虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

年中さん 文字や数に興味しんしん

2014-05-15 20:51:24 | 通常レッスン

 年中のAくん、Bくん、Cくんの算数タイムの様子です。

Aくんが、お弁当箱におもちゃの食材を詰めて、

「先生、けいさつのごはんって書いて!」と言ってきました。

言われるままに「けいさつのごはん」と書くと、Aくんは「ぼく、『の』の字、

書ける」と言って、『の』と書きました。

Bくんも、Cくんも、「ぼくも」「ぼくも」と、『の』を書きました。

わたしが、「けいさつの の の のごはん」とみんなの書いた『の』も指でなぞり

ながら読むと、おふざけ大好きのAくんに大ヒット。息ができているのか心配になる

ほど笑い転げてから、「もっともっと、書いて!」とお願いされました。

 

ちょうど、『の』が多すぎる文章で笑ったあとですから、

次に『のぬき』の手紙……というのを書いてあげました。

『の』の字だけ抜かすと、お手紙が現れます。

真剣に『の』の字にバツをしています。

どの子も文字にとても興味がある時期のようで、「ぼくにも、のぬきの手紙書いて!」

「ぼくにも」とみんな必死です。

 

 

魚釣り遊びをするとき、魚の色ごとに得点を考えてもらいました。

といっても、ある程度、釣ったあとで得点を考えたので、

どの子も自分が持っている色の得点を大きい数にしようとしていました。

 

カラスのゲーム。

このゲームでも果物の色ごとに得点を決めることにしました。

大きな数を言うのを心から楽しんでいたので、

「6点のが1つと7点のが1つと100点のがふたつ取れたよ」と報告だけしてもらって

計算をするのはやめました。

 

「子どもが数の何に興味を持っているのか」に応じて、ゲームのルールを調整するのは

大切だと思っています。

 

ビー玉コースター作りやひもを引っ張ると回る回転すし。

 

同じしかけでバッティングマシーンなどを作りました。


自閉っ子 「何度もやりたがる同じことに プラスアルファ」と「やりたがらないこと と 親しむ工夫」 3

2014-05-15 06:46:47 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回、おもちゃで遊ぶ際も、一部に工作で作ったものを加えて遊んでいるという記事を

書きました。

必ず本人が強く惹かれるもので、1,2手順でできるものにしています。

 

その都度、素材からできあがっていく過程を見せてあげられるし、

書いたり切ったりする活動のきっかけになります。

また、作ってほしいという気持ちを持ったり、言葉で相手に頼んだり、やりとりしたり

壊れたときに問題を解決する(自分で作りなおしたり、修繕したりする)機会が生まれ

たり、書いて学ぶ学習への橋渡しになったりするのも、理由の一つです。

 

市販のおもちゃだけだと、それだけで遊びが完結していて、

決まったこだわりのある遊び方を始めると、周囲との関わりを遮断して

ひとり遊びにふけりがちだからです。

 

虹色教室ではあまりそういう姿は目にしないのですが、お母さんの話では、

年長になって知恵がついてきたAくんは、同時に我が強くなって

周囲から強いられる「やりたくないこと」は、だらだらしてやらなかったり、

わざと乱雑に行ったりすることもあるようです。

 

Aくんのお母さんから、「二ヶ月ほど前までお絵かきでお顔を描いたりしていたのに、

新学期になってから殴り書きしかしないのが気になっています」という報告を受けて

いたので、Bちゃんがお絵かきしているときにAくんも誘いました。

しぶしぶ席に着いたAくんは、グーの手で握ったえんぴつを引きずるように扱って、

乱暴に殴り書きをすると、席を立ってしまいました。

 

そういえば、年中の終わり頃までにずいぶん書いたり作ったりすることが

好きになってきたのに、年長になってからブロック遊びばかりやりたがって

鉛筆を持とうとしていませんでした。

「書く」活動に嫌なイメージを抱いたり、めんどくささを感じているのかもしれません。

そこで、今回は、Aくんが書く活動を楽しいと感じるようなこんな工夫をすることに。

 

Aくんは、注意の向け方に問題を抱えているので、

何をするにも「最初」が肝心です。

誰かから誘われたり、無理強いされたことには1分間集中力を保つのも難しいのですが、

自分から意欲的に始めた場合、途中で多少面倒な場面があっても根気よくできることが

多いのです。

 

最初に「鉛筆削りで、鉛筆を削る」というAくんが大好きな作業をしながら、

これから鉛筆で書く活動の話、鉛筆の持ち方の話をすると、

それからは正しく鉛筆を持って書いていました。

殴り書きはやめさせるのではなく、

電車の線路だということにして、紙で作った電車で書いた線を追いかけると

うれしそうでした。

 

Aくんはモーターで動くものが大好きで、写真のような手作りおもちゃで

何度も遊んでいました。

そこで、書いたりハサミで切ったりする意欲につながるように

モーターを空き箱に貼って、紙を回転させる道具を作りました。

 

切ったものや書いたものがくるくる回るので楽しそうでした。

 

 ボタンを押すと音楽が流れる電車のおもちゃ。

電池をはずしていると、Aくんが電池を入れたがりました。

いつも一緒にレッスンをしている男の子が電池を変えるところを見ているので

興味があったようです。

電池のプラスとマイナスを確認して、入れる作業がきちんとできました。

 

お絵かきがどんどん上手になるBちゃん。

作った絵で操り人形を作ったり、お手紙をポストに出しに行くごっこ遊びをしたりして

遊びました。

 


それぞれ作るものはこんなに違うけど、最初に見た見本は同じです♪

2014-05-14 22:22:14 | 工作 ワークショップ

4年生と5年生の子らのレッスンで、

「切り込みを一度入れてから折ると、こんなふうにさまざまな形が生まれるよ」

というお手本を、作っている過程を見せて示したところ……。

「面白そう!」と夢中になって見ていた子たちがそれぞれ作った作品は、

次の通り……!?

 

それぞれ自分の好きなものを作っているようで、お手本からアイデアを得たり、

お友だちの作ったものからひらめいたり、お互いに影響を与えあったりして

作っていました。どこが同じかわかりますか?

 

切り紙から小さな冠を作り、それをカチューシャにすることに。

 

滑り止めもつけました。

 

 

世界の切り紙。雪の結晶の形がきれいです。

 

 

分度器を使って、60度ずつ折ります。

最初は難しかったようですが、上手に作れるようになってから、

いくつも作ってモービルを作っていました。

オリジナルデザインのものも作って、お友だちに絶賛されていました。

 

 

アナと雪の女王に出てくる誰でしょう?

 

 

 

占いの棒と入れ物。

 

 

帽子(わたしのお手本の山を応用)と、

広げると自然にもどってくる(はずだった)棒2タイプ。

 

 

この日は、角度の問題をいろいろ解きました。

こんなふうに、折り紙に問題を作ったものもあります。


自閉っ子 「何度もやりたがる同じことに プラスアルファ」と「やりたがらないこと と 親しむ工夫」 2

2014-05-14 13:35:19 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉っ子たちの遊びの広げるためにしている工夫です。

 

Aくんが虹色教室で何度もしたがる遊びは、次のようなものです。

① 川や水の絵がついているプレートを並べて、

「ロウ ロウ ロウヨ ボート」という歌を口ずさむこと。

② ブロックの線路をつないでいくこと。線路で電車が脱線したことにすること。

③ Nゲージをテーブルの上で前後に動かすこと。

④ ねんどで団子を作ること。

⑤ メイクン ブレイク という積み木のゲーム

⑥ ドールハウスを降ろして、お皿が割れたシーンを演じること。

⑦ エレベーター作ってを吊り上げること。

⑧ 高速道路を作ること。

⑨ ドミノ倒しをすること。

⑩ ビー玉コースターを作って遊ぶこと。

⑪ 積み木やペットボトルでロケットを作って遊ぶこと。

 

Aくんが虹色教室に来たばかりの頃は、②と③を少しするだけで、

ほかの遊びにいっさい興味を示さなかったので、

この1年程の間にやりたがることやできることの種類はずいぶん増えたのです。

ただ、遊び方そのものは、最初に覚えたひとつのパターンを毎回、毎回、同じように

繰り返したがる固さがあります。また、想像力を使って自分で遊びを広げていくのは

とても難しいようです。

 

そこで、Aくんが同じ遊びを同じように繰り返す際、こんな働きかけをしています。

たとえば、①の川のプレートをつなげる遊びで、Aくんは「プレートをつなげて、

歌を歌って終わり」という遊び方をしがちなので、舟はその都度、工作で作るものにし、

人形が舟に乗りたがり、川を渡っていくごっこ遊びを加えて遊ぶようにしています。

Aくんは「お皿が割れる」とか「電車が衝突する」といった展開が好きなので、

「舟が転覆する」という展開を入れると、こうしたごっこ遊びも受け入れます(本人が

好まないストーリーを加えようとすると、拒否して終わってしまいます)。

そうして好きなことをストーリーの中心にしながらも、舟に乗るときに、

「はやく来ないかな?舟、来て来て!はやくはやく!」と人形に言わせたり、

舟を動かしながら、「ゆっくりゆっくり進んでね。舟がひっくりかえっちゃうから。

怖い怖い」と言わせたりして、

Aくんが理解しやすい会話を遊びに入れるようにしています。

 

 

「その都度、工作で作る」のは、適当に切ったものの端を少し折るだけでも、

紙箱の端に紙を少し貼るだけでも、舟を作ることができる……ということを、

Aくんに何度も見せる目的があります。

 

「ひとり遊び」で終わってしまうものに、少しでもいいので、

こちらに「作って!」と頼るものや、こちらのすることを目で見るものが加わるように、

最初に、特定のおもちゃにこだわり出した段階で、

作ったものをひとつは加えておくようにしています。(自閉っ子は、一度、ひとつの

素材にこだわりだすと、ブロックならブロック以外のものを一緒に扱うのを

極端に嫌う……といった、ほかのものを受け入れられない子が多いので、

最初から加えておくことは大事だと思っています)。

 

写真は、Aくんが作ることができる「高速道路」です。

最初に見本を見せるときに、ブロックで支えを作ったので、Aくんはこの作り方が

気に入って、教室に来るたびにこれを作ってから、ミニカーを走らせて遊ぶように

なりました。

Aくんは自分でブロックの支えを4段ずつに調整して乗せることができます。

うれしいことですが、これができるようになってから、

毎回、同じように高速道路を作って、ミニカーを走らせて……という遊びから

変化がありません。

 

そこで、ブロックの支えを作っているときに、

「こっちも4段、あっちも4段、同じ高さにできたね。同じ高さにしたら、

真ん中の道路がまっすぐになるね。おっとっと、すべるすべる、坂道ですべり台

みたいにすべっちゃう……。助けて!ってならないね。どっちも同じ高さになるから、

4段ずつにしたんだね」といった言葉をかけていました。

Aくんが何気なくしたことに、「こういう理由があったからしたんだね」という理由を

添えるようにしていると、お母さんから、この頃、何かを選んだあとで、

「~だから」という理由を表現する言葉が出るようになったという報告を

いただきました。

 

高速道路にも、工作を一つ加えています。

紙コップにストローをつけただけです。

 

Aくんが好きなねんど遊び。

最初のうちは、感触を楽しむだけで終わりがちでした。

お正月に餅つきを体験したとき、お餅に粉をまぶしたことが印象的だったようです。

そこで、「丸めてだんごを作って楊枝にさして、それに粉(ベビーパウダー)をまぶす」

という過程を遊びに加えると、いくつも熱心に作っては、それを箱などに並べていく

ようになりました。

こんなふうに、実際に体験したことや好きなテレビ番組のシーンなどを遊びに加えると、

遊びの幅が広がるときがあります。

 

また、遊びそのものが同じことの繰り返しでも、

その遊びをやりたがるときに、選ぶ活動を増やしたり、

「電車のおもちゃで遊びたいの?線路がいるね。それから、走らせる電車もいるね。

それから……」と、おもちゃを出す前に何が必要か言葉に出して言ってみるといった

活動を加えるのもいいです。

そうしたやりとりは、心地よさや楽しさがとても大切だと思っています。

教えるのではなくて、人との関わりを心地いいと思う体験を味あわせることを

一番の目的にするようにします。

 

 


自閉っ子 「何度もやりたがる同じことに プラスアルファ」と「やりたがらないこと と 親しむ工夫」 1

2014-05-13 15:44:44 | 初めてお越しの方

毎回、毎回、同じおもちゃ、同じ遊び方に固執する自閉っ子たち。

 

同じことを繰り返したい気持ちに応えながら、その都度、

少しだけ別の要素を付け加えたり、新しい展開に誘ったりしています。

でも、この「何度もやりたがる同じことに プラスアルファ」は、

お家で親御さんがしようとすると、強い拒絶や無視にあうことが多いそうです。

そこで、少し付け加えるときに教室でどんなことに気をつけているのか、

書いてみようと思います。

 

自閉症の年中のAちゃんと 自閉傾向の強い年長のBくんのレッスンの様子です。

 

この頃、少しずつ好きな遊びの幅が広がってきたBくん。

どうしても以前したことの繰り返しが多く、ほかの人から誘いに対しては

まるで耳が聞こえていないかのように振舞いがちです。

ドミノ倒しはBくんが好きな遊びです。レンガ積み木やプラスチックのドミノを並べていっては

倒して遊んでいます。この日、Bくんはおもちゃの食パンをいくつか並べて、

「食パン、ドミノ」と言っていました。

「本当だ、Bくん。食パンを並べたらドミノ倒しができるね。

Bくんが考えたの?いい考えね」と声をかけました。

 

 

Bくんのお母さんは、「Aくんの遊びに加わろうとすると、強く拒絶されるので、

どうやって遊びを広げてあげたらいいか」と戸惑っておられました。

 

自閉っ子の親御さんたちが、「あっ、また同じ遊びばかりしている。

少し遊びを広げてあげよう、別の遊びも加えてあげよう」と考えるとき、

いきなり遊びそのものを変えるアプローチをしてしまうのではないでしょうか。

自閉傾向の強い子たちの多くは、自分が今していることから別の何かへ頭を切り替えるのが苦手です。

またいきなり自分の世界に侵入されると、周囲の働きかけを遮断します。

外側から自分をコントロールされているような状態では

自分から学ぼうとしません。

 

そうした自閉っ子たちの遊びの広げていくには、いきなり、

「遊びそのもの」を「もっと有意義なもの」へ、

「もっとレベルの高いもの」へ変化させようとするのではなく、

次のようなアプローチが有効だと感じています。

 

★「前にした遊びを、前にした通りに再現する」過程のバリエーションを豊かにしていく

 

★ 好む遊びに作ってあげる素材が含まれるようにしておく

 

★ その子の遊びから連想される別の何かを、平行遊びのように

大人は大人で自分の遊びとして近くでする

 

 ★ 「ごっこ遊び」と「意味」に注意する


どれも言葉だけではわかりにくいと思います。次回は、それぞれについて、

具体的な例を挙げながら説明させていただきますね。


早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 7

2014-05-13 13:54:38 | 幼児教育の基本
早期教育と幼児教育の問題点について書いた過去記事を紹介します。
 
TV番組『エチカの鏡』で放送された、幼児教育についての特集の反響を、

さまざまな場で耳にします。
 
姪っ子がネイルサロンで働いているのですが、お母さんがネイルサロンで
 
お手入れをしている間、子どもは幼児教室……。話を聞くと、その日のうちに
 
かけもちで別の習い事(英語など)にも送っていく……というケースが珍しく
 
なくて、むしろよくあることでごく普通の現代の子育て風景なのだそうです。

わが子が幼いころは、幼児教育というのはまだまだ賛否両論が飛び交っていま
 
した。幼児の能力で周囲からスポットライトを浴びると、その子の親は、
 
賞賛とともに、「そんなことをしていたら大変なことになる……子どもの心に
 
負担がかかる……小さなうちから幼児教室なんてかわいそう……」という
 
非難も浴びたものでした。うちの子の幼児期よりずっと昔、キュリー夫人の
 
偉人伝にも、幼児教育はよくない、危険!という考えがあって、
 
この天才的な女性を育てた父親は幼いキュリー婦人が字を覚えることがない
 
ように気をつけていました。

二キーチン夫妻が幼児教育をしていたときも、それこそ批判の嵐の中で子育て
 
したようです。

どうして過去の歴史の中で幼児教育に批判や非難がつきものだったか……?
 
というと、決して、見ていてかわいそう……という子どもへの愛情からでも、
 
あそこの子だけ賢くなってずるい!というねたみだけではないのです。

昔の人は、幼い子に労働させたり、自分の持ち物のように扱ってた時代もあっ
 
て……子どもだからかわいそうなんて現代の人のような気持ちが薄くもあった
 
のです。海外には集団の学校にはやらず、赤ちゃんの時期から特別なスパルタ
 
教育や偏った自己流教育をする人もいました。
 
またアメリカなどでは、一つの州が優秀児を作り出そうと、幼児教育に力を
 
注ぐことに熱中した時期もあったのです。
 
日本でも無批判の幼児教育を受け入れて、まだ塾に行く子が珍しい時期に、
 
塾や家庭教師をつけて、子どもの教育に奔走していたお母さんもいたのです。

それがどうなったか……というと、良い結果を生まなかった……。
 
良い結果どころか、目も当てられないような恐ろしい現実がたくさん生じて、
 
これはいけなかったと反省した人々が孫の子育てに「小さい頃から無理させて
 
はいけないよ」と言ったり、そうした現実に驚いた人々が、幼児教育への
 
警鐘を鳴らたりしていたのです。

でも今、何でもあり、それぞれが自由に生きればいい……という風潮の中、
 
過去のたくさんの人の失敗に耳を傾けようという人もいません。

教育産業や幼稚園や子供向け商品を開発している人々が、
 
過去と切り離された自分たちの利益を追う活動をしているのに、
 
誰もが無批判に乗ってしまいがちです。でも、これが恐ろしいのです。

過去にも、幼児教育の弊害が大量に出たときというのは、
 
その時代を生きた人たちが、こうして安易に無批判に表面的に幼児教育を
 
取り入れていた時期だからです。つまり今、現代の親たちの心や子育ての
 
状態が、幼児教育の弊害を大量に生んでしまった時期の親たちととても
 
似ているのです。

そして時代は繰り返す……ではないのですが、
 
今、幼児である子たちの将来に、恐ろしいさまざまな幼児教育の弊害が出は
 
じめて、親たちが次の世代に「幼児教育はよくないよ。ダメよ」と今度は
 
全否定に陥ることもまた怖いな~と思っているのです。

話が飛びますが、台所育児が流行ったからって、2歳児に包丁を「はい」と
 
渡していいわけではありませんよね。するにはするで怪我がないように
 
細心の注意をはらわなければならないのです。
 
身体の怪我ならまだわかりやすのですが、幼児教育の弊害の場合、心を傷つけ
 
たり蝕んだりしていくので、かなり深刻な害がでるまで気づきにくいのです。

最近は、優等生による殺人事件や有名大学の生徒たちによる薬物や痴漢行為な
 
どをニュースで見かけることがめずらしくありません。ニュースではそうした
 
子の幼児期のあり方や幼児教育の有無を知ることができませんが、
 
『教育』という視点からも社会問題を振り返っていかなければならないように
 
感じています。

私がちょっと怖いな~と思うのは、
 
●●式とか、●●ゼミとか……通信教材や知育教材がいろいろありすぎて、
 
 
そうした教材を与えることを通して子どもを眺める……というスタイルの
 
子育てが多くなってきていることです。
 
知育玩具といっても、海外の質の良いおもちゃ会社の、子どもの発達や成長を
 
見つめて作られたものなら、それを通して子どもに関わることで、
 
子育てはすばらしいものに変わっていくでしょう。
 
でも、日本の親の心をくすぐることを目的に作られた知育玩具は、
 
そうしたものを次々与えること自体が、子どものみずみずしい感性を蝕ん
 
だり、子どもが世界と直接関わって、好奇心を広げていくのを遮断している
 
ようで嫌な気分になるときがあります。

 
幼児教育で有名なニキーチン氏は、創造力の発達のために、
 
創造の過程というものの性格から、『人間は、なるべくひんぱんに最大限の
 
力を、その限界まで出しきって活動し、そしてその限界を少しずつ高めてい
 
くようにすればするほど能力が発達する』とおっしゃっています。
 
でもそれには絶対!!といえる条件を語っているのです。

ニキーチン氏が繰り返し語っていたのは、
 
子どもに必ず大きな自由を与えることです。

何をするか、いつするか、どうやってするか、は子どもの自由にさせて

はじめて、最大限の力を引き出すことができるとおっしゃっていました。

何をやるか、どのくらいの時間やるか、子どもの気分、興味、
 
感情的な高まりが、信頼できる安全装置となって、
 
それが子どもの害にはならないのです。

こうした点で、日本の知育教材……特に通信教材は、親が、何をどのくらい
 
やるか、どうやってするか、を決めてもいいように勘違いする作りになって
 
います。子どもに自由が与えられていないのに、最大限の力を引き出そうと
 
すれば、必ずといっていいほど害がでます。


私は幼児期を一生のうちで最も大切な時期と感じているし、
 
幼児教育の大切さを日々実感しています。
 
けれども無批判に不注意に安易に、まるでお買い物気分で幼児に教育するこ
 
との危険を考えずにはおられません。
 
 
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『幼児教育は親のエゴ?』 という過去記事を紹介します。
 

幼児教育は「親のエゴ」なのでしょうか?

わが子の豊かな発達を願って、幼児教育を始められた親御さんも

あるときふと そう感じて…また 他人から指摘されて…

そうした迷いの壁に ぶちあたることがあります。

私自身は幼児教育をとてもすばらしいもの、大切なものと考えて

いますが、その方法が子どもの心理や発達にそったナチュラルな

場合…という条件つきです。

確かにそのあり方次第では、幼児教育は単なる「親のエゴ」でしか

なく、子どもの心も成長する力も破壊してしまう「危険な一面」が

あるとも考えています。

火や包丁の扱いに無知な人が料理をすると、命に危険が及ぶことは

誰もが知っています。

けれども子どもの心理や発達の課題、幼児教育をする上での

最低限のルールに無知なままで子どもの教育に熱中することが

どれほど多くの危険をはらんでいるのか、

知らない人は多いのです。

ですからそれに警鐘を鳴らし、幼児教育の危険を訴える方々の

存在はありがたいことです。

でも 危険だからといって、料理をしない人がいるでしょうか?

幼児教育も 危険だからとやめてしまうと、そこにもまた危険な

落とし穴があるのです。

昔なら大家族や近所の遊び仲間のおかげで、知らずと受けていた

多くの知的な刺激を、現代の子どもはほとんど受けることができ

ません。

折り紙、あやとり、メンコ遊び、なわとびといった伝承遊びは

子どもの感覚を統合し、脳の成長を助けるものですが

幼児教育を考えてはじめてそうした遊びを与える…というくらい

現代の子どもを取り巻く環境や文化が、自然に子どもを成長させる

力を失っているのです。

それに、子どもにとって強すぎる刺激が与えるダメージ同様に

刺激のない環境も多くのダメージを与える元となるのです。

ですから、幼児教育は「いい」とか「悪い」とか

簡単に○×つけれるものではないはずです。

それよりも大切な子どもたちが「すくすく育つ環境作り」に向けて

子どもを持つ人も、子どもを持たない人も、みんなが協力しあって

知恵を絞っていかなければならないのだと思います。

そしてすくすく育つ…の環境から、知能の発達を切り捨ててしまっ

たらやっぱり不自然ですよね。

幼児は親とおしゃべりしたりなぞなぞをしたりカルタをしたりする

のを喜びます。それらは「親のエゴ」からでなく、

「幼児の欲求」から始まる幼児教育です。

幼児教育肯定派も、幼児教育否定派も

それぞれいろんな意見を出し合って、子どものより良い未来を

作っていけたらいいですね。


1歳児さん 敏感期の遊び 

2014-05-12 14:26:33 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

期教育の弊害と早期の教育の大切さ 6 の記事の続きは

近いうちに書きますね。

 

1歳7ヶ月のAちゃん、1歳9ヶ月のBくんのレッスンの様子です。

Aちゃんは内向的なおとなしい性質ですが、芯が強くて、「自分でやりたい」という

思いの強い子です。お人形を一体一体、椅子に座らせていく遊びに熱中していました。

物と物を「1対1対応」させていくことに敏感になっているようです。(お家に

椅子のおもちゃがないときは、積み木やブロックで椅子を作るのもいいですよ。

紙を折っただけの椅子も喜ばれます)。

 

 

動物の人形を、1体1体、「ねんね」と言いながら、寝かせています。

(写真では大きなバンダナ1枚で遊んでいますが、1対1対応の時期、

人形のサイズのお布団がたくさんあると、喜びます。いらない布や服の生地を

人形のサイズに切るものいいです)。

寝かせる動作、ポンポンと布団をかけてあげて、「夜ですよ」「あっ、朝がきた」

と言って遊びます。

人形を寝かせたあとで、Aちゃんは自分も眠ったふりをしたり、

パッと元気に起きあがったりして遊んでいました。

 

自分で扱える道具がうれしくてたまらない様子。トングでおもちゃをつまんでいます。

トングは危なくないもので、(先がとがっていなくても、子どもの指を詰めるような

作りになっているものもあるので注意)つまみやすいものを用意します。

おすすめなのは、100円ショップなどで売っている柔らかいブドウの食品サンプルの

粒をはずしたものなどです。ゴムのような感触がつかみやすいです。

 

Aちゃんは、穴があるものに一つひとつ物を入れていくのが楽しくてしかたがない

ようでした。

 

 

おもちゃを手作りするときは、子どもにとって、適度な手ごたえがあるように

調整します。

写真は、ペットボトルの口にデコレーションボールを入れる手作りおもちゃです。

AちゃんもBくんもどんなおもちゃより、これが気に入っていました。

デコレーションボール(100均)は、ペットボトルの口のところで一度引っかかり、

指でキュッと押し込むと入ります。それが面白くてたまらない様子です。

ペットボトルの横に取り出し用の穴を開けて、セロテープで縁を覆っています。

 

お皿にスプーンを添えていく作業も楽しい時期です。

 

 

Bくんは好奇心旺盛で動くものが大好き。

また、じしゃくやゴムを使った仕掛けにも強い関心を示します。

じしゃくのついた組み立ておもちゃで遊んでいます。

 

 

今、ブロックをはずしたりはめたりするのが大好きというBくん。

この時期、お家でお母さんが作ってあげるといいブロック作品をいくつか紹介しました。

ひとつは駐車場……車がきちんとおさまると喜びます。

3色くらい色を分けて作るといいですよ。

車の発射台……輪ゴムをつけて車が飛び出すような仕掛けにしたものです。

坂道……ブロックを積んだだけのもの、一部の向きを変えて滑り台のようなものを

作ります。車やボールを転がします。 

 

 

まだルールを守れるわけではありませんが、カードを出して

チンとベルを鳴らすゲームやいちごケーキのゲームで遊びました。

 

 

最後にティッシュペーパーの空き箱でエレベーターを作って

天井から吊らして遊びました。


校長先生とサーカスの団長への電話 

2014-05-11 13:45:54 | 通常レッスン

早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 4 の

「(わが子を)主体として受け止める」ということや

「ゆったりとした『おお、よしよし』」について、非公開のものを含めていくつかの

コメントをいただきました。

心でていねいに咀嚼しながら記事を読んでいただいているようでうれしいです。

 

自分が「一個の欲望を持った主体」であるのと同じように、

相手も欲望を持った主体であるということ……を、

子どもたちも子ども同士で、相手を受け止め、相手に受け止めてもらいながらお互いの

理解を深めていくんだな、と気づくことがあります。

 

こんな何気ないシーンでも。

※これまで子どもの名前を★などの記号で表していましたが、

「混乱しています」という指摘があったので、これからはAちゃん、Bちゃんと

書かせていただきます。

 

 

 

小学1年生のAちゃん、Bちゃん、Cちゃん、Dちゃん、と

Dちゃんの弟の年中のEくんのレッスンでの出来事です。

 

Aちゃんは感情の面で過敏な女の子で、

ほかの子らが楽しそうに笑いあっているのを見ると、その輪に入っていけなくなります。

誰一人いじわるする子はいなくても、「Aちゃんもおいでよ」と声をかけてもらっても、

一人ですねた素振りをしたまま、友だちの方に近づこうとしません。

でも、本当はみんなと仲良くしたくて仕方がないのです。

 

この日、「今日はどんなことがしてみたい?」とたずねるやいなや、

Bちゃん、Dちゃん、Eちゃん、Fくんの「実験!」「実験!」「実験!」という

元気な声が上がりました。

最終的には、みんな、「実験もしたいけど、他のこともしたい!」というCちゃんの

意見でまとまって、実験とゲームと工作をすることに決まりました。

 

実験は、「スライムを入浴発泡剤を入れた液で作ったらどうなるか」と

「尿素の結晶作り」と「音の実験」の3つをすることに。

水を入れたボディーシャンプーのボトルに、水槽用の細いホース(ホームセンターで

1m50円~80円で売っています)をつないだもので、

水を送って入浴発泡剤を溶かしました。

 

この『ボディーシャンプーの空きボトルに細いホースをつないだもの』は、

子どもたちに大人気で、「ほしい。絶対、わたしも作りたい」「お家でお風呂で遊び

たい」「水道とか下水のしくみとか作るときに使えると思う」「70円だったら、

ぼくも持ってる!だから買えるよ!」と興奮したおしゃべりが続いていました。

 

少し遅れて教室に着いたAちゃんは、ほかの子らの興奮ぶりを目にすると、

離れた場所で緊張した様子で座りこんでいました。

「Aちゃん、Aちゃんもこっちにおいで」と呼んでも、口をへの字に結んだまま

動こうとしません。

 

そこでわたしが、 助け舟を出すことに。

 

「みんな、楽しそうにゲラゲラ笑っているけどね。

少し遠いところから、ひとりぼっちで、楽しそうに笑っているお友だちを見たとき、

仲よさそうだな、入りたいな、でもちょっと怖いな、入れてくれるかなって、

ドキドキして動けなくなったことある?」とたずねました。

BちゃんとDちゃんが真剣な表情でうなずいていました。

 

「ドキドキして動けないとき、○○ちゃん、一緒に遊ぼう。おいでよって誘ってもらっ

たら、ほっとして、みんなのところまで行けるようになるよね」と言うと、

みんな口ぐちに「Aちゃん、おいで」「一緒に遊ぼう」と声をかけていました。

が、Aちゃんはもじもじしたまま動こうとしません。

 

「先生、Aちゃんはね、呼んでも来ないのよ」と不服そうなDちゃん。

「Aちゃん、おいでよ。いじわるする子なんて一人もいないでしょ? Aちゃんは

のりを入れるのと、ホウ砂を入れるのとどっちがやりたい?」。

そうたずねてもAちゃんが固まったままだったので、ほかの子らに、

「みんな、いつもお友だちに優しいよね。これまでいじわるとかしたことある?

一人だけ入れてあげないって遊びに入れてあげなかったこととかある?」と

聞いてみました。

すると、気が優しいBちゃんが、「1回もない」と言い、

Cちゃんは笑いながら「ある」と言い、

Dちゃんが「ここじゃないけど、ほかのところだったら、ちょっとだけある」と

泣きそうな顔で言い、Eくんも考え考え、こぶしを握って、「ある」と答えました。

「Aちゃん、Aちゃんは弟にいじわるしたことある?」とたずねると、

Aちゃんはこっくりうなずきました。

教室では、汚い言葉や言ったらいけない言葉を使ったことがあるか?とか、

嘘をついたことがあるか?といった話題で子どもたちとおしゃべりすることがあります。

悪い行動をしてしまうときのワクワクする気持ち、

ああ、だめだ、やっちゃったな、という気持ち。

自分も他の子も同じような心を持っているんだな、という発見があります。

 

そのとき、一緒に材料を混ぜていたCちゃんとEくんがこぜりあいを始めました。

「先生、Cちゃんが意地悪だよ」とEくん。

 

Eくんは年下とはいえ、ほかの誰よりも実験が好きで、

どの工程もすべて自分で仕切りたいのです。

Bちゃんも姉のDちゃんも、自分より小さい子だからと譲ってあげるのですが、

活発でいたずら好きのCちゃんは、

Eくんが「ぼくが、ぼくが……」と言うたびにちょっかいを出していました。

 

CちゃんのEくんに対するちょっかいは、

意地悪と言うより、おふざけの部類だったので、わたしもふざけて、

「それなら、みんなここにいてる子はきょうだいってことにして、

Cちゃんは一番大きな中学生のお姉さん。

さぁ、今からCちゃんの中学の校長先生のところに電話をしよう」と電話をかける

真似をしました。

 

すると、Dちゃんが、「トルゥゥゥゥ、トルゥゥゥゥ……ツーツーツーツー」と

電話音を真似てから、「あっ、留守だ」と言いました。

それには全員、大笑い。いつの間にか、Aちゃんもみんなの中に入って笑っていました。

 

「先生、先生が校長先生の役をすれば?そうしたら電話に出れるでしょ?」とBちゃん。

「それは困るわ。だって、先生は電話をかけるお母さんの役なんだから。

それに、お母さんじゃない場合、隣のおばちゃんの役がしたいのよ。

校長先生は、Aちゃんの(赤ちゃんの)弟にしてもらおうよ」と言うと、

「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。だって小さすぎるよ。」と言いながら、

女の子たちはみんな、Aちゃんも一緒になってじゃれあったり、もたれあったり、

手をつないだりして笑い転げていました。

 

少しすると、またもやCちゃんとEくんが揉めだしました。

これでは実験が先に進まないので、再び電話をかける真似をし、

「もしもし、サーカスの団長さんですか?うちのCちゃんとEくんを連れていって……

ええ、今日だけ、きょうだいなんです。

空中ブランコとかライオンのショーとかトランポリンの訓練をしてください。

けんかばかりしてますから、空中ブランコとかのちょっと怖い練習をお願いします」

と言いました。

すると、BちゃんもDちゃんも目を輝かせながら、

「空中ブランコはわたしもしたいな。それから、他にはサーカスですることはないの?」

とたずねたり、「そうだ、サーカスにこんなのあるよね」といった話をしていました。

当のCちゃんとEくんは、ニコニコしながら話に聞き入っていました。

 

子どもたちの揉め事がどちらかの強い不満や怒りによるものではないとき、

わたしはこんなふうに、ごっこ遊びの中で解決を図ることがあります。

 

そのたびに子どもって面白いな、と感じるのは、十中八九、

自分が被害にあった側の子も、想像の世界で加害者の子が残酷な罰を受けるのを

好まなくて、ユーモアがあって、心がほっとするような……

でもそれなりに罰だとわかるような罰を受けることになると喜ぶことです。

3、4歳の子でしたら、悪いことをした動物さんが、

「公園で滑り台をしたらだめよ。さあ、お布団に入って、寝てなさい。ずっとずっと

目をつむってね」という罰を受ける人形劇を見るのが一番うれしいようです。

 

CちゃんとEくんが2度目に揉め出したときも、

「先生、どっちが悪いか、CちゃんとEくんに聞いて、悪い方を怒らないと!」と

言っていたDちゃんですが、「先生は今日は頭がとても痛くて具合が悪いから、

二人の話を聞かずにサーカスに電話をすることにするわ。団長にトランポリンとか

しんどくなるまでやらせてくださいって頼むわ」と言うと、

不服そうにするどころか、ほっとした様子でにっこりしていました。

 

こんなふうに、悪いことをしたな、と思われるお友だちにしろ、

自分に意地悪をした相手にしろ、

甘めの面白い罰を受けることになると、不満に思ったり怒ったりするどころか、

安心したようなうれしそうな表情をする子どもたちの姿に驚きますが、

もっと不思議に思うのが、そうして想像の世界の甘い罰を味わったあとで、

友だちに対してむやみに意地悪したり、衝動的に振舞ったりする子がほとんどいなく

なることです。揉め事も激減します。

「自分が自分が!」って全部奪ってしまいたくなったり、意地悪したくなったり、

仲間外れにしたくなったり、嘘をつきたくなったり、

腹を立てて暴力をふるいたくなるような気持ちは、

みんなどの子も自分の中にちょぴりは持っているのかもしれません。

子どもたちは、自分の中にある欲望とお友だちの中にある欲望は同じなんだな、

と理解するとき、相矛盾する「どこまでも自分を貫きたい」という思いと

「常に人とつながって安心したい」という思いの接点を見つけていくようです。

 


早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 6

2014-05-08 12:54:51 | 日々思うこと 雑感

『だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子』というタイトルで

書いた過去記事です。

今回の記事と関連がある(リンク先の正解を急ぐ子育ての部分から)ので、

紹介させていただきます。

 

このところずっと、

「保育士おとーちゃんの子育て日記」というブログを読ませていただいています。

現在の家庭の育児の危うさ、保育の危機、虐待について、子どもの人格形成のこと、

早期教育の問題点、日本の子育て文化の落とし穴について……。

どれも日々実感していることばかりで深く共感しながら読ませていただきました。

 

特に次の一連の記事は、虹色教室でも常々、頭を悩ませている点で(それを解消する

ために親子同室のベビーレッスン、2・3歳児用のグループレッスンを始めた経緯が

あるほどです)。ぜひ、多くの方に読んでいただきたいと思いました。

 

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 2 「抑圧ポイント」

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 3 「抑圧された子」

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 4

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 5 「認可園と認証保育所」

 

今回、わたしが書こうとしている記事は、この「いい子・できる子」という話題とは

ちょっと異なるのですが、重なる部分も大いにあります。

 

前にも一度記事にしたことがあるのですが、虹色教室にもごくごくたまに

「だんだんややこしくなっていく子」というのがいます。

大多数は「どんどん成長していく子」ですが、

少数ながら、その中間の「ややこしくはならないけれど、あまり成長が見られない子」

というのもいます。

 

子どもとたくさん接しているうちについた勘なのか、

親御さんの子どもとの関わり方を見ていると、

その先、どれに行きつくのか、特に「これはだんだんややこしくなっていきそう」

というケースは即座にピンとくるようなところがあります。

 

子どもの障害のあるなし、その重い低い、

問題行動の多い少ない、知力の高低に関わらないのが不思議です。

 

子どもがある時点でさまざまな発達上の遅れを抱えていても、

それが非常に深刻なものだったとしても、親御さんの関わり方を見ていると、

「ああ、この子は大丈夫」と感じることは多々あって、

実際、半年なり1年するとみちがえるように成長していくのを実感しています。

 

でも、「あんまりダメ出しばかりしていると、混乱したり、子育てを続けていく

エネルギーが枯れてきたりしそうだから、言うに言えないけれど、

このままいったらややこしい子に育っていきそう」とヒヤヒヤしながら

見守っている方の場合、子ども自身はハンディーキャップもないし、

知力もしっかりしているという子であっても、

十中八九、すごく扱いにくい子になったり、学習面で伸び悩んだり、社会性の面で

幼さが目立つようになったりしていくのです。

 

それなら、その「ややこしい子になりそう」という勘は

何を根拠にどんな基準のもとで

「大丈夫」「危なっかしい」と判別しているのかというと、

それが世間一般の常識的な子育ての良し悪しの判断とはかなりずれている

わたし独自の感じ方であって、上手く言葉にできるか自信がありません。

 

それでも、保育士おとーちゃんさんの言葉を借りなどしながら、

何とか説明していこうと思います。

 

幼稚園や保育所、小学校などには

「虐待寸前」「子どもをどなったり、叩いたりしてしまう」

「子どもがかわいく思えない」「早期教育に走って子どもを競争に追い立てている」

といった、誰の目から見ても子どもの育て方に危なっかしさを感じさせる親御さん

というのも、一定数存在していることと思います。

 

でも虹色教室にいらっしゃる方というのは、

そんな無茶な子育てをしている方というのはまずいらっしゃらなくて、

問題があると言ったって、せいぜいちょっと甘やかしすぎるか、

ちょっと干渉しすぎるか、ちょっと心配しすぎるか、ちょっと放任しすぎるか、

ちょっと期待をかけすぎちゃうか、といった程度のものです。

 

それもたいていは、月に一度とか2ヶ月に一度でも教室に通っていただくうちに

良い具合に接し方の加減をマスターして、

「親子共々成長していってるな~、ついでにわたしもそれに便乗して成長させて

いただいたな」と思っているうちに、

子どもの目を見張るような成長ぶりや個性のすばらしさの発露に、

親御さんもわたしも感激し、

子どもは自信に満ちてくるという流れを何度も繰り返し体験してきました。

 

そうした親御さんと、

「だんだんややこしくなっていく子」や

「ややこしくはならないけれど、あまり成長が見られない子」の親御さんに

大差はありません。

 

非常に言語化しにくい事柄で誤解を承知で書くならば、

子どもの成長の足を引っ張りぎみな親御さんというのは、

 

「子育てには興味があるけれど、その子自身にはあまり関心がないようだなぁ」

 

と見えるのです。

子育てブログや幼児教育ブログの文面から、それを感じ取ることもよくあります。

 

「見たところ、子どもに過剰なほど関心があるようでいて、その子が大好きなもの、

その子を笑顔にして夢中にさせるものは必ず軽く扱うなぁ、

幼稚っぽいもの、くだらないものという判断をくだすなぁ」と感じるのです。

 

それこそ、しょっちゅうギューっと抱きしめたり、

子どもの喜ぶ場所にあちこち連れて行ったり、

外遊びをさせたり、子どもをのびのびと育む園を選んだり、より良いおもちゃや服を

買いそろえたりしている方なのに、

「この方は子育てには興味はあるし、すばらしい子育てをしようとしているけれど、

その子自身には、その子の内面には少しも興味がないんだな」と感じることが

あるのです。

 

案外、「わたしは良い親になれない。叱りすぎてしまう」など悩みつつ子育てしている

方にはそれほど問題はなくて、

「良い親」と周囲から認められるバリエーションをすべてこなして

自他共に良い親をしているとがんばっている方が、わたしの目からすると、

その方の子どもにまったく関心がないように感じられることって大いにあるのです。

 

子育てが上手くいかないと悩んでいる方の、上手くいかないと感じておられる原因は

だいたい次の3つのどれかに当てはまるのではないかと思っています。

 

①親の子育て態度が、子どもに対して強圧的で支配的に振舞っているか、

子どもの言いなりになって振り回され気味になっているか、

そのどちらかに大きくぶれている。

保育士おとーちゃんの子育て日記 では 

相談 「弱い大人」と「強い大人」

という記事で説明されています。

 

②子どもに発達障害や感覚統合の問題などがあるのに気付いていないか、

それから目を逸らしている。

障害については理解し受け止めているけれど、障害名に踊らされて、

わが子自身が見えにくくなっている。

 

③子育てや子どもの教育に強い関心がある一方で、わが子そのものに関心が薄い。

世間的により良いとされるものや、自分好みの子育てがしたくて、

わが子の喜びや好みに注意がいかない。自分の子を笑顔にするものに興味がない。

自分が喜んでもらいたい、わが子に好きになってもらいたいと期待するものにだけ、

わが子の喜びや興味を感知して、それ以外は無意識にスルーしている。

 

それでも、ほかの人がいる場では、子どもの喜びが自分の喜びであるような

感情表現をしているため、自分自身でさえ自分の子に関心がないことに気づいていない。

 

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以前、一度だけブロック講座に参加させていただいたandoです

今回書いてある、子供が喜ぶかより習い事に行かせ、

たくさんの知育玩具を与えることが教育のすべてであり、賢くすることだけが

子供にとってよいことだと奈緒美先生の教室を知るまで信じていました。

最近、ブログを読みながら日々勉強をしているのですが、しかし、読んで納得は

するのですが子供との接し方、自分の子供が何に喜び何が嫌なのかわからないのです。

(恥ずかしながら、主人に対してもと思ったり)

最近、子供が嫌なことがあると大声を出したり、手を出したりするようになり、

私の接し方に問題があるのかなと思うんですが、あまり怒ったことがないので、

周りからは甘やかしすぎと言われたり、子供に対してどのように接すればいいのか

わかりません。

ブロック講座で、椅子を投げられたお子様がおられ、

講座終了後、そのお母様とお話をされるというので、その間いい子だったら

粘土遊びをしてもいいというやり取りをされていて、

それを聞いた息子が「僕もいい子だったよね、だから粘土遊びしてもいい?」と

言ってきました。私は息子の言葉を無視するかのように教室を出たのですが(どう

対応すればいいかわからず)、最近「僕はいい子」という言葉が度々でてきます。

直接言ったことはないのに、いい子であるということを基準に叱ったり褒めたり

していることがこの子にこういう発言をさせているのでしょうか?

一度だけしか教室に行ってないのですが、

覚えていらしたら気づいたことなどがあれば教えていただきたいです。

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まず、この日の未就園児のブロック講座であった出来事について説明させてください。

この日、一人の3歳の男の子が荒れ気味で、「それやりたい」「それほしい」と

自分の我を通すのに大声をあげたり、相手から無理やり奪い取ろうとしたりして

いました。

終いには、プラスチック製の軽い幼児椅子を本人なりに加減して

誰にもあたらない方向にですが、投げることまでしました。

好き放題に乱暴をするというより、物に当たり散らしたという程度なのですが、

この日のかんしゃくの出し方はその子のお母さんにとってもわたしにとっても

いささか呆気にとられるような度合いでした。

 

この子は数ヶ月前から月に1度の通常レッスンにも通っている子で、

それまでも我慢が苦手だったり、思い通りにいかないことがあると、次第に声を荒げて

いきながらお母さんに反抗する姿はありましたが、

目立って激しいものではなかったのです。

 

この子のお母さんは気持ちが優しい常識的できちんとした方で、

誰の目から見ても安心できるようなていねいな子育てをしておられる方です。

この子にしても、少し衝動的で落ち着きがないところがあるものの

利発で素直な性質の子でした。

 

ただこの子とお母さんの関係には気になるところもありました。

 

お母さんはその子とはかなり年が離れた上のお子さんの子育てで、

「厳しくしつけようとしすぎたために失敗してしまったな」という挫折感を

抱いておられました。

本当は失敗などではないのかもしれません。思春期の子というのは

どの子もややこしいものですから。

 

そのため、この子がかんしゃくを起こし始めると、

自分のやり方が間違っていたという思いがブレーキとなって、

腫れものに触るような接し方になりがちでした。

 

周囲にとても気を使う方で非常に細かなことまで気付いて

喉元まで声が出かかっているのに、親としての自分の出方に自信がなくなって、

毅然とした態度が取れずにいたのです。

 

自分が我を張るたびにお母さんが下手に出ていると、子どもの方は、

どこまでなら許されるのか限界に挑戦するようになります。

また自分で自分の感情をセーブしていく力が育たなかったり、

叱られてはいないけれど、自分が悪いことをしているという不安な精神状態を高ぶらせて

いったりします。

 

その子の態度も、徐々にですがエスカレートしつつありました。 

 

ブロック講座があった頃は、ほかの心労もいろいろと重なって

その方の親としての自信が一番揺らいでいた時期だったようです。

 

ブロック講座の日、聞き分けのなさがピークに達し、わたしに対しても

わがままの限りを尽くして自分の言いなりになるように挑戦してくるその子の姿を見て、

これは、きちんと対処しておかなくてはならない分岐点だとは思いました。

そこで、そのレッスンのあとで、今後の対応などについてゆっくりお話しました。

 

するとこのお母さんはもともと判断力のあるしっかりしている方ですから、

それ以来、生活や子どもとの関わり方の見直して、改善に努めておられました。

するとその後は、その子の短所のかんしゃくの激しさはおさまってきていて、

長所である頭の良さや創造力や想像力の豊かさなどが伸びてきています。

お母さんの子育てのあり方が、弱いや強いに偏っているとき、

子どもの側から、いったんその関係を壊して立て直すことを求めるかのような

挑戦的な態度が出てくることがあるんですね。

 

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前置きが長くなってしまったのですが、

ブロック講座の日にお会いした

andoさんのお子さんについて、記憶している限りでお返事させていただきますね。

 

この子はおりこうさんではあるけれど、

まだ自分というものがしっかり育っていない印象をお受けしました。

自分の意志や自分の考えといったものがはっきりしていなくて、

自分が何が好きかとか、何をやったら楽しいかとか、自分はこういう子だとか、

自分は何がやってみたいかといったことが漠然としていてわからない……といった

感じです。

いただいたコメントに「 子供が喜ぶかより習い事に行かせ、

たくさんの知育玩具を与えることが教育のすべてであり賢くすることだけが

子供にとってよいことだと奈緒美先生の教室を知るまで信じていました」と書いて

おられましたよね。

もしかしたら、お子さんはそうしたお母さんの与えてくれるものや

期待するものを受動的に受け取ることを続けるうちに

自発的に能動的に外の世界に関わって行こうとする自分のエネルギーの源のようなもの

との接点を、失ってしまったのではないかと思います。

 

また、「ぼくも粘土したいなぁ」や「いいなぁ。ぼくもやっていい?」という自分を

主語にした話し方ではなく、

 「僕もいい子だったよねだから粘土遊びしてもいい?」というお母さんの気持ちを

優先するような願望の表現の仕方は、

保育士おとーちゃんの子育て日記の

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 2 「抑圧ポイント」

に書かれているような、いつも大人の理詰めの正しさの前で

自分の心の中に浮かんできたり渦巻いたりしている感情や思いを

ないもののように扱われてきたために、大人の判断や気持ちに媚びるような

問い方になっているのかな、とも思われました。

 

andoさんのお子さんは穏やかな気質のおっとりした感じの男の子ですから、

もしそうした子が大声を出したり、叩いたりするようになっているとすれば、

自分を自然に出していい場面で抑圧を受けることが続いて、

それが一気に噴き出しているのかもしれません。

また、2歳くらいからはじまる反抗期が

それまでのお母さんとの関係のあり方のせいで、ちょっとゆがんだ

複雑な表われ方をしているのかもしれません。

 

わたしには、その日、

andoさんがよりよい子育てをしよう、子育てで成果をあげよう、として行動や

環境の一つひとつを言語でチェックしているため、

お子さんのありのままの姿を感受したり、気持ちの流れに気づいたりする力が

弱まっているように見えました。

 

といってもいきなり自分の子育てを全否定したり、180度いいものに変えようとしても

うまくいかないはずです。それに、これまでかわいがって育ててきたからこそ

穏やかな性質のいい子に育ってきているはずですよね。

子育てに100%の成功なんてないように、100%の失敗だってないはずです。

 

子どもが大きな声を上げたり、叩いたりするときには、

それ自体に対する「それはいけないこと!」と毅然とした親の態度で示す必要がある

でしょうが、それと同時にもう少し積極的な対応が必要なのかもしれません。

 

それについては、過去記事の

 

わがまますぎる要求にどう対応すればいいでしょう?

 

で説明しています。よかったら読んでくださいね。

 

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続きを読んでくださる方は、次のリンク先に飛んでくださいね。

 

だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子 3

だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子 4

だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子 5

だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子 6

 

タイトルは異なるけれど、

だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子の続きです。 

結果を急ぐ子育て 最初から正解を用意している子育て 1

結果を急ぐ子育て 最初から正解を用意している子育て 2

結果を急ぐ子育て 最初から正解を用意している子育て 3

結果を急ぐ子育て 最初から正解を用意している子育て 4

 

上の記事で登場しているやんちゃくんたち……記事を読んだお母さん方が、

子どもとの関わり方をていねいに調整していかれて、

現在は、とても賢くてしっかりした協調性のある社会性の高い子に成長しています。

 

 


早期教育の弊害 と 早期の教育の大切さ 5

2014-05-08 08:10:16 | 日々思うこと 雑感

「英語の早期教育どこが問題?」というテーマで書いた過去記事を紹介します。 

 

こんなコメントをいただきました。
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こんばんは。いつも参考にさせていただいています。
早期の英語教育について書かれていましたので、先生のご存知な範囲で教えていただけるとありがたいです。

我が家には3歳3ヶ月と1歳2ヶ月の子がいます。いとこ2人(ハーフ)がイギリス在住で現在1ヶ月間くらい日本に帰国しています。
いとこは1人はバイリンガル、一人は英語がメインの子供です。
いとこが帰国する数ヶ月前に上の子が『いとこと英語で話したい』と言い出し、英語の教育を軽い感じで始めました。

現在はいとこが帰国中なので、一緒に遊んでいるせいか今までより英語の影響を強く受けているのが分かります。
下の子は一緒にDVDを見たりサークルに参加したりしていて、本人の意思に関係なく早期教育になっています…。

だいたいどのくらいの年齢から英語教育をするのが適当と思われますか?
本人の勉強したい意思があっても英語の早期教育は良くないのでしょうか?
先生のお考えを教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。

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どのくらいの年齢から英語教育をするのが適当でしょうか?
というご質問なのですが、

「英語教育」と親が意識してする教育は、
子どもが母国語で、内言で考えることが自由にできるようになり、
母国語で、人とコミュニケーションを取ったり、自分の気持ちを表現するときに、微妙なニュアンスの部分でも、
幼い子特有のとんでもない誤用が減ってきた後なら、問題ないんじゃないかな?
と感じています、

子どもはずいぶん幼いときから、
書き言葉にすれば、同じひとつの文章でも、
使う人が変わったり、使われる場面や口調や、表情などが変われば、
異なる意味で使用されていることを理解するし、
5,6歳になったら、皮肉や、冗談や、抽象的な言い回しにしても、
薄々気づいていたり、自分でも使ってみたりします。

自分の生きている世界の人々が共有している文化のなかにある
言葉に表されていないものを
感じ取って使用するほど、母国語に通じていくものです。
先日、保育園児の妹さんと、小学生数人が教室に来ていたとき、
妹さんが、「先生、ないしょ話があるから、耳ちょっと貸して」と言ってきました。
それで、私が、こしょこしょ話を聞き取っていると、
小学生の女の子のひとりが、
「ど~せ、しょうもないで。うちの弟のないしょ話だって、めちゃ、しょうもないねんから。聞く価値なしなし。」と言いました。
「うちの弟のないしょ話……なわとび、いっかい跳べるよ、今日、エレベータのボタン押したとか。
ないしょにする意味ね~」
それを聞いた友だちの小学生は、意味ありげに、ため息をついてみたり、目をクリッとさせて、皮肉っぽく笑って見せたりしました。

その言い方は、

コソコソ話なんかして、感じ悪いんだ~。
それと、保育園児なんていう……小さな自分の弟のような存在が話すないしょ話は、「ないしょ話」ってくくりで表される「他の人に話しちゃいけない大事な話」っていう意味を担ってないのよね~。
どうせ、みんなに聞こえるような声で話したところで、聞きたくないような
くだらない話題なんだから……。

というニュアンスが含まれていました。

すると、確かにないしょ話は、「給食のほうれん草、ちょっとだけ食べてゲロッってした」という自慢声で聞かせてもらったにしては
聞く価値があるのか??
な話でした。

妹さんは、自信満々に、「聞く価値なしなし」と言った姉の友だちに向かって、「聞く価値あるもん」と言い返しました。
「どのくらい?どのくらい価値があるのよ?」
「いっぱい」ときっぱり。

おそらく……「価値」なんて言葉は、よくわからず使っているのですが、
こうして使ううちに、おかしな使い方していると、笑われたりして
修正されていきます。

価値とか意味とか、幼児にはつかみかねるような言葉も、
幼児期の間に、こういう場面で、こんな風に使われるもの……
くらいの漠然とした感覚が、こうしたやりとりの中で身についてくるんですよね。

この日のやりとりで、妹さんがまだわかっていないのは、
「ないしょ話」というのが、
日本の文化では、
「あの子は、のけものにして教えてあげないとこう」とか「あなただけには、特別に教えてあげるわ」とか、「悪口だから大きな声では言えないけど……」といったときに使用されるものだという認識なのです。
でも、こういう妙にしっくりこない「私……笑われてんじゃないかな?」という経験の積み重ねのなかで、言葉にされていない「日本の文化での使用のされ方」とか、「抽象的な言葉の使用法」まで学び取って、
数年後には、
「おかしいわよねぇ~」と目配せしあっている小学生のお姉さん方のような
言葉の使い方ができるようになるんだから大したものですよね。

これはあくまでも私が会ったことのある早期から英語教育をしている子の
特徴なんですが、
言葉を、言葉通りに使いがちで、そうした言葉の背後にある文化的なものや微妙なニュアンスを
感じ取ろうとする気持ちが薄いな……という印象を受けることが
よくあります。
年長さんくらいでも、ひとりごとのような言葉が多かったり、
自分の発している言葉が、場面に少しだけ合わない使い方をしてしまって、
雰囲気がまずくなったり、笑われたりしても、
それに気づけないような印象を受けるときがよくあります。
社会性や精神性やメタ認知という面で、年齢より1年くらい
幼く見える場合があります。

もちろん、これが英語教育による問題だけなのか、
もしそうだとしても、どのような英語教育によるものなのか、
はっきりしているわけではありません。
あくまで印象です。
ただ、どちらかの親が外国人だったりして、自然にバイリンガルになった子たちからは、そうした気がかりはありません。

英語教育に問題があるのではなくて、
英語を教えようとする家庭の中では、
微妙な文化的なものまで子どもに伝えられるような

言葉と経験の結びつきの豊かさが、

失われているのかもしれない……とも思えます。
語学のテキストや絵本や語学のDVDのような
薄っぺらな言葉の世界では、
脳がきちんと機能するほどの言葉の習得過程が経験できるはずもなく、
むしろ誤作動や、混乱をたくさん起させて、
抽象概念を漠然と理解するといった
複雑なニュアンスが関わるものは、最初から遮断する癖が、
ついてしまうのかもしれません。
これはあくまでも推測ですが……。

また英語だけを使う園なども、
子供同士や先生と子どもとで交わされている会話のレベルが
気になりますよね。

「こんにちは」という挨拶ひとつをとっても、
見たことない文化圏で、
どのような人に、どのような時間帯で使ったらいいのか、
どんな場合、失礼なのか、
といった相手のフィードバックをインプットしながら、調節するような経験なしに、使いこなすのってできないものです。

そうしたフィードバックによって、
自分の言葉の使い方を調節していくような機能を、
幼児が母国語の習得に使えること自体、
驚異的なのですが、

外国語を、きちんとしたフィードバックをもらえない
変な形で学んでると、
そうした脳の驚くようなすごい機能が衰退していかないのか……疑問です。


『赤ちゃん学を知っていますか?』 産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班
新潮社
では、基本言語が未成熟な段階では乳幼児の英語習得は
悪影響を及ぼすことがある例として
「成長の空白」という言葉が使用されていて、
それにはとても注意が必要だと感じました。


『赤ちゃん学を知っていますか?』 産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班
新潮社  から。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ニューヨークに、現在120人の園児たちが通う幼稚園があります。
その幼稚園で在米日本人ビジネスマンらの子どもの成長を25年以上見守ってきた
方は、日本語で育ってきた子どもが突然、
「英語環境」へ入ったとき起きるトラブルとたくさん出合ってきたそうです。
いずれも、基本言語が未成熟な段階で異言語入り「成長の空白」が生じることが
原因だったそうです。

「突然、口をきかなくなる」

「精神的な成長が一定期間滞り、5歳児なのに、3,4歳児並みの認識、表現能力しかしめさなくなってしまう」

「絵を見せたり、音楽や物語を聞かせたとき、刺激に対する感受性や表現力が、1,2歳ほど幼い」

など。
園長先生によると、
ある刺激を受けたときに人がしるす反応は、
特定の文化的背景や習慣と無関係ではありません。子どもは子どものレベルで意思疎通できる仲間集団の中で、
言葉だけでなくその社会のルールや文化を学んでいきます。

異言語の集団に突然入って、それまで獲得したルールが通じなくなった子は、
外界との意思疎通の手段が閉ざされて、成長の空白期に陥ってしまうということです。

2つの言葉を操るとき、英語構文と日本語単語を混用する
といったことがよく起こります。
すると、まとめて会話するのがおっくうになって、
コンプレックスから友人関係が築きにくく、
「思いやり」「協調性」「自律性」「集団のルール」など
幼児期に獲得しなくてはならない
「言葉以前のコミュニケーションの基本」ができず「成長の空白(停滞)」に入るそうです。

言語とは、思考そのもので、
思考はそれを成り立たせている文化、歴史、社会的背景と不可分なものです。
人間は同時にふたつの言葉でものを理解し、考えることはしません。
ひとつの言語で自分の世界を築き、外界を理解して成長し、
第二言語は第一言語を使って習得します。

園長が成長の空白(停滞)を呼ぶものとして
注意を呼びかけているのは、

「乳幼児を英語のテープ漬けにする」

「ネイティブでない親が英語で話しかける」

「異言語環境に子どもだけ突然放り込む」

といったことです。

この園の園児の親たちの声です。

「海外で乳幼児から子育てすると、まず母国語の語彙や表現力、論理的な展開力をしっかり養い、
考えたり、理解する力の基礎を作りことが大切だと痛感します」

「英語的発想、語感を持ち合わせていない人が英語で語りかけると、
子どもは混乱します」



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教室の子どもたちの成長を観察していると、
幼い頃から英語のDVDをよく見ていた子たちが、

「英語やめて~」と、英語のDVDや英語の絵本を拒絶する時期が
あります。

思考や表現力が急速に発達し始め、DVDなどを見るときも、
背後にある意味を読みとることができるように
なる時期です。

このとき、英語のままでも嫌がらない子たちというのは、
「意味」を察する力に
弱さを感じるときがあります。
かなり大きくなっても、テレビ画面のキャラクターがドタバタ動くことだけを
喜んでいて、正確な内容がわからなくても
頓着しないのです。
そうした子と会話していると、
会話中に、アニメの主人公の言葉を,そのままさしはさんでひとり笑いしたり、
相手の言葉を正確に把握して、返事をしようと思っておらず、
一方通行な会話が多かったりする印象があります。

英語教材による弊害というより、英語を子どもにインプットすることが
重要視されている家庭では、
日本語による会話や体験が、
不足しがちなことにも原因があると思います。