虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

甘え足りない? 幼い時に優れていることを求められること 2

2012-01-18 10:09:33 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

何でもできてしっかりして見える子というのは、

器用で頭がよくて責任感が強い性質ゆえに「できる」ということもありますが、

もうひとつに、

「上手にできないことは最初からしない」

「大人の持っている評価基準に敏感で、

良い評価をされないことはしない」

「弱みや苦手を外に見せない慎重さ」ゆえに

しっかりして見えてたんだな、と感じる時があります。

 

大人びた子が自然に甘えを表現するようになると、

こうした他人の目に対する敏感さが緩んで、無防備すぎるほど無防備に

いろんなことをやりはじめることがあります。

 

「そんなのくだらない」「バカバカしい」と他人のすることには厳しい評価を下していたわりに、

本当にうれしそうに自信満々に作るものや、考えだすアイデアが、

「ゴムでまいただけ」の作品だったり、

「紙屑を投げて誰が一番遠くまで飛ぶか競争しよう」といったアイデアだったりするので、

こんな単純でシンプルなものごとを喜べる感性を持っていたのか、とびっくりします。

 

一方で、「弱みや苦手を外に見せないでくると、

その子が全く手つかずでいた分野は幼い時のまんまなんだな~、

でも、それがどんなに稚拙でも、自分のなかにあるものは、

とにかくそれをやってみたり表現してみたりすることで、心からの満足と楽しさが味わえるんだな」

と感じます。

 

そうして、他人の目や評価を気にせずに、自由に自分のなかにあるものを出せるように

なってくると、他の子ややらなくてはならないことに対する

攻撃的な態度や皮肉な物言いがピタリとやみます。

そして、子どもらしくて純真で、何にでも好奇心を抱き、

友だちのすることに感動し、いっしょに共感しあい、

大らかで明るく創造力あふれるエネルギッシュな態度で過ごすようになってきます。

 

そうした子どもの変化を見ると、

その子が攻撃したり、皮肉を言ったりしていた相手というのは

他人ではなく、弱点も苦手もある「ありのままの自分」だったんじゃないかな、

と思えてくるのです。

自分に対して、しっかりするよう叱咤激励する構えが、

お友だちを批判したり、いろいろな活動に無心で取り組むエネルギーを

枯らせていたのかもしれません。

 

もう1回だけ続きます。


プレジデントBaby保存版 (仮)0歳からの教育 に載せていただくことになりました♪

2012-01-18 10:02:34 | 初めてお越しの方


2012年4月16日発売予定の『プレジデントBaby保存版 (仮)0歳からの教育』

に虹色教室の記事を載せていただくことになりました。

 

4ページ分で、1年半に取材していただいた内容と同じです。

 この『プレジデントBaby保存版 (仮)0歳からの教育』は、

2010年秋から現在まで5号発行したプレジデントBabyの中から、

 記事を厳選し、

0~3歳児のお子さんがいるご家庭に向けた知育情報を提供するそうです。

赤ちゃんを育てている方はぜひ書店で手にとってみてくださいね。

 


甘え足りない? 幼い時に優れていることを求められること 1

2012-01-17 13:19:04 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

虹色教室で子どもたちと長い間付き合っていると、

クールで大人びていて

他の子らのすることを馬鹿にしたり

工作や実験を「くだらない」「つまらない」「そんなのしても無駄」と言ったりする子ほど

打ち解けてくると、それまでとは正反対の性質が表に出てきて

びっくりすることがあります。

 

特に「あれっ?」と驚くのは、

優等生タイプの小学生が、チョコンとわたしのひざに乗る時です。

背後から首に手を巻きつけてもたれかかってくる子もいます。

プリントを配ってする場所の指示を出している隙に

椅子にでも座るように自然にひざに乗ってきて、そのままそこでプリントを仕上げているなんてことは

たびたびあります。

 

もちろん小学生といっても低学年のうちは

どの子も隙あらばベタベタと甘えてくるものですが、

こうした優等生タイプの子が甘えてくる場合、普段の言動とのギャップが大きいので、わたしも面喰らって、

本人に恥をかかせたらいけないと思って緊張してしまうことが多々あるのです。

 

たまたまそういう子がいる……というのではなく

何をしても上手にこなして、言葉が達者で、

友だちに上から目線で接したり、威圧したり、子どもらしい遊びを馬鹿にしたりする事が多い

クールでしっかりした印象の子は

たいていといっていいほど、

会って1年ほどすると、そうして幼い子たちのように甘えてくる時期があるので

不思議に感じています。

 

もともと友だちがすることには批判的な口を聞く子らですから、

そんなことをしていると、今度は他の子からからかわれるのではないかと、

わたしがヒヤヒヤするのですが、案外、子どもたちは優しいものです。

自分の心が満たされていて、創造性を発揮できている時には、

友だちの「あれっ?」という行動も大目に見て、スルーしています。

 

まるで小さな大人のように振舞っていた子が

そうして甘えてくる時期に、いつの間にかその子と友だちの関係が

以前とは全く異なるものになっていることに気づきます。

何か特別なことがなくても、いっしょに過ごしているだけで

心から楽しそうで、他人やすることをいちいち評価することなく

キラキラした笑顔がこぼれるようになっているのです。

 

ひざに乗ったり、首に巻きついてきたりするような甘え方は

少しすると自然に消滅します。

一方で、友だちとのいきいきとした交流の仕方は

そのまま残っています。

 

次回に続きます。

 

 

 


広汎性発達障がいの子 と 想像力の広がり  3

2012-01-17 07:05:49 | 初めてお越しの方

★くんが遊びのひとつとして受け入れはじめている

算数パズルゲームのひとつ。

「数独」のおもちゃです。

少し前まで、物を積んでは崩すといった

感覚的なものが主だった★くんの遊びは、

想像力を使う機会を広げていくことで、新しい分野のものを受け入れる柔軟性が

ついてきています。

5つのマスのうち、3つくらいまで数字が書いてあり、

それに数のコマを置いた後で、

残りふたつの位置を推測します。

縦と横の列に同じ数字がないか確認して、

数字を決定するということが理解できています。

上手にできるようになったことが

よほどうれしかったらしく、

お家にいるお父さんに見せたがっていました。

そこで、次回までパズルを貸し出すことに。

★くんはパズルを抱えて

満面の笑みを浮かべて帰っていきました。

 


広汎性発達障がいの子 と 想像力の広がり  2

2012-01-16 16:43:22 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

広汎性発達障がいの子は、新しい展開を好まず、

ともすると何年経っても同じ遊びしかしない……ということに

なりかねません。

また想像力を必要としないきまりきった「線路をつないでいく電車のおもちゃ」や「パズル」や

「図鑑」に固執する子もいます。

 

そこで、広汎性発達障がいの子が、想像力を使って柔軟に遊びを展開していくように

なるための働きかけのコツを紹介しますね。

 

◆ 最初は「感触」から

 

音、触り心地、たくさんのものにジャラジャラと触れる時の感触、

崩れる感じ、滑る感じ、カチッとあう時の気持ちよさ、ビリビリする振動

など、おもちゃで遊ぶといっても

最初は好きな感覚を味わうのを楽しむような遊びからスタートします。

 

◆ その子のこだわりを満たすおもちゃを用意する

 

ドアの開け閉めができるドールハウス、トイレがついているドールハウス、

水道、エレベーター、電車

など、その子が好きなものをおもちゃに取り入れます。

 

◆ 「感触」遊びや「こだわり」のあるおもちゃで遊ぶ時、

より楽しくなるように、工作素材やブロックを使って、

いつも少しだけ工夫を加えるようにします。

 

工作素材やブロックをその子がいつもしている遊びに加えていくと、

自然にさまざまなものに慣れていく基盤ができていきます。

いきなり新しいおもちゃを出してくると、

強い拒絶がある場合も、いつもの遊びのなかで、

ブロックで新しく加えたいものを作ってあげて、慣れておくと、

変化に対する強い抵抗が減ります。

 

たとえば、「宇宙の図鑑を見せてあげようか?」とか、

「新しい算数パズルをしてみる?」とたずねるような場合、

いきなりそんなことをたずねると、不安が強くなって拒絶しますし、

目新しいものを目の前に出してあげても見向きもしない場合があります。

でも、子どもが何度もしたがる遊びの最中に、

「ここは宇宙ステーションなのよ」と、ブロックを敷いたスペースを作ってみたり、

ブロックで簡単な算数パズルを作ってしてみせると、

自然に新しい教具に親しんでいくようになります。

 

◆ 遊びながら、「頭を使う」「工夫する」「改善する」ということは、

すごく楽しいことを生み出してくれるということを

体験から教えてあげる

 

↑は、ただの「階段」から「トンネルと歩道橋」に改善して変えたときの

様子です。

 

広汎性発達障がいの子たちは、工夫することの利点とか、頭を使って何かすることの

大事さなどを、学習の場面で理解していくのが難しい子が多いです。

課題を与えられている時、指示に合わせることにいっぱいいっぱいで、

そうした発見や気付きを得るほどの心の余裕がないからです。

 

そこで遊んでいる時に、

身近な大人が、なるべく具体的にそうした精神的な成長につながる

手本を見せてあげることが大事だと思っています。

 

「般化」することが難しいと言われている子らですが、具体物を手で操作させながらなら、

そうしたことができるようになっていく子はたくさんいます。

 

↓は★くんのレッスンでわたしが作り方見本を見せた「モノレール」です。

レールとモノレールの底を平たい面にすることで、スムーズにレールの上を走ります。

 

 

この見本を作った後で、★くんは、

モノレールのレールは高いところにあると言って、

不服そうでした。

そこで、レールの下にブロックで土台を作っていくことを教えると、

★くんのなかで、少し前にわたしが階段にトンネルをつけた時の「工夫する」「改善する」

という概念とピタッと一致した模様です。

自分でも、土台の高さを調節したり、

さらにレールを継ぎたしたりし始めました。

 

 

 

 

階段を作るときの「基本のパーツの組み方」を覚えたため、レール作りでも役立っていました。

 

 

↓動くふみきりです。

 

 もう1回だけ続きます。


広汎性発達障がいの子 と 想像力の広がり  1

2012-01-16 13:22:06 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

今日は広汎性発達障がいの診断を受けている年中さんの★くんの

レッスンでした。

 

★くんは基本的に新しい

ことが好きではありません。

2、3ヶ月前まで、一度気に入った遊びをいつまでも繰り返したがり、

新しい提案をしても、たいてい無視していました。

今も「○○してみようか?」と言葉で目新しいことを提案すると、

「それはいいけど~やっぱこれしようよ」と以前遊んだことのあるおもちゃを出して

きます。

お家ではプラレールでばかり遊びたがり、たくさんそろえてあるブロックで

遊ぶことは少ないというお話でした。

どうもブロックで何を作るか1からイメージするのは

負担になる様子です。

 

虹色教室では、ドールハウスの2階にはしごや階段で

人形を何体も上にあげていくことが、

このところずっとお気に入りの遊びです。

ひととおり上げた後で、

「工作で何か便利なものを作ろうか?」とたずねると、

「ブロックで!」と言って階段を作りはじめました。

階段を作って大満足の★くん。

警察の前に汽車をとめていたので、

階段の下をくぐれるトンネルを作ってはどうか、と提案しました。

こんな風に階段にくぐれる穴を空けると、★くんは

手を打って喜んで、「奈緒美先生、がんばってるねぇ」と大絶賛。

それにしても★くんはずいぶん心が柔軟になったもの……。

と感心しました。

以前なら、わたしが新しく手を加えたりすると、

かんしゃくを起こして壊すか、知らんふりして別の遊びをはじめていたのです。

今日は、★くんとお母さんとわたしがおしゃべりすることを許さず、

「うるさいから黙って。奈緒美先生はぼくと遊ぶんだよ」と

ソーシャルスキルを学ぶという点では問題のある言動を繰り返していたものの

ひとりではなく「ふたり」で遊ぶことにとても意欲を見せていました。

 

次回に続きます。

 

 


どろだんご と 重さの比

2012-01-15 16:35:19 | 理科 科学クラブ

 

科学クラブの子どもたちと「どろだんご作り」をしました。

これまでレッスンで実験遊びを続けてきていますから

量りや計量カップでの計算には慣れたもの。

 

どろだんごの土が500グラムで、「土」対「水」を

4対1の比率にするときに、水をどれだけ入れたらいいのか

しっかり計算していました。

 

みんなの適当……算。

500を4人で分ける場合、

100ずつ分けた後、残りの100のうち80を20ずつ分けて、

さらに残りの20を4で分けて5ずつ。

だからひとり125

 

つまり500グラムは125グラムずつ4つに分けられるから、

水は125グラム必要。

 

正確には1グラムは1ミリリットルとは言えない(温度や蒸留水かどうかが関わりますから)

のでしょうが、

今回はどろだんご作りなので、計量カップで

125ミリリットルを測って注ぎました。

 

どろだんご作りは実験とは言えないような活動ですが、

その分、(遊び要素の強いレッスンの日は子どもながらに少し気を使っているのか……)

測りの1目盛りを推測するなどの学習は

はりきって取り組んでいました。

 

 

 


花火 と 右脳と左脳の知能ドリル 

2012-01-14 17:11:47 | 幼児教育の基本

工作で花火を作りました。

 

4,5歳児さんたちのグループでキャンプファイヤーごっこをしていたのです。焚き火をして、釣りをして、

食事をして遊んだ後で、「花火をしなくちゃ」と言いだした子がいたのです。

銀色の折り紙を細く切ってストローに貼りました。

部屋を暗くして、プッシュライトを当てるとチカチカ光ります。

 

右脳と左脳の知能ドリルから問題を出したところ、

すっかりはまったおふたりさん。「もっと問題出して!」と繰り返していました。

 

「トンネルをくぐると、赤い4の目のサイコロが黒い3の目のサイコロに変化するとき、

赤い5の目のサイコロはどんな風に変化するか」

「てんびんで1本のバナナと2個のイチゴがつりあう時、3本のバナナと5個のイチゴだとどちらに

かたむくか」といった問題。

なかなか手ごわい問題なのに、ふたりともよく解けていました。

 

4歳の☆ちゃんは、推理することと考えることがとにかく好きな子で、

間違えた時は、指を折って確認してみたり、物を使って

いろいろ試してみたりして納得するまで理由を考えています。

同じく4歳の●ちゃんは、思考で答えを導き出すというより、

普段から遊びの世界で秩序を作りだしたり、少しずつ数を変えて観察したりすることが好きな

性質によって蓄積したものがあって、それによって解いているようです。

 

ふたりが熱心に問題を解いていると、

ごっこ遊びをしていた★ちゃんも□ちゃんも解きたがりました。

このグループの子たちも遊びの時間と

集中して学ぶ時間のリズムができはじめています。

 

最後に、幼児にこうした知能ドリルをさせるときに

気をつけていることをお話しますね。

知能ドリルは子どもの能力を測るためにしているのではなくて、

子どもに脳の使い方や集中の仕方のコツを学んでもらう目的でしています。

 

そのため子どもが問題を間違えた瞬間、最も意欲と集中力が高まるような

対応と声かけをしています。

 

それには、間違えた時に、「間違えた」「恥ずかしい」「失敗した」と自意識過剰になるのではなく、

「どうしてかな?」「知りたい!」「この部分に気をつければいいんだな」

解き方への好奇心に注意が行くようにしているのです。

子どもが間違える問題というのは、その子にとって

解きごたえのある解く価値のある問題です。

 

子どもが間違えたことにがっかりしたり、恥をかかせたり、わざわざ評価して

自分のミスに注意を向けたりせずに、

間違えるような問題に出会えたことをいっしょに喜んで

「どうしたら解けるんだろう?」と正しい答えに向かう思考を子どもとともに楽しむようにすると

どの子も考えることを心から愛するようになってきますよ。

 

 

 


おもちゃがなくても潜水艦ゲーム

2012-01-14 17:03:24 | 教材作り

小1の●くんと手作りの潜水艦ゲームをして遊びました。

折り紙を折ってマス目を作り、

縦にA~Gまで。横に1~7までを書きこみます。

 

好きな位置に潜水艦を↓の写真のように書きこみ、

「Aの5」「Bの7」といった座標を口で言って相手を攻撃します。

潜水艦がある位置をうまく言い当てられたら、バツを入れ、

潜水艦を撃沈させます。

小学生の頃、学校の休み時間に

こうした座標を使った手作りゲームをよくしたな~と思います。

女の子たちは、同じマス目で、髪の毛や目や鼻のパーツを

座標で選んで「変顔」を作るゲームで遊んでいました。

それが中学に入ってからの関数の理解や表の読みとりにとても役立っていたと思います。

 

子どもの世界で手作りの遊びが復活するように

昔遊びを知っている大人たちが種まきをしなくてはならないな、と感じています。


お正月の読書三昧(興味が一巡してスタート地点に……) 8

2012-01-13 15:20:36 | 日々思うこと 雑感

1月も半ばがこようとしているのですが、まだお正月の記事の続きを書いています。

長いですから、お忙しい方は読み飛ばしてくださいね。

↑シアトルの市場で購入した手作りのトーテンポールです。子どもの頃、民族学博物館が好きで

(今も教室の子どもたちをたびたび連れて行ってます)

しつこく通いつめていたなごりで、こういう物を見ると思わず手が伸びてしまいます。

子どもの頃に愛着を持つものって不思議ですね。

子ども時代に繰り返し浮かぶ空想や疑問も。

それに導かれて自分の人生に必要なものを選択してきたようにも思えるし、

その時、その時、偶然出会って夢中になった物事が、蓋を空けて見ると

どれもこれも子ども時代の愛着や空想や疑問と連なっていたようにも見えるのです。

 

まぁ、同じ人間が年を重ねているわけですから当たり前といえば当たり前なんですが、

でもやっぱり自分のことながら不思議な印象はぬぐえません。

 

わたしが子どもの頃にとらわれていたインディアンの世界のイメージにしても、

進化論に関する疑問にしても、

ビラサンカの花から人間同士のつながりを感じたことも、

当時は疎外感を抱いたり、馬鹿にされたりする原因にはなったものの

その発想が基盤になったからこそ、

若い頃にユングの心理学やタオの概念に出会った時、

心から感動できたのですし、『自己組織化する宇宙』とか『ホログラフィックユニバース』といった著書に

夢中になれたのですから。

 

子どもの頃に自分の内面からふっと浮かんでくる発想は

でたらめなようでも馬鹿にならないものです。

正しいか正しくないかじゃなくて

その人の人生にとって意味があるんじゃないかとも考えています。

 

話をシンクロ話に戻しますね。

「シンクロニシティー?」という出来事はシアトルで数えきれないほど起こったのですが、

それは帰宅してからも続いていました。

 

帰宅した日は、クリスマスイブで娘の誕生日でもありました。

 

夕食には娘の好物を準備してお祝いしたいと思っていたのですが、

「クリスマス前で忙しいから、バイトを休めそうにないわ」

と言い残して、娘はアルバイトに出かけてしまいました。

 

その日の夕方、夕食について息子と相談している最中に、

娘がバイト先から電話をよこしました。イブにも関わらずめずらしくバイトが暇なので

店長が途中で帰ってもいいと言ってくれたそうなのです。

 

わたしがシアトルから帰宅したばかりで疲れていたこともあって、

家族で外食に出かけることにしました。

 

駅で娘と待ち合わせをすることにしました。

娘と合流して、レストランに足を向けた瞬間、

娘がポケットに手を突っ込んで、

「間違えてバイト先のカギを持ってきちゃったわ。すぐに届けに行かないと……」と言いだしました。

「カギを持ってきちゃうなんて初めて。いつポケットに入れたのか覚えてないわ」と首をかしげながら、

娘はバイト先に引き返しました。

その間、わたしたちは駅前の本屋で時間をつぶすことにしました。

 

本を買う予定もなかったので、ただのんびりと立ち読みをして過ごしていたのですが

娘が本屋に入ってくる直前に

足元の本棚にある白と薄いこげ茶の背表紙に引きつけられました。

 

その日、わたしは「こげ茶」「薄いこげ茶」「金色とこげ茶」という組み合わせに敏感になっていました。

というのも、偶然手にするものや、「あれっ?」と気になるものが、やたらその色だったものですから、

「文具やタオルを購入するときは、この色にしよう」なんて心に決めていたところだったのです。

 

『あなたはすべての答えを知っている』 ( ジェニファー・ポサダ著  徳間書店)という本です。

本屋に足下に通っているわたしですが、この本は見たことがありませんでした。

本の場合、さすがに色だけで購入する気は起こらなかったのですが、表紙の絵にエジプトの壁画らしき

絵が描いてあって、それを見たとたん意外さに打たれました。

それはわたしが購入したトーテンポールのように両腕を広げて羽根をつけた格好なのです。

房のある紐のようなものが腕と羽根をつなぐ境界に渡してあります。

パラパラッとなかをめくると直観を使って生きることについて書いてある本のようでした。

その時、ちょうど娘が戻ってきました。夕食時間が遅れているので待たせるわけにもいかないし、

1冊しかなかったのでなくなるのがいやだったので、中身をほとんど確かめないまま購入しました。

表紙がエジプトの壁画ですからエジプトについて書いてあったのは当然と言えば当然なのですが、

 エジプトについてのちょっと信じられないような不思議な内容が書いてありました。

わたしには判断しようがないので、肯定もしないし、否定もしないというというのが正直な感想です。

でも、この本がわたしの直観に引っかかったことは信じています。

 

数日経って、知人に指摘されて気づいたのですが、この本の訳者の前書き(1行目)に、

訳者の横川サラさんが著者のジェニファー・ポサダさんとシアトルで会い、

それがこの本を訳して日本に紹介するきっかけとなったと言ったことが書いてありました。(いきなり本文から読んでいたので、

このはじがきに気づいていなかったのです)

また著者のなかにジェニファー・ポサダさんが8歳の夏に、ジェニファーさんのお母さんの直観に

西海岸のある島の名前が引っかかって旅に出かけた話しが載っていました。

キャンピング用のバンを購入して、25の州をジグザグに進んで

旅したそうです。到着した島にジェニファーさんは居場所を見出し、家族みんなこの島が大好きになったそうです。

フェリーで島を離れる時、みんなで泣いたのですが、島を出てほどなく車のエンジンが壊れ、

その出来事に意味を感じ、

ジェニファーさんのお母さんはその場所は島を意味するとみなして島に戻ったそうです。

それから20年間、ジェニファーさんたちはその不思議な魅力のある島に住んでおられるそうです。

 

この本にはただ島として紹介してあるのですが、わたしがシアトルで滞在させていただいていたAさんが

英語でジェニファーさんについての情報を集めてくださると、

なんとこの島が「シアトル」にあることがわかりました。

シアトルから帰宅した日、シアトルでさんざんツタンカーメン関連のものを目にしたため、

そのせいで気になって購入した本がこれほど「シアトル」と深く関係があるというのは偶然なのか、

わたしの直観が著書の何かに引っかかったのか……謎のままです。

この話には少しつけ足しがあります。数日前、Aさんの家族が(めったにかけないのに)たまたまテレビを

つけていたら、どこかの島の様子が流れていたそうです。

 

島の暮らしをたんたんと映しているだけの地味な内容で、島の名前も聞いたことがないようなものだったのだとか。

それなのに、何となくそれを見ていたAさんのダンナ様が「その島へ行ってみたいな」と言いだして

驚いたのだとか。

「何にもなさそうな島だけど……」とネットで検索してみると、聞いたことがないと思っていた

その島は、ジェニファーさんが20年間過ごしているという島と地続きになっていたそうなのです。

不思議な偶然ですね。びっくりしてしまいました。

 

 

↓ 『スピリチュアル』ってちょっと胡散臭い?

という過去記事を貼っておきます。お時間のある方は読んでくださいね。 

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虹色教室とはあまり関係ないのですが、時々自分の近況を伝える記事でスピリチュアルという言葉を使うことがあるので、
『スピリチュアル』(精神的、霊的)という言葉に対する
私の考えをきちんと言葉にしておく必要を感じました。

スピリチュアル……??

ああ、霊が見えるとか、前世占いとか、波動とか、頭の中にお花が咲いてる人たちが
信じているあれ?

とたちまち拒絶反応をしるした方もいますよね。
実際、世の中にはスピリチュアルという言葉を目くらましのように使って、
世の中の現実から逃避したい人たちからお金を巻き上げている
困った人々もいます。

しかし、本当の意味でのスピリチュアリティとは、もう少し
地に足がついたものです。

スピリチュアルとは、

自律心を持ち、マインドフルでいることで、
思考や行動に及ぼすエゴ(自我)の影響力を減らすこと。

つまり、ありのままの人生で直面する出来事を
ありのままに受け止め取り組むことです。

スピリチュアルな癒しとは、自分が本当に考えていることや
自己の暗部を認めることで
得られる、
やすらぎと勇気に満ちた幸福感を得ることにほかなりません。

『スピリチュアル』という言葉に宗教的なにおいを感じる人は
目にしたとたん、そっぽを向きたくなるかもしれません。

カルト宗教の起すさまざまな事件を見聞きしていれば
それも仕方がないかもしれません。
でも、宗教とは、その本質をつきつめれば、ある偏った教義をさすのではなく、

宇宙の中で人間の位置を、他の人々の納得いく形で説明しようとする
知の体系にほかなりません。

現在、科学もこれまでのすべての宗教も包含する形の
宇宙における人間の立ち位置を考える「知の体系」が求められる時代が
来たのでしょう。

私は学生時代に、そうした宇宙と人との関係が知りたくて
読書に明け暮れたことがあります。
年間数百冊読んでいました。
自分の中に渦巻く疑問に、答えとなる手がかりが欲しかったのです。

私が最初に興味を持ったのは、現代物理学と東洋の神秘思想が
びっくりするほど似通っていることです。
それは私が幼い頃から自分の中の声として感じていた
私が生まれた理由とも重なっていました。

幼い頃から自分の中の声として感じていた私が生まれた理由とは、

私は西と東が結婚する新しい時代の幕開けを(西洋的思想と東洋的思想が重なり合うときを)見届けるために生まれてきました。

というものです。こうした声は、何度もひらめきのように
私の内部から浮かんでいました。
そんな事情もあって、私は、現代物理学と東洋の神秘思想の接近に
強い興味を覚えて、もっともっとと知りたい気持ちに駆り立てられました。

アインシュタインの相対性理論では、物体は私たちがそうだと錯覚しているような固体ではありません。
物とは「エネルギー」であって
形があるように感じているにすぎないのです。
そうしたアインシュタインの発見の後に、
初期の量子物理学者は、極微レベルで考えると物体とは一種の場であり、
そこを陽子や電子といった形を持ったエネルギーが
絶え間なく動き回っているとみなして、
アインシュタインの理論を裏づけました。

その後、量子物理学者たちの実験でわかったのは、
私たちの住む物理的世界の基本的性質は
物体の集合ではなく
流動する相互作用でできた何かであるということです。

こうした物理学者たちの発見が、
東洋の宗教の中で語られてきたことや
スピリチュアルを口にする人々の間でかわされる考え方と
非常に似通っているとは思いませんか?


現在の科学が理解しつつある(かなりスピリチュアル?な概念に近づきつつある)宇宙の姿について、私が言葉にできる範囲で紹介してみようと思っています。
(子育てや教育とも大きくかかわってくると思いますので、関心のない方もおつきあいくださいね)

天文学者たちは、
物理的な世界をつかさどる自然の法則が成立するということは、
宇宙が多次元から成り立っているということを意味するのではないかと推測しています。
また、宇宙は宇宙ホログラムが投影された結果ではないかとも。

ホログラムは、一筋の光がふたつに分かれる際に作り出されるものです。

(光とは、要は人間の目に見える波長の電磁波のことなのです。知っているようで、よくわかっていないもののひとつですよね。
波長というのは、なみなみ~の(周期的な)長さのことです。)

ホログラム自体は、現代、めずらしくもなんともないもので、クレジットカードの
偽造防止に使われていたりするので、「あ~あれか!」とピンッとくる方は多いと思います。

ホログラムは、小さく小さく分けた どの一部分をとっても、3次元の全体像を再現することができるという特徴があります。

いかなる物理的パターンも
波形に変換することができ、
また元の形に戻すことができるというホログラフィーの原理は、
数学によっても証明されています。

最近では、ホログラフィーのシステムの根底には、
「フラクラル」と呼ばれる幾何学パターンが存在することがわかってきています。
このフラクタル……つまり、内部に自己全体の縮小形を無限に含んでいるパターン……
コンピューターの出現で、膨大なデーターが扱えるようになったため、
地震から経済、事件、紛争、海岸線の形、生物の生態系にいたるまで、あらゆるものがこのパターンに当てはまることが、わかってきました。

(私は幼児と何かするときも、このフラクタルという概念を意識していて、小さくても全てを含む活動、短くても全体を含む学習ということに気をつけていると、とてもうまくいくと感じています)

つまり、多様な形となって出現しているこの世のあらゆるものが、
その部分と全体を比較してみると、
自己相似を成していると考えられるようになったのです。

拡大コピー、縮小コピーを思い浮かべていただきたいのですが……

こんな風に、宇宙をホログラフィーによって説明する、つまり、ちっちゃなどの一部を切りとっても、それが大宇宙の全体性を体現する小宇宙でもあるという関係でできているもの……と認識する方が増えてきているわけです。

一方で、宇宙が「なぜ」そんな姿をしているのかというこれまでは哲学者の専売特許だった問いが、
最先端科学の研究の場で取り上げられるようになってきました。

結論から言えば、

宇宙は「意識そのもの」で作られている

というびっくり!な考え。

この

コズミックマインド

という考えは、今や多くの科学者たちから支持されているのです。

物理的世界を構成しているエネルギーと物質は、その根源には
ある調和の取れたパターンが見られるものです。
意識は自然界の中で、「生命」という名の変換を通じて、共同創造をし続けているものと捉えられています。

意識はエネルギーによって表現され、波という形となって現われ、干渉
(波が重なって、強め合ったり弱めあったりする現象)
パターンを生み出します。

それが物理的世界の宇宙ホログラムです。

そんな風にあれこれ言われても、胡散臭いかどうかより、さっぱり???で消化できそうにない……という方がたくさんいらっしゃることも
承知します。
またコズミックマインドについては量子力学の研究や、意識の研究の結果に
よく目を通していかなければ納得できないものだ
とも思います。

しかし心のどこかでは、さまざまな現象を深く覗き込むと、
その内部に調和と秩序があることに気づいていらっしゃる方はたくさんいることでしょう。
私も、子どもの頃、蜂の巣が幾何学模様なことや、
進化の道筋がまったく別物である、植物と、昆虫といった間柄で、まるで、
写真で映したようにそっくりな姿へと進化を遂げる
『擬態』ということが成り立つ不思議に心が揺さぶられました。
また最先端の科学を使っても、無から生命は生み出せないのに、
偶然という不確かな組み合わせが、この多種多様な生命を生み出してきた
ことへの、確率的な問題に、いつも興味を惹かれていました。

物質を作っているもとって何だか知っていますか?

ちょっと人をバカにしたような質問に見えるかもしれませんね。

物質のもとは、『量子』です。

この量子は、一定のエネルギーを蓄えると、次元を飛び越して、
別の物質に変化します。
「クォンタム・ジャンプ」と呼ばれています。

物質化現象を可能にするのは、あらゆる量子的エネルギーが必要となるそうです。

この量子についてもっと知りたい方は……2006 7(月) Newton ニュートン の創刊300号記念で、量子論の特集を組んでいたのですが、
イラストと写真でとてもわかりやすいです。
興味のある方は図書館ででも見てくださいね。

量子論は、「相対性理論」と並ぶ現代物理学の土台です。摩訶不思議ワールドでもありますが……。

マクロな世界(大きな世界)では、一つのものは、同時に2つの場所に存在したり、1人が2つの別のドアを通って
隣の部屋に行き着くことができませんよね。
でもミクロの世界では、それができてしまうという不思議!ただ、観測すると、どちらか一方を通る……。

そんな私たちを含む物理世界を作っているもとである量子の
??な振る舞いが、イラストでていねいに解説してありますよ。

こうした量子の研究で、
宇宙全体を構成する単位としての量子は、実際に観察されるまでは、
単なる可能性でしかない、とされています。
(自然界は、ミクロな視点で見れば何もかもが不確定であいまいです。

相対性理論によると、エネルギーから質量を持った物質を作り出すことができます)

しかし意図を持って観測する際に、量子物理学者の言葉でいう「現実化」されることが明らかとなっています。

観測者と観測される対象は、
区別できない、密接した関係があるのですね。
こうした量子効果は、極小の世界に限られるとみなされてきましたが、
最近になってそれが間違いだとわかりました。

量子の多くは、宇宙全体に散らばっていても単一体で、
瞬時にエネルギーを介さず同調するという事実が、
実験によって明らかになったのです。

人間の精神も非局在的に働くことがわかっています。

物理的世界の中では、影響力は光速で伝えられますが、高度なレベルの個人や集団意識を含む、非局在的な知覚は、
時空という枠組みすら超越することができると言われています。

長々と書いてきましたが、やっぱりわからない……

という方が多いかもしれません。私も言葉にしていく難しさを感じています。
私ができるのは、複雑そうに見えることを、できるだけ理解しやすい言葉で
言い直してみるくらいのことですが、
いくら噛み砕いて表現しても、言ってることが信じて理解できる範囲を超えている
と感じる方もいるでしょう。

こうしたことを「信じる」という行為で解決しようとするから、ややこしいんですよね。

そうしていると、たちまちスピリチュアルという言葉が胡散臭くなります。
それよりも、科学が研究の中で見出しつつあることに、
関心を向け、ひとつひとつについて
自分の頭でよく考えてみることが大事なのではないでしょうか?

アインシュタインが、
「時間が流れていくという認識は、私たちが心の中で作りあげるものだ」と言っても、それがどういう意味をあらわしているのか、
いまだピンとこない私です。それについて、具体的にいろいろ考えてみるのはとても楽しいのですが……。

長い話に付き合っていただきありがとうございます