ユースホステルでのレッスンで人気があったボードゲームの名前について
問い合わせがあったのでお答えします。
『STRATEGO』です。
前置きがずいぶん長くなってしまいました。
そろそろ「何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な小学生のBくん」への
対応について、わたしの考えを言葉にしておかなくてはなりませんね。
Bくんのお母さんから、こんなコメント(ブログへの文面引用はOKという
非公開コメント)をいただきました。
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いろんな状態・状況の子たちも、根源的な問題は共通しているのですね・・・。
ネガティブ感情・・・そんなに否定してきたつもりもなかったのですが・・・。
特に、就学前までのややこしい時期には、それこそややこしくて、
ネガティブ感情をもろに私にぶつけてきて、私もいつも途方にくれながらもひとまず
受け止め、受け入れ、「この時期を乗り越えたら、また成長する!」と信じてきたし、
実際そうやって成長してきたと痛感しています。
でも、就学してから、ネガティブ感情を私にぶつけなくなりました。
今までなら、ぶつける前は、自分で抱えていっぱいいっぱいになっていて、
感情が不安定だったり、何かしら前兆というか、
ストレスを抱えているんだなということを察することができましたが、
就学してからはそういう姿も見られなくなりました・・・。
実際とっても困っていることもないようですし、
先生から特に注意を受けることもなく・・・学校のことは大好きだし・・・。
だから、安心していたのですが、その反面、手ごたえの無さにいつも歯がゆい気持ちや
不満・漠然とした不安を抱いていました。
この手ごたえのなさ、なんなのでしょう??
わたしはいつも、もっとぶつかってきて欲しい、と思っているのですが・・・。
結局わたしの一方的な思いをぶつけるだけで終わってしまいます。
支配的なわたしの接し方のせい??
(勿論、いつでも言うことを聞かせたいとは全く思っていませんが・・・)
学校のせい??
(学校は、ガチガチに厳しいということはありません。個人の才能を伸ばそうとして
下さっている、と思っています。)
どうしてこうなっちゃったのでしょう?!
夏休みの宿題、特に自由研究は、Bからの発想や意見などを待ちたくて、
声掛けはするものの、あまりうるさく言い過ぎないように、と気を付けてきました。
今日、宿題提出のための登校日でしたが・・・。
おとといの夕方から取り組み出したため、勿論間に合いません。
結局ほとんどの下書きを主人と私が書きあげ、
Bは写すだけ・・・ちょっと聞いても、「わからないー」と。
そして、勿論、写すのでもめんどくさそうで全くやる気なく・・
休憩してはちょっとやり・・・文句言っては休憩して・・・。
当然間に合うハズもありません。
結局昨夜も10時過ぎには「もうねむい・・・・」「間に合うし・・・!」
とか言って寝て、それでも今朝は早く起きようという意志はなく・・・。
普通に起きてきて、机に広がった宿題を見て、ベソをかき始める始末。
学校行くまでに30分もないのに、朝ごはんも食べずに宿題を写しだし・・・。
なんなのでしょう???
今までタラタラ書き写して、半分もできてないのに、この10分20分で、
なんで「できる」とか思えるんでしょう??
今更泣く??今頃泣くの???
昨夜まで出来る気でいたのよね??
今まで間に合わないとは思わなかったの???
全て不思議です。
まだ3年生だからそういうものでしょうか??
それとも焦る気持ちから、心を切り離してきていたのでしょうか??
(宿題の合間合間にラキューに集中して、というか、ラキューの合間合間に
タラタラ宿題をして、いろいろ作っていました・・・)
結局電車の時間もあり、「遅刻は絶対したらいけない!」という強い約束を夏前に
していたので、直前にベッドでゴロゴロ現実逃避していましたが、
なんとか間に合うようには学校に行きました。
行ったら行ったで、宿題できずに忘れている子が何人かいるので安心したのでしょうか。
学校から帰宅後「明日までにはやる!」と張り切って言っているのに、
昼前に帰宅してから先程スイミングに行くまでの間も、
わたしが「ちょっとやれば?」と声をかけるものの、やっぱり一切せず・・・。
この夏休み、あまりの宿題のやらなさに、習い事も減らそう、塾もやめていいし、
学校も変わったらいい、と言っても、「やめない!どれもやめない!!」と言います。
わたしも、習い事をやめたり、時間をたくさん与えることが解決に繋がるなら
全てやめさせるのですが、時間がないとかが本質的な問題でもないな、と感じています。
この夏休み、かなり時間がありましたが、結局自分自身の心やらと向き合うことは
なかったのではないかと思います。
感情と思考・・・どうやったら自分自身と結びついてくれるのでしょうか???
以前から先生には指摘して頂いていましたが、
今頃になってようやくわたしも腑に落ちました。真剣に思い悩んでいます。
ああしたら治る、こうしたら良い、という簡単なものではないことは、
重々承知しています。
でも、ヒントになるような糸口をみつけることができれば・・・と思っています。
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この悩ましい状況への解決の糸口として、3つの視点から
よく考えてみるといいように思いました。
ひとつめは、「常に意識の焦点を当てて言語化している悩み」が、
「ステレオタイプな外から与えられる情報か、他者からの評価にかかわるもの」に
絞られているため、日常に散らばっている根っこ部分の問題を解決するためのチャンスを
逃しているのではないか、という見方です。
ユースホステルのレッスンでは、
寝食を共にして、普段のレッスンの外にある子どもの姿、親御さんと子どもの関わりを
目にすることになります。
その時、驚くのは、しょっちゅう悩んでおられる問題を解決するようなチャンスが
目の前にあって、それがとてもわかりやすいものでも、
たいていの親御さんが気づかないか、躊躇している間にチャンスを逃すか、
わかっていてもスルーしてしまわれることです。
「何でも興味を持って手を出したがるけれど、表面をかするような関わり方ばかりで
どれも深まっていく気配がない。困り事があると、ママーと頼っては、
頭も心も100パーセントお母さんに預けてしまう。
自立心と責任感の育ちが気になる」という小2のMくんのお母さんが、
「(事あるごとに頭も心もお母さんにバトンタッチという態度が気になるので)
親の目のないところで子ども同士で遊ぶ体験をさせたいけれど、そうできる相手も
場も時間もない」ということを何度も口にして悩んでおられました。
この日のユースホステルのレッスンには、子どもだけで参加しているMくんより
年上の男の子たちが参加していました。どの子も親しみやすい気さくな子たちで、
初対面のMくんを快く遊び仲間に迎え入れてくれました。
Mくんは、Mくんの生意気やおふざけが過ぎても、
大らかに接してくれるお兄ちゃん連中に解け込んでいましたが、
遊びに飽きるとお母さんのところに戻ってきてベタベタしていました。
そのベタベタは、お母さんに甘えたいから甘えているというより、
子ども同士の世界にどっぷりつかって遊びたいものの、そうすると、
「こうしようよ」とか「それは嫌だよ」とお母さん抜きで直に相手に自分の思いを
伝えていかなければならない場面にぶつかるので、それを避けたい様子。
子どもの世界に片足をかけた状態で、もう一方の足は常に退陣場所(お母さんのところ)
をキープして遊んでいました。
お母さんがわたしに、「子どもだけで遊ばせたいけれど、そうできる相手や場所がない」
という悩みを口にしておられた、まさにそのとき、
同じ部屋で、男の子たちが着替えとバスタオルをまとめて、上の階の銭湯に行く準備を
していました。
ここのユースホステルには、
小学生になると男の子は男風呂、女の子は女風呂に入る決まりがあります。
ですから、女の子たちはお母さんといっしょに風呂に入りますが、
男の子たちは、「銭湯内では、暴れない、泳がない、走らない。
何かあったらすぐに大人に知らせる。身体を洗ってから風呂に入る。
年長の子は責任を持って年下の子らの面倒を見、
年下の子は年長の子の言いつけに従う」と厳しく言い渡されてから、
男同士、何人かでいっしょに風呂に行くことになっています。
「Mくん、男の子たちみんなでお風呂に行っておいで」と言うと、
Mくんは、「ぼくは……うーん……お母さんと入ろうかな……」と
迷っていました。口ではそう言いながらも、男風呂はとても魅力があるようで、
心が揺れているのがよくわかります。
すると、先ほどまで「子どもだけで遊ばせる場がない」と悩んでいたお母さんが、
男同士で風呂に行かせるのは心配な様子で、無言ではあるけれど、
「行きたくないなら行かなくていい」とでも言うような、
はっきりしない態度になりました。
すると、お母さんの迷いがMくんに感染して、
Mくんもぐずぐずと態度を決めかねていました。
「ちょうどここでは小学生は性別にお風呂に入る決まりがあることですし、
滑って転ぶ心配もあるでしょうけど、そこは厳しく注意しておいて、
思いきって男風呂に行かせた方がいいんじゃないでしょうか」とわたしが言うと、
お母さんの返答は、「ええ、まぁ……」とちょっと歯切れが悪いものではあったものの、
Mくんをお兄ちゃん仲間に同行させることになりました。
気になったのは、Mくんのお母さんが何について心配しているのか
いっさい言語化しないまま、Mくんの揺れる思いを自分のほうに
引き戻そうとしていたことでした。
迷いの原因が、環境の不備や事故につながるような本人の認識の甘さにあるのなら、
そこにあるリスクをはっきり言葉にしておかなくてはならないし、
生死にかかわることは真剣に言い聞かせ、他人の迷惑になることは
具体的に相手がどんな気持ちになるのかまで教える必要もあるでしょう。
でも、Mくんのお母さんの迷いは
そうした具体的な未知のリスクにあるのではなさそうです。
「子どもだけで遊ばせて、自分で問題にぶつかって、
大人に頼らず問題を解決する機会を与えたい……でも、
子ども同士遊ぶ場や相手がいない」という悩みがレベル5なら、
そのレベル1にあたる
「子どもだけで活動するといっても短い時間だし、安心できる相手だし、
事前に注意事項を伝えることができるし、何かあれば知らせてくれるよう頼んだし、
もしもの時は壁ひとつ隔てた場所に大人がいるし、
揺れているとはいえ本人がいっしょに行きたい気持ちを持っている、
おまけに、それを体験させれば
自立心や男の子としての自信につながるにちがいないという利点がある」
という状況下での活動も、チャレンジさせるのは何となく不安。
本人が揺れているなら、やらない方向に流れた方がいい……という
お母さん自身の心の中に迷いの原因があるようなのです。
だとすると、「子ども同士で遊ぶ場がない」と何度も口にしている悩みは、
叶わぬ願いだからこそ口にできるもので、
実際に子どもだけで遊ぶことが可能になると、悩みはもっと大きくなるかもしれません。