この数日間で、自分にうれしい変化がありました。
変化のきっかけは、
「このところブログの記事をアップし過ぎているな」と、食べ過ぎ飲み過ぎを自覚するような調子で
自重していたことです。
長い記事も喜んで読んでくださるような活字好きの方まで、
「毎日、ブログを楽しみにしています。~の記事は考えさせられました」と声をかけていただくついでに、
「でも、全部は読み切れてないんですけどね。アップされる記事数が多いですから」とひとこと付け加える始末。
(過去記事をアップしなければいいんですが、読んでくださる方々の子どもさんの年齢がいろいろなので、
記事内容が片寄るのも嫌で……)
これじゃ読んでくださっている方々も疲れてくるし、誰のため、何のためのブログなんだか
わからなくなってしまう……そろそろブレーキかけなきゃ……1日新しい記事ひとつと、関連する過去記事をもうひとつアップするなど、
ルール決めてブログした方がいいのかな……?
なんて考えつつ、最近、書く分量が増えているとはいえ、家事や他の仕事への影響ははほとんど変わっていないことにも気付きました。
ブログ始めた当初は、短い記事を書くのに、何時間もパソコン画面とにらめっこしていたものですが、
今はひらめいたことや体験したことを、メモをとるような具合にちゃっちゃと言葉に変えていくようになっているのです。
これも毎日、毎日、しつこいほどにブログを書いていた効用でしょうか……。
内容はともかく、書いていくための持久力はしっかりついていたようです。
そう気づいたとたん、テレビで見たバサバサッと大きな羽根を
波打たせるようにして飛び立つトキの巣立ちの映像が、何度も心に浮かびました。
今にも飛び立とうとするトキの姿と、「そろそろ自分の書きたいものが書けそう」という
予感が重なりました。
それでためしに、書こう書こうと思いながら二の足を踏んでいたフィクションに手をつけはじめたところ、
ストーリーを想像していく作業も、それを言葉にしていく作業も、
いつの間にか自分の手にしっくりとなじむものになっていました。
そういえば、今から1年ほど前に、朝方見た夢に催促されるような気持ちになって
↓のような記事を書いたのでした。
それからずいぶんと経った今になって、ようやく重い腰を上げて、
日々の記録(ブログ)とは別の文章を書き始めています。
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このところ、「自分の心の深海部に沈んでいた夢」が、
海上の空気のあるところ……
つまり意識の領域まで引き上げられるような出来事が
繰り返しありました。
まあ、どれも出来事というほど、たいしたことではないのです。
娘、息子、事務Kちゃんが、それぞれ自分の将来について本気で思い悩んでいる時期で、
そうした相談に乗ることが続いていたということもひとつ。
つい熱くなって言い合っていたら、息子の「ぼくは物作りが命だから。ぼくが生きている意味は作品作りにあるから!」という
強い言葉にぶつかったり、娘の「何かひとつ自分にはこれっと思えるもの、本気になれるものが欲しい」というつぶやきを聞いたり、
事務Kちゃんの未来に向けていろいろ情報収集する姿を見たりするにつけ、
知らない間に、自分自身が揺さぶられていました。
一方、数日前から「断捨離」をはじめていたので、
捨てる本を選別していたこともあります。
高価な本もさっぱりと手放せるものもあるし、ただの紙切れのようなものも
捨てられないものもありました。
そうした作業を続けるうちに、関心が高いもの順に並べている本棚に「飛ぶ教室」(児童文学の雑誌)が
復活していました。
押し入れの整理中に見つけた『ドーン』という絵本・児童文学研究センターが出している
2005年度の冊子に、
ファンタジー大賞の選後評が載っていて、選考委員の河合隼雄氏が次のような嘆きが
目にとまりました。
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期待を持って作品を読ませていただくのだが、今回も大賞はなかった。
と言うよりも、もっと失望の念が大きかった。毎回同じことを言っているようだが、皆さんが
「ファンタジー作品」というのを誤解しているのではないか、と思う。
エンターテイメントとしてのファンタジー作品というのもあるらしいが、
そんなものに少し目を通すだけでも、こんなことで
エンターテイメントされる人は、よほどの暇人なのだろうと思う。
こんなのを読むぐらいなら新幹線の車窓から景色を
ぼうっと見ている方がはるかに楽しいと思う。
一言で言えば、ファンタジーは人間のたましいから生みだされてくるものであって、
頭でつくりだすものではない。
(『DAWN 13号』より)
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数年前にこの文章を読んだ時、
「わたしは子どもの頃からいいファンタジー作品にたくさん出会ってきたから、
河合氏のおっしゃる人間のたましいから生み出されてくるファンタジーというのが、
どのようなものなのかはわかる。
わたしのたましいのなかには、将来、ファンタジー作品へと成長してくれそうな
お話の種もたくさんある。
でも、わたしには、それを紡ぎだすだけの言葉がない。
自分の考えを表現していくだけの文章力がない。
最後まで書きあげるだけのパワーもない。
でも、何年かかっても河合氏が認めてくれるほどのファンタジーを書きあげたい。
お話の書き手になることが、幼稚園のころからの私の夢だったから。
とにかく書いて、書いて書くことを身体になじませたい。取りあえず、
書くことに苦痛を感じない自分を作ることを目標にして、
日々の出来事を綴っていこう」
と強く心に決めたのでした。
そうして2年ほどは、家族の出来事をエッセイ風に書きとめていき、
2007年からブログをはじめて、教室でのした取り組みや気づいたことなどを、
毎日、文字にして打ち込んできました。
さすがに、毎日書いていると、書くことへの抵抗は薄れてきます。
質はどうであれ書きたい言葉はよどみなく出てくるし、
言葉が自分が本当に表現したい内容に近づいてもきます。
といっても、今、書いているのは実際体験した出来事で、
それを見聞きして、その場で思い浮かんだことを書き写すだけですむ作業ですが、
ファンタジーを書くとなると、見えない世界の物語を紡ぎだしていかなければなりません。
年を追うごとに教室の仕事がたまらなく楽しくなってきて、
自分の日々に満足している今、
「いざ、ファンタジー作品を書き始めよう」と思うと
二の足を踏んでいる自分がいました。
知人と岸田劉生展 に行ってきました。
人は何かを創造するためにこれだけのエネルギーを注ぎ込むことができるのか……と、
美術館を出るとときには、感動を通り越して自分の底が抜けたような奇妙な浮遊感を覚えていました。
1枚、1枚の絵を目にするたびに、こちらの内面の深いところまで
杭を打ち込まれたかのようなズンッという衝撃が深まっていくんですよ。
麗子像は、ポスターではなく実物を見ることができで本当によかったです。
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一昨日の朝方、妙にリアルで鮮明な夢を見ました。
虹色教室に通ってくださっている親子10組ほどに、
学校の教室のようなところで待っていてもらっている間に、
わたしはそこに向かおうとして
四苦八苦しているという夢でした。
この夢は、夏休みのユースホステルでのレッスンを下敷きに作られたらしく、
わたしの心には「泊まりがけのレッスンなのに、がっかりさせるわけにはいかない」という焦りが
浮かんでいました。
夢ですから、舞台設定はむちゃくちゃで、
上の階の教室に向かう階段は、
デパートの衣料品売り場のようなところにつながっています。
それを変だとも疑わずに、ひたすら親子のお客を待たせていることを気にしながら、
植物園のようなところに迷いこんで行きました。
珍しい植物をかきわけて、速足で進むうちに
茂みに尻もちをつきました。
ここは夢のおかしなところで、目の前に展開するおかしな光景には頭がまわらないのに、
「これではとうていレッスンには間に合わない。集まっているお母さん方が待ってる間、
おしゃべりするとか、ひとりが遊びを提案するとかして楽しんでくれていたらいいんだけど……。
せっかくのお泊りレッスンの半分がふいになってしまった。そうだ、残りの半分、
この植物園でレッスンするっていうのはどうだろう。」
と、どうして最初からこんないい計画を組み込んでおかなかったのか……
こんなうっとりするほど美しい植物園は見たことがない……子どもたちをここに
連れてこないなんて考えられない……そんなことを抜かりなく
考えています。
尻もちをついたズボンのお尻のあたりには、ひっつき虫のたぐいのハート型の小さな植物が
びっしりついていて、それをはがしはがし、
待たせている親子のもとへ急ぎました。
すると着いたところは図書館のような広間で、遅れたことを謝るわたしに、
「本を読んでゆっくり過ごしていましたから、かまいませんよ」と親御さんにひとりに
笑顔で返してもらったところで、
目を覚ましました。
小中通して、遠足といえば服部緑地。
母のパート先の江坂にあるガラス張りのビル内が
植物園のようだったこと。
そんな記憶のパッチワークか、わたしの夢には数年おきに植物園が登場します。
夢のなかは夢のなかで、でたらめなりに発達の法則にそって展開しているのか、
10年ほど前に夢で見た植物園の植物は、どれもひょろひょろとしおれていましたが、
年々、緑の生い茂る立派なものに変化してきているようです。
ひょろひょろした植物園の夢を見た当時のわたしは分不相応にもアーシュラ・K・ル=グウィンのような
世界的なファンタジーの書き手になりたいと強く切望しているわりに、
作品と呼べるようなものを書く力はありませんでした。
唯一の救いは自分の能力のなさに気づけるほどに知恵がなかったことくらいでした。
でも、当時の眠りのなかの夢はわたしの実力をお見通しだったんでしょうね。
貧相な朝顔のつるだけでできているような
植物をいまだに覚えています。
それからも数年おきに植物園の夢を見て、しだいに緑が濃くなり、
太い幹のある樹木や絡み合った植物でできたトンネルや、めずらしい花や実のなっている植物も
登場するようになってきました。
そして今回の夢に出てきた植物園はというと、
尻もちをついた先のひっつき虫風の雑草くらいしか覚えていないのですが、
「そうだ、ここに子どもたちを連れてきてあげたい」と閃いたときの
意気揚々とした気分と自分を取り巻く魔法にかかったような雰囲気だけが
目覚めた後にも、はっきりと残っていました。
すぐに夢のことなど忘れて過ごしていたのですが……
あの魔法にかかったような植物園に空気は、
昔、『秘密の花園』や『ムギと王様』や『みどりのゆび』を読んだときに
イメージの世界で吸った空気だった、
間違いない、子どもの頃しか行けなかった、でも確かに子どもの時には存在した
生々しいほどリアルな空想の世界の庭だった……と思い当りました。
すると、懐かしさがこみあげてきて、
「それならいったいこの夢は何を意味しているんだろう」という想像をめぐらせました。
夢のなかでは、わたしは「子どもたちに楽しい実体験をさせてあげたい」
くらいに考えていたのですが、
目覚めた今、思い返すと、わたしが子どもたちを呼びたいと願っていたのは、
自分が子どもの頃遊んだファンタジーの庭だったんだと
はっきりわかりました。
するとこのところ、娘や息子や事務Kちゃんたちの相談に乗るたびに、
自分のなかで、もやもやとくすぶっていたものの正体が
ハッと腑に落ちました。
わたしはやっぱり自分のペースでいいから、ファンタジーを書きた
かったんだ、と。
そうして、自分の今の仕事や暮らしを大事にしながら、
これからは尻込みしないで向き合っていきたいこと、
自分が本当にやりたかったことをするにはどうすればいいんだろう
と考えました。
20代に繰り返し読んだ『ずっとやりたかったことを、やりなさい』を
押し入れから引っぱりだして、こんな文章と再会しました。
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創造性は人生そのものと同じように暗闇ではじまる。
そのことをよく知っておく必要がある。
(略)
アイデアもまた、心の子どもだと考えるといいかもしれない。心の子どもも、普通の赤ん坊と
同じように、創造の子宮から時期尚早に取りだすべきではないということに
私たちは気づいていない。
アイディアは鍾乳洞や石筍のように、意識の暗い闇の中で徐々に形成されていく。
それらは何かを積み上げることではなく、
したたりおちる滴によって形成されるのだ。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい』 ジュリア・キャメロン著 サンマーク出版
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懐かしい文章に目を通しながら、
私にとって教室は、
わたしの持っているものを子どもたちに伝えたり、ふるまったり、
子どもたちの持っているものをわたしが引き出したり、広げたりするだけではなくて、
物語が孵化する前の卵のような空間でもあるんだな、と感じました。
遊びや会話やアイデアが、
浮かんで、消えて、生まれて、飛び交って、散り散りになって、まとまって、ふくらんで、
最後にわたしのなかに
無邪気な何かが残っていますから。
そこからしたたる滴を言葉にしていくのは、それほど孤独な作業でも、かしこまるような作業でも
ないのかもしれません。
言いわけしたり、逃げたりせずに、自分の抱いてきた夢をこれからも育んでいこうと思いました。