先の記事に次のようなことを書きました。
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わたしの体験からすると、
自閉症の子たちは、外から見える以上に怖がりで、
「この人は怖くない人だ」と身体で感じることが、その子の内面の大きな変化につながる
カギを握っています。
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わたしがどうしてそんな風に感じるのかというと、
これまで遊んだ自閉傾向のある子たちはどの子も
わたしがその子を怖がらせないように少し配慮するだけで、
「こんなささいなことが、この子にはこんなにも重要なの?」と驚くほど、
その後からわたしに対して友好的な態度を取り始めるこのを何度も
体験したことがあるのです。
何度も「怖がらせない」ことに気をつけていると、
強くこちらに惹きつけられるようになり、
心と心がしっかり共鳴しあったという体験をした後は、
わたしが提示することを真似よう、こちらの意図するものを
読みとろうとする姿もあらわれてくるのです。
その後、数ヶ月の間にコミュニケーション能力が劇的に変化していった子も
たくさんいます。
どのような配慮をして、怖がらせないようにしているのか、
具体的なシーンを取りあげて紹介していきますね。
(鎌倉で……)知力、能力、意欲を引き出すってどうするの? 4
(鎌倉で……)知力、能力、意欲を引き出すってどうするの? 5
という記事で、トムくんとわたしの水遊びの様子を書いています。
こうした遊びのシーンで、わたしは瞬間、瞬間で、トムくんの注意力や意欲に合わせて
誘う態度やこちらの言動を決めています。
たいていの場合、親御さんにするとわたしの態度は物足りないものかも
しれません。
その子自身が何もしようとしない時、
わたしは子どもの興味をひきたてるような楽しい雰囲気を作るわけでもなく、
子どもに近づいて働きかけるわけでもなく、何かすばらしいことをやってのけるわけでも
ありませんから。
こうした場面で、わたしは少しずつその子の嫌なものを環境から
取り除いてあげます。興味を引きそうなものをそっと近くに置くこともあるし、
本人にできそうな面白い活動を見せることもあります。
でもあくまでも本人の活動のリズムに侵入していくほど
いきいきと動くことはありません。
わたしの活発で活動的な姿に引き込もうとすれば、
それはそれで従う場合もあるでしょうし、
楽しんでいるように見えることもあるでしょうが、
おそらく内面では「逃れたい」「不安で怖い」という気持ちが高まっているにも関わらず、
そうした緊張感に操られていっしょに活動しているのでしょうから。
そのようにわたしが何かすることよりも
どんな小さな動きでも、本人が自分から動いたことに関しては
ひとつも見逃さないほどていねいに
対応するようにしています。
時間を有効活用しようと思わないこと。
時間の無駄を気にせず、ゆったりその場で
リラックスして過ごすこと。
「わたし」の発信することの重要性を下げて、
「相手」の発信することの重要性を上げること。
そうしたことに気をつけて過ごしていれば、
何も発信していないように見える子も、
さまざまなことに好奇心をくすぐられているし、意欲の芽生えが
見えることがわかってきます。
ただそうした好奇心や意欲は、最初のうちは、身近な大人が、「~してみる?」と
強い期待を込めて何か提示すれば、
たちまち「怖い」「逃げたい」「不安」に転じてしまうような弱弱しいもののはずです。
ひとこと言葉を発するのにも気を使って、
そっと、こちらがまるで自然の一部や物であるほど
相手を脅かさない動きで、その子のなかで動き出している
好奇心や意欲を受け止めてあげる必要があります。
といってもビクビクと不自然に気を使って相手をするのではなく、
一方では、いたずらっぽく楽しく
新しい冒険をしかけてみるのも大事です。
この水遊びの日も、わたしのこんなことをさせよう、あんなことをしてあげよう、という意図が
見えないくらい自然に過ごすようにしていました。
しまいには、家族のみなが別の場所に移動し、わたしとトムくんだけが
ベランダに残された時などは、
お互いに何もせず、何の言葉も発しないまま
ずいぶん長い時間を過ごしていました。
そうした静けさのなかで、トムくんはそれまではしようとしなかった
(ちょっと前に見せた)魚釣りのまねごとをしはじめて、
わたしの「トイレはどこ?教えてください」という依頼に対して
決心したように立ちあがって、わたしの手を引いてトイレの前まで歩いていったのです。
この時期、トムくんは他人に瞬間的に注意を向けていることも難しい状態でしたし、
人を人として認識しているかすら怪しいような印象がありました。
その日、わたしは妹のジェリーちゃんをモデルとして使って
「トイレはどこ?教えてください」とたずねて連れて行ってもらう姿を
何度も見せていたとはいえ、ちらりともそちらに視線を向けない上、
その言葉の表している意図を理解できるとは
わたしはもちろん、家族の方も誰も思ってはいませんでした。
でも、トムくんがわたしの手を引いてトイレの前まで連れて行ってくれた時までに、
わたしとトムくんの間には何度も何度も、
わたし側からは、トムくんが怖がらないようにという細かい対応をしていて、
トムくんはそのたびに、「あれっ?」というささやかな驚きの反応と
信頼感を表すようなかすかな変化が見られたのです。
こうした心の内面と内面の約束事を交わすような気持ちの交換を繰り返したおかげか、
その数ヶ月後にトムくんに会いにいった時には、
次のような変化があったのです。
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4ヶ月前には、トムくんの目には他人が透明人間のように映っているかのようでした。
トムくんのまなざしが私を見ていることを感じたのは、ブランコに乗っていて、足先を私にぶつけようとして、
ゆらゆらしている瞬間くらいだったのです。
それが今回は、
人への興味が強くなっていて、
関わりたい! いっしょに遊びたい! 甘えたい! 自分の要求をかなえて欲しいという気持ちが全身からあふれるように見えることがたびたびありました。
一番驚いたのは、
トムくんが、ひとりで廊下に設置してあるブランコをこいでいたときに、
何メートルか離れた位置にいる私を目にとめて、
「な~お~み~せんせ~い、いっしょに遊ぼ~!」と大きな声で
呼んだときです。
この「な~お~み~せんせ~い、いっしょに遊ぼ~!」は、妹ちゃんが
私の滞在中、四六時中連呼していた言葉なので、口真似と言えばそれまでなのですが、
私が近づいてくるのをワクワクしながら待っている表情をしていて、
実際、自分が呼んだ言葉が通じて
私が来たことを確認すると、
トムくんは、ブランコから落ちんばかりの喜びようで、私の手足にじゃれて遊びだしました。
その姿を見て、
yoshikoさんも、トムくんがただのオウム返しではなく
自分の内面の要求を言葉にしはじめていて、
それが通じた喜びを体中で感じ取っていることを実感していらっしゃいました。
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こうしたことを書くと「この人は怖くない」と感じる態度ってどんなもの?
と不思議に感じるかもしれません。
失礼にあたるかもしれないのですが、わたしの目から見ると、
一部の方を除いてどの親御さんも、それこそ腫れものに触るように接している方もそうした態度のせいでいっそう
こうした過敏な子どもを怖がらせているように見えます。
習い事の先生や学校の先生方も
外から見て正しく仕事をしているように見えなくてはならない
ゆえに、怖がらすことも多いと思います。