虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

2歳0ヶ月 遊びに目的が生まれてきました ♪

2011-11-09 18:05:38 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

0歳のときから、月に1回、教室に通ってくれている○ちゃん。

今月、2歳になりました。

好奇心旺盛で目的に向かってまっしぐらの赤ちゃんだったのに、

ちょっぴりシャイでおしゃべりで、おもちゃをていねいに扱って遊ぶお姉さんに成長してきました。

先月あたりから、遊び方に目的が現れ出した○ちゃん。

これまでは、お母さんや年上の子たちの「何ちゃって物真似」で、

真似しているにはしているんだけど、かき混ぜているだけだったり、ゲームの箱を開けてコマを動かしている

ふりだったりして、

あまり意味を伴っていませんでした。

それが、このところ○ちゃんの遊びが、

急速に意味を伴いだしたのです。

 

今のブームは、自分で目的を作りだすことのようです。

↑お弁当箱のセットを見つけて、バラバラにした後で、

全部元通りにして、終いには、ご丁寧にゴムまではめようと

一生懸命。

ケーキのおもちゃを出してあげると、

ろうそくといちごを全て自分で置いていきました。

が、できあがったケーキを見て、

何だか不服そうな○ちゃん。

 

それを見て、わたしも「そうだ!」とひらめきました。

○ちゃんはきっと、「やった!」と感激するような目的が欲しいはずです。

 

赤い小さなテーブルにできあがったケーキを乗せて、

「○ちゃん、おたんじょうび、おめでとう~しよう!」と言いながら、椅子をセッティングしていくと、

○ちゃんはすぐに了解して大はしゃぎで自分も椅子を並べ始めました。

お客さんの動物を椅子に座らせていきます。

 

最後に、○ちゃんもイチゴの形の子ども椅子に座って

このパーティーに参加しました。

 

 

 


まわりの子が学習もスポーツもしつけもよくできるので焦ります 2

2011-11-09 08:50:19 | 教育論 読者の方からのQ&A

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芥川賞、読売文学賞、谷崎潤一郎賞などの他、さまざまな文学賞を受賞しているだけでなく、

映画化されたり、海外で翻訳されている作品も多い

作家の小川洋子さん。

『物語の役割』という著書のなかで、子ども時代のこんなエピソードを紹介していました。

 

小学校入学を迎えた小川さんは、3月30日生まれだったので、同級生に比べると

体も小さく動作も鈍く、体育の授業の時、制服を着替えるのさえもたもたして、

皆から出遅れていたそうです。

それを心配したお母さんと、家でボタンを留める特訓をしたそうです。

不器用な小川さんは、母の期待にこたえようとするほど、ボタンをかけ間違えたり、指先が

言うことをきかなくなったのだとか。

着替えだけでなく、給食を食べるのも、算数の問題を解くのも、粘土で何か作るのも、

何もかも遅かったそうです。

愚図の自分がみじめで仕方がなかった小川さんは、ブラウスを着ながら

こんなお話を作ったそうです。

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「ボタンちゃんとボタンホールちゃん」

ボタンとボタンホールはとっても仲良しで、いつも二人で一つ。

朝、女の子がブラウスを着ると、ボタントボタンホールは「おはよう」とあいさつして、

二人で一日中おしゃべりしている。

ところがある日、糸が切れ、ボタンが外れてコロコロと転がっていってしまった。

一人ぼっちになったボタンホールは嘆き悲しむ。

一方、ボタンはそれまで行ったこともなかった、ベッドの下やタンスの裏に転がって、

いろいろ冒険する。

ほどなくして、お母さんがボタンを発見して、

またブラウスを縫いつけてくれる。

仲良しの2人は無事再開を果たし、ボタンは自分の冒険をボタンホールに話して聞かせて

あげました。

めでたしめでたし……というお話です。

(『物語の役割』  小川洋子 ちくまプリマー新書)

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それからボタンをはめるたびに、そのお話をよみがえらせるように

なった小川さんは、ボタンが上手にはめられないのは、

ボタンちゃんが冒険にでているからと考えて、自分をみじめに感じなくて

すむようになったそうです。

不器用で小さな自分の内側に物語を据えることで、自分の外側の現実のありようを変化させたそうです。

それは小川さんの作った最初の物語りなのだそうです。

 

小川さんにとってうまくボタンをはめられないという葛藤が、

小川さんの生涯の天職の最初の種となったんだな~と感動するエピソードでした。

 

このグズグズもたもた~不器用すぎる~という姿は、わたしが子どもだった頃もまさにそのまんまだし、

うちの娘も息子も小学校の中学年くらいまで、動作がゆっくりめでモタモタしていたことに

思い当たりました。

娘の場合、小川さんと同じように年の末の方に生まれたのと小柄で神経が細かい子だったので、

テキパキと動く同級生についていくのが大変そうでした。

息子の場合は、考えることが好きで、ひとつひとつの事柄をじっくり味わって想像をめぐらしていることが多く、

たびたび手がお留守になって、

よく先生に叱られていました。

でも不器用というのはわからない一面があって、

どちらの子も訓練もしなければ、悩みもしなかったけれど、

自然に不器用さは消えていって、

娘も息子も小学校の絵の展覧会に何度も選ばれていたり、

習わなくてもピアノが弾けるようになって卒業式の日にピアノ演奏をする役をしていたりしました。

大きくなると娘はテキパキしているというので

褒められることが多いようです。

 

わたしの子ども時代は、、幼稚園で、クラス一お弁当を食べるのが遅いというので、

母に特別小さなお弁当箱を探してきてもらって、

一口サイズのおにぎりとソーセージと卵くらいの……今なら

一分もかからないで食べ終わりそうなお弁当を

作ってもらいつつ、あいかわらずグズグズして、

掃除時間になって机を移動させる際に、

机の上に乗せられてお弁当を食べていた記憶が……。

その通りの愚図だった幼稚園時代のわたしも、

作家の子どもだった小川洋子さん同様に、

そんなふがいない自分を想像を膨らませていろんな物語を思いつくことで

補っていました。

当時、園では、担任の先生が毎日、幼年童話の読み聞かせとグリム童話の語りを

してくれていました。

本当いうと、わたしの愚図は、そうしたお話に夢中になり過ぎていたことも原因でした。

ひとつお話を聞くたびに、元の話にちょっとだけ手を加えて、

もう少し今の自分や幼稚園の出来事を

盛り込んだお話に変化させて、

いろいろなバージョンのお話を何度も心のなかで再現させて楽しんでいたのです。

 

家にある三つ折りのマットレスを立てて

テントの形にして、お話小屋というのを作り、妹や近所の友だちを読んで、

自分の考えたお話を聞かせるのも

しょっちゅうしていました。

そのうち、他の子たちが夢中になって話しに引き込まれるには、

ちょっとショッキングな展開が必要だと感じるようになり、

童話なんだか、サスペンスなんだかわからないような話もたくさん作って話してきかせていました。

だから愚図でいいってわけでもないのですが、

外に現れて見えるもの以外にも

子どもの内面で芽を出し育ちつつある夢の種はあって、

アウトプットを急ぐあまりそれを根こそぎつぶしてしまっては

その子らしさも、生きる意味を失ってしまうかもしれない……そんなことを伝えたいと思ったんですよ。

 

 

↑一年生の☆くん。

入学して以来、「学校面白くない。簡単すぎ」と文句タラタラ、うだうだぐずぐずしながら

通っていたため親御さんが心配していました。

が、この頃、身体が慣れてきて、

帰宅してから作り続けているオリジナル図鑑の制作を楽しみにしながら、

笑顔で毎日を過ごすようになってきました。

学校でいっぱいいっぱいだし、家で絵を描いたり、調べ物をしたりして、自分の時間を過ごすのが

それは幸せそうだから、

迷いはあるけれど習い事等はしないでこれまできました。

☆くんが幼児期から好きでたまらなかった恐竜のお絵かきは、

恐竜図鑑作り、世界の国土や世界一のランキング図鑑作りなどに

発展しています。

 

 

 


虹色オンライン教材のサンプルページに「対象年齢別目次」が追加されました。

2011-11-09 06:53:31 | 虹色オンライン教材

虹色オンライン教材のサンプルページに「対象年齢別目次」が追加しました。

http://nijiiro.weblogs.jp/kousakusample/blog_index.html

購入者向けにはリンク付きで

序章に追加しています。

 

この冬中に購入者向けのおまけの動画(簡単な算数の学び方)を

加える予定なのですが、シアトルから帰ってくるまでなかなか時間が取れないので

そちらは、もう少し待っていてくださいね。


まわりの子が学習もスポーツもしつけもよくできるので焦ります 1

2011-11-08 15:45:45 | 教育論 読者の方からのQ&A

前回の続きなのですが、テーマを少し変えてお話します。

大人だけの勉強会で親御さんたちが、とにかく「焦り」を口にしておられました。

 

工作のワークショップに集まっていた子どもたちは、どの子も想像力があって、創造的で、

集中力のある考えることが好きな子どもたちです。

 

それなのに、どうして親御さんたちが、わが子と周囲のお友だちを比べて

「焦り」を感じるのか、不思議に感じるかもしれません。

 

お話を伺うと、幼稚園の年少さん時点ですでに、

周囲の子らは、文字に計算に英語にスポーツに習い事にプリントにお受験に……と

誰もかれもがあらん限りの力を注いでいる状況なのだそうです。

 

確かに「わが子を除く大多数」が、「ものすごくがっばっている」という状況で、心穏やか

過ごすことは難しいですよね。

 

子どもが幼ければ幼いほど、親は近視眼的になりがちです。

 

でも、小さいうちが肝心とか、3歳までに決まるとか、6歳までが勝負とか、9歳までに……と

いった脅し文句は、

現実には、大きくなったうちの子らと同年代の子らを見渡しても、

 

「3歳までに決まる……といった商業的な謳い文句に踊らされなかった…なかった!です……人の子は、

自然にしっかりと成長している」

 

「6歳までが勝負とか、9歳までに……とあれこれ子どもにやらせすぎなかった……なかった!です……親の子が、後伸びしている」

 

という例の方が

圧倒的に多いのです。

 

なぜって、「9歳までに……」なんて脳に刷り込んで育った子が、

高校生になって奮起して、「今からでもがんばろう!」なんてとても思えないですから。

 

でも、本当は、本気の馬力を出して勉強に励めるのは、中学生、高校生で、

抽象的な思考力がみるみる伸びるのも、

これくらいの時期からなんですよ。

 

いざ、中学生、高校生になったとき、

勉強とか、自分が得意なこととか、自分の将来につながりそうなことに

本気で力を注ぎ込むことができるためには、

幼児や小学生の時期から、自分を生きていること、

自分の幸せを作りだす力があること、自分の幸福を感受する力があること、

自分で生み出した葛藤を何度も乗り越えたという自信を持っていることが大切なのではないでしょうか。

 

前回までの記事で「内言」の発達について書きましたよね。

自分の心のなかでつぶやく声とか、自分が自分と交わす対話の質って、

外からは見えないけれど、

お金でいうと、銀行に預けている貯金のようなものだと思います。

イメージする力、つまり想像力も同様です。

 

だとすると、幼児期や小学生の時期に外から見えて比べられる能力というのは、

財布や貯金箱に入れて、普段出し入れしている小銭に過ぎないのです。

 

近視眼的に見ていると、

しょっちゅう高い買い物をし、高価な持ち物を身に付けている人の方が

お金持ちに見えます。

でも、それはそう見えるというだけで、そこで、いくら買い物をしたか、どんな高い物を

身に付けているかで、他人を格付けしたところで、

質素に見える側の人が銀行に多額の貯金をしていて、

散財している人が貯金がゼロだった場合には、

数年後のどちらお金持ちに見えるかという判断は変わってきますよね。

 

変な例ですが、

幼い頃に、外にアウトプットして見える子どもの能力を比べるというのは、

あくまでも財布と貯金箱に入っている金額だけを比べているようなものなのです。

 

子ども本当の貯金は、いかに内なる言語を育てて、それを練って

しっかり自分の考えを追っていけるか、

想像力を膨らませて、自分の遭遇する問題を解決することができるか、

辛い体験から自分の課題を見つけられるか、失敗を次の突破力に変えられるか

といった内面の力にかかっているのです。

 

 

 

 

 

 

 


問い方で、思考力が変化する  (名古屋の工作ワークショップ と 勉強会)6

2011-11-08 13:14:52 | 工作 ワークショップ

子どもが葛藤を抱えているとき、

大人は子どもが自分たちで解決していく力を尊重しつつ、

次のようなサポートができます。

 

 

◆ 危険のない形で、感情を十分表現させる。子どもの気持ちを受け止める。

 

◆ 新しい別の視点から今起こっている出来事を眺めるヒントを与える。

 

◆ 創造的な解決法をしめす。

 

◆ 子どもが葛藤に陥っている本当の理由を見抜いて、

心から満足できる体験が味わえるようにする。 

 

◆ 子どもが葛藤の末 手にいれようとしている新しい理想的な自分像に気づいておく。

 

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葛藤があるところには、たいてい成長の可能性があります。

 

暗い廊下に隠れてしまった☆ちゃんの行動も、

☆ちゃんが今の状態よりもより成長した自分になりたいという

向上心が潜んでいます。

 

これまではお友だちといっしょの場所でも

☆ちゃんはママとふたりで仲良く遊んでいれば満足だったのです。

 

でも、そうじゃなくなった。

それだけじゃ、イライラする。ママじゃなくて、お友だちと仲良くなりたいって欲望が目覚めてきたのです。

でも、どう振舞ったらいいか

わからないし、何だか怖い。拒否されそうだし、実際、強く拒否されもするから、

先に自分が乱暴に振舞っておく。

でも、それでは少しもお友だちと仲良くなれない。

 

そんな悪循環から抜け出すすべもなくて、

暗い場所に隠れてしまったのでしょう。

 

そうした時に、近くにいた大人が

☆ちゃんと同じ視点で、今起こっている揉め事を鎮めることばかりに

気持ちを集中させて、

「~言いなさい」とか、「仲良くしなさい」とか、「優しくしなさい」と指示して、

納めてしまったのでは、

その出来事が成長には結びつかないかもしれません。

 

今回の工作の集まりは「虹色サークル」という虹色教室通信の読者の方々が作っているサークルなので、

こうした子どもの揉め事にも、親御さんたちは余裕を持って、

見守っておられました。

それで、

◆ 危険のない形で、感情を十分表現させる。子どもの気持ちを受け止める。

 

◆ 新しい別の視点から今起こっている出来事を眺めるヒントを与える。

 

◆ 創造的な解決法をしめす。

という3つは、自然と親御さんたちの間から、子どもを主にした形のアイデアが出て、

「問題が起こった時やイライラを抱えてしまった時、

知恵を絞って、工夫すると、こんな楽しい結果が得られるんだ」と子どもが気づけるような

サポートをしておられました。

たとえば、☆ちゃんのお家に入れてもらえなくて

悔しがっていた子には、戸の隙間を利用して、忍者の密文をやりとりする

新しい遊びを提案していました。

 

ただ、

◆ 子どもが葛藤に陥っている本当の理由を見抜いて、

心から満足できる体験が味わえるようにする。 

 

◆ 子どもが葛藤の末、手にいれようとしている新しい理想的な自分像に気づいておく。

という2つについては、

「やれやれ、揉めてたのがおさまったわ~」とホッとした時点で、次につなげる視点は

持っておられないようでした。

 

そこで、工作後の大人だけの勉強会では、

雑談を交えて、子どもを成長させる環境やサポートについて

親御さんたちの話しこむことになりました。

 

 

 

 

 

 

 


問い方で、思考力が変化する  (名古屋の工作ワークショップ と 勉強会) 5

2011-11-08 08:17:55 | 初めてお越しの方

子どもの思考力を育む問い方、

やっぱりよくわからなかったという方がいらっしゃるかもしれません。

確かに、「問いといっても

必ずしも言葉で問いかけるのではなく、

無言の手助けがそのまま

子どもへの問いである場合もあります」というあたり、

何が言いたいのやら……と。

 

前回、☆ちゃんがその場にいる緊張から暗い廊下に身をひそめてしまった話を

しましたよね。

そうした時のサポートの仕方というか、大人の心のあり様のようなものが、

自分で考える子になるか、自分で考えようとせずに、すぐに他人に頼ったり、すぐにあきらめたり、

すぐにキレたり、大人の指示に従いすぎたりする子になるかを

分ける分岐点となるように感じています。

 

どういうことかというと、

人が頭を使うのは、必要があるときで、

必要があるときというのは、解決したい問題を抱えているときですよね。

動物を箱に閉じ込めたら、一生懸命知恵を絞って出ようとしますよね。

でものんびり餌を食べているときに、いくら「頭を使え」と命令したところで、

考えようとはしないでしょう。

 

子どもにしても同じで、子どもは自分で「あれが欲しい」とか、「お友だちと遊びたい」とか、

「あんなことができるようになりたい」といった欲望を感じて、

すぐにかなえられないとジレンマに陥ります。

葛藤を抱えて、泣いたり、わめいたり、自分の殻に閉じこもったりします。

 

そのひとつひとつの欲望は、ある意味、子どもにとって非常に大事な

成長の起爆剤です。

 

子どもが自分で作りだす

自分の発達をうながすための創造物であり、道具といえるのです。

 

ですから、

大人が葛藤が起こらないように、揉め事がないように

先に手をまわしてしまうとか、

葛藤が起こるやいなや、解決法を提示して

大人が解決してしまうということは、

ママ友の関係維持にはいいことかもしれませんが、

その分、子どもの成長を遅らせてしまうのではないでしょうか。

 

といっても、子どもたちが揉めるがままに放っておいたのでは、

暴力に訴えるようになったり、

友だちと遊ぶのを怖がるようになったり

しかねません。

 

それなら、どのようにサポートすればいいのでしょう?

 

レッスンが近づいたので、次回に続きます。

 

 

 

 

 


問い方で、思考力が変化する  (名古屋の工作ワークショップ と 勉強会) 4

2011-11-07 12:38:21 | 工作 ワークショップ

 

結局、どんな問い方が子どもの思考力を育てるの?

内言を発達させるの?

と疑問を抱えたままの方がいらっしゃるかもしれませんね。

 

私が思うのには、

子どもの感情が揺さぶられるような問い方、

それまであたり前だと思っていたことの思いもかけない側面を発見した時、

つまり「びっくりした」時にちょうどいい

問いを投げかけることだと思っています。

 

問いといっても

必ずしも言葉で問いかけるのではなく、

無言の手助けがそのまま

子どもへの問いである場合もあります。

あえて問わないことが、問いになることもあるでしょうね。

 

感情が揺さぶられるとき、人は本気で考えるものです。

つまり、揉め事のあるところには、

思いっきり知恵を絞る絶好のチャンスがあるということです。

 

問題を解決するために頭を使うのは、国の場合も、

危機に面した時ですよね。

 

子どもたちにしても、自分や友だちが揉めていたり、

何だか心が納得しなくてジレンマに陥ったりするときこそ、

みんなを巻き込んで考えることを楽しむチャンスでもあるのです。

工夫して解決したときには、本当にうれしいし、

解決しないときには、心に残るストーリーが記憶に刻まれますから。

 

今回の工作のワークショップには3歳の内弁慶の女の子☆ちゃんが

参加していました。

☆ちゃんは神経が過敏で繊細で恥ずかしがり屋さん。

反抗期の真っ最中ということも

あって、お友だちと仲良くしたいけれど、近づき過ぎるのは怖いし、

みんなといろいろしたいけど、自分の物を触られるのは嫌だし、

大好きなお友だちは自分の思うように手をつないでくれないしで、

気持ちが高ぶって、

廊下の暗闇に隠れてしまいました。

 

誰にも貸したくないとばかりに

ねんどで作ったお料理と、チーズの箱で作った椅子を抱えています。

 

そこで、わたしは☆ちゃんに、「ここに☆ちゃんのお部屋を作ってあげようか?」と

たずねました。

すると、☆ちゃんは目をキラキラさせてほほえんで、こっくりしました。

 

段ボールを貸してくださる方がいたので、それを立てて壁やドアにすると

素敵なお部屋ができました。

 

すると、うらやましそうに他の子らがぞろぞろ集まってきました。

お友だちが口ぐちに「お家に入れてよ」と懇願しますが、☆ちゃんは「いやー!だめー!」と

断固拒否。

ちょっとお姉ちゃんの◇ちゃんが「ケチはだめ」とばかりにたしなめて、軽く☆ちゃんのおでこを

ペチリとたたきましたが、☆ちゃんは誰も家に入れようとしません。

 

どうしても家に入りたかった●ちゃんが、ワンワン大きな声で泣き始め、

「●ちゃんにもお家を作ってあげよう、ここではどう?これはだめ?」となだめすかしても

泣きやみません。

●ちゃんは、●ちゃんで、自分の家が欲しいのではなくて、

「意地でも誰も入れないぞ」とがんばっている☆ちゃんの感情が

その場にかけている不思議な魔法が魅力なのです。

 

本当に、どうしてこんなに手に入らないものは魅力的なんでしょうね?

 

この後で、激しい「お家に入れて!」「いや!」の争いは、

素敵なドラマを生みました。

というのも、実はそれまで☆ちゃんは、●ちゃんが好きで、仲良くなりたくて、手をつないでもらいたくて

しかたがなかったのです。でも、追いかけ回されて、友だちになって~と迫られると、

逃げたくなるもので、●ちゃんはずっと☆ちゃんを拒否していました。

 

それが、突然、ものすごく魅力的な豪華?(段ボールの壁の……↑の写真のスペースです)な家の持ち主となった

☆ちゃんの株は、この揉め事で一気に急上昇し、

●ちゃんの大泣きの末、☆ちゃんと●ちゃんは仲良さそうに手をつないで

ずっと遊んでいたのです。

 

次回に続きます。

 

 


問い方で、思考力が変化する  (名古屋の工作ワークショップ と 勉強会) 3

2011-11-07 09:12:49 | 工作 ワークショップ

トイレットペーパーの芯で「動け、動け、とまれ、もどれ」という動きについて

考えてみる前に、写真のようなひもを広げると上に登っていく仕組みを子どもたちに

見せました。

すると、大人の方々は驚いて、「どうして登るのか」と気にかけていたのですが、

子どもたちは、「なんだ、そんなのひもを引っ張ったから上がるんじゃん」と、

鼻も引っ掛けない様子でした。

コップの底部分の直径と飲み口の直径の違いによって、

物が上下に移動するのですからなかなか面白い仕掛けなのですが、

「最初からできあがっている感じ」や「大人が子どもに決まったひとつの答えを出すのを求めているような雰囲気」が

あったのかもしれません。

こんな風に、いかにも答えを出させるための質問、子どもに知識を与えるための問いかけ、

という雰囲気では、子どもの頭はフリーズしたまま動かないものです。

大人が喜ぶような人工的で完成度が高そうな学習であるほど、

子どもにすれば、「すでに大人がわかっているんなら、

わざわざ自分が考えなくても、大人に正しい答えを教えてもらってから答えればいい」

「他の子ら答えて、間違えたら、自分は間違えなくても正しい答えが言える」と

考えてしまうのかもしれません。

 

疑問を抱くこと、内言を育てること、自分の心のなかで考えを追う楽しみを育てるには、

「教えよう」「知識を与えよう」という大人の押し付けが

ほんの少しでも透けて見えたら、

逆効果にもなってしまいがちです。

 

それなら、どのようにすると、子どもは自分の心のなかに疑問を抱き、

自分と対話し、自分自身で考えを深めていくのでしょう?

 

それには、子どもへの問いかけ方を工夫する必要がありますが、

その前に、普段の親や先生の子どもへの接し方が、

近視眼的でないことが重要だと思っています。

 

大人が子どものアウトプットに注目し過ぎない、

子どもの今を評価し過ぎない、

子どもに自分ができているかどうか、上手か下手かに注目させるような言動をつつしむ、

ことが大切です。

そういう意味で、たとえプールやソロバン教室のようなものでも、

まだ小学校にもあがっていないうちから「○級」に合格したかどうか

といった刺激にさらすことは、とても危険なことだと感じています。

 

なぜかというと、子どもはこの広い世界のなかではとても小さな存在で、

心がいつもまだ知らない広い世界に向かって開かれていなくてはならないのに、

年がら年じゅう、「小さな自分」にばかり注目するように癖付けてしまっては、

金魚蜂のなかの金魚のように、

認識している世界が狭い子になってしまうからです。

 

自分が今、何を上手にできようと、できまいと、

魔法のような不思議さと、たくさんのやってみたいことと、できるようになりたいあこがれと、

人と人が関わる場で新しく生まれてくる物語にどっぷりつかていることができるかどうか

が子どもの将来の伸びしろの大きさを決めるように感じています。

 

自意識過剰になって「小さな自分」にばかり注目するのでなくて、

自然に、今ある世界にいることができて、

そこで、泣いたり、笑ったり、恥ずかしがったり、怒ったり、ぐずぐずしたり、寝ていたり、ふざけていたり、

夢中になっていたり、感動したり、うまくいかなくてイライラしたりすることが、

とても重要だと思っています。

そうした感情が突破口になって、広い世界に対して、将来、出入りすることができるようになる入口が

作られるからです。

 

子どもが知らない価値はたくさんあります。

「なぜ」という疑問は無数にあって、それぞれに対する答えも無数にあります。

「○級」を取得するために必要なものだけが世界を形作っている価値だと

誤解してしまうと、

子どもの周りにどんなにすばらしい価値あるものがあっても、

その子が感じとれるものはごくわずかになってしまいますよね。

↑工作イベントにぜんまい式のおもちゃを分解したものを持っていくと、

手のひらに乗せて、

真剣に見つめている子がいました。

「ぜんまいの動きを使って、何かできないかな?」

とアイデアを募ると、

トンネルをくぐらせるアイデアと、ひげそりのシェーバーを作る案が出ました。

 

素朴に、ただ考えること……

 

それが、たまらなく面白い体験でもあるのです。

 

 


問い方で、思考力が変化する  (名古屋の工作ワークショップ と 勉強会) 2

2011-11-07 07:03:31 | 工作 ワークショップ

子ども時代というのは、

自分の心のなかの声、つまり内言が発達していく時期です。

内言というのは、「音声を伴わない自分自身の


ための内的言語で主として思考の道具に用いられる」と

言われています。

サピア・ウォーフの仮説によると、言語はその話者の

世界観の形成に関与する、とされています。

 

わたしも子どもの内言の内容や発達いかんによって、

その子の思考力の幅や質や世界の認識そのものがちがってくると思っています。

なぜ子どもを大人の指示で動かして、競争させて、

強迫的に何かを訓練させることがまずいのかというと、

最も重大な害は、

子どもの内言を失わせること、心の声を陳腐なものにさせること、

内面を雑音だらけにすること……と言えると思います。

 

子どもにできあがっているものを見せて、

「どうしてこれは動くんだと思う?」とたずねると、

「そんなの、~にきまってるじゃん」

「そんなの当たり前じゃん」と馬鹿にしたように、つまらなそうに言い捨てることがあります。

 

でも、大人が問い方をちょっと変えると

同じ子らが、たちまち夢中になって考え始めます。

黙って、見つめる目の真剣さから、

心のなかで、内なる対話が活発に行われているのがわかるときがあります。

 

問い方をちょっと変えるというのは、場合によりけりなのですが……

わたしが上の写真で子どもたちに「動く仕組み」について考えさせているシーンを

例に挙げて説明させていただきますね。

 

子どもたちの前で、「見ててね」と言いながら、

トイレットペーパーの芯を転がして見せます。

「動け、動け」と芯を指さして命令していると、

前方に転がっていきます。

「どうして転がっていくのかな?」とたずねると、

「丸いとこがあるから」とか、「ころころするから」などさまざまな意見がでました。

 

そこで、「それなら、動け動け、ストップ!戻れ~って戻ってくるように

するにはどうしたらいいのかな?」と尋ねると、身を乗り出して

トイレットペーパーの芯をにらみつけて黙っています。

 

芯のひとつに小さな紙を貼って、転がすときには紙を芯の側面にぴったり沿わせて転がすと、

転がるうちに紙が広がって芯は止まり、

戻ってきます。

その時、「動け動け、ストップ!戻れ~」と声をかけて、

手で動きを表現すると、まるでわたしの声や手の動きに従うように動くトイレットペーパーの芯を

手品を見るように見つめる子らは、同時にこの種を見破ろうと必死になって頭を絞ります。

 

次に、芯のなかにビー玉を1個貼り付けたものも転がしてみます。

これも、「動け動けストップ!戻れ~」の指示に従います。

 

そんなとき、子どもは、「どうしてなんだろう?~だからかな?でもちがうみたい?

どうしてだろう?」とそれをすっきりとした言葉で言い当てたくて、

でも簡単そうでも言葉が見つからなくて、

もやもやした思いを抱えた状態で集中しています。

 

次回に続きます。

 

 

 


名古屋の工作ワークショップ と 勉強会 1

2011-11-06 19:45:33 | 工作 ワークショップ

名古屋で工作のワークショップと勉強会に講師として行ってまいりました。

↑は年中さんの★くんの大作。

『モリコロパーク』なのだそうです。

★くんは頭のなかでさまざまなイメージを膨らますことと、物作りが大好きな

想像力と創造力が豊かな男の子です。

手前にあるのがモノレールで、その奥にあるのがプール、背後にあるのが最大級の観覧車だそうで、

モリコロパークに出かけたときの様子をひとつひとつイメージして作ったそうです。

 

↑は年長さんの男の子の制作風景。

『ゴーカート』なのだそうです。

お友だちが遊んでいます。

ゴーカートのレース場に車を速く動かすために入れていた

発泡スチロールの玉で静電気の実験中です。

ひとつひとつの素材の性質は、とても面白いです。

 

名古屋のワークショップから帰宅する新幹線で、小川洋子さんの『物語の役割』という著書を

読んでいました。小川洋子さんといえば、映画にもなった『博士の愛した数式』の原作を書かれた作家です。

小川洋子さんは、学生の頃を振り返って、

文学の書き方を大学で教えられるのかという批判的な見方もあったようだけど、

私自身は大学の文芸科に進んだことについて、進んでよかった

といったことを書いておられました。

その理由として挙げておられた内容が、わたしが今回のようなワークショップを通して

子どもたちに用意してあげたいなと思っている環境や、レッスンの場で大事にしていることと

重なったので、紹介させてくださいね。

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結局、技術的な問題は本人が独自に習得していかなければならないものですが、

文芸科に身を置いたことでよかったと思うのは、常に傍らに文学があって、

それを尊ぶ雰囲気、環境の中にいられたということです。

それがいまの私にとっての財産です。

 

国家資格がとれるとか、就職に有利だとか、目に見える目的のためだけではなく、

ただ心静かにに物語の世界に向かい合って、そこに立ち現れてくる人々との無言の会話を交わす。

そういう喜びのためだけに時間を使う。

それは尊いことなのだという雰囲気のなかに、少なくとも四年間いられたのが、

私にとっての幸いな経験でした。

           ( 『物語の役割』 小川洋子  ちくまプリマー新書)

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「常に傍らに文学があって、それを尊ぶ雰囲気、環境の中にいられたことが、わたしの財産」

その一言が心に響きました。

 

わたしも、文学ももちろんなのですが、科学にしても、数学にしても、国語にしても、芸術にしても、

教養全般にしても、常に子どもたちの傍らにあって、それを尊ぶ雰囲気

 を創って、子どもたちの将来への夢を育む 環境としたいと願っています。

 

工作のワークショップにしても、手先が器用になるとか、工作の技能がアップするとか、

将来の~に役立つからなんて目的ではなく、

イメージをふくらますこと、自分で考えること、何かを作りだすこと、科学の不思議、素材の面白さ、

仕掛けの楽しさを味わうことを尊ぶ雰囲気、

人と人が協力し合うこと、他の子の作品に感動すること、言葉で表現すること、

自由さや遊び心を尊ぶ環境、

そうした地味なもののなかに、かけがえのないすばらしいものを発見できるような

感受性を育てたいなと思っています。

またそうした場作りをしている親御さんたちの活動をサポートしていきたい

と感じています。

 

 くわしいワークショップと勉強会の様子は、

 ペロ嫁の工作de知的な日記

で見ることができますよ。ぜひ遊びに行ってくださいね。