の記事に次のようなコメントをいただきました。
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聴覚記憶劣位の苦悩
『自力で考えることができる子どもには、失敗しつつ だんだん穴を大きく広げていくような
「アバウトだな」と思われるような方法で作らせた方が、数学的なセンスは育っていきます。
算数や数学の問題では、おおよその検討をつけて微調整していくことが 大切なのです。』
この言葉にすごく勇気付けられました。
自分の認知特性について、最近、悩んでいます。
僕も視覚映像認知に偏っているような気がしていて、加齢とともに、聴覚言語の劣位、というのか、聴覚記憶の劣位が際立ってきているような気がしていて、環境の変化があって、緊張やらストレスやらで記憶が弱くなっている上に、初めての事をまとめて覚えなければならなく、それでそのような劣位性が目に付いてわかるのかもしれませんが、今この現時点は、コミュニケーションに困難を抱えている、といって差し支えないレベルのようです。
聴覚の「断片情報」の一つあるいは寄せ集めをそのまま記憶に定着させる力が他人より弱いようで、普通のヒトが「言ってわかる」程度のことが、勿論僕にも言葉の意味は十分理解はできますが、記憶には残らないようです。普通のヒトは、理解し、かつ、記億に残っているようです。
僕も全く記憶にないわけではなくて、たいてい何かしら失敗した後から、「聞いた当時の状況映像を頭の中に思い浮かべて」思い出すような感じです。聴覚情報、しかも断片情報だけを、他のヒトのように、思い出すことができないようです。
ここで緊張とストレスと加齢が問題になってきて、緊張が強いられると、記憶を呼び出す回路がナローになるようで、映像を呼び出せず、また、加齢のせいか、映像が(以前のように明瞭ではなく)ぼんやりじわじわといった感じでしか出てきません。ストレスはその両方に悪いのかな?
周囲に明らかに迷惑をかけています。
「何度行ってもわからない馬鹿」と思われていると思います。「ちゃんと言っただろう」と怒らせているでしょうし、「何で、同じことを何度も言わせるんだ」とあきれられているでしょう。
自分では、自分の特性がなんとなくわかっていたので、一定の時間をかけて慣れてゆきたかった、自分のフォーマットを整えてゆきたかったのですが、周囲のヒトは僕とは異なるので、理解されることはまずありません(たとえ、理解する、と言っても、「最初は誰でも失敗するものだ。そのうち慣れる」といった程度です。みんな「普通に成る、成れる」と思って疑っていませんが、これからも、その期待は裏切り続けることになると思います。)
一方で、この認知特性のせいでヒトとは異なった結果を残すこともあったのか(自分では自分が「普通」なので、よくわかりません。)、過剰な期待があるようです。
つまり、普通のヒトの同一線上の後に居るか、先に居るか、としか思われていません。隣の別の路線に居るんだよ、と思ってくれたヒトには出会ったことがありません。
ある高校の体罰問題にしろ、ある小学校の暴言問題にしろ、根底には、「病的な(つまりは、普通でない)状態を排除して普通になる」という信憑の根強さがあると思います。だから、僕などは、「みんな同じじゃん」としか思えないんですよね。
僕も、小学校の頃は、暴言を吐かれましたし。
聴覚記憶が弱いせいでしょう、ゆきがかりに予定を聞かされても全く覚えていなくて、「史上最低」と何度も言われました。その顔の冷淡さ、こいつ本当の馬鹿だな、と言っている表情は、よく覚えているのですがね(苦笑)
その女教師も、「評判」は良かったというね・・・。
名字に引っ掛けて、なんとなく教壇上に呼び出して、馬鹿○と言う男性教師が居たり(それは「意趣返し」という側面もあって、その以前に、僕にも反省し謝罪すべきコトはあったのですが。)。
円周率について教わることを、何年も、本当に楽しみにしていたのに、そういうことは省略して、「熱い教師」として、好き勝手なことばかりやっている教師でしたが。
そういう教師達にしてみれば、僕は所詮「馬鹿」だから、教えても仕方がない、という理由だったのでしょう、彼らのお気に入りの、聞いたことをよく理解できる、優秀な児童は他に居ましたから。僕から見たら、ただの「普通」の子、だったのですけれどね。聞いたことをちゃんと理解できるだけの。
長いことすみません。
とにかく、視覚映像に認知が偏っている方のコミュニティサイトでもないかと探し回って、ようやくここに辿り着きました。
聴覚「断片」情報の整理について、「断片」すなわち「全体統合未然」ということですが、何かアイデアがありましたら…。
僕はあまり頭が良くないので、ノートに、トピック毎にタグをつけて、時系列順に書き込む、くらいしかアイデアが浮かびません。聴覚情報を視覚情報に置き換える作業で、この「要領の悪さ」に、また「普通」のヒトからは馬鹿扱いされて、「そんな恥ずかしいコトはやめて置け」と言われるかもしれませんが…。
今までこんなこと恥ずかしくてヒトに言えたことはなかったのですが、前向きにアクションを起こしてゆかなければならないと痛感しています。勿論、努力の結果認知特性が変わって「普通」に成るなんてことは絶対にありませんが(ただ、加齢のために今までの認知のバランスが崩れることはあるかもしれないとは思っています。)、せめて自分は自分を受け入れて「許して」あげて、ちゃんと出来る、って言ってあげないと。
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コメントをいただきありがとうございます。
適切なアドバイスというほどのことは書けないのですが……。
わたしも聴覚の記憶が弱く
できることとできないことの幅が大きいので、
コメント主さんの大変さがよくわかります。
特に<一方で、この認知特性のせいでヒトとは異なった
結果を残すこともあったのか、過剰な期待があるようです。
つまり、普通のヒトの同一線上の後に居るか
先に居るか、としか思われていません。
隣の別の路線に居るんだよ、と思ってくれた
ヒトには出会ったことがありません。>という部分、
自分の経験に重なります。
今でこそ自分のペースでできる気楽な仕事をしているので
それほど困ったことにはぶつかりませんが、
相変わらず、普通の人はしないだろうなぁと思うミスが多く、落ち込むこともしばしばあります。
できることとできないことや、得意なことと不得意なことの凹凸が、
一般的な多数派の方々と逆だった場合、
凹部分では、「みんなができていることができない→無能」と
容赦なく攻撃されることってよくありますよね。
もし多数派のできないことが同じようにできなくて、
苦手とするものを同じように苦手とするのなら
笑いあって親しさが増すこともあるのに、
多数派が「得意」というか、「普通」に「あたり前」にできることが
極端にできない場合、
いくら凸の部分でよくできていても、がんばっていても、
許してもらえないのが、集団の酷なところですよね。
<聴覚「断片」情報の整理について、
「断片」すなわち「全体統合未然」ということですが、何かアイデアがありましたら…。>
ということですが、
残念ながらいいアイデアは思いあたりませんでした。
コメントを読ませていただくと、
現在、緊張とストレスでこれまで以上に記憶力が落ちたり、
ミスが目立ったりしているようですから、
そのせいで自分を責め立てる思いや周囲の期待に添えないとい将来への不安などが
繰り返し心に浮かんできて、
それが記憶の邪魔をしている面もあるのではないでしょうか。
もしそうなら、心の中の廃水を流すつもりで、
心に浮かぶことをノートに書けるだけ綴っていくと
勝手に嫌な思いが浮かんでくるのが減って、記憶がしやすくなるかもしれません。
わたし自身の苦手克服法は、苦手なことを
自分が得意なことやできることの枠内に引き込んで、
そのやり方で処理することです。
「いったん別の脳の回路で処理している」という感じがあります。
たとえば、わたしは聴覚の記憶がとても弱いのですが、
物語ならイメージするのも記憶するのも得意ですし、聞いたことを要点を映像化したものに
変えることができるので、大事なことは
そうして覚えています。
それでも、コメント主さんのように歩きながら耳にした内容は
すっかり頭から消えてしまうかもしれません。
何をどんな風に忘れたのか、ひとつひとつ時間と内容をメモしていくと
対策が打てるかもしれませんよ。
新しい環境に慣れていくのは大変でしょうが、どうかがんばってください。