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芥川賞、読売文学賞、谷崎潤一郎賞などの他、さまざまな文学賞を受賞しているだけでなく、
映画化されたり、海外で翻訳されている作品も多い
作家の小川洋子さん。
『物語の役割』という著書のなかで、子ども時代のこんなエピソードを紹介していました。
小学校入学を迎えた小川さんは、3月30日生まれだったので、同級生に比べると
体も小さく動作も鈍く、体育の授業の時、制服を着替えるのさえもたもたして、
皆から出遅れていたそうです。
それを心配したお母さんと、家でボタンを留める特訓をしたそうです。
不器用な小川さんは、母の期待にこたえようとするほど、ボタンをかけ間違えたり、指先が
言うことをきかなくなったのだとか。
着替えだけでなく、給食を食べるのも、算数の問題を解くのも、粘土で何か作るのも、
何もかも遅かったそうです。
愚図の自分がみじめで仕方がなかった小川さんは、ブラウスを着ながら
こんなお話を作ったそうです。
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「ボタンちゃんとボタンホールちゃん」
ボタンとボタンホールはとっても仲良しで、いつも二人で一つ。
朝、女の子がブラウスを着ると、ボタントボタンホールは「おはよう」とあいさつして、
二人で一日中おしゃべりしている。
ところがある日、糸が切れ、ボタンが外れてコロコロと転がっていってしまった。
一人ぼっちになったボタンホールは嘆き悲しむ。
一方、ボタンはそれまで行ったこともなかった、ベッドの下やタンスの裏に転がって、
いろいろ冒険する。
ほどなくして、お母さんがボタンを発見して、
またブラウスを縫いつけてくれる。
仲良しの2人は無事再開を果たし、ボタンは自分の冒険をボタンホールに話して聞かせて
あげました。
めでたしめでたし……というお話です。
(『物語の役割』 小川洋子 ちくまプリマー新書)
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それからボタンをはめるたびに、そのお話をよみがえらせるように
なった小川さんは、ボタンが上手にはめられないのは、
ボタンちゃんが冒険にでているからと考えて、自分をみじめに感じなくて
すむようになったそうです。
不器用で小さな自分の内側に物語を据えることで、自分の外側の現実のありようを変化させたそうです。
それは小川さんの作った最初の物語りなのだそうです。
小川さんにとってうまくボタンをはめられないという葛藤が、
小川さんの生涯の天職の最初の種となったんだな~と感動するエピソードでした。
このグズグズもたもた~不器用すぎる~という姿は、わたしが子どもだった頃もまさにそのまんまだし、
うちの娘も息子も小学校の中学年くらいまで、動作がゆっくりめでモタモタしていたことに
思い当たりました。
娘の場合、小川さんと同じように年の末の方に生まれたのと小柄で神経が細かい子だったので、
テキパキと動く同級生についていくのが大変そうでした。
息子の場合は、考えることが好きで、ひとつひとつの事柄をじっくり味わって想像をめぐらしていることが多く、
たびたび手がお留守になって、
よく先生に叱られていました。
でも不器用というのはわからない一面があって、
どちらの子も訓練もしなければ、悩みもしなかったけれど、
自然に不器用さは消えていって、
娘も息子も小学校の絵の展覧会に何度も選ばれていたり、
習わなくてもピアノが弾けるようになって卒業式の日にピアノ演奏をする役をしていたりしました。
大きくなると娘はテキパキしているというので
褒められることが多いようです。
わたしの子ども時代は、、幼稚園で、クラス一お弁当を食べるのが遅いというので、
母に特別小さなお弁当箱を探してきてもらって、
一口サイズのおにぎりとソーセージと卵くらいの……今なら
一分もかからないで食べ終わりそうなお弁当を
作ってもらいつつ、あいかわらずグズグズして、
掃除時間になって机を移動させる際に、
机の上に乗せられてお弁当を食べていた記憶が……。
その通りの愚図だった幼稚園時代のわたしも、
作家の子どもだった小川洋子さん同様に、
そんなふがいない自分を想像を膨らませていろんな物語を思いつくことで
補っていました。
当時、園では、担任の先生が毎日、幼年童話の読み聞かせとグリム童話の語りを
してくれていました。
本当いうと、わたしの愚図は、そうしたお話に夢中になり過ぎていたことも原因でした。
ひとつお話を聞くたびに、元の話にちょっとだけ手を加えて、
もう少し今の自分や幼稚園の出来事を
盛り込んだお話に変化させて、
いろいろなバージョンのお話を何度も心のなかで再現させて楽しんでいたのです。
家にある三つ折りのマットレスを立てて
テントの形にして、お話小屋というのを作り、妹や近所の友だちを読んで、
自分の考えたお話を聞かせるのも
しょっちゅうしていました。
そのうち、他の子たちが夢中になって話しに引き込まれるには、
ちょっとショッキングな展開が必要だと感じるようになり、
童話なんだか、サスペンスなんだかわからないような話もたくさん作って話してきかせていました。
だから愚図でいいってわけでもないのですが、
外に現れて見えるもの以外にも
子どもの内面で芽を出し育ちつつある夢の種はあって、
アウトプットを急ぐあまりそれを根こそぎつぶしてしまっては
その子らしさも、生きる意味を失ってしまうかもしれない……そんなことを伝えたいと思ったんですよ。
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↑一年生の☆くん。
入学して以来、「学校面白くない。簡単すぎ」と文句タラタラ、うだうだぐずぐずしながら
通っていたため親御さんが心配していました。
が、この頃、身体が慣れてきて、
帰宅してから作り続けているオリジナル図鑑の制作を楽しみにしながら、
笑顔で毎日を過ごすようになってきました。
学校でいっぱいいっぱいだし、家で絵を描いたり、調べ物をしたりして、自分の時間を過ごすのが
それは幸せそうだから、
迷いはあるけれど習い事等はしないでこれまできました。
☆くんが幼児期から好きでたまらなかった恐竜のお絵かきは、
恐竜図鑑作り、世界の国土や世界一のランキング図鑑作りなどに
発展しています。