虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

年少さん、年中さんの算数遊びの一コマ♪

2013-11-13 21:43:25 | 算数

年少さんと年中さんのグループの算数遊びの一コマを紹介します。

 

ルールを聞いて、条件通りに小物を置いていく課題をしています。

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りかちゃんの家族やお友だちに、それぞれふたつずつ

おもちゃのお家を2つずつ配っていきます。

ひとりの人がもらうおもちゃの色はちがうように配ります。

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上手にできたので、配るお家を「異なる3種類ずつ」にしました。

 

みんな楽しく取り組めました。

こうした課題をしながら、

「7人の人にそれぞれ2つずつお菓子を配るとすると、いくついるでしょう」といった

課題を推理する力もつけています。

年少さんの☆ちゃんの数遊びの様子です。

「9の次の次の数は?」

「8の前の数は?」

といった問いを聞いて、数のカードを選んでいます。

意欲や集中力を保つために、

ひとつ答えるごとに、ミニチュアの小道具の中からかわいいものを選んで

取ったカードの上に置いています。

 


機能不全家族について  もう少し 12

2013-11-11 21:07:51 | 日々思うこと 雑感

先に書いた旅行の記憶は、長い間、心から抹消しようと努めていたため

不確かで断片的なシーンの寄せ集めとしてしか残っていません。

 

その旅行の際に、梶井基次郎の文学碑を見た覚えがあるけれど、

それは別の日帰り旅行の思い出が割り込んだものなのか、それを確かめる術もないまま、

こちらはかなりはっきりと残っている心の軌跡を頼りに書いていこうと思います。

 

その旅行の少し前、わたしは同じサークルの友だちから、

「F先輩、○組のU子ちゃんと付き合っているんだって」

という噂話を聞きながら、学校の近くの坂を登って行く

F先輩とU子ちゃんの後ろ姿を眺めていたことがありました。

 

U子ちゃんは、別のクラスのわたしや友だちがその人気を耳にしているほど、飛びぬけて可愛らしい子です。

F先輩は、同じサークルのOBで、

わたしからすると、その時もそれからも、

「顔は知っているけれど……」とか「事務的なことをちょっとしゃべったことがあるかな……」といった

程度の知りあいでした。

噂話に、「ふーん」と無関心な相槌を打ったまま、すぐに忘れてしまいました。

 

旅行先で、自宅に招いてもらった先輩と雑談していた時のこと、

どうしてそんな適当なでまかせが口から飛び出したのか、

自分で自分の舌が信じられないほどなのですが、

わたしは「実は、F先輩のことが好きなんですよ……」といったことを伝えました。

 

虚をつかれた先輩は、唖然としたまま開いた口がふさがらない様子でした。

自分で言っておきながらおかしいのですが、「唖然としたまま開いた口がふさがらない」とは、

わたし自身の心境でもありました。

それまでF先輩のことなど考えたこともなかったし、

実際、好きかどうかなんて口にできるほど、知っているわけでもありませんから。

 

なぜそんなことを言ってしまったのか、どうしてF先輩の名前が口にのぼったのかといえば、

意識にものぼらない心のどこかで、

Uちゃんのような可愛らしい彼女がいるのだから、絶対にわたしに振り向くことはない、

と確信していたからなのでしょう。

 

そんな嘘が口から飛び出すほど、これまで親しくしてきた関係を終わらせたい、逃げ出したい、

と性急な気持ちに駆られたのは、

本当の心の底を探ると、

先輩の家を訪問したからでも、未来の選択肢のひとつに怖じけていたからでもありませんでした。

 

それは、幼馴染みのAくんが現れて、

なつかしい思い出に浸るうちに気づいたのですが、

わたしは今の自分、特に先輩といっしょにいる時の自分が大嫌いだった

からでした。

 

Aくんといっしょに駆けまわっていたころのわたし、

想像をめぐらせることと知恵を絞ることに自信があって、

内気だけど活発、おっとりしているけど快活、弱々しいけれど勇敢でもあった本来のわたしは

もうどこにもいませんでした。

ただ母が期待する役割を、期待している本人にその真偽も優劣も見分ける眼識など残っていないことを

知った上で、演じ続けるわたしがあるだけでした。

 

 旅行の道中、「いつから?」とか「どうして、黙ったまま、いっしょに出かけてたの?」などと問われる度に、

しどろもどろの滅茶苦茶な受け答えを続けながら、

自分の言ってしまったことの取り返しのつかなさと訳のわからなさに

恥じ入っていました。

 

その晩、わたしと先輩は、他のメンバーが面白がって聞き耳を立てる中、

F先輩の件をめぐって口論になりました。

口論と言っても、怒って責め立てる先輩に対して、

わたしが謝ったり、言い訳したりしているだけなのですが……。

どのような様子だったのか、どんなことを言いあったのかは覚えておらず、

たた、それが旅行の引率をしていたK先生の耳に入るほど激しいものだった事実だけが

残っています。

後から、K先生に呼ばれたわたしと先輩は、呆れられた上で厳しい叱責を受けることになり

ました。

 

実際、もしこの出来事がK先生に知られることさえなかったら、

立ち直ることができないほど痛い出来事として、

記憶に刻まれることはなかったのかもしれません。

せめて、K先生に呆れられたり叱られたりするのが別の一件で、わたしだけが

注意を受けるのであったら、どれほどよかったでしょう。

というのも、先輩はK先生を心から尊敬していて、

しょっちゅう話題にのぼっていたからです。

 

 


プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考

2013-11-11 09:37:40 | 初めてお越しの方

過去記事です。

『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』 
山梨広一 東洋経済新報社
を読みました。
プロガプティブは、この著書では、「可能性を信じ、可能性を広げる」という意味で用いられています。

本のカバーに印刷された言葉。
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「これは無理だ。なぜなら……」という発想と、
「たぶん、できるはずだ。そのためには……」という発想は、結果的に天と地ほどの違いを生み出す。
プロガプティブ・シンキングとは、何でも面白がって可能性を否定することなく考える思考法なのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この本を読んで最初に、「これって子どもたちが持っている発想法だな。
大人の価値観で管理しすぎなければ、
子どもはおおらかにこういう考え方を発展させながら成長していく。子どもらしい前向きで勢いのある思考のあり方を守ってあげなくてはならない」と感じました。

それから、作者がそれぞれの会社に向ける可能性を信じる姿勢に共感し、
子どもたちに対しても、「○○だからダメだ」とあきらめず、まず「できる」と思うことの大切さを再確認しました。

作者の山梨広一氏は、コンサルタントの仕事をする中で、

最初に「できる」と思わなければ、何ごとも絶対に不可能だ

という信念と思考を身につけるにいたったそうです。
山梨広一氏は次のようにおっしゃっています。(要約しています)

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経営者というものは、必ず自分の会社の可能性を信じている。
そこへ外からコンサルタントが入っていって、「この会社は○○だからダメだ」と思っていたとしたら、距離が近づくはずがないし、新しいアイデアや活動が創出されるはずがない。

ろくに検証もせずにできないと決めてかかることは、思考停止と同義語だ。そして考えることをやめてしまえば、その瞬間にすべて終了なのである。

逆にあらゆる可能性を論理的に突き詰めていけば、
不可能と思われることが可能になることも決して少なくないということを、自分自身で何度も経験した。

ただそのためには目的や条件を変えたり、何かをやめたりしなければならないときもある。
何かが整うのを待つために、時間がかかることもある。
しかし、最初に「できる」と思うことで、それが実現する可能性は飛躍的に向上する。  (『プロガプティブ・シンキング 面白がる思考』より) 
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著者によると、人間の思考には4つの典型的なパターンがあるそうです。

<思いつき君>
<堅実君>
<ヒトマネ君>
<面白がる君>

最後の<面白がる君>が、プロガプティブ・シンキングをする人物です。
(これらの特徴はデフォルメされているので、実際はひとりの人の中にほかのタイプも混じっています)

<思いつき君>
とは、個別の具体的アイデアを湯水のごとく出してくるタイプ。

優れているところは、アイデアが具体的であること。確率は低くてもヒットの可能性を持っていること。
問題は、ヒット確率は保証されないことです。
また、なぜそのアイデアが出てきたのかという論理構成がしっかりしていないので、やってみた結果を貴重な体験として生かしにくい問題があります。

<堅実君>
とは、なにごとも手堅く堅実に考えて、実行に移すタイプ。
「仕事ができる」という評価を得ていることが多い。
事務処理能力が高く、ミスが少なく、責任感が強い。
欠点は、堅実にしか考えられないので、アイデアは平凡なものになる可能性が高いこと。文句のつけようがない無難なアイデアは、議論も広がっていきません。「斬新さ」や「変革」と無縁になりがちです。

<ヒトマネ君>は、誰かのアイデアや成功事例を拝借しようとする傾向が強いタイプ。
<ヒトマネ君>のアイデアは、聞いたことのない新しいアイデアではなく、必ずどこかにサンプルがあるものなので、具体的で議論がしやすい。
同業他者のアイデアを真似るのは、言葉は悪いが「パクリ」だが、
異なる業種のものをもってくるのは立派な「創造」になりえます。

弱点は、表層的な真似にとどまる限り、結果として成功しても失敗しても、実は本質がわからない。成功したからといって、たまたまうまくいっただけで、そこから次に広がらない場合が多いことです。

プロウ゛ォカティブ・シンキング で考える<面白がる君>とは、
何でも面白がって考えるのが特徴です。
難しければ難しいほど面白いと思います。
したがって、ブレークスルーや変革を生み出す可能性は、4人の中で一番高い。
<面白がる君>と一緒に働くと、本人も周りも「ワクワク感」、高揚感を持って仕事ができる。
何人かでチームを組むと、個人の発想や思考パターンの限界を超える可能性がある。
これは個人の成長にも貢献する。

まさしく現代は<面白がる君>が求められている時代なのです。

       (『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』より) 
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うちの子たちや虹色教室に通う子たちと過していると、子どもというのは、
本来、この<面白がる君>の特徴を強く持っている存在だと感じます。

特に、子どもたちが大人に干渉されずに自由に遊ぶ時には、
<面白がる君>そのものです。

もし時代が、<面白がる君>を求めているのなら、
私たちは子どもたちのそうした子どもらしさを
本当に大切にしてあげなくてはならないと思っています。

それは甘やかすことでも、子どものわがままや気ままを
何でも許すことではありません。

子どもたちは、たくさんの自由時間と
友だちと群れて遊ぶ場を必要としています。

干渉されず、評価されず、何度も失敗することが許される
『子ども時代』が必要です。
さまざまな年代の人々、職種の人々と接して、会話し、
生きる方向性を学ぶ機会が必要です。
たったひとつの正しい道だけではなく、
いくつもの回り道があることも大事だと感じています。

現在、優秀な子たちはごくわずかで、残りの大多数の学力が底辺にとどまっていることが指摘されています。「中間層」がいないのです。
これは子どもたちが、また子どもを支える大人たちが、百かゼロか、○か×かの判断をしがちで、
唯一の正しい道から少しでもそれたら、
「できない!」と決め付ける思考停止に陥りがちなことから
来ているように感じています。

「トップをキープできないなら全く勉強に手をつけない、
がんばることをやめてしまう」なんて極端に走らず、

『どんなときも、自分の可能性を信じ、可能性を広げていく努力を怠らないたくましさと明るさ』を
子どもたちの心に育んでいきたいと思っています。


アルバイトに行く準備をしている娘と息子の受験の件で口喧嘩になりました。
娘の抗議は、息子はすでに学校に勧められた私大は受かっているのに、
どうして行くつもりのない地方の国立大を2つも受けるのかという話。
陰でダンナが娘にこぼしていたようです。
私にしても、前回の三者面談までは、そんな無駄な受験をさせる気はさらさらなかったのです。

でも担任のあまりの熱意に押されたのと、
現役合格者数をアピールしたい学校側に対して、
浪人させると迷惑をかけるという申し訳なさで、
何度もしつこく断りながらも終いには承諾してしまったのです。

こうした学校への御奉仕としての受験は、私立高の特進クラスではあたり前と聞いていて、
他の学校では、「受かるところばかり20校受けた」なんて話も耳にしています。
娘から「どうして?」と責められると返す言葉もないのだけど、
懇談の場では、この話を承諾するかどうかで、
担任の先生のこの1年の学校での立場が変わってくるのかも……と思うと、つい心が大きく揺らいでしまったのです。

それまで「そんな無意味な入試、絶対したくない」と言い続けていた息子も、懇談の後は苦笑いしながら、
「やっぱりさ、先生のうれしそうな顔を見ると、まぁいいかって、こっちまでちょっとうれしくなってしまうよね。お母さんもだろうけど、たとえ気の合わない相手でも他人がうれしそうにしていると、それだけで幸せな気分になるもんだな」とつぶやいていました。

そんなわけで、ピリピリしながら家を出て行った娘を見送って、思わず長いため息をついていると、2階から息子が降りてきました。
「それ良かったわよ」とテーブルの上の『面白がる思考』の本を指差すと、
息子はちょっと神妙な顔をして、こう言いました。

「お母さんがそういう企業理念やビジネスのあり方についての本を読むことは、お母さんの教室のような小さい規模の自営業においても大事だし、役立つことだとは思うんだよ。

でもそうした本にある方法と、実際のお母さんの仕事を切り離して考えた方がいいと思うんだ。

ひとつには、そうした本が目指している先にある企業が求めるお金や事業の拡大といった目標と、お母さんの求めているものが少しちがうってことなんだ。つまり、お母さんにとって大切なのは、金銭的な成功よりも、精神的な充足感の方だよね。
ぼくにしたって、売り手の好みに媚びるだけのものづくりはしたくないと思っているんだ。職人魂のようなものも大事にしていきたいし。

それと、もうひとつ。ポーカーをしていると実感することなんだけど、
それが本当に良い正しい方法だったとしても、これでいけるって思いすぎると、ひとつの手段しか考えられなくなって、視野が狭くなったり強迫的な思考に陥りがちになるんだよ。」

「確かにそうね。なら、こうした本を読みながら、どのようであればいいと思うの?」

「それでいいのか、常に別の解決策を探っていく必要があると思うよ。
考えていく上で正しいと信じることがあるゆえに傲慢になっちゃいけないというか……つまり謙虚さがいるってことだよ」

「ふーん、そうなの。
お母さんがこうしたビジネス書を読むのはね……こういう理由もあるのよ。
ちょうどこの間、主婦仲間で集まった際に○さんがこんなことを話していたのよね……。
○さんが社会に出て働き出したとき、学生の間、学校で自分に求められていたものと、社会に出てから自分に求められるもののギャップがあまりに大きくて、180度違うといってもいいようなものだったのでショックを受けたらしいのよ。学校にいるときは、とにかくテストの成績を上げることが、自分を高める手段だと思わされているのに、
一歩外の空気を吸えば、人と関わる力や場の空気を読む力や現場で創意工夫しながら柔軟に動く力とか、叱られても、へこまない鈍感力なんかが要求される。
学歴が高くても、創造性が弱くて、自発的に動けない人は、
クズ同然に扱われる職場もあるのよね。
学校と外とのギャップがそんなにも大きいと、
社会の風にあたったとたん、たちまちヘナヘナ~となってしまう日本人の若者が多いわけよ。
そんなんじゃ海外のハングリー精神がたくましい若者たちに太刀打ちできないわ。
それって、変な例えだけど、いずれ野生に返す野生動物をペット化して、いろんな芸とかしこんで喜んでいるようなもんじゃないかと思うのよ。
芸の訓練は動物の知能を向上させているかもしれないけど、結局それだけでは、野生で生きる足かせにしかならないのよね。

だからお母さんがこうしたビジネス書を読んだり、いろんな会社の社長の企業理念とか読んだりするのは、
子どもたちと接しているからには、自分自身に外の世界……社会との風穴を開けておきたいの。
今社会が次世代を担う子どもたちに何を求めているのか、
常に新しい考えを取り入れて、子どもたちに伝えていきたいのよ」

息子はわかったという風ににっこり笑ってうなずきました。

子どもたちが大きくなってくると、意見するより意見されることが多くなります。


わが家は子どもたちが大きいもので、このところの家族内で飛び交っている会話のほとんどがビジネスネタになっているので、ついブログまでそれに染まってきています。(幼児教育の話、待っている方すいません~)

今朝、『ルソンの壷』で、「三日月百子(みかづきももこ)」という創業12年で年商28億円の売り上げを誇る300円均一ショップが取り上げられていました。
従業員の98%という女性の「感性」を武器に、女性の心をくすぐる品揃えで不況を生き残るビジネスモデルを確立したとされる物河昭社長。

これを見ていて、ファンシーショップをしていた頃のことが懐かしく思い出されたのと、
ファンシーショップの話 1
ファンシーショップの話 2
ファンシーショップの話 3

会社で働く若い女性たちを見て、うちの娘の姿と重なったのとで、思わずテレビ画面に食いついていました。

物河昭社長は、あるとき、若い女性従業員に仕入れを任せてみたそうです。
すると、女性が直感的に「かわいい!」と仕入れてくるものは社長が絶対選ばないような妙なものが……。
でも、それがあっという間に完売することを繰り返したそうです。
たとえば、20代前後の女性客がターゲットの店に、「ままごとセットはないでしょ?」と社長は思うわけだけど、
そんな男性の感性では「ありえない」ものが、どれもこれもすぐに売り切れてしまう訳です。そこで、社長は、仕入れから店の飾りつけから何から何まで女性陣に任せていって、年商28億円を誇るようになったそうなのです。

この「かわいい!」を嗅ぎ分ける感性は、女性の、それも若い子たちにはかなわないのかもしれませんね。
「三日月百子(みかづきももこ)の女性従業員の年齢は、うちの娘とあまり変わりないように見えました。

最近、海外留学の準備をしたり、将来の夢のためのトレーニングをしたりと、夢に向かって邁進する親しい友人たちの影響を受けて、
ちょっとあせっている様子の娘。
「何か特技を磨きたい。資格を取りたい。やっぱり英語かな?それとも文学全集読破とかして、自分を内側から高めた方がいいのかな」と迷いを口にします。
他人に誇れる何かを持ちたい、今の自分のままじゃダメだ……そんな風に悩む年頃なんですね。

親とすれば、いっぱい悩んで、いろいろやってみて、挫折したり、失敗したり、悩んだりしながら、少しずつ自分を確立していって欲しいと望む反面、
『今の自分のまま』の娘も、十分すごいんだけどなぁと感じています。

といっても、私が娘に対して「すごい」と感服している力というのは、
学校のような場で評価される能力じゃないし、資格でも受賞歴でもないし、
芸術やスポーツの才能でもないのですが……。

ならその「すごい!」って何なのか? と言えば、
今朝のルソンの壷を見て、「そうそうコレコレ!」と指をさしたくなったほど、「三日月百子(みかづきももこ)」で仕入れや飾り付けに手腕を発揮する
「かわいい!」にビビビッと反応する女の子たちの姿と重なったのです。

従業員の女性たちって、女の子たちに「私を買って!」アピールするかわいいもの、きれいなもの、ブランド品、面白いもの、100円グッズに囲まれて
育ってきたうちの娘たちの世代の子らなんですよね。
進化するカラオケやコンビニや旅行パックやらを友だちと便利に利用し、携帯だ、ミクシーだ、音楽のダウンロードだと、めまぐるしく変わるツールを当たり前のように使って暮らしている世代。

うちの子たちは2人とも、世間から学力低下の全責任を負わされている『ゆとり教育』にどっぷりつかって成長してきました。

子育てを振り返ると、学校でどんな教育を受けていたかということより、
子どもたちが消費のターゲットとなり、
子どもの世界に堰を切ったようにブランド品やら、ファンシー文具や、エンターテイメントの遊技場やケーブルテレビ、ビデオレンタル、携帯電話などのITグッズ、ホストやホステスを子どもの憧れに祭り上げる風潮やら、
が流れ込んできたことしか記憶に残っていないのです。

そんな急激な大人世界の子ども世界への奇襲攻撃にさらされながら、
それ以前の子どもたちとは180度異なる子ども時代を生きてきたのが、
このゆとり世代の子たちとも言えます。

これって未開発の地で、現地の人が自然相手にバランスよく暮らしていたところに、大量の物が流れ込んできて、あまりの誘惑の多さに惑わされて
それまで継承されてきた堅実な生活が成り立たなくなった様子とよく似ています。
経済の発展には仕方がないことなんでしょうけど、
ゆとり教育の世代が、勉強しないのは、教科書が薄くなったからではないな……というのは現場で子育てしていると、一目瞭然のことなのですがね……。

(話が、ちょっとそれますが、脱ゆとりを掲げて学力低下を食い止める策が練られて、テストの点という部分だけ見ると、子どもたちがしっかりしてきた印象があるかもしれません。
でも、子どもに関わるボランティアなどをしている人々が口をそろえて嘆くのは、ゆとり世代の子よりはるかに幼くなった依存的で無気力な脱ゆとり後の子どもたちの姿です。
そうした現実を現場で見つめることなく、テストの点だけで子どもを操作しているつもりになるのは危険だなと感じています。)

あんまりよく言われたためしがない平成生まれの子どもたち、
学力や常識は欠落しているのかもしれないけど、
今の時代の空気や消費、ビジネスセンスといったものへの感性は、昭和の時代に育った私などとは比べ物にならないような敏感さを持っていて、
びっくりしてしまうことも多々あるのです。

娘(月の小遣い千円です)が小6のとき、
「お母さん、●●ブランドの髪留め、2個1500円もするんだって!!友だちと買って1個ずつ分けようって相談しているんだけど、買ってもいい?」と聞かれたときは驚いたものの、
「自分のお小遣いで何とかするんでしょ。なら本当にそれだけの価値があるのか試してみたら?」ちょっと呆れつつ返事を返した覚えがあります。
すると、その後も好奇心を刺激するものをいろいろ試すものの、
けっこう財布の紐は難くて、
商品やサービスを見比べる目だけをどんどん高めていく娘の姿がありました。

今の時代の空気や消費、ビジネスセンスといったものへの感性と言えば、
ファンシーショップをしていた時期は、
私も自分の女性的な直感的な勘をフルに使って仕事をしてはいました。
そして、それがまあまあ良いところを突いて当たってもいました。

でも、平成生まれの娘や息子と話をしていると、
そういう私の直感なんかとは根本的に異なる
『今の時代』が血となり肉となっているような感じ方や考え方とぶつかって
面食らうことが多々あるのです。

それは娘の場合でしたら、ひとつには
自分たちの世代の持つ『もろさ』や『コンプレックス』を十分承知していて、
それが消費活動に投影されていることもよくわかっていて、
次には何が売れるのか、何が流行するのかよくわかっている感性といったらいいようなものです。

「クラスで10番目に可愛い子」を集めたというAKB48のコンセプトが、
「完璧を求めて背伸びするのはしんどいし、あるがままの自分を認めてほしい、
だけど注目されて成功したい」という自分たちの潜在的なニーズとつながりあっていることが、
流行る前からわかっている感性とでも言ったらよいでしょうか。

もうひとつは、ブランド物に子どもの頃から触れていたゆえか、
ビジュアル世界の進化の中で育ってきたゆえか、
『クオリティーの高さ』というのはどういうものか、世界中のデザインに好奇心を広げつつ、その質が何ゆえにいいのか感覚的にわかっている感性。

また別に、常に欲望をそそるコマーシャルを雨のように浴びて育ってきているだけに、
何が人の購買意欲をそそるのか、単なるキャッチコピーのようなものを超えて
よくわかっているところがあるのです。

息子の場合、
多すぎる情報の中で、優れた消費者になるよりゼロから作り出す生産者なることの方に魅力を感じていました。

一方で、さまざまな情報を自分の手足のように使っていくところが平成生まれの子だなぁとしみじみ感じます。

写真は、小3のとき、息子のもとに明糖製菓から届いたお菓子の詰め合わせに入っていた手紙です。

ちょうどその頃、私が公募にはまっていて、
私は文章で、娘は地域のビジネスアイデアコンテストのようなもので
賞をいただいていたときでした。

他人のしていることに乗っかるのが嫌いな息子は無関心を装っていました。
が、ある日、自分が食べているお菓子のパッケージをまじまじと見つめて、
「お母さん、ここに書いてある住所は、お菓子を作っている会社のものだよね。お客さま相談室って、お菓子を食べた人が感想を送ってもいいんだよね」と言うなり、自分が考えた『ぷくぷくたい』の新しい食べ方や活用法をへたくそな字ではがきに綴って、その住所に送っていたのです。

「よくそんなこと思いつくな。でも、そんなの読んでもらえるのかな?」とそのときは誰も気にもとめていなかったのですが、
とても親切なお客さま相談室の手に届いたらしく、
後日、息子のもとに、
小ぶりな段ボールいっぱいのお菓子の詰め合わせと、
ていねいな手紙が届いたのです。

そんな風にさまざまな情報をごく身近に感じて育った息子。

先日もこんなことを言っていました。
「今は簡単に音楽をダウンロードできるけれど、一方で、CDやレコードを一枚一枚購入していた時代の、自分個人の物を買ったというリアルな実感が価値を持ってきているように思うよ。
CDについている歌詞カードなんて、作るのにかかる費用なんてしれたもんなのに、そんなもの1枚がヤフーなんかでCDが売買される際には、大きな金額の差を生んでいる。

いろんな情報をシェアする時代だからこそ、自分のもの、自分のために買ったものという証明のようなものがほしくもあるんだ。
なぜ、多くの人々がキャラクターを愛するのかといったことも、その根底にある意味をつきとめていったら、求められているものが見えてくると思うよ。

たとえば、ホームページビルダーなどのアプリケーションを、みんな道具として捉えていて、そこに自分の物を買ったという満足感を見出しにくいよね。

でも、そこに一昔前の人々がCDやレコードを買ったときに感じたような付加価値を付け加えると、またちがったものになってくると思うんだ。
たとえば、ホームページを作るアプリケーションなんかを、個人の好みや趣味に強く訴えるもので、選べて、組み合わせが楽しめるようなものにするとかさ。
もうすでに、そんなことを考えている人はけっこういるのかもしれないけど、そういうものを、単にこれまでの模倣ですればうまくいくわけじゃないよ。
まったくこれまでにない新しさと気づかれていなかったけど大事な古さが両方必要なんだ。」

虹色教室通信を読んでくださっているというパパさんたちから、
「ビジネス書の記事も楽しみにしています」と言っていただくことが増えました。幼児教育の記事といっしょに
こうした記事もちょくちょく書いていこうと思います。
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プロウ゛ォカティブ・シンキングをどのように身につけるのかで一番大事なのは、マインドセットをなのだそうです。
右脳か左脳かで言うと、右脳のほう。
感情や感性の果たす役割が大きいのです。

鍵となるマインドセットは、3つ。
ひとつは可能性を信じること。「できない」と思っていたら、何もできるわけがない。「できる」と言い切ってしまうことも必要です。

二つ目は、好奇心を持つこと。いろいろな種類の情報に、いろいろな角度から興味を持つこと。これまで気にしていなかったことや、
まわりのみんなが無視するようなところに着目します。

三つ目は、好奇心を持って集めた情報が、自分が取り組んでいる課題の本質やその解の方向性に関してどんな意味を持つのかを考えるときに、収集したひとつひとつの情報からたくさんの多様なメッセージを読み取ろうと楽しむこと。

(『プロウ゛ォカティブ・シンキング 面白がる思考』山梨広一 東洋経済新聞社 の一部より引用)
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web拍手にいただくコメントを読んでいると、
面白いことに、この虹色教室通信、子どものいらっしゃらない男性で読んでくださっている方もちらほらあるようなのです。

それって、この二つ目の

<まわりのみんなが無視するようなところに着目する。いろいろな種類の情報に、いろいろな角度から興味を持つ。>

という『面白がる思考』のなせるわざなのだろうなと思います。

まず「できる!」と可能性を信じることから始める
プロウ゛ォカティブ・シンキングのマインドセット。
わが家でも思い出深い出来事があります。
(他人が「へっ?」と思うことをするのは息子が多いので、息子のネタばかり続いてますが……)

息子が4年生のとき、夏休み中遊びほうけて、
8月の終わりにちゃちゃっと1日で仕上げた自由研究を提出した後で、
2学期が始まってから「光の研究がしたい」と言い出したことがあったのです。

私ははじめ「ホログラフィーが作ってみたい」と息子に相談されたときは、
「それはいくらなんでも無理でしょ」と思いました。
SF映画みたいに空中に浮かぶ立体映像が作りたいと本人は思っているのです。
「そんなのできるわけがない……。」
一瞬、プロウ゛ォカティブ・シンキングからほど遠い考えに傾きました。
でも、息子の「室内に蜃気楼を作り出して、3Dを浮かび上がらせたい」というアイデアを聞いたときは、思わず吹き出してしまって、
それなら何人かお友だちを集めてチームを組んで、好きなようにやってみたらいいわと答えました。

そのとき、息子が「光の研究をするきっかけ」として書いた作文を載せますね。
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テーマ『光の性質を利用して、ホログラフィーがつくりたい』
きっかけ

ある夜ぼくは、お姉ちゃんのへやにいって、
「映画がはじまりまーす」と電気を消した。
ビニールぶくろにマジックで絵をかいて、
うしろから懐中電灯でてらしたら、かべに映画みたいなのが、うつる。

お母さんに見せたら、「子どものころ、小学生向けの雑誌のふろくに、
映写機がついていたの。
アニメのフィルムをこんなふうにみたわ」といった。
映写機のことをいろいろ聞いているうちに、光をつかった実験がいろいろしたくなった。

ぼくは夏休み中、自由研究のテーマがなかなか思いつかなかった。
夕ごはんのとき「光の研究がしたいけど、もう2学期がはじまっちゃったから、
終わりだね」とがっかりしていったら、お母さんが
「公募の本で、科学コンクールの募集を見たけど、まだだいじょうぶだったと思うわよ」
といった。

「じゃ、ホログラフィーを作りたい」と
急に思いついていった。
「ホログラフィーって何?」とお母さんが聞いた。
「立体の空中に浮かぶやつ」
「ああ、SF映画とかに出てくるあれね」
「それは無理じゃないかなぁ」
お父さんもお母さんも首をかしげた。

ぼくはいろいろやったらできるかもしれないと思うんだけどな。
「特別な条件の下なら、そう見えるかもしれないし、自分がやりたいテーマで
研究したらいい」とお母さんも賛成してくれた。
ぼくにはひとつアイデアがあった。
さばくにうかぶしん気ろうは、機械がないのに立体映像が見られる。
しん気ろうができるしくみを
探って、ホログラフィーの作り方がわからないだろうか?
ぼくの持っている『ドラえもん 不思議サイエンス』という本に、
「しん気ろうは、地面近くに
密度のちがう空気の層ができたときに起こる現象です。
下層に密度の大きい冷たい空気、上層に密度の小さいあたたかい空気があるときは、
実際の像は、浮いて見えます。
反対に下層にあたたかい空気、上層に冷たい空気があるときは、像は沈んで見えます」と書いてある。
密度が均一でない空気中で光が曲がって見えるから、しん気ろうは見える。

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ちょっと尻切れトンボに終わっている文ですが、
息子なりに一生懸命書いて、その後、研究結果もまとめていました。

私はドライアイス用意したり、虫眼鏡用意したりと、ちょこちょこ手伝いながら、最後は失敗に終わってもやることに意義があるんだから……などと考えていました。

それが、
なんと……ホログラフィーができたのです!!
ガラスの屈折と目の錯覚を利用したもので、本当にホログラフィーと呼べるものかはわからないのですが、
いろいろ実験をやっているうちに、まったくの偶然なのですが、
空中に浮かぶ像を作ることができたんです。
できたときは、子どもたち、万歳三唱していました。
材料は、ガラスのコップ ガラス細工人形 ガラスの鍋蓋 懐中電灯です。

最初に息子が『ドラえもん 不思議サイエンス』から思いついた
砂漠の蜃気楼を作って像を浮かび上がらせるという案は、
いくら何でもむちゃくちゃな話のようにも思えました。
案の定、ドライアイスを使って密度や温度の異なる空気の層を作り出そうする実験はどれも失敗に終わりました。

が、この蜃気楼ができる仕組みの
「密度が均一でない空気中で光が曲がって見えるから、しん気ろうは見える。」という一文から出発して、片っ端から光を曲げてくれそうな物を集めて実験していったところ、
終いにガラスコップの中央部に3D映像として浮かび上がる像を作り出すことに成功したのです。

この出来事で、「できない」という発想ではなく、
「できる」と可能性を否定することなく考えていくことの大切さを
心に刻みました。


運動会シーズンが終わった後で、教室に創造的な雰囲気が戻ってきました♪

2013-11-10 18:08:02 | 工作 ワークショップ

このところ、レッスンの様子を記事にする時間がなかなか取れないのですが、

時間ができたら、書いておきたいことがたくさん溜まっています。

 

夏休み明けからしばらくの間、子どもたちがやりたがるのは、実験とごっこ遊びが主でした。

それ自体は悪くないのですが、じっくりと手間をかけて取り組む工作やブロックの大作を作ってみようと

いう子が少なくて、寂しい気もしていました。

が、運動会シーズンが終わった頃から、日々の忙しさから解放されたためか、

教室に創造的な雰囲気が戻ってきました。

「今日は何をしたい?」とたずねると、

「こんなことがやってみたい」「あんなことがしたい」

いろいろな意見が飛び交うようになりました。

写真は小2の☆ちゃんが考えたからくりハウスです。

3種類の形に変化し、その度に、きちんと留める部分やカギを作っていました。

実は、これが完成するまで、なかなかうまくいかずに、何度も何度もやりなおしていました。

 最初に「こんな家が作りたい」というきっかけになった
開閉式のドールハウスを開けたり閉めたりして、
よく観察しながら、どうやったら思うような形に仕上がるのか
考えていました。

完成品を撮りそびれて残念ですが、開閉するカーテンがつき、コンパクトに折りたたむことが

できるとてもすばらしい家が完成しました。

 

他の子らの作品も、またアップしてきますね。


機能不全家族について  もう少し 11

2013-11-10 06:38:41 | 日々思うこと 雑感

特定されるといやなので、正確に書けないのですが、

わたしはクラブとは別に、読書会を開いていたK先生を中心とするサークルのようなものに

所属していました。

他のクラブが3年生を送りだすための卒業旅行であわただしくなる時期、そのサークルも

OBも誘って一泊旅行に行くことになりました。

 

旅行に大学に通っている先輩も参加することを知ったわたしは、

同じことばかりぐるぐる考えて、考えれば考えるほど気が滅入って、

自分でも何をどうしたいのか、自分が何を考えているのか、さっぱりわからなくなっていました。

 

「わたしが将来、夢見ているのは、良妻賢母じゃない。

作家になりたいのだ。

これから先、就職するにしろ、結婚するにしろ、選ぶ上で一番大きな決め手となるのは、

経済的なものでも、社会的評価でも、愛情ですらなく、

書くための自由な時間と自由な心の状態を保てる場と

いかに多種類の広い経験を与えてくれるかだ。

 

わたしはどんなに立派な家でもそこに閉じ込められたくはないし、親族との関わりで精神的に縛られたくもない。

 

でも、先輩はわたしと結婚したいと言ったわけでもなく、

わたしが高校を卒業したら、きちんとつきあおうと言っただけなのに、

こんなことで悩むなんてばかげている。

これから先、お互いにさまざまな人と出会って、たくさんの別れも経験するだろうに、

ひとりで先走りすぎだ。

ただ、これからわたしの心の内を知らない先輩に対して、最終的に別れることを願って

つきあい続けるのは、どうなんだろう?」

そんなことをあてどなくぐるぐると考え続けていました。

 

そういえば、先輩には、幼馴染のAくんとは異なるタイプの周囲の目を気にせず行動できる

自信のようなものがありました。

その言動からは、わざとらしくはない礼儀正しさや

自分の生き方を正当な道の上で模索していこうとする

自己管理能力のようなものや計画性が透けて見えました。

先輩の家を訪問した日、そうした先輩の資質が

きちんとしたお家の考え方やしつけからきていたことを感じました。

 

わたしは恥ずかしげもなく2Kの団地住まいに先輩を招いたことがありました。

たった2間のごちゃごちゃした家を気にかけてもいない先輩に対して、

きれいに手入れされた広々とした家を理由に、

これまで続けてきたずっと心を温かくしてくれていた関係から

逃げ出したくなっている自分に、つくづく嫌気がさしていました。

 

 

 

 


「心が大きく広がり始めた♪」 うれしい成長 6

2013-11-09 13:31:31 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「心が大きく広がり始めた♪」 うれしい成長 5

 の続きです。

 

「ガチャーン!お皿がガチャンなっちゃた!ガチャーン!お皿がぁ~!」と

大きな声をあげた★くん。

すかさず、

「お皿が?お皿が割れたの★くん?

それは大変。

カケラが足にささっちゃうよ。気をつけて!」と言うと、

○くんが片足でけんけんしながら、「イタイイタイ!ささっちゃった。お皿が割れたから

足がイタイ」と言いました。

自分が言った「お皿が割れた」に、わたしが受けて、○くんもけんけんまでして

楽しそうに応じた展開に、★くんは声が裏返りそうな喜びようでした。

その後も、★くんは、少しの間、他の遊びをしていたかと思うと、

再び、お皿を落として、「お皿が、ガチャーン。割れちゃった。割れちゃったよー」と言いました。

そこで、わたしが、前と同じように、

「お皿が?お皿が割れたの★くん?

それは大変。

カケラが足にささっちゃうよ。気をつけて!」と言うと、

○くんも片足ポーズを取って、「痛いよー。足にお皿のカケラがささっちゃったよー」と言いました。

 

それから、★くんは何度も何度も、お皿を落としてみては、

「お皿が、ガチャーン。割れちゃった。割れちゃったよー」と繰り返しました。

その度に、わたしと○くんで毎回おなじみの「お皿が?お皿が割れたの★くん?……」「痛いよー。

足にお皿のカケラがささっちゃったよー」と応じていると、

それまでは、ひとりごとを言いながら自分の世界にこもってしまうと、他の人の声が聞こえないかの

ように振舞っていた★くんが、こちらの反応に強い関心をしめすようになってきました。

 

お皿のストーリーを少しずつ長くして、怪我をした○くんを介抱するために

救急車の出動を要請したり、

薬を塗って、ばんそうこうを貼るシーンを演じたりする時も、面白そうに見ていました。

 

また、こんなこともありました。

前回までのレッスンで、★くんは、川の絵がプリントしてあるブロックの基礎板の上に

船を滑らせて、「助けて~」とひとりごとを言っていました。

★くんがごっこ遊びを広げていくのに役立つと思ったわたしは、

その板は「★くん用に」と取っておいて、★くんがごろんと横になりそうになったら

それを出してきていました。

 

ところが、そうしてよけてある板を目にした○くんが、

それを使いたがりました。

「これはね、★くんが大好きな板なのよ。この川の上で、

舟を動かして、あっ、落ちる落ちる助けて~て言いながら

遊ぶんだから。」と★くんに聞こえるように○くんに説明しました。

「ぼくが今日は使いたいんだ。貸してよ!」○くんがむくれて訴えたので、

「★くんのお気に入りなんだから。使いたいんだったら、先生に言うんじゃなくて、

★くんに聞いてちょうだい」と告げました。

 

途中ですが次回に続きます。

 

 

 


機能不全家族について  もう少し 10

2013-11-08 15:25:48 | 日々思うこと 雑感

ずいぶん幼い頃からわたしは、考えることが嫌いではありませんでした。

ほんのささいなことも、過去に遡ったり、先を予測したり、背後にあるものを見極めようとしたりしながら、

何日もかけてじっくり頭の中で練っていくのが常でした。

 

以前、『だーれが、殺したクックロビン?』という子ども時代の思い出を書いたことがあるのですが、

どうして、この出来事をこのような形で記憶していたのかといえば、

子どもながらに、非常に不安定で多くの不満を抱えている人々が、共通の敵に怒りの矛先を向けることで、

仮想の親密感を保とうとしていることに気づいていたからでした。

 

そして、遭遇している事件と身の回りのクリーンな空気との間に感じる違和感の理由を

突き止めて、言語化したいと切望してもいました。

わたしは見るからに子どもっぽい子どもでしたが、

同時に大人たちを告発するような視線で、

見えているものも見えていないものも、ひとつ残らずチェックし、

自分の内側に、それに対する冗談めかした嫌味まで用意していました。

 

たえずぼーっとしたまま上の空で過ごしていた高校時代にしても、好奇心と探究心だけは

強くて、ユング心理学の元型の概念に夢中になったり、

進化論に意識が関連していないのは、どう考えてもおかしいんじゃないか、と考えて、

自分が納得できるまで、さまざまな分野の本を調べ続けたりしていました。

 

 そんな一方で、高校を卒業するその時期まで、

わたしは自分のために自分の頭を使うことが

できずにいました。

自分のために自分の頭を使っていないことに気づくことすらできませんでした。

 

それまで、わたしは自分の行動や感情の動きをていねいに観察していたし、

小説を書く時、役立つように、それらを言語化する努力を怠りませんでした。

 

それにも関らず、困り事にぶつからないように気をつけておくことも、

自分の楽しみのために気を配ることも、自分が暮すのに必要な情報を集めることも、

自分が他から良い評価を得るように努めることも、

自分の友だちやつきあっている人について思いをめぐらせることも

できずにいたのです。

おそらく自分がより快適に生きることを考えだしたら最後、

一日たりと、今ある生活を維持することができなかったからでしょう。

自分のことから目を逸らすことで、

苦しみを感じないようにしていたのです。

そのため、自分の言動に対する責任感が希薄で、

嫌なことにぶつかると、周りへの影響も考えず、全てを放り出して逃げだしたい、何もかもリセットしたい、

とばかり考えがちでした。

 

わたしはずっと自分の両親については、「思考のロックがかかっている、

ある部分については、まもとに物を考えることができていない」

と思っていました。

が、自分自身にも、それもこんなにも根本的な部分で、思考のロックが

かかっていようとは夢にも思っていませんでした。

 

前に「自分を徹底的に打ちのめすような出来事」と書いた日までは……ですが。

 

 


機能不全家族について  もう少し 9

2013-11-07 15:08:53 | 日々思うこと 雑感

卒業を間際に控えたある日、わたしの自転車の前かごに紺色の小さなノートのようなものが

入っていました。

手に取ると、それは生徒手帳で、持ち主を確かめようと開くと、なつかしい名前が目に飛び込んできました。

それは幼馴染のAくんのものでした。

キツネにつままれたような思いで、手帳にある連絡先に電話をすると、

身体は大きくなったのに、幼い頃と変わらずクリクリした天然パーマにどんぐり眼のままの

Aくんが家にやってきました。

生徒手帳を受け取って、「すまない、すまない」と照れ笑いをしながら、

「卒業記念に友だちと飲んでたら、飲み過ぎちゃってさ。こんなところに手帳、置いてってたなんてさ。

それで、Sちゃん(妹)とかみんな元気?」と言いました。

飲み過ぎていたという言葉通り、顔に赤みが残っていたし、目も少し充血しているようでした。

お互いの近況報告をして談笑した後で、Aくんは帰って行きました。

 

しばらくして、Aくんから手紙が届きました。

地方の大学へ通うことや、

休暇はこっちで過ごすから、いっしょにニューミュージックの歌手のコンサートに行ったり、

あちこち遊びに出かけたりしよう、といった内容でした。

わたしはあわてて、「今つきあっている人がいるから、いっしょに出かけることはできない」と

手紙に書いて送りました。

 

そんなさばさばした返事を返しておきながら、それからのわたしはAくんのことばかり考えていました。

あと数日とはいえ、まだ高校生なのに、酔いつぶれるほどお酒を呑むなんてどういうことだろう?とか、

このまま行くと、アル中になるんだろうか?とか、

いっしょに近所中を駆け回って遊んだことやら、わたしもAくんもまともな道は決して通らないで、

垣根の隙間をくぐったり、塀の上を渡っていったり、山肌がそのまま残っている場所を選んで横断したりしていたことやら、

いつもわたしの味方になってくれたな、などと考えていました。

 

そんな折り、「家族に紹介したいから」と言われ、1学年上の先輩の家にうかがうことになりました。

そうして家を訪問した日、

本当に素敵な家族で、何ひとつ文句のつけようがなかったのですが、

わたしはその完璧さに対して、すっかり腰が引けてしまいました。

 

お家の門をくぐると、玄関まで飛び石が敷いてあり、玄関口で

着物姿のお母さんに迎えられました。

わたしと先輩は広々として掃除の行き届いた和室を通っていき、

途中でこちらも上品に着物を着こなして囲碁盤に向かっている先輩の祖父に挨拶しました。

 

団地暮らしのわたしにとって、

門から玄関まで飛び石をたどっていき、祝い事でもない日に着物で生活している

家庭なんて、少女マンガの世界でしかお目にかかれないと思っていたものでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 


機能不全家族について  もう少し 8

2013-11-06 13:24:41 | 日々思うこと 雑感

高校は何事も生徒の自主性に任せるという方針で、

生徒たち自らが問題提起し、話合うような場がいろいろ設けられていました。

とはいえ、高校生の問題提起なので、たいていどうでもいいことばかりで、ああだ、こうだ、と言い合って

時間をつぶしておしまい……というものでしたが、

今思い返すと、「あんなことも任せてもらっていたのか」と当時の教師陣のおおらかさがなつかしいです。

 

わたしは後継者不足でつぶれかけているクラブに在籍していたので、

1年生ながら、クラブの予算を確保するための会議に出席してました。

途中で、ある数学好きの数名の生徒が新しく数学同好会を立ち上げたがっている、という話題で、

その是非を問う議論となりました。

「数学同好会は受験勉強に役立つから、学校の経費を使って受験勉強をするのは

間違っている!」とか、

「数学の問題を解くなら、わざわざクラブになどせずに、教室に適当に残ってやればいい」など、

やっかみ半分のどうでもいい意見がぐだぐだ続いていたのを覚えています。

このあたりの記憶はあいまいなのですが、確か、

会議後、近くの部屋で行われるという読書会に誘われ、読んだことのある本だったので

参加することにしました。

 

読書会の後で、1学年上の先輩が追いかけてきて、

「1年生なのに、すごいよね。K先生も、感心していたよ。」と

声をかけてくれました。

わたしが読書会で発表した意見に関心を持ってくれたようでした。

その後、いっしょに会って話をしたり、映画や劇を観に行ったりする関係が、

その先輩が大学生になり、わたしが高校を卒業するまで続いていました。

 

実は、そんな高校時代は、中学時代とは別の形で、

家族の問題が深刻さを増した時期でもありました。

事故後の後遺症を引きずりながらも仕事に復帰した父の怒りの沸点は低いままで、

米が炊けるのが遅いといったほんのささいなストレスが、

ありったけの食器を壊してしまうほどの激昂に結びつくような日々が続いていました。

妹は家に寄り付かなくなり、プチ家出を繰り返していました。

 

わたしにとって、最も重くのしかかっていたのは、母との関係でした。

母はあまりに多くの心の傷を負い、妹のことで責任を感じていたため、

生きる気力も考え判断する力も極端に落ちていました。

まるでおびえている子どものように、

常にわたしに相談に乗ってもらいたがり、慰めてもらいたがり、困り事を解決するために

わたしに動いてもらいたがるようになっていました。

 

ある時、こんなことがありました。

定期試験の直前で、赤点を取りたくなかったわたしは、

母からの相談を早めに切り上げて、

何とか勉強時間を確保したくて気が気ではありませんでした。

それが、わざとわたしの試験前に合わせるように、妹は家を出て行ったり、問題を起こしたりしました。

 

この日も、いなくなった妹を探してきてほしいと母に懇願され、

困惑したわたしは、母に向かって土下座して、

「これ以上成績を落としたら、わたしはどうしようもない。

苦手な化学や地理は学校の授業だけじゃ、とてもムリだから」と言って泣きました。

すると母は、「N(わたし)が話を聞いてくれなかったら、いったいわたしはどうすればいいの?」

と悲壮な声で返してきました。

 

母の優しい性格を思うと、この時はよほど切羽詰まった状態にあったのだろう

と理解はできました。

でも、ずいぶん長い間、その自分中心な言葉が胸に突き刺さったまま、どこかで母を許せない気持ちを

抱いてもいました。

 

実のところ、その時期のわたしは、家族の問題以外、何も考える余裕がない状態でした。

授業を受けていても、友だちとおしゃべりをしていても、ほとんど上の空で、

何事にも消極的で受け身な態度が当たり前になっていました。

せっかくできた新しい女友だちも、こちらの覇気のない様子に嫌気がさして、

わたしから離れていきました。

文化祭の日に、ひとりでまわろうか、他のクラスの中学時代からの友人を呼びに行こうかと、

心細い思いで迷っていたら、

ふいに読書会で会った先輩が現れて、「いっしょに見てまわろうよ」と誘いに来てくれた時は、

心がとても温かくなりました。

実際につきあっているのかどうか、気持ちを確かめたこともないのでわからなかったのですが、

周囲からつきあっていると思われている人がいることは、

自分が高校生活をエンジョイしているように感じられて、たとえそれが虚構であっても、

慰められました。

 

 


「心が大きく広がり始めた♪」 うれしい成長 5

2013-11-06 08:32:42 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「心が大きく広がり始めた♪」 うれしい成長 4 の続きです。

このところ仕事が立て込んでいて、記事を書く時間がなかなかとれませんでした。

お待たせしていた方々、申し訳ありません。

 

★くんといっしょにレッスンを受けていた○くんは、刑事ドラマが大好きで、

近々、『アタル』の映画を見に行くことを、何度もうれしそうに報告していました。

○くんが教室に着くなりやりたがった遊びは、

ミニチュアの小物で作ったジオラマで再現する刑事ドラマごっこ。

コンビニ前の駐車場で車が盗まれる事件が起こって、

○くんが虫めがね片手に、事件の解決の奮闘するストーリーで

遊び出しました。

わたしに通りすがりの人や犯人役をするように指示しては、

毎回、○くんは、そのドラマのキーになっているらしい

事件解決の始まりを告げる英語のフレーズを繰り返しては、ポーズを取っていました。

 

自閉症スペクトラムの子らは、自由に役割を設定してごっこ遊びをするのは苦手ですが、

好きなテレビドラマの一シーンを再現する形で

ごっこを楽しむことはよくあります。

マイメロちゃんを事情聴取中の○くん。

「ここでは、怪しい人は見かけませんでしたよ。刑事さん、何か事件ですか?」とたずねると、

○くんはいきなりミニカーを手にすると、「車が盗まれた、車、車が~!」と苦しげな声をあげながら、

ミニカーを走らせました。

「車って、その逃走中の車が盗まれた車ですか?運転しているのは、犯人ですか?

それとも、その車の中に盗んだ車を入れて、逃げているんですか?」

とたずねると、

○くんは、わざと息切れした声を出して、「車の中に盗んだ車を入れてるんだ!」と言いました。

 

「それは、おかしいですね。その車は普通のサイズの車なのに、

車が入っちゃうなんて!」と言うと、

○くんはその質問には頓着せずに、また最初の虫めがね片手に事情聴取するシーンに戻って、

それまで演じたシーンを繰り返しだしました。

 

そうしてわたしが○くんとごっこ遊びをする間、★くんは前回のレッスンまでに触れたことがある

おもちゃをひとつひとつ取ってもらいたがって、

自分なりに遊んでいました。

ドールハウスもそんなおもちゃのひとつで、棚から床におろしてあげると、

家の中を覗きこんで、小物をいじっていました。

ドールハウスは、少し前にジオラマ作りが好きな男の子が

部屋の小物をセットした状態のままで、飾り棚の上に小さなお皿が乗せてありました。

そのお皿をつまんでまじまじと見ていた★くんは、ふいに、それを床に落として、

「ガチャーン!お皿がガチャンなっちゃた!ガチャーン!お皿がぁ~!」と

急に大きな声をあげました。

 

レッスンの時間が近づいたので次回に続きます。