虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お菓子タイムの揉め事  年少さんのレッスンから 

2011-10-20 09:48:51 | 幼児教育の基本

 

レッスンの合間のお菓子の時間でのひとコマ(お菓子タイムがあるのはこのグループだけです)です。


教室内に吊ってあげたテントの中で、
それぞれ自分の持ってきたお菓子を気前良く配っていたのですが、
最後に1個残ると、その都度、いざこざが発生していました。

「じゃんけんで!」と言う☆ちゃんの指示のもと、
じゃんけんをしていた
3人ですが、その後、「私が勝った」「私の勝ち!」と揉めています。
「どうしたの?誰が勝ったの?」とたずねると、
「私!」「私!」と☆ちゃん、★ちゃん。
「あのね、私が本当に勝ったのに、★ちゃんと、●ちゃんが、負けた人が勝ちって言うんだもの」
「だって、負けた人が勝つことにしたんだもん、ね~」と顔を見合わせあう★ちゃん●ちゃん。

じゃんけんのルールは自分たちで、決めてもいいのか……難しいところ……。

その1件が片付くと、今度は☆ちゃんと●ちゃんが揉めています。
何でも、●ちゃんのお菓子が1個余ったのだけど、☆ちゃんに「じゃんけんしよう」と言われてしてみると負けてしまった。
「でも自分のお菓子だし、1個しか残ってないからあげたくない」という●ちゃんの主張。絶対お菓子は渡さないとばかりに、こわばった表情をしています。

「そうよね。1個しかない自分のものは、自分のものにしてもいいよね。
でも、あげない!って言われたら悲しくなるから、
ごめんね、1個しかないからあげられないの、って説明しようね」というと、●ちゃん、不服そうに黙っています。

その後で、●ちゃんは、☆ちゃんの遊びに入れてもらえなくなってしまいました。すっかりしょげかえっている●ちゃんは、私に抱きついて半べそをかいています。
「●ちゃんの大事なものは無理にお友達にあげなくてもいいのよ。
でも、もらえないと悲しい気持ちになるよね。もう遊んであげないって思うかもしれない。
1個しか残っていないから、あげられないの。ごめんね。ってそっとお菓子を片付けておいたり、お友だちに優しい言葉で説明しようね」と言うと、
今度はすなおにこっくりして理解したようでした。
すると、たちまち☆ちゃんが、「あそぼ」と誘ってくれました。

楽しく仲良く遊んだあとで、三角形でさまざまな図形を作ったり、10の合成を教具で学んだり、音の実験と工作をしたりして遊びました。


ハムスターの立体迷路

2011-10-20 09:28:58 | レゴ デュプロ ブロック

教室でハムスターの立体迷路作りが流行っています。

幼稚園の子らはいろんな仕掛けを取りつけていました。

2年生の子らの作品では2階が出現。

写真ではさりげなく作られている2階部分。

実は、ブロックの基本の板は下からの接続ができないため

苦労の末、問題解決をして

上から吊り下げるという工夫がほどこされています。

迷路の途中で居眠りコーナーがあるそうです。

↑の2枚の写真は小2の★くんが撮りました。


絵本やおもちゃの誘いから逃げる自閉症スペクトラムの子との遊び方

2011-10-19 17:20:58 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

次のような質問をいただきました。

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色々な子に合わせた内容に楽しみにしています。特にうちの子は自閉症なので、有難く読ませていただいてます。以前の記事で言葉の遅れの子で絵本やおもちゃの誘いから逃げる子のコツの続きを楽しみに待っています。
療育では、「一人遊びさせないで、友達とは同じ空間いらられればOK」とコツまでは習得できません。

なので、物で遊ぶのが一人でも他人とでも難しいし体を使うのも長く持ちません。何気においてあるチラシの文字を読んでと言ったり、お店が興味あるので新しいものを見ると「どこで買ったの?」という質問は最近出てきました。
二階にも大きめなおもちゃがあるのですが、行きません。

ごろごろ布団やテレビと何かをするのがなく誘いも難しいです。なおみ先生。ぜひ、一人での遊びや人とのやりとり、記事の続きをお願いします。

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自閉症スペクトラムの子との遊び方は、ひとりひとり非常に異なるので、

「こういう方法がいい」と書きにくいものです。

直接、子どもさんと会って、それも何度も会ってゆっくりゆっくり親しくなる関係を作っていかなくては、

「この子にはこういった遊び方をするといいです」とは伝えられないのですが、

とりあえず、大雑把に遊びを楽しくなりたたせていくコツのようなものを紹介しますね。

たとえば、絵本を読んであげるのでしたら、

「絵本はこのように読んであげるもの」という従来のイメージを捨てることが大事だと思います。

言葉にするのが難しいのですが、

自閉症スペクトラムの子と仲良くなるには、

まずこちらのやり方も知識も全て捨て去ってゼロの状態で、

自閉症スペクトラムの子の遊び方、楽しみ方、興味、呼吸の仕方、動き方、目の動かし方、

リズムなどからこちらが学ぶ姿勢、

察する姿勢、それらの全てを受け入れつつ、それに遅れて従っていく姿勢が大事だと感じています。

 

こちらは普通の人間、あとらは自閉症の子という

差別的な最初から優劣をつけたような状態で付き合いはじめても、

いつまでたってもお互いに共鳴しあうことはないように思います。

 

まず、子どもの側のやり方から学ぶことがどうして大事なのかというと、

こちらが学べば、次にはふたりの興味が響き合う中間の活動が生まれて、

次にはあちらがこちらから学ぼうとしはじめるからです。

自閉症スペクトラムの子は、

自分からは、相手から学ぶことの大切さに気づきにくいし、学び方のコツがわかっていません。

こちらが積極的にあちらから学ぼうとすると、いっしょに何かする楽しさや大切さに気づき、

学び方についてもわかってきます。

 

たとえば、身体を揺らして歌うような声を出すのが好きな子でしたら、

絵本は童謡が載っているものにして、

手遊びしながら読んであげるといいかもしれません。

読みかけたところで、どんどんページをめくって

閉じてしまうのなら、

「読みかけたところでどんどんページをめくって閉じる」ということを

絵本読みに取り入れて遊びます。

そのあたりで、もう面倒になって閉じてしまいたくなる

その子の気持ちを代弁して、こちらもそのように本を読んで見せると、

笑いだして、「もっとやって!」という期待が生まれてくるかもしれません。

そうして期待が生まれてくると、

「次は~どの本にしようかな。○○」とタイトルを読みあげるときに

楽しむようになるかもしれません。

 

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コメントをいただいた方のお子さんは、お店に興味があるということなので、

できれば、その子の好みそうなスーパーマーケットとかハンバーガーショップなどを

リアルに再現したリカちゃんのドールハウスなどを購入すると

遊びの幅が広がるかもしれません。

できるだけ本物そっくりに作ってあるものなら、

それほど想像力がなくても、

ショッピングカートに果物を入れたり、レジで並んだりして遊ぶ

ごっこが楽しめるかもしれません。

 

また子どもと遊んであげようと思い過ぎず、

スーパーのちらしのなかから、その子の好きな食材を切り抜く作業を

子どもの近くで静かに続けて、

大人のしていることに関心を抱くという体験をさせることもできます。

そのとき、最初から呼びかけて遊びに誘うのではなく

ちらっと目でこちらを捉える程度でよしとして、

時間をかけて好奇心を育てていくことが大事です。

 

自閉症スペクトラムの子が大人の誘いに乗らない場合、

知らず知らずのうちに大人が

子どものペースを壊して接近しすぎていることが多いように思います。

その子が自分のペースで人との距離を縮めていけるように

大人は魅力的な提案を続けながらも

静かに待っていることが大事だと思っています。


娘とおしゃべり (シンプルリストを作りました)

2011-10-19 14:43:20 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

JR野田阪神駅の近くで、2階は画廊で1階は本屋と古本屋になっているという

ちょっと珍しいお店を見つけました。

画廊とつながっている本屋らしく

棚には海外のインテリアや美術や建築に関する本が

並んでいました。

そこでいかにも娘が好みそうな1冊を目にとめたわたしは、

娘を誘ってその店に行ってきました。

 

意外にも、娘は、「これは絶対、娘が気に入りそう!」と目当てにしていた

『フランスのガールズライフスタイル』の本ではなく、

『ロンドンのガールズライフスタイル』の本を選んで購入していました。

 

帰りしなに、娘がこんなことを言っていました。

「お母さんが見つけてくれたフランスの本は、わたしがこれまでこうでありたいって

形そのもので、理想として目指してきたものよ。

私の趣味をそっくりなぞったみたいだったし、でも、

これはすっかりわたしの中に浸透している、すっかり了解しているって

感じもしてね。

ロンドンの本の方は、わたしの中からは決して生まれてこないような

新しい種類の刺激がいっぱいあったの。

インテリアもファッションも、強烈で奇抜なおしゃれさがあって、

最近、自分のテーマにもなっている『個性』ってものを探求する見本にもなりそうで……

それで、ちょっとわたしの趣味とは違う感じのロンドンのガールズスタイルの本にしたのよ」

 

娘の名前は、わたしが子どもの頃からずっと憧れていたイギリスのファンタジー作家に

ちなんで名づけました。といっても日本ではごくありふれた名前なのですが、

娘がバイト先や学校でフランス人の方に会うと、「あなたの名前はフランス人の名前ですね」と

親しみを込めて話しかけられることがよくあるそうです。

おそらく、イギリスでもフランスでも(ついでに最近の日本でも)一般的な名前なんでしょうね。

 

そうした名前のせいでも、わたしがヨーロッパにかぶれているからでもないのですが、

娘はフランス語の響きや、フランスのインテリアや雑貨のデザインなどに

成長するにつれて強く惹かれるようになりました。

娘は、「自分だけのオリジナルを大切にして、

自分自身に誇りを持ち、生活を自分の美的な感性で彩って楽しもうとする」という子で、

そうした生活スタイルを作っていくことに余念がない子です。

最近、気づいたのですが、そうした生き方や考え方そのものも

フランス人のそれに近いようです。

わたしとは異質の感性を育みながら成長していくわが子たちを傍らで眺めながら、

強いジェネレーションギャップと好奇心を感じています。

 

帰宅後、娘に勧められてドミニック・ローホーの『シンプルリスト』という本に目を通しました。

この本では、自分が好きなことや思いで、夢などのリストを作ることを勧めてして、

そうすることで、

内面を奥深く見つめるようになり、一度はあきらめた夢を見つけられたり、

眠っていた創造力が呼び起こされたりするとしています。

 

リストは心を磨く道具であり、暮らしをコントロールし、時間を節

約し、ど忘れや勘違いや

ストレスを防いでくれるのだそうです。

この本の魅力は、「本当の自分に出会うためのリスト」「毎日をシンプルに生きるためのリスト」

「幸せが再生産されるためのリスト」「五感を磨くためのリスト」「自分と人生をもっと好きになるためのリスト」

「悩みから解放されるためのリスト」……など人生をいきいきと歩んでいくために必要なさまざまな切り口から、

自分を揺るがすようなリストの例をたくさん挙げてくれている点です。

 

娘はすでにほとんどのリストに明確な答えを出しているということだったので、

わたしも「自分と人生をもっと好きになるリスト」のなかから、

 

『成功体験のリストが成功を呼ぶ』

というタイトルを選び、そこで紹介されていた「自分の証」リストを

ノートに書き込んで、ひとつひとつに答えを書いていく作業に取り組んでみました。

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<「自分の証」リスト>

★自分のすぐれた点や自分のなかで価値があると思うところ

★ほかの人とは違う自分の精神的特徴

★自分の長所

★誇らしく思う50のこと

★これまで学んだ専門や積んだ経験

★ほかの人に提供できるもの

★自分を必要としてくれる人々

★自分がなにかをもたらすことができた人々

★自分を好いてくれる人々、その人たちに好かれている理由

★自分はどういう人物か

★自分がただ「存在する」ためにできること(自然のなかをひとりで歩くこと、

ガーデニング、夕日を見ること、パンをこねることなど)

★これからしたいこと(期限と方法)

★もう二度と言わないこと

★もう二度としないこと

              ( 『シンプルリスト』  ドミニック・ローホー  講談社より)

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↑この本には、「自分の証リスト」の他にも何十種類も目的別にたくさんの

自分への質問が用意されています。

 

わたしは、自分のアンテナに引っかかったことを適当にやりはじめるタイプで、

自分の暮らしについても、他人からどう見えるかということも考えることはほとんどないのですが、

こういうリストに取り組んでみると、頭がすっきりする心地がしました。

 

娘は自分が何が好きで何をしたくて、どのような能力を持っていて、どこに向かおうとしているのか、

いつも正確に把握しながら、研ぎ澄まされた感性で事に取り組もうとする子です。

この本に挙げられていたリストも、これまで何度も自分なりに考えてきたことで、

この本を利用するとしたら、そうした自分なりのリストを具体的に次の目標や体験につなげていくには

どうすればいいのか、自分のリストの改善点はどこかというろころに

あったそうです。(わたしは、リストそのものが目新しく、自分がいかに自分の生活をぞんざいに

扱ってきたかに気づかされました)

 

「自分の証リスト」に取り組むうちに、

こうしたおびただしい数のリストに深い自分なりの解答を出し続けることができるほど

わが子がひとりの個人として成長いること、

わたしが知らないところで、人と関わり、挫折や成功を体験し、

好きなものに心を動かされたり、自分の内面を見つめたりしてきた事実に

驚きを覚えました。

そうですよね。わたしの「子ども」でなく、ひとりの「人」なんですよね。

 

娘は自分を律することや、自分のライフスタイルを創造していくこと、内面を見つめること、

成功について模索すること、

「自分が誰で、何を好み、何を苦手とし、これからどのように歩んで行こうとしているか」を

見極めていく術に、わたしよりずっと長けているのです。

こうしたことのできるできないは、生きてきた年月と関係ないものなんでしょうね。

 

子どもが大きくなってくると、教えることより教わることや学ぶことが増えてきます。

 

 

 

 


4~6歳 真剣に集中するとき 目的を持って取り組むとき

2011-10-19 13:19:53 | 幼児教育の基本

年少さんの★くん、☆くん。

「自分のしていることに本気で関わって、真剣に集中する」

という時期の真っ最中。

書き順通り文字を書くためのお手本カード(100円グッズ)を見ながら

何枚か字を書いた後で、「これは、できん」「これ難しい」とよけていた

「え」と「よ」のカード。

後から、それだけ取り出して、

難しい部分に全神経を集中して

書く練習をしたところ、ふたりで相談しながら

真剣に取り組んでいました。

「ここが、うまくいかない」と、「え」の字の

途中から曲がる部分について話し合っています。

 

そこで、わたしがお手本。

「すべりだいをスーっとすべってね、すべった先からまた

すべりだいをのぼっていくのよね。

途中まで。

このすべった後で、同じとこの少し横を上にいくところが難しいね」

ふたりとも何度もそこを書いてみます。

でも、すべりだいをすべった後で、脱走したような字になったり、

上まで登り過ぎて、「ひ」みたいになったり……。

書いた後で、自分の字とお手本のどこがどう違うか、

一生懸命、見比べています。

こういう時期って、字を覚えていたらいいわけでも、

たくさん書けたらいいわけでもなく、

 

★真剣に集中すること

★微細な違いに気づく力がつくこと

★目的を持って努力できること

 

などが、自分で自発的に始めた活動を通して

徐々に身についていくことが大事なのだと思っています。

この時期の子は、小さな作業にも全力投球します。

 

 

↑自分で考えた『抽選マシーン』作りをしました。

 

「サンタさんの帽子が作りたい」とふたり。

平面が立体の円すい形に変わることが

不思議で面白く感じたようです。


「遊園地」ではなく「原っぱ」

2011-10-18 13:21:04 | 初めてお越しの方

『おせっかい教育論』著者 鷲田清一 釈徹宗 内田樹 平松邦夫
(株式会社140B)
という著書の中で、「遊園地」ではなく「原っぱ」的な遊びを……
という提案があって、「現代の子どもたちのメタ認知力や地頭力が下がっているのは、これが原因だなぁ」と感じました。

同じ遊び場でも、遊園地というのは、そこに行ったら何をするかというメニューがすでにあって、その中で、どれを選ぶか、どんな順番でやるかというところです。
今の大学・学校もカリキュラムがあって、大学の授業は「勉強する遊園地」となっているそうです。

鷲田清一氏が、この著書の中で次のようにおっしゃっています。

「(ぺんぺん草が生えて空き缶が転がっているだけという原っぱに、学校にも家にも居づらい子が、一人で来て空き缶を蹴ったりしていると、よそから同じような子がやって来て、お互いに意識しあう……)

でも遊び道具もない、野球もできない。そんな時にちょっと空き缶をそいつの方に向けて転がすと、向こうも手持ち無沙汰ですから、またポーンと蹴ってきたりして…、そうやっているうちに2人の間で新しい遊びのルールを自ら作っていくんですよね。
子どもというのは別に遊び道具なんかなくても、石ころや棒切れなんかで、上手に、いろんなゲームを自分らで作っていく。
遊園地のように、その空間の意味があらかじめ決まっているんじゃなしに、自分たちが何かすることで空間の意味を作っていく。そんなふうにルールや意味を自分たちで作っていかないと、原っぱで遊べませんよね。そういう教育の場所というのが今なくなってきているんです。「原っぱとしての遊びの場」がね。」


この話を読んで、『子どもの「遊び」は魔法の授業』キャッシー・ハーシュ=パセック他 (アスペクト)
の著書にあったネズミの実験のことを思い出しました。

50年ほど前、ある教授が、研究室のネズミをわが子のペットとして数匹持ち帰ったそうです。それらが、研究所のネズミより素早く迷路をすり抜け、ミスが少ないことを発見しました。
その後、別の教授が、ネズミを取り巻く環境のさまざまな面がネズミの行動や脳の発達に影響を及ぼすかという研究をしました。
かごで1匹で暮らすネズミ、ほかの数匹と大きなかごで暮らすネズミ、おもちゃの滑り台や回し車のある遊園地のような環境で暮らすネズミを比べて調べました。
すると、遊園地のような環境で、他のネズミといっしょに暮らしているネズミは脳内にシナプスをたくさんこしらえていたそうです。

この話にはもうひとつ重要な部分があって、この教授の報告によれば、
遊園地のような環境で過していたネズミよりもっと脳が発達していたのは、
自然の中で育ったネズミだったそうなのです。
自然の中の音、匂いといった刺激、遭遇する生き物、集団で群れる遊び、シラミやノミ取り、仲間とのはしゃぎあいなどは、
研究者がかごの中に作ったディズニーランドよりずっと脳を発達させるもの
だったのです。

人間をネズミといっしょにするのは問題なのですが、
人が人工的に作る豊かな環境は、必ずしも何もない原っぱに勝るものではないことを頭に入れておくとよいのかもしれません。

私が子どもだった頃は、広場はもちろん、街も学校も大人たちの作るコミュニティーも、『原っぱ』的な要素が十分にあった気がします。
過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓

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<番外 消費者ではなくて、製作者でもあったちょっと昔の話 >

マシュー・フォックスという神学者が次のような言葉を
語っています。

私たちは本質的に 
消費が好きな生き物だろうか?
そうは思えない、
人間は製作者として存在してきたのであって、
消費者ではないはずだ……。


年々、子どもをめぐる環境は変化し続けて、
子どもの心のあり方や物の見方や関わり方が変わってきていますよね。

特に感じるのは、最近では、親がリードする形で、子どもがいつでもどこでも「消費者」になりつつあるということです。

私が子どもだった30年以上前、子どもの私が世界をどのように眺め、関わっていたかというと、

良い消費者になりたくて、経済力をつけて、購入の際のセンスを磨こうと必死の大人たちと、

現実には何もかもが未完成過ぎて、創作したり製作したり、自分で何とかしたりと……「製作者」の立場もとらざる得ない現実の間でもがく大人たちの姿を……

自分もその両方を模倣しつつ暮らしていました。

それで、当時の
「製作者」側、「創作者」側、「発信する」側に、
いざ素人の自分たちが立ったときの、
何ともいえない危うさや面白さやワクワクや、がっくし……くる感じ……が、

その「おしゃれ」とはほど遠くて、鈍くさくて面白すぎる風景が、

子ども時代の私の脳裏に焼きついています。

どれを、思い出してもおかしくってしょうがありません。
そうしたことを急にだらだらと書いてみたくなりました。

私は大阪の吹田市の関西大学の近くで育ちました。
それで、子どもの頃はよく友だちと、大学の構内にもぐりこんで
乗馬クラブの馬のえさやりを手伝わせてもらっていました。
この関西大学の乗馬クラブは、
毎日、私の住んでいる周辺の道路を
きちんとした乗馬用の服で正装して、ぐるぐるまわっていました。
馬は千里山の駅前の信号機を確認しては、
きちんと交通ルールを守って、かなり気取った姿で立っていました。

そこらあたりまでは、大阪のちびまる子ちゃん世代の日常として
許せる風景だったのですが、

近所に住んでいる地域の世話役の人が、「子どもたちのために、小さな動物園を作ろう!」と言い出したのです。そこで、公園のそばの地域の集会所の前の広場で
やぎと羊を飼いはじめたのです。
確かうさぎもいました。
最初はよかったんですが、サラリーマンが多い地域……
世話をする人も仕事があるし、大きな動物は世話がたいへん……で、
しまいには、どんどん開発の波が押し寄せてきている千里山の街中で
やぎや羊を放し飼いすることになりました。

そこで、私は、毎日、
千里山の駅前で、きちんと交通ルールを守って立っている馬と、
気の向くままに草を求めて移動するやぎや羊の姿を目にすることに
なりました。
おまけに当時、そのあたりはペットが野生化したワカケホウセイインコが
大量発生していたので、
夕方ともなると、カラスの大群なんて目じゃないほど、圧倒するような数の
緑色の大型の鳥の群れが、空を移動していました。

そんな風に、社会というか、環境が未完成でカオス……なので、
私の通っていた公立小学校の校長の考えも自由そのもの。
宝塚歌劇のファンだからという理由で、
学校のクラス名を、「雪組、星組、月組……」として、毎月、クラスで
劇を発表する日を作っていました。

子どもが育つ環境としてどうだったのか……というと、???なのですが、
私も友だちも
自分たちが頭で考えて、何かをすることに対して、
躊躇しなかった気がします。
子どもなのですが、常に、「製作者」「作る側」の発想が
あるのです。

千里山の駅前には、ミスタードーナツとか、サンリオショップとか、「○○塾」とか、これから全国でチェーン展開していこうとする店舗が並びはじめていました。
その手前の道路には、自動車といっしょに
馬やら羊やらヤギやらがごちゃごちゃしていたわけですから、
子どもの目にも、世界はまだ未完成で混沌としているのだから、
自分たちの参入する場はいくらでもある!
自分たちもクリエイティブにこの街作りに参加しよう
という気持ちがありました。

たとえば、道なども、
はじめに覚えなくちゃならない道順があるのではなくて、
到着地までの近道は自分たちで発見して作り出すものという思いがあったので、
塀があれば登り、柵の下の穴を掘ってくぐれるようにし、
他人の家の垣根のふちを、番犬を狂ったようにわめかせながら歩いていって、
がけを斜めに渡っていって、
団地の前の倉庫やら、自転車置き場の屋根やら、高いところがあれば必ず登って
そこも道のひとつとして捉えて通っていくことに
何の疑問も抱いていませんでした。
子どもは、
それぞれそうして自分で見つけて作り出した道や秘密の隠れ家を
たくさん持っていました。
時間にしても、暗くなったら帰る時間というアバウトな捉え方で
遊びまわってますから、曜日とか時間なんて気にかけたことがなかったです。
そんな中で、子ども同士、
遊びでもルールでもどんどん自分たちで作り出して、考え出して、改善して遊んでいました。
人脈も開拓して、近所の人にお願いして犬の散歩をさせてもらったり、
同じ団地に住むひとり暮らしのおばあさんに子どもたちで敬老の日のプレゼントを贈ったりしました。

運動オンチで内気な性格の私も、どこでも登るしもぐるし~を何ということもなくやってましたから、
その頃の子どもたちは、
躊躇なく何でもやっていたな~と今になってびっくりしてしまいます。

とにかくエネルギッシュだし、
自分たちの頭でよく考えていました。
よく考えていた~というのも、あんまり頭を絞ったので、40過ぎてる
今でも幼稚園の頃、考えあぐねていた問題をはっきり思い出すことができるくらいです。

それで、最近の子どもたちが頭を使わないとか、
昔みたいに小猿みたいな無茶をしろ……と思っているわけではないのですが、

「それにしてもあんまりじゃないかな?」と思う現状があるのです。

今は幼い子でも習い事に通っている子が多いのですが、

そうした人工的な場は当然、未完成さとかカオスからほど遠いものです。

時間の枠がありますし、することは決められてますし、
場合によっては、どういう気持ちで、どういう態度で参加すべきか
まで暗黙のうちに
子どもに適応を求めてきます。

そこまでガチガチに固められた環境で、
子どもたちが、
自分が環境に影響を与えたり、変化させたり、作り出したりできる存在なんだって
気づくことは皆無なんじゃないかな?
と思えてくるのです。

それでもそんな現代っ子たちも、よくよく話に耳を傾けてみると、
あれこれと考えていて、したたかで、ユニークで、面白いです。
何に関しても「消費者」としての受身な立場しか
取ったことがない子は多いですが、
一度「創作する」ことを覚えると、
「買う」ことよりも、何倍もうれしそうな表情をします。
いったん、クリエイティブに創造性を発揮し始めると、
どの子もいきいきとしてきます。

……ここまで、話してきて何を書きたかったのかというと、
空間も時間もちょっと混沌としていてすき間が多い方が、
何をしようかな? 面白いのかな? やってみようかな? やっぱりやめとこうかな? 私はそれがやりたいの? すきなの?
と自分で選んで、考えて、味わって、創造的に参加してみようという気持ちを、
子どもの中から引きだしてくれるのじゃないかな? 
ということなのですが……。


2~4歳児のけんか どのように対応したらいいのでしょう? 4

2011-10-18 11:34:10 | 幼児教育の基本

自己統制力とは、無意識の世界に形作られていくものです。

幼児は、感情と皮膚の感覚、身体の感覚で、

心地よさをベースに、正しい自分のあり方を学習していきます。

 

まず、自分の中に湧き上がるもやもやした感じ、ざわざわした感じ、イライラする感じ、

のぼせあがるようなカッとする感じ、もじもじするようなはっきりしない感じ、

そうしたさまざまな身体と心に湧いてくるものを

大人に受け止めてもらって、言葉で表現してもらい、

それと向き合い、乗り越えるまで

根気よくネガティブなものに付き合ってもらうという過程を通して、

身についてくるものです。

 

「わたしはこういうことがしたいけれど、お友だちも同じようにしたいから、今はがまんして

こうしよう」といった自分の行動を導きだすような

自分の内面の対話ができるようになってくるのです。

 

虹色教室でそうした不安定な大人のサポートをたくさん必要とする時期の子らと過ごすとき、

子どもの心を充たす創造的な問題解決の仕方、

ワクワクするような想像力あふれる解決法を

大人がたくさん示してあげると、

成長するにつれて、自分をコントロールするのが上手なだけでなく

集団をリードして、揉めているお友だちたちに魅力的な問題解決の方法を

提案できる子に育っていきます。

そうした具体的な解決法については、

またの機会に書かせていただくことにしますね。

 

 

何度かリンクしている過去記事なのですが、

今回の内容に関連があるので、また貼らせていただきますね。すでに読んだ方はスルーしてくださいね。

 

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<どうして現代の子育てにはこんなに不安が生じるのでしょう?>

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昔の親たちは、
現代のように教育から幼稚園選びから子どもの服選びにいたるまで、
熱心だったわけでも、上手だったわけでもありませんが、
あんまり不安も抱かずにそこそこに子育てしていました。

やんちゃでやんちゃで、虫やかえるを次々殺したり、
勉強もせずにけんかばっかりしているような子も
男の子はどの子もそんなもの~と見過ごしていれば、
立派な大人になって、ちゃんと働いているもの……
その程度の子育てスタイル、子育て観で十分、世間に通用していましたし、成功もものにできました。

何で昔の人はそんなにも大らかに子育てできたのでしょう。

その理由のひとつは、子どもを何のイメージに重ねていたか?にあるように思えます。
農業や牧畜が主な仕事だった時代は、
『生命あるもの』『変化するもの』の育ち方に、子どもを重ねて見れたのだと思います。

小さな竹のこが、ある時期が来れば人間の背丈を越えて、大きく成長することを知っていれば、
毎日竹の子が何cm何mmか?と測っては、
根腐れするほど肥料や水をかけるのがどれほどバカバカしいか検討がつきます。

いくら良いとこ取りでいろいろ取り入れたらいいといったって、
パン種を膨らます前にちょっとでも焼き釜に放り込んでしまえば、問題があることくらいわかります。

物にはタイミングや時期があること、たとえ良いこと良いものでも、
そうしたタイミングが狂うと、とんでもない問題につながること。
自然の動植物に近い子どもは、あるがまま、その自然な成長を信じることが
一番なのだ。

と昔の人は体験的に知っていたのでしょう?

なら今の子育ては、何の上に子どもの姿を重ねているのでしょう?

私には、買い物で手に入る『商品』に子どもがイメージされているように感じてなりません。
完全装備でいろんなアイテムつきで売られている『お子ちゃまロボット』です。

親同士、公園や習いごとの場や幼稚園や学校で、自分のおもちゃを披露し合い、

新たに自分が付け加えたワザやら、
おしゃれアイテムや
バイリンガルやら素早い計算といった付加価値を

見せ合いたい、自慢しあいたい、
自分たちの目の前で動かしてみて
動作確認がしたい、新しくアイテムを加えて満足したい

そんな思いが渦巻いているように見えるのです。

ですから、親たちのまなざしの中で、
子どもはそれぞれの個性を持っていて、自分のペースで、
何が自分に必要か、何を自分の願いとしようか……と
たくさんたくさんの失敗と
挫折感、思うようにならない現実の中で自分でそれらを発見し
たくましく成長していく『生命あるもの』のひとつではありません。

たとえ相手が赤ちゃんでも、園児でも、
今、目の前で、完全に自分が思い描く子どもの姿通りの動作確認ができないんだったら、
不良品だわ、返品したいわ、絶望的だわ、
とんでもないものを買っちゃった……

という気分に落ち込んでしまいます。

どの子も天才に変えます!なんて謳っている工場があるのなら、
心なんて、ばらばらになってもいいから、放り込んで何とかしてもらいたい!
と必死に考えてしまいます。
だって『お子ちゃまロボット』は、みんなからすごい!すばらしい!と
賞賛されるためにあるのですから、
心なんて必要ないのです。
行為あるのみ、動けばOKです。

続きを読みたい方は↓のリンク先の記事を読んでくださいね。

どうして現代の子育てにはこんなにも不安が生じるのでしょう 2

どうして現代の子育てはこんなにも不安が生じるのでしょう 3


2~4歳児のけんか どのように対応したらいいのでしょう? 3

2011-10-18 08:47:35 | 幼児教育の基本

2~4歳の時期には、とても大切な課題があります。

『自己統制力を育てる』ということです。

 

2~4歳児が、子ども同士で上手に遊べずに、

しょっちゅう大人の介入を必要をとするような揉め事を起こすのは、

大人の手と心を借りて、

自分を大きく成長させていかなくてはならない時期だから

ともいえます。

 

大人たちが遠巻きに微笑みながら見つめるなかで、

子ども同士、平和に幸せそうにじゃれあって遊んでいるという……

2~4歳の子を持つ

親御さんたちが期待する「子どもの遊びの世界」のイメージは、

テレビCMのための作りあげた虚構の世界か、

子犬たちがドッグランで繰り広げる遊びの世界に近いものです。

 

実際の2~4歳の子たちというのは、

人間の子どもとしての育ちの課題を持っていますから、

いろいろと自分で揉め事を創り出しては、

大人から適切な指導を引き出そうします。

 

自分より先に生まれた大人という先輩の手と心を借りて、

今の自分より一段高い次元の

精神的な力と態度を獲得しようと

がんばっているのです。

 

獲得する力が『自己統制力』なんていう一生を左右するような能力ですから、

1回、2回の練習で身に着くはずもありません。

それで、くる日もくる日もギャーギャーワーワーわめき散らしては課題とぶつかって、

大人に助けられながら

ゆっくりゆっくり自分の心と身体を作りあげていくのが、

2~4歳児の姿です。

 

「大人の適切な指導」なんて言葉を使うと、

「ああ、しつけのことね」「きちんと正しいしつけを教えていくことね」と

感じるかもしれません。

もちろん、そうではあるのですが、

けんかをするから、「けんかしてはだめ」「おもちゃを貸してあげなさい」「お友だちに優しくね」と

教えることが、この時期のしつけだと思われているとしたら、

ちょっと問題があるかもしれません。

 

なぜなら、いつまでも子どもの自己統制力が育たないままで、

親の前ではいい子でも、集団の場や、お友だちの前ではわがまま放題だったり、

小学校に入学してからも2、3歳児のように聞き分けがなかったり、

指示には従うけれど、自主性や意欲が乏しかったり、

自己主張ばかりして自分勝手に振舞うような場合も、

先に挙げたようなしつけはしっかりしていることが多いからです。

 

山梨大学の教育人間科学部の加藤繁美先生によると、

「子どもの自己統制力が育っていく道筋にはひとつの構造がある」そうです。

「子どもが自己統制力を自分のものにする過程で、その途中を省略させられたり、

ゆがめられて自己形成させられた場合、

うまく自分をコントロールできなくなってしまう」というお話です。

 

それでは、自己統制力というのは、どのように育っていくのでしょう?

『人とのかかわりで「気になる」子』にあった加藤繁美先生のお話を簡単に要約して紹介しますね。

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まず、まだ泣くことくらいしか自己表現できない赤ちゃんの時期に、

大人たちが子どもの発する言葉にならない子声(自覚しない要求)を

読み取り、ていねいに「意味づけ」し続けること。

そうしたコミュニケーションの繰り返しのなかで、自分の要求が音声と対応すること

を知っていきます。

同時に人と関わる心地よさを無意識世界に形成していきます。

 

次に、「愛されることの心地よさ」をベースに、音声で表現できることを知った

要求世界を、自分の興味・関心にひきずられるようにして

どんどん表現するようになります。

          (『人とのかかわりで「気になる」子』ひとなる書房より  要約しています)

要求を主張する主体として成長していくこの時期、

大人の対応が重要です。

 

つまり「受け止めながら、方向づける」という対応が、

ていねいになされることが重要です。

大人の側に余裕と辛抱強さが必要になってきます。

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どうして大人の側に余裕と辛抱強さが必要なのかというと、

この時期の子どもの要求は、融通が利かない一方向のものだからです。

どうしてそんなにわがままな要求なのかというと、

幼児はまだ幼児だからで、

そうした原石のような要求を表現しつつ、

しだいにそれに磨きをかけて、自分の力でコントロールできるものにしていく

という課題を抱えて生きているからです。

 

でも、ちまたで見かける大人の幼児への対応は、

子どもの要求自体を無視する、機嫌を取って紛らわす、大人同士の関係維持のために

要求を変形する、要求を表現できない場に連れていく(習い事やショッピングセンターなど)

というものが多いです、

また、大人が子どもに対する余裕を持って辛抱強く接することが

我慢できないため、

その言い訳として、

「子どもには小さいときから、きちんとしつけないといけない」「最初が肝心」などの

言葉を使って、問答無用で大人の意のままに従わせるという場面もよく見かけます。

一方で、子どもの言いなりになって、大人として

子どもの成長を方向づける仕事を放棄してしまっているケースも目立ちます。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 


お金の算数パズル

2011-10-17 20:28:02 | 算数

前回の続きは明日にでも書きますね。

小1の★くんのレッスンです。

『教室熱中!難問1問選択システム 1年』  明治図書

の問題が面白くてたまらなかった模様。

日頃、「学校の勉強、面白くない。簡単すぎる」とぼやいている

★くんが目を輝かせて解いていました。

 

お金のパズルの問題が気にいっていたので、

実物を使って、問題作りにもチャレンジしました。

<お金の算数パズルの作り方>

 

9つのマス目を描きます。

10円3枚、5円3枚、1円3枚を用意します。

お金を適当に並べて、縦列、横列をそれぞれ1列ずつ足し算して、

下と横に金額を書きこみます。

ヒントに1つのマスだけお金の金額を書きこんだら、

置いていたお金を取り除いて、できあがり。

 

<問題>

1列ごとの合計金額を見ながら、10円、5円、1円のあった

場所を当てます。

 

計算する楽しみが味わえるパズルです。

 

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★くんは、学校に夏の宿題として提出していた恐竜の絵が

絵の展覧会に出品されることになり、そこで銀賞をいただいたのだとか。

おめでとう♪

今日のレッスンでは、恐竜のペーパークラフト作りを楽しんでいました。

ゲームは、ねばり強さや微調整していく力と思考力が必要な

ダウンフォールがとても気にいっていました。

ピエロの立体パズルも、最終問題にまでチャレンジして

ガッツポーズでした。

 

 


2~4歳児のけんか どのように対応したらいいのでしょう? 2

2011-10-17 09:47:09 | 幼児教育の基本

心理カウンセラーの袰岩奈々さんが、『感じない子ども こころを扱えない大人』という著書のなかで、

次のように書いておられます。

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「授業中にほかのことをしているので、注意をするが、ぽかんとしている。何を注意されたのか、

わかっていないようだ」

「『そんなに言うことを聞かないのなら、もう帰りなさい』というような言い方をすると、本当に帰ってしまう。

子どもに言葉のニュアンスを受け取ってもらえない」

(略)

子どもとのコミュニケーションがうまく成り立たない……教員たちのこういう訴えから気づくことは、

相手の気持ちや自分のなかにおこる危険や不安といった感覚、感情を

子どもたちがうまく感じとれていないのではないか、ということだ。

小学校で知識を学び始める。その段階までに、開発されるべきものが育っていない。

そんな子どもたちを多く抱えながら、知識を伝えることを主とせざるをえない、という矛盾が

今の学校にはあるのではないだろうか。

では、知識を学び始める前までに開発されるべきものとは、なんだろうか。

それは「自分の感情を十分に味わって、その自分なりのコントロール方法を、

ある程度身につけているかどうか」ということだ。

かつては、気持ちを取り扱うための訓練が、家庭のなかで自然になされていた。たとえば、

兄弟ゲンカをしたり、家族との家族との駆け引きをしたりしながら、自分の気持ちを自覚し、

それを表現する方法を自分なりにみつけ、磨く機会があった。

(略)

けれども、今の子どもたちは、そういった予行演習の場がない。突然に学校といった

公の場に出ることになる。

(『感じない子ども こころを扱えない大人』 袰岩奈々 集英社新書)

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袰岩奈々さんは、自分の子どもの子育てを振り返って、

年齢がいってから子どもを産んだせいもあって、親である私は

モノの名前や状況についての説明には長年慣れ親しんでいたものの、

情緒的な反応やイマジネーションの世界からは遠ざかっていた」とおっしゃっています。

絵本に猫がいれば「ネコよ」、ハリネズミはいれば「ハリネズミよ」と反応して、

ネコが気持ちよく眠っていてかわいいとか、ハリネズミの針がツンツンして

さわると痛そうだとかいった、情緒的・感覚的な反応が出てこなくなっていたそうです。

そうした子育ての体験から、

もしかすると、世の中全体でこういった「知的」なものを

乳幼児期からいっぱい注ぎ込む傾向が強くなっていて、

子ども自身、自分のなかにわき起こる感情をもてあましているのかもしれない。

気持ちを言葉にしたり、コントロールする体験が少なく、

自分なりの気持ちのコントロール法を編み出す機会が少なくなっているのではないか?」

という疑問を導きだしておられます。

 

虹色教室でグループレッスンをしていると、

子どもたちが本当に意味で、生き生きと学び出すのは、

友だちやわたしの前で素のままの自然な自分が出せて、それでいて

心から共感しあえ、笑いあえて、互いの欠点が許しあえる友だち関係ができてきた後からなのです。

 

それまでは、学ぶことに対して斜に構えた馬鹿にしたような態度をとったり、

そわそわ落ち着かなくて、心から楽しそうでなかったり、

優等生ぶっていても、成果ばかり気にして好奇心が鈍っていたりするのです。

 

それが、人との関わりのなかでリラックスして楽しめるようになり、

自分の感情と素直につながるようになってくると、

面白くない訓練や

難しくてどう取りかかったらいいかわからないような問題にぶつかるのも

ワクワクする体験のひとつになってくるのです。

あらゆることに心が開かれてくるのです。

 

難しい問題にぶつかると、心もとない気持ちになって、

友だちと協力しあってそれを打破しよう、人と相談しあうのは

こんな風に大切なのかと実感できます。

また、それをやり遂げて、みんなのヒーローになりたいという気持ち、

「すごいな~」と友だちを賞賛する気持ち、

アイデアを出すのがうまい子、根気がある子など、それぞれの特技を生かして

互いの良い面を生かしながら、

認めあって物事にあたるすべが身についてきます。

わたしの役目はそうした関係をサポートしていくことですが、

そうした関係が成り立つには、

まずそれぞれの子が自分の感情と素直につながっていなくてはならないし、

友だちとけんかをしあえるほど仲良くならなくてはなりません。

自由に感情を表現して、それをコントロールしていくのを学べる時間や場が必要なのです。

この夏、ユースホステルでのお泊りレッスンを実行したところ、

小学生の算数クラブや科学クラブの子らに

大きな変化が見られました。

勉強に対する意欲と責任感が劇的に変化した子が

何人も出たのです。

といっても、ユースホステルで特別な勉強をしたわけではありません。

ただ、子ども同士、ゆったりした時間のなかで、

本当に親しくなったのです。

 

2~4歳の子の揉め事の話から脱線していますが、

次回に続きます。