高校の卒業を控えて、(もしかして卒業直後だったかも)
前回の記事で、「大人になってそれらふたりのわたしを統合する必要を感じるまで……」と書いた必要にかられた
自分を徹底的に打ちのめすような出来事がありました。
実は、出来事というより、自分の中では事件と呼びたい痛い内容で、
そのせいで未だに母校に顔向けできない状態ではあるし、
親しかった人々との関係を絶って自分の殻に閉じこもっていた時期が長かったので、
それをブログで人前にさらすのはさすがに躊躇して、なかなか決心がつかずにいました。
でも、それがまぎれもなく自分や家族への捉え方を転換させる起爆剤となったことは確かだし、
当時、関わって迷惑をかけた人々は、おそらく今は結婚して幸せな家庭を築いているのでしょうから、
わたしの罪もそろそろ時効かな……と思いなおして、
それに話に登場する幼馴染は、大らかでユーモアのある性格なので、
わたしがプライベートなことを書いたことを知っても笑って見過ごしてくれるかな……などと考えて、
(後から削除するかもしれませんが……)
書いておくことにしました。
事の発端は、まだ小学校にもあがっていない幼かった日々にまで遡ります。
近所のAくんとわたしは大の仲良しで、外で遊ぶ時はたいていいっしょでした。
Aくんのお母さんはわたしの母の顔を見ると、
冗談混じりに、わたしをAくんのお嫁さんにちょうだい、と言っていました。
理由は、うちのように亭主関白の家庭の子はいいお嫁さんになるから、
というよくわからない古臭いものでしたが、
実際には、Aくんのお母さんは、古臭い人というより、
海外ドラマに出てくる都会のキャリアウーマンという感じのハキハキした外向的な方で、
タッパーウェアーの実演販売の仕事を手広くやっておられました。
普段のわたしは、母が期待する良い子の枠組みの中で自分を出していましたが、
Aくんと過ごす時は、ちょっと派目をはずして、
お互いの親から面倒を見るように言われている妹と弟を、
うまいこと家の近くで巻いて、泣きながら母たちのもとに駆けていくのを見送ってから、
危ないからと止められているところまで遊びに出かけたり、
Aくんの家のちゃぼにいたずらを仕掛けてみたり、落とし穴を掘ってみたりと、
やんちゃな遊び方をよくしていました。
だいたいのところ、そうした悪さや遊びを思いつくのはわたし、実行に移すのは
Aくんでした。
ある時、3階の団地のベランダからカゴを結びつけたひもを垂らして、
外にいるAくんとおもちゃや手紙をやりとりしようとしたのに、
下の階のベランダのフェンスに引っかかってしまい困ったこともありました。
わたしはいつも、Aくんの力や勇気や冒険心や実行力を当てにしていて、
Aくんはわたしの想像力や知恵を当てにしていました。
はっきりとした時期は覚えていないのですが、やがてAくんは引っ越して行きました。
Aくんのお母さんは社交的な方だったので、引っ越した後も、
わたしの近辺の人々とのつきあいがあったようです。
高学年の頃、同じクラスの男の子が、
「この間、Aに会ったら、お前のこと好きな人って言ってたぞ、恋人って言ってたぞ」
と言ってからかいました。
その頃のわたしはぶくぶくと太って、ぼけっとした顔をしている可愛らしいとは言い難い子だったので、
その口調には、どうしてこんなやつのことを好きなんて言うんだろう……と呆れるような皮肉るような
気持ちが透けて見えました。
なつかしさと恥ずかしさと「Aくんはからかわれるのが怖くないんだろうか」という思いが心の中を駆け巡った後で、
「いや、Aくんは強い。からかわれたら、うるさいっと言って笑っているだろう」と、Aくんの気の強そうなどんぐり眼を
思い出して、ちょっと愉快な気持ちになりました。
その頃もそれまでも、うちは問題の多い家庭でした。
父の母への暴力はむごいものでしたし、ギャンブルへの執着も
依存症のレベルで、母と妹はぶつかってばかりいました。
それでも、『同じ屋根の下に』というエッセイで書いたように、
まだどこかほのぼのとした空気が、日々の暮らしの中に漂ってもいました。
それが、中学の時に父が仕事中、事故にあって、むちうち症で自宅療養を始めて以来、
父のもともと粗暴で攻撃的な性格は、次第に悪魔的で病的なものへと変わっていきました。
母はパートで忙しく、妹は友だちと遊び歩いている中で、
自宅で受験勉強をしなくてはならなかったわたしに対する
父の風当たりは日増しに強いものになっていきました。
勉強をやらせまいとする嫌がらせは日常茶飯事で、
自分の中に溜まっているイライラを発散したいためだけに、理由もなく怒りを爆発させて
暴れていました。
母は母で、非行に走った妹のことを気に病んで、おそらく鬱にかかっていたと思われるのですが、
いつ自殺未遂をするかわからない状態でした。
そのため、何とかふんばって希望校に合格したものの、
高校受験を終えた時には、わたしはすっかり陰気な性格になって、
自分への自信も信頼も失っていました。
食事を取るのも苦痛を感じるほどやつれ、ぶくぶくと太っていた身体は痩せこけていました。
そんな状態で始まった高校生活でしたが、それなりに楽しいこともいろいろありましたし、
自由で明るくのびのびした校風は家の呪縛を解いてくれるようでした。
次回に続きます。