過去記事です。
お正月にハーバード白熱教室という番組が放送されていました。
政治哲学などという やたら堅そうな授業の割に、ニュース・バラエティーかと思うような話題がどんどん飛び出して……かなり関西人のアンテナに引っかかる内容でした。
思わず家族中で見入ったあげく、番組終了後にああだこうだと長い議論になりました。
目ざとい娘は、その直後に、『これから正義の話をしよう』というその講義を書籍化したものを買ってきていました。
それ以来、ハーバード大学のユーモアと遊び心にすっかり感服している私。
本屋に行っても、ハーバードという言葉が目に付くと、取りあえず、中身をチェックするように……。
そんなわけで、ハーバード・ビジネススクールのヤンミ・ムン教授の
『ビジネスで一番、大切なこと』 (ヤンミ・ムン ダイヤモンド社)を手にしたのですが、
人間味と笑いに満ちた内容に立ち読みがやめられなくて、
そのまま棚に戻さずに売り場に向かいました。
このところ、私がビジネスの本をよく手にするようになったのは、
娘、息子、ダンナと私……と家族全員が いつ何回話していても飽きない話題というのが、
このビジネス関連の話だからなのですが……
興味の範囲外の話でもビジネスがらみの
話には即、反応してしゃべり出すあたり……関西人(商売人?)の血が全員流れているんだなぁ~と感じています。
そのせいで、何のブログだかわからないような話題に、
幼児教育について学びにきた読者を無理やり引っ張り込んでいるのですが……
疲れたら遠慮なく読み飛ばしてくださいね……
話を 『ビジネスで一番、大切なこと』に戻すと、
私が一番共感したところは、著者の執筆スタイルに大きな影響を与えた本が、大学生の頃読んだ『ご冗談でしょう、ファイマンさん』 (岩波現代文庫)だということ。
日々の生活や教師としての経験、研究をめぐるとりとめもないエピソードの集まりが、
読み進むにつれて心に入り込み、本を閉じる頃には科学の真髄をたくみに語った物語だと確信するようになったそうです。
私も『ご冗談でしょう、ファイマンさん』 の大ファンなんですよ。
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研究者が物事の理解に貢献する方法は二種類ある。
一つはパワーポイント的アプローチ。
複雑な現象を取り上げ、そこから不要なものを取り除いて核心にたどり着く。
もう一つはその逆で、不要なものを取り除くのではなく、思いもよらない方向から
微妙なニュアンスをくみあげ、積み重ねていく。
これがファイマンのやり方だった。科学というテーマを日常生活に織り込み、
豊かさや味わい、深みを加える。
『ビジネスで一番、大切なこと』 (ヤンミ・ムン ダイヤモンド社 )P6より
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私もブログで自分の思いを伝えるには、ファイマンのような方法でしたいと憧れています。
どんなにあがいても、パワーポイント的アプローチはできそうにないから……
ということもありますが。
この本は、どこか遠くのビジネスの話題ではなく、
私の足元や心に光を当てて、「私はどんな時代のどんな環境で暮らしているのか?」「私はどのように生きたいのか? 働きたいのか?」という思いを、
浮かび上がらせてくれる本でした。
興味深かったのは、「選択肢の増加イコール多様化、ではない。むしろ製品数が増えるにつれて、違いは小さくなっていく」という話題。
ジュースにしろ、洗剤にしろ、店の棚では、どんどん最新の品揃えが増え続けているわけですが、
ある段階に達すると、もはや愛好家さえ区別がつかなくなるのだそうです。
カテゴリーが成熟すると、購買頻度の最も高い消費者さえ
比べる努力をむなしく感じはじめるのです。
ささいな違いに注目する愛好家が減り、違いの意味に疑問を持つ顧客が増え始めるのだとか……。
この気持ちわかるんですよ。特にシャンプーを選ぶとき……新製品が出るほど、「よいのを選んで買おう!」と意欲がなくなって、適当に特価品をかごに放り込んじゃうんですが……。
ヤンミ・ムンは、
多くのカテゴリーで差別化が難しくなっているのは、私たちが本来の競争ではない
「競争」に入り込んでいるからだ。
と訴えていて、でも「例外もある」と続けています。
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例外的な企業の優勢は、世界が変わりつつあること、古い知恵が新しい知恵にとって変わられようとしていることの予兆である。
そこでは、神話を最初に手放したものが優位に立つ。
これらの異端児を調べれば、有益な教訓が見えてくる。
誰でも文章の書き方、絵の描き方、音楽の演奏法を学ぶことはできるが、
歴史に名を残した巨匠は常に、それぞれの分野の境界線を新たな方向へと広げてきた。
原則を十分に理解しているからこそ、それを打破しなければならないと知っている。彼らが教えてくれるのは、暗黙の前提がどれほどもろいか、である。
ビジネスも同じだ。雑魚の集団から抜け出し、消費者と純粋な絆を生み出せる傑出した企業は、残念なほど少ない。
しかし彼らは、私たちがとらわれているビジネスの原則なるものの限界を教えてくれる。
『ビジネスで一番、大切なこと』 (ヤンミ・ムン ダイヤモンド社) P29
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食事時に、こういう話題がのぼると、家族全員、誰一人黙ってないのですよ。しゃべってしゃべって、しゃべりまくる……どれだけ関心があるのか……
こうした話がどこかの企業に向けられた話のように見えず、
うちのような平凡に暮らしている関西人の家族ひとりひとりに、
自分自身のこととしてリアルに響いてくるのも……そういう変化の時代に生きているからなんだな~と感じました。
マイブームで……興味の赴くままにビジネス書を読み漁っていて感じるのは、
企業に向けて突きつけられている課題は、
一個人の……
私やうちの家族のメンバーひとりひとりのアイデンティティーを揺さぶるような内容
でもあるんだな~という事実。
「グローバル化」なんて言葉も、大きな企業の中でだけ語られる言葉じゃなくて、
うちの教室の幼稚園児にしたって、日々、「グローバル化」する世界でどう生きるかという課題を受け止めて暮らしているんですよね。
テレビ画面には遠い国の紛争や地震の映像が流れ、
子ども部屋には、世界のどこの国で作られたのかわからない物があふれているような
環境で生活しているのですから。
『ビジネスで一番、大切なこと』に、著者のヤンミ・ムンが、
子どもの頃、ある教師に感じた「いらだち」と、
大人になった今その教師に抱いている「共感」について語っていました。
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子どもの頃、ヤンミ・ムンは
知性を何より尊ぶ ある根っからの教育者である先生に出会いました。
「知性とは何ですか」とたずねると、
「知性とは、赤ちゃんの最初の言葉よ」
「知性とは、三人兄弟が手をつなぐこと」と、子どもたちが混乱するような答えを返します。
その答えは的外れでいらだたしくもありました。
なぜなら、それはIQテストでよい成績を取るとか、
向上心の的になるような、はっきりした行動を導いてはくれなかったからです。
でも大人になったヤンミ・ムンは
自分をいらだたせたその先生が、一度もそういう答えをくれなかったことを感謝するようになりました。
知性や資質、成果、美しさといった理想については、
具体的で測定可能で、誰もが納得する定義があると、つい安心感を覚えてそれ以上、深く考えようとしなくなるものですから。
先生はきっとそのことを理解していたのだろうと思ったからです。
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わかりやすい定義がなければ、私たちは混乱する。
居心地のよい場所から一歩踏み出すときには、誰しも不安を感じるものだ。
しかし、長い目で見れば悪いことではない。
とりわけ目的が従順な模倣者の一群を生み出すことではなく、
多様な自発的思考を促すことにあるのであれば。
あなたが教師なら、まず、学生の能力を推定し、抽象的に表現することをやめよう。
学生たちにモノサシという権威に頼らずに
他から抜きん出ることの意味を考えさせよう。やがてあなたは、学生たちが創り出す成果に
目を見張るだろう。
学生たち自身も驚くに違いない。
『ビジネスで一番、大切なこと』ヤンミ・ムン ダイヤモンド社
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虹色教室で過ごす時間の多くは、子どもたちの自己判断に任しているのですが、
私自身にとっても、何を教え どんな風に教えるかという面で外からの制約はほとんどなくて
自由そのものです。
そこは小さくてアットホームな教室の利点で、
それぞれの子が自分の内側にかけがえのない価値を見出し、最初は不器用だけど、しまいには驚くほど流暢に自分の得意分野を伸ばしていく姿を見守ることができます。
私は、どの子も同じ基準で計測できる鋳型を使いません。それぞれが挑戦するレベルが高い課題は用意するけど、それを比べる道具として利用していないのです。
そうすると、どの子もそれぞれが特別にすばらしいことが、
子ども自身にも親にも受け入れられていきます。
本当に子どもはどの子も個性的ですばらしいですから。
その「すばらしさ」に自分で気づくように手助けするのが、
大人の役目だと思って仕事をしています。
ヤンミ・ムンも、「画一的な測定法は、逸脱者や異端児、冒険家が生まれなくなる」と指摘しています。
人は相違点を可視化すると、互いの違いを際立たせるのではなく、無意識に解消しようとするのだそうです。
競争力を測るという前向きな努力が、結果的に均質化を促すムチとなるのです。
評価は、個性のない似たり寄ったりの人間を育て、独創性を奪い、議論を精彩を欠いたものに変えてしまうそうです。
もちろん評価や画一的な測定法が必要な場もあるはずです。学校などもそうでしょう。
でも、そうしたものは親も子も「成績」教信者にしてしまうほど、
力を持ってはいけないはずです。
なぜなら、測定するということは、ある何かを重視しようと選んだに過ぎず、
それ以外のものを測定していないからです。
必ずしも重要なものから測定しているわけでなく、
非常に価値があるものでも、測定者に高い能力が必要だったり、数値にしにくかったりすれば
測らないのですから。
『ビジネスで一番、大切なこと』を読んでいると、
経済界を悩ましている矛盾が、教育の世界も同じように曇らせているのを感じます。
有名病院が死亡率の公表に同意すると、
死亡率を下げたくないから、重症患者を引き受けないということが起こります。
同じように教育の世界も、教師を評価し、
子どもを評価し、学校をランキングで比べるのにうつつを抜かしているうちに、
何が起こっているのでしょう?
私たちは大切な子どもたちを、
「市場にあふれかえる最新の性能を備えているにも関わらず、
選ぶ意欲を減退させる似たり寄ったりな商品」
のような立場に追い込んでいるのではないでしょうか。
先日、私が幼児の世界にまで画一的な評価が浸透して、個性がないがしろにされている状況を嘆くと、
息子からこんな言葉が返ってきました。
「さまざまなところで人を評価するシステムが進む一方で、
個性が大事、個性を伸ばすってこともよく言われるようになっているよね。
でも、無駄に個性を求めすぎて、『個性』と捉えられているものが、画一的になってきているんじゃないかな。
一般化されたくない、個性的でありたいと思うあまり、他人が言葉に詰まるような
ショッキングな趣味や好みを言いたがる人がいるじゃん。
でもそれもまた画一的な既存の個性のイメージに無理やり自分を当てはめている行為で、
結局、自分の好きなものが
自分でも認められていないように見えるんだよ。
つまり、個性を求めるあまり、自然に個性的であることを
自分にも他人にも認めていないように見えるんだ。
その原因のひとつに、言葉によって個性的であるよう
プレッシャーをかけられていることがあるんじゃないかな。
個性もまた画一的な見方を生む評価の対象になっている気がする。」
そういえば、さまざまな矛盾する言葉に翻弄されながら
成長していく子ども側の気持ちに思いや感じ方に馳せるのを忘れていました。
息子の言葉をゆっくりと咀嚼しました。
久しぶりの息子の登校日。
朝食の準備をしながら 音楽を聴いていると、
起きてきた息子が、
あれっという表情で私が聴いているソニーのCDウォークマンを見て
「買ったの?」とたずねました。
「そうなのよ。この間 買ったCDラジカセ、1ヶ月もしないうちに壊れちゃったのよ。交換に行かなくちゃならないんだけど、出先で買ったものだからめんどうなの。
それでちょうど小さいのも欲しかったから、近所(電気店)で買ってきたのよ。
CDラジカセね……これまで音楽系のものは
神経質に国産品にこだわってんだけど、
外から見たら完璧に見えたもんだから、
聞いたことがない海外のメーカーの機械だったけど、
つい気が緩んで買っちゃったのよ。
そしたら、たちまち壊れるんだもの……」
すると、CDウォークマンについている
小さなリモコンを面白そうに眺めていた息子が、
「やっぱり日本製のものって、このちっちゃい部品の部分まで完璧ってすごさがあるよなぁ。」とつぶやきました。
「ぼくはさ、こういうさぁ、もっと日本人の職人気質のワザのすごさみたいなものが見直されてもいいと思ってるんだ。
最近は、グローバル化って言葉がもてはやされるから、
アイデアとかポジティブさとかが上で、
これまで職人的に積み上げてきたワザ的なものは下みたいに捉えられているところがあるじゃん。
もちろん、ぼくも努力努力……
そればかりを強調する言葉は好きじゃないんだ。
でも、アイデアとかポジティブさとか人間関係上の能力と、
単に努力するってことの間に、そのどちらでもない日本が大事にしてきたことってあるよね。
日本の良さって、職人レベルのすごいワザが、庶民層にあるってことだと思うんだ。
日本の場合、この技術すごいなぁって感動するような
技術とクオリティーではブランド名にできるくらいの中小企業がたくさんあるよ。
以前、日本で子どもがブランド物持つのはおかしいって叩く人々がいた
けど、そういう意見が出るのって、
ブランド物じゃなくても、
日本の品物は品質が保証されているからっているのが
前提にあると思うんだ。
海外だったら、お母さんが買ったCDラジカセみたいなの
しょっちゅうつかまされて、
ブランド物を買わないと損をするかもしれないって不安があるよね。
子どもだって。
お姉ちゃんが買った海外物のカバンも、
すぐに留め金が壊れてひどかったじゃん。
確かに、これからの世の中は、そうした職人的技術だけで乗り越えていくのは難しいのかもしれないけど、
今は軽視しすぎている気がするよ」
「お母さんは、アイデアとかコミュニケーションとか、販売の新しい形とかを開拓していける人と、そうした職人的な日本が築いてきたものを仲介する人……つまり橋渡しをする人が、もっと必要だと感じているの」
と私が答えると、
息子から次のような答えが返ってきました。
「そうだよね。ただ、ぼくが思っているのは、もう少し別のことで……
ほら、お母さんがしている仕事にしたって、アイデア勝負で自由にしているようで、
職人的なものが基本のところにあるじゃん。
中身の質の面で、かなり積み上げてきているというか……。
たとえば桜井章一さんなんか、
麻雀なんだけど、運や発想だけではない、職人的なワザを守ってきている人だと思うんだよ。
今は、アイデアだけ運だけで成功したとしても、お金さえ手にしていたら、
みんなで褒め称える風潮があるけど、
そこに職人的な積み上げて築いていく確かなクオリティーがないまま突き進んでいくのはしんどいと思うよ。
それは職人的な人を下請けにしていけばうまくいくもんでもないと思う。
日本人の職人気質のよさって、海外の職人さんに比べると謙虚なところじゃないかと思うんだ。
海外の場合、職人気質がきつくて、時計職人は時計しかつくらないみたいなプライドに固執することがよくあるようだけど、
日本の場合、質も極めるけど、他業種の物も模倣してていねいに作るってこともするよね。
これからは、新しい世界の動きを取り入れつつ、
そういう日本の職人気質の良い面が生かせるような
仕事のあり方を、大きな視野から眺めなおして作っていかなきゃならないんだと思うよ。」
高校生くらいの子から見える社会は、そんな風に映っているのか……と
私も考え込んでしまいました。
『ビジネスで一番、大切なこと』にこんなこんな一文がありました。
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人間の行動は複雑だ。学問に携わることは、真実の追究に携わることだが、私が研究の過程で学んだのは、
人間の行動に関して言えば、真実はとらえどころがないということだった。人は馴染みのあるものを求める。
いや、ときには変化を求める。人は進歩を切望する。しかし、過去を懐かしむこともある。人はもっと多くを望む。いや、実際には少ない状態を望んでいることもある。
(略)
私もまさにハンターと一緒で、消費行動の実情やその原因について見極められたと思ったとたん、論破できない何か、私の出したそれほど厳密ではない結論に穴を開ける、新鮮な視点が現われるように感じる。
研究に没頭すればするほど、私はすべてに関して断定的にはなれない自分に気づいている。
『ビジネスで一番、大切なこと』ヤンミ・ムン ダイヤモンド社
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「ビジネス」と「教育や子育て]には、共通点があります。
それは「相手が人間だ」ということです。
その共通点ゆえに、ハーバード大で ビジネスのことを語るヤンミ・ムンの言葉は、
自宅でくつろぎながら教育と子育てについて考えている私の心をも
大きく揺さぶります。
「そう、そう!そこが問題の核心なのよ……!」と。
ブログで教え方や接し方の < how to >を紹介しても、
「同じようにやってみるのですが、奈緒美先生のようにうまくいきません」
という声をいただくことがあるのです。
「ほら、してごらん」と魅力的な演出をしても、
笛吹けど踊らず……で終わるのは、
子どもを相手にするときのお約束。
子どもから強い意欲を引き出すには、熱血先生を装うより、
「ちょっとやらせてよ」と懇願されても
「子どもには無理じゃ。あっち行っとれ」と言いつつ、
大人の作業も手伝わせるような
……田舎のおじいちゃん風の態度の方が上手くいくものです。
友だちに自分の仕事のペンキ塗りを押し付けておきながら、
まんまとみつぎ物までもらった
トムソーヤの話は有名ですよね。
人間相手ですから、相手からやる気を引き出すのに、
必ずしも「やる気を出せ!」「がんばれ!」ってエールを送る正等な方法がうまくいくわけじゃなくて、
「えーやりたいの? やめといたら?」なんて変化球が、
「勉強したい~やらせてよ、お願い!」と懇願させる結果につながったりするのです。
そこには、こうすればこうなるというマニュアルは存在しません。
虹色教室の帰り際に、
子どもが「このぬいぐるみ持って帰りたい~」と ぐずる
とき、親御さんが真剣な表情でする
「これは先生とみんなの物でしょう? 他人のものを欲しがったりしたら……」なんてお説教は、
たちまち子どもを反抗的な困ったちゃんに変えてしまいます。
けれども、「そう、このぬいぐるみが気にいったのね。遊んで楽しかったのね。ありがとうね」と子どもに共感してから、
「じゃ、ぬいぐるみをしまっておくわね」
と言うと、ニコニコしながら素直に返すだけじゃなく、後片付けまで手伝ってくれるというおまけがついてきたりするのです。
言葉ひとつ、態度ひとつで、
雲泥の差が生じるのが、「相手が人間」ということでもあるのです。
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人間を相手にするときの感性というか、
ビジネスの舞台で、他人のニーズを感じ取って 適切に対応する能力という面で、
私は 娘にはかなわないな……という思いがあって、
「この娘は社会に出て、何度も頭を打っていろんな経験をした後で、
最後には自分で起業してやっていくんだろうな~」
などと考えています。
「ハイタッチ」(共感力、人間関係の機敏を感じ取る能力、自分の喜びを見つけ、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、日常的な出来事にも目的や意義を追求する能力)という面で
どこまでも極めて、それを新しいビジネスのスタイルへと昇華しようと思えば、
誰かのもとでマニュアルに縛られながら働くより、
規模は小さくとも自分の判断力と気づきが生かせる仕事が合っているでしょうから。
息子の場合、将来、仕事にしたいと考えている
ゲームクリエイター
(息子の考えるこれからのゲームクリエイター像は、
既存のものとはずいぶん異なるようですが……)
としての働き方を思うとき、
作品を介しての人との関わり方について、
いつも真剣に考えている模様です。
ある時、息子がこんなことをつぶやきました。
「今、IT産業の世界は、
こんな物が作りたいと思いついた時点で、
もうすでに誰かが作っているか、同じようにひらめいて制作に入ってる人がいるような状態でさ……
いずれ飽和状態が来て、新しい良いものができても、
人がそれを求めなくなるような時期が来るのは近いと思う。
それと作品の質より何より、
ネットの世界ならではの難題にどう向き合うかで、成功 不成功 が決まってくる面があるから、
作ることだけ考えていたらいいってわけじゃないんだ」
「どういう意味?」とたずねると、
次のような答えが返ってきました。
「たとえば、違法ダウンロードへの対策でさ、
ゲームを売り出すときに、プロテクトをかけるとか、コピーガードをかけるとかどんなに厳重にしても、守りを固めるだけじゃ逆効果なんだ。
遊び感覚でそれを破りたがるハッカーはどこにでもいるし、
一番の問題は、売れないことんだ。
だって、厳重にプロテクトをかけているゲームは、
しょっちゅう誤作動を起すし、そうなると正規ルートで買ったのに盗人扱いされているようでいい気がしないからね。
だって今は、フリーでいくらでもゲームができる時代だよ。
お客さんにすれば、無料で遊んでいるときですら、遊んでやっている!
って構えがあるのに、有料でそんなことされたんじゃ、
とうてい有名にはなれないよ。
考えてもみてよ。道端にタダのゲームがごろごろ転がっているんだよ。」
「だからって手放しで違法ダウンロードさせ放題ってわけにはいかないでしょう? それを回避する方法はあるの?」
「本当に難しい問題だけど……意外だけど、
人の『善意』が唯一の解決法だったりもするんじゃない?
ゲーム会社の中には、コピーガードをつけないって、
ある年度以来、つらぬいているところもあるんだ。
そうした姿勢が、企業としてお客から愛されているから、それが成り立っているところがあるんだ。
ゲーム業界と同じように、音楽業界も、無料で手に入るものに金なんか払っていられるかって客側の思いが、制作の場を荒らしてるんだろうけど……。
それでも、売れているバンドは、
客から、あの人にならお金を払いたい……って気持ちを引き出すようなファンサービスがあって、
客の側も無料でもいいところをわざわざお金を払うんだよ。
価格競争の時代じゃないんだ。
だって、値段=品質 という捉え方はもう古いからさ。
明和電気の「なこーど」ってあるじゃん。
電気のコードにしては高い買い物だけど、
ああいう物が売れたのも、
商品の背後に見える人に対する愛着というか……
この人の商品は買ってあげたいという人の善意が刺激された面があると思うよ。
だって、人間として生きていくのに必要でない物は、買わないという選択肢があるんだから。」
「人の善意がカギを握っているって、先が見えない気がするけれど……」
と私が言うと、
息子からはこんな返事が返ってきました。
「そうだよね。確かにその通りだけど……。
でもさ、違法ダウンロードを取り締まるのは難しいしいのって、
人間は犯罪に流れやすい傾向があるからだろうけど、
同時に人は善意にも流れやすいと思うんだよ。
今は思いやりがあっても、思いやりが出しにくい時代で、
共通の敵を作ってみんなで攻撃して団結力を確かめるようなことを
よくしているけれど……
そうした集団のフィルーターがかかってないところでは、
ひとりひとりは、こういう時に善意が引き出されてくるってものを
持ってると思うんだ。
ぼくなら、これまでこのアイデアはなかったなって驚きと、
品質への安心感と制作者が見えて良い感情を持てたなら……
お金を払ってもいい気になるんだ。」
「そうね。お母さんが物を買う動機も……ほとんど本だけどね。
出版業界への愛情とか、
特に店頭販売している本屋が生き残って欲しいって思いがあるわ。
ネットの方が安く買えても、
わざわざ損を覚悟で大量の本を取り揃えているようなサービスをしている本屋で買うもの。
でも、そうした善意は、どうしても
一部のマニアックな思い入れを抱いている人に限られるんじゃないかしら。
それにしても、そんな現状じゃ、ITの世界で働いていくのも大変そうね」
「うん。近い将来、飽和状態が来るのは覚悟しているけど。
エンターテイメントの世界では、ネットの世界が進みすぎて、もうネットだけじゃ、つまらないって人も増えてきているから、
これからはネットでつながった後で、
実際、出会って何か創造的な時間を過すといった
使われ方も増えてくると思うんだ。
もちろん、そこに侵入してくる出会い系の問題には悩まされるだろうけどね。
『IT』プラス『リアルなおにごっこ』といった
実体験とネット世界がつながった物が出てきているけど、そういったものも進化するんだろうな。
ぼくが、制作に関わりたいと思っているのは、
そうしたITの新しい可能性を広げる分野なんだ。
自分のやりたいことをどう収益につなげるか、難しい課題だけど、ずっと考えていってるよ」
息子の話を聞いて、「ネットの世界とはいえ、機械の向こうにいるのは人間なんだなぁ~。
人を相手にするのは、難しくて面白い……。
ITの世界で仕事をしていくといったって、おにごっこして楽しかった~という子ども時代の実体験が役立ってくるんだな~」
そうしみじみ感じました。