前回の続きの前に、
「読みと書き」に問題を抱えるのではないかという
心配があった年長さんのレッスン内容のひとつを紹介します。
筆圧の弱さや文字の形を把握することの難しさとともに
自分の興味のない課題に取り組むことに困難を抱えていた子のための
就学準備の様子です。
生き物が好きなので、図鑑をコピーして、
お気に入りの生き物の写真を切り抜いて
名前を書いています。
名前を上手に書けるようになったら、
その生き物について知っている情報を
文章にして書き添えていく予定です。
こうした課題に取り組めるようになるまで、
椅子に数秒間座っていることも、相手の話に少しの間耳を傾けることも
できないくらい多動が激しい状態が続いていました。
現在は、勉強に対して自分でも自信がついてきたようで、
就学に向けて意欲的で積極的な態度が見えてきました。
今回のレッスンでも、こうした書き取りの後で、算数の長い文章問題にも
真剣に取り組んでいました。
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前回の続きです
その状態で、その女の子の発しているものと、大人の発しているものの
バランスを整えようと思ったら、
いったん大人がしゃべるのを一切やめて、
子ども側からのどんな微細なサインでも感受できるくらいの
静けさを作りだすことが大切だと思われました。
と書きました。
「その女の子が発しているものと、大人の発しているものの
バランスを整える」ために「大人がいっさいしゃべることをやめる」
と書くと、
いかにも、女の子側のエネルギーが弱弱しかったり、少なかったりするので、
その小ささに大人が合わせるようなイメージがあるかもしれません。
子どもの目線に合わせるために、大人がしゃがみこむような……。
でも、この場面では、
そうとばかりは言えないのです。
確かにその女の子からは他の子に遅れまいとする競争心も、
お母さんの期待に応えられるように振舞おうとする気迫も
ほとんど感じられませんでした。
お母さんのまなざしは熱心過ぎるほどにその子に注がれていましたが、
その女の子といえば、
お母さんの顔に恥ずかしそうな笑顔を向けることはあっても、
お母さんの気持ちに頓着する様子もなく、
いたってマイペースな態度でお手本をしめすわたしの手元も見つめていました。
ですから、目に見える尺度で判断すると、
その子のお母さんの熱意が非常に強くて、
その女の子の意欲が非常に弱いからバランスが悪いようにも思えるのです。
でも、わたしの目からすると、つまり
実際にその場にあった潜在的な可能性を考慮して言えば、
その女の子は目を輝かせたまま微動だにできないほど
目の前の工作見本に心を奪われていて、わたしの方に強い好奇心を向けているのが
感じられましたし、
お母さんの方は子どもに声をかけるのに忙しくて、
工作内容に対して関心が薄くて、不注意な様が目立っていたのです。
子どもの側は学習内容に対して強い関心を抱いているけれど、
お母さんの側が学習内容に対する関心が弱すぎるので
バランスが悪いために、
子どもにばかりかまけて、子どもの集中力を奪っているという
困った状態があったのです。
そこで、自分の持ち場に帰って工作する際も、
極力、子どもに声をかけるのも
手を出すのも控えていただいたところ、
その子は、自分なりの発想で、他のどの子も作らなかったような美しいケーキを作りました。
紙皿の周囲は、何色かのクレヨンでていねいに塗り分けられていて、
ストローで作ったろうそくには
火が灯っているように見える加工がされていました。
スパンコールは半透明のテープで
ていねいに貼られていて、見るからにおいしそうなケーキでした。
この女の子はわたしが作り方の見本を見せていた時に、
自分ならどんな風に飾ろうかと想像を巡らせていたのでしょう。
目をキラキラさせて見つめていたのは、
手のなかから物が作られていく様子に心から感動していたのかもしれません。
素材の美しさに敏感に感じとっていたのかもしれません。
「静けさ」を作りだすということは、
ただおしゃべりをやめるということではなくて、
そうした子どもの言葉にならない声に耳を澄ますということです。
子どもにたくさん言葉をかける時には、
それが大人の心のざわつきから生まれるノイズとならないように
子どもの発しているものと、
自分の発しているものとの
バランスについて考えてみることが大事です。
作った作品をみんなに見てもらう発表の時間には、
お母さんが何も言わないのに自分からケーキを持ってきて、
積極的に振舞うその女の子の姿がありました。
顔には自信に満ちた笑顔が広がっていました。
次回に続きます。