虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 12

2014-08-23 06:58:20 | 日々思うこと 雑感

ユースホステルでのレッスンで人気があったボードゲームの名前について

問い合わせがあったのでお答えします。

『STRATEGO』です。

 

前置きがずいぶん長くなってしまいました。

そろそろ「何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な小学生のBくん」への

対応について、わたしの考えを言葉にしておかなくてはなりませんね。

 

Bくんのお母さんから、こんなコメント(ブログへの文面引用はOKという

非公開コメント)をいただきました。

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いろんな状態・状況の子たちも、根源的な問題は共通しているのですね・・・。

ネガティブ感情・・・そんなに否定してきたつもりもなかったのですが・・・。

特に、就学前までのややこしい時期には、それこそややこしくて、

ネガティブ感情をもろに私にぶつけてきて、私もいつも途方にくれながらもひとまず

受け止め、受け入れ、「この時期を乗り越えたら、また成長する!」と信じてきたし、

実際そうやって成長してきたと痛感しています。

でも、就学してから、ネガティブ感情を私にぶつけなくなりました。

今までなら、ぶつける前は、自分で抱えていっぱいいっぱいになっていて、

感情が不安定だったり、何かしら前兆というか、

ストレスを抱えているんだなということを察することができましたが、

就学してからはそういう姿も見られなくなりました・・・。

実際とっても困っていることもないようですし、

先生から特に注意を受けることもなく・・・学校のことは大好きだし・・・。

だから、安心していたのですが、その反面、手ごたえの無さにいつも歯がゆい気持ちや

不満・漠然とした不安を抱いていました。

この手ごたえのなさ、なんなのでしょう??

わたしはいつも、もっとぶつかってきて欲しい、と思っているのですが・・・。

結局わたしの一方的な思いをぶつけるだけで終わってしまいます。

支配的なわたしの接し方のせい??

(勿論、いつでも言うことを聞かせたいとは全く思っていませんが・・・)

学校のせい??

(学校は、ガチガチに厳しいということはありません。個人の才能を伸ばそうとして

下さっている、と思っています。)

どうしてこうなっちゃったのでしょう?!

夏休みの宿題、特に自由研究は、Bからの発想や意見などを待ちたくて、

声掛けはするものの、あまりうるさく言い過ぎないように、と気を付けてきました。

今日、宿題提出のための登校日でしたが・・・。

おとといの夕方から取り組み出したため、勿論間に合いません。

結局ほとんどの下書きを主人と私が書きあげ、

Bは写すだけ・・・ちょっと聞いても、「わからないー」と。

そして、勿論、写すのでもめんどくさそうで全くやる気なく・・

休憩してはちょっとやり・・・文句言っては休憩して・・・。

当然間に合うハズもありません。

結局昨夜も10時過ぎには「もうねむい・・・・」「間に合うし・・・!」

とか言って寝て、それでも今朝は早く起きようという意志はなく・・・。

普通に起きてきて、机に広がった宿題を見て、ベソをかき始める始末。

学校行くまでに30分もないのに、朝ごはんも食べずに宿題を写しだし・・・。

なんなのでしょう???

今までタラタラ書き写して、半分もできてないのに、この10分20分で、

なんで「できる」とか思えるんでしょう?? 

今更泣く??今頃泣くの???

昨夜まで出来る気でいたのよね??

今まで間に合わないとは思わなかったの???

全て不思議です。

まだ3年生だからそういうものでしょうか??

それとも焦る気持ちから、心を切り離してきていたのでしょうか??

(宿題の合間合間にラキューに集中して、というか、ラキューの合間合間に

タラタラ宿題をして、いろいろ作っていました・・・)

結局電車の時間もあり、「遅刻は絶対したらいけない!」という強い約束を夏前に

していたので、直前にベッドでゴロゴロ現実逃避していましたが、

なんとか間に合うようには学校に行きました。

行ったら行ったで、宿題できずに忘れている子が何人かいるので安心したのでしょうか。

学校から帰宅後「明日までにはやる!」と張り切って言っているのに、

昼前に帰宅してから先程スイミングに行くまでの間も、

わたしが「ちょっとやれば?」と声をかけるものの、やっぱり一切せず・・・。

この夏休み、あまりの宿題のやらなさに、習い事も減らそう、塾もやめていいし、

学校も変わったらいい、と言っても、「やめない!どれもやめない!!」と言います。

わたしも、習い事をやめたり、時間をたくさん与えることが解決に繋がるなら

全てやめさせるのですが、時間がないとかが本質的な問題でもないな、と感じています。

この夏休み、かなり時間がありましたが、結局自分自身の心やらと向き合うことは

なかったのではないかと思います。

感情と思考・・・どうやったら自分自身と結びついてくれるのでしょうか???

以前から先生には指摘して頂いていましたが、

今頃になってようやくわたしも腑に落ちました。真剣に思い悩んでいます。

ああしたら治る、こうしたら良い、という簡単なものではないことは、

重々承知しています。

でも、ヒントになるような糸口をみつけることができれば・・・と思っています。

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この悩ましい状況への解決の糸口として、3つの視点から

よく考えてみるといいように思いました。


ひとつめは、「常に意識の焦点を当てて言語化している悩み」が、

「ステレオタイプな外から与えられる情報か、他者からの評価にかかわるもの」

絞られているため、日常に散らばっている根っこ部分の問題を解決するためのチャンス

逃しているのではないか、という見方です。

 

ユースホステルのレッスンでは、

寝食を共にして、普段のレッスンの外にある子どもの姿、親御さんと子どもの関わりを

目にすることになります。

 

その時、驚くのは、しょっちゅう悩んでおられる問題を解決するようなチャンスが

目の前にあって、それがとてもわかりやすいものでも、

たいていの親御さんが気づかないか、躊躇している間にチャンスを逃すか、

わかっていてもスルーしてしまわれることです。

 

「何でも興味を持って手を出したがるけれど、表面をかするような関わり方ばかりで

どれも深まっていく気配がない。困り事があると、ママーと頼っては、

頭も心も100パーセントお母さんに預けてしまう。

自立心と責任感の育ちが気になる」という小2のMくんのお母さんが、

「(事あるごとに頭も心もお母さんにバトンタッチという態度が気になるので)

親の目のないところで子ども同士で遊ぶ体験をさせたいけれど、そうできる相手も

場も時間もない」ということを何度も口にして悩んでおられました。

 

この日のユースホステルのレッスンには、子どもだけで参加しているMくんより

年上の男の子たちが参加していました。どの子も親しみやすい気さくな子たちで、

初対面のMくんを快く遊び仲間に迎え入れてくれました。

Mくんは、Mくんの生意気やおふざけが過ぎても、

大らかに接してくれるお兄ちゃん連中に解け込んでいましたが、

遊びに飽きるとお母さんのところに戻ってきてベタベタしていました。

 

そのベタベタは、お母さんに甘えたいから甘えているというより、

子ども同士の世界にどっぷりつかって遊びたいものの、そうすると、

「こうしようよ」とか「それは嫌だよ」とお母さん抜きで直に相手に自分の思いを

伝えていかなければならない場面にぶつかるので、それを避けたい様子。

子どもの世界に片足をかけた状態で、もう一方の足は常に退陣場所(お母さんのところ)

をキープして遊んでいました。

 

お母さんがわたしに、「子どもだけで遊ばせたいけれど、そうできる相手や場所がない」

という悩みを口にしておられた、まさにそのとき、

同じ部屋で、男の子たちが着替えとバスタオルをまとめて、上の階の銭湯に行く準備を

していました。

 

ここのユースホステルには、

小学生になると男の子は男風呂、女の子は女風呂に入る決まりがあります。

ですから、女の子たちはお母さんといっしょに風呂に入りますが、

男の子たちは、「銭湯内では、暴れない、泳がない、走らない。

何かあったらすぐに大人に知らせる。身体を洗ってから風呂に入る。

年長の子は責任を持って年下の子らの面倒を見、

年下の子は年長の子の言いつけに従う」と厳しく言い渡されてから、

男同士、何人かでいっしょに風呂に行くことになっています。

 

「Mくん、男の子たちみんなでお風呂に行っておいで」と言うと、

Mくんは、「ぼくは……うーん……お母さんと入ろうかな……」と

迷っていました。口ではそう言いながらも、男風呂はとても魅力があるようで、

心が揺れているのがよくわかります。

すると、先ほどまで「子どもだけで遊ばせる場がない」と悩んでいたお母さんが、

男同士で風呂に行かせるのは心配な様子で、無言ではあるけれど、

「行きたくないなら行かなくていい」とでも言うような、

はっきりしない態度になりました。

すると、お母さんの迷いがMくんに感染して、

Mくんもぐずぐずと態度を決めかねていました。

 

「ちょうどここでは小学生は性別にお風呂に入る決まりがあることですし、

滑って転ぶ心配もあるでしょうけど、そこは厳しく注意しておいて、

思いきって男風呂に行かせた方がいいんじゃないでしょうか」とわたしが言うと、

お母さんの返答は、「ええ、まぁ……」とちょっと歯切れが悪いものではあったものの、

Mくんをお兄ちゃん仲間に同行させることになりました。

 

気になったのは、Mくんのお母さんが何について心配しているのか

いっさい言語化しないまま、Mくんの揺れる思いを自分のほうに

引き戻そうとしていたことでした。

迷いの原因が、環境の不備や事故につながるような本人の認識の甘さにあるのなら、

そこにあるリスクをはっきり言葉にしておかなくてはならないし、

生死にかかわることは真剣に言い聞かせ、他人の迷惑になることは

具体的に相手がどんな気持ちになるのかまで教える必要もあるでしょう。

 

でも、Mくんのお母さんの迷いは

そうした具体的な未知のリスクにあるのではなさそうです。

 

「子どもだけで遊ばせて、自分で問題にぶつかって、

大人に頼らず問題を解決する機会を与えたい……でも、

子ども同士遊ぶ場や相手がいない」という悩みがレベル5なら、

そのレベル1にあたる

「子どもだけで活動するといっても短い時間だし、安心できる相手だし、

事前に注意事項を伝えることができるし、何かあれば知らせてくれるよう頼んだし、

もしもの時は壁ひとつ隔てた場所に大人がいるし、

揺れているとはいえ本人がいっしょに行きたい気持ちを持っている、

おまけに、それを体験させれば

自立心や男の子としての自信につながるにちがいないという利点がある」

という状況下での活動も、チャレンジさせるのは何となく不安。

本人が揺れているなら、やらない方向に流れた方がいい……という

お母さん自身の心の中に迷いの原因があるようなのです。

 

 だとすると、「子ども同士で遊ぶ場がない」と何度も口にしている悩みは、

叶わぬ願いだからこそ口にできるもので、

実際に子どもだけで遊ぶことが可能になると、悩みはもっと大きくなるかもしれません。

 

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 11

2014-08-22 12:51:56 | 日々思うこと 雑感

ちょっと脱線するかもしれませんが、前回までの話題と

同じ根っこを持つと思われる問題について、もう少し書かせてください。

 

小学校の先生をしている方から、

「最近の子には、もし自分がそれをやられたらどうするの? 

自分が同じ目にあったら嫌じゃないの?が通用しなくなったので、

ケンカを叱るのも大変」という話を伺いました。

「別にやられてもいい。ぼくは気にならないもん」

「同じ目にあってもいい。わたしは、嫌じゃない」と返ってくるので、

二の句が継げないのだとか。

 

親御さんのひとりから聞いたこんな話。

中学生の男の子の間で流行っているラインを使ったこんな遊び。

最初からいじめるターゲットを決めた上で、ラインのグループを作り、

ターゲットの子だけ無視するなどしていた子(どこにでもいるような温和な性格の

良い子です)に、「どうしてそんなことをするの!?自分がされたらどう思う?」と

叱ると、「あいつは陰キャラだから(いじめに合う)。おれは陽キャラだから

そんな目に合わない」と言ったそうです。

 

この夏に教室に来てくれた海外在住の子や帰国子女の子とその親御さんから

聞いたこんな話でも、心の中がもやもやとくすぶりました。

 

日本に滞在中、子ども向けのサマーキャンプに参加した小学校中学年のJくん。

すぐに誰とでも打ち解けて親しくなれる明るく頭の回転が速い男の子です。

キャンプの初日、スタッフの方々から、

「それぞれがやりたい遊びを提案して、自由に遊ぶように言うと、

Jくんが積極的にアイデアを出して、上手に遊んでいましたよ」というコメントを

いただいたそうです。

ところが、Jくんのお母さんがJくんにその日の様子をたずねると、

暗い表情で意外な答えが返ってきたそうです。

スタッフに言われた通り、「こんなことをしようよ」とアイデアを出したJくんの案に

その場にいた子らはすぐに乗ってきたのだけれど、少し遊んで飽きてくると、

その子らがJくんの人格を否定するようなひどい言葉を浴びせて、

去って行ったそうです。

 

この話を息子にすると、「途中で遊びがつまらなくなってくると、

遊びの言いだしっぺの子を責め立てたり、たいした理由はないんだけど、

嫌な気分の責任を取らせるように、キモイとかうざいとか消えろとか言う子は

けっこういたな。

エンターテイメント性を売りにしたアミューズメント施設で、

めまぐるしく新しい面白い刺激で満たしてもらうのを遊びだと思うのが主流になって、

遊びを楽しむには、自分でもそれなりの努力がいるのを忘れているのかもな」

という返事が返ってきました。

 

次回に続きます。


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 10

2014-08-20 17:23:21 | 日々思うこと 雑感

親御さんらから聞いた「現在、非常に困っている解決しにくい問題」には、

こんなものもあります。

 

明るく素直で優しい性格で、誰からも好かれているAちゃん。

学校での先生からの評判は絶大で、懇談に行くと

褒め言葉のオンパレードだとか。

Aちゃんは、数年前から、Bちゃんという女の子と仲良くなったそうです。

Bちゃんは、Aちゃんのことが好きでたまらず、常にべったりとひっついて

遊びたがるので、AちゃんとBちゃんはどこへ行くのも一緒です。

それはAちゃんにとって楽しいけれど窮屈な関係でもあるようです。

Bちゃんが興味がなければ、自分がやりたいと思う遊びができないし、

ほかのお友だちと自由に仲良くすることもままならないですから。

 

ある時、我慢の限界を迎えたAちゃんが、しじゅう自分を束縛するBちゃんに対して

はっきりと「いや!」という気持ちを伝えました。

でも、いつでも誰にでも親切で優しい態度しかとったことがないAちゃんは、

嫌の気持ちを表現するのが不慣れな上、

あまりに長い間、言語化していない不満や理不尽な思いや怒りを蓄積していたために、

相手を強く拒絶するような態度になってしまったようです。

 

揉めている知らせを受けた先生が、Aちゃんの態度のどこがいけなかったのか説明し、

友だちと仲良くするように指導して、一件落着となりました。

先生に言うことをよく聞くAちゃんは、それからはBちゃんとぶつかることはなく、

以前にも増してAちゃんを意のままに束縛しようとするBちゃんに

従順に合わせて行動するようになったそうです。

その後、学校の先生から、外見からは仲睦まじく遊ぶふたりについて、

「ケンカをせずに上手に遊べていますよ。よかったですね」という報告があったものの、

親御さんの心にはもやもやした不安が渦巻いているということでした。

 

ユースホステルでのレッスンに来ていたAちゃんは、

初めて会った子ともすぐに打ち解けて、楽しそうに遊んでいました。

寂しそうにしている子がいると率先して仲間に入れてあげながら

持ち前の想像力と創造性を使って上手に遊びを作りだしていました。

揉めている子らがいると、積極的に解決に乗り出し、

プチ先生になって、「~しないとダメだよ。こうしなよ」と優しく諭していました。

ユースホステルには、「Aちゃんと二人だけで仲良くしたい」と切望する子は

いませんから、自由にのびのびと過ごしている姿しか目に入ってこないので

Aちゃんについて気になる点を見つけ出す方が難しいのですが……。

 

でも、Aちゃんの弟くんのわがままが目立つ時など、

天使のような優しさで対応するAちゃんの様子を目にすると、

本来ならあってよさそうな「ゴネ得する弟くんへの不満やら嫉妬心」や「怒り」や

「ちょっといじわるをしたくなる気持ち」がまったくないように見えるのも、

ちょっと心配かな、と感じました。

 

自分の中にネガティブな気持ちが芽生えても、それに気づくのも難しいくらい

自分の心のネガティブな一面との関わりを絶っているようでしたから。

 

話は変わって、Sちゃんという別の小学生の女の子の話も考えさせられるものでした。

Sちゃんは明朗活発な頭のいい女の子です。

思考力を必要とするゲームや物作り、楽器の演奏、理科実験、スポーツ……と、

何でも喜んで取り組み、いつも楽しそうに笑い転げています。

 

ある時、Sちゃんのお母さんは、Sちゃんが同じクラスの女の子から

信じられないほどひどい意地悪をされている事実を

Sちゃんの友だちのお母さんから聞いて、驚愕しました。

それがお母さんにとって青天の霹靂とでも言うべき出来事だったのは、

家でのSちゃんは、落ち込むどころか明るすぎるほど明るく元気に振舞って

いたからです。

Sちゃんは、お母さんを心配させまいとして、

気丈に辛いのを我慢していたのでしょうか?

どうも、そうではないようです。

「マンガが好き」というSちゃんに、「マンガのどんなところが好きなの?」と

たずねると、「嫌だな~って気持ちの時も、マンガを読むと気持ちが変わるから」

という返事が返ってきました。

「他人から嫌なことをされたり、嫌なことがあった時にどうしますか?」という

アンケートでは、「先生や親に相談する」とか「友だちに相談する」といった選択肢

ではなく、「考えないようにする、忘れる」の欄に丸をつけていたそうです。

 

子どもたちと話していて、マンガにしてもテレビゲームにしてもDVDや

テレビの視聴にしても、

惹かれる理由が、「面白い内容にワクワクするから」とか「○○が、好きだから」

ではなく、Sちゃんのように、「気持ちが変わるから好き」という答えを聞くことが

増えていることを気にかけています。

また、嫌な目にあった時、四六時中一緒に手をつないで行動しているほどのお友だちにも

自分の胸の内を打ち明けず、「感じないようにする」「考えないようにする」

「新しい刺激で気持ちを変える」といった方法でまぎらわしている子が珍しくない

事実にも、胸を痛めています。

 

 

 

 

 

 

 

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 9

2014-08-20 07:13:46 | 日々思うこと 雑感

小学校高学年や中学生の子をお持ちの親御さんや小学校で教員をしておられる方から、

「現在、非常に困っている解決しにくい問題」というのをうかがうと、

一つひとつの内容は千差万別でも、

問題の根っこの部分はとても似通っている印象を受けます。

 

解決しにくい理由を探っていくと、必ずといっていいほど、

「ネガティブな気持ちになる何かに遭遇した時点から、

感情と思考は、大人にバトンタッチ」という子どもの態度に行きつくのです。

 

大人にバトンタッチできない場面では、

気持ちをフリーズさせるか、ごまかすか、まぎらわせるか、

なかったことにして忘れるか、

気分を手っ取り早く変化させるために誰かを傷つけたり、マンガやゲームに

頼ったりするかして、感情と思考のスイッチを切っているようです。

 

同じ根っこを持つ「現在、非常に困っている解決しにくい問題」と思われるものに

こんなものがあります。

 

先日、小学校で教員をしている方から、

小学4年生くらいまでテストで80点や90点を取っていたのに、

5年生になったとたん10点とか20点といったびっくりするような点数を取る子らが

増えていて、対応に追われているという話を耳にしました。

 

一方、高学年の子をお持ちの親御さんから、

「授業の確認テストや小テストはよくできているのに、学期末等にある総合的な

テストになると、ほとんど解けておらず、さっぱりわかっていないようです」

「学校の宿題がわからないと騒ぐので、塾に行かせてみたら、塾の宿題もわからないを

連発するので、個別に切り替えたものの、プラスになっているのかどうか……

これからが心配です」という相談をいただくこともよくあります。

 

そこで、「どんなところにつまずいているのか」と問題を解かせてみると、

多くの子が、とてもよく似た「できない理由」でつまずいているのが見えてきました。

 

問われている内容が、わからないわけではないのです。

解くのに必要な知識はちゃんと記憶しています。

 

 でも、5年生になると、「理解はできる」「解き方は知っている」というものが、

二つ三つ、合わさって問われるようになるのです。

 

つまり、Aという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていかなくてはならないのです。

そういう問題は、最初にパッと見た目で正解がひらめいて解けることはなく、

解いている最中に、自分で解決できるレベルで、ちょっとの間、考え込まなくては

ならないところがあります。

 

感情の面で、「できるかできないか不安」という数分をこらえなくてはならないし、

思考の面で、前にやったものをそのまま記憶からコピーするように解くのではなく、

「前にやったことがあるものを自分なりにアレンジしなおして、自分の頭の中で

練ってみる」という作業をしなくてはならないのです。

 

でも、4年生くらいまでの学習では満点近い点を取っていたという子の

ほとんどが、どちらも未経験で、

「難しそうだけど、考えればできそう」という部分にさしかかると、

心と頭のスイッチを切ってしまうので、

自分を励まして何とかやり抜こうという意欲も、考える努力も見られないまま、「できない」と放棄してしまうのです。

 

このAという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていく力って、どんな時に身に付くのでしょう。

 

以前なら、子ども同士、大人がいない空間で遊ぶ時間に育まれていった

ものなのかもしれません。

小さいトラブルがある度に、大人が飛んできて、大人の流儀で解決するのではなく、

子どもたちの知恵の範囲で、あれこれ考えて

解決を図るでしょうから。

 

ただですら、子ども同士で群れて遊ぶ機会が減っている現在。

大人の関わりのあり方が問われているのかもしれません。

 

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 8

2014-08-19 12:49:14 | 日々思うこと 雑感

「学校の持ち物の管理がいい加減である」という問題の主役は誰か、といえば、

Bくんです。

そして、管理を怠ったために困っている人物は誰かというと、Bくんです。

 失敗して叱られたり、「ない」ことで困ったり、

なくしたために学校に行くのが憂鬱になったり、友だちに借りたため別の問題に

ぶつかったりして、実際、辟易しているのです。

Bくんは「何があってもどこ吹く風」という様子で、

どーんと大らかに現実を渡り歩くタイプの子ではなく、ちょっとしたことで気を

病みやすく、小さい変化にビクビクする過敏な一面がある典型的な現代っ子。

 

でも、Bくんのお母さんの相談とBくんの姿から、

「物の管理の問題で悩んでいる」のは、Bくんのお母さんだけであることがわかります。

 

「問題解決に取り組んでいる」のもお母さんだけです。

 

ついでに言えば、

「その問題を恥ずかしいと感じている」のも、「どうしようかと考えている」のも、

「起こった出来事を思い出し、状況をシュミレーションしている」のも、お母さんです。

  

 「寝る前に宿題をするまで、嫌なことは一つもなくて、

楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ」というBくんの弁から察するに、

肝心のBくんは、

「物の管理の問題」で、しじゅうお母さんから叱られたり、愚痴を言われたり、

悩みの種にされたりしていることすら、少しも悩んでいないのです。

 

正確には、言語化して悩んでいない、それに意識の焦点をあてていない、

といったことでしょうが。

 

とにかく、主役も、問題に遭遇したのも、

現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

お母さんにバトンタッチ。

心と頭はお母さんの担当……という子は、Bくんに限ったものではありません。

 

ワークショップ等に参加している幼児や小学生にしても、

ちょっとうまくいかないことがあると「ママー」「せんせー」と助けを呼ぶところ

まではいいとしても、こちらが援助の手を差しのべたとたん、

「うまくいくかな?」「どうしよう?」「ちゃんとできたらいいな」と事の成り行きを

心配そうに……あるいは真剣に見守るのではなく、

その時点ですっかり他人事になって、気もそぞろに新しい何かを探索しはじめる

……という子があまりに多いのです。

 

子ども間のトラブルにしても、当人同士が、嫌な気分を味わったり、

不満をぶつけあう時間もないままに、親なり園の先生なりが割って入って、

「~だよね。ごめんなさいって謝ろう」と、それぞれの子がどういう感情を抱いて、

どういう行動を取ればいいのか示唆してしまうので、そこでも、

主役も、問題に遭遇したのも、現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

大人にバトンタッチ。

心と頭は大人の担当という流れができています。

とにかく忙しい現代。子どもの感情が興奮してから鎮まるまで待っていられないし、

子どもの考えが自己中心的なものから、より大きな視野で考えられるまで

紆余曲折して成長する時間を考慮していられないのです。

そもそも、問題に遭遇するまでしていた活動が、問題を乗り越えても

やりたいほど『したい』ことだったのかあいまいでもあるのでしょう。

子どもが自分のやりたいことを見つけるまで……

また、やってみたいという気持ちに火がつくまで、

ゆったりとした時間があるほうがめずらしいでしょうから。

 

感情と思考を抜きにした体験から、動物のように、皮膚感覚だけで、

「あれは嫌」「あの子は嫌」「取られたら嫌」といった反射的な反応を

身につけるものの、

日々の体験が、自分なりの価値観を育むものになっていない、ということは、

多かれ少なかれ、どの子にも起こっているのです。

 

だとすると、Bくんのお母さんは、現在の子育ての落とし穴にはまって、

今の時代が抱える問題を悩んでいると言えるのかもしれません。

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 7

2014-08-18 08:09:56 | 日々思うこと 雑感

ユースホステル2日目の朝食後の学習タイムでの出来事。

Aくん、Bくん(この男の子)、Cくんの男の子3人が、

「勉強、いやだ~!」「勉強したくな~い!」「いやだ~!」とおふざけモードで

主張しながら部屋に入ってきました。

 

チェックアウト前で散らかしたくないこともあって、

「勉強、いやだ~!」の3トリオからヒントを得て、

会話主体の学習をすることにしました。

 一人ひとり「好きなこと」や「嫌いなこと」や「いつもよくする遊び」

「家でどんなことをして過ごしているか」「趣味は何か」「何でもいいから言いたい

こと」などを言い、それに対して当人とみんなで、

「どうして好き(嫌い)なのか」「どんなところが好き(嫌い)なのか」

「よくそれをする理由は何なのか」「その魅力はどこにあると思うか」

「最も嫌な部分はどこか」「それはどんな価値を生み出すと思うか」といった意見を

出し合うのです。

 

簡単に何をするのか説明したあとで、Aくん、Bくん、Cくんの3人に、

「3人は、勉強が嫌いなの?」とたずねました。

「まぁ、嫌いっていうか、あぁ、嫌い嫌い。もう夏休みの宿題をやったのに、勉強だから

嫌なんだよ」とAくん。「そうそう」とうなずくBくん、Cくん。

それぞれに話を聞くと、勉強そのものが嫌いなのではなくて、

何をどれくらいしたらいいかがあいまいで、遊んでいる時も、あとでしようと

先送りした勉強が待っていると思うと憂鬱な気分になるようです。

 

そうした話し合いの最中に、「勉強したくない、勉強は嫌」チームで、

「勉強のどんなところが嫌なのか」という理由を説明するはずだったBくんが、

「だったら、ぼく勉強嫌じゃなーい」と言い出しました。

 

「Bくん、勉強が嫌じゃないんじゃなくって、説明するのが嫌なんじゃないの?

じゃあ、理由を説明するのが嫌だチームに入って、

説明するののどんなところが嫌なのか、説明してよ」と冗談交じりに問うと、

身体をくねくねさせて苦笑いをしていました。

 

Bくんは、その後、ほかの子らが「わたしたちは、お化け屋敷を作って遊ぶのが好き」

「どうして好きかというと、ほかの人がびっくりしたりして、つまらなかった気分が

面白い気持ちに変わるから」とか、「趣味は、読書」「よく読む本は冒険もの」

「スリルがあって、ドキドキするところが好き」「冒険ものの本の魅力って何だと

思う?」「次にどうなるのかなって思うと面白い。ハリーポッターを読んだ時も、

1回目はどうなるんだろうってすごく面白かった。」

「じゃあ、2回目に読む時はどう?次にどうなるかなってドキドキする?」

「しなーい。でも、留守番とかしていて、暇な時に2回目読む」といった意見を交わして

いる間、どの意見に賛成するでも反対するでもなく、意見を求められることなく、

「そうそうそう!」と同調すればいい場面でだけ、笑いながらうなずいていました。

 

Bくんが、理由を問われそうになると自分の意見を変えること、

それも声高に大騒ぎして、主張していた意見と正反対の意見に流れる姿は、

これまでもたびたび目にしたことがありました。

 

また、ゲームで相手にズルをされるなど、

明らかに自分が不利な立場におかれていても、

騒ぎながらじゃれるように揉めることはあっても、

いざ、どんなことがあったのか、なぜ揉めているのか説明を求めると、

「あの子がこんなことしたんだよ」とか「ぼくは悪くない」と訴えることもなく、

いつも、「もう、いいや」「いい、いい、いい、負けでいい」とお茶を濁すのも

気になっていました。

 

ユースホステルでのレッスンでも、1日目の晩にこんなことがありました。

2段ベッドの取り合いでケンカしている子がいると聞いて、

男の子たちの部屋に向かうと、AくんとBくんが、下の段のベッドに寝転がって

押しあっていました。

揉めているというより、じゃれあって遊んでいるような雰囲気です。

とはいえ、Bくんにはかなり不満もあるようで、顔をゆがめて、こちらに何とか

してもらいそうな目を向けていました。

 

バラバラに断片的に告げる説明をつなげると、こんな話が見えてきました。

最初、二人とも2段ベッドの上の段で寝たかったようです。

そこで、上の段で寝る権利を取り合って

『STRATEGO』というゲームで真剣勝負をしたのだとか。

勝利者はAくん。

 

ややこしいのは、勝負で上の段に寝る権利を得たAくんが上段に寝転がってみると、

そこはファンの向きの関係上、クーラーの効きが悪い場所だったので、

「やっぱり、ぼくは下の段がいい」と言い出したのだとか。

すると、それまでは「上の段で寝たい」と言っていたBくんも、

「ぼくも下の段がいいし、ぼくのところだ」と主張したそう。

その挙句、Aくん、Bくんのふたりが下の段のベッドで、おしくらまんじゅうを

していたというわけです。

 

状況をはっきりさせてから、どうすればいいと思うか、

当人らや部屋の他のメンバーに意見を求めると、

「はいはい、わかりました。ぼくが諦めますよ」と言いながら、

Aくんが上段のベッドへ去りました。

 

AくんとBくんは仲良しで、Aくんは気の荒い子ではありません。

本来ならBくんはもっと事の理不尽さを訴えてもいい立場のはず……。

でも、こうしたやり取りの間、Bくんは、

「えぇー、えぇー、いやだなぁー」と言いながら、ベッドを占領する以外、

周囲に説明してもらうまで、自分の不利さや不満を口にしませんでした。

 

Bくんは算数の文章題や国語の読解問題が苦手ではなく、

言葉を理解したり、言葉で考えたりするのは得意なタイプ。

また、茶目っ気のある快活な性質で、引っ込み思案や対人恐怖のために

自分が出せないわけでもありません。

それなのに、どうも腑に落ちないBくんの言動は、

Bくんだけに限らず、最近の子に非常によく見られる姿なので、

心に引っかかりました。

 

先に書いた朝の学習タイムで、こんな一コマがありました。

Bくんは、「いつも家で何をして過ごしているのか」の質問に、

「楽しいこと」と答え、その後の話しあいの中で、寝る前に宿題をするまで、

嫌なことはひとつもなくて、楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ、

と説明しました。

 

Bくんのお母さんから、Bくんが毎日のルーティーンワークである

「玄関先の決まった場所に、学校に必要なものをかけておく」というルールを守らない

こと等で、何年越しに悩み、イライラし、手を変え品を変えしてしつけを試み、

のれんに腕押し状態が続いてがっくりしてきたか、それによってどれほど先々の

不安まで覚えているかを耳にしていたわたしは、Bくんにちょっといじわるな質問を

しました。

 

「Bくん、Bくんは、学校から家に帰ったら、自分の好きな楽しいことをやって、

どんどんどんどん全部、楽しいことだけ続けていって、ずっと楽しい気分で、

最後に宿題をやる時だけ嫌な気持ちって言ってたわよね。」

「うん、そう」

「それがね、Bくんのお母さんからは、Bくんがそうやって、全部楽しくって

しょうがないって時間に、Bくんが帽子をちょっとかけておくとか、体操服を出して

おくとか、ちょっと面倒で嫌だなって思うことをやらないから、イライラしたり、

がっくりしたり、悩んだりしているって聞いているのよ。

 

ということは、Bくんが、その時間、その時間、100パーセント楽しいことだけ

しようと思わないで、ちょっとは楽しくないことも、やるべきことはしなくちゃなって

思わないから、そうなっているんじゃないの?

第一、Bくんは、自分がすごく楽しくってしょうがなくて、もっと楽しいことを

しようって思っている時に、横でお母さんがイライラしていても、

楽しい気持ちのままなの?それはOK?」

そうした問いは尋問するようにかけているわけではなく、

面白い雑談をする雰囲気でしているのですが、Bくんは、責め立てられでもしている

ように困惑しきっていました。

その一方で、話の内容を自分のこととして受け止めて、

考えている様子はありませんでした。

この質問はBくんに間違いを悟らせて、態度を改めさせるためにしたのではありません。

言い訳でも、愚痴でも、「そうだな」と納得するだけでも、

「どうして先生にそんなこと言われるの?」と反抗するのでもいいから、

Bくんの考えを聞きたかったからです。

 

 

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 6

2014-08-17 17:10:25 | 日々思うこと 雑感

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 1

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 2

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 3

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 4

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 5

の続きです。


先の記事で取り上げた「何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な

小学生の男の子」についてもう少し。


この男の子は、嫌なことは先延しするタイプで、

日々の宿題も「あとで、あとで」となかなか手をつけないものの、

さぼるわけではなく、成績は良い子です。

温和で明るい性格で、遊び友だちには不自由していません。

 

そう書くと、

「小学生の男の子なんて、几帳面な方がめずらしい。持ち物の管理のいい加減さ

くらいで深刻に悩むなんて親御さんの気にしすぎではないか?」と感じた方が

いらっしゃるかもしれません。

確かに、文面上の相談コーナーなら、「気にしすぎ、神経質すぎ、個性!個性!」

「お母さんはお子さんをもっと大らかに見守って!」と

軽い叱責に加えて、励ましのエールを送れば一件落着となるケースなのかも

しれません。

 

でも、どうなのでしょう?

長期間、悩みが続いているからには、

言語化して相談できる内容が本当に困っていることであるほうがまれで、

その水面下には、もやもやと言葉にすることも気づくのも難しい、

漠然とした『不安のもと』が横たわっているのではないでしょうか?

 

ユースホステルのレッスンで、この男の子とさまざまな活動をともにした時、

ところどころで、親御さんの『不安のもと』を垣間見た思いがしました。

また、ぼんやりながら『解決の糸口』をつかめた気もしました。

 

 

 


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 4

2014-08-13 11:54:46 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回の記事に、特別支援学級で補助の仕事をしておられる方から

こんなコメントをいただきました。

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緊張が強い子‥‥の記事で、

奈緒美先生が書かれていた「子どもの心に風穴があく瞬間」に、

私も何度か出会ったことがあります。

子どもが負の気持ちを表現してきた時にこそ、多く現れます。

負の感情に怯まず、飲み込まれず、ばんばん言い返したり、笑いに転換したり‥‥

はたから見れば、口喧嘩をしてるだけに見えても、子どもの心がしっかりと

闇に包まれて、負の気持ちを実感できると、ふと子どもの心の中に、ぽっと小さな

灯りがうまれる瞬間を感じます。

この小さな灯りが他者への優しさや思いやりだったり、

はたまた物事に対するやる気へと成長していったり、様々な感情へ育っていくから、

本当に不思議です。

大人が闇を恐れて、スルーしてしまい、共有できなかったり、大人が闇に正論で光を

当てようとしてしまうと、この灯りはなかなかうまれにくいなぁと感じています。

子ども自身が灯す灯火なんでしょうね。

この灯火がうまれないと、物事や対人関係を快と不快とでしか判断できず、

他罰的な思考にとらわれてしまう事が多くなるな‥‥と感じています。

 

以前の記事でもありましたが、アニメの世界が明るくて安全な世界が多くなっていき、

また子どもの遊びも変わり、子どもが負の気持ちを実感できる場所が少なくなって

いるのかもしれません。

「子どもの心は大人の与えたがる道徳教育とは別の筋道を通って人としての資質を

身につけていく」本当にその通りだと実感しています。

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<大人が闇を恐れて、スルーしてしまい、共有できなかったり、

大人が闇に正論で光を当てようとしてしまうと、

この灯りはなかなか生まれにくいなぁと感じています。>

 その通りだと思います。

 教育現場も家庭も、闇を恐れてスルーするか、

正論で光を当てるかの二択に陥りすぎているとも感じています。

 

気味の悪い人の噂と噂の賞味期限

の記事を書きながら、

「子どもを育てるには、機会あるごとに、相応の覚悟がいるもんだな」と

考えていました。

 

親としてはもちろんだけど、仕事で子どもに関わるにしろ、地域の子らを見守るにしろ、

大事な時に『覚悟』がないと、闇雲に悩むかぶつかりあうだけで、

子どもの存在や問題を見て見ぬふりをしてしまうでしょうから。

周囲の目や損得を気にしたり、子どもが抱えている闇を怖がったりして。

 

ちょっと話が脱線するのですが……。

娘から何度か仕事上の相談を受ける中で、

『覚悟』という言葉を意識する瞬間がありました。

 

半年ほど前から、職場で後輩たちを指導する立場になった娘。

それまで経験したことがない新しい人間関係の課題にぶつかって

悩んでいました。

ただ和気あいあいと仲良くしていればよかった頃と違って、

後輩たちのルール違反を叱ったり、売上を気にしながら、厳しい指摘をしたり、

要望や不満に耳を傾けて解決しなくてはならないこと。

自分だけがんばってもダメで、やる気がない発言を繰り返す相手の意欲を高めたり、

後輩が起こすトラブルと向き合っていかなくてはならないこと。

 

初めのうちは、損な役回りが多い「育てる」立場に戸惑って、

壁にぶつかるたびに自信を喪失し、被害意識でいっぱいになっていた娘。

でも、どん底まで落ち込むたびに、持ち前の自分を見つめる力と問題解決能力を

発揮して、難局を抜けだしていました。

娘の出した答えは、

「損だと感じることも、敵をつくるリスクがあることも、立場上、しなくてはならない

ことなら、自分から動いてみる」という覚悟のようです。

 

「前は、どうせ言ってもわかってもらえないとか、

厳しいことを言うと嫌われるんじゃないかって、悪い方へ悪い方へ想像して

何もしなかったけど、思いきって、積極的に自分から動いて、

いちいち言葉にしていなかったことも伝えるようにすると、

自分側の要望ばっかり主張しているように見えた子もけっこうちゃんと聞いてくれるし、

周囲にもいい印象を持ってもらえるってわかったわ」

 

「自分が有利になるように持っていくのが上手な裏表のあるタイプの子が注目されて

みんなから褒められていて、

わたしばっかりダメな部分が目立ってて悩んだ時、お母さんに相談したら、

あの子の性格はこうなのに……とか、自分はがんばっているのに……とか

あれこれ考えずに裏方に徹してみたら?……って、言われたでしょう?

今日、そうやって、何も考えずに裏方役を申し出て、一生懸命それをやっていたら、

気まずくなっていた子からお礼を言われたり、

いろいろなことがすごく上手くいくようになったわ」

 

「昨日のミーティングでこんなことがあって。

仕事中、気づいたことを言ってもらう時、一人の子が○○のことをかなり怒っている

様子で言ったのよ。

○○は、わたしもずいぶん前にひどいことだって腹が立って、

上の人にも相談してみて、こうするのが妥当ってことになった話題なのよ。

前のわたしなら、それは自分の中では終わっている話題だから……って気持ちで、

これこれこういう事情でこうなったのよって、結果を説明して終わりだったと思う。

でも、アドラー心理学の本で見た自分だけのメガネを通して眺めずに、

相手の立場に立って考えてみる……って言葉を思い出して、

その話はこういうことになって、いったん解決しているって説明したあとで、

小さいことだから言わなくてもいいかなっと思ったり、もう解決したことかもと

思っても、こうやって気づいたことは何でも言ってもらうようにすると助かるわ、

ありがとう、とつけ加えたの。

そうじゃないと、相手の立場からすると、せっかく言ったのに、言って損したって

気持ちになるだろうから。そうしたら、結局、意見はボツになったのに、

とってもうれしそうにしていたし、ほかの子らまで、お店を盛り上げて、がんばって

いこうって雰囲気になったのよ」

 

そんな発見を口にする娘は、上の方から、「今よりさらにもうひとつ上の立場で

働くことを想定に入れて、がんばってみて」という声をかけられたそうです。

 

記事のタイトルからかなりずれてしまいましたが、次回に続きます。 

 


ちょっと気になる知的好奇心の薄さ

2014-08-12 20:46:49 | 理科 科学クラブ

夏休みの科学クラブは、毎回、大盛況でした。

3、4歳の子たちも小学生の子たちも、心から実験を楽しんでいました。

ただそうした子どもたちの中に

「ちょっと気になる知的好奇心の薄さを示す子」がいました。

 

知的好奇心が薄いように感じられる子にもさまざまなタイプがあります。

 

身体的な発達や知力の発達自体がゆっくりしていて、

周囲で起こっていることに意識がいきにくい子。

 

興味の範囲が狭く、こだわりが強いため、好きなものには好奇心を示すけれど、

興味のないものには無頓着で、

興味のあるものとないものの比率が、「興味がない」ものの方が圧倒的に大きい子。

 

発達や知力に問題なく、社会性の発達も順調で言葉も達者で何でもやりたがるし、

年相応にできるけれど、知的な好奇心が薄いという子。

 

今回、「ちょっと気になる知的好奇心の薄さ」として取り上げたのは、最後の

「発達や知力に問題なく、社会性の発達も順調で言葉も達者で何でもやりたがるし、

年相応にできるけれど、

知的な好奇心が薄いという子」についてです。

 

そうした子たちは、年齢も異なり、個性も違っていても、

とても似ている点があることが多いのです。

何が似ているのかというと、お母さんやお父さんのその子への接し方です。

 

親御さんたちの

声をかける頻度、言葉かけの内容、関わり方、解説の仕方、誘導の仕方、諭し方、

可愛がり方、叱り方、注意の仕方、期待のかけ方などが、

そっくりなのです。

 

ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 2

ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 3

 


質問「子ども達と実験をするときに大切にしていることって何ですか?」

2014-08-12 14:45:58 | 理科 科学クラブ

理科実験についてこんなコメントをいただきました。

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4歳の娘がいます。

工作はいつの間にか親の発想を超えたものを作るようになりました。

子どもってどんな子も工作が天才的な時期があるんじゃないかなぁと

実感しています。

そんな娘を見て、そろそろ科学の実験みたいなことはどうだろうと思い、

自由研究大図鑑のような本から実験をしてみようかとやってみるのです

が、なにぶんうまくいきません。

まず、本に載っているような明確な結果が出ず、たいてい失敗します。

そうすると、何をしたかったのか私も子どももよくわからなくなり、

実験とは離れた別の遊びになりうやむやに終わるといった感じです。

私自身が理科の授業の実験が苦手でした。

答えが教科書に載っているのにどうしてやらないといけないのかと

思ったし、実験ってあまり教科書通りにいかないですよね。

結局、失敗したけれど本当は教科書のものが答えですというような授業の

流れも苦手でした(^_^;)

お風呂の中で子どもが自分で思いつくような実験ぽいものは楽しんで

やっているので、今はまだその段階でよくて、

実験の意味を理解し、結果の予測みたいなものができるくらいになる

時期までもう少し待ったほうがいいのでしょうか?

いつか実験を楽しみたいと思ったときのために、先生が子ども達と実験を

するときに大切にしていることって何なのかお時間があるときに

教えていただけると嬉しいです。長文失礼いたしました。

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3~5歳の子たちと理科実験をする時に大切にしていることを書いた

過去記事を紹介しますね。

幼い子たちと理科の実験をするとき、手品のようなすごい科学実験より
ごくごく素朴で当たり前で、大人にとってはそんなの実験と言えるの?
というくらいのものの方が、物の科学的な性質がわかって喜ぶことが
よくあります。
 
写真は氷と湯(お風呂の温度くらい)を使った実験です。
氷と湯(お風呂の温度くらい)が入った容器と水に浸けられるおもちゃ
を用意します。
それだけ……です。
お湯につけた指を氷につけて感じる変化を楽しんだり、
お湯の中に氷を入れて、溶ける様子を観察したり
子どもはさまざまな実験をしてみるはずです。
「お湯だと氷がすぐ小さくなるね。水だとどうなるの?」
とたずねられたら、水の入った容器も用意してあげるといいですね。
氷に塩をかけたらもっと冷たくなるのは本当か試してみるのも
いいです。
 
氷が溶けるのにどれくらい時間がかかるか調べてみると、
そんな単純な実験もその日の気温や氷のサイズや
氷の凍り具合などで異なることがわかるでしょう。
 
氷で遊んだあとは、
プリンの容器などに花びらや葉っぱと水を入れて
氷を作る実験も楽しいです。
 
氷が溶けること
水が凍ること
そんな小さなことでも、子どもは不思議で満たされるものです。

 

3、4歳の男のたちのグループレッスン。

男の子たちはとにかく好奇心を刺激されるような遊びが大好きです。

教室にある科学の実験用の箱を開けて、

「これしたい!」「あれしたい!」と大騒ぎです。

 

いろんな水と空気の実験をしました。オブラートに絵をかいて

水に浮かべたり、

水の中での光の屈折を利用した実験をしたりしました。

 

水でふやかす園芸用のゼリーを水に浸けています。

ふやかしたあとで、シリンダーに入れて押すと、

細かく粉々に砕けてジュース作り遊びができるので子どもたちはとても

喜びます。

 

3,4歳児さんたちと理科遊びをする時は、

「ピンポン玉にフーッと息をかけたらどうなるかな?」「うちわで

あおいだらどうなるかな?」といった質問をして、

「きっとこうなるよ」「ああなるんじゃない?」といった予想を

子どもたちに立てさせるようにしています。

そうすることで、物の性質や原因と結果のつながりについて

理解が深まってきます。

 

理科遊びを楽しく実りのあるものにするには、

いくつかコツがあります。

 

一つには、大人が実験を用意するということです。

子どもにさせるのではなく、子どもが抱いている興味に気づいて、

それを広げたり深めたりするような実験を用意してあげるということ

です。

たとえば、外で影を踏んで遊ぶのを喜ぶ時や、

「どうしてぼくの影はぼくより背が低いの?」と質問した時などに、

人形にいろんな方向からプッシュライトを当てる実験をしたり、

「ガラスのコップに入れた水の影は何色かな?」とか

「セロファンを使った工作をして、きれいな色の影を作ろう」と

誘ったりすると、子どもは乗り気で取り組むことと思います。

 

もう一つは、実験のなかに、創作活動を取り入れるということです。

実験して理解した原理を工作のなかで活かすようにすると、

興味がより深まるだけでなく理解が進みます。

  

↑日常のひとこまひとこまに、「どうして?」「なぜ?」と

不思議を味わう機会はたくさんあります。

ビー玉が転がり落ちる仕組みを作った後で、

穴の切り方によってでてくるビー玉のサイズが変わることを不思議がる

◆くん。

確かに、穴を開けなくても、十字に切り込みを入れるだけで、

丸いものが通ってしまうのは不思議なのです。

わくわくさんを神とあがめている(お母さんの弁)◆くんは、

この日も、「わくわくさんは、こうやってこうやって作ってたんだよ」

と言いながら大量に紙コップを消費した後で、

最後に自分で考えた2階建ての家を作り終えて大満足の様子でした。

もとはわたしが作ってあげた「がちゃぽん」だったものに、

もう一つコップを重ねただけなのですが、

とにかくわたしでも……わくわくさんでもなく……自分で思いついて

作ったということでうれしくってたまらなかったようです。

2階があるのはどんなにすごくて面白いことか、

お友だちに自慢げに話してきかせていました。

 

 

ほかの子らは屋根の高さによって電車が入らなかったり

入ったりすることに苦戦していました。

何度も屋根を取っ払って作りなおし。

「あれぇ?」「あれぇ?」という声が聞こえていました。

 

この日、お迎え時に◆くんの小学1年生のお姉ちゃんも来ていました。

将来、宇宙に関わる仕事がしたいという宇宙大好きのお姉ちゃんです。

そこで、お姉ちゃんに先生になってもらって、宇宙の実験道具が入って

いる箱の中身について解説してもらうことにしました。

子どもたちはお姉ちゃんを取り囲んで

宇宙の絵本などを楽しんでいました。

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5歳の☆くん。

毎日、お父さんとお母さんを、「なぜ?」「どうして?」と質問を責めに

している様子です。

先日も、

「地球は丸いのに、どうして海の水はバシャーンってこぼれないの?」

とたずねてきて、答えに迷ったそうです。

確かに地球が丸くて、逆さまになっている部分があるとしたら、

海の水がこぼれないのは不思議ですよね。

 

☆くんと、簡単な理科工作。

ペットボトルに目打ち(プッシュピンでもOK)で小さな穴を開けます。

穴の部分に水道の絵などを描いておきます。

水を入れて蓋をしめると、穴から水はこぼれませんが、

蓋をゆるめたり、手で押して軽く圧力をかけると、

ピューッと水が噴き出します。

 

 

↑ テレビです。

段ボールの細い箱に切り込みを入れて、

虫めがねを差し込んでいます。

覗くと、虫めがねにテレビのような画像が映っています。

 

懐中電灯をあてて

お化けをつかまえるおもちゃを作りました。

 

どうして、見えなくなったり、見えたりするのか、

不思議だったようです。

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<寺田寅彦のエッセイと夏の理科遊び>

小学生の頃、学校の図書室で、岩波少年文庫の

『科学と科学者のはなし』寺田寅彦エッセイ(池内了編)を読んで

えらく感激した記憶があります。

古本屋でその本を見つけたので、買ってきてさっそく目を通しました。

今、読んでも、とても面白かったです。

読みながら、紙芝居か、実演で、

子どもたちにこの本の面白さを伝えたいな~という思いが

湧き上がってきました。

まぁ、そんな大がかりなことをする前に、

教室の科学クラブで子どもたちに

この本をもとに小さな実験をいくつか見せてあげて……

それからブログでこの本を紹介して、

夏休みにこの本に目を通した親御さん伝いに、寺田寅彦の思いが

少しでも子どもたちに浸透していくといいな~と感じて……

さっそくブログの記事にすることにしました。

 

まず、大好きな『茶碗の湯』というエッセイ。

物理学者の寺田氏が、湯の入った茶碗ひとつを前にして、

繰り広げる話です。

茶碗の湯って、何のおもしろみもないようですが、よく気をつけてみて

いると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、

さまざまな疑問が起こってきます。

湯の面から立っている白い湯気は、熱い水蒸気が冷えて、

小さなしずくになったもの。雲や霧の仲間です。

黒い布をむこうにおいてすかすと、粒の大きなしずくはチラチラ見え、

日光にすかせば、場合によっては、虹のような赤や青い色がついている

そうです。

これは白い薄雲が月にかかったとき見えるのと似ているそう。

茶碗から上る湯気をよく見ると、熱いかぬるいかおおよそわかるのだ

とか。熱い湯は温度が高くて、周囲の空気より軽いため、どんどん

さかんにたちのぼり、湯がぬるいと弱いのです。

湯気が上るときはいろいろの渦ができます。茶碗の上で起こる渦の

大じかけのものは、雷雨のときに空中に起こっている大きな渦です。

白い茶碗に入っている湯は、ひなたで直接日光に当てて底を見ると、

ゆらゆらした光った線や薄暗い線が不規則な模様になって動いている

のが見えます。夜、電灯の光を当ててみると、もっと鮮やかに見えます。

茶碗の湯が冷えるのは、湯の表面の茶碗の周囲から熱が逃げるため。

表面にふたをしておくと、茶碗に接したところでは、

湯は冷えて重くなって下方へ流れ、真ん中は上へ。

ビーカーの底をアルコールランプで熱したときの水の流れが、

湯の中の糸くずの動きで見ることができるのだとか。

一杯の茶碗の湯は、ほかにも「かげろう」のでき方、湖水や海の水の

流れ方、山谷風、モンスーンなどがどうやってできるのかを、

わかりやすく教えてくれるそうです。



寺田氏の言葉に次のようなものがあります。
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俗に明きめくらというものがあります。
両の眼は一人前にあいていながら、肝心の視神経が役に立たないために
何も見ることができません。

またたとい眼あきでも、観察力の乏しい人は
何を見ても、ただほんのうわつらを見るというまでで、
何一つ確かな知識を得るでもなく、ものごとを味わって見るでもない。
これはまず心の明きめくらとでも言わなければならない。
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子どもたちを『心の明きめくら』にしてしまってはいけませんね。

子どもたちとともに、いろんなものをゆっくりじっくり味わいたいな~

と思いました。

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