見に反対して攻撃してくる人のことを考えながら
何を選ぶか悩んでいると、
頭が感情に乗っ取られてしまって、主役である子どもの存在を忘れて
良し悪しを決めてしまうなんてことも起こります。

将来の進路が決まるような試験の最中に、
友だちとの口げんかのことで頭がいっぱいで大きなミスをする
のと似ています。


自分の選ぼうとしている道に対して、
あれこれいう人の意見は、選ぶかどうか決めるときに、
起こりうる問題点をリストアップしていってくれるので、
冷静にひとつひとつ検討していくとき役に立ちます。

攻撃する人は、どっちにすべきか迷いや不安があるからこそ、
感情的に攻撃しているのですから、
後から反省して、正反対の自分側の意見に同調してくる可能性が大きいです。

誰かが自分に批判的な目を向けていると思うと、
ゆがみのない目で状況を正確に判断するのが難しくなります。
選択眼を狂わせる原因にしかなりません。



うちの子の受験の時は、↓にリンクした過去記事にも書いていますが、
現実に学校や周囲から猛反対を受けました。あきらかに攻撃的な言葉もたくさん投げつけられました。
でも、実際、がんばるのも子ども、結果を受け止めるのも子ども。
不安に耐えるのも、障害を越えるのも子ども本人。

それを請け負うわけでもない親の私が、自分を批判している人がいる‥‥‥と身構えて、
どうしようかと考えるのは、子どもにとってよくないと感じました。


子どもには、自分の選んだことに責任を持って、
覚悟して臨んでもらいたかったので、
親の私は、なるべく心をクリーンにすることを心がけました。



★未来の選択肢は、どちらも確率的に有利であるに過ぎないと
あっさりと捉えておく。



まだ経験していない未来について、

「あるひとつの道しか自分が望む何かを得る方法はありえない」

と、親が追い詰められた気持ちを抱くのは、
大きな危険が伴います。

特に、それが子どもに関することである場合。

「こっち」の道はリスクが高すぎるから、
「あるひとつ」の道しか自分が望む何かを得る方法はありえないと感じたとしても、
結局、「こっち」にしても「あるひとつ」にしても、
50%の成功率と80%の成功率という具合に、
どちらも確率に過ぎないのですから。

子どもの人生は、お金と時間と労力をかけたら
必ず親の選択した通りになるものではなく、
子どもの能力や運、体調、親子関係などの
さまざまな要素が影響するので、
未来はどのみちわからないのです。

「絶対、こっちに行かなくては、あっちに行くと先がない……」と親が思い込むほど、
思っていた道に進めなかったときに、
子どもは「人生の終わり」であるかのように絶望してしまいます。

「どの道を歩んでいても、そこで全力を傾けて努力する」
ということができなくなってしまいます。


小学校時代に受験する親を批判していた人から
「あの時多少無理させても受験させておけば」という後悔を聞くと、
「その方々の選んだ選択肢はダメだった」という印象を受けますよね。
でも「その方々にとってダメだった」だけで、その道の成功率は0%ではないはずです。

私は 人づてにですが、私立の中高一貫校を選んだ(受験した)ことで後悔しているという方の話をちょくちょく耳にすることがあります。

受験に失敗して公立に行かざるえなかった……。
中高一貫校の多量の宿題と進度の速い授業についていけずに学校に行けなくなった……
学力が伸びずに留年や退学を余儀なくされた……校風が子どもに合わない……など。

こうした方々はごくまれなケースかもしれませんが、
宿題が多すぎたり、授業についていけなかっり、成績が伸び悩んだりする悩みは、私立に子どもを通わせている数%の成績優秀児の親以外は
ほとんどの方が抱えている苦しみではないでしょうか。



★子どもが挫折したとき、自分で責任を負えるように
親のもやもやした心という余計な荷物を背負わせない。
将来にダメージを与える不安を刷り込まない。


うちの子たちは本人の希望で中高を、娘は公立に、息子は私立に行かせましたが、どちらも大変といえば大変で、
一方を選べば選ばなかった選択肢を思って後悔するような印象があります。

私自身は、「だから、どちらを選んでもいっしょ」とは思っていなくて、
子どもの能力や気質や目指している進路によって、
「客観的に見て、より良い選択肢」というのはあると思っています。

でも、それは、「絶対」ではなくて、
チャレンジするのも、失敗のリスクに立ち向かうのも、
さまざまな現実を受け入れていくのも、結局、子ども本人なのですから、

親の私の価値観やら迷いやら世間体やら願望やらで、
本人が自分の目の前の現実に誇りを持って生きることができなくなる」ということがないように自分の心に気を配っています。

たとえば、子どもが、受験をして不合格になった場合でも、
「その痛みに耐えて、自分のすべき努力を続けて、勇気を持って、次もチャレンジする」という現実は、
子どもにとって全身全霊で向き合わないと超えられない巨大な山です。

親の価値観や迷いや世間体や願望などという
余計な荷物を背負いながら
できることではありません。

高校受験がエスカレーターで進めたところで、
大学受験、就職試験、就職後のどこで大きな挫折を体験するかもしれないし、
それまでに親の内面の不安や罪悪感といったもやもやを
刷り込んでいればいるほど、
子どもの現実に立ち向かっていこうとする気持ちは
萎えるのではないでしょうか。



過去記事ですが、わが子が受験期に考えたことをまとめたものです。↓
よかったら読んでくださいね。
★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 1

★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 2

★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 3

★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 4



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本当に その教育法でうまくいくの? 勉強につまずくときの対応と予防 5

2011-05-20 08:49:08 | 教育論 読者の方からのQ&A

子どもの成長にも、物事との関わり方にも

春 夏 秋 冬 の時期があるなと感じています。

興味は芽生えていても、まだ行動にまでは移さない

「冬のなごりがある初春」の時期。

この時期は、工作でもスポーツでも勉強でも、
「やりたい!やりたい!」と大騒ぎして、めずらしさがやる気につながっている子もいますよね。

「春の時期」は、どの子も
好奇心はあるものの、不器用でたどたどしいものです。


作業や学習に慣れて、できることも増え、
エネルギーが充満している「夏の時期」

目に見える成長が見える時です。


いろいろなことをやるだけやって、
いろいろな成果を振り返ることができる「秋の時期」

でも、やっていることにそれほど魅力を感じなくなったり、
目標を見失ったりする時です。


それまでやっていたことをプッツリやめてしまう「冬の時期」

外からは、やりたいことも、成長も見えません。
でも内面では、新しい活動への興味が生まれようとしています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ワークショップやレッスンで子どもと出会うとき、
それぞれの子は、その子の季節にいます。

親御さんは子どもに対して、親がさせるものは何でも
「夏の時期」のような反応を返して欲しいと期待します。

でも、その子その子に、物事との関わり方や成長のサイクルがありますから、
年がら年中、夏ばかり……なんて子はいないし、
もしいたのなら、親の期待を取り込んで過剰に適応しているのかも
しれません。

先日、刈谷のワークショップで、終始、こわばった表情のまま
工作に参加している2歳後半の★ちゃんがいました。

私が近づいて、その子が気に入りそうなものをつくってあげようとすると、
顔をそむけて拒絶していました。

ワークショップは多人数が集まるので、
2歳くらいの慎重な性質の子には、不安を感じさせることもあるのです。
それで、年齢が幼い子の場合は、これまで会ったことがあって、
この子なら大丈夫という子に参加してもらうようにしています。

でも、この時は、前回、親御さんがお手伝いに参加してくださったこともあり、年齢を気にしながらも参加していただいたのです。

当日、元気いっぱいではしゃぐ幼稚園児や小学生たちを
避けるようにして過しているこの★ちゃんの姿が目に焼きついて、
ワークショップ後もずっと気になっていました。

その子の親御さんから、「普段から、同じ月齢の子と遊ぼうとせず、
いつも暗い表情をしていて心配です」という相談をお受けしていたことも
気がかりのひとつでした。

それで、先日、幼児3人のグループレッスンに来ていただくことにしました。

★ちゃんは、初めのうちは、緊張したままお母さんとだけ接していました。
途中で、お友だちが持っているおもちゃを奪い取ろうとしたり、
おもちゃを取られまいとして揉めそうになるシーンがありました。

私はその姿に、★ちゃんの中に芽栄えつつある
お友だちへの興味を感じました。

前回のワークショップでの★ちゃんの姿が冬なら、
今回は初春にさしかかっているように見えたのです。

そこで、いちいち、「取っちゃダメ」「貸してあげなさい」と厳しく
しつけを強行するのではなく、
★ちゃんの気持ちを受け止めながら、
物への興味がお友だちとの遊び自体に向うように
接しました。
長くなるので具体的な方法はまたの機会に書きますね。

すると、頑なだった★ちゃんの態度は解けて、
積極的にお友だちのお母さんやお友だちと
遊ぶようになってきました。

ショッピングカートを押していって
お店屋さんごっこをしたり、
工作でショッピングカート(写真)を作ったりしました。
笑顔もたくさんでてきて、
表情には自信や安心感が浮かんでいました。

親御さんも、「お友だちとこんなうれしそうに過す★ちゃんの姿を始めて見た」と、とても喜んでいました。

そこで、同じグループレッスンに、何回か参加して、
他人への信頼感や協力しあって遊ぶ楽しさを学んでもらうことにしました。



子どもが今どの季節にあっても、
そこからしっかり何かを受け取ることの大切さを感じています。
冬は冬で、新しい可能性と何が必要かということに気づく
大切な時期でもありますから。

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本当に その教育法でうまくいくの? 勉強につまずくときの対応と予防 4

2011-05-20 04:54:38 | 教育論 読者の方からのQ&A

虹色教室では、これまで何度か工作のワークショップを開いています。

これはわが子が幼児や小学生だった頃、
創造性や思考力が目覚しく変化した体験というのが、
『子どもの(美術や工作の)作品展』や『ハンズ大賞の作品展』だったからです。
うちの子といつも遊んでいるお友だちを引き連れて、
そうした作品展に出かけると、
「これ見て!こんな工夫がしてある。すごいアイデア!」
「ああ、こんな使い方があったのか!!」「これできそう!作ってみたい」「これ簡単にできるよね」「見て、すごいよ。ハンドルを回すと魚が飛び跳ねるのは、磁石の反発する力を使っているんだ」と声が裏返るほど感激した感想が、子どもたちの口から、どんどん飛び出していました。

ただ見て、感想を言いあうだけの体験ですが、その後は必ず、
連れて行った子たちの遊びに劇的な変化が見られました。




工作展に出かけた後は、
毎日のルーティンワークで鈍磨していた感覚が、
研ぎ澄まされたかのように
創造的な工夫をこらし、自分の頭で考え発想することを
楽しむ姿があったのです。

うちの子たちはこうしたお出かけの後で、
記憶を頼りに未完成な「なんちゃって創作」をたくさんしていました。
磁石の仕掛けで網にかかった魚が大量に飛び跳ねている工作作品の記憶で、
紙をちぎっただけの簡単な作品で仕掛けだけ再現してみたり、
遊びのシーンにその工作のアイデアを取り入れてみたり……。

作品展は、同年代の子が作った稚拙で未完成な作りである部分も多いです。
でも、だからこそ子どもの心に揺さぶりをかけ、
「自分で何かしてみよう」と思う心に火をつけることができるのを感じました。また、感動しているときには、
注意深く観察し、感じたことを説明し、私の説明にも熱心に耳を傾けているのを感じました。

そんな風にわが子やお友だちの成長に大きく貢献してくれた
『子どもの(美術や工作の)作品展』や『ハンズ大賞の作品展』を見に行くという体験ですが、
その体験が自分で作ることや考えることに直結していたのは、
日頃から、紙を切って丸める程度のハードルの低い工作に慣れ親しんでいたからです。

自分でやった体感がないと、
いくら良いものを見ても、「ふーん、そうか」と心の表面をかすっていくだけでしょう。

そこで、「子どもたちに手で何か作る体験と、お友だちの作品から学ぶ体験の両方をさせてあげたい」という気持ちでスタートしたのが、
工作のワークショップでした。

いざワークショップをしてみると、
子どもというのは、感受性がとてもよいですから、
どの地区でしても、
他の子の作品に心から感動して、「こうやって作るのか」「ぼくも作りたい」「私もできる」と目を輝かせる姿がありました。
また、「○○を作りたい人?」と声をかけると、
「作りたい」「作りたい」と喜んで集まってきて、懸命に習おうとする姿がありました。
ワークショップの後では、その日の余韻で家に帰ってからも工作に明け暮れていたといううれしい報告もたくさん受けました。

ただ、実際やってみると、さまざまな問題も生じてきます。
同じ子どもたちなのに、この時はこんなに夢中になって自分をその場と時間に投入していたのに、
この時には制作に対する情熱や、他の子から学ぶ熱意があまり見られなかったということがあるのです。
それはたまたま偶然そうなのでなくて、やはり理由があるのです。

子どもが意欲的になるかならないかの
大きなカギを握るのは、
親のまなざしの強さだと感じています。

注意が必要なのは、強いとダメな点です。

親の視線が子どもにそそがれすぎる場面では、
たいてい子どもは自意識過剰になって
心ここにあらずのやる気のない態度を見せるのです。

海外から教室に来る子は、親に見ていてもらうと
やる気を出していたので、
これは日本の子の特徴なのかもと感じました。

ちょっと部屋が雑然とした感じになるので、親御さんにすると
疲れる方がでるのですが、
床にレジャーシートを敷いてワークショップをするときは、
親の視線が低い位置になる上、子どもの一挙一動を見つめることができなくなるため、子どもが自由に真剣に学んでいましたし、

多人数の参加で親がわが子をきちんと見ていられない場面でも
子どもは本気で参加していました。

が、親御さんたちのニーズ応えて、
親が椅子に座って子どもを見下ろせる位置でしたワークショップや、
少人数で明るくて全体が見渡せる和室でしたワークショップでは、
それまでのワークショップのような
子どもが失敗をおそれず、自由に意見を出したり、
自分の全てを今の時間に投入するような姿がありませんでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今の時代は、真剣に心を研ぎ澄まさなくても、
安心で安全に楽しく過せます。

子どもにすると、大人が目の前の問題に試行錯誤して、
「どうしたらいいだろう」と真剣に悩みながら、
何かをするというような場面に出くわすことはほとんどありません。
現実なのに、
まるでテレビでも見るようにぼんやりすごしていても
何の危険もないのです。

子どもは、日頃、
大人が真剣に、何かに全身全霊で打ち込む姿とか、
うまくいかないことにぶつかって緊迫した姿を目にすることがありません。
ですから、子どもの「本気さ」が目覚めることも
めったにないのです。

私は多少クレームが出るのを承知して、
わざと見通しが立ちにくい不確定要素の多い状況で
ワークショップを開くようにしてきました。
大人がわかりきった余裕のある態度で参加している場面では、
子どもは自分だけにそそがれるまなざしのもとで、
だらだらと半分眠ったような状態で過ごしがちだからです。

「いったいどうすればいいんだ?」とちょっと不可解さを感じつつも、
それぞれの個人が自分なりに
何かに打ち込んでいるときは、そこには自然な学びに巻き込まれていく
体験が存在しています。

そうした話をすると、
「親の不満が出ないように
最初にワークショップの主旨をもっときちんと説明したら?」
「集める人をもう少し均質にして、不満を出そうな新規の参加者や
お父さんの参加や幼い子の参加を取りやめたら?」という意見をうかがうこともあるのです。

確かに、月齢や能力に開きがある子や、
価値観が異なる人を集めれば、1つ2つは、不満が出るのは当然なのです。

2歳の子の親御さんが、「子どもが自分でバリバリ工作をする姿」を期待して参加すれば、期待はずれに終わるでしょう。
でも、代わりに、物作りをするお兄ちゃん、お姉ちゃんの熱気を感じたり、
いっしょについてまわって作品に触れるときの楽しさを体験したり、
いつもと異なる親御さんが必死で何かに打ち込む姿から
真剣さを学んだりするのです。
遊園地に連れいってくれる親の姿から
子どもはあまり学ぶものはありませんから。

ワークショップのはじめに、私が主旨を長々と説明しないのは、
大人の方々が、言葉でわかった気持ちになると、
たちまち、その場が「あれ」と「これ」を効率的に得て、次のステージに進めば勝ち……の消費主体の立場で進むゲームになってしまいがちだからです。
見通しの立たない未知の部分が残っているからこそ、
学びの中に巻き込まれる体験が存在するからです。

ワークショップを開くたびに、私は異年齢の子が協力しあい、会ったことのない子同士が、
作った作品を貸し合い、
必死で自分の言葉で表現しようとし、
自分の作ったものを感心して眺める他の子たちの視線の中で
喜びと自信をかみしめている表情に、
感激しています。
子どもが本来持っている潜在的な高い能力を感じます。


「この子って、こんなに好奇心が強かったのか」「この子は、観察力があるな」「この子は自分のアイデアを出しているとき、喜びに満ちているな」
「この子はパワフルで創造的な一面があるな」「この子は、先生の説明をしっかり聞けているな」と、
そうした子どもの潜在的な能力の目覚めをしっかり受信することが、
こうした体験の醍醐味だと思っています。

もちろん、自分の子の内面からの輝きよりも、
少ない労力で何と何を得たかの方に心を奪われている親御さんがいるのも
事実なのです。
それでも、「子どもの中に蒔かれた種が
親が忘れたころに芽吹くような体験があってもいいな」という思いから、
こうしたワークショップをぼちぼち続けていきたいと考えています。