虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 4

2014-05-07 11:55:23 | 日々思うこと 雑感

『ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性』という本の中に

こんなエピソードが紹介されています。


著者の鮫岡峻先生が「主体として受け止める」とはどういうことなのか、

奥さんと議論するうち、奥さんがこう言ったそうです。

 

「むずかって泣いている赤ちゃんを一個の主体として受け止めるときに母親(養育者)に

できることは、『おお、よしよし』なのよ。泣きやませようとすることではないのよ」。

 

この奥さんの一言に、鮫岡先生は、はっと気づかされたそうです。

養育者も一個の欲望の主体。自分のペースで事を進めたい気持ちがあるはずです。

むずかりを鎮めたいという養育者の主体としての思いが先行すれば、

「泣きやませよう」と強く働きかけてしまいます。

 

しかし、その思いがありながら、なおむずかっている我が子を主体として受け止めようと

するとき、必死にこらえながら「おお、よしよし」ではなく、

ゆったり落ち着いて、自分も主体としておりながらの「おお、よしよし」であり、

「赤ちゃんにも泣きたい気持ちがあるのだ」と鷹揚に受け止める態度なのだとか。


 

このエピソードを読みながら、

子どもが意欲、意思、意図などを持った一個の主体として 目覚めていくには、

 親の側に、子どもの姿を「ひとりの人」として受け止めていく態度が必要なんだな、

と再認しました。

 

それと同時に、

子どもが個性を持った親とは別の主体であるにもかかわらず、

早期教育のシナリオには、

前もって親が子どもから何を受け取るのか書きこまれていることに

早期教育の危険性があるのかも、とも感じました。

 

早期教育の情報をもとに子育てすると(早期教育情報で頭をパンパンにして子どもと

対面すると)、知らず知らず、自分が受け取りたいものを受け取って、

受け取りたくないものや関心がないものはスルーしがちになるでしょうから。

 

もちろん、親になった人がみんな

鮫岡先生の奥さんのような鷹揚に構えた「おお、よしよし」ができるとは限りません。

でも、「なあに?」「どうしたの?」と戸惑いながら、

子どもの発しているものを読みとろうしていたら、だんだん思いが通じあっていくという

自然なプロセスを踏んでいくことでしょう。


問題なのは、子どもの気持ちや思いなんて少しも受け止めていないのに、

子どもが一個の主体として成長していく様にきちんと付き合えていないのに、

早期教育から得られる「成果」や「結果」や親同士の情報交換のせいで

親だけが欲望の主体として暴走していても、

自分で自分にブレーキをかけられなくなることかもしれません。

 

鮫岡峻先生によると、

人は、どこまでも自分を貫きたいという「自己充足性」と、

常に誰かと繋がれて安心を得たいという「繋合希求性」という相矛盾する欲望を抱えた

存在なのだそうです。

ですから、お互いが主体として生きようとすれば、対立や摩擦は避けられないし、

葛藤状態があるからこそ喜怒哀楽が生まれてくるのだとか。


子どもが主体として育つためには(子どもと養育者は対等な関係にないので)、

一個の主体として成長を遂げた養育者が、子どもを懐深く一個の主体として受け止め、

主体として育つのを支え、待つことが不可欠なのだそうです。

   

(『ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性』 鮫岡峻著/ミネルヴァ書房)

 


親自身が「子ども」から「大人」に成長できていないと、数値で子どもを管理したがるのでは?

 

この記事を書き終えたとき、こんなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はじめまして。素晴らしい内容の数々に本当にいろいろなことを教えられ、

考えさせらております。

3歳男児を二人育てております。最近特に、言うことを聞かなくなってきて、

いらいらすることが多くなったのですが、先生の書いていらっしゃることを読むにつれ、ふと、

〝言うことを聞かせる″ことに躍起になっている自分、のおかしなメンタリティーに

気が付かされました。指摘したことを直すのが目的ではなく、私の主張を通す、ことが

目的になっていたのです。

早期教育に関してもしかり(大したことはしていないのですが・・・)。

育児とは不安の塊で、特に第一子はわからないことだらけ。″遅れをとるまい”と

右往左往しているうちに、やっぱり、子供という一人の人間、が置き去りになり、

手軽に測れるインプットーアウトプットに夢中になり、”子供のため”という大義名分が、

結局私の、″ほら見て、うちの子こんなこともできちゃってすごいでしょう!”という

自己満足が目的にすり替わっていってしまっていたのですね。だからプリントが予想通りに

できないといらいらする。目的はそこではないのに。

独り言のコメントでごめんなさい。いろんなことがすっきりしました。

襟を正し、再び子供をしっかり見て理解する、ことからはじめたいと思います。

ありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


伝えたいことがうまく表現できなくて心配していたけれど、言葉の背後にあるものを

きちんと受け止めてくださっていることに、ほっとすると同時にうれしくなりました。


 

 


早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 3

2014-05-06 11:18:36 | 日々思うこと 雑感

早期教育の問題点について書いた過去記事を紹介します。

 

『子どもの脳が学ぶとき(戸塚滝登/高陵社書店)』からの引用です。

ぜひ、読んでみてくださいね。

 

戸塚氏のお話を要約すると、子どもの脳というのは、一つの閉じられた世界で、

外部から調整スイッチをいじくるように親が自在に調整したり、

教師が意のままに調律したりすることなど不可能なつくりになっています。

不思議なことに、この小さな閉じられた世界からは創造性や好奇心が

いつの間にか生まれ、すばらしい能力が自然に目覚めてきます。

子どもの脳内では、ニューロンが絶え間なくつなげられ、再配線されます。

構造は変化を続け、自在に機能が調整されます。

プルーニング、チューニング、自己組織化、可塑性などの働きが営まれているのです。

子どもの脳には、単純な反応しかしない(「数を数える」「ひとつ前の結果に戻る」

「高さを見る」「広さを見る」といった微小な集まりが考えられます)。

それらの一つひとつは単能的な機能しか持っていませんが、無数につながりあい、

リンクしあうと、複雑な思考や感情が生まれてくるそうなのです。


前回の記事に書きましたが、幼い子の単能的な機能を外部の刺激による偏った形で

育てすぎてはいけませんね。

それが結局、複雑なことは考えられない脳を作ってしまったりしますから…。

数学者のシーモア・パパートは、

「子どもの脳は単に知識を詰め込まれるだけでは発達できず、

その知識を使うための知識(より良い方法を見つけたり、発展させたりする体験などの

知識)を与えられない限り、うまく成長できない」と考えているそうです。

『パパートの原理』と呼ばれるそうです。

以前、紹介した記事ですが、↓の調べ学習のあとで、息子の思考力や表現力の進歩が

急速に感じられました。知識を使うための知識を与える大切さを、実感した体験です。


☆ 調べ学習にチャレンジ♪ と 「会話」の話 1

☆調べ学習にチャレンジ♪ と 「会話」の話 2

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『早期教育をまじめに考える本(小宮山博仁著/新評論)』を

久しぶりに読みなおしました。

初版は1995年ですが、少しも古さを感じさせない内容です。

むしろ、早期教育があたり前のようになっている現在、

この本で取り上げられ分析されていることの重要さが増しているようにも感じました。

幼児を育てる上での指針となりますよ。

 

小宮山博仁氏は教育評論家で、早期教育反対派でも賛成派でもなく

中立的な立場でこの本を書いておられます。

 

早期教育のプラスに作用する面を認めつつ、そのマイナス面もていねいに検証して

おられます。簡単に要約して紹介しますね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

発達心理学によると、3歳くらいまでの子は漢字を理屈抜きに、

イメージで覚えてしまうと言われています。

4歳ぐらいから、論理的思考をつかさどる部分が少しずつ発達しだして、

何か意味をもったものを覚えようとするため、丸暗記の能力が劣ってくるのです。

そこで幼い子たちに文字を教えると、おもしろいほど覚えることがよくあります。

いろいろな言葉を覚えさせるために、早期教育では幼児に「論語」「枕草子」

「小倉百人一首」などを学ばせているところもあるそう。

でも、意味や内容がわからないまま暗記していると、文章を読んだり書いたりすることは

できるようになっても、心のこもったまとまった文章は書けないし、

物事をじっくり考える子どもにならない恐れがあるので注意が必要です。

また新しいことを考え出す力が弱くなり、「なぜ」という

本来幼児が持っている発想が浮かばなくなってしまう可能性も大いにあります。

           『早期教育をまじめに考える本(小宮山博仁著/新評論)』    

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

幼児が「その子にとって意味がある世界」で、頭と心を使わなくてはならないことは、

教室で日々実感しています。

 

大人の目は引くけれど、子どもには無意味なことで頭を使わせても、

調教された動物のように期限付きですばらしいもののように見える芸は披露できるように

なっても、それをさせることで、

子どもならではの貪欲な知的好奇心や探究心、

あふれるような想像力や飽くことのない創造力は失われていくのです。

 

特別なイベント時は別にして、

普段、虹色教室では2時間あるレッスンのうち

最初の一時間はそれぞれの子がやりたいと思ったことを自由に選べる時間にしています。

 

案外、お家や園で自由な時間があっても

「何をしようかな」とさまざまな魅力的な活動を見比べながら、

「これをしよう」と選らんで、それにしっかりコミットメントするという時間は

少ないようなのです。

 

そのため、わざわざレッスンの半分を使って、お家や園でもできそうな

「自由遊び」をサポートしているのです。

 

自分の内面から生じてくる「こういうことしたい」「これ面白い」という気持ちに

しっかり耳をすます体験は、これもいつでもできるようで、いつでもしているようで、

あまりしたことがない子もけっこういます。

 

遊びの世界に、自分の持っている想像力と創造力と表現力を

全身全霊で注ぎこむのは、子どもの持っている本来の姿です。

 

たかが遊びだからと、知恵や力の出し惜しみなんてしないのです。

 

でも、現代の幼児の多くは、「これで遊びたい」と思っても、

おもちゃに触れたらそれでおしまい、プラレールなんかだとレールつないだら、

あとは電池で走らせるだけ、というワンパターンの遊びを繰り返しがちです。

 

遊ぶときにおもちゃに遊んでもらおう、おもちゃの刺激に楽しませてもらおう、

おもちゃに触れながら大人に遊んでもらおう、という

受動的な態度で遊んだことしかない子が多いです。

 

自分が「これしよう」と決めたものを、想像力を使いながら魅力的で意味を伴ったものに

変化させていったり、創造的に発展させたり、問題を解決しながらそれまでなかった

新しい価値を生み出したりするには、

何度も遊びの中でそれを自分でやってみた経験がいるのです。

 

ドールハウス。

ままごと。

ミニカー。

恐竜のおもちゃ。

 

子どもの遊びを表面的にだけ捉えると、何のおもちゃで遊んでいるのか、

「何」という遊びをしているかだけが気になるかもしれません。

 

でも、「おもちゃ」ではなく、子どもが遊びの中で、

頭と心と体をどのように使っているのかに着目し、一緒に遊びの世界に没頭していくと、

子どもが遊びという場を利用して、自分が生活している環境のすべての意味を

租借しようとしていて、

自分の持っている知能にしても技能にしても心の動きにしても、

すべてを使いきって高めようとしていることがわかるはずです。

 

『早期教育をまじめに考える本』には、

「早期教育で失うもの」として次の3点を挙げています。


①遊び

②協調性

③他人の気持ちを理解する


↑の3点って、たとえ早期教育をしなかったところで、

現代の幼児が暮らしている環境で失われていくもののようにも思えます。

早期教育を強く意識した環境だと、それに輪をかけて失いやすいものなのかも

しれません。

 

それでは『早期教育をまじめに考える本』に書かれていたことを一つずつ取り上げて

少し要約して紹介しますね。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<早期教育で失うもの>

①遊び 

教育熱心な人ほど、どうも子どもの遊びを軽視する傾向が強いようです。

幼児の遊びは、大人の遊びのように暇をつぶしや無駄な時間ではなく、

幼児の生活そのもので知能や精神的な発達に

欠かせないものといって過言ではありません。

発達心理学者のシミランスキーは、次のように言っています。

「象徴遊びやごっこ遊びをまったく子どもにさせなかった家庭の子どもは、

知的発達に遅れが見られた。

象徴遊びは、従来考えられてきたように、創造性や自己表現力を養うのに役立つもの

というよりは、一般的な知能の発達を促すのに必要なものである。」

象徴遊びとは、積み木を電車にみたてて、電車ごっこをしているような遊びです。

また心理学者のムアは、こう言っています。

「規則性を発見し利用することを楽しむ『パズル』は、

自然科学的な態度を養うものであり、

簡単な規則に従った上でのプレイヤー同士のかけ引きを楽しむ『ゲーム』は、

社会科学的なものの見方を養うのに役立つものである。」

 

もう一つの遊びの効用は、集中力を養うことです。

遊びのエネルギーが勉強のエネルギーに代わるようにするには、

幼児期に徹底的に遊びに熱中させることが大切です。

何時から何時までは何、というような細かいスケジュールは作らないでください。

そうした時間の過ごし方をする幼児は、落ち着きがない、

集中力が欠けた子どもになってしまいます。


           『早期教育をまじめに考える本(小宮山博仁著/新評論)』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 2

2014-05-05 16:32:02 | 日々思うこと 雑感

早期教育の是非についての話題が上ると、

胸の中でもやもやざわざわした思いが、渦巻きます。

 

なぜなのか考えてみると、

「嫌がるのを無理強いするのではなく、子どもが喜んでやっているなら

問題は起こらないはず。」

「勉強を遊びと思っているうちに、知識をたくさんインプットしておいたらいいかな。」

「うちは早期教育はやっていない。子どもが喜ぶことに付き合っているだけ。」

「親がやらせたいことをさせたらいいのでは?何をさせるかは親の自由。」

といったごく普通の子育て中のママさんたちの言葉に自己欺瞞を感じることがあるから

かもしれません。

 

言葉によって自分の行動を正当化してしまうと、

自分の心のセンサーが働きにくくなるので要注意かな、と。

 

どんなに子どもが喜んでやっているようにみえても、

早期教育はやり方によって弊害が生じるでしょうし、

その一方で、早期教育に批判的になるあまり、子どもの知的な好奇心や向上心に対して

鈍感になるのもどうかと感じています。

 

早期教育によってどんな弊害が生じることが危惧されるのでしょう?

どんな点に気をつければいいのでしょう?

では、どのような早期の教育が大切なのでしょう?

子どもの教育は親の趣味だから、育て方は各家庭の自由だから……と

言いきれるものなのでしょうか?

 

<早期教育によって生じる弊害>

 

◆ 自己肯定感の欠如。

早期教育をする親のほとんどは、子どもの自己肯定感を高めてあげたい、

自分に自信をつけてあげたい、という思いを持っているはずです。

でも、親が導く形で、さまざまなことができるようになっても、

自分の意思で何かしたり、主体的に活動しない限り、自尊心は育たないものです。

 

子どもの成長のプログラムには、まだ生まれて2年しか経たない子が、

自分の主張を訴え、

自分でやりたいという意欲を持ち、自分で考えて、実際にやってみようとするように

計画されています。そうやって自分の内側のニーズに応えながら、

「わたしはわたしでいいんだ。あるがままの自分でいいんだ。」という生きていく上での

基盤ともいえる確信を育てていきます。

自己肯定感は良いところも悪いところも含んだ自分らしさを外に出しても大丈夫な

環境で育まれるものです。

もし早期教育による弊害を避けたいとしたら、そうした子どもが

もともと持っている成長のプログラムに敬意を示す必要があるかもしれません。

 

親の働きかけに何らかの結果を期待するものが多いと、

できるできないで自分の価値が決まるように思ったり、

期待に応えないと親から愛されないと感じたりすることが起こりがちです。

また、親の期待に応えて、親を喜ばせることに敏感になって、

自発的に楽しそうに振舞っていても、実は自分が本当にそれがしたいかどうかは不明で、

確かな自分がないままになってしまう子もいます。

 

◆ 想像力や創造力を育てる機会が減ります。

自発的に能動的に何かに取り組む姿が減ります。


◆ フロー状態が起きにくくなります。 集中力や注意力が弱くなります。

子どもの集中力や注意力は、時間を気にせず、遊び込むことで身に付いてきます。

大人に管理された活動が多いと、思いきり遊ぶ体験が少なくなり、

それが集中力や注意力の低下につながります。

 

◆ 過密なスケジュールが脳の成長を妨げます。

子どもの脳は活動し続けているときより静まったときのほうが、

より成長すると言われています。

 

◆ 答えがある課題をたくさんする中で、感受性が鈍ったり、個性的な才能が

伸びにくくなったりします。

一つの結果を目指す活動は、それ以外の見え方や感じ方や独創的な発想を弱めて

しまいがちです。


(次回に続きます。後から、この記事の一部を書きくわえるかもしれません。)

 

 


自閉っ子 と 自分で自分を律するための言葉、励ます言葉 4

2014-05-04 15:07:52 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉っ子 と 自分で自分を律するための言葉、励ます言葉 1 に★くんのお母さんから

こんなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日はありがとうございました。

先生が書いて下さったレッスンでの★の様子を読み、そういえば、

3月頃から色々な場面で自分の気持ち(葛藤)を口にするようになったなあと。

相変わらずのおしゃべりの中に、進んで自分を諌めたり、励ましたり、

トラブルのあったお友達を受容しようとする言葉もたくさん聞いていた気がします。

★自身には辛い事が多かった冬~春でしたが、奈緒美先生や教室のお友達との

関わりの中で、認められ少しずつ自信をつけながら、

静かに自分のための言葉を育てていたのですね。ありがとうございます。

冬に植えた庭先の球根が、いつの間にか咲いていたようで嬉しいです。

これからも★に芽生えた、★を支える心の中の言葉を少しずつ増やしてくれればと

願っております。ご指導よろしくお願い致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


★くんのお母さんからいただいたコメントを読んで、

★くんと交わしたこんな会話を思いだしました。

☆くんのスライム作りを手伝いながら、★くんが、「ぼくは☆くんが大好きだよ」と

言いました。

「そうね。☆くんはとても優しいし、すてきな友だちね」とわたしが言うと、

「うん、そうだよ。だからいい友だちなんだよ」と★くん。


わたしは、「★くん、意地悪な子は嫌だね。砂を投げたり、暴力を振るったり、

言われたら嫌なことを何回も言ったりするような意地悪な子とは、少し離れた方が

いいよね。嫌だなと思うことをされたら、先生やお母さんに相談してね」と言いました。

 

というのも、半年ほど前、★くんに対してしつこく意地悪をしてくる子がいたため、

幼稚園に通えなくなっていた時期があったからです。

★くんは相手の子の行動がどうしても許せないらしく、

わたしにも何度も訴えていました。

ふと付け加えたわたしの言葉は、苦手な相手から離れることで自分を守る術を

学んでほしいと思ってのものですが、★くんから返ってきた返事は意外なものでした。

 

「それは、そうかわからないよ。意地悪な子も、ずっとぼくが優しくして、

仲良くしようとしていたら、だんだん意地悪じゃなくなるかもしれないよ。

友だちになるかもしれないよ」とのこと。

 

★くんがそうした人の心の変化を、口にしたのは初めてでした。

★くんは、柔軟に物事を考えて、臨機応変に対応するのが苦手な子です。

「自分の出したゴミはちゃんとゴミ箱に捨てるのよ」と教わると、

駅のホームで恐ろしい形相の男性に向かって、自分のゴミは自分でゴミ箱に入れる

ように注意しにいくようなところがあるので、お母さんはヒヤヒヤし通しでした。

一度「こうだ」と決め付けると、それ以外の考えは受け入れなくなるところも

ありました。

 

が、「自分が自分に向かって語りかける言葉」を増やすことによって、

★くんは自分の頑なな態度を緩めることができるようになってきました。

春から小学校に通いだした★くんは、友だちのいろいろな面を認めるとともに、

嫌なことや悪いことは永遠に続くわけではないことを理解したようです。

 


早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 1 (タイトルと文の最終部分を少し訂正しました)

2014-05-03 21:40:38 | 日々思うこと 雑感

自分のブログのコメントに返事をせずに、他所のブログでコメントのやりとり……? 1

の続きなのですが、タイトルのみ変えさせていただきます。

東大パパさんのブログで早期教育について意見が交わされるのを見て、

早期教育という言葉の持つ意味や早期教育が生む弊害、そして早期教育の大切さについて

自分の考えを言葉にして整理しておく必要を感じました。

 

早期教育とは、どんなものを指すのでしょう?

 

早期教育という言葉に対する捉え方は、人それぞれでしょうが、

大まかに分けると次のようになるのではないでしょうか。

 

◆ 一般的な幼い子を持つ親が早期教育という言葉からイメージするもの。

(幼児向けプリント学習。 幼児向けアプリでの学習。幼児向け通信教材。)

 (脳科学で良いとされている情報による早期教育。)

(お得感、周囲の流行、ママ友間で優位な立場にいるための早期教育。)

(赤ちゃん時期から使い、高いIQに育つと宣伝されている早期教育教材の考え方に基づいた

早期教育。) (すてきなママでありたいという思いからくる早期教育。)

(みんながしている事を自分だけしないのは心配。)

(子どもに後で苦労させたくない。落ちこぼれにさせたくない。劣等感を味あわせたくない。失敗させたくない。

先回り。)(勉強を遊びと思っている時期に少しでも学ばせておきたい。)(記憶力がいい幼児のうちにインプットをたくさんしたい。)

 

◆ 小学校入試、中学入試を視野に入れた教室やそこに通う親が早期教育と捉えているもの。

(勝ち組、負け組という考え方。)

(競争に少しでも早いスタートを。)

(子育てで自己実現したい、という思い。)

(受験に合格するための学習。)(完璧な親でありたいという思いからくる早期教育。)

(賢い子を作り上げよう、という思い。)

(子どもによりよい環境を与えるためには、早い時期から勉強させるのは仕方がない。)

 

 

◆ 子どもの発達について研究している方が早期の(幼児期の)教育といして捉えているもの。

(遊びの持つ教育効果を十分理解した上で、子どもの興味関心を広げる形の体験重視の早期教育。)

(感情に基づく理解)

(五感を育てる大切さ。砂や粘土で遊ぶことの脳への良い影響。)

(ブロック遊びが育む語彙力。)

(子どもの自然な発達の良い援助者であろうとする態度。環境を整える。)

 

◆ 従来からあったスポーツや音楽の世界で早期に教育することと、その考えを他の学習にも広げたもの。

(特殊な訓練。)

 

◆ 習慣は幼児期早期に作られると考える方をもとにした生活態度や学習面での早期からのしつけ。

 

◆ 「フラッシュカード」や「○○式」といった特殊な早期教育。

 

◆ 「モンテッソーリ教育」「シュタイナー教育」「レッジョエミリア教育」「ニキーチン夫妻の幼児教育」

など、早期からの教育として有名なもののどれか。

 

◆ 特に早期教育と意識することはないが、(場合によって、早期教育に対して否定的な見方をしているが)

親自身が知的な好奇心が強かったり、本が好きであったり、

物作りが好きだったりするため、

子どもとともに楽しもうとすることが早期教育となっている場合。

(会話を中心とした共感に基づいた教育。)

(親から子へ伝承していくもの。)

 

◆ 発達の遅れ、障害などを克服するための早期からの教育。

◆ 「良いと言われるもの思うものは何でも取り入れたらいい」という考えをもとにした良いとこ取りの

早期教育。



タイトルの一部を「早期教育の大切さ」から「早期の教育の大切さ」に訂正しました。

 

先にいろいろと例を挙げたものには、「早期教育」ではなく

 

「英才教育」とか「療育」とか「幼児教育」と呼ぶべきものも含まれています。

 人によって「早期教育」という言葉の持つイメージが

 まちまちですし、翻訳書などでは、「早期教育」と「幼児教育」の線引きが

 あいまいな場合も多いので、取りあえず、正確な言葉の定義から離れて

「そうイメージされがち」「そのように解釈されている」「そう勘違いされやすい」というものも書きだしてみました。

 

 次回に続きます。

自閉っ子 と 自分で自分を律するための言葉、励ます言葉 3

2014-05-02 09:55:36 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉っ子 と 自分で自分を律するための言葉、励ます言葉 1

自閉っ子 と 自分で自分を律するための言葉、励ます言葉 2

の続きです。

 

☆くんがNゲージを動かしながら、「1番線~3番線」と、つぶやいていました。

そこで、数字が書いてある札をブロックの上に乗せていく作業に誘いました。

作り方の要領をのみこむと8番線までできました。

「黄色い線の内側まで下がってください~」というアナウンスをして遊びながら

黄色い線も作りました。

☆くんは想像力の幅がとても狭いようで、いつも同じことを同じように繰り返して

それ以外に手をつけようとしないところがあります。

でも、「高速道路、上手にできたね。最後まで完成させたら気分がいいね」とか、

これまで☆くんが自分でできることを誇りに思っていることを、一つひとつ挙げて、

「ちゃんとできているよ」といった言葉をかけていると、

中断していた作業に戻って、最後までやり遂げることがよくあります。

☆くんにとって、自分を励ます「言葉」の影響力はとても大きいようです。

 

 

ホースの一方にビー玉を入れると、もう一方の端から飛び出したビー玉が、

ホースの輪の中をくるくる回ります。

☆くんは有頂天。

「みてみて、なおみせんせー。ビー玉だよ」と高い声で呼んでいました。

「すごいすごい。☆くんが自分で考えたの?どういうふうにしたら、

くるくるビー玉が回るの?教えて」とたずねると、

「あのね、ビー玉を入れたらね、くるくるした」と☆くん。

☆くんが自分で発見したことや、自分で試したことには、

何とか理由を説明しようとする態度が見られます。

「ホースにビー玉を入れたら、いいのね。そうしたら、一方の端からポンッて

ビー玉が飛び出してくるのね。

それが丸くなってるホースの隣をくるくる回っていくのね。面白いね」。

☆くんが一つひとつの物の名前を確認しやすいように手で触れながら、

☆くんの言葉をよりていねいに言いなおしてあげます。

言いなおすといっても、修正するのではなく、足りない言葉を補いながら、

あいずちを打つように言葉を返しています。

 

最後に、★くんの希望で、鉄粉を使った『ホットカイロ』を作る実験をしました。

わたしも初めての実験です。

解説書では「80度くらいの温度になる」とあったのですが、鉄粉の質が悪かったのか

ティッシュペーパーを水につけた後絞り方が弱かったためか、

「あったかくなったような気がする」という微妙な結果になりました。

 

 


トイレットペーパーの芯を使って車の工場のベルトコンベアーを作りました♪

2014-05-01 22:36:02 | レゴ デュプロ ブロック

小1の☆くんと車の工場を作って遊びました。

子どもとブロックや工作で車の工場を作るときは、

HONDA 自動車工場見学 

のサイトが参考になります。工場内の様子を動画で見ることができます。

 

☆くんが気に入ったのは、「プレス」の場面。

↑ できあがり作品で☆くんの弟が遊んでいるところです。

 

長いブロックのように見えますが、

トイレットペーパーの芯に通しているブロックは、2個です。

100円ショップの透明のテーブルクロスを切って、トイレットペーパーに

貼りつけています。

くるくる芯を動かすと、ベルトコンベアーに乗っている車が動いていきます。

 

この装置を固定する際、ブロックをはめる位置によって

トイレットペーパーの芯が動かなくなることに気づいた☆くん。

最終的に、横にずらしたり、土台の下の部分をはめたりして上手くいきました。

 

プレスする機械。

「教室で定番の動く仕掛け×逆さまに組んだ枠」で左右、上下に動くプレス機が

できました。

アルミ箔をミニカーに押し付けると、本物の工場の鉄の板をプレスした時のように

車の型ができあがるので遊びが盛り上がります。

 

ブロックに取り付けたモーターやプーリーも使っています。

 

 

算数タイムに『トップクラス問題集 1年』の文章題を解きました。

算数が得意な☆くんですが、最初の2問はすぐにできたものの、

後半の2問の文章の長さに混乱していました。

絵を描いて解くよううながすと、ちゃんと答えを出すことができました。