虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 8

2011-07-28 21:05:38 | 子どもの個性と学習タイプ


ユースホステルでのレッスンで、子どもたちが描いて切り抜いた絵を使って
仕掛けのある絵本を作って遊びました。
画用紙に小さな穴を開けて
糸を通します。
糸の端っこと端っこにちょうちょと虫取り網を貼り付けると、
網を動かすとちょうちょが逃げる仕掛けができあがります。

花びらや風を描いた子がいたので、
フーッと息を吹きかけたらヒラヒラ動くように端を貼りつけました。

他にも、ストローで巻き上げ機を作って、カブトムシが巻き上げ機を回すと木を登っていく仕組みなどを
作って遊びました。

子どもは仕掛け作りがすっかり気に入って、
がんばって絵を描いては
「ぼくのも動くようにして!」「私のも」と自分の作品を差し出しました。
昨日から、男の子たちは動かす仕組みを学んで、自分がティッシュ箱などで作る作品に
習った方法を応用して工夫してみるのが
楽しくてたまらないようでした。


その間、ニコニコママさんの娘ちゃんはもくもくと画用紙いっぱいに自分の顔を描いていました。
何枚も何枚も。

順番に子どもたちの絵に仕掛けを作ってあげながら、「昨日のドールハウスのときも
娘ちゃんとじっくり関わる時間がなかったから、
今度はちょっと驚いて喜ぶような作った絵を動かす方法を教えてあげたいな」と考えていました。
それで、娘ちゃんが絵を描き終えるのを待っていて、作品を受け取りました。

そこに描かれている娘ちゃんの顔は、
のびのびと大きくていねいに描かれていて、髪の毛も髪飾りも一生懸命描きこんでいました。
「上手!」と言って、娘ちゃんの顔を覗くと、娘ちゃんの顔は、うれしそうに輝いていて、
自分の作りだした作品に心底満足していることがうかがえました。
その表情からは、それを他の子らがしたがっているように
加工して動かしたり、遊べるようなものにしたいという気持ちは読み取れませんでした。
そこで、私はにっこり笑って、そのまんま娘ちゃんに作品を返しました。
娘ちゃんは、すっかり私に打ち解けて、
親しみを抱いてくれているのが伝わってきました。

私はニコニコママさんから、
娘ちゃんが何度も同じ作品ばかり作りたがるので、
「それをどのように発展させてあげたらいいでしょう?」と質問をいただいていたものの、
それに対してきちんとしたお返事を返せずにいました。

というのも、娘ちゃんに対しては、
今している遊びをどのように発展させるといいのか、という枠組みを超えた部分で、
大事な働きかけがあるように感じていたからなのです。

それはちょっと言葉で表現しにくいことではありました。
ニコニコママさんは、愛情をかけて育児をする面でも、しつけの面でも、教育の面でも、
とても行き届いた子育てをしておられました。
ですから、娘ちゃんは根気よくさまざまなことに取り組んだり、人に自然な信頼感を抱くことができている
のだと思います。

でも、そんな風にとても行き届いているだけに、

次に必要になってくるのは、「娘ちゃんの遊びをどう発展させてあげようか」と考えるよりも、

親の側が、ちょっと手を抜いて、してあげることにしても、子どもへのまなざしにしても、

ちょっとゆるい部分を作って、娘ちゃんらしさが、

ばかばかしいことをやりたがることや失敗を繰り返すことや、自己中心的な態度とともに

あふれだす時間をたまに作ることのようにも思えたのです。

というのも、娘ちゃんの絵からも、娘ちゃんの態度からも、
「私が決めたいの!」「私が考えたいの!」「私がやってみたいの!」という
強い意志がみなぎっているのが伝わってきましたから。

でも、本当に娘ちゃんが何かを決めたり考えたりすることを自分でしようと思ったら、
自分のことをいつも懸命に考えてくれているお母さんに
子どもでもわかるような隙が必要になってくるのです。

隙なんていうと、わかりにくいかもしれませんが……。
ちょうど、いっしょにユースホステルのレッスンに来ていた4歳の★くんと★くんのお母さんの関係に
そのたとえになるような瞬間がたびたび見られました。

東京から参加してくれていた★くん。目ざとくて要領がよくて、実行力のある子です。
★くんのお母さんは、時折、★くんのしたいように任せてゆったりしているので、
★くんは、「これとこれは自分で決めてもいいんじゃないかな?」
「これはぼくができそうだ」という範囲を徐々に広げているようでした。

自信に満ちた様子で、お母さんのキャリーバックを引いて移動したり、
「ここはぼくがお母さんを助けてあげよう」と考えて行動したりしていました。

★くんは、子どもとして世話されたり、大事にされたりする一方で、
自分として、何ができそうか、何ならしても良さそうか、自由に外の世界に観察していました。
★くんのお母さんに隙があるというわけでもないのですが、
この★くんの性質とお母さんの性質の間に、ちょうどいい感じの隙ができているんだな……とも感じました。

何だかわかりにくい話になりましたが、
子どもの発達を促すにはふたつ方法があって、
ひとつはよりていねいに、子どもの本質に近づいて関わることと、
もうひとつはちょっと手を抜いて、あえて隙だらけで接する面も作って、
子どもが自分で自分を作り上げていくのを見守ることだと思っています。


「子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの?」という話題から少しそれていますが……
この話については、もう少し書きたいことがあるので、
またの機会に書き足しますね。

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 7

2011-07-28 13:27:53 | 子どもの個性と学習タイプ

「子どもの性格タイプについて考えることで、そんないいことがあるのか?」といえば、

「子どもの体験を、その子の心に響くより豊かなものにしてあげることができる」

という点が挙げられます。

たとえば、感覚が優れている子たちの多くは、一度やりはじめた活動を何度も繰り返すことを
好みますから、次々カリキュラムが変わって、
新しい課題が与えられるような場は嫌がるだろうし、成長があまり期待できないかもしれません。

制作活動をするにも、環境を美しい色の画材やさまざまな触感の素材やサイズや形を選べて、
五感から入る情報を日々洗練させていけるように整えて、
ものさしやコンパスや三角定規やテンプレートなどの扱いについて
何度もていねいにお手本を見せてあげると、すばらしい能力を発揮します。

前回の話の続きで、ニコニコママさんの娘ちゃんも、そうした感覚が優れている子特有の
活動を繰り返していました。
私は、「感覚が優れている子である子は確か……
内向的な子であることも確か……でも、この子の表情や言動からは、
ちょっと内向的感覚の子にはあまり見られない強い意志や激しさが感じられるな。
もしかして内向的思考の感覚寄りの子なのか、
内向的感覚の思考寄りの子の思考の部分が外に強く現れようとしているのかもしれない。
でも、それを外に表現しにくい状況にあるように見えるけど、なぜだろう?」
とも思っていました。

私は、そうした「なぜだろう?」を感じた時は、できるだけこちらから働きかけるのは控えて、
本人が自分から何かを発するのを
静かに待つようにしています。

子どもの気持ちや望みを理解するには、こちらの働きかけを控えて、自分の心の動きを抑えるのが
一番だと感じているからです。

今、子どもたちが集まる場はどこも、

空腹感にしても欠如感にしても、子どもが何か自分に足りないものを感じて、

それを欲する体験ができないほど、大人が先回りして本人の欲求を満たし続けて、
構い続けるために
子どもが何を望んでいるのか大人に伝わりにくくなっているだけでなく、

子ども自身が自分の気持ちに疎くなっているのもよく見かけます。

本来、子どもたちは、あまり忙しく構わずそっとしておくと、
必ず、「あんな風にできたらなぁ」という憧れや
「それ、私もほしい」「それぼくもしたい」という欲求を覚えて
まず熱い眼差しを何かに注ぎはじめるものです。

私は子どもがいったんそうして自分で望んだら、それが眼差しだけでも、
できるだけその望み通りにできるように手を貸してあげます。

大人から見ると、それは「自分が」「自分が」と主張する子だけ大事にされていて、
参加している一部の子は放っておかれてかわいそうに映るかもしれません。

でも、私はまず子どもの心に望みが生まれないうちに、無理矢理、なだめすかしたり、「ほらっほらっ」と背中を押したり、
「みんなが風船をもらっているからもらっておいで」と指示したりするのは、
できるだけ避けたいと感じているのです。

なぜなら、そうして望んでもいないうちに至れり尽くせりで世話されるほど、
何かを得て満たされる気持ちが味わえなくなり、
何をしたいのか、自分が何が好きなのか、何がうれしいのか、何が足りないのか、何を望んでいるのかわからなくなるし、
欲しいものを得るためにどのように動けばいいのか、誰に頼めばいいのかが
わからなくなるからです。

次回に続きます。









子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 6

2011-07-27 23:21:24 | 子どもの個性と学習タイプ
話をニコニコママさん宅の娘ちゃんのことに戻しますね。
娘ちゃんは、最初の和室でのレッスンでは
ずっとドールハウス作りに没頭していて、他の子たちがエレベーターを作って遊んでいる間も、
ふうせんを投げてふざけている間も、
もくもくと折り紙のお家を作っていました。

かといって、人と関わるのが苦手なのかというとそうではなくて、
自分のやりたいことに十分熱中して満足すると、
ニコッと笑顔を浮かべて、
作品を見せにきたり、ちょっとふざけて私をポンッとはたくふりをしたりしていました。

そうした様子から、
恥ずかしがり屋で人との関わるタイミングがわからないから
他の子たちが群れて遊ぶところになかなか入っていかなかったのではなく、
自分のしたいことがはっきりしていて、それをやり終えるまで高い集中力を保っているため
周囲の動きによって気が散らされるようなこともなく制作しつづけていたのだろうと思われました。

ですから、みんなでカードゲームをしたり、理科クイズをして遊んだりするときには、
ルールを理解して楽しく参加することができていました。

娘ちゃんはお家でも同じ物を繰り返し作ることに熱中しているらしく
今のブームはドールハウスとお人形作りで、
自分で素材選びから髪の毛の長さまでこだわって、人形を作り続けているそうでした。
あんまり同じ物ばかり作るものですから、
ニコニコママさんは、それをどのように広げてあげたらいいか、
と思案していました。

娘ちゃんは外からあれこれアドバイスすると、頑なになって、
自分のやり方にこだわるところがありました。
「娘ちゃんの活動をどのように広げてあげようか、どのように発展させてあげようか」
という気持ちを身近な人から感じると、
強く身構えて自分のやり方にこだわって、周囲から入る情報を遮断するようなところがありました。

一方で、それが緩んで放っておかれると、
自分のペースで根気よく作業をしつつ、
自分がしてほしいことを頼めそうな人を見つけて(今回は事務Kちゃん)頼んだり、
完成すると、いろんな人のところに作品を見せに行ったりして、
積極的に動いていました。
そうした人との関わり方は自然で
コミュニケーション能力の高さがうかがえました。

娘ちゃんが他の人のアイデアを取り入れるときには、いったん自分の中で消化して、
自分のイメージになり、それをどのようにやりたいのかという意志と結びついてはじめて
アウトプットするようでした。

たとえば、今回のレッスン中は、周囲の子たちが私といっしょに制作している様子には
目もくれず、ひたすらドールハウスと、画用紙いっぱいに自分の顔を描くことをしていました。
が、お家に帰ってからは、仲良くなった女の子が私と作っていた開閉するドアを作るなど、
仕掛けへの興味を示していたようなのです。

もし、娘ちゃんの活動をもっと発展させてあげたいならば、
こうした娘ちゃんの外からの情報の取り入れるペースや方法について
しっかり理解することが重要だと感じました。

というのも、幼い子は、思いのほか敏感で 大人の「アドバイスしたら即座に真似したり、受け入れたりしてアウトプットしてほしい」という気持ちを感じとっているものなのです。

それが[いったん自分のイメージに消化してから外に表現したい]という思いと合わないと、
気がせいたり、ダメ出しされているように感じていたり、
干渉されることへの拒絶心から何もかも聞く耳持たずになってしまうこともあるのです。

まず、子どものペースや方法をつかんで、
あまり良い親や良い先生であろうと焦らずに
リラックスして接することが大事だと感じています。

次回に続きます。






子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 5

2011-07-27 14:18:28 | 子どもの個性と学習タイプ
前回の記事の続きを書く前に、「ん?」と引っかかるときの気持ちについて
ちょっと説明を……。


人には異なる時代に進化した

「分析的な心」と「直観的な心」が備わっていると考えられています。

それは人間の意識の二面性をあらわしています。



強力で迅速で、ときには合理性から離れた働きをする直観的な心。

ルール重視で、行きすぎないように気を配る分析的な心。

直観的な心と分析的な心はバランスよく働くこともあれば、
ぶつかりあって、考え方や感情や行動をどちらか一方に偏った
硬直したものにしてしまうこともあります。

もし良い仕事をしようと思うなら、分析的な心の知性や規律を大切にしながら、
同時に直観的な心が生み出す自由で創造的なエネルギーが
活躍できるように調節しなくてはなりません。

私は、ブログで記事を書くときは、体験したことや見聞きして得た印象を整理して、
分析的な心を通して言葉にしているのですが、
実際に仕事をしている最中は、分析的な心はできるだけ引っ込めて、
直観的な心で子どもに対応していることが多いです。


ユージン・サドラースミスの『直観力マネンジメント』という著書では、
分析的な心と直観的な心の違いを次のようにまとめています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<分析的なこころ>

「ナロードバンド」(連続的処理)
コントロールされるプロセス(努力が必要)
ステップ・バイ・ステップで働く
意識的(直接的、意識的介入が可能)
言葉で語りかける
作用がゆっくり
進化的に新しい(数万年前)

<直観的なこころ>

「ブロードバンド」(並行処理)
自動操縦のプロセス(努力が不要)
総合的なパターン認識
無意識的(意識的介入ができない)
感情で語りかける
作用が迅速
進化的に古い(数十年前)


このふたつのこころの相互作用は、人間心理に固有の緊張感をもたらす。
分析的なこころは自分がすべてを仕切っているという想定あるいは妄想のもとで活動しているが、
ものごとの進行には、直観的なこころのほうが
大きな影響をおよぼしているかもしれない。

(『直観力マネンジメント』ユージン・サドラースミス  朝日新聞出版 より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『直観力マネンジメント』によると、どのような職種であれ、経験豊かなプロは全体的な状況の
「エッセンス」をとっさにつかんで、「何かがおかしい」という勘を頼りに、
さらに詳細に調べるべきか見分けるそうです。

たとえば、こんな例が紹介されていました。


ある夏の晩、隠密捜査中の覆面麻薬捜査官が街の売人から違法な薬物を買い取ったそうです。
そこで、捜査官は、待機していた仲間に売人の特徴を伝えました。
街角に向かいつつ、ある捜査官が突然仲間たちに「赤シャツの男を捕えろ、銃を持っている」と叫んだそうです。
赤シャツの男は売人とは別人でしたが、捕まえると357口径れぼるバーを隠し持っていたそうです。


どうして、売人とは別人の男が、銃を持っていることに気付いたのかというと、
暑い夏の夜なのに、長袖シャツを着て、裾をずぼんの外に垂らしていたり、
いきなり向きを変えて反対方向に歩きだしたり、立ってベルトをいじっていたりしていた印象が、
捜査官の直観的なこころに「何かおかしい」というサインを送っていたのです。

学習や経験、フィードバックによって十分に直観を発達させていても、
直観的なこころは間違いがないわけではありません。

でも、上の例のように直観的なこころが大活躍する場面もあるのです。

『直観力マネンジメント』では、直観的思考が向いている場合を次のように
まとめてあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<直観的思考が向いているのは>


●問題の存在を察知する必要がある場合

●学習済みの行動パターンを迅速に展開すればいい場合

●予想がくつがえった場合

●「大きな絵」を構築する場合

●合理的な分析の結果をチェックする場合

●綿密な分析は棚上げにして、迅速にそれなりの解決に達したい場合

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私も仕事で直観的なこころをフルで使うときというのは、

「この子はこういう子なんだな」という外から見える姿とは異なる
子どもの一面に気づいて、どこかで自分の予想を裏切られる何かにぶつかるときです。

また、子どもの未知の潜在的な可能性を感じとるときも、直観が強く働いています。

直観的なこころをしっかり働かせるには、
細かい分析をすべて頭に入れた上で、そうした分析に縛られないで
自由に創造的に感じ取る必要があります。

さまざまな経験や知識を正確に把握した上で、
何も知識がないときのような先入観のない気持ちで
全体を眺めるようにしています。

感情で察知するものを、馬鹿にしないようにしています。

合理的に分析的に考えて、それがどんなに正しく思えることでも、
何か心に引っかかることがあったり、
子どもの表情や目の動きが、自分の心にざわざわするものを残す場合は、
全く別の視点から検討しなおして、
何かを変える必要があるものです。


話が長引いてしまったので、前回の続きは次回に書きますね。

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 4

2011-07-27 10:18:01 | 子どもの個性と学習タイプ


今回のユースホステルのレッスンには、
ニコニコママのおうちで知育実践中の娘ちゃんも
参加してくれていました。
この娘ちゃん。「おそらく内向的感覚タイプ?」というニコニコママさんの判断そのものの言動を取り続けていました。
が、わたしはこの子は内向的感覚タイプの子ですといえば、そのまんまその通りの姿なんだけど、
「ん?」と感じる面が多々あったので、
私側からのそうしたタイプの子に対する関わりを極力抑えて、
娘ちゃんの発信しているものを、ありのままに受信することだけに努めました。

せっかく参加していただいているので、本人の興味を広げてあげる活動もたくさんさせてあげたかったので、
その点、レッスンの手伝いに参加してくれていた事務Kちゃんが実力を発揮してくれていたので、
ホッとして、それにお任せしていました。

帰宅してからうちの娘に、
「事務Kちゃんが参加してくれていてよかったわ。ほら、私はちょっと男っぽいところがあって、
次々アイデアを出して、楽しいことを発展させていこうっていう男の子たちと意気投合して、動いていることが多いから、
ゆっくりとていねいに関わっていく子たちの相手をしそびれるところがあるのよ。

ほら、女の子って、自分が、○○の本を読んだのって言うと、それに対して、そうなんだ~すごいね~っていう
自分の期待通りのフィードバックがないってだけで傷つくような
繊細な感性があるじゃない?

私は、ある面、裏も表もないような男の子っぽい感性で、
物事を素のまんま捉えて、そのまんま発するから、
悪気なくそうした子たちの期待を裏切ってしまうことも多いのよね。

その点、☆が参加してくれていた時も、事務Kちゃんが参加していくれていた時も、
そうした繊細な感性に、その気持ちわかるわかるっていう細やかな部分にまで配慮が行き届く
対応で助かったわ」
と言いました。

すると、娘は、「そういう女の子~って気持ち、本当にわかるもの。
でも、私も事務Kちゃんも若いっていうか、
自分の性質で理解できる範囲で、人を理解して接しているところがあるけれど、
お母さんはそういうのを超えて、もっと大きな視野で子どもを眺めていて、
先のことも考えて、接しているのがわかるからすごいと思うよ」と答えました。

そうして うちの娘ちゃんに持ち上げてもらうと、

「そうなのよ~別に苦手だから避けているわけではないの。

ちゃんと、この子の今への対応は若い子たちがしてくれているから、
私は私にしかできない、ん?という引っかかりへの適切な対応に努めるのが
最優先と思って、私なりの行動を選んでいるわけでもあるのよね」
と思えてきました。

私がニコニコママさん家の娘ちゃんが、内向感覚型ということに「ん?」と感じたのは、

これまで出会ったこのタイプの子たちは、夢見るようなどこかぼんやりした優しい眼差しをしていて、
表情もヨーロッパの陶器のお人形さんのような透明感と謎をたたえていることが
多かったので、

娘ちゃんにはその雰囲気とは異なるものを感じたからなのです。

内向感覚型の子たちには、舞うちょうちょののような掴みどころのない可憐な雰囲気があって、
ひとつの作業に熱中しはじめるとき、
できてくる作品と溶け合うような、まるで作品がその子自身の姿であるように感じるときがあるのです。

その点で、ニコニコママさんの家の娘ちゃんの表情からは、自分の考えを表現したいという
強い意志のようなものが感じられて、
感覚的な作業に没頭しているとはいえ、
それを踏み台にして、もっと外に表現したい何かがあるような印象を受けたのです。

最初のレッスンで、娘ちゃんはお家で作っているというドールハウス作りに没頭していましたが、
私はその様子から、その作業への深い愛情からそれを発展させてもらいたいという思いよりも、
今は取りあえず安全な自分の慣れた仕事をしながら、
今まで外に表現する機会を失っていた何かを出す機会をうかがっているというギューっと凝縮された
エネルギーのようなものを感じたのです。


次回に続きます。




子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 3

2011-07-27 09:08:46 | 子どもの個性と学習タイプ


↑ユースホステルのレッスンで。マジックボールを10ずつすくっています。30すくって、「10の3回分」と言っていた子もいました。(ココプラザの美術工房です)


今回のユースホステルでのレッスンは、
外向型の子と内向型の子が、半々くらいの比率でした。

全員、初めて会った子たちなのですが、外向型の子らは、
和室での2時間半ほどのレッスンの間に
もう何年来の仲良しみたいに親しくなって、じゃれたり、けんかしたり、「いっしょに~しようよ」と相談しあって
移動したりしていました。
私にもたちまちなついて、
食事の時には、「ぼくが先生の隣だよ」と主張したり、自分の工作を動かすための方法を習いたがったり、
理科でクイズを出すときには、自分が先生のように振舞って、「みんなちゃんと座って!こっちで勉強しないと
意味ないじゃんんか!」としきることもまでやっていました。
ルールのあるカードゲームも、
初めてするものも、すぐにゲームの流れを察して、
楽しそうに遊んでいました。




一方で、内向型の子たちは、そうして積極的に参加している子たちの様子を観察することからスタートし、
ゆるゆると自分のペースで関わっていました。
私が、「○○してみる?」と誘うと、
ちょっとひきつった表情をして、固まるか、首を振る子もいます。

そのように表面的には、その場の活動への参加を嫌がっているように見える時も、
こうした内向型の子たちは、
イメージの世界では、「こんな風に参加したい」という自分像を持っていたり、
ひとりひとりの人を観察しながら、その人との距離の取り方を測っていたりするのが
わかりました。

内向型の子たちは、その内気でもじもじした消極的な態度からは
想像がつかないくらいに理想的な自分の振舞い方のイメージや高いプライドや自分なりの考えや判断を
持っている場合が多々ありますから、
安易に積極的な子たちと同じ活動をするよう干渉しすぎると、
それが原因で傷ついたり、へそを曲げてしまうことがあります。

自由度が高い場では、ちょっと冷たいようでも、(ひとりにさせておくようで気にかかるでしょうが)本人がしたいようにして、
そっとしておくといい場合があります。
そうして、あまり構いすぎないようにして様子をうかがっていると、
自分がやってみたいと思うことをしている子たちの方を
食い入るように見つめているはずです。

もし、そこで、大人が寄ってたかって
機嫌を取ったり、なだめすかして参加させようとしたり、強制的に他の子の輪に入れようとすると、
内向型の子たちは、
そうした自分への侵入的な態度に反発したり、ただなすがままに依存的に従ったりして、
「ぼくは(私は)ダメな子なのかな?」という
他の子たちより自分には足りないものがあるというイメージを自分にかぶせるときがあります。

ただ、そっと子どもを尊重して待ってあげることが、
大事な場合が多々あるのです。(発達障害を持っている子への対応はまた異なります)


次回に続きます。



子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 2

2011-07-26 15:52:15 | 子どもの個性と学習タイプ
子どもの性格タイプについて知っておくことが特に大切だ、と感じるのは、
[子どもとはこういうものですよ」「子どもはこのように発達します」
「子どもはこのようなことを好み、こうすると進歩します」
といった人気の育児法や教育法をもとに子育てしている時です。

たとえば、モンテッソーリ教育を実践している方の中には、

「全ての子どもは秩序感を好み、同じ作業を満足するまで繰り返すもので、
それをしたがらない子は発達を逸脱した子ではないか」

と信じている方がけっこういます。

実際、モンテッソーリ教育の関連本では、「全ての子どもはこのような存在である」と言い切るような
説明がなされています。

私はモンテッソーリ教育のすばらしさを実感しているし、どの子にも大切なものだとは思っています。

でも、子どもたちに接していると、
モンテッソーリの「お仕事」を嫌がり、
手本通り教えようとすると、おちょけて自分勝手に振舞う
ごく普通の子たちがいるのです。

モンテッソーリ教育というフィルターを通して眺めると、
「問題児」か「困ったちゃん」か「発達がゆっくりの子」にしか見えないほど、
感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子です。

子どもは「どの子もこのようなものである」という捉え方を緩めて、
子どもにはさまざまな性格タイプがあって、優れている機能が異なる……という見方をすると、
直観が優れている子たちは、感覚が劣等機能にあたるので、
モンテッソーリの教育法が苦手な子がいても少しも不思議ではないのです。


「感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子」

というのは、

「想像力に富み、独創的で創造的で、機械的推理能力が優れていて、
ユーモアがあって柔軟で意味を察することが得意」な子が多い
直観が優れているタイプであることがよくあるのです。


次回に続きます。


自分の頭が 最高の資源   一番のおもちゃ

2011-07-26 12:43:53 | 工作 ワークショップ


ユースホステルでの幼稚園児さんたちのレッスンに行ってきました。
工作道具やおもちゃや実験道具をキャリーバックにパンパンにつめ込んで出かけているとはいえ、
ひとりで持ち運べるものなんて知れています。

最初のレッスンの場として借りているココプラザの和室は、テーブルが2台あるだけの
何にもない空間。

でも、それくらい物が少なくて、できることが限られていると、
そこで得られる楽しさは

「あるものを利用して、どれだけ知恵を絞って面白い遊びを創り出すか」

にかかってきます。

物があふれる豊かな時代の、いたれりつくせりのサービスに囲まれて生活している
子どもたちにとって、
自分の頭で、

無から有を生み出す

ことは、心躍る体験のようです。


最初にあったのは、2本のひも。

ひとりがケーブルカーを作り、それが奪い合いになりました。
ケーブルカーは紙コップに輪ゴムをつけて作り、
輪にしたひもの一方えお引くことで、動かします。
そこで、もうひとつケーブルカーを作り、「やっぱり、エレベーターにしよう」と
いうことで、参加のパパさんに肩車をしてもらって、エレベーターを設置。

ついでに、紙皿を貼ったゴミ袋(を切ってつないだもの)でマンションも作りました。
ハムスターが待っています。




自分もエレベーターが作りたい子が現れたものの、もうひもがありません。
そこで、ビニールテープを貼り合わせてひも作り。

何かが足りないって、
問題解決する楽しみを味わうのに、ぴったりの瞬間でもあります。

私が子どもの頃、「一休さん」というアニメが放映されていました。
一休さんが、いろんな人から難題を突き付けられた後に、
座禅を組んで、静かに考え込んでいて、「アッ!ひらめいた!」という様子で
解決するのを爽快に眺めていた記憶があります。

でも、小学生の私には一休さんの「とんち」は、
無理に言葉でこじつけているようで、納得できないところもありました。
毎度、毎度、もっと目でみて、あっと驚くような仕掛けを期待していたような……。

その間に、ティッシュ箱で連結する電車を作っていた男の子たちは、
ざぶとんを使って、地下鉄を走らせる空間を作って盛り上がっていました。





となりの工事も完成。


途中で、ティッシュで作った電車にモーターを取りつけたところ、
ひとりの女の子は空飛ぶ飛行船を作ることを思いつきました。

何もなかった空間は、駅、線路、マンション、エレベーター、ハムスターたちの村と家、女の子のお家、
さまざまな乗り物……飛行船、地下鉄、寝台列車、宇宙船、新幹線
などであふれていました。

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 1

2011-07-25 07:42:30 | 子どもの個性と学習タイプ


虹色教室では子どもの性格タイプを把握して、
それに合わせた接し方をすることがよくあります。

このように話すと、子どもを一時期の外からの見た目で分類して、
「○○タイプ」という情報のフィルターを通して、
小さな枠に押し込んだ形に育てるのじゃないかと心配する方もいます。

でも、実際に性格タイプについて思いをめぐらすことは、
そうしたステレオタイプな見方や考え方とは
真逆にあるとも言えるものです。

もともと人は、自分以外の人を眺めるとき、
「自分」というフィルターを通して眺めているものです。


自分の感じ方や見え方や感じ方

それまでの自分の経験や教えられたこと

自分が良しとするもの、価値を感じるもの、あこがれるものによる格付け

今いる環境にある価値観をどうとらえているか……


そのように「自分」を通して相手を理解しているものです。

わが子についてより広い視野で理解しようと思っていても、
自分にとって「わからないもの」「ネガティブに捉えてきたもの」は、
やっぱりそのようにしか見えないし、
理解しようと思うあまり、極端な甘やかしに傾いたり、
嫌な部分は見て見ぬふりをしてしまうこともあります。

一方、欠点は小さいうちからしつけて修正していかなくてはと思うあまりに、
その子の個性的な長所まで押さえつけて、
子どもの性質となじまない親の価値観を押しつけてて育ててしまうことも
多々あります。

性格タイプを知るということは、
まず、自分の見え方や感じ方や価値観が
全てではないと知ることです。

また、今、子どもの置かれている環境にある価値基準も、
あるひとつの価値観を体系化したもので、
絶対的なものではないことを学ぶことです。

たとえば、ユングのタイプ論では、
人の構え(態度)を大きくふたつに分けて考えています。

外向性と内向性です。

といっても、人はそのどちらかに分類されるのではなく、外向性も内向性も持っているけれど、
ふだん表に出ている態度がどちらなのかで、「外向的な人」と「内向的な人」という違いが生じています。

外向的な人とは、関心が外の世界に向かっていて、どんな環境や状況にも
合わせることができる人です。
内向的な人とは、外の世界よりも自分の心の中の世界に関心が向かう人で、
身の回りの環境は、
自分の心に合っているか、受け入れられるかを一番に考えます。

環境や出来事が、みんなからうらやましがられるようなすごい価値を持ったものでも、
自分にとって興味がなければ価値を感じないのです。

わが子が、外向的な人にも内向的な人にも
その性質だからこその長所があります。どちらかが正しくて良い態度だから、
どちらかの態度に矯正していくものではなく、
一方に偏り過ぎずバランスよく、
長所を磨きながら生活していくのがよいのだと思います。

外向的な人の長所はどんな環境にも合わせられることです。
でもそれは自分が何をすると、楽しい気分になり、充実できるかを、
環境や状況に依存しているともいえます。

内向的な人は、新しい環境や状況になかなかなじめないけれど、
ひとたび自分に自信を持つと、
トラブルが起きたり、周囲から批判されたりしても、
強く信念を抱いてやりすごせるところがあります。

そのように、人の態度に、外の世界か、自分の内面かという
ふたつの方向性のようなものがあって、
どちらにも長所と短所があることを知っておくと、
次のような良い点があります。

たとえば、子どもをサークルや幼稚園に連れて行った時、
そこになじまず、嫌がって泣くことが続くと、
「この子は、社会性が育ってないのかしら?」「今まで甘やかしすぎたのかしら?」
「発達障害があるのかしら?」
「どうしてこんなに頑固でわがままなんだろう?」と、
子どもに対するネガティブな思いでいっぱいになってしまう時があります。

確かに、そうした態度を取る子の中には、社会性の育ちがゆっくりで、
発達障害の疑いのある子もいます。

でも、そうではなく、内向的な性質のために
新しい環境になじむまでに時間がかかる子もいることを知っておくことは、
大事なことだと感じているのです。

もし、それを知らないと、「この子は協調性がないから」と
子どもに無理させたり、攻撃的な言葉で責めて自信を失わせるような
こともあるからです。

特に外向的な方が内向的な子を育てている場合や、内向的な方が外向的な子を育てている場合は、
誤解や偏見によって、子どもの心を傷つけたり、
本来の子どもの性格を抑圧して、親の価値に添うようにゆがめて育てることがないように
注意しなくてはなりません。

そうした意味で、私は子育て中、
性格タイプに考えをめぐらせることや、
子どもの性格タイプを把握するように努めることは大事なことだと
感じています。


次回に続きます。




今日からユースホステルのレッスンです。
次の更新は明日の午後からになります。

6年生になって成績が上がってきた高機能自閉症の男の子

2011-07-24 20:37:07 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

小学3年生の時から月に数回、虹色教室に通っている高機能自閉症の男の子がいます。
★くんです。
6年生になって最初の通知表の成績がとても良かったそうです。

親御さんから、
「ふつうは、こういうタイプの子は、抽象的な概念を学び出してから
成績が下がってくるっていうじゃありませんか。
でも、高学年になって、どの教科も評価が上がってきてるんで、驚いているんです。
算数も思考力の必要なものもよく解けているようで、
それとこちらで学習漫画を紹介していただいてから、どんどん歴史好きになって、
今じゃ、学校で習う歴史で知らないものがないくらいです。
虹色教室に通ってきてて、本当によかったです」という
とてもうれしいお言葉をいただきました。

★くんのIQは、小学3年生ごろはボーダーラインぎりぎりくらいでした。
それが、最近は、学校の成績だけでなく病院で測ったIQの値も伸びてきていました。

★くんとの勉強はあまり無理はせず、でも決してあきらめずに
淡々と続けてきました。
教え始めて1年半くらいは、
「★くんには意味を理解して解くのは難しすぎるから、全て暗記だけで
乗り切っていくしかないのかな~」と思っていました。

たとえば、面積を「たて」×「よこ」で求めるという
ことにしても、
何度、説明しても、色画用紙や折り紙で見て確かめることができる教材を作っても、
「わからない、わからない」とパニックになって大騒ぎしていました。
そして、苦労して覚えて、できるようになっても、
新しいことを習い出すと、それまでできていたことをすっかり忘れてしまうということを
繰り返していました。

分数の足し算と引き算を覚えて、かけ算に移ると、足し算も引き算も
かけ算と同じ方法で解いてしまう、
かけ算から割り算に移ると、かけ算が解けなくなるという具合に。

それがあんまりひんぱんに起こるもんですから、
4年生のころは、「先生、いつまでこれが続くんでしょうね。意味を理解するのが難しいから
毎回、すべて丸暗記していくしかないんですよね……」と親御さんが不安そうに
たずねていました。
私も、「忘れたら、もう一度、一から教えなおすしか、今のところできないですね。
でも、こまめに覚えているかチェックして、何度でも教えなおしましょう」と答えていました。

★くんには難しいとは思ったのですが、問題集はトップクラス問題集を使っていました。
それで、簡単なものを何でも繰り返し学習するのと同時に
長い文を読んで、何段階かに分けて解かなくてはならない
文章題も教えていました。
といっても、全ての手順を丸暗記させるように
教え込むことを繰り返しているだけなので、あんまり意味があるようには
見えませんでした。
でも、どうせできないからと、簡単な反射的に答えを出せるものだけさせるのは
★くんにはよくないように感じていました。

★くんにはよくない……というのは、たとえ丸暗記とはいえ、(しょっちゅうパニックを起こすとはいえ)
「ぼくは、がんばりますから!」と、意欲だけはたっぷりある★くんが、
ちゃんとそれに持ちこたえているのを見ていたからです。
「この子が、はりきってチャレンジできる際のところまでは
がんばらせていこう」と思っていました。

それが前にも記事にしたことがあるのですが、ある日、(記事を探してくると、何年生のいつ頃か
わかるのですが)突然、論理的に筋道を立てて解くことができるようになったのです。

初めてできるようになった記念の問題は、
4分の1の円を重ねたときの重なる部分(葉っぱの形)の面積を求める問題と、
円すいの形の展開図の面積を、求める問題でした。

それからは、概念を理解して解いていくことができはじめ、
時速や割合の問題もしっかりできるようになりました。

自閉症スペクトラムの大人の方から、「脳に別の回路ができると、難しい問題も解けるようになるという
話を聞いたことがあるけど、これって回路ができたということ?」
ときつねにつままれたような心地になりました。

6年生の★くんは社会性の面はまだまだ幼い面があるのですが、
中学生活の準備に少し英語の学習も始めたところ、
順調に覚えていっています。