虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもが言うことをきかなくて困るときに……

2012-05-25 22:03:13 | 初めてお越しの方

 

 

 

子どもの性質によって兄弟姉妹でも雲泥の差があるものの、
子育て中の誰もが、

子どもが言うことを聞かなくて困る

という体験をしたことがあるのではないでしょうか?

叱る、見守る、我慢する、言い聞かせる、バツを加える、
「おばけがくるよ」「こわいおじさんがくるよ」とおどかす、
子どもがこわがっている人物に叱ってもらうなど……
家庭によってさまざまでしょうが、
どの方法が良くて、効果があるのか悩むことと思います。

言うことを聞かない、かんしゃく、泣き叫ぶ、がんこ、ごね続ける
お友だちのおもちゃを取る、たたく 噛む 危険な場所で走り出すなど、

子どもの「困った」態度はさまざまです。
私の場合、子どもの年齢によって、対応を分けるようにしています。

<3歳までの子の場合>

1歳、2歳の子は、自分の感情のコントロールが上手にできません。

また、自分の中にたまった「いやな感じ」を言葉でうまく表現できないし、自分で納得することもできないので、とにかくギャーギャー言ったり暴れたりすることで外に出そうとします。

ですから大人からすればありえない設定でごね続けることもよくあります。出かける時間に「行かない」と泣き続ける、
全てがいや、
理由なくかんしゃくを起す(おそらく眠い、疲れた)

大人が「こうすれば?」「これならどう?」とさまざまな説得を繰り返しても、
一度、走り出した感情は、子ども自身にもブレーキをかけることができないのです。

3歳までの子の場合、子どもがこだわっている内容で
説得させよう、
わからせよう、納得させようとするよりも、

まったく別の目新しい切り口で、
新しい気持ちを作り出した方が事態を収拾しやすいです。

「靴はかな~い!!」に
「靴はきなさい!」で対応するのでなくて、

「靴はかな~い」に、
「靴はきたくないのね。おててにかわいいシール貼っておでかけしようか?
どのシールにする?」とたずねる形で返すのです。
すると、はきたくないという負の気持ちが、
シールを選ぶという楽しい気持ちに入れ替わるので、その後は、
いい気持ちに誘導されて素直に靴をはくことが多いです。
いつも物で吊るのはよくありませんから、
「ハンコをポン」と手に押すまねをしたり、
もって行く予定のハンカチを選ばしたりするのも、ひとつの方法です。

それでも、ごねつづけたい場合、時期的なものや、
眠い、疲れたなど体調もありますから、
この時期の子は「ごねるもの」と割り切って対応することも大切です。

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実際の虹色教室での揉め事の解決例


<★2、3歳児のけんか……想像力を使って解決を♪>



3歳になったばかりの☆ちゃん、★ちゃんのレッスンです。
2歳のころはけんかばかりしていた☆ちゃん、★ちゃん。お母さんたちの協力で
十分感情を外に表現できる環境(泣いたり、わがままを言ったりすることをしっかりできるようにさせること)を用意して見守ってきました。

そうして、3歳になった☆ちゃん★ちゃん、
創造的に協力し合って遊ぶ姿は目を見張るものがあります。
自己主張をきちんと受け入れてもらってきたため、
自分がしっかりできて、自分とは異なる意識を持つお友だちをきちんと理解しています。
ごっこ遊び、創作遊びと自分の頭で考えて
内面からキラキラするものがあふれてくるように
遊びます。

今興味があるのは引っ付くものと引っ付かないもの。
じしゃくやテープで引っ付く引っ付かないを試すことに夢中です。
写真はかばん作り、ボタンや糸のコラージュを相談しながらしているところです。作り方はこれまでの経験から、全て自分たちで考えたんですよ。

本当に仲良く上手に遊べるふたりですが、疲れたり、お気に入りが重なると
けんかをはじめます。

今日は白いネコのぬいぐるみを取り合っていました。
「それなら、ぬいぐるみさんたちに誰と遊びたいか決めてもらおう!」と提案して、フラミンゴやトトロバスや白いネコのぬいぐるみを
抱えて「遊びたい子に、遊ぼうよって相談してごらん」と言いました。
ふたりともけんか気分はどこかにいっしまって、いきいきした表情になりました。

☆ちゃんが、フラミンゴに「遊ぼうよ」と声をかけます。
「いいけど…おなかがすいているのよ。おいしいものを食べさせてくれる?」
「いいよ。食べさせてあげる」フラミンゴが納得して☆ちゃんにだっこされます。
★ちゃんは、白いネコに「遊ぼうよ」と声をかけます。
「え~眠いんだけどな~どうしようかな……。だっこしてゆらゆらしてくれる?」
「いいよ。」白いネコは★ちゃんのところに。

2、3歳の子は、絵本の中のようなイメージの世界を生きています。
絵本の世界で起こるような問題の解決法が大好きで納得します。
とてもユーモアがあって、不思議で優しい気持ちのある解決法が好きなんです。

牛乳のおもちゃの取り合いの時も、近くにあったブランケットを
ぐりとぐらの作ったような大きなホットケーキを焼くお話の世界に導くと、
たちまち仲良く牛乳をそれにそそいで、ホットケーキを焼き始めました。

子どもがけんかを始めたとき、楽しくユーモアのある解決を提案していると、
大きくなるにつれて、友達同士でとても上手に問題を解決するように
なってきますよ。

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<かんしゃくを起こしてばかりの「魔の2歳児」  落ち着かせる方法>

「ナチュラルな子ども時代」産調出版
という本によると、
2~3歳児というのは、
爆発的に意志が発達する時期なのだそうです。
だから、かんしゃくをしょっちゅう起すんですね。

自意識が発達するにつれ、
ここにいる「自分」と
自分に脅威を与える「他人」がいるという状態になります。
「自分の意志」と
「他人の意志」の対立に気づきます。

子どもの「意志の力のエネルギー」はとても激しいものです。

どんなに辛抱強くて理解ある親もついていけない…
それが「魔の2歳児」(3歳の間もしっかり続く子も…。)
です。

この困ったおちびさんに、どう付き合えばいいのでしょう?
どうすれば、かんしゃくはおさまるのでしょう?

まず親は、この困ったちゃんぶりが、
いつまでも続かないことを知っておかなくてはなりません。
4~5歳になると、「意志」は「創造的な遊び」という新しい
方法で表現されるそうです。

それと
わがままに見えても、
愛情とサポートをたくさん必要としている
幼児であることを片時も忘れるわけにはいきません。

かんしゃくを起こりにくくしたり、しずめるには、
子どものエネルギーの出口を見つけ、
積極的にそこにエネルギーを向けるように仕向ける
必要があります。

わが子が2~3歳のころ、私が見つけたエネルギーの出口は、

水遊びころころ転がる遊びふざけっこ
豆の移し変えや砂遊び適度な散歩

などです。

本で紹介されていたのは、

長靴をはかせて、水たまりでばしゃばしゃさせる

草の上で転げまわらせる

などです。

それでも、2~3歳の子どもはかんしゃくを起します。
うちの子も、
食事が気に入らないことからはじまって、
作り直させたあとで、
ひきつけを起すほど泣いていたことが
ありました。

幼稚園に上がるまで、夏の間は、毎日2回水遊びをさせていました。
水遊びは危ないので、注意してそばについていなければなりませんが、
適度な疲れが、2~3歳児の激しいかんしゃくをしずめるのには
効果ありますよ~♪

想像力を刺激する遊びを教えていくと、
かんしゃくばかりの時期をはやめに卒業するようです。

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年中さん年長さんの自由遊びにどこまで介入する?

2012-05-25 17:23:34 | 幼児教育の基本

 

ペロ嫁の工作de知育な日記New

年中さんのペロ子ちゃんが教室に来てくれた時の様子を記事にしてくださっています。

この日、親子で集まって工作したり遊んだりするサークル活動をしておられるペロ子ちゃんの

お母さんのペロ嫁さんから、

子どもたちの遊びの見守り方やどんな内容でどれくらいまで大人が介入するのか

という点で質問をいただきました。

 

そこで、教室で年中さんや年長さんのグループレッスンの際に

わたしがどのような点で関わったり教えたりしているか

記事にしておくことにしました。

 

グループのメンバーは年中さん、年長さんです。

レッスンが始まってから1時間くらいは、本人たちの「こんな遊びがしたい」という意思に従って

自由度の高い遊びを展開しています。

といっても、この年齢の子たちは、自分がやりたいことを口ぐちに主張するものの、

お友だちのすることに合わせて遊ぶのがいやだったり、

自分はお友だちの案に従いたくなかったりします。

その上、おともだちには自分のアイデアで遊んでほしいと言い張りもします。

物の取り合いこそ減ってはきますが

平和に楽しく遊ぶのはまだ難しい年齢でもあります。

 

いつも楽しそうに上手に遊ぶ場合、一方の子が指示役、もうひとりが相手の指示に

黙って従う役という役割ができてしまっていることもありますから、

それはそれで注意が必要です。

 

ですから、本人たちが自分の考えや気持ちを自由に表現しつつ、

お友だちと協調しながら遊んでいけるように、

また大人がいない場でも創造的に友だち間のトラブルを解決しながら遊ぶ力が身に着くように

要所要所で、ちょっとした大人のサポートも必要です。

 

ペロ子ちゃんたちグループレッスンで、教室に着いた子どもたちに、

「何して遊びたい?」

「お店やさんごっこはどう?」

「レストランごっこは?」

「テレビの主人公になって悪者をやっつけるのはどう?」

「キャンプファイアーごっこは?テントをはって、焚き火をして魚を焼くのよ。」

「学校ごっこをしていた子もいたわよ。」

「洞くつ探検や宇宙旅行に行ってた子もいたわ。」

「ほらっ前に宅配ピザ屋さんになって遊んだのも楽しかったわね」

などといろいろな遊びの案を提案するものの

「いや~!そんなのしたくない~!」の大合唱でした。

 

「それなら、何がしたいの?みんなが楽しくなるような遊びを考えてちょうだい」

と告げると、

「わたしは水族館ごっこがいい。水族館のところのお店で魚のアクセサリーを売る人になる」という子、

「わたしは、警察がいい。泥棒を捕まえて牢屋に入れておいて……」という子、

「わたしは遠足に行きたい。水筒とお弁当を持って、それから……」という子。

「わたしはごっこ遊びじゃなくて、クイズとか出して遊びたい」という子。

 

それぞれが自分のやりたいことを主張して一歩も引く気配がありません。

何がしたいか言いあうばかりで、どんどん時間が過ぎていきます。

 

そこで、「みんなとてもいい意見ね。

1,2,3,4つもアイデアがあるから、それいっしょに合わせてみたらどう?

合体させるの。足し算みたいにね。

それなら、

水族館に遠足で出かけることにして、ちゃんと水筒やお弁当は忘れずにね、

水族館のおみやげやさんに泥棒がきて、警察が捕まえにきてね、

その後、そこで学校みたいなクイズ大会があったことにしたらどう?」

というと、「うんうんうんうん、いいね~」と子どもたちはかなり乗り気で賛成してくれました。

おそらく、そろそろ遊び始めたかったのでしょう。

 

それぞれ、自分のやりたかった持ち場を整えています。

 

水族館をしたかった○ちゃん。椅子の上に教室のおもちゃを数個並べて、(魚と関係ありません)

水族館のおみやげやさんということで呼び込みをしていました。

 

残りのみんなは、遠足からスタートして、水族館に行ったり、お弁当食べたり、

計算がやってくるドタバタを演じたりして遊んでいました。

ちょっと遊びがでたらめでも、停滞したり、問題解決できなくて困ったりしていない場合は

本人たちにまかせて放っておきます。

 

年中さんや年長さんと関わる時は、自由にのびのびと自分たちで遊べるようにサポートすることと、

大人の指示に耳を傾けて根気よく作業に取り組めるようにサポートすることの

両方が大切だと考えています。

 

この日は編み込む形のかばん作りを教えたのですが、

かなり難しかったようなのです。

でもどの子も、「もうおしまいにする?」とたずねても、「もうちょっとする」と言って

がんばっていました。

 

 

 

わたしが提案する方法だけでなく、お友だち間でアイデアや考えを共有していけるように

サポートもしています。

この日、「クリップちょうだい!わたし、バッチが作れるから!」と主張する

●ちゃんの言葉に従って、みんなでプリキュアのバッチ作りをしました。

毎回、こうした時間をとても大切にしていて、おりがみやあやとりなど

何かできるようになったという子がいると、その子を先生にしてみんなで(わたしも)

教えてもらう時間を作っています。

こうした取り組みをするうちに、他人から習ったり、

他の子を手助けしたり、

上手に自分の知っていることを説明したりすることができるようになります。


わからない問題を解決する方法を自分で創り出す

2012-05-25 08:15:56 | 教育論 読者の方からのQ&A

小6の☆ちゃん。中学入試を控えているので、

虹色教室では受験問題にチャレンジしています。

先日、入試問題と格闘していた☆ちゃんが、唐突に、

「先生!段ボールと棒のようなものもらえませんか?それから棒をさす台みたいなものもあるといいんですが」と言うので、

何に使いたいのかたずねると、算数の設問のひとつがイメージしにくいので

実際動かせる見本を作って考えてみたいということでした。

 

厚紙と楊枝と発泡スチロールを手渡すと、

ちゃっちゃと写真のようなものを作って考えていました。

 

問題やサイズの違う円形のプレートを何回動かすと

見本のような図になるのか、といった問題です。

 

数年前まで、考えようともせずに「わからない~わからない~」を連発するのが

☆ちゃんの癖だったのですが、

受験勉強をはじめたあたりから、考えるという作業自体に楽しみを見出すようになって

わたしに解き方をたずねることもなく

自分で考えて、自分で答えを導きだしています。

模試の点数もとても良好のようです。

今回は、わからない問題にぶつかった時ですら

自分で何とかするにはどうすればいいだろう、と考えて、

操作できる道具を作って考えていたことにとても驚きました。

 

 

↑☆ちゃん手作りの問題に年下の子らも興味しんしんでチャレンジしています。

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そういえば、下の写真は☆ちゃんが1年生~の時のものなのですが、

当時の☆ちゃんが教室にみんなのための

頭脳パズルや知育おもちゃといった

教材作りをお手伝いすることが大好きだったことを思い出しました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

知的障がいの子とスローステップ

2012-05-25 07:43:25 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

(過去記事から)

知的障がいのある小2の★ちゃん。

7の指を見せると、「7」と答え、
その指を見せたまま、「あといくつで10になる?」とたずねると、
「3」と答えることができるようになっています。
他の10の合成も指を見せてする限り、完璧です。

しかし、
「手を見せないで、7といくつで10になる? と、たずねると、
何度教えても、答えが出ません。もう、本当に何度も何度も
うんざりするくらい教えるのですが、10の合成の数パターンを記憶することができません」という★ちゃんのお母さんのお話をうかがい、
それを解決するための「ゆるやかな階段」を作れないか、
考えてみました。

★ちゃんは頭の中でイメージの像を結ぶのが難しいようで、
絵を描いたり、ブロックで作品を作ったりすると
形にならないものを作り、それを命名することも苦手です。


(先月、この問題に取り組んだところ、
どうしてできないの? どうしたら できるようになるの? 


今回は、それとなく恐竜のように見えるブロック作品を作って、自分から、
「かいじゅう」と言ってましたから、こうした面は少しずつ改善されているようです)

★ちゃんが、手を見せていると、10の合成を言えるけれど、
手を見せないでたずねると、何度練習してもできない困った状態になることと
関連がありそうな問題は次のようなことです。

目を閉じさせて、手だけでおもちゃや生活用品に触らせて、

「なあに?」とたずねると、「くし」を「ボール?」と勘違いするような
とんでもない間違いをおかします。
目を閉じさせて、1本の指に触れ、「どの指を触ったでしょう?」とたずねると、

全然別の場所を指したり、2本の指に触れ、

「何本の指に触ったでしょう?」とたずねると、「5本」と答えたりします。

(この様子から、目で見る以外の情報のインプットが、

正しく知覚されていないことや、目で見ていないときに、自分の指のイメージを思い起こすことが難しそうなことが感じ取れます)

3枚のハム太郎のお友だちのカード、
「ナースちゃん」「エンジェルちゃん」「りぼんちゃん」の名前をそれぞれ教えて復唱させていって、

その後、最初のりぼんちゃんを指して「だれでしょう?」
とたずねると、全く覚えていません。
それを数十回繰り返して、何度も教え続けているうちに、
「りぼんちゃん」は覚えて、全てのカードについて「りぼんちゃん」
と答えるようになりました。

(耳から入った記憶を短期間でもとどめておくことが難しいようです。

一度は何とか覚えたものも、他のことをすると、すっかり記憶から消えてしまいます)

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★ちゃんと月1回、お勉強や遊びをいっしょにするようになって
1年になります。
1年前に比べると、★ちゃんは飛躍的に伸びたことがいくつかあります。
最初の頃、★ちゃんの遊びは、「見立て遊びをしはじめる時期の子たちの……なんちゃってごっこ遊び」が主で、
椅子を並べたり、ままごと道具を広げたりするものの、それほどはっきりした目的はなく、

食べ物をよそう真似をして、「何にしますか?」「はいどうぞ」といったやりとりや、
並べた椅子について「バス?」とたずねると「そう、バス」「学校?」とたずねると

「そう、学校」と答えるものの遊びを展開する姿はないという適当なものでした。
ボードゲームやカードゲームも誘われて何となく参加するものの、
うながされる行為に、言われるまま従い、
「もう終わりでいい?」とたずねては、またなんちゃってごっこ遊びに舞い戻る姿がありました。

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それが、今年に入って、「UNO」にはまって、何回でもやりたがり、しまいに
お友だちから「UNO名人」と評されるほど、上手になってきたのです。
他のカードゲームも、新しいゲームに積極的に参加しようとする上、
ルールを覚えるのは上手で、終わると必ず「もう1回やりたい」と言います。

また非常に苦手だった座標上の碁石の位置を模写するような作業ができはじめ、
ブロック作品をまねさせるときにも、空間的知能が伸びてきたのがわかるようになりました。

手作業も、根気よく続けることができるようになり、四角を描くことができるので、漢字も上手です。

★ちゃんのこの1年の何よりの変化は、笑顔が増え、
学習にも遊びにも
積極的に根気よく参加するようになったことです。
虹色教室でしたゲームや手作業は、たいてい自分から「お家でもしたいから」と言って借りて帰ります。

こうした変化にともなって、
「★ちゃんが喜んで何度取り組んでも
伸びないという部分」も
浮き彫りになってきて、
それにどう対応したらよいのか、考えるときがきたようなのです。

 

★ちゃんとハム太郎のカードで遊んでいたとき、
いくつか気になったことがありました。
ハム太郎のカードには、トランプ大のカードの一番上の位置に、大きな字で
カタカナとひらがなで「りぼんちゃん」という具合に名前が書いてあります。

★ちゃんはカタカナもひらがなも読むことができますから、
「本のタイトルやカードの名前などは、目立つ位置に大きな字で書いてある」
ということに気づけたなら、何十回も間違いをおかさなくても、
正しい答えが言えたはずです。
(私は★ちゃんが、カードのどの部分から情報を得ているか知りたかったので、あえてヒントは出しませんでした)

障害のない幼児は、教えられなくてもたくさん情報を目にするだけで、
そうした隠された特長に自分から気づくようになります

。幼児がいろいろやってみようとするのを邪魔し、

安易に教えすぎ、指示しすぎると、自分で発見する力が失われます。)

また、りぼんちゃんの絵は、青いりぼんをしたハムスターですから、

その特徴と「りぼんちゃん」という名前の類似点に気づけたなら、この子がりぼんちゃんと特定することができたはずなのです。

でも、★ちゃんは、UNOのルールを覚えカードを見分けて遊べる能力があるにもかかわらず、
自分で「気づく」力となると極端に弱いことになります。

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この姿から、以前学習を見ていたことがある知的障がいの○ちゃんのことを思い出しました。
その子が虹色教室に来たとき、小学2年生でしたが、

猫と犬の違いがわかりませんでした。検査では知的なレベルは3歳くらいということでしたが、
会話はまあまあできるのに、
知っている動物や物の名前が極端に少なく、

2~3歳児向けの図鑑の絵に載っているものの名前もほとんどわかりませんでした。

○ちゃんは、身体を動かすのを億劫がって、ほとんどの時間、
座ったまま半分眠っているような表情をして過している子でした。
きょうだいや友だちとも遊びらしい遊びはしないものの、
「エンタの神様」というテレビ番組が好きでそのギャグを口真似したり、
可愛らしい女の子に人気のキャラクターの文具が好きでした。

○ちゃんが、たまたま教室にあった「たまごっち」のキャラクターに興味を
しめしたので、この「たまごっち」の名前を覚えることから学習を始めました。


すると、いつもぼんやりしていた○ちゃんが、
熱心にたまごっちのポスターを眺めたり、「これは、めめっち!これは、くちぱっち!」

と指を指して言うようになり、2週間ほどの間に何十ものキャラクターの名前を言えるようになりました。

たまごっちのキャラクターというのは、
いちごのずきんをかぶっているキャラクターは「いちごっち」だったりと……
見た通りそのまんまの名前が多く、
特徴に気づけば名前が浮かんできやすいものです。


それで、しばらくたまごっちの名前を覚えるのに夢中だった○ちゃんは、
分厚い幼児向けの図鑑に載っている物の名前をどんどん覚え始め、

足し算の暗唱、かけ算の暗唱などもかなりできるようになってきたのです。
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同じ知的障がいという診断名がついていて同学年でも、★ちゃんと○ちゃんの
「できること」と「できないこと」は、ずいぶん異なります。


○ちゃんは、概念を理解することは難しくても、
根気よく繰り返しさえすれば、
単純に耳から入ったものを暗記していくことは
できたのです。


世界一周ゲームが気にいって、何度もしていましたが、遊び方の手順は
再現できても、その背後にある意味を察することは困難でした。

一方、★ちゃんは、何度繰り返してもいっこうに覚える気配のないものがたくさんあります。

唖然とするほど、記憶できないのです。

しかし、目に見えるものである限り
「これは難しいのでは?」と思われる概念を
理解して、使うことができるのです。
驚いたのは、「ジョーカーはどの数字としてもオールマイティーに使うことができる」と

いうルールを理解して、自分から様々なゲームのシーンで使うようになったことです。


また、7の指を見て、あといくつで10になるかは、残りの指を数えればいいとわかるのもスムーズだったのです。

ままごとで遊ぶ姿を見ていても、★ちゃんが、なかなか理解力の高い子であるのはわかります。

それに対して、極端に不得意な面があって、
それが学習の進みを妨げているのは確かなのです。
★ちゃんのことを考えていて、○ちゃんの話を取り上げたのは、

○ちゃんは記憶が苦手でなかったとはいえ、小2まではそうではなかったはずなのです。

犬と猫の名前や、バナナやチューリップといった名前すら出てこなかったのですから……。

数ヶ月の間で○ちゃんに記憶力がついてきた理由をつきとめれば、
★ちゃんにも役立つかもしれません。

また、リボンちゃんのリボンの特徴から「リボンちゃん」という名前とつなげられない★ちゃんの現状は、

○ちゃんと同じように好きなキャラクターの載っているポスターなどで、
特徴と名前が近いものをたくさん楽しんで覚えてみること

で改善できるかもしれないのです。

一度で良いから、「好きなものの名前をたくさん覚えてみる」
という体験が、
別の記憶をする際にとても役立ってくるかもしれない……
と感じました。

 

手を見ずに、10の合成のイメージを頭に浮かべることができるように、
私は、折り紙2枚を用意して、★ちゃんの手形をえんぴつでなぞって作りました。

それから、キラキラするアクリルストーン(100円グッズ)を
手形の指に乗せていき、
「いくつ?」「あといくつで10?」とたずねてみました。
これは易しい様子。
その後で、
アクリルスローンを置いたまま、
上から紙をかぶせて見えなくした状態で、
また「今、8個指に乗っているよ、どことどこだろうね。あといくつで10?」とたずねてみました。

するとちゃんと答えが言えるのです。

それこそ、上から紙をかぶせたまま、全く見えないようにして、
中でそっと数を操作したとしても、答えがわかるのです。

この後、私は小皿をふたつ用意して、
★ちゃんに見せないようにして、2個と3個に分けて、
2個の側に布をかぶせておきました。
そして、「あわせて5よ。こっちの隠しているお皿にいくつ入っているでしょう?」とたずねると「2!」と答えられました。

それが★ちゃんは、小皿なしで、「3といくつで5になるでしょう?」といった問題には答えられないのです。

どちらにしても答えは目で見えないはずなのに、どのような
違いがあるのでしょう?
次のような理由が考えられるのではないかと思われました。

★ちゃんは、問題側の3といくつでの「3」をイメージすること自体が難しいか、

その3のイメージを保ったまま、次の数について考えるという同時に2つ作業することが難しかった。
それで、一方だけでも目で見える場合だと後は想像しやすかった。

★ちゃんは、膨大な自分の中の情報から自分に必要なものを検索してくる力に弱さがあり、

目で見える手がかりがないとイメージをすることがとても困難になる。

★ちゃんは、何をイメージすれば問題が解けるのか、目的を達成するために
何が必要か、気づく力に問題がある。だから、皿があることで、
何をイメージすればよいか具体的で、答えが出せた。

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そうしたいくつかの理由が考えられるものの、
今は、目で見ないでも、
10の合成が言えるようになるためのスローステップを作って、
少しでもそこに近づくことが大事なので、
原因について追求することは、いったん脇に置くことにしました。

そして、
「この手形や小皿を目の前に置いた状態で、
問題や答えは、布などで隠して、答えを言い当てる」

という練習をしてきてもらうことにしました。

★ちゃんは、今回、キティーちゃんのご当地トランプカードという
1枚1枚絵柄が違って可愛らしい(★ちゃん好み)トランプで、
「10の合成」のお店屋さんゲームをしました。

とにかく★ちゃんに大ヒットで、何度やっても飽きない様子。

お互いに自分の前に1~9のトランプをバラバラに並べていて、
自分の番のとき、
自分のカードを1枚取り、「これは、3だから、7ください」と
合わせて10になるように、相手のカードを買う(真似)というゲームです。
毎回、かなりヒントはいるものの、
(何度やっても、いっこうに覚える気配はないものの、5と5で10は覚えました)
何度も楽しみながら、いくつといくつで10が耳にできるので、良いゲームです。
★ちゃんは、このカードを嬉々として持って帰りました。

こうした取り組みは、障害の種類によっては、やってもやっても良い結果が出ない場合があることでしょう。
しかし、大きな視野から眺めると持続力がついていたり、考える力がついていたりと、
別の面で非常に伸びてくる場合があるものです。

教える側も、
何かをマスターさせることに躍起にならず、
子どもといっしょに、学んだり遊んだりする過程を楽しむ気持ちが
大切だと思います。


(絵本大好きクラブ)ひとりひとりの子の輝きに気づく時間を 4

2012-05-24 15:48:49 | 子どもの個性と学習タイプ

広々とした空間でみんなでするから楽しい活動というのがあります。

『どっちがすき』という本を見ながら、「広い」「狭い」「はやい」「ゆっくり」「高い」「低い」などを

身体全体で表現する遊びをしました。

写真は「せまい」のために

ざぶとんをしまってあるせまい部屋に入っているシーン。

子どもってこういう場所が本当に大好き。なかなかそこから出たがらない子が続出。

 

この日の『絵本大好きクラブ』に参加してくれた3歳3ヶ月の☆ちゃんのお母さんから

次のようなコメントをいただきました。

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今日はレッスンをありがとうございました。

最近おにいさんが生き物ブームで家にたくさんの昆虫やらザリガニやらオタマジャクシやらがいます。

暑さでしんだオタマジャクシをつまんで片づけたことがあり、それ以来、上のほうで休んでいるオタマジャクシを見つけては捕まえようとするけれども逃げてしまうという事を繰り返しています。(かわいそうだからやめなさいよ、と声かけはしますし、もちろんオタマジャクシは逃げてしまいます。)

今日絵本を作る時に、オタマジャクシ捕まえるところかこうか?というと、教えてもいないのに、とても上手にオタマジャクシを書くのでよく観察してるなあと感心しました。

夜、お兄さんに拡声器の作り方を「鉛筆でぶすっとやって、チョキチョキして銀紙を上からぴったりかぶせるのよ。でテープでぺったんね。」とまるで奈緒美先生?と思わせるような口ぶりで実演していました。

聞いていないようで聞いていて、見ていないようでよく見ていて、いい刺激をいただき参加させていただきましたことを心より感謝しております。

光でピカーッとしたのが楽しかった~と寝る前にぼそっと言っていました。またテレビや影絵でも遊んでみたいと思います。

ありがとうございました。

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☆ちゃん、作り方を全部覚えていたんですね。

レッスンの時、子どもたちにわたしから教わるだけでなく

自分が他の子に教えるという体験ができるようにサポートしています。

☆ちゃんもお兄ちゃんに上手に作り方を教えることができてよかったです。

 

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今回、2歳3ヶ月の★くんも参加していました。

また絵本を最後まで聞いたり工作過程の説明を正しく理解したりすることは

難しかったようですが、

本人なりに他の子らのすることを懸命に真似ていました。

拡声器作りをしている3、4歳の子らの横で、

紙コップの底に何か所も穴を開けて得意満面でした。

 

拡声器作りには穴は1つだけでよかったのですが、

せっかくたくさん穴を開けていますから、

「じょうろになるね」と言って、水道の先に穴空きコップを当てて

水を出してあげると、

水がたくさんの穴からパラパラ落ちてくる様子に大喜びしていました。

 

これまでの記事で何度も書いていますが、子どもってどんなにすばらしいものを大人に見せてもらうよりも、

自分で考えたことが活かされて、周囲に認めてもらった時に幸福そうな表情をするのです。

それは1歳児や2歳児だって同じです。

他人のアイデアより、自分のアイデアが世界一輝いて見えるものなのです。

自分が考えたことが、世界で一番魅力的なのです。

そうして自分で自分に満足するような活動をたくさんした子は、大人の話にも耳を傾けるようになるし、

他の子と協調して活動するようになっていきます。

 

この★くん、少しだけお兄ちゃんやお姉ちゃんの子らがトイレに行くたびに

自分も行きたがってごねていました。

「まだ、あなたはムリムリ」といった赤ちゃん扱いにかなり不満の様子でした。

お兄ちゃんお姉ちゃんのようになりたい、お兄ちゃんお姉ちゃんのすることは

何でもやってみたいという気持ちを大事にしてあげたいですね。

 

 

 

 


手を使って遊ぶ  頭を使って遊ぶ (2,3歳児の遊びへの関わり)

2012-05-24 12:49:18 | レゴ デュプロ ブロック

2歳10ヶ月の★くん、3歳5ヶ月の●くん、3歳8ヶ月の○くんのレッスンより。

3人とも物作りに慣れているので

考える力や集中力がとても高いです。

●くんは「がちゃぽんの作り方」など基本を教えると、

「もっと作る!もっと作る!」といくつも作っていました。

 

そこで基本のがちゃぽんをスターターにして

長い滑り台をすべっていく仕掛けを作りました。

 

●くんは一度何かを学ぶと、完璧にjできるようになるまで

同じ作業を繰り返したがる子です。

技能の上達という点で●くんの性質はとてもすばらしいものです。

 

時折、大人がそうしてできるようになったことを

活用する場面を広げるような働きかけをしてあげると視野が広がっていきます。

 

たとえば先の例のように、作ったものをスターターにして滑り台に取り付けるとか、

工場のベルトコンベアーの一部に使うなど、

できるようになったことをいくつか組み合わせて

より複雑で意味のある活動に組みこんであげることです。

 

2歳10ヶ月の★くんは高い塔を作ること、土台をしっかりさせること、

長い滑り台を作ってトンネルをくぐらせること、滑り台の先を

ふたつの道に分かれさせて、ボールがどちらかに転がる仕組みを作ることなどに

興味がありました。

3歳8ヶ月の○くんは、他の子の作っているものに関心があるし、

わたしが作って見せた傾けるとスタートする仕組みなども

よく理解していたけれど、

普段よりもそわそわと落ち着かない様子で参加していました。

少し前まであれもこれもとにかくやってみたいという構えがあったのですが、

今回のレッスンでは、興味を向ける方向が

意味やエピソードのような頭の中だけで考えをめぐらせたり

想像したりするものに移っているようでした。

科学の箱を開けた時は、ロリポップマシーンで,

作った偽物のキャンディーをくるくる回すのが面白かった模様。

ブロックで遊ぶ際は、ちょっと凝ったスタート部分の仕掛けに惹かれていたようです。

どちらもちょっと凝ったからくりです。

4歳が近づいている○くんには見たらすぐに原理がわかるような単純な仕掛けには

あまり興味がなくなってきたのかもしれません。

 

3歳児さんともなると、遊び相手をするにも

大人は大人でかなり知恵を絞る必要がでてきますね。

 

3歳後半~5歳へ成長していく過程で

手や身体を使ってさまざまなことができるようになってきた後に、

それまでの何かすることへの熱心さが薄れて、

考えたり想像したり推理したりする活動が主となって

ちょっとぼんやりして落ち着かない時期があるな、と感じています。

 

3歳5ヶ月の●くんもレッスン中は「あれも作りたい」「これも作りたい」「こんなこともしてみたい」と

エネルギッシュに作る作業に熱中していましたが、

お家では「鹿はどうしてお昼に出てくるんだろう?」(●くんのお家のそばには山があるそう)

「どうして~なんだろう?」と頭を使った活動にふけることも増えているようです。

 

 

 

手を使った活動の時間と ゆったりと頭を使って過ごす時間の

どちらも大切にしてあげたいですね。 

 

 


(絵本大好きクラブ)ひとりひとりの子の資質の輝きに気づく時間を 3

2012-05-24 09:17:06 | 子どもの個性と学習タイプ
 
 
 
それぞれ自分の好きなものをテーマに絵本を作る時間に
「電車のパンタグラフ
が好きだからそれが作りたい」とはりきっていた3歳10ヶ月の●くん。
ストローで伸縮するパンタグラフを作ったものの
思ったほどポーンと飛び出す仕組みにはならなかったようです。
 
それでも本人はとても満足しているようで、
「ほらほらちゃんと動くよ」と手動で引っぱっていました。
 
この●くん、実は1年半ほど前、わたしで東京で工作のワークショップをした際も
参加してくれていました。
 
懐かしい画像はコチラ↓
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2歳の男の子のパパさんの作品、自動改札は、
集まった子がみんな目を丸くしていました。
とても勉強になる作品でした。

切符を入れると、それがシーソーの仕掛けの上に落ちるので、もう一方の隙間からポンッと切符が飛び出すのです。

また券売機のボタンにプクプクしたビーズが入っていた入れ物を利用していて
本物そっくりにできていました。

「すごいな~面白いな~」と子どもたちは大感動。

写真は、この作品のお家の男の子が実演してくれているところです。
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●くん、現在は自分の考えをはっきりと表現するとてもしっかりしたお兄ちゃんに成長しています。
2歳当時のまだよだれかけをつけている写真かわいいですね。
 
パンタグラフといえば、
マジックハンドもパンタグラフを活用しているのだそうです。
 
教室でこのパンタグラフと同様の仕組みを活用して
お掃除マシーンを作った時の記事を貼っておきますね。
 
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年中の☆くん、年長の●くんのレッスンで、
●くんがおもちゃのペンチを出してきて、
「車の修理工場がやりたい」と言いました。道具がペンチだけでは足りないと言うので、いっしょに道具作りをすることにしました。

ペンチの動きは、はさみなどと同じで、
支点(真ん中の交差しているところ)が、
作用点(はさむ部分)と
力点(手で持つところ)
の間にある
『てこ』の働きを使った道具です。

写真のような『ねじでとめるおもちゃ』で再現して遊びました。
こうしたおもちゃがない方は、
わりばしと輪ゴムで作れますから、あとで紹介しますね。
割り箸で作る場合、
写真のように交差して、輪ゴムでとめるだけでOKです。
はさみのように力点になる2つの棒をにぎると、
作用点にあたる部分で物がはさめます。
割り箸でほうきを作り、
(毛糸やポリひもを先にはりつけたらできあがり)
てこを利用して作った道具に取り付けると、
少し道具を動かすだけで、ほうきが床を掃きます。


読書と対話 うちの子たちとのおしゃべり と 幼い子たちの感性について

2012-05-23 21:10:34 | 日々思うこと 雑感

(スティーブ・ジョブズの話題がテレビでよく取りあげられていた時期の過去記事です)

 

娘と息子に、「お母さんの仕事への熱中ぶりはスティーブ・ジョブズ並み」と笑われた後で、

口をそろえて、「うちには本がたくさんあるからいい」

「うちの本の品ぞろえは最高!図書館よりいいのがある」

「専門的過ぎず、くだけ過ぎてもいない質が良くて読みやすい本って探すの大変だよ。図書館でも」

と褒められました。

主婦業ではダメ出しされっぱなしのわたしですが、

本棚の品ぞろえに関してはわが子から絶賛されております。(この本、ダンナからの苦情のもとでもありますが……)

 

娘はこのところ『これからの「正義」の話をしよう』を繰り返し読んでいる模様。

正義感が強くて、経済に関心が強い娘。

この本は娘が自分で本屋で買ってきた本ですが、

「これから、ずっと傍らに置いておきたいくらい感動したわ」と

深く心に響いているようです。

 

 

息子は先日、仲のいい友だちの家にお邪魔してきて、

「気が合う友だちって意外な共通点があるもんだな」

と感じたそうです。この友だちは医学部を狙っている勉強好きの子です。

「どんな?」とたずねると、「友だちの部屋の本棚にも、うちと同じように

たくさん本があってさ。聞いたら、親から本だけはお金のことを考えずに

買うように言われているんだって。

親からどういうこと言われてるかってとこまで似てたりするんだなって思ったよ。

いろんな種類の本があって、哲学の本なんかも置いてたよ」と言っていました。

 

受験中でうろうろできないために内面と向き合う時間が長いためか、

人工知能の研究に興味を持っているため、それに関連する哲学の話題に惹かれるのか、

このところの息子の読書のブームは哲学関連の本です。

 

先日も、勉強の合間に『ハイデガー』について書かれて

いる本の一節とひとつの言葉にえらく感動していました。

よく聞いてみると、わたしも1ヶ月ほど前にその部分と、その言葉に

強く惹きつけられたのでした。

といっても、その文や言葉からイメージしたことは、

お互いかけ離れたものですが。

 

夕食後、のんびり本を読んでいた息子が、本から顔を上げて、

ブログを更新中のわたしに声をかけてきました。

「思考の祝祭って面白い言葉だね。

ハイデガーが円環の道って呼んでるどうどうめぐりし続ける論法を、

重要視した気持ちがわかるよ」

思考の祝祭というのは、説明すると長くなるのですが、

次のようなことです。

 

ハイデガーが考えた問題、

「芸術の本質はなにか」という問いを立てれば、

それを考えるために真の芸術作品を見なければならず、

ある作品が真の芸術作品かを決めるためには、

「芸術の本質がなにか」がわかってなくてはならない……

 

といった議論の循環論的構造、

つまりめぐりめぐってスタート地点に戻るような構造から

抜け出るのではなく、

この無駄な思考の運動に飛び込んでいき

「この道にとどまりつづけること」です。

 

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「思考の祝祭」とは、デュオニスの祭りのように、狂ったように

歌い踊るうちに、次第に陶酔が起こり、この陶酔のなかで

新たな知恵が開けるような状態を言います。

       ( 『ハイデガー  存在の謎について考える』 北川東子  NHK出版より)

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母 「思考の祝祭? あ~、お母さんもその部分、そこは、そうそうそう~ってうなずいたわ。

お母さんさ、前から、うまく言葉にできない解決不能の問題をもんもんと考え続けていて、

わからないまま問題の周りをぐるぐるめぐっている鬱々した状態が好きでもあるのよね。

前にブログでそんな暗い記事も書いた覚えがあるわ。

 

どうしてと問われてもうまく言えなかったけど、

その本で思考の祝祭という言葉にぶつかって、妙に納得したのよ。

そういえば、工作イベントでも、あまりに計画的にして参加者の親の満足度を上げることに

興味がないのは、そこにもあるんだけど。

もんもんとした先が見えないカオスで不安定な状態のどうどうめぐりは、

そこからそれまで存在しなかった新しい価値が生まれてくるのを

待っている状態でもあるから。

子どもたちに物事の表面的な部分だけ、マニュアルにそうような経験はさせたくないのよ。

何かにどっぷり投げ込まれて、そこでもがいて、足踏みしながら、ゼロの状態に誘われて

自分の内部から価値のあるものを引き出すような心を体験してほしいの」

 

息子 「そう、この思考の祝祭ってさ、教育の世界でも……というか、

人間が成長するときに必ずっていっていいほど起こることでもあるよね。

知能の発達の性質上、こうした循環の構造に飛び込んでいって

とどまることって必須なのかもな。

根本的な問題を考えていこうとしたら、常に疑う心を手放せないし、

合理的に効率的に同じテンポで理解を進めていくのなんて不可能だからね」

息子 「これ読んでて思ったんだけど、哲学書を読むのってさ、会話なんだな。

ほら、哲学は理論を学ぶってものでもないし、

技術を身につけるものでもない。文学でも数学でもないからさ。」

 

母 「ソクラテスも対話のような議論で、哲学的な考えを深めてったし、

哲学の世界って対話していくイメージに近いのかな……?」

 

息子 「ん~そうだな。

哲学は具体的な形があるものでも、証明できる正解があるものでもないし

要は人間が作りだしたイメージと言えるんだろうけど、

学ぶための知識の集大成というより、

会話やコミュニケーション……というか、

 

……時間軸を超えた形の高次元のコミュニケーション……

といった捉えた方が

あっている気がするんだ。

 

あくまでもぼくにとって、だけど。

それと、コミュニケーションというのをかなり広義に解釈した場合なんだけどさ。

 

たとえば、ハイデガーの本にしても、読み始めたとたん

存在の謎について問いを投げかけてきて……

すると、読んでいる側は、ただ文字を追うんじゃなくて、

その答えを自分の頭の中で見つけ出そうとするじゃん……

そうしたら、本もいろいろと答えを模索しながら、

次の問いをこちらに出してくる。

哲学の本を読んでいると、ただ読んでいるという気がしなくて、

やっぱり会話なんだな」

 

母 「あ~、そういえばそうね」

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久しぶりにツタヤに行って、何本かDVDを借りてきました。

そのうち、

 

マイマイ新子と千年の魔法

は、小学生が主人公のアニメ映画ということもあって、最初はわたしひとりで見ていました。

 

日々の忙しさで、児童文学を書いていきたい自分の夢をついつい後回しにしがちなので、

自分の夢とどこかで触れていたい気もちでこんなDVDを借りてきたのです。

すると、思いもかけなかったほどいい映画でした。

バイトが休みでくつろいでいた娘はわたしの大絶賛ぶりを耳にして、「わたしも見たいわ」と言いだしました。

そこで、娘とふたりで再び『マイマイ新子と千年の魔法』を視聴。

 

この映画、出だしがちょっともたもたしたところがあってストーリーに入っていきにくいのです。

でも転校生が学校に現あらわれたあたりからは、ぐいぐい引き込まれて、

目が離せなくなる面白さなのです。

それで、「最初の5分、10分は、どうかなっと思っても見ていて!きっと面白くなってくるから」

と念を押してからDVDをスタート。

ストーリーが中盤にさしかかるころには、娘も夢中になって見ていました。

 

見終わった娘は、「よかったわ~面白かったわ~」と感激した様子でつぶやいてから、

「この映画のストーリー、まるでお母さんが書いたみたい!

どこをとっても、お母さんそのものじゃない!!こんな映画がよくあったね~。

この映画に出てくる遊びって、わたしが幼児や小学生だったころ、

一通りやったことがあるものばかりよね。お母さんがやらせてくれる遊びって

ほんと、こういうんだったわ。

わたしが小さかった頃には、まだ、こんな風に思いっきり楽しさを満喫できることが

たっぷりあったけど、最近の幼児や小学生は、マクドナルド行ったり、習い事をはしごしたり、

忙しくって、この映画にあるような心から楽しめる遊びというか、一生、記憶に刻まれるような

遊びってしたことあるのかな?」

翌日、夕食時にこのDVDを見た息子も、見るやいなや「お母さんの世界観やなぁ」とひとこと。

 

子どもが幼い頃は、親の側から「この子はどんな子かな?」とわが子を眺めるものですが、

大きくなってくると、子どもの側に、「お母さんってこんな人やなぁ」と眺められています。

 

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前回の息子とのおしゃべりの続きです♪

 

哲学書を読むのって自分にとっては会話のようなもの……

言う息子に、わたしはその前日のネット上の

読書会で話題になっていた次のようなネタについて話をしました。

 

このネットの読書会、視覚優位派と聴覚優位派というか、

「同時処理」派と「継次処理」派というか、

 

物を見るとき、「まるっと」全体を捉えてから考え始めるタイプと、

順を追って、ひとつひとつ分析にながら考えていく派の2派に分かれていて、

 

会話を交わすごとに、お互いの得意不得意や考え方のちがいに驚くことが

多々あるのです。

わたしは、何でも、まず「まるっと」全体をつかんでから、

言葉で考えるより、映像で考えていく「同時処理」派です。

 

読書会でこの話題が出たとき、ひとりの「まるっと」派の方が、

「三党合意という言葉を聞いた時に何を思い浮かべますか?」と質問なさいました。

すると、「継次処理」派というか、言語を操るのが上手で、聴覚的な記憶力が優れている方は、

「映像はなしか、三つの丸のようなものが、ぼんやり」とおっしゃいました。

 

最初に質問した「まるっと」派の方は、

民主党や自民党っぽい代表が金屏風の前でがっちり握手して、カメラに向かって笑顔。

シルクのネクタイの感じ、脂ぎった額…そんな現実的な映像が浮かぶとおっしゃっていました。

その方の芸術関係のお仕事をなさっているご主人の場合、同じ映像でも、

もっと抽象的なメタファーで再構築されていて、三党ごとに色がついていて、

色の混ざり具合で「合意っぷり」を表現しているといった

半透明のアクリル板のようなイメージだったそうなのです。

 

同じように映像をイメージするといっても人それぞれ。

わたしの場合、「三党合意」という政治風の言葉に脳が反応したのか、たちまち

新聞の風刺漫画のような動物たちが、動物村で繰り広げるドタバタ

政治ストーリーが浮かびました。

 

ひとつの言葉を聞いて、どんなイメージが浮かぶかやってみる……というのは、これまで

したことがなかったので、たったひとつの言語を聞いただけで、

勝手にストーリーまで思い浮かべている自分にびっくり。

 

それと同時に、

「そういえば、小学校の頃、先生がひとことしゃべるたびに、

即座に、想像の世界に引き込まれちゃって聞いてなかったな~」とか、

「そういえば、本を読んでいるときも、活字に反応して、

どんどんストーリーを膨らませてしまいがちだな~」なんてことが、次々思いあたりました。

 

そこで、ふっと妙なことをひらめいて、こんなことをスカイプに書きこみました。

「Aさんの話でいろんな発見がありました。
ずっと不思議に感じていたことがあったんです。
視覚優位の人の不思議というか。
視覚優位の人のなかで、わたしと似た感覚の人の不思議なんでしょうけど。
視覚に関しては、直に触れる印象があるので、
目の前の現実をありのままに素直に見ることは簡単なんですよね。


でも、聴覚的な刺激に関しては、目で読む言語にしても、耳にしたとたん(目にしたとたん)
自分の視覚情報とイリュージョンで
加工してしまって……

ちょうど聴覚優位の方が目の前の現実を見るときに言語で加工して

素直に目の前のものを観察しにくいのと同じように、

自分の視覚映像を通して事実を考えようとしたり、それを勝手にストーリーに乗せようとしたりしていました」

それこそ、わたしが子どもの頃から抱えている困り感の最大要因のようなもので、

とにかくぼけ~っとして他人の話を聞けなかったのも、

連絡事項もたちまち忘れて叱られていたのも、まさに

これが原因なのです。

でも、わたしと同じ「まるっと」派のAさんは、

「奈緒美先生は本を読んで知識を得たとしても、

再加工するので、あらゆるお子さんに対応できるのではないでしょうか。

自慢じゃないですが、奈緒美先生のすごいところは正にそこだ!と思っていました。(笑)」と

言ってくださいました。

そういえば、どんな硬い文章を読んでも、瞬時に

笑いあり、ドラマありの映像に変換してしまうところは、

勉強には不向きだけど、使いようによっちゃ役に立ってるんですよね。

 

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そんな話を息子に長々とした後で、

「★が、哲学書を読むのは会話だって感じるのは、

★も、本を正しく理解するというより、読みながら

創造するというか、文字を見ると同時に再加工する習慣があるからじゃないの?」とたずねました。

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息子 「確かに、本を読んでるんじゃないな。

全ての文からまんべいなく、ひたすら情報を集めて分析していくことが

読むことだとしたら。

哲学書にしても、文を読んでいるというより、本の内容は、

自分で考えていく上での道筋やひとつの歩きやすい方法を示してくれるものに

過ぎなくて、

再加工って言うんだろうか、

自分の考えを組み立てていく作業がひたすら歩いていくことだとしたら、

本の内容は読んでいる最中にも、背景のようなものでしかないよ。

もちろん、書いてあることをできるだけ正確に読み取ろうとは思っているけどね」

 

その答えを聞いて、

文を「背景」という映像的なイメージで捉えているあたり、

息子も「映像で物を考えていく」派や「まるっと」派の一員だな~としみじみ感じました。

 

息子 「今の時代は、まるで夢のようなコミュニケーションを実現するツールが次々と

作られているよね。数年前には不可能だと思われていたようなやりとりが

簡単にできてしまう。

でも、そこでできがっていくつながりや相互交流を見ていると、

コミュニケーションという面で、それらがきちんと機能しているようには見えないよ。

もったいない使われ方をしているというか、どこか中途半端だよね。

 

ぼくが将来作りたいと思っているもののひとつは、学問をリアルな形式で表現したものだけど、

学問そのものを表現するというより、

学問のためのツールに近いイメージなんだ。

学問に触れる方法が言語という枠に縛られているのが、

気にいらないってのもあるし、

学問の世界には、触れて触って、勉強を楽しさだけを

探索していくツールも必要だと思うからね。

 

何かに魅力的なものにするには、シンプルな芸術性とか人間の衝動のようなものを

抜きにして考えちゃいけないと思うよ。

 

学問にしたって、理詰めで理解するのも大事だけど、

音楽のように感性で味わう経験も必要だからね。

それを好きになっていく過程では。

そう考えていくと、勉強にしても、会話であってコミュニケーションなんだ」

 

それを聞いた瞬間、そういえば……昔、同じような言葉を目にしたような……という考えが

ふっと浮かびました。

考えてみると、息子が中学に入学したての時に学校で国語の時間か何かで

書いてきた作文が、よく似た言葉で締めくくられていたのでした。

「ぼくも作文という形で会話を書いた。そしてこれを読んで会話が成立するのを心待ちにしている。」

という一文。

創造的で生産的な何かを生み出す会話って?3

に載せていました。

まだ小学校を卒業したばかりであどけない顔をしていた当時にも、

今と同じようなことを考えていたなんて、人間、中身は変わらないもの……。

そうした思いつきが、枝葉を広げて、将来の夢へと育ってきているというのは

うれしい気がします。

 

教室の幼児さんたちにしても、小さくてもひとりひとりが、

自分の芯の部分から生じてくるテーマのようなものを抱いて生活しています。

その子の感性を大人の過干渉で鈍らせてはいけないな~と再度実感しました。

 


(絵本大好きクラブ)ひとりひとりの子の資質の輝きに気づく時間を 2

2012-05-23 19:24:03 | 子どもの個性と学習タイプ

 

3歳の☆ちゃんも○ちゃんも何に対しても積極的で

絵本を聞くのも、クイズに答えるのも、工作するのも心から楽しんでいました。

☆ちゃんは新規のグループレッスンにも参加してくれている子です。前回、作ったプッシュライトを使って

映像を映した工作が印象に残っていたらしく

影絵の絵本に強い関心をしめしたり、工作に科学的な要素を取り入れることに興味をしめしていました。

 

また想像力豊かで理解力が高い長所が、

お話しの世界に深く感動した後で、それを物作りにつなげたり、自分の言葉で表現したりする活動へと

自然に発展していました。

見聞きする本の世界と実際、身体で働きかけていく現実の世界を

上手に行き来して遊べるようになってきています。

 

今回、初めて参加した3歳の女の子は好奇心旺盛で積極的で人と関わる力が高い子でした。

お話や物作りも大好きで、

「電車のマイクの作り方を習いたい人はいますか?」「船を作りたい人はいますか?」

とたずねると、「はい、はい」と一番に手を挙げて

自分ひとりでわたしの横にちょこんと座って工作に励んでいました。

見立て遊びは「上手」というレベルを超えて、

子役のような演技力で、手作りの虫めがねを覗きながら

おそるおそるかたつむりをつかまえるシーンなどを演じてくれました。

表現する力がとても高い子なので、

学習にも演劇の要素を盛り込むとこの子らしさが活かせるのかもしれないと感じました。

たとえば、算数を学ぶ時も、劇中で演じながら、

増えたり減ったりする数を扱った物語を理解するのです。

この○ちゃん、わたしの横でダイナミックな作りっぷりで船を作っていたのですが、

2歳3ヶ月の★くんがそこに参入すると、★くんの分もテープを切っては

「ハイ」と渡してあげていました。

★くんにしても、お母さんのそばにいる時は、自由奔放に赤ちゃんぽく振舞っているのに、

ひとりで○ちゃんの近くで工作をしている時には、

相手の出方を読みながら、真剣な表情でコップにテープを貼っていました。

 

 

 

 


『世界一おいしい火山の本』で火山のめぐみ実験

2012-05-23 19:08:15 | 理科 科学クラブ

『世界一おいしい火山の本』(林 信太郎  小峰書店)で火山のめぐみ実験。

 

火山がたくさんの水をためこんで、ダムの役割を果たすことを

スポンジケーキで実験しています。

 

この『世界一おいしい火山の本』には

牛乳による火砕流実験やら、コンデスミルクでするカルデラ実験やら

マヨネーズでする溶岩ドーム実験やらソースを使った溶岩実験など

火山の仕組みを学ぶための実験を身近にあるものでする方法を

たくさん紹介してくれています。

 

今回の実験、実験後の牛乳のしみ込んだカステラは子どもたちと分けて食べましたよ。