虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

『ピタゴラスイッチ研究部』とフロー

2012-04-27 08:26:46 | 積み木  ピタゴラスイッチ

1年前に書いた記事のコピペです。ピタゴラスイッチでの遊びに質問をいただいていたので貼っておきます。

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もう3年も前のことになりますが、虹色教室では『ピタゴラスイッチ研究部』というクラブを作って、自分で考えたアイデアを競いあうことをしていました。
競いあうといってもそれぞれの子の自分のアイデアですから、その子の個性が強く出て、電気やモーターを使った仕掛けに熱中する子、音の出る仕掛けばかり作る子、ゴールに凝る子と興味の方向が異なります。
優劣決めがたい互いに切磋琢磨する面白い研究報告になりました。

私は基本的に、材料の調達と、『フロー状態』が起きやすいような環境を作ること以外はあまり手を出さないようにしていました。
「そんなものを使うの?」という子どもならではの変なアイデアが、
すごい動きを生み出すこともよくありましたから。
また、そうした遊びの興奮のあるうちに、レッスンの後半は算数や数学の学習に集中させるようにしていました。「たくさん学んで、もっと高度なことができるようになりたい」という気持を引き出したかったからです。

フローとは、人が時間も忘れて無我夢中になって何かに没頭しているときの精神状態をいいます、
心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱されました。
やってることにのめりこみすぎて、行為と意識が溶けあうような感覚です。

子どもにフロー状態を体験させるには、管理しすぎず、
成果を求めず、それぞれの子が自然な状態で自分に自信が持てるよう支えることが大事です。
また、友だちと協力しあって同じ目標に向かって努力するときも、
それぞれひとりひとりの子が、
自分自身の好奇心や探究心に突き動かされて取り組めるよう
支援します。



この当時、5歳だったピタゴラスイッチの研究部員さんたちは、今小1生。
最も難しいレベルの小学2、3年生の文章題や4年生~の数学検定の問題を難なく解きます。
この子たちは、勉強中もフローの状態を作り出すことができるように成長してきています。

この研究部は、アイデアマンの主力メンバーが受験に突入したことと、幼い子たちが『化学実験』ばかりやりたがる時期が続いたので、
半休部状態のまま今に至っています。

それが最近になって子どもたちの間に、「面白い崩れ方をするドミノが作りたい」という気持ちが生まれてきたので、
ピタゴラスイッチ研究部、復活しそうな気配です。

ピタゴラスイッチ研究部の報告 無事にライトがつきました!
ピタゴラスイッチ研究部の報告 無事にライトがつきました!2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 運動の向きを変える 1

ピタゴラスイッチ研究部の報告  運動の向きを変える 2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ビー球スライダー 1

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ビー球スライダー 2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ゴール地点の工夫 3

ピタゴラスイッチ研究部の報告  ビー球がよくすべる波の形 

ピタゴラスイッチ研究部♪ 音の出る仕組み

ピタゴラスイッチのスタート部分♪

科学クラブでのピタゴラスイッチ研究 1

科学クラブでのピタゴラスイッチ研究 2

ピタゴラスイッチ作品のアイデアは、これ以外にも面白いものがたくさんできたのですが、きりがないのでこれくらいで……。


これは昨日の小1生たちがドミノで遊んでいる様子です。
最初に円の上にドミノを並べてみて面白かったので、

もうひとつ作って、8の字を一筆で書くように倒れるようにしたいと思いました。


が、台にしている円形の板は周りが丸まっていて、

思うように交差しておくことができません。
そこで、8の交差する部分にあたるドミノを吊り下げる作戦に出ました。


よいアイデアではあったんだけど、これは失敗。

すると、ひとりの子が、この吊り下げたドミノを使ったゲームを思いつきました。
下にドミノを重ねておき、ひもをつけたドミノを上から落として
いくつドミノが崩れるか競うゲームです。
改良を加えて棒を1本足すと、カーブを描いてドミノが降りて来て

、積んだドミノをはじくゲームが完成しました。

子どもたちが次々にアイデアを出しながら、
自分たちで工夫しながら遊ぶようにするには、
子どもたちのひとりひとりが『フロー状態』に入っていけるように
環境や大人と子どもの関係を整えることが大切です。



おまけーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
100円グッズで、ピタゴラスイッチ作り♪ 
ピタゴラスイッチ研究部♪ 透明ホースの中を走る
ピタゴラスイッチ研究部員さんたちの研究発表です♪
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一生懸命がんばっているのに、子育てがうまくいってないように感じる時 15

2012-04-27 06:47:24 | 初めてお越しの方

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親の側が、子どもが近づいてくると「離れてほしい」というサインを出し、

子どもが離れていくと「近づいて、自分といっしょに何かして」というサインを

出すこと。

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「子どもが少し動くたびに、子どもの心に強い葛藤状態を起こさせる」ような接し方を、

 

無意識に取り続けてしまうこと。

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こうした態度を取り続けてしまう親御さんが多いことを書かせていただきました。

 

結論から言うと、「こういう風にすればいいですよ」という対策を書こうとは思っているのですが、

実際には、それを読んだ方々がそれをやってみて

効果を実感するのは簡単ではないな……と感じています。

 

なぜそんな酷いことを言うのかというと、次のような理由があるのです。

 

虹色教室で親御さんが声をかけるたびに

子どもが表情を引きつらせたり、途方に暮れたような表情をしたり、イライラを押し殺したような表情をしたり、

自分の気持ちをプツンとその場から切り離して心を浮遊させるような表情をしたりしているのを見かけることが

多々あります。

 

その頻度があまりに多い場合、(5分間に10回以上そのような子どもの反応を引き出す親御さんがたくさんいます)

子どもが素直に意欲的に自分したい活動に取り組むようになる介入の仕方や働きかけ方をわたしがやってみせて、

そのとたん子どもに笑顔が広がり、

リラックスして根気よく活動するようになる様子を目で確かめていただくようにしています。

 

そして、親御さんには失礼なのですが、しばらくの間、

子どもが心の葛藤状態に陥るような働きかけをその親御さんがするたびに、

その言葉と子どもの表情や反応の関係に気づいていただくような

ダメ出しをするようにしています。

 

すると、わたしにあれこれ指摘されて、頭では自分のどのような言動に問題があるのかわかっていて

真剣な面持ちで何とかそれを修正しようとしている方でも

その後も数分に1回はそうした言動を繰り返してしまうのです。

 

そこで、わたしがまたダメ出しし、親御さんは、ちょっと気まずそうに

「どうしてもしてしまいます~」「悪いとわかっていても、言ってしまいます~」と言ったり、

自分のしていることのどこに問題があるのかわからなくて途方に暮れたりすることを

何度も何度も繰り返して、

その後、数回のそうしたレッスンを終えて

ようやく子どもとの調和のとれたコミュニケーションを築けるようになっていくのです。

 

それくらい苦労しても一度そうした適度な子どもとの距離感がつかめた親御さんが

ふたりめちゃんを育てる時には、のびのびと自然体で過ごしながら、

精神面でも知能の面でも同年代の子たちから群を抜くほどしっかりとした子に育てていて、

周囲のママさんたちがその接し方に倣うようになるのです。

 

コミュニケーションのあり方というのは一朝一夕に変わるものではありません。

気づくのも難しいし、

直すのももっと難しい……。

それに、そうした難しさの背後には

親か子のどちらかの発達障がいが隠れていることもありますから、

「こういう時はこうすればいい」とマニュアル対応で解決するわけにはいかないのです。

 

また今回取りあげている「子どもの心の葛藤状態」は、まだ問題行動に至る前の段階で、

子どももそのもやもやした苦痛をアウトプットする力を持っていないし、

親御さんも子どもの気持ちさえ受信しなければ、それほど困っているわけではないので、

修正しなくてはいけない理由そのものが実感できない場合もあります。

 

(わたしの経験からするとこのコミュニケーションのあり方を2~3年続けていると、

子どもの問題行動がかなりはっきりと顕在化してくるのですが……)

 

子どもとの付き合いは生きている限り続く長いものですから、

ゆっくりでもいいので、互いに安心できて、心地よいものとなっていくように

調節していけたらいいな、と思っています。

 

 

 それでも「自分のダメな部分を直そう」と思っていると

気が滅入ってうまくいかないものです。

「あれこれ心配せずに子どもが好きな活動にコミットメントするのを受容する」

という覚悟を決めてみるだけでも、

子どもの育つ力に後押しされていろいろなことがうまく回りだすかもしれません。

 

過去記事から、子どもが「好き」な活動を通して成長する姿について書いた記事を

見つけてきました。

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ずいぶん前のことですが、
毎日新聞の『女の気持ち』という読者の投稿欄に
小学生の娘とのやりとりを載せていただいたことがあります。

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ある時、娘が真顔で
「わたし、マンガ家になりたいんだけど、どうすればいい?」
とたずねてきた。

これは確かな答えを出してやらねばと思い、
少し考えをめぐらせてから、おもむろに答えた。

「それには、たくさんマンガを読むことでしょ。
それから、たくさん描くことでしょう。」

言った先から、自分の答えにふきだした。

というのも、娘がマンガばかり読んでいる姿を見ては
読書量が少ないのを心配し、
教科書もノートもマンガの落書きばかりで きちんと勉強しているのかしらと
ため息をついていたからだ。

「マンガを読むことと、描くことを生活の中心に据えなさい」

という私の勧めに従った娘は、
不思議なことにマンガ以外の本もよく読むようになり、
勉強やほかでの活動に精を出すようになった。

娘が言った。
「お母さん、わたし将来マンガ家になれるかどうかはわからない。
でも、ひとつの夢をかなえるには、いらなさそうなことも
必要だもん」
娘なりに、自分の質問への答えを見つけたのだった。

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この記事のことを急に思い出したのは、
先日 購入した『働く理由』(戸田智弘 ディスカバー・トゥエンティワン)
という著書で、養老孟司氏のこんな言葉に出会ったからです。

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自分が好きなこと、それしかやらない。
そう決めるのは自分である。そう決めてちっとも差し支えない。
ただ現実には、好きなことをするために、
ほかのいろいろなことをしなくてはならない。
それも好きになればいい。
それ以外に、好きなことはじつはありはしない。
好きなことはただ頭のなかにあるだけのものではないからである。(中略)
本当に好きなら苦労はいとわない。
苦労が苦労ではないからである。
苦労したくないなら、結局それほど
「好きではない」のである

養老孟司 (日本経済新聞社「世相ひとひねり」)
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娘が、ひとつの夢をかなえるには、いらなさそうなことも
必要だ……と気づいたのは、もちろん、養老氏の文章を目にして反省したからなどではありません。
実際に好きなことにしっかりコミットメントしようとすると、
即座に、
「好きなことをするために、
ほかのいろいろなことをしなくてはならない。」
という現実にぶつかるものなのでしょう。

だから……子どもが先々困らないようにと、
「将来役立ちそうな
あれやこれやの訓練を早いうちから仕込んでおく」より、
まずは「好きなこと存分にやらせてみる」方が、
子どもが精神的に自立しやすいな~と感じています。

虹色教室の生徒の小1の★ちゃんの親御さんから次のようなコメントをいただきました。
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わが娘たちは、なかなか工作に入れ込むことがないようでしたが、少しずつアウトプットの芽が出てきたかもしれないです。

てっきり、絵画や工作だけかと思っていましたが、そうでもないですね。

小1の長女は作文(物語創作)で、目を輝かせるようになりました。
4月から年少の次女は、まだまだ目移り多く、親を頼ることばかりですが、
下手だったハサミを(親に頼まず自分で)長時間持つようになりました。

瞳をキラキラさせているのを見ると、
こんなことが好きだったのか、
と驚くほどです。
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★ちゃんが教室に通い始めたとき、何をするのも乗り気でなく
退屈そうにする姿がありました。
それが何回か通ううちに、キラキラするスパンコールを使った工作や
毛糸を使ったお人形の制作に夢中になるようになりました。
そうして、教室に着くやいなや「今日は○○が作りたい」と意思表示し、
一分一秒を惜しむくらい熱心にものづくりに励むようになっていました。
そうしていろいろ作って遊んだあとで、★ちゃんは自分が物語りを作ることが大好きなことに気づいたようなのです。

まず『好き』なことを一生懸命してみること

その先には思いもかけない発見がたくさんあるものですね。

 

 


『地頭力』が育つ幼児期

2012-04-26 20:19:49 | 幼児教育の基本

虹色教室では「実体験」と「勉強」の橋渡しをしたいと考えています~と記事のなかで書いたら

教室の生徒の親御さんから次のようなコメントをいただきました。

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昨日、息子は友達の希望で町内の駄菓子屋にデビューしました。帰宅後の息子の報告です。

「お母さん、お菓子を買うと自分で消費税を計算してお金を払うんだよ。
ぼくは100円もっていて、先に饅頭屋さんで
友達が僕の分の70円を一緒に払ってくれてて、100円玉は細かくち切れないから70円を返すために友達よりも先にお菓子を買ったんだ。
でも、30円のお菓子を買うと消費税を入れて31円で、70円を返せなくなるから20円のお菓子をかって消費税を払ってお釣りが9円だよ。」

「友達は60円のお菓子を買って、60円払ったら
3円足りないって言われたよ。」

友達も息子も消費税がしっかり理解できたようです。

上の内容を息子は言葉で母に伝え始めたのですが、母がよく理解できないとわかると 「書いたほうがはやいね」と言い、書きながら説明してくれました。
面倒くさがりやの息子が書くとは驚きです。

本当に経験に勝るもの無しですね。
奈緒美先生の 「書いてごらん」 ができるようになってきてるかなと思いました。


息子 「どうして スイミングスクールは、30円と書いてあるお菓子を40円で売ってるの?」
母  「30円のお菓子に消費税を計算すると31円ないし 32円になって、1円のお金のやり取りをするのが面倒だから切り上げて40円にしてるかも。それと先生が生徒に代わってお菓子をお店に買いに行くからその手間賃も入っているかもね。」
息子 「・・・・」
母  「スイミングスクールの帰りにお菓子を買うのをやめたほうがいいよね。」
息子 「買う」

息子の経済観念を育むことは今後に期待です。

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昨日は、シアトルからからもうすぐ4歳になる★くんが遊びに来てくれました。
去年の夏のレッスン以来、1年ぶりの再会です。
元気いっぱいのやんちゃくんで、去年は自分の我を通そうとがんばる姿が目立ちましたが、今年はその強い気質が
集中力や我慢強くがんばりぬく根気に変化してきていました。
「この一年、虹色教室で紹介してくださっている工作や実験に励んだところ、
以前は物を見たら、買おうよ、買おうよと騒いでいたのに、
このごろは、何でも工夫して自分で作るようになってきました。」
とうれしい報告をいただきました。

ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てなくてはならないことを教えようと、
「あんなところにペットボトルが落ちているね。どう思う?」とたずねると、目を輝かせながら、
「あれがあれば面白いものが作れるね。~や~が作れるよ」
という返事が返ってきて、思わず吹き出してしまったそうです。

一般化するほどたくさんの事例にあたったわけではないのですが、
海外から教室に来てくれる子たちと会うと、
身体の引き締まり方や目の力、自分がしっかりある感じに、、
「子どもってこういう存在だったのか……」という驚きます。
今の日本で暮らしていると、身体感覚や「自分」という感覚がスポッと抜けたように成長しがちですよね。
スポーツをさせて、体を鍛えている子も、
大人に「見て!見て!自分のことを評価して」とアピールすることに忙しく、心の面では自分がないように見える場合がよくあります。
海外にはその国なりの子どもを「ダメ」にしてしまう要因も多いそうですが……。

★くんといっしょに「ピタゴラスイッチ」を作って遊びました。
「このエレベーターの先をあっちのコロコロ落ちるのがついてるところにつないで、それを、やどかりさんのお家のところにつないだら?」
「これはね、こういうお話なの。
ここから、誰か出てきたら、あっ、上から何か落ちてくる!危ない!そうだっ、ここに逃げよって、この下に行って、それが、こっちにつながっていて、こことここが引っ付いているの」と、遊び方がダイナミック。

部分に集中して製作しているときも、
常により大きな視点からも自分の作業を眺めて、いくつもの物を複合的につなげていこうとする姿や、ストーリーをこしらえて展開しようとする姿が見られました。

しっかり『地頭力』が育っているな~!と、感心

『地頭力』という言葉は、幼児を育てている方の間で、けっこう話題になっているものの、正確に定義するとどういうものか言い表しにくいものですよね。

『地頭力を鍛える』問題解決に活かす「フェルミ推定」
 細谷 功  東洋経済新報社

が、地頭力というのは本当のところ、どのような能力なのか、どのようにすれば鍛えられるのか納得できる良書でした。

著書によると、
地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」考える三つの思考力。

地頭力を鍛えるための強力なツールとなるのが「フェルミ推定」という小難しげな名前がついているものですが、
物理学者フェルミが得意だったことから命名された
「つかみどころのない物理量」を短時間で概算することです。
「フェルミ推定」は、問題解決の縮図で、地頭力を試したり鍛えたりするツールとして有用とされていますが、
自由工作や自由なブロック製作の場では、
簡単な形とはいえ、自然に使いこなせるようになっていく力でもあります。

地頭力って、
要は、
どれも幼児期にこそ育つもので、
幼児の幼児らしさを奪わないことこそ、子どもに地頭力のベースをつけてあげられるのだな~と感じました。

フェルミ推定に一番求められるのは、問題解決に対しての好奇心なのだそうです。

幼児はもともと自分のぶつかった問題を失敗を通して解決しようとする
強い好奇心を持っていますが、
大人が失敗させず、手助けばかりし、子どもの自由を少なくすると、そうした性質はなくなっていきます。
教室の子たちを見ていると、年長さんくらいになると、自分の全頭脳と全経験を総動員して、問題解決に、好奇心いっぱいで自分を投入しようとする姿がありますが、
育ちの中で、そうした力をほどんど失ってしまっている子も多いのが気がかりです。

「結論から」「全体から」「単純に」考える地頭力の本質といえるものは、
子どもが生得的に持っている物の捉え方や考え方、物への取り組み方そのものといっていいものです。
幼児が、外でたっぷり遊んだり、
友だちと群れて遊んだり、悩んだり、我慢したり、喜んだり、創作したりする
うちに、自然に身についてくるものです。

日本の場合、時間も空間もやたら区切って、
子どもが大きな視点から世界を眺めることが難しいのです。
すると、「結論から」「全体から」見ることが難しくなります。
また子どもの成長を急がせることで、「単純に」考えることができなくなってしまいます。
ただ何より子どもの地頭力を育む元凶となるのが、
大人の狭いステレオタイプな物の見え方や見方を
ちょっとでも早く賢い子に仕上げようとして、教え込んでしまう、刷り込んでしまう、干渉しすぎてしまうことに
あるように思います。
幼児には大切なことを手短にしっかり教え、それ以外は
自由にたくさん遊ばせ、たくさん失敗させるのが一番です。

 

精神科医の名越康文氏と、神戸女学院大学教授の内田樹氏との対談で、
こんな会話がかわされていました。
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<名越>  
僕は日々、クリニックに来るお母さん方と色んな話をしています。
子どもの場合、通じ合えた場合は、その話の全体から僕が言いたいことを署ルんでくれているな、という感じがあるんですよ。
「だから、こうしておこうね」っていう軽い結論さえ言えば、「他に聞きたいことある?」って聞いても、「うん、今日はこれでいい」って言います。子どもは。
しかし、親御さんに同じ話をした場合、
「先生、結局だから私はこうしたらいいんですね」ってその話を百分の一くらいにまとめてしまう。それはそこしか聞いていないってことでしょう。
僕ね、今まで何千人かの子どもと話して、
「先生、結局こうしたらいいんですね」って聞いてきた子どもって
一度も会ったことがない。
ところが、「先生、結局だから私はこうしたらいいんですね」って言う
親御さんには少なくとも数百人会っていると思うんですね。
<内田>
コミュニケーションの現場では、理解できたりできなかったり、いろんな音が聞こえてるはずなんです。それを「ノイズ」として切り捨てるか、「声」として拾い上げるかは聴き手が決めることです。
そのとき、できるだけ可聴音域を広げて、拾える言葉の数を増やしていく人が
コミュニケーション能力を育てていける人だと思うんです。
もちろん、拾う言葉の数が増えると、メッセージの意味は複雑になるから、それを理解するためのフレームワークは絶えずウ゛ァージョンアップしていかないと追いつかない。
それはすごく手間のかかる仕事ですよね。
そのとき、「もう少しで『声』として聞こえるようになるかもしれないノイズ」をあえて引き受けるか、面倒だからそんなものは切り捨てるかで、
その人のそれから後のコミュニケーション能力が決定的に違ってしまうような気がする。
<内田>
今の日本の母親たちは、あえて可聴音域を狭くして、聞き取れる範囲を絞り込んで、その中で整合的なメッセージだけ聴き取ろうとする傾向がすごく強いと思うんです。「要するに、こうなんですね」と言って「話を終わらせる」ことに異常に固執するというのは、そういうことじゃないかと思うんです。
この間、養老先生から聞いた話ですけど、ある講演会で「子育てにマニュアルはない」ということを話された後に、聞いていた母親が先生のところに来て、
「あのー、マニュアルがない場合には、どうすればいいんでしょうか?」と訊いたという(笑)。
とにかく、話を終わらせたいんですよ、簡単に。だから自分の子どもがノイジーなメッセージを発信しても、「要するにあんたは、こういいたいわけね」っていうふうに、
端数を切り捨てて、整合的だけど限定的に「理解」してしまう。子どもが発するメッセージには、まだ輪郭の整わない、子ども自身が自分で何を言いたいのか
わからないような雑多なざわめきがたくさん含まれているんです。
でも、そうい母親はそれを聴き取ることができない。曖昧な言葉遣いというか、グラディエーションをつけることができなくなっている。
 (『14歳の子を持つ親たちへ』  内田 樹 名越康文  新潮新書
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『地頭力』の話をするのに、一見関連のない話のようでもあるのですが、
この対談で話題になっている

「可聴音域を狭くして、自分の聞きたいことだけ聞いて、それ以外は切り捨てて、整合的だけど限定的に「理解」してしまう」

という特徴は、子育て中の方々が、
気づかないうちに陥りがちな態度ではないでしょうか?

音だけでなく、見るものにしても、
あらゆる豊かな情報の中から、小学校受験や学校での評価にむすびつく部分だけ見て、後はシャットダウンしてしまうということも起こりがちです。

例えば、折り紙をぐちゃっと握りつぶしては、
「虫さん」「あめちゃん」「バナナ」などと命名する子がいたとします。

その子のお母さんが、同じ月齢の子が、上手に三角を折るのを目にして、
「うちの子も早く上手に折るようにらないかしら?」という狭い視点でだけ
子どもを眺めた場合、
「この子ったら、いつまでもグチャっとしたものしか作らないで……折り紙がもったいないでしょ!」とイライラするかもしれません。

が、お母さんが、見えているもの、聞こえてくるものを受け取る領域を広げてみると、
この子の「見立てる能力は独創的だな。くだものから生き物からよく思いついてる」
「今は、ぐちゃっと力を手にこめる作業がしたいときのようだから、折り紙より油粘土や、広告の紙などのいらない紙をたくさん与えてあげる方が良い時期なのかも」
「作品としてなりたっていないとはいえ、楽しそうにエネルギッシュにたくさん作る力があるな。できたものはゴミみたいなのに、大事にしていて面白いな」
といったことが見えてくるかもしれません。

そのように親が子ども自身と子どもの環境から
受け取るものを大きく拡げていくと、
地頭力の要素のひとつ
「全体から考える」フレームワーク思考力を育むことに
つながりやすいのではないでしょうか。

フレームワーク思考力とは、
「対象とする課題の全体像を高所から俯瞰する全体俯瞰力」と、
「とらえた全体像を最適の切り口で切断し、さらに分解する分析力」といえます。

わが子の子育ての中で、このフレームワーク思考力について、
意識したのは、小6になって息子がいきなり中学入試をしたいと言い出したときでした。

わが家の事情で何ですが……
子どもが幼い頃は、経済的に何の悩みもなくのほほんと生活していたのですが、バブル崩壊のあおりを受けて、ダンナがリストラにあい、
その後は、自営業で、食べていくのがやっとの暮らしをしていました。

そこに6年生に進級しようという息子の「私立中学に行きたい」があったもんですから、まさに晴天の霹靂で、
「お母さんは入学金を何とかしてあげるから、あなたは勉強を自分で何とかしなさい」と、

本屋に連れて行って、受験したいという学校の赤本……

選ばせると灘中の赤本だったのですが……を購入して、後は本人任せにするしかなかったのです。
それで、私は郵便局のパートで、晩の10時をまわって帰宅する生活がはじまり、
息子はというと、それまで学習習慣がないもんですから、
やったりやらなかったりではあるものの、灘中の赤本と格闘していました。

それまで私立の勉強をしたことがない子にいきなり灘中の赤本は無茶なようですが、
当時はあまりに中学入試の知識がなかったので、
「まずどういう受験問題が出ているか研究して、
それから必要な参考書なり問題集なりを探しに行こう」という順序で
入試と関わるしか、
何から手をつけたらよいのか想像もできなかったのです。

それと私にとって一番興味があったのは、受験に合格するかどうかではなく、
初めて自分からこういうことがしてみたい!と言い出した息子が、

途中で投げ出さずに、どこまでがんばれるのかな? ということと、

どんな順序で、どんな風に勉強していくのかな? ということだったんです。

自分なりに方法を模索するのか、何か私に頼んでくるのか、

息子の出方を見る前に、私が先まわりしてレールを敷くのはおかしな気もしたので、
少し様子を見ることにしたのです。

 

続きを読んでくださる方はコチラ↓をどうぞ

 

『地頭力』が育つ幼児期 3  (4はちょっとこの話題からはずれるので抜かします)

『地頭力』が育つ幼児期 5

『地頭力』が育つ幼児期 6

『地頭力』が育つ幼児期 7

『地頭力』が育つ幼児期 8

『地頭力』が育つ幼児期 9


一生懸命がんばっているのに、子育てがうまくいってないように感じる時 14

2012-04-26 15:23:37 | 教育論 読者の方からのQ&A

一生懸命がんばっているのに、子育てがうまくいってないように感じる時 13

で「子どもの困った行動を誘発させがちな親御さんの言動

(関わり方のパターン)についてお話ししました。

 

「子どもが少し動くたびに、子どもの心に強い葛藤状態を起こさせる」ような接し方を、

無意識に取り続けてしまう親御さんがいることを感じています。

 

(といっても、そうした指摘を受けたり、この記事のような文章を目にして、

ハッと合点して自分の行動を修正できる方なら、

自分のなかにきちんとした判断基準や核のようなものを持っているはずで

それほど心配にあたらないと思っていますが……。)

 

厳しいかったり冷たかったりする方ではなく、

むしろ「もうおしまい、おもちゃを片付けてね」「それは投げちゃだめよ。大事に扱ってね」

「危ない。指が挟まって、痛いのよ。そのドアは触らない!」といった

はっきりと言い渡してもいいような場面でも

「~してくれる?」「~しようかな?」遠慮がちに子どもにおうかがいをたてるようにたずねるような

目に入れても痛くないほど子どもをかわいがっている方に

そうした傾向が見られることを危惧しています。

 

 子どもに楽しそうにしてほしい、いきいきと活動してほしい、と心から望んでいるにもかかわらず、

いざ子どもがいきいきとその子らしさを発揮しはじめると、

たちまち親御さん側の不安が高じて、

子どもがシュンとしたり、表情がひきつったりするようなことを言ってしまうのです。

もちろん嫌みや意地の悪いことを言うわけではありません。

ただ子どもが自由に自発的に動くことが我慢ならないだけです。

 

親御さんの不安の原因はさまざまで、子どもが失敗することを恐れている方もいれば、

子どもが集団ルールからはずれるのを恐れる方もいれば、

子どもが特別に優秀で周囲を圧倒するほどすばらしい

行動じゃない普通の行動をひとつでも取ることを恐れている方もいます。

 

また、子どもが親のことを忘れてひとりで楽しそうにしていることで不安になる方もいれば、

常に知的な向上が気にかかって、

子どもが楽しそうにしているだけで時間を無駄にしているようで不安になる方もいます。

 

1,2歳児を育てている方で周囲の目や評価に敏感で情報通の親御さんの場合、

そのような接し方をしていない方がめずらしいほどです

 

親御さんを不安にさせるような

自分らしさを発揮するといったって、羽目をはずして悪ふざけをするようなことではなく、

おもちゃの持ち方が逆さまだとか、

親御さんが「してごらん」と言っていたことではなく、

自分なりにこれをしようかなと思ったものに手を伸ばした程度のことです。

 

そうした本当にささいなことで、

親御さんの思い通りに動くように常に言葉をかけて、その通りに動かないとダメ出ししてしまうので、

子どもの側は自分の一挙一動に対して

間違っているんじゃないかと警戒しているように見えます。

 

そのように自分の一挙一動をいちいち修正させられている子は、

正しいか間違っているかはっきりしないうちは

ムスッとしたり、不安そうにしたりしながら

自分がしても大丈夫そうなことを観察することが増えます。

 

するとそうした「即座に動かない慎重な態度」に対して親御さんの不安が高まって

ダメ出しをしてしまいます。

 

このように立つ、動く、おもちゃに手を伸ばす……といった

自然な行動のひとつひとつに

正誤を突きつけられるような働きかけを受けつつ、

 

それゆえに正しい行動を取ろうと観察時間が長くなるとそれにも

正誤を突きつけられるような働きかけを受けていると、

 

利発な子ほど、ちょっと動くのにも強い葛藤状態に陥るようになっているのを見かけます。

その一方で、無防備すぎるほど自由に思考停止した状態で動く子もいます。

 

親御さんによっては、「自由にさせている時は本当に好きなようにさせているのに」と

子どものそうした態度を不思議に感じる方もいます。

 

注意が必要なのは、

子どもが困惑しているのは、「自由にさせてもらえない」ことではないということです。

 

自分の自発的な行動に対する正しいフィードバックが

放任されている間も

構われている間も

与えてもらえないので、

自我の育ちが阻害されて、

自信を持って自分らしく振舞えなくなっているのです。

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幼児は自己中心的で飽きっぽくてしょっちゅう困ったちゃんになるくらいで「普通」ですから

何でもかんでも親の態度が悪いのかな……?と反省することはないと思っています。

 

それでも『一生懸命がんばっているのに……』のような記事を書いているのは、

親自身が自分の行動や感情の動きを

メタ認知力を働かせて眺めるようにするだけで

子どもが急に育てやすくなり、笑顔の多い主体的に動ける子に変化していくケースも多いからです。

 

次回に続きます。


広汎性発達障がいの子と創造力、想像力を使った遊び 1

2012-04-26 13:42:38 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

年長さんになった広汎性発達障がいの◆くん。2歳の頃は自閉的なしぐさがたくさん見られじっとしていなかったそうで、

虹色教室に通いはじめた3歳当初は人と目を合わせたり、交流したりすることに

非常に困難を抱えていました。

 

現在は、語彙が豊富でごっこ遊びや工作が大好きな子に成長してきています。

 

ずいぶんしっかりしてきているとはいえ、

まだ机に座って長時間作業をするのは難しいですし、

全体への指示も通りにくいですから、◆くんのお母さんは来年の就学を非常に気にかけておられます。

 

◆くんはエレベーターや工場のベルトコンベアーなどの機械が大好きです。

教室で大きなサイズのマジックハンドを見つけて大喜びしていたので、

「天井から吊らしてUF0キャッチャーみたいにウィーンと動くようにしてあげようか?」と

たずねると、

「そうだ!そうそう、ひもをね、こっちからあっちにつけてね、それからぶらさげるといいんだ。

ひもだよ。ひもがいる!」と跳びはねて喜びながら答えました。

 

写真のように椅子に商品を並べてスーパーマーケットのようにセッティングしてから

マジックハンドを吊らして可動式の機械のようなものを作りました。

 

ひもを操作して、取りたいもののところに移動させた後は、

写真の通り手動でつかんでおります~。

 

◆くんとごっこ遊び。

◆くんの好きなアイテムは、「トイレ」「階段」「警察」「牢屋」「カミナリ」です。

◆くんは自閉っ子特有のこだわりがあるので、人形遊びをしていても、

まるで脚本のある劇を繰り返し演じているようにワンパターンのストーリーになりがちです。

今回も、ドールハウスの二階にお気に入りのトイレを設置して、

わたしにねずみの人形を渡すと

「奈緒美先生、はやくトイレに来てよ~」と、言います。

人形がひたすらトイレにかけこむというストーリーで遊ぶつもりです。

 

そこで、「しめしめ、誰もいないな。泥棒に入っちゃうぞ。そうだ!トイレを盗んでいこう」

と人形に言わせて、トイレを盗んで、おもちゃの陰に隠しました。

 

少し前の◆くんなら、わたしが自分の考えている通りのストーリーを演じないと、

「だめだめ!」とかんしゃくを起こして、おもちゃをめちゃくちゃにしてしまったり、

わたしのしていることを無視したりしていたはずです。

 

でも最近はずいぶん柔軟になって、新しい展開にユーモアや知恵で応えることができるように

なってきています。

 

次回に続きます。


『教育と学習方法について考えること』への質問

2012-04-25 14:30:06 | 教育論 読者の方からのQ&A

教育と学習方法について考えること 1

教育と学習方法について考えること 2

教育と学習方法について考えること 3

教育と学習方法について考えること 4

教育と学習方法について考えること 5

教育と学習方法について考えること 6

教育と学習方法について考えること 7

教育と学習方法について考えること 8

教育と学習方法について考えること 9

 

という記事のなかで、息子とわたしの会話に対して次のような質問をいただきました。

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過去記事に失礼します。この記事を読んだときからず~っと、モヤモヤ~と引っかかっていたのもので。。
まず、数学オリンピック、算数オリンピックは自らがアウトプットするという息子さんの考えですが、、、これは学校の定期試験は教師の評価等に用いられているが、オリンピックに関してはそうではないということでしょうか?数学オリンピックにしても、算数オリンピックにしても、塾や学校の名誉のため、もしくわ大学受験に有利になるからといった側面も0ではないと思うのすが、どう思われますか?もし私の認識が適当でしたら、大学の勉強もアウトプット出来る場だと自分の経験から思うのですが、どう思われますか?
また奈緒美先生が教室で実践されてることは、ざっくばらんにいうと、勉強したこと、学んできたことのアウトプットに当たるのですか

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息子は自分が興味を持った分野に関して深く掘り下げて学ぶことが好きで、

理解したことを創造的に活用することはとても得意ですが、

けっして優等生タイプの子ではありません。

英語や古典ではこれまでの学習不足で苦労しているようです。

 

息子の学習へのモチベーションは「社会に出てこういうことがしたい」「こんなものが作りだしたい」

「自分の考えを自在に文章に表現したい」「美術や音楽やゲームについて、人と語り合いたい」

「ずっと興味を温めてきた数学や哲学とファジー理論や人工知能についてや

社会の仕組みをシュミレーションする形のゲームについて探求していきたい」という

ことにあるようです。

 

そのため、「定期試験のため」という名目のもとに学習していくことは、

自分が身につけたいと思っている力を高めていくためには遠回りと感じているようです。

たとえば、現代国語なども、テスト対策という学び方を嫌い、

「赤本の問題文を要約し、設問により適切な表現で記述式の答えを書いていく」というシンプルな方法で

学んでいますし、

数学では公式についてよく研究し、なるべく自力でそれを発展させて関連問題を解いていくように

しています。

定期試験でのアウトプットにこだわりだすと、

じっくり問題と関わるよりも、暗記しておいて素早く解答を書き込める方が高い得点につながります。

でも、それを繰り返すうちに、消化不良のまま試験が終われば忘れてしまうような学習になったり、

学ぶことへの愛情やモチベーションが消耗していったりすることを

実感したようです。

もともと学習することより、学習したことを創造的な場面で活かすことに

魅力を感じるし、そうした面で強みを持っている子ですから、

息子が使う「アウトプット」という言葉には、自分の創造性や鍛えてきた地頭を試す行為という

意味が含まれているのかもしれません。

(定期試験では得意教科でもうっかり公式をど忘れしてポカすることがあるのですが、

算数オリンピックや数学オリンピックの問題は、暗記とは関係なく

考えれば解けるので得意……ということもあって、そちらを贔屓目に見ているところもあります)

 

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「大学の勉強もアウトプット出来る場だと自分の経験から思うのですが、どう思われますか?」という質問ですが、

確かにアウトプットできる場だし、社会に出る前に大学受験という大きな障害物と格闘してみることは

とても大事な体験だと思います。

 

でも現在、学習の世界の目的が「何を学んでどんなことがしたいのか」という目的を失って、

より高い偏差値の試験に受かること自体が最終目的のように錯覚してしまうような本末転倒の捉え方が

あたり前になりつつあります。

 

ですから、たとえ大学の勉強がアウトプットが出来る場としての機能をそなえていたとしても、

自分でそこからモチベーションを見出したり、アウトプットの場として活用していく学生は

それほどたくさんいないのではないか、とも感じています。

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「奈緒美先生が教室で実践されてることは、ざっくばらんにいうと、勉強したこと、学んできたことのアウトプットに当たるのですか」

という質問ですが、

「アウトプット」いうより

「実生活」と「勉強」の橋渡しの役割を果たしたいと

考えています。

 

「実生活」では、知恵が働くしっかりした子なのに、

自分が普段、人と交渉したり、工夫したり、読書をしたり映画をみたりしていろんなことを感じたりしていることと

勉強が地続きでつながっていることに気づかないため

「勉強は大の苦手」という子がいます。

 

一方で、学校や塾での成績はいいのに、

生活の場面ではさっぱり頭を使おうとせずに、

何から何まで親に依存している子もいます。

 

虹色教室では、

そうした「実生活」と「勉強」の間にある乖離を解消して、

勉強したことがそのまま遊びや生活や物作りに活かせる喜びを実感したり、

日常のなかに潜む不思議や数学の世界に感動したりする体験を

たくさん用意しています。

 

学ぶことが自己発見につながり、

自分の価値に気づき、創造的に生きる喜びを味わせてあげたいという思いで

さまざまな実践をしています。

そうした点で子どもは打てば響くような感受性を持っていて、

そうした体験を心から楽しんでくれています。


子どもの個性的な資質と物作り 1

2012-04-25 13:23:34 | 子どもの個性と学習タイプ

3歳2ヶ月、3歳7ヶ月、4歳1ヶ月の★ちゃん、☆ちゃん、◎ちゃんのレッスンで。

自由にごっこ遊びを楽しんだ後で、工作をしました。

虹色教室では工作の時間をとても大切にしています。

 

意欲的に作業に取り組む姿勢、お手本をしっかり見るスキル、

自分の思いを言葉にしたり、ストーリーを作ったりする表現力などを育むのに、

工作ほど子どもたちを夢中にさせながら技能と知能を向上させるものはないからです。

 

また、そうした工作タイムにそれぞれの子の個性的な資質に気づいて伸ばすことも

大切にしています。

 

★ちゃんはおしゃべりで想像力豊かな女の子です。

このごろ「いたずら」にはまっているそうで、お家のおばあちゃんに押し入れに入るよう頼んで、

「怖いよ~って泣いて!」と頼んだのだそうです。

「★ちゃん、押し入れを作って、おばあちゃんが、怖いよ~出してよ~って言うお話しの

工作をしようか?」とたずねると大乗り気。

黒い色画用紙を選んで、さっそく

チョキチョキ切りはじめました。

 

「おばけを作りたい」と言うので、ストローで吊り下げるタイプのおばけを作るのを

手伝ってあげました。

後ろを操作して動かして自分でお話しを作っています。

 

プッシュライトをあてると、おばけが穴の向こうの白い紙に映る仕掛けを作ってあげました。

この時期の子たちは、本人が再現できそうな

易しい仕掛けをたくさん体験させてあげると、

たちまち自分のアイデアに取り込んで、発展させていきます。

 

 

☆ちゃんは、エレベーターなどのモノが動くからくりにとても興味がある子です。

ストローで巻き上げ式のエレベーターの作り方を教えてあげると

とても喜んでいました。

「これからどうなるのかな?」「こうするとどうなるんだろう?」という

推理力を使う場面で、いきいきとしていました。

次回は科学の箱を開けて遊ばせてあげようと思っています。

 

 

◎ちゃんは壁を作って2階を作りたいと考えていました。

ひとつできるようになると、いくつも作ってそれを組み合わせて遊びます。

数学的な感性が敏感になっている時期のようです。

 

立体的な空間を作ること。

2階、3階と積み上げて作ること。

たくさんの数の同じものを作ることなどに

とても興味がありました。

それぞれの子どもは異なる個性的な資質を持っています。

また異なる概念に敏感になっています。

 

基本のお家部分はいっしょに作り方を学んでも、

製作を発展させていく過程はこんなに違うのですから面白いですね。

 

 

算数タイムに「あわせて5」のじゃんけんを学びました。

上手にできました。

 

生活のなかで触れる算数の概念に

遊びながらいろいろと触れました。

 

 

 

 

 

 

 

 


一生懸命がんばっているのに、子育てがうまくいってないように感じる時 13

2012-04-25 07:31:54 | 幼児教育の基本

このタイトルの記事の最初の方で次のような問題を取り上げさせていただきました。

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子どもを攻撃的な言葉でなじるわけでもなく、

馬鹿にしたり、皮肉を言ったりするわけでもなく、

無視したり、構いすぎたりするわけでもないのに……です。

 

子どもにいいものを与え、よりよい環境を準備するために奔走し、

自分自身も、懸命に、いい親であろうと努めているのに、

そうすればするほど

子どもの問題行動を誘発する様子も目の当たりにしています。

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この続きの記事に目を通すうちに

いったい自分がどのようにすればいいのか、自分の子育てにもまずいところがあるのか、

あるのならどこを直せばいいのか、と混乱してしまった方もいらっしゃることと思います。

 

そこで、シンプルにひとつだけ、親御さんが陥りがちな子どもとのコミュニケーションのボタンのかけちがい

と修正の仕方

についてお話ししたいと思います。

 

2~4歳くらいの子の親御さんで、優しく根気よく子どもに接しているのに、

子どもの方は親御さんが話しかけはじめると

優柔不断なイライラした表情を浮かべて、しまいにプイッとその場を離れたり、ぐずぐず言いだしたり、

いきなり物を投げてしまうということが

多々あります。

 

「反抗期ね」とか「飽き症だわ。この子は……」とか、何となく理由をつけて解釈されて

あいまいになっている場合がほとんどです。

 

が、観察していると、子どもにそうした行動を誘発させがちな

親御さんの言動というのがあるのです。

関わり方のパターンといったらいいのかもしれません。

 

ひとつには、子どもがべったりと自分に甘えて自分から何もしようとしない時や、

何をしようかと周囲を観察してじっとしている時は、

何かするように、あれこれ指さしたり、せかすように「~してごらん」とちょっと突っぱねるように働きかけるのですが、

実際、何かに熱中しはじめると、自分の方に注意を向けさせるように

構って、子どもが自分で判断して自由に何かすることに(親御さんの方が)不安があるような素振りを見せるのです。

 

親の側が、子どもが近づいてくると「離れてほしい」というサインを出し、

子どもが離れていくと「近づいて、自分といっしょに何かして」というサインを

出しがちなのです。

 

子どもが慎重に何をするべきか考えている最中は、

早く何でもいいからやるようにせかすのですが、

自由に取り組み出すと、間違えないかでたらめにしないかと

自由にさせる不安に耐えられなくなっています。

 

また、子どもといっしょに「おもちゃをひとつ片付ける」といったシンプルな作業でも、

「~お片付けしてくれる?」「お片付けしよっか?」と問いかける口調と言葉のなかに、

誰が望んでいるのか、それともこれは義務なのか、自分の責任なのか、何を自分は指示されているのか、

これはやってもやらなくてもいいことなのか……といったことが

子どものなかでもやもやとくすぶるような状態を作ってしまい、

こうしたやりとりを続けるうちに

「お片付け」と聞くと無視を決め込む子がいるのです。

 

親御さんの「言葉」と「気持ち」「子どもにやらせたいこと」の3つが

それぞれ乖離していて、

正しくつながっておらず、

親御さん自身も何をどうさせたいのかはっきりしていないように感じられます。

 

次回に続きます。

 


「ママ、描いて~」と言われたら……

2012-04-24 23:21:57 | 工作 ワークショップ

2歳8カ月の★くんは、利発で想像力豊かな男の子です。

よく観察して考えてから行動に移すので

少し慎重な性質でもあります。

 

「トーマス作りたい」と言うので、いっしょにプラスチックコップで電車(途中でトーマスから変わりました)を作った後の話です。

 

「線路を描いて、電車を走らせようか?」と言うと、

「するする!」と調子がいい返事が返ってきたものの、

いざ画用紙やクレヨンを用意してあげると、急に不安そうに「ママ、して~。ママ描いて~!」と言いました。

「★くんが描いて!自分で。」と★くんのお母さんが言うたびに、

さらに不安そうに「ママ描いて~」と言います。

 

「描いてほしいという時は、描いてあげるといいですよ」と★くんのお母さんに告げて、

お母さんが線路の線を少し引いたところで、

「どの色かな?茶色がいいかな?緑かな?」と言いながら、

★くんにクレヨンをそっと渡しました。

お母さんが★くんのすることを緊張して見守るのではなくて、

リラックスして紙に絵を描くのを楽しんでいると、

★くんもいくつも色を選んで線路を塗りはじめました。

 

子どもは「自分でできそうだ」と感じると

自発的に取り組みはじめますから、

本人が「お母さんして~」と頼む時は、「自分で!」と突っぱねず、

その言葉に素直に従ってあげるといいのだと思います。

特に慎重で空気を読むのが得意な子は

誰かが先に何かをしてからでないとなかなか動かないこともありますから。

 

その日の体験から次回の自発性を引き出すコツは、「自分でしなさい」と後押しすることでなく、

その子の個性的な才能に響くような

活動を提示してあげることです。

 

たとえば、★くんでしたら、

電車などで遊ぶ時も踏切が上下に動くことや、ブロックで作った駅の

電車を出入りさせる際のドアが開いたりしまったりする仕掛けを楽しんでいましたから、

「動く仕掛け」に敏感で、工夫することを楽しめるという能力が優れていると思われました。

 

ですから、箱の貼り方ひとつで、踏切が上がったり下がったりさせることができること、

一枚の紙がテープをとめる位置でトンネルになることなどを見せると、

目を輝かせて取り組み、

自分でもトンネルがふたつになって2台電車が通れるようにしてみたり、

トンネルの上に紙コップの底を二枚付けて、

下はトンネルで、上はお料理ができるものを作ったと教えてくれました。

 

何のことやらよくわからなかったわたしとお母さんに、フライパンを持ってきて、

トンネルの上の丸い円に乗せて、料理をする実演までしてくれました。

 

このように本人の強みに焦点を当てるようにして

活動を楽しいものにしていくと、

自然と自発的な態度が育っていきます。

 


遊んで育つというのは、基本的には普段の遊びのレベルの高さ 1

2012-04-24 12:55:34 | 幼児教育の基本

KID´Sいわき・ぱふ代表、にほんこどもの発達研究所の岩城敏之氏が

『子どもの遊びをたかめる大人のかかわり』という著書のなかで、

「遊んで育つというのは、基本的には普段の遊びのレベルの高さです」

とおっしゃっています。

岩城氏はこんな例を挙げて説明しておられます。

 

大人が子どもたちに鶴の折り方を教えたとします。

上手な子はパパッと折って、下手な子は手伝ってもらいながら

作ります。もっと折りたいという子もいれば、

もうこりごりという子もいるはずです。

 

そこで、もっと折りたいと思うときに折れる状況が大事で、折り紙コーナーが

きちんとあるという環境を設定します。

教わった折り紙が面白かった子は、そこに集まって自分たちでどんどん勝手に遊びますし、

もしひとりも集まらなかったとしたら、そこが幼稚園や保育園の場合、教えていた先生だけが

面白くて、子どもは先生が真剣だからお付き合いしていただけということです。

 

それも悪くはないけど、遊んで育つという考え方からすると、それは遊ばなかったということ

と同じ。

つまり技術も身についていないし、習熟しないということです。

 

岩城氏の文章を引用させていただくと、次のような遊びと育ちの関係があるのです。

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何回も何回も「もう一つ作ろう、もう一つ作ろう、こんなんも作ろう、あんなんも作ってみよう」

と思って遊んで、はじめて子どもは育つわけです。

遊んで育つということは、こういうくりかえしが大切です。

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たとえば、父の日に園でお父さんの絵を描くのはいいけれど、

普段から家族の絵を描いたり、ままごとコーナーにお父さんごっこがどれだけ盛り上がるような

仕掛けが置いてあるか、新聞とかたばことかお酒など……。

そういうことが

本当の意味で子どもの成長を育む

「普段の遊びのレベルを上げる」ということだ、とおっしゃっているのです。

 

次回に続きます。