虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

親がこんな力を身につけると子どもは伸びる

2012-10-19 09:18:48 | 初めてお越しの方

「頭ではわかったつもりになっても、
いざわが子に何かを教えようとすると
うまくいきません」
「同じことをしても、うちの子は
ブログの記事で紹介されている子のような反応をしません」という
声をいただくことがあります。

それで、直接、親御さんに会って、
どのように子どもに接しているのか見ていると、
いくつかの大きな問題に気づくことがあります。

ひとことでいうと、親御さんの、
『シナリオ力』(論理力の1つ)という「相手のことを知るための力が弱い」ため、
(弱いというより、そうした能力を、
自分の中に育てようと考えたことがないために)
子どもがだらだら~いやいや~うろうろ~とする
態度になっていることがよくあるのです。

子どもの無気力、無関心の原因が自分だなんていやですよね。

でも、考えてもみてください。
妙な例えですが……
私たちだって
自分が欲しくないものばかり、しつこく勧めてくるお舅さんとか、
自分の関心のないことばかり話し続ける姑さんとかと
四六時中過していたら、
意欲的に集中して、お舅さんや姑さんの話を聞こうなんて気持ちが
失われてきますよね。


『コミュニケーションのノウハウ・ドゥ・ハウ』  野口吉昭編 HRインスティチュート著  PHP出版

という著書によると、
この『シナリオ力』とは、

情報収集力  (相手の関心を引きつける情報を集める)

ビジョン共有力(相手のベクトルやゴールを共有する)

提案力 (相手の真の課題解決につながる提案をする)

という3つの能力です。

多くの親御さんが、相手ではなく、市場の情報を集めて、
(教材や習い事の情報を集めて)どちらがお得か見比べて、
判断する力は、
これまでの人生で磨いてきているのです。
でも、そうやっていったん集めて、選んで、決めたら、外注~
というパターンに慣れすぎて、
子どもという人間を相手にする場合、
自分自身、どのような能力を伸ばせばよいのか、ピンとこない
のかもしれません。

シナリオ力の3つに

『伝える力』(対話力の1つ)の

わかりやすい表現力

メッセージ力

パワースピーチ力

が加わると、次なる活動が生まれるとされています。
つまり、子どもがやる気を抱いて成長していく可能性が大きいのです。

有名な名コーチやカリスマ先生がいる習い事は、
後で紹介した『伝える力』(わかりやすい表現力・メッセージ力・パワースピーチ力)
はすばらしいノウハウを持っている可能性があります。

でも、個人的なその子の個性にフォーカスして
教室運営はできませんから、
基本的に『シナリオ力』はないものなのです。
だから、子どもの関心やビジョンや好むやり方などにピッタリ合えばいいですけど、そうでない場合のが多いのです。
それか、ある一時期は、ピッタリ合っていても、子どもの知能の成長とともに
飽きて嫌になる可能性も高いのです。

そうしたことを考えても、やっぱり、子どものやる気や伸びへの
家庭や親の影響力は
大きいですよね。
家庭が、教育の土台を作る場となるように、
親も少しずつ学んでいく~というのが、とっても大切なこと
と思っています。

過去記事でこんなことを書いたことがあります。
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子どもの自然な知力の発達を見守りながら、
新しい「おわん」を作っては、どこでも、ポタンポタン水がたまり続けている
状態にすることが
親のちょうど良い教え方だと考えています。

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実は、子どもだけではなくて、親にしても、
「こういう力が大事なんだ~」
「こういう部分を伸ばさなくては~」と目的をはっきりさせて、
おわんをつくって、それからポタンポタンと能力を溜めていく
というのがとても大切だと思っています。

親って、『フランチャイズ店の店員』の感性じゃいけないと
思うんですよ。

「最初にマニュアルを自分にインプットしたら、その後は、
それを繰り返すだけでOK」という捉え方です。

そうじゃなくて、『レストランの一流コック』のように、日々、自分を磨いて
成長していくような本当の意味での自分の成長が求められる
仕事なのでしょうね。

それは世間的に見て、
すばらしい親になるという意味ではなくて、

子育てという体験を通して、
「自分の中に新しい大切な力を育んでいこう」
「目の前の出来事ひとつひとつから、学んでいこう」
という柔軟な姿勢で、過していくということです。

「○○法」信者になって、
自分のやりたい育児法、教育法を突っ走っていくことや、
自分が夢見るゴールに子どもの手を握って、駆けて行くことではない
はずです。
努力は自分がするなら美しいものでも、
それを幼児という自分ではない存在に無理強いするなら、
支配やコントロールという醜さ以外の何ものでもありません。

「目の前の子どもを深く知る」
「子どもが自分を作り上げていく姿を、一歩下がって見守る」
「子どもが悩んでいるポイントに気づき、的をついた提案をする」

といった
相手を知る力『シナリオ力』を使って子どもと関わっていく技術は、
自分のやりたいことを子どもに投影する前に
学ぶ必要がありますね。

もし、相手の気持ちを察するのが極端に苦手で、
自分の子がどういう子か、何を望んでいるのか、何に関心があるのか、どんなとき喜ぶのか、どんな場合、意欲的か、どんなとき飽きてしまうのかといった詳細が、毎日いっしょにいても少しもわからない~という場合、

学習についてだけ「わからせたい!理解させたい!上手に教えたい!」と対話する力ばかりを
伸ばすのはどうなのでしょう?

親と子が同じ立場や視点に立っておらず、
お互いのビジョンが大きくずれていると、
親が熱心になればなるほど、子どもはやる気を失っていくという結果に
つながるかもしれません。

もちろん、「最初から、そういう能力がいる!」というわけではありません。

子育てにこういう力が必要なんだな~と気づくことで、
おわんができて、
それから子どもと過しながら、少しずつ学び続けることで、
ポタポタ~おわんに水が溜まるように
親の能力もアップしていくのだと思います。

大事なものは何か、気づいてさえいれば、
歩みがどれほどゆっくりでも、
必ず大成功が約束されているのではないでしょうか。
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算数が得意な年長の★くんが、
去年に続いて夏の算数クラブに参加してくれました。
★くんは、去年は将棋に、今年はボーリングに夢中になっている男の子。

★くんは、好きな将棋やボーリング以外では、
何をするにもやる気がなさそうに
むすっとした態度で「そんなの知ってるし」といって、だらだらする態度が目立ちました。
他の子が、「やりたい!」「私!私!」と手をあげるときも、
「どうせ~なんでしょ」と気のない態度。

そこで、お母さんたちに席をはずしていただいている間に、
「そんなの知っている、つまらないと思うのは、
知っていると思いこんでいるものに隠れているすごいものを、見つけようとしないからよ。それができるようになれば何だって面白いの!」とビシッと告げて、
少し難しい課題をいろいろ与えました。

すると、この子にちょうどいい頭を絞らなくてはならない課題や、
うまくいかなくて四苦八苦する場面にぶつかると、
だんだんと、
笑顔と真剣な表情が浮かんできて、
友だちと協力しあっていきいきと過ごすことができました。

先取り学習といっても、単に暗記しながら先に進んでいくばかりだと、
大人から与えられる課題は、簡単すぎて面白くなかった~
という思い込みにつながる場合があります。

ある程度、力のある子には、
知っている知識も、他の視点から眺めたり、
工作などに生かす新発見を見出したり、より深く考えていく方法を教えていってあげないと、勉強をバカにするようになってしまいます。

帰り際に、親御さんにそのことを伝えていると、
「九九を今から教えるべきでしょうか?」という相談をお受けしました。

★くんタイプの子は
ただ九九を暗唱させる、九九のワークをさせるという
先取り学習をさせるだけでは、
学校で学ぶ際に「そんなの知ってるし~」とだらけた態度を作ってしまうことは目に見えています。

九九をさせるなら、覚えた九九を活用して、
算数パズルを解いたり、
ゲームをしたり、九九によって、算数の概念の理解を広げて、
最小公倍数、最大公約数、鶴亀算数、割算などの問題を考えることを
楽しむなどしないと、
ただ暗記するだけでは★くんの性質なら飽きがくるだろうと思われました。

そうしたときに、
大事なのは、親御さんが、

★くんはどんなとき、いきいきしているのか、

どれくらいのレベルの問題を、どのくらいの量解くのが楽しいのか、

だんだん自立させていくには、親がどこで手を引いていけばいいのか、

★くんの能力がしっかり生かせる勉強以外の活動はないか

といったことを、★くんの姿から受信していく
★くんとの会話から学んでいく

ことなのです。
九九を覚えさせたら良いということにだけ
気持ちがいっていると、
せっかく知的能力の高い子を勉強嫌いにしてしまう
かもしれません。

それと、知力体力がしっかりさんタイプの子には、
機嫌を取るような態度で接するのでなく、
子どもの集団でのリーダー役をまかせたり、家の手伝いをさせたり、
自然でのキャンプを体験させたりして、
精神的な成長をうながす必要があると感じました。
でないと、おませ なのがアダになって、
生意気でダラダラした態度を身に付けてしまいがちだからです。

子育て本で、「子どもを受容して」とあると、とにかく
可愛がってしまう方もいるのですが、
子育て方針は、
子どもの性質や能力、態度などを見ながら、
常に微調節していくことが大事です。

つまり、最初に親のマニュアルを覚えて、それを繰り返すだけでは、
個性にも成長にも対応できないのです。

あれもこれも~と考えるとパニックになってしまいますから、
ひとつずつ少しずつ、子どもとのいい関係を作っていけたら
いいですよね。
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話が少しそれますが、
今、子どもが、経済的な儲けの対象になっていますから、

「子どもというのは、競争心があるものだから、
そうした性質を利用して
頑張る子を作りましょう!」

と、まるで動物の調教師を目指すような感性で、
親を煽る方々もいます。

子どもをコントロールしたり、自分の指定するゴールに向かわせるために、
「子どもの性質や関心を知って」利用するってどうなんでしょう?
私はそういうの気分が悪いです~

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「教えすぎ」「構いすぎ」が人を潰す わが子に、社会で生き抜く真の力を持せたいなら、親は「育てない」を肝に銘じろ!
と言う「伝説の雀鬼」と呼ばれた桜井章一氏が、
『「育てない」から上手くいく』桜井章一著 講談社刊の中で
次のように語っています。
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大人が大事とする考えを一方的に押し付けるのではなく、
大事な考えや教えを間に挟んで大人と子どもが関係を絶え間なく調整しながら
五分五分のつきあいをする。
それが教育のあるべき姿ではないでしょうか。 
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この五分五分の関係……を保つために、
子どもをよく知ること、子どもの思いをしっかり受信すること、
少しずつ手を放して、自分で歩み出すのを見守ることが大事なのですね。

ブロック講座(幼稚園児、小学生)の追加募集です。

2012-10-19 09:04:07 | レゴ デュプロ ブロック

ブロック講座(幼稚園児、小学生)の追加募集です。

 

昨日までに追加の募集日を発表する予定だったのですが、

空き時間を確保するのに手間取って、発表が一日遅れになってしまいました。

待っていた方々、申し訳ありません。

 

追加の募集です。

12月21日 (金)2時~4時

12月22日(土)10時~12時

12月23日(日)10時~12時

12月25日(火)2時~4時

12月26日(水)2時~4時

12月28日(金)2時~4時

12月29日(土)10時~12時

12月30日(日)10時~12時

1月4日(金)2時~4時

1月5日(土)2時~4時

1月6日(日)2時~4時

1月7日(月)2時~4時

 

となります。

抽選で漏れた方々で、希望の日時がありましたら

お子さんの性別と年齢を書いて申し込んでくださいね。

 

 


ハムスター学園

2012-10-18 19:06:56 | レゴ デュプロ ブロック

気温の変化や運動会等の行事疲れか、

めずらしく落ち着きがなくて、ぐずぐずごねていた小2の★ちゃん。

勉強を済ませた後で、「何で遊んだらいいかわからない、つまらない」と言いかけて、

「あっ、そうだ。ハムスターで遊ぼ」と、

ハムスターを並べ始めました。

そうするうちに、どんどん気持ちが癒されきた様子。

いつの間にか、普段の快活でねばり強い気質の★ちゃんに戻っていました。

大量のハムスターを整列させて、「男の子の学校の体育の授業」

とのこと。

校庭らしく見えるように校舎と朝礼台をブロックで作りました。

帰る時間まで後5、6分……という段になって、

「あんな校舎(はりぼてですから)入れないから、ちゃんと授業ができる校舎が作りたい」と言い出し、

お友だちに手伝ってもらって大慌てで校舎を作っていた★ちゃん。

見ると、屋根までつけています。

残念ながらここで時間切れ。

いさぎよく一気に崩して片付けていました。

 


「遊園地」ではなく「原っぱ」

2012-10-18 13:28:46 | 初めてお越しの方

『おせっかい教育論』著者 鷲田清一 釈徹宗 内田樹 平松邦夫
(株式会社140B)
という著書の中で、「遊園地」ではなく「原っぱ」的な遊びを……
という提案があって、「現代の子どもたちのメタ認知力や地頭力が下がっているのは、これが原因だなぁ」と感じました。

同じ遊び場でも、遊園地というのは、そこに行ったら何をするかというメニューがすでにあって、その中で、どれを選ぶか、どんな順番でやるかというところです。
今の大学・学校もカリキュラムがあって、大学の授業は「勉強する遊園地」となっているそうです。

鷲田清一氏が、この著書の中で次のようにおっしゃっています。

「(ぺんぺん草が生えて空き缶が転がっているだけという原っぱに、学校にも家にも居づらい子が、一人で来て空き缶を蹴ったりしていると、よそから同じような子がやって来て、お互いに意識しあう……)

でも遊び道具もない、野球もできない。そんな時にちょっと空き缶をそいつの方に向けて転がすと、向こうも手持ち無沙汰ですから、またポーンと蹴ってきたりして…、そうやっているうちに2人の間で新しい遊びのルールを自ら作っていくんですよね。
子どもというのは別に遊び道具なんかなくても、石ころや棒切れなんかで、上手に、いろんなゲームを自分らで作っていく。
遊園地のように、その空間の意味があらかじめ決まっているんじゃなしに、自分たちが何かすることで空間の意味を作っていく。そんなふうにルールや意味を自分たちで作っていかないと、原っぱで遊べませんよね。そういう教育の場所というのが今なくなってきているんです。「原っぱとしての遊びの場」がね。」


この話を読んで、『子どもの「遊び」は魔法の授業』キャッシー・ハーシュ=パセック他 (アスペクト)
の著書にあったネズミの実験のことを思い出しました。

50年ほど前、ある教授が、研究室のネズミをわが子のペットとして数匹持ち帰ったそうです。それらが、研究所のネズミより素早く迷路をすり抜け、ミスが少ないことを発見しました。
その後、別の教授が、ネズミを取り巻く環境のさまざまな面がネズミの行動や脳の発達に影響を及ぼすかという研究をしました。
かごで1匹で暮らすネズミ、ほかの数匹と大きなかごで暮らすネズミ、おもちゃの滑り台や回し車のある遊園地のような環境で暮らすネズミを比べて調べました。
すると、遊園地のような環境で、他のネズミといっしょに暮らしているネズミは脳内にシナプスをたくさんこしらえていたそうです。

この話にはもうひとつ重要な部分があって、この教授の報告によれば、
遊園地のような環境で過していたネズミよりもっと脳が発達していたのは、
自然の中で育ったネズミだったそうなのです。
自然の中の音、匂いといった刺激、遭遇する生き物、集団で群れる遊び、シラミやノミ取り、仲間とのはしゃぎあいなどは、
研究者がかごの中に作ったディズニーランドよりずっと脳を発達させるもの
だったのです。

人間をネズミといっしょにするのは問題なのですが、
人が人工的に作る豊かな環境は、必ずしも何もない原っぱに勝るものではないことを頭に入れておくとよいのかもしれません。

私が子どもだった頃は、広場はもちろん、街も学校も大人たちの作るコミュニティーも、『原っぱ』的な要素が十分にあった気がします。
過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓

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<番外 消費者ではなくて、製作者でもあったちょっと昔の話 >

マシュー・フォックスという神学者が次のような言葉を
語っています。

私たちは本質的に 
消費が好きな生き物だろうか?
そうは思えない、
人間は製作者として存在してきたのであって、
消費者ではないはずだ……。


年々、子どもをめぐる環境は変化し続けて、
子どもの心のあり方や物の見方や関わり方が変わってきていますよね。

特に感じるのは、最近では、親がリードする形で、子どもがいつでもどこでも「消費者」になりつつあるということです。

私が子どもだった30年以上前、子どもの私が世界をどのように眺め、関わっていたかというと、

良い消費者になりたくて、経済力をつけて、購入の際のセンスを磨こうと必死の大人たちと、

現実には何もかもが未完成過ぎて、創作したり製作したり、自分で何とかしたりと……「製作者」の立場もとらざる得ない現実の間でもがく大人たちの姿を……

自分もその両方を模倣しつつ暮らしていました。

それで、当時の
「製作者」側、「創作者」側、「発信する」側に、
いざ素人の自分たちが立ったときの、
何ともいえない危うさや面白さやワクワクや、がっくし……くる感じ……が、

その「おしゃれ」とはほど遠くて、鈍くさくて面白すぎる風景が、

子ども時代の私の脳裏に焼きついています。

どれを、思い出してもおかしくってしょうがありません。
そうしたことを急にだらだらと書いてみたくなりました。

私は大阪の吹田市の関西大学の近くで育ちました。
それで、子どもの頃はよく友だちと、大学の構内にもぐりこんで
乗馬クラブの馬のえさやりを手伝わせてもらっていました。
この関西大学の乗馬クラブは、
毎日、私の住んでいる周辺の道路を
きちんとした乗馬用の服で正装して、ぐるぐるまわっていました。
馬は千里山の駅前の信号機を確認しては、
きちんと交通ルールを守って、かなり気取った姿で立っていました。

そこらあたりまでは、大阪のちびまる子ちゃん世代の日常として
許せる風景だったのですが、

近所に住んでいる地域の世話役の人が、「子どもたちのために、小さな動物園を作ろう!」と言い出したのです。そこで、公園のそばの地域の集会所の前の広場で
やぎと羊を飼いはじめたのです。
確かうさぎもいました。
最初はよかったんですが、サラリーマンが多い地域……
世話をする人も仕事があるし、大きな動物は世話がたいへん……で、
しまいには、どんどん開発の波が押し寄せてきている千里山の街中で
やぎや羊を放し飼いすることになりました。

そこで、私は、毎日、
千里山の駅前で、きちんと交通ルールを守って立っている馬と、
気の向くままに草を求めて移動するやぎや羊の姿を目にすることに
なりました。
おまけに当時、そのあたりはペットが野生化したワカケホウセイインコが
大量発生していたので、
夕方ともなると、カラスの大群なんて目じゃないほど、圧倒するような数の
緑色の大型の鳥の群れが、空を移動していました。

そんな風に、社会というか、環境が未完成でカオス……なので、
私の通っていた公立小学校の校長の考えも自由そのもの。
宝塚歌劇のファンだからという理由で、
学校のクラス名を、「雪組、星組、月組……」として、毎月、クラスで
劇を発表する日を作っていました。

子どもが育つ環境としてどうだったのか……というと、???なのですが、
私も友だちも
自分たちが頭で考えて、何かをすることに対して、
躊躇しなかった気がします。
子どもなのですが、常に、「製作者」「作る側」の発想が
あるのです。

千里山の駅前には、ミスタードーナツとか、サンリオショップとか、「○○塾」とか、これから全国でチェーン展開していこうとする店舗が並びはじめていました。
その手前の道路には、自動車といっしょに
馬やら羊やらヤギやらがごちゃごちゃしていたわけですから、
子どもの目にも、世界はまだ未完成で混沌としているのだから、
自分たちの参入する場はいくらでもある!
自分たちもクリエイティブにこの街作りに参加しよう
という気持ちがありました。

たとえば、道なども、
はじめに覚えなくちゃならない道順があるのではなくて、
到着地までの近道は自分たちで発見して作り出すものという思いがあったので、
塀があれば登り、柵の下の穴を掘ってくぐれるようにし、
他人の家の垣根のふちを、番犬を狂ったようにわめかせながら歩いていって、
がけを斜めに渡っていって、
団地の前の倉庫やら、自転車置き場の屋根やら、高いところがあれば必ず登って
そこも道のひとつとして捉えて通っていくことに
何の疑問も抱いていませんでした。
子どもは、
それぞれそうして自分で見つけて作り出した道や秘密の隠れ家を
たくさん持っていました。
時間にしても、暗くなったら帰る時間というアバウトな捉え方で
遊びまわってますから、曜日とか時間なんて気にかけたことがなかったです。
そんな中で、子ども同士、
遊びでもルールでもどんどん自分たちで作り出して、考え出して、改善して遊んでいました。
人脈も開拓して、近所の人にお願いして犬の散歩をさせてもらったり、
同じ団地に住むひとり暮らしのおばあさんに子どもたちで敬老の日のプレゼントを贈ったりしました。

運動オンチで内気な性格の私も、どこでも登るしもぐるし~を何ということもなくやってましたから、
その頃の子どもたちは、
躊躇なく何でもやっていたな~と今になってびっくりしてしまいます。

とにかくエネルギッシュだし、
自分たちの頭でよく考えていました。
よく考えていた~というのも、あんまり頭を絞ったので、40過ぎてる
今でも幼稚園の頃、考えあぐねていた問題をはっきり思い出すことができるくらいです。

それで、最近の子どもたちが頭を使わないとか、
昔みたいに小猿みたいな無茶をしろ……と思っているわけではないのですが、

「それにしてもあんまりじゃないかな?」と思う現状があるのです。

今は幼い子でも習い事に通っている子が多いのですが、

そうした人工的な場は当然、未完成さとかカオスからほど遠いものです。

時間の枠がありますし、することは決められてますし、
場合によっては、どういう気持ちで、どういう態度で参加すべきか
まで暗黙のうちに
子どもに適応を求めてきます。

そこまでガチガチに固められた環境で、
子どもたちが、
自分が環境に影響を与えたり、変化させたり、作り出したりできる存在なんだって
気づくことは皆無なんじゃないかな?
と思えてくるのです。

それでもそんな現代っ子たちも、よくよく話に耳を傾けてみると、
あれこれと考えていて、したたかで、ユニークで、面白いです。
何に関しても「消費者」としての受身な立場しか
取ったことがない子は多いですが、
一度「創作する」ことを覚えると、
「買う」ことよりも、何倍もうれしそうな表情をします。
いったん、クリエイティブに創造性を発揮し始めると、
どの子もいきいきとしてきます。

……ここまで、話してきて何を書きたかったのかというと、
空間も時間もちょっと混沌としていてすき間が多い方が、
何をしようかな? 面白いのかな? やってみようかな? やっぱりやめとこうかな? 私はそれがやりたいの? すきなの?
と自分で選んで、考えて、味わって、創造的に参加してみようという気持ちを、
子どもの中から引きだしてくれるのじゃないかな? 
ということなのですが……。


早期教育で失われるもの   早期教育が悪い影響を与える時 2

2012-10-18 09:17:31 | 教育論 読者の方からのQ&A

早期教育で失われるもの   早期教育が悪い影響を与える時  1 の続きです。

『早期教育をまじめに考える本』 (小宮山博仁著  新評論)には、

「早期教育で失うもの」として次の3点を挙げています。


①遊び

②協調性

③他人の気持ちを理解する


↑の3点って、たとえ早期教育をしなかったところで、

現代の幼児が暮らしている環境で失われていくもののようにも思えます。

早期教育を強く意識した環境だと、それに輪をかけて

失いやすいものなのかもしれません。

 

それでは、『早期教育をまじめに考える本』 に書かれていたことをひとつずつ取り上げて

少し要約して紹介しますね。

 

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<早期教育で失うもの>

①遊び 

教育熱心な人ほど、どうも子どもの遊びを軽視する傾向が強いようです。

幼児の遊びは、大人の遊びのように暇をつぶしや無駄な時間ではなく、

幼児の生活そのもので知能や精神的な発達に

欠かせないものといって過言ではありません。

発達心理学者のシミランスキーは、次のように言っています。

「象徴遊びやごっこ遊びを全く子どもにさせなかった家庭の子どもは、

知的発達に遅れが見られた。

象徴遊びは、従来考えられてきたように、創造性や自己表現力を養うのに役立つものというよりは、

一般的な知能の発達を促すのに必要なものである。」

象徴遊びとは、積み木を電車にみたてて、電車ごっこをしているような遊びです。

また心理学者のO・K・ムアは、こう言っています。

「規則性を発見し利用することを楽しむ『パズル』は自然科学的な態度を養うものであり、

簡単な規則に従った上でのプレイヤー同士のかけ引きを楽しむ『ゲーム』は社会科学的なものの

見方を養うのに役立つものである。」

 

もうひとつの遊びの効用は、集中力を養うことです。

遊びのエネルギーが勉強のエネルギーに代わるようにするには、幼児の時に徹底的に遊びに熱中させることが大切です。

何時から何時までは何、というような細かいスケジュールは作らないでください。

そうした時間の過ごし方をする幼児は、落ち着きがない

集中力が欠けた子どもになってしまいます。


           『早期教育をまじめに考える本』 (小宮山博仁著  新評論)

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地獄のえんま大王 と クレーン車

2012-10-17 17:33:13 | レゴ デュプロ ブロック

「もうすぐブロック講座が近いから、動きを作りだす方法や新しいブロックの組み方を考えてちょうだい」と

小3の●くん、○くんにお願いしたところ、

●くんはえんま大王、○くんはクレーン車を作ってくれました。

後ろはこんな感じ。口から投げ入れたボールが丸いくぼみに

入ったら得点。

 

↑制作風景です。

「まゆげにしゃちの子どもはどう?」というと、「それはダメでしょ!」と大爆笑していた

●くんですが、見るとシャチの子をちゃんと活用していました。

作っている最中にばらけてくるので、「こうなったらそれぞれのパーツに分けて作るよ。

パーツごとに置いておけば、後で組み立てるだけでいいからね」と●くん。

そうはいっても、パーツごとに作るには、見えない部分を正確にイメージしていく

高い空間認知力が必要なはず……。

でも、ブロックが得意な●くんは、それぞれのパーツをていねいに作り込んだ後で、それらを合体させ、

涼しい顔でえんま大王を作っていました。

(口から下を作る段になって、勉強の時間が来てしまったので、

わたしが続きを作りました。

「それ、かわいすぎる」「さわやかすぎるよ」「口がダメだな~!」と

●くんは算数をしながらぼやいていました。

 

↑クレーン車には車輪が8つあって、(横2列に車つきのブロックを使用)

ちゃんと運転席もありました。

こういうところ、小さい子たちに作ってあげる時も大事なんでしょうね。参考になります。

 

算数が得意なふたり。算数タイムには、複雑な文章題もしっかり解けていました。


事務Kより 途中経過報告

2012-10-17 17:20:30 | 連絡事項

こんばんは、事務Kです。

咳風邪をこじらせ早1週間です…まだまだ咳は出ますがかなり良くなっています♪

さて、題名通りに途中経過報告です。

 

まず1つ目・・・ミス発覚!ドットコムじゃない!!

ブロック講座10月参加の皆さまにお送りしました2通目に書きましたアドレスが間違っていました。正しくは【~@ヤホー.co.jp】です…すみません。

訂正をお願致します。

 

続いて2つ目…メールが来てないわ!?

そのまんまですね。

数名の方なのですが、ご連絡先の記載がコメント欄になく此方から連絡を取ることが出来ておりません。『ブロック講座10月参加の方』と『ピッケの絵本参加の方』の中でメールが届いていない方は、再度コメント欄に記入をお願致します。

 

最後です…事務Kからのお願いです。

何かしらのイベントで発表がされ選ばれましたら、『必ず』連絡先の記入をお願いたします。というのも、同じハンドルネームで名字が同じという方がごく稀ではありますが、いらっしゃいます。

この場合、連絡先の記載がないと参加して頂く方の特定ができません。以前にイベントに参加している方もお手数ではあると思いますが、毎回ご記入下さい。

また、メールの1通目は必ず名簿用の参加者さまへの質問票です。こちらも毎回同じことを聞いておりますので、面倒臭いとは思うのですが、きちんとお越し頂くために必要な作業ですのでどうぞ、ご協力のほど宜しくお願い致します。

新しいシステムを現在模索しておりますので、それが出来るまで…何時か分からないその時まで辛抱強くお付き合い下さい。

 

以上が、途中報告となります。

今から、ピッケの絵本の2通目とブロック講座の名簿を作成して11月分まで手が回ればし終えたいと思います。

 

では、また~


子の夢 親の夢 子の人生 親の人生 ②

2012-10-17 14:10:21 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

私 「さまざまな物や行為と『生きて存在していること』の関わりを考えていくのって、哲学の世界では大事にされていることよね。
哲学って難解なイメージがあるけど、実際には幼児が考える疑問のように……ごく基本の基本みたいなことを扱っているわよね」

息子 「うん、そうそう。哲学って、存在する全てのものを意味でつないでいるものだと思うよ。
それは勉強を極めていった選択肢の先っぽにあるんじゃなくて、
もっと身近な……人が手にするひとつひとつの物……えんぴつでも服でも何でもいいんだけど……や、
『生活の営み』全般の芯の部分にあたるんだろうな。

だから、特別にかしこまらずに、もっともっとみんな
普通に哲学に触れればいいのにって思っているよ。
自分の中に持っておくというか……。

哲学だとハードルが高いんなら、詩のようなものでもいいんだ。

哲学にしても詩にしても、
形容できないものを、文字の媒体で表そうとすることじゃん。

形容できないものを形容しようとする試みがなかったら、
『友だち』というのを数や格付けとイコールで結ぶようなもので、
人の行為は、
『名前を付けられた空のパッケージ』ばかりになってしまうよ。」

私は息子の口から詩という言葉が出たのでとても意外な気がしました。
詩を読んでいる姿を見たことがなかったので。成長すると、身近にいても親が知らない面がいろいろあるもんです。

息子 「詩なんていうと、デザートのように思っている人もいるだろうけど、
『生きる糧』のようなものじゃないかな?

そうした自分の内面の芯のようなものがないままに、
どんどん勉強して、どんどん知識や技術を吸収して何を得たとしても、
それは人としての『基盤の幸せ』を失うリスクを犯すことに
ならないのかな?

生きていくことの手段に過ぎないものを
全てであるように錯覚している人がたくさんいるから、
そこで暮らしている子どもたちにしても、
もう本来の『子ども』って存在じゃないように見えるよ。

他人の評価に依存するものに、
自分を全て明け渡して、
自分の中にある形容できない何かを、
まったく無いもののようにしているんだから。
じゃあ、もうそこには自分がないってことじゃないの?」

息子の言葉を聞いて、私は昔、自分が書いた詩のことを思い出しました。
それで詩画集を持ってきて、次のような詩のページを広げて
息子に差し出しました。「同じようなこと考えるもんでしょ。やっぱり親子よね」
そういえば、息子に自分の詩を見せるのは初めてでした。

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    ハーメルンの笛吹き

もしも君たちが   自分の言葉を裏切るなら
もしも君たちが   平気で夢を枯らすなら
もしも君たちが   太陽と風を忘れるなら
もしも君たちが   本当は誰も愛していないなら

ハーメルンの笛吹きがあらわれる   子どもを連れにあらわれる
遠ざかる笛の音をつかまえても    もうおそい

まちじゅうどこにも 子どもはいやしない
赤ん坊は赤ん坊じゃないんだ
子どもは子どもじゃないんだ
ちいさくたって同じ
のっぺりした顔の 大人ばかり

そののっぺりが 世界中を埋めつくしても
みんな平気の平左さ
だって ほら 世界中  もう大人しかいないからね

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
息子はえっ? と驚いた様子で、
「あっそうだ。お母さん、詩を書いてたんだったよね」と笑いながら読んで、ちょっと真剣な口調で、
「あ~わかる。いいな~。」と言ってから、
次のように付け加えました。
「親子だからどうって言えない面があるんだけど、
もし、これがお母さんの詩じゃなくて、目にしたとしたら、すごく好きになってた可能性があるな。」
と本当に感動している様子で言ってくれました。

「いつ書いたの?
詩集を作ってたのは見たことがあるから、その時?」

「絵はね。でも、詩はもっと前よ。★(息子)とそれほど変わらない年齢の時のものもあるわ。
ほら、これ。」
私はすっかり舞い上がって、別のページも
息子に見せました。

環状線 
という詩です。

「ほら、さっき★(息子)が言ってた……
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、自分自身を見失うってあるじゃない。
褒められたり、期待されたりして、
ちょっといい気になってそれを続けるうちに、環状線に乗ってぐるぐる回り続けているってことがね。そのうち、本当はどこに行きたかったのか忘れちゃうってことが……。」

息子 「そうだよ。ほとんどの人が、人からえらいとか、目立ちたいとか思ってがんばっているうちに、気づかない間にその詩の環状線に乗っていると思うな。」

私はすっかりうれしくなって、
出逢い 
小さな友へ の詩も見せました。

すると、息子は笑いながらこう言いました。

「お母さんの詩、いい詩だよ。ぼくは好きだな。
お姉ちゃんが、いい詩が読みたいって探してたけど、意外に
お母さんの詩を読んでもいいんじゃないかな?」

私 「気に入ってもらってうれしいわ。
お母さんの詩が良い詩かどうかなんてわからないけど、
でも、今そうした詩を書こうと思っても、もう書けないから、お母さんにとっては貴重な詩なの。

だって、それはその時のお母さんの心の軌跡でもあるから。

環状線を書いたときは、
自分がいつのまにかそうした不安な状況に呑みこまれてて、降りたくてもどうやって降りたらよいのか見当がつかなかったのね。

それがきれいな詩を書くために、
過去を振り返りながら、上手に言葉を組み合わせるように書くんだったら、
お母さんにとってはあまり意味がないのよ。

その時、その時の心が抱く思いは、普遍的なところがあると思うの。
お母さんの心が感じる体験は、世界中のさまざまな人が同じように感じているだろうってこと。

出逢いの詩で書いたような心の体験が、人と真剣に出逢うときには
必然と言っていいほどあって、
たとえそれが苦しいものだったとしても、
そうした普遍的なものに触れて、
自分の目にどう映り、どう感じたのか……
『その時』を言葉にできたことが うれしいのよ。

評価されるかとか、認められるかなんてこととは別の問題でね。
どんな出来だって、作るのは楽しいものよ。

そしてこうやって、ちゃんとひとりでも読んでくれる人がいると
すごく感激するものだしね。
そうだ、★が11歳の時の姿をスケッチしたものと詩があったわ。
ほら、これよ」

11歳の孤独
息子は面白そうにそれを読んでから、懐かしそうに笑い出しました。
「ああ、この時のぼくは、ぼくで、今とはまったく違う心で、いろんなことを考えていたんだよな……今思い出すと面白いな」

私 「お母さんは子どもの頃からずっと児童文学の作家になりたいって夢みてきて、いまだに夢はずっと持ち続けているのに、遠回りばかりしているわ。

今の仕事が大好きだしね。
その時、その時、★が言ってたような『生きている』って実感を味わいながらきているから、
思い通りにいかないときも、それなりに満足しているの。
それに、自分を生きているとね、どの道を歩いていたとしても、やっぱり夢に近づいているように感じるわ」


息子 「ぼくがゲーム会社以外の異業種の会社に就職したいって
思いだした一番の理由は、
安定した力を手に入れたいって気持ちからなんだ。

ゲームのプログラミングならこれまでもしてきたし、
どうせ下積みで学ぶのなら、これまで学んだことのない新しいものを
学びたいからさ。

会社に入って意味のある能力を身につけて、
必要とされるような人間になりたいってのがあるからね。
いつ会社が合併したり、潰れたりするかわからない時代だからって、
手抜きして働いてしまうと、
かえって不安が募るだけじゃないのかな?

今は不況だ不況だというけど、
会社が潰れても一人で儲けることができるくらいの力を蓄えておけば、
変化は超えられるはずだよ。
こんな考えを持ちはじめたきっかけは、○先生なんだ。(息子の学校の地理の先生)
あの先生なんて、40歳から先生になったわけだけど、そんな年齢でも見ている人間はいる、そのために面接はあるって言ってたからね。
自分に力さえつけておけば、後から転職することだってできると思ってさ。

社会がこんなに不安定な時代だから会社に入るのなんて無意味だって
いう人もいるけど、会社に入っていないと対人的な力がつきにくいんじゃないかな?
○先生があの年で就職できたのも、会社の履歴はなくても、
世界を旅行したり、いろんな職を体験したりして、
対人スキルを身につけていたからだと思うよ。」

私 「会社って、前に大企業は自分にはあわないって言ってたわよね。
大企業の子会社とかも嫌なの?」

息子「そんなことないよ。それに、大企業に入りたくないわけじゃないよ。
ぼくが選べる立場じゃないけど。
競争は好きじゃないといったって試験は好きだからね。京大受験にしたって面白いよ。
ぼくが中小企業もいいなと考えていた理由は、下積みの間もかなり本格的に実戦から学べそうなところだったんだけど、
でも現実には入社時に厳しい会社の方が、働きがいがある気もするな。だから大きいとこも狙ってみるつもりだよ。」

私 「下積みの間に、鍛錬しておけば、多少しんどい思いをしても
身につくものは大きいわよね。
お母さんは★が中高一貫校に行ったのも、朝は早いし帰りは遅いし、しんどい思いはしたけど、公立で安穏と過していたより、
ずいぶんたくましくなったって思っているのよ」

息子 「それは違うよ。しんどいっていうのとはずいぶん違って、楽っちゃ楽だからね。
ぼくが中高一貫に行って学んだことと言ったら、
騙されてさ、どんなに他人に、これをやったら成長するって言われたとしても、やっぱりそれは無意味だってことだけさ。

何が苦しいと言ったって、やっていることが全く役立たないとわかってて
それをずっとさせられるほど
気もちが萎えることはないからね。同じ漢字を何百回も書けとか、もうできている計算を何十回もしろとか。
学校がつまらないのは、ひとつの見方を10回言ってわからせようとする点だよ。
こうやってお母さんとしゃべっている場合でも、普通、生活の場で考えるなら、
1つのことを10の視点から見るわけじゃん。
前から見て、背後から見て、斜めから見てって、良い面と悪い面を押さえた上で、そうした後に、一番最適なものを選ぶわけで。


でも、学校はとにかく無駄なことをさせてでも、生徒に何かさせてなきゃ
安心しないから、勉強する時間がなくなっちゃうんだ。」

私 「授業は易しすぎたの?」

息子 「そんなことないよ。難しいものもあるけど、やり方がワンパターンなのが問題なんだ。
数学でも物理でも、全部、暗記していくんだから。
そんなステレオタイプな学び方じゃ、即効、忘れるよ。
でも、中高一貫校から、反面教師として学んだことはこれから役立つと思うよ。
勉強するのに、何かに依存してもしょうがなくて、
結局、学ぶのは自分自身だってこと。
いつかは気づかなきゃならないことだからね。

早めに失敗しておけば
次は良い手が打てる。
就職に関しては、会社に入る何年も前から、その会社の必要としているものを
手にしておくつもりだよ。
大学1年から準備していても遅くないはずだよ。
京大入試にしても、もっと早く赤本に目を通しておけば良かったって後悔しているんだ。学校が忙しすぎて、勉強らしい勉強ができなかったから残念だよ。
いっそ、高一か、もう少し前から目を通して準備しておけばよかった。
まぁ、その後悔があるから、就職は はりきるつもりだけどさ」

私 「就職して、何か学びたいんでしょ。でも下積みの間はいろんなことをさせられるんじゃないかな?
営業とか……」

息子 「営業もいいよ。人と会って話すのは好きだし。
ただ、人を騙して何か売り込むのは嫌だな」

私  「なら、海外に行くことになったら?」

息子はゲラゲラ笑いだして、次のように言いました。
「海外? 恐ろしいことに巻き込まれるのは困るけど、ぼくの場合、海外はぜひって感じに行ってみたいからね」

私 「★(息子)は、そのどこへ行っても平気なところが強みだものね。
海外のニュースを聞いて、ドキドキするのは私の方かもね。」

息子 「就職したい会社については、どんな人材が必要とされているか調べて、早いうちから何をすべきか明確にしておくつもりだよ。
会社の雰囲気もできる限り調べたいし、できれば中で働いている人と実際会って話がしたいな。
就職難とは言うけれど、その会社の求めているものを正確に理解して、
そこで自分が何をしていきたいのか示せたら、うまくいくところもあるんじゃないかな?
○先生だって、就職できたわけだしね」

息子と話をするうち、「ゲームクリエイターになりたい!」と夢見ていた息子がいつの間にか、さまざまな価値観を受け入れながら、成長していたことに
とても驚きました。
知らない間に、大人になっていくものですね。


子の夢 親の夢 子の人生 親の人生 ①

2012-10-17 14:05:45 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

(過去記事です)

わが子が幼い頃や小学生時代、いっしょに交わす会話が面白くてよく記録に取ったものでした。
それが子どもが成長するにつれ、学校、通学、趣味、友だちとのつきあい、バイト……と親より慌ただしい生活をするようになって、
顔を合わせて話をする時間が激減していました。

それが、受験生になった息子が学校が休みの日も 遊びに行かずに家で勉強するようになって、勉強に疲れると気分転換に家族としゃべる機会が増えて……。

そうするうちに、自分の中にむくむくと「子どもとの会話を記録しておきたい」という思いが復活してきました。
「なぜ?」と問われたら困るのですが、カメラ好きの方が わが子の姿を写真に残しておこうとするのと近いものだと思います。

そのため虹色教室の日誌代わりに続けてきたこのブログは、
以前より私的なものに変化しつつあります。自分にために書いているやたら長ったらしい記事も増えましたが、面倒な方はどうか飛ばし読みしてくださいね~。

今後も教室でのレッスン風景や教え方の記事も、
書いていきます♪ どうぞよろしくお願いします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日、進路について悩む息子から相談を受けました。
進路といっても、大学や学部選びはもう自分の中で決まっているようで、
迷っているのは将来の仕事に向けて 
これから何を学んでいくべきか、
就職する会社はどのような職種から選んでいけばいいのか
といったことでした。

途中で現われたダンナが、
「先のこと考えて御託並べてないで、まずしっかり勉強しろ!」
と雷を落とし、
息子が「受験勉強はしてるさ。でも闇雲に勉強するだけでは、大学卒業時にそこから4,5年かかる勉強をスタートすることになって、出遅れるよ。ビル・ゲイツが成功したような まだネット社会が未完成だった時代じゃないんだからさ」と言い返すシーンもありました。

夕食後に3時間近く話しあって、
最後には、「話をしてみてよかったよ。おかげで行きたい方向がはっきり見えてきた」と言われて胸が熱くなりました。
息子の進路について相談に乗っているつもりが、
私自身の進路というか……これから自分が歩んでいく方向性のようなものを考えるきっかけにもなった会話でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
息子 「最近、ただIT関連の仕事がしたいと漠然と考えて、
大学で情報工学を学ぶだけじゃ、
本当にやりたい仕事からずれていくような気がしてさ。
ITといったって、今はひとつひとつの分野が専門的に進化しているから、
それぞれの先端じゃ互換性はないはずだよ。

だからといって念のためにと あれこれつまみ食いするように学ぶんじゃ
1しっかり学べるところを、2分の1、3分の1ずつしか学べなくなってしまう。
今、一番迷っているのは、ソフトを作る力を蓄えるか、ハード面で強くなっておくかということなんだ。
もしこれまでのネットのあり方を根源から変えるようなものを作りたいとすれば、大学を卒業しても、そこから研究生活に入ってく形になる。
それがぼくが本当にやりたいことなのか、自分にあっていることなのか迷っているんだ」

私 「今後、ネットの世界は飽和状態に向かうと考えているんでしょ。
ただプログラミングを学ぶだけでは、いずれ、どんなに質の良いものを作り出しても、競争の中で消えていくだけかもしれないわ。
だったら、時間や手間がかかってもハードそのものを扱う勉強をした方がいいんじゃないの?」

息子 「勉強や研究が嫌なわけじゃないんだ。」

私 「早く働きたいの?」

息子 「それもあるけど、それより自分が本当に創りだしたいものは何なのか、そう考えていくと、今 立ち止まってじっくり考えておかないと、
何となくそっちの方が良さそうだという気分に流されるうちに、自分自身を見失いそうな気がしているんだ。
それで、ぼくの、ぼくだけの特技ってなんだろう? 
将来の仕事の決め手になるような他のみんなより誇れるところって何だろうって煮詰めていくとね、
『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』
ってところだって思い当たってさ。
じゃあ、そんな自分が活かせる仕事、いきいきと働き続けることができる仕事は何だろう
……それとぼくが創りたいものの本質は何だろうって考えていたんだ」

「『みんながみんな左に向かっているときにも、右に向かうことができる』能力って、単にひねくれ者ってわけじゃなくて、
多くの人がいっせいに左に向かっているときって、
その時点で もう本来の左に進むべき目的が見失われているときがあって、
みんな薄々、それには気づいてるんだけど、
動きが取れなくなっていることがあるよね。

そんなときにぼくは
潜在的にそこにある大切そうなものを汲み取って、
ひとりだけでも右に方向転換することができるってことだよ。

そういう能力が将来、活かせるかもしれないって気づいたのは、
プログラミングを自分で学んでいたときなんだ。

学べば学ぶほど、より優れた技術、より精巧な動きっていうのを、
無意識に求める気持ちに呑まれていくんだけど、
一方で、より面白く、よりすごいものを作ってくって
技術面だけにこだわってていいのか? って考えたんだ。

もちろん、技術の向上が大切なのはわかっている。
でもね、もし技術ばかりがひとり歩きして、こんなものが欲しいという人の欲望みたいなものから離れてしまったら、
それは死んだ作品じゃないだろうかって。

ほら、3Dテレビって今どんどん進化しているじゃん。
100年前の時代だったら、
3Dテレビを作り出すために一生かけてもいい、
3Dテレビをどんな苦労してもひと目見たいって、願った人もいると思う。
で、今、3Dテレビがそれほど求められているのかっていうと、
100年前と比べると、それに対して人々が抱いているロマンのようなものが変質したと思うんだよ。
それでも技術革新は必要なんだろうけど、
同時にどうしたら生きた作品を生み出せるのかって考えるときが
来たんじゃないかな?

それで、ぼくは技術を身につけて、自分で制作に入りたくはあるけど、
その一方で、『プランナー』といった面を持っている仕事も
自分にあってるんじゃないかと思いだしたんだ」

私 「生きている作品ってどんな感じのものなの?」

息子 「感情を揺さぶるライブ的要素も持った作品かな?

今の世の中がこんなにも『うつ』っぽくなっちゃった理由は、
何でもかんでも、そうしてはならないものまで、
品物化していった結果だと思うんだ。

ほら、エンデの『モモ』って童話があるじゃん。
あれを子どもの頃に読んだとき、
みんな何日で読んだ~何ページも読んだ~
他の本と比べてどのレベルで面白かったかってことばかり話題にして、

どうして、自分自身の今の生活が、
時間泥棒に奪われているモモの世界の出来事と
同じことが起こっている事実について考えてみないんだろうって

不思議だったんだ。

みんなはどうして人間としての自分の感情を通して、
物と付き合わないんだろうっさ。

いろんなものを品物として見るって、
高級料理にしたって、勉強の授業のようなものにしたって、品物化されて、
数値化されてるよね。

友だちのようなものまで、
ネット内でボタンひとつで友だちかどうか選別したり、
グループ内で友だちを格付けしたり、友だちを数でコレクションしたりする
ようになってくる。
でも、本当は、そんな品物化した『友だち』を、誰も求めちゃいないはずだよ。
友だちを欲するのは、友だちという人を求めているというより、いっしょになって団結して何かしてみたり、
冒険したり、共感しあったり、
そこで動く感情を欲しているはずなんだから。

みんな感情を求めていて、それに気づいていないんだよ。
何でも品物化したあげく、これは品物にしようがないっていう感情でしか処理しようにない『死』を、偏愛する人も増えている。

もし、IT産業で何かを作っていくにしても、
そんな風に物を求める根底になる感情の流れを揺さぶる生きた作品を作ることを目指していきたいんだ」


息子 「ぼくはずっとゲームクリエイターになる夢を抱いてきたけど、
ゲーム好きの人たちと自分の間には、
かなり感性の違いがあるのはずっと感じてきて……
最近になって、本当にぼくはゲームが好きなんだろうか?
って思うことが増えてきたんだ。

ぼくがゲームに対して感じている面白さって何なんだろう
って突き詰めてみると、
さっきお母さんが京都の巨大鉄道ジオラマの話をしていたから
閃いたんだけど、

『仕事の遊び化』って部分に

惹かれているんじゃないかと思うよ。

ぼくがゲームを面白いって感じている基盤の部分に、
この『仕事の遊び化』を生み出したい気持ちがあると思ったんだ。

ジオラマ作りに参加した職人やアーティストは、
退屈で苦しいはずの作業の中に、わくわくする楽しい気持ちやフローの感覚を抱いていたはずだよ。

この『仕事の遊び化』って、昔から人が苦しいものを喜びに変えたり、
辛い作業から楽しみを抽出する知恵として
存在しているものだと思うんだ。
たとえば、プラモデルなんかも、設計の仕事から、
楽しい部分だけを抜き出したようなおもちゃだよね。

ぼくがゲーム作りをしたかった一番の理由は、
ゲームという媒体を使って、
人間の営みをいろんな視点から眺めたり、そのユニークな一面に光を当てる
のが楽しいからなんだって気づいたんだよ」

私 「『仕事の遊び化』……そうね。日本が豊かになって、
物ではうんざりするほど満たされた後に、
きっと人はそうしたものを求めだしているように感じるわ。

遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき
そうしたものを感じることができるのよね。

人の営みの面白い面を再体験したいって思いから
ゲームは生まれたのかもしれないわね」

そう言いながら、私は息子が小学生のとき 
モノポリーが好きでたまらなかったことを思い出しました。
何度やっても、いつも息子の一人勝ち。

どんなに他のメンバーの情勢が良いように見えるときも、
なぜか最後には息子の戦略にまんまとはめられて、
お金をほとんど奪い取られてしまうのでした。
手作りモノポリーもたくさん作っていました。

モノポリーは投資のゲームですから、それもおそらく『仕事の遊び化』という一面で惹かれていたのでしょう。

息子 「現実に体を動かしてやった方が面白いものを、
ゲームにするのは好きじゃないんだ。
どんなにリアルさを追求しても、実体験には負けてしまうから。

でも、そこのゲームの世界も、より美しい画像で、より高い技術でってことを追いかけていくうちに、人間的な部分が置いてけぼりになっている気がしてさ。
人が何を面白く感じ、何に心が動かされるのか……って所を見失ったまま進化が進んでいるようだよ。

それで、そうした世界でぼくは本当にゲームが作りたいんだろうか?
面白いものが作れるんだろうか? って思いだしたんだ。

先々、ゲームを作るにしろ、作らないにしろ、
まずゲーム会社とは全く職種の違う世界で働いて、
そこでの仕事に熱中しながら、自分の作りたいものを捉えなおした方が
いいような気がしているんだ」


私 「どんな職種を考えているの?」

息子 「アプリケーションの制作会社とか、
それか、シンセサイザーなんかといっしょに新しい音響機材を作る会社なんかも考えている。

ゲームを作りたいから、
新しいエンターテイメントを生み出したいから、
ゲーム会社に入るというのは、ぼくにはあっていない気がするんだ。
そんなことを思いだしたのは、マンガを読んでいたときなんだけど。

今さ、たくさんマンガの勉強をしたんだろうな
という技術レベルの高いマンガ家がたくさんいるんだけど、
そりゃぁたくさんの人がマンガを描いているんだ……
でも、どれを読んでも面白くないんだよ。
生きている作品がないって感じ。

一方で、ある時期までマンガとは全く関係ない異分野の仕事をしていて、
途中でマンガ家になった人たちが描く職業マンガが、
けっこう面白くって、このごろ気に入ってるんだ。

単純に考えると、少しでも早い時期からマンガを描き始めて、
それだけに打ち込んだ方が、良いものができるに決まってるって思うじゃん。

でも、マンガの世界もある程度
成熟し終えた面があるから、
無意識のうちに すでにできあがった価値観の影響を受けながら、
その世界でよりすばらしくって技術を向上させるだけじゃ、
人の心が動くような作品は生まれにくいんだよ。
その点、異業種から遅れて参入してきた人の作品は、
多少いびつなところがあっても、
思いもかけない斜めからの視点があって
新鮮で読みたい気を起させるんだ。」

私 「そうね、ものづくりの現場でも
そうした異業種同士の連携が、
不況を超えるカギになっているようだものね。」

息子 「ぼくも、自分が抱いている面白さを追求する道を、
既存のイメージができあがっている世界ではなくて、
ストレートにそのまんまじゃない……
別の職種の枠の中で探求していく方がいい気がしてきててさ。

そう考えだしたのには、受験勉強の影響もあるんだ。

受験って、ランキングで格付けされて、合格の道筋がマニュアル化されて、
いかにも品物化が進んでいる分野でもあるけど、
でも勉強していると 意外なんだけど、どの勉強も人間的な性格的なものが
その底にあるんだなって気づかされることがよくあったんだ。

かしこさって、いかにもIQや頭の回転のよさだけで測られるように思うじゃん。
でも、国語を学ぶって、結局は、そこにあるのは人間の営みや生きていることへの理解を深めることに過ぎないんだって学ぶほどにわかってくる。
文章のすばらしさをただ公式を当てはめて、答えをはじきだす作業じゃなくて、
読む文章から生きていることの何かを受け取ることが国語なんだなって。

数学のように、人間的なものからかけ離れているように見えるものでも、
生きていることのすばらしさを放っておいて、存在しないんだよ。
数学がすばらしいのは、そこに
人間的な評価が潜んでいるからでもあるんだから。
それで勉強するうちに、自分が表現したいものは、この人間的なことや
生きる営み、人の感情を揺さぶることを抜きにして考えられないなって。
そうした本質的なものを含んだ作品は、小さな枠の中で近視眼的に
他人と技術を競うだけでは生まれてこないと思ったんだよ」


ブロック講座+算数遊び (幼稚園児  小学生) 来ていただく方々です。

2012-10-16 23:23:14 | 初めてお越しの方

ブロック講座+算数遊び (幼稚園児  小学生)へのたくさんのお申込みありがとうございます。

 来ていただく方々の発表です。

抽選から漏れてしまった方々のためにあと数日だけ来ていただく日を増やす予定です(明日か明後日に発表します)が、

それでもお申込みいただいた全ての方に来ていただくのは難しいかもしれません。

 

 

12月21日(金)10時~12時

こなつさん  ミルクココアさん  ひよさん  みきちゃん

12月25日(火)10時~12時

たろうままさん  ノンタンさん  なおたろうさん  tomoさん

12月26日(水)10時~12時

まままーちゃん  なおははさん  よきままさん  たまごさん  

12月27日(木)10時~12時

 アキコさん  ぴーなつさんとお友だち satomiさん

12月28日(金)10時~12時

gaokoさん  K☆S母さん けんしんママさん  いり昆布さん 

1月5日(土)10時~12時

まぐろいきいきさん   カノママさん  ここさん  悠さん

1月6日(日)10時~12時

タルトタタタンさん  ダンママさん    モコさん  直猿さん

1月7日(月)10時~12時

ウーロン茶さん  だふぃめいさん    はちごんさん   koro0113さん 

 1月8日(火)10時~12時

たにーさん  ボンボンさん  ロッシさん  ふくさん