発達障がいがあるけれど学校の成績は良い子の注意点と伸ばし方 2
の記事に次のような質問をいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
はじめまして。
発達障害のお子さんに関わる仕事をしている者です。いつも他ではなかなか手には入らない話を書いてくださるので、楽しみに読んでいます。
難しい課題を避けたり、うまくいかないと怒って物にあたったり、すねたりして表現してくる子、特に高機能の子たちを見て、一人でがんばって考えて、でもうまくできないときは、おしえて、と言ったり助けを求める力をつけさせていく必要があると思ってきたのですが、
今回の記事を読んで、教わることが苦手な子に助けを求める力をつけて、教わる状況を作っても、あまり意味はないのか?もしくはそれはこちらの勝手なのか?と思ってきました…。
先生のご意見、聞かせていただけるとうれしいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コメントをいただきありがとうございます。
その子の能力や対人関係でのこだわり具合や教える内容によっては
「教えて」と助けを求める力をつけてあげることが必要な場合もあると思います。
ただ難しい課題を避けたり、うまくいかないと怒って物にあたったり、すねたりして表現してくる高機能の子たちに
安易に「教えて」と助けを求める術を教えると、
また新しい別の困り感を増やす原因になるかもしれません。
教えてもらうということは、「相手の説明を手がかりにして自分で理解することだ」という暗黙の了解がわからなくて、
「教えて」という言葉が、
まるで自分で考えなくてはなくてはならない不快な問題にぶつかった時に
それを瞬時に他人の力で取り除いてもらうスイッチボタンのようなものと捉えるのもそのひとつです。
相手の説明を理解するのではなくて、
相手に答えを言ってもらって、そのままそれをコピーして答えを書いていこう、
という態度が身に着くことがあるのです。
また、「教えて」「教えて」という連呼が、「教わりたい」という気持ちから発せられるのではなく
問題がわからない緊張感や
どのように会話をつなげたらいいのかわからない不安感を、自分は何も考えなくても、
「教えて」「教えて」と頼んで、相手側にしゃべり続けさせておくと
まぎらわすことができるのを体感して、
ちょっとしたこだわり行動になってしまうことも考えられます。
「教えて」と助けを求めることを教える時、
誰に何をどれくらいたずねたらいいのかや
「教えて」とたずねる側には、相手の言葉を理解しようとする責任が伴うことを
同時に理解させていくことは難しいです。
わたしはパート先などで、こんな困り感を抱えた方に会ったことが幾度かあります。
「教えて」と言いさえすれば、相手は自分に教える義務がある、自分は教えてもらう権利を得る、と捉えて「教えて」病のようになった方が、
「教えてもらいたい内容」もないのに
上司や同僚に向かって、相手の言葉尻を捉えては「教えて」「教えて」と繰り返していました。
またボランティア先では、寂しい時やかまってほしい時に、教えてほしいこともないのに
「教えて、教えて」と連呼して、結果的に相手からうっとうしがられてしまい、ひとりぼっちになって傷ついている
学生に会ったこともあります。
それならば「わからない」「わからない」とかんしゃくを起こすような子にどのような対応をすればいいのかというと、
まず、高ぶっている気持ちを落ち着かせる方法を子どもと見つけていく必要があるのでしょう。
またその子がどのような筋道で理解に至るのか、
その子にとって理解しやすい方法を探る必要があるかもしれません。
言葉で伝えただけではわかりづらく
物を手で操作してみてはじめてわかる子もいるはずです。
ワーキングメモリーの弱さを助けてくれる小道具があると
安心して考えられる子もいるかもしれません。
「どこがわからないのか」「何がわからないのか」が絞れない子には、
重要部に線を引いたり、不必要な情報を見えなくしたりすることで
自分で考えようという気持ちになるかもしれません。
全部教えてもらうよりも、ちょっとした誘導やヒントが必要なのかもしれません。
それでは高機能の子へのヒントではないのですが、
教える際に、
その子のわからない部分とどのような教え方ならわかるのかを見極めて、
本人が自分で理解していける筋道を見つけたり、
教える時の指針にする方法について説明しますね。
写真は知的障がいの子とお金と3ケタまでの数について学んでいるところです。
100円ショップで買ってきたキッチン用の敷物を10×10のサイズにカットして
100を体感してもらうのに使っています。
500円玉、100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉を用意して、
シートを見ながら、下にお金を置いていってもらう課題をしています。
写真でしたら、100円玉2つと10円6個を置いていくと正解です。
最初に「1,2,3,4,5、~10でしょ。10、20、30~」とシートの玉を指でなぞりながら、
手と目で100を確認した上でお金を選びだしたので、100円を選ぶことは
スムーズにできました。
が、60のシートを見て、
玉を2個ずつ押さえながら、実際に数の確認とは関係ない儀式的な動作をした後で、
500円玉を選んでその下に置きました。
まず、ここでこの子のわからないのは、
「たくさんある時の数の数え方」ですよね。
こういう時に「わからないわからない」と子どもが言い出したからといって、
「教えて」と助けを求めることを教えてしまうと、
数え方が間違っているのに
本人は、お金の中からどれを選べばいいかだけ教わればいいと感じていまうかもしれません。
そこで、「玉をいっしょに数えてみること」や「一列が10である時、それが6列ある時は、10、20、30~」と数えていけること」などを
復習しました。
この子は、「100円が2個の時200円と習って、それなら3つならどうかな?」といった問いに
長い間、「6?」「19?」といったでたらめな答えをどんどん言う状態から、
ようやく、規則性に気づいて「300円」と答えることができるようになっています。
また以前は、一度間違えた答えを言うと、
調子ずいたように、全くその場とは関係ない答えを次々言い続ける姿があったのですが、
最近になって、間違えた後で、少し落ち着いて、正しい答えを選びなおす、ということができるようにも
なっています。
最初の答えこそとんでもないこじつけが多いのですが、間違えた後では、同じ間違えるにしても
答えに近い間違い方をするようになってきています。
「間違えたか」「正しいか」だけでなく、
こうした
間違えた後の態度の成長や
間違いの度合い(正しい答えに近い間違いかどうか)なども
注意深く見ていて、その子に何をどれくらい教えればいいのか、
調整していくことが大事と思っています。
でもそこで「教えて」と言うことを
先にやらせてしまうと、子どもは考えることを相手に丸投げして依存してくるかもしれませんよね。
ですから、教えているんですけれども、本人は自分で考えていると思うくらいか、
教えてもらううちにいつのまにか自分でできるようになっていた、というくらいの
一時的な補助輪の役割の教え方が大事かと思っています。
この後、この子は自分から10円玉を触りだし、でも結局、1円玉や100円玉などを
60円のシートの前に置いていました。
わたしはこういうシーンを目にした時は、本人の中であやふやながら
正解に近付いた点を強調して、
勇気づけながら自分で正しさに気づくのを支えるようにしています。
どういうことかというと、
最終的に間違ったからと言って、「ちがうよ」と言って、
本人の自信を揺らがせるのではなく、
間違った事実には触れず、
「さっき、自分で10円を触ってたよね。いいところに気付いたね。
先生は教えないのに自分でわかってたよ。
ほら、もう一回、数えてみると、10、20~60だよね」と確認する作業は見せて、
もし本人に少しでも動きがあればそれ以上は何も教えません。
この子も、「あっそうだ、わかった!」と自分の力で10円6枚を選びだして、
並べてみて、先に置いたものといっしょに「260円」と告げてうれしそうでした。