虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

気味の悪い人の噂 と 噂の賞味期限

2014-08-11 18:40:14 | 日々思うこと 雑感

今日、何だかもや~っと嫌な気分になる出来事がありました。

ダンナが家に入ろうとしたところ、見ず知らずのおばあさんに呼び止められて、

「ここのうちの男の子は、○○(息子が通っていた中高一貫校)に行ってたのに、

途中で、○○(地元の公立中)に戻ったらしいけど、まだその子はここに住んでいるの?

大学生?」とたずねられたのだとか。

 

こちらは面識がないけれど、おそらく息子の同級生の祖母かその祖母の知り合い……?!

 

息子が通っていた中高一貫校はこの近辺では人気があるので、

わざわざそこを途中でやめて、評判が悪い地元の公立校に戻ってきたとあれば、

退学になるような問題を起こしたか、成績が悪くてついていけなかったかの

どちらかだろうと噂している模様……。

 

「何て答えたの?」とダンナに問うと、

「目的がわからないから気味が悪いだろ?

会ったこともない人に事情を説明することはない。

ええ、住んでいますよ、大学生ですよ、とだけ言っといた。」といつもの能天気な笑顔。

 

まぁ、あれこれ勘ぐって嫌な気分になってもしょうがないから、

「そうよね。気持ち悪いけど、人の噂が好きな人には好きなように噂してもらえば

いいわ。本当に、いつの話題やら……?」と苦笑いだけして、

それ以上考えるのはやめておきました。

 

中高一貫校から地元の中学に戻ったいきさつは、

子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 2

に書いていますが、

息子は息子で周囲に誤解されて、変な目で見られることを覚悟し、

親のわたしも、知らない他人の目にどのように映るか理解した上で受験を許したのです

から、今さら、誰にどう思われているかなどで気を揉んでもしょうがないんですよね。

ただ、「他人の不幸や良くない噂を求めてフラフラとたずね歩いている

おばあさんの存在」というものに、背筋がゾワッとしたのですが、

案外、面と向かって話をしてみたら、退屈や子どもっぽい好奇心に動かされている

だけなのかもしれません。

 

潔く七十五日だか四十九日だか噂話の賞味期限が切れるのを待つことにしました。

 


夏休み科学に触れる遊びはいかがですか? 1

2014-08-11 15:18:45 | 理科 科学クラブ

鏡で作る雪の結晶?

 

ハニカムペーパーとハニカム構造

 

 

 3~4歳の子の科学遊び

子どもの「どうして?」「なぜ?」にどう答えたらいいですか? 1

 

子どもの「どうして?」「なぜ?」にどう答えたらいいですか?2

 

 

レストランごっこ ジュース屋さんごっこで実験遊び

 

スライムでレストランごっこ

 

潜水艦を作りながら考えたアイデアとタコ焼き機

 

ブロックの世界に理科実験を取り入れるアイデア

 


最近の子ども向けアニメのストーリー展開 と 笑いのツボとが気に入らない? 

2014-08-11 07:27:35 | 日々思うこと 雑感

わたしは娘とも息子ともよくしゃべります。

娘とのおしゃべりは、人間関係のことが主なので

相手方のプライバシーの問題もあって記事にできないのが残念ですが、

たくさん話をすることで、娘の生きている世界、世界を眺める視線、葛藤、心の軌跡が

手に取るように伝わってきます。

 

息子とわたしは、お互い直観のアンテナに引っかかったものを言葉にするのが

好きなので、ちょっと気になるものがあると何にでも首を突っ込んで、

食事の間中、しゃべり通していることがあります(行儀が悪いことこの上ないのですが、

わたしは片手にペンを持って、メモを取りながらしゃべっています)。

 

娘との会話も息子との会話も、冗談混じりに思いついたことをポンポン言い合っている

だけなんですが、その背景には常に、

「今、この時代を、この社会で、どう生きるのか」というテーマが透けているように

感じます。

おそらく若いふたりには「これからどう生きていくか、社会とどう関わっていくか」が、

わたしにとっては、「中年期の課題を充実したものにしたい」が、

常に旬の話題だからなんでしょうね。

  

夕食時のこと。

わたしが、「ごくたまにだけど、最近の子ども向けのアニメって

どんなストーリー展開をしているのかなっと思って見ることがあるんだけど、

どうも腑に落ちない……というか、

やたら明るくて安全な世界が描かれているのに、

ちょっと気持ちが暗くなるものが多いのよね。ドラえもんも今風になってたわ。

 

お母さんの子どもの頃のアニメは、子ども向けとは思えないドロドロしたストーリー

設定や残酷なシーンもあったけど、子どもの心の真実には忠実だった気がするのよ。

 

その点、最近のアニメは、

大勢でするポケモンを民主主義モードに固定してゴールまで行っちゃおうって方法に

何だか似てるのよ。

大多数の子の思いを体現しようとしているのに、

たったひとりの子の心の真実も、ちゃんと生きさせてあげないって感じがするのよね。

すべて見たわけじゃないから、どのアニメもそうなのかわからないけど」と言うと、

 

息子が、「何か言えるほど見たわけじゃないけど……」と前置きしてから、

「この間、いくつか見て、同じようなことを感じたよ。

昔のアニメの主人公は、悪いことをするとき、それが社会的に見て悪いことでも、

その子自身にとったら悪くない……というか、つまり、

自分が正しいと信じているものや自分の中の善を真剣に追いかけてるようなところが

あったよね。外に向かって嘘をついている場合も、自分には正直だった。

 

でも、この頃のアニメは、本人が明らかにそれが悪いことだとわかった上で、

ちょっとくらいいいよねっと

周囲に妥協して許してもらおうと甘えながら、悪いことをしているって感じだったな。

笑いの取り方も、誰かがミスしたときやお決まりのルール違反をしてしまったときで、

それを子どもが面白いと感じているのか、

面白いと感じさせられているのかわかんないな。

 

だいたい、子どもがストーリーのどこにワクワクするのかといえば、予定調和が崩れて、

これをしたらダメなんじゃないかな、こんなことしてもいいのかな、

と思うようなことに手を染めざるえないような状況になってさ。

それをきっかけに自由や冒険やスリルを味わったり、

罪悪感や起こしたことの責任を取るために苦しんだりしたあとで、

その子としての心の解決にまで行きつくことじゃないかな?」

 

わたし 「心の解決? そうそう。子ども自身が自分で納得しないと、面白くない

わよね。外の圧力に納得させられるんじゃなくて、自分でする体験で納得したいはず。

それが、アニメの主人公に自分を重ねてするような想像上の体験にしたって」

 

息子 「どこまでも予定調和でいくストーリー展開を見ていて、イラッとするのは、

最終的に解決さえあれば、議論を放棄してもいい、ってスタイルが当たり前になって

いるからかな?自分の内面での議論も含めてだけど。

 

その思考に至るまで、主人公が、いったん間違った考えを抱いたとして、

なぜ間違ったのか、その問題と自分なりに折り合いをつけていくプロセスがなくて、

主人公が一般論や偏見に言いくるめられるようにして、

結果オーライになっているところがいい気がしないんだ」

 

わたし 「子ども向けの短い素朴なアニメにしろ、童話にしろ、

きちんと子どもの心の現実に添ってるものは、子どもが主人公に自分を重ねるうちに、

 自分だけの答えを見つけられるように作られているわ。

そう言えば、押入れの中にお母さんがずっと大事にしている本があったはず……。

ちょっと待ってて。」

 

わたしはそう言って2階から、『おそうじをおぼえたがらないリスのゲルランゲ』

という童話を探し出してくると、

最初の数ページと最後のページを読むように勧めました。

「最後のページのゲルランゲの言葉と行動の変化は、

★(息子)の言う子どもの心の解決をきちんと描いているわよね」と言いながら……。

 

ゲルランゲの話は、わたしが五つか六つの頃に、繰り返し読んでいた童話です。

 

こんな話です。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

むかしブナの木に11ぴきのリスのきょうだいがおばあさんリスといっしょに

すんでいました。

いちばん小さな子リスはゲルランゲ。すこしなまけもので、

たいへんごうじょうでしたが、とても元気で、ひょうきんで、すばしこく、おまけに、

かわいい、ぬけめのない顔つきをしていましたから、だれでも、すきにならずには

いられませんでした。

 

子リスたちは、夕ごはんの後のおさらのかたづけとそうじをするのがきまりでしたが、

ゲルランゲはおさらをかたづけることは気もちよくしたけれど、

おそうじがすきではありませんでした。

ある日、どうしてもおそうじをおぼえたくなかったゲルランデは、ブナの木のいえを

出ていきます。「ぼく、ごはんなんかいらない。野宿したっていい。オオカミにたべられ

たっていい。でも、ぼく、おそうじはおぼえたくないんや」とへりくつをいいながら。

 

そうして、ゲルランゲはオオカミにたべられそうになったり、キツネやアナグマにあって

こわい目にあったり、フクロウにちえをもらったりしたあとで、

ようやくブナの木に帰ってきます

 

 

<ゲルランデがブナの木にもどってきた場面です>

子リスたちは、おとうとがかえってきたので、とてもうれしくなって、十ぴきみんなで

ゲルランゲのまわりをとびまわりました。

「わかっただろ、ゲルランゲ?」と、にいさんたちは、いいました。

「意地っぱりだと、こういうことになるんだよ」

「だけど、ぼくがどうなったっていうの?」ゲルランゲは、木の枝のはしっこで、

ぶらんぶらんしながらこたえました。

「オオカミは、ぼくをたべなかった。ぼく、ごはんにもありついたし、

野宿もしなかった。ぼく、ひとりぼっちでおどりもしなかったし、それにおそうじを

おぼえてもこなかったよ」

けれども、ゲルランゲは、しんは、気だてのよい子リスでしたし、

おばあさんをよろこばせたいともおもいましたので、この冒険のあと、ともかく、

おそうじをおぼえました。

        『おそうじを おぼえたがらない リスのゲルランゲ』

         J・ロッシュ=マゾン作/山口智子訳 福音館書店

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ゲルランゲがおそうじを覚えた理由は、

大人の言うとおりの恐ろしい体験をして懲りたからではありません。

また、次にも大人の言うことを聞かなかったために、

怖い目に合うのを恐れたからでもありません。

自分の考えは子どもっぽくて間違っていて、大人の言うことが正しいんだと悟った

からでも、自分の言動や性格について反省したからでもありません。

恐ろしい体験をして、言うことを聞かないゲルランゲが優等生のゲルランゲに変わった

わけでもありません。

 

それなら理由は何かというと、

ゲルランゲは、冒険と体験を通して、ゲルランゲという個性のまんま

成長したからなのでしょう。

 

強情っ張りのゲルランゲは強情っ張りの性格のまんま、

おそうじごときで意地を張らなくてもいいほど、

そして家族の深い愛情を理解するほど大人になったのでしょうし、

「おばあさんを喜ばせたい」という素直な感情が

ゲルランゲの心の変容の後押しをしたのでしょう。

 

そうしたゲルランゲの姿は、教室で見る子どもたちの姿と重なります。

子どもが本当の意味で成長するのは、その子の悪いところも含めて

しっかりとその子自身の個性で生きたあとだし、

それは待つことと見守ることを含めた愛情という土壌でだけ成り立つことなのです。

子どもの心は大人が与えたがる道徳教育とは別の筋道を通って

人としての資質を身につけていきますから。

 

息子は、ゲルランゲの童話を読んでから、面白そうに笑ってこんなことを言いました。

 

息子 「ゲルランゲは作家っていうすでに大人になっている人とは別の

ひとつの人格を持った子どもとして活躍しているね。

 

少し話が逸れるけど、

小説が作家の妄想であったとしても、キャラも妄想であっちゃいけない、

空想の世界で作家は主人公になっちゃいけない、って意見をどこかで読んだことが

あるんだ。人間って、100%自分がイメージできるものは、不思議と面白いと思わ

ないもんだよね。

 

物語のリアリティーは、作者がやりたいことをやるっていう願望充足とは別に

自動的に作りあげられていくところがあるよね。物語自体の持つ意志のようなものがさ。

それに添っているかどうかが、

子どもの心に忠実かどうかに対になっているように思うよ」

 

わたし  「物語自体が自動的に展開していくって話……同じようなことを、

ゲド戦記の作家のそんな言葉を目にしたことがあるわ。」

 

息子 「へぇ、そうなんだ。ぼくは、物語は、実験に近いような面があると思うんだ。

試してみてはじめて、何かを見つけたり、何かが生まれたり、次の展開につながったりするよう

な部分があるってことだけど。

 

お母さんが教室の子たちとティッシュ箱でする工作にしても、

一番初めに、自分の思いを完璧にイメージできてしまったら、

作る意味が半減するんじゃない?

なぜ作るのかといえば、そこにある実験的な要素のおかげで、

偶然、新しいものを発見することができるからだよね。

設計図を描くのにしても、

イメージしたものをわざわざ描く理由は、ただ頭の中にあるものを紙に写しだすため

だけじゃなくて、描くうちにイメージした時点では気づいていなかったものを発見する

からだし、描くうちに、自分の見え方そのものが変わっていくからじゃない?

 

子ども向けのアニメを作る上で、そうした偶発的に作る過程で起こることを

大事にしないで、最初に設定したテーマの中で、作り手の主張したいもののために

キャラクターたちを都合よく動かしてしまったら、

子どもの心から遠いものになるんじゃないかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲルランゲがおそうじを覚えた理由は、

大人の言うとおりの恐ろしい体験をして懲りたからではありません。

また、次にも大人の言うことを聞かなかったために怖い目に合うのを

恐れたからでもありません。

自分の考えは子どもっぽくて間違っていて、大人の言うことが正しいんだと悟ったからでも、

自分の言動や性格について反省したからでもありません。

恐ろしい体験をして、言うことを聞かないゲルランゲが優等生のゲルランゲに変わった

わけでもありません。

 

それなら理由は何かというと、

ゲルランゲは、冒険と体験を通して、ゲルランゲという個性のまんま

成長したからなのでしょう。

 

強情っ張りのゲルランゲは強情っ張りの性格のまんま、

おそうじごときで意地を張らなくてもいいほど、

そして家族の深い愛情を理解するほど大人になったのでしょうし、

 

「おばあさんを喜ばせたい」という素直な感情が

ゲルランゲの心の変容の後押しをしたのでしょう。

 

そうしたゲルランゲの姿は、教室で見る

子どもたちの姿と重なります。

子どもが本当の意味で成長するのは、その子の悪いところも含めて

しっかりとその子自身の個性で生きた後だし、

それは待つことと見守ることを含めた愛情という土壌でだけ

成り立つことなのです。

子どもの心は大人が与えたがる道徳教育とは別の筋道を通って

人としての資質を身につけていきますから。

 

息子は、ゲルランゲの童話を読んでから、面白そうに笑って

こんなことを言いました。

 

息子 「ゲルランゲは作家っていうすでに大人になっている人とは別の

ひとつの人格を持った子どもとして活躍しているね。

 

少し話が逸れるけど、

小説が作家の妄想であったとしても、キャラも妄想であっちゃいけない、

空想の世界で作家は主人公になっちゃいけない、って意見をどこかで読んだことがあるんだ。

人間って、100%自分がイメージできるものは、

不思議と面白いと思わないもんだよね。

 

物語のリアリティーは、作者がやりたいことをやるっていう願望充足とは別に

自動的に作りあげられていくところがあるよね。

物語自体の持つ意志のようなものがさ。

それに添っているかどうかが、子どもの心に忠実かどうかに対になっているように思うよ。」

 

わたし  「物語自体が自動的に展開していくって話……同じようなことを、

ゲド戦記の作家のそんな言葉を目にしたことがあるわ。」

 

息子 「へぇ、そうなんだ。ぼくは、物語は、実験に近いような面があると思うんだ。

試してみてはじめて、何かを見つけたり、何かが生まれたり、次の展開につながったりするような

部分があるってことだけど。

 

お母さんが教室の子たちとティッシュ箱でする工作にしても、

一番初めに、自分の思いを完璧にイメージできてしまったら、

作る意味が半減するんじゃない?

なぜ作るのかといえば、そこにある実験的な要素のおかげで、

偶然、新しいものを発見することができるからだよね。

設計図を描くのにしても、

イメージしたものをわざわざ描く理由は、ただ頭の中にあるものを

紙に写しだすためだけじゃなくて、

描くうちに

イメージした時点では気づいていなかったものを発見するからだし、

描くうちに、自分の見え方そのものが変わっていくからじゃない?

 

子ども向けのアニメを作る上で、そうした偶発的に作る過程で起こることを

大事にしないで、

最初に設定したテーマの中で、作り手の主張したいもののために

キャラクターたちを都合よく動かしてしまったら、

子どもの心から遠いものになるんじゃないかな?」

 


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 3

2014-08-10 10:25:14 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

虹色教室を始める前、

児童館や青少年向けの施設で、ボランティアで工作を教えていたことがあります。

児童館の工作教室には、開催日を心待ちにしてくれている幼児~小学校低学年くらいの

子が集まって、ビデオカメラ、洗濯機、恐竜、動物園、携帯ゲーム、お化粧セット、

お散歩わんちゃんなど多種多様な作品を生みだしていました。

椅子や大きな布、積み木を使って人形劇場や映画館ごっこをしながら、

作品で遊ぶ時間も盛況でした。

 

でも、開催日が地域の幼い子向けの行事と重なったり激しい雨が降ったりすると、

こちらは持ち切れないほどの工作素材を抱えていったのに、

子どもが一人も来ない……なんて日もありました。

寂しくはあるけれど、そういう日はそういう日しかできないことも可能です。

館内をうろついて、人数が多い日には誘いにくい子たちに、

「工作しない?工作するならおいで」と声をかけて

まわっていました。

 

児童館内には、いつも、物の破壊や他児への威嚇や大人に対する暴言が目立つ

小学校高学年くらいの男の子たちが一定数いました。

そうした子らに声をかけると、まず返ってくるのは、

憎まれ口や「死ね」「殺す」といった言葉です。

 

それでも何度も迎えに行ったり、

その子らが面白がりそうな飛ばし道具や携帯ゲームや縁日やゲームセンターに

あるようなものを見本に作って誘うと、

「だるい」「つまんねー」「しょーもない」「やりたくねー」と言いながら

こちらにちょっかいを出しにきて、乱暴な扱いでわたしが作ったもので遊んで、

しまいに、自分たちも工作に参加していました。

 

その時、毎回のように実感したのは、「死ね」とか「殺す」といった

大人も震え上がるような言葉を吐く子らに限って、しっかり関わって遊びはじめると、

大きな赤ちゃんのようにこちらにおぶさってきたり、

ベタベタと甘えてきたりするなーということです。

おぶさったりベタベタ甘えるといっても、高学年にもなる子ですから、

表向きはこちらへの嫌がらせの構えを取っています。

でも、本当の嫌がらせとは違って、甘えの屈折した表現であるのは

一目瞭然なのです。

 

やり過ぎを叱ったり、ぶつかりあったり、求められるものを作ってあげたり、

作るように誘うたびに「だるい」「むり」「疲れた」「くだらね」「うざい」と

言うのに、「だるい禁句。むりも禁句。疲れたも禁句。」とか、

「いいわ。言いたいことを全部、全部言ってみて。その代わり、これを作ってね」とか、

「だるいとむりと疲れたとくだらねとうざいと殺すと死ねって、すてきな日本語とは

言えないわね。

じゃあ、それ以外にすてきな日本語とは言えない言葉ってもっとある?」などと

ああ言えばこう言うで言い返していると、

しまいにちょこんと隣に座って工作をしていました。

そのうち、「漢字が書ける」とか、「カッター使ったことあるからできる」とか、

「アニメのキャラクターが描ける」など、できることをアピールするようになって、

「すごいね」「えっ、そんなことできるの?」と言葉を返すうちに、

毒のある言葉はずいぶん少なくなっていました。

 

次回に続きます。

 

 

 


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 2

2014-08-08 19:03:29 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

先日、息子と二人で夕食を外でとることになったので、

危険な行為を繰り返したり、残虐なものに興味を持つ子らへの対応について、

意見を求めました。

先入観のない客観的な意見が聞きたかったし、息子ならさほど古くない記憶として

小学生時代の自分の心や友だちの姿を振り返ることができるでしょうから。

 

息子「小学校の同級生にはそういう子がけっこういたな。

一概に決め付けられないけど、血を見るような危険なことをやってみようとしたり、

死ぬことに強い関心を示したりするのは、

普段の生活に現実感がないからじゃないかな?

 

現実味が乏しい暮らしをしていると、いろいろなものを破壊して、

現実の現実らしさを目の当たりにしたいって思うのかもしれないじゃん。

スリルを味わえることとか、自分の限界まで疲れ切るほど何かに打ち込む体験とか、

失いたくないという自分にとって大切なものなんかが、もっとあればいいのかな?

 

殺人や死にこだわるのって、生きている実感を求める気持ちの裏返しのように

思えるよ。周囲の人の態度や感情が本物かどうか壊れるまで傷つけて、

確かめたいって思いもあるんじゃないかな?」

 

わたし 「現実感の欠如?そういえば、そうかもしれない。

危険なちょっかいを繰り返す子や、グロテスクな趣味を自慢する子に接していると、

その子の心の中の世界も、その子をめぐる外の世界も、

中身のないラベルだけでできているように感じる時があるから。

 

好きな遊びや物をたずねても、

あぁ、これがこの子を毎日ワクワクさせているんだな、

これがこの子なんだな、生活の中にその子らしさがギューッと詰まっているように

感じるような答えが返ってくることはまずないの。

 

好きなもの?ない、わからん、しらん、と言うか、それほど関心がない様子で

アニメの名前を言う感じ。

高学年なら、青酸カリとか15禁映画とか17禁ゲーム、グロエロスプラッターなんて、

周囲をギョッとさせる目的でだけ返事をしているみたい。

 

社会性の発達が気になる子は、細かい感情の変化は相手のも自分のも

気づけないようなところがあるから、

気分を高揚させてくれる激しい刺激を求めることがよくあるの。

 

相手との距離感がつかめなかったり、相手が嫌がっているのに気づけないことも

あって、相手を不快にさせるような危険なおふざけもよくするわ。

 

でも、相手が嫌がるようなちょっかいが多い子も、

いずれこの子はこれを卒業していけるだろうって感じる子と、

大きくなるにつれて、周りの人の心をざわざわさせるような発言を面白がるように

なるんじゃないかと心配になる子とがいるのよ。

 

 お母さんの子どもについての相談や近況報告を聞いて、

先々、あまり心配のいらない子か心配な子か感じることがよくあるわ。

構ってもらいたさからくるお友だちへのちょっかいを目にしたお母さんが、

それをやめさせることだけを考えて終わるのでなくて、

実際に家でその子とおしゃべりしたり、ちょっかいを面白がる気持ちを創造力に

変換するような遊びで関わってあげたり、子どもの微妙な心の変化を見守っていたり

するのを聞くとこの子はきっと大丈夫と思うのよ。

 

でも、このまま放っておいてもいいでしょうか?という質問が、

もしわたしが大丈夫と答えたら、その子がお母さんから注目され、一緒に何かを楽しみ、

どんなことにどんな感情を抱いて生活しているのか、には無関心なまま、

ただ子どもに変わってほしい、期待にそってほしい、理想像に近づいて欲しいという

望みを突きつけるんじゃないかって感じる時、先のことが不安になる。

 

子どもの構ってもらいたいちょっかいは、

危険なものはきちんと叱らなきゃいけないわ。

でもそれだけじゃない。 

いろんな子が幼い頃からだんだん育っていく姿を見ていると、

ちょっかいの先に、構ってもらいたさが子どもと共に成長しようという

誰かの気持ちがある環境で満たされたか、

子どもが変じゃないか、外から悪い評価を受けないかチェックする行為だけが

続いていったかによって、子どもの未来は違っていくんじゃないかと感じるわ」。


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 1

2014-08-07 20:24:25 | 日々思うこと 雑感

「発達障害と診断されることはないけれど

社会性の発達にちょっと気になるところがあった」という子や

「発達障害と診断されたけれど

学習面や人との関わりにさほど問題が感じられない」という子が、

過度に危険な行為を繰り返すことがあるのを気にかけています。

 

本人は相手の興味を引きたくてふざけているのでしょうが、

相手の顔に物をぶつける真似をしてみたり、嫌がることをしつこくやり続けたり、

目打ちやカッターなど危険な道具を使っている子に、わざとちょっかいをかけてみたり、

高いところから物を落としたり、危険な場所で友だちを押すような行為です。

 

また高学年くらいになって、残虐な殺人シーンなどがたくさん出てくるゲームや、

グロテスクなものや殺人方法などへの興味を、周囲にしつこくアピールしたりする子の

存在も心に引っかかっています。

 

どちらにしても、そうした行為の動機は、

こちらに構ってもらいたい、相手をしてもらいたい、

甘えたいという気持ちであることは、子どもの姿から伝わってきます。

会話からわかる本人の心性は、見た目よりずっと幼いのです。

 

人との関わり方をほかに知らない子にとって、

嫌がらせをしたり、周囲を驚かせるような危険なおふざけにふけることは、

刺激を求める気持ちが満たされ、

不安感や緊張感をまぎらわすのに役立つことでもあるのでしょう。

 

そうした人との誤った関わり方を続けるうちに、

相手や自分を傷つけるような関係の作り方が習慣化したり、

衝動のまま振舞う行為がエスカレートしたりすることはよく見られるので、

親や周囲の人の対応はとても大切だと思っています。

 

といっても、親御さんから「どんなふうに対応したらいいでしょう?」と相談を

受けても、はっきりしたお返事ができないままになっています。

習慣化させたりエスカレートするのを防ぐための対応は、わたしの中でははっきり

しているし、実際に深く一人の子と関わる時間があれば、それなりの効果があるのは

実感しているけれど、

それを安易に言葉で伝えると、よりいっそう問題をこじらせるのではないかと

案じているのです。

ブログだと、誤解を避けながら多方面からの見方を伝えることができるので、

記事にさせていただくことにしました。

 

 

 


恐竜描いて6年目

2014-08-07 17:24:02 | 工作 ワークショップ

夏休みの日帰りレッスンの写真の整理がまだついていません。

近いうちに記事にしますね。

 

今日は、東京にお引っ越しした小4のAくんが、久しぶりに教室に来てくれました。

Aくんが教室に来たばかりの3歳の頃、寝ても覚めても、

「ヘンリー!ヘンリー!」で、レッスンは機関車トーマスに関わる遊びや

創作一色でした。

年中の頃、恐竜にはまって以来、ひたすら恐竜の絵を描き続けたので、

今では、見本も見ずに時代ごとの恐竜をスラスラ描けます。

恐竜がいた時代の世界地図も見本なしに描けるツワモノのAくん。

 

自由な活動時間に何をしたいか話し合ううちに、Aくんが図鑑を見ながら、

「地球の歴史の模型を作りたい」と言いました。

いらない発泡スチロールと木片を用意してあげると、

15分ほどで、これだけ大量の古生物や恐竜の絵を描いていました。

それにしても、太いポンキーペンシルを使って、

精密な絵を次々仕上げていくAくんに脱帽。

 

6年経っても恐竜に夢中のAくんですが、興味の幅はずいぶん広がって、

今では、「鉱物」「化石」「宇宙」「生物の生態」などに強い関心を抱いています。

 

「また同じことばかりやってる」なんて言わずに、Aくんの大好きを見守り続けた結果、

Aくんは好奇心旺盛で勉強が得意な子に育っています。

お友だちとの関係も良好です。

 

発泡スチロールは上の段を回転させて展示できるようにしました。

 

算数タイムの勉強も手際よくすませるAくん。

ブロックで答え合わせ中。黄色は透明のブロックの代わりです。

 

一緒に「パレオン」という恐竜のカードゲームや、

『STRATEGO』という対戦ゲームをしました。

 

一緒に教室に来た弟の年長のBくん。

毎日、大量の工作作品を作るので、「工作王子」と呼ばれているそうです。

弟くん、パレオンでは、すばらしい記憶力を発揮してくれました。


自由研究と夏のおでかけのアイデア集

2014-08-06 20:28:33 | その他

過去記事で自由研究と夏のおでかけに関連あるものをまとめました。

☆個性にあわせた自由研究のテーマ選び(小学生)




☆ 調べ学習にチャレンジ♪ と 「会話」の話
☆ 調べ学習にチャレンジ♪ と 「会話」の話 2


 夏の自由研究のアイデア  おでかけの後で

夏のおでかけアイデア


レゴ デュプロ ブロックの記事をまとめました 2

2014-08-06 17:29:35 | レゴ デュプロ ブロック

<小学生パワー>

小学4年生の●くん、○くんのレッスンでの出来事。

 

午前のレッスンで作った、年少さん★くんの作品(下の写真)を教室に残していたら、

●くんと○くんが「壊してもいい?」と聞いてきました。

「もう少しの間、残しておいてあげようよ。可哀想だから。

どうしても壊したいんだったら、この基本の形は残しておいて、改良するのなら

いいんじゃない?」と言うと、「じゃ、迷路作ろう!」という流れになりました。

 

●くんも○くんも、このところ、デュプロで立体迷路を作るのに

はまっているのです。

 

ブロック好きの●くんの指揮のもと、

ふたりとも猛烈な勢いで迷路の範囲を広げていきましたが、

1ステージ1ステージ、途中で通れなくなっているところや、

いい加減な作りのところはないのです。

わたしも「鳩サブレーステージ」というシーン(鳩サブレーの空き箱の上の迷路)を

任されて、迷路作りを手伝っていたのですが、

「ちゃんと迷路になっていない」と没になり、●くんが1から作りなおしていました。

 

 

 

4年生になったことだし……と、算数タイムにかなりの分量の課題を出したのですが、

迷路の続きをやりたい二人は、あっという間に仕上げていました。

 

小学生って、本当にありあまるほどのパワーを持ってますね。

 

デュプロブロックでクレーンを上げ降ろしするコーナーを作るには?

 

完成するまでの試行錯誤

 

デュプロで、コインを入れるとお菓子が出てくる自動販売機を作りました 1

デュプロで、コインを入れるとお菓子が出てくる自動販売機を作りました 2

 

ブロック講座 1日目  (ブロック講座、その後で)

ブロック講座 2日目  (基本を自分で発展させていく方法いろいろ)

ブロック講座 3日目 (乗り物好きくん、ピタゴラスイッチ大好きさん のブロックで動きを作りだす遊び)

ブロック講座 4日目 (ブロック遊びと性格タイプ)

ブロック講座 5日目(「ゴム」の性質に夢中になる。「高さ」で遊ぶ)

ブロック講座 6日目(ブロック遊びで考えること、想像することが好きになる 1)

               2

ブロック講座 7日目(子どもがよく考えるようになる関わり方のポイント 1)

               2

               3

ブロック講座 8日目 (子どもの興味に合わせて、基本を発展させたり、応用させたり。)

ブロック講座9日目(それぞれの子の発達段階に合わせた発展のさせ方1)

               2

ブロック講座 10日目 (それぞれの子にとって魅力を感じるレベルの難しさ 1)

 

幼稚園児、小学生 の部 (子どもたちに自分の作りたいものを作ってもらう講座です)

              

ブロック講座 11日目 (平面を組み合わせて立体を作る)

ブロック講座 11日目 午後(洞窟、牢屋、火山、ジャングル、むかでさそりロボット、すてきなお家)

 

ブロック講座 12日目 (ブロック遊びと見る力、聞く力、想像する力、考える力 1)

              2

              

ブロック講座 13日目 (忍者屋敷、クリスマスのキラキラお家、ビー玉コースター ジャングルと滝 1)

           2

ブロック講座 14日目 (将来は歴女?地理女?さんたちの作品。那智の滝と青岸渡寺の三重塔)

ブロック講座 14日目 午後(車が入る時にスライドして上がる扉がある船、ロケット、動物の森と飛行機)

ブロック講座15日目(螺旋を滑り降りるコースが作りたい!ぼくの駅、飛行機のお仕事)

ブロック講座16日目(九九を具現化した九九タワー、合体メカ、屋根のあるお家、遊園地)

ブロック講座     (ほんの一瞬の間に崩壊した九九タワー)

ブロック講座 17日目(鉄道博物館、お寺、魚釣り場)

ブロック講座 17日目午後 (リサイクルで作った豪邸、ノアの箱舟風飛行機、ドリンクバーのある駅)

ブロック講座 18日目 (ロボット大集合、戦闘機、モノレール、へび年にちなんだロボット)

ブロック講座 19日目午前、午後(からくりの基本を応用させること

ブロック講座20日目(海上のピラミッド、モン・サン・ミッシェル、水族館、ハムスターおせち?すてきなお家2種)

ブロック講座20日目午後(乗り物いっぱいの街作り、ハムスター敷き詰め大流行)

ブロック講座 21日目午前午後  (東京スカイツリー、エレベーター、宝石でできた家、動物ランド、宝石探し)

ブロック講座22日目午前 午後 (お城の縄張り図、冒険迷路、冒険ステージ、戦闘機)

ブロック講座 最終日 (ピラミッドへ続く道、いちごの宝箱、お家、誕生ケーキ、ストーンヘイジ)


レゴ デュプロ ブロックの記事をまとめました

2014-08-06 15:41:02 | レゴ デュプロ ブロック
<ブロックで大きな数を数える方法>
 
年長さんの子どもたちと、
ブロックでたくさんの数をすばやく数える方法を考えました。
 
高いブロックのタワーを数えるには?
 
Yくんが、10個のブロックの塊を作る方法を考えました。
その10の塊をタワーに当てては、指で先端を押さえ、そこを底にして、
ブロックの塊を当ててと……繰り返して、
5回当てたとき、ひとつ分、塊の方が先に出ました。
 
「49!」。Yくん、即答です。
やっぱり自分で思いついたアイデアだと理解が早いですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<デュプロブロックで、2~4歳用のすごろくを作りました>

幼い子にちょうど合うすごろくは、探してもなかなかありません。

そこで デュプロブロックを使って すごろくを作ってみました♪

さいころを振って 出た目の数だけ進みます。

子どものレベルに合ったサイズで作ってくださいね。

すごろくのルールをしっかりマスターした子とは、とまったマスの

ブロックの高さの数だけブロックをもらえるようにし、

ゴールに着いたときのブロックの数で勝ち負けを決めると、

足し算の学習になります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

他のリンク先ものぞいてみてくださいね。

 

デュプロブロックで小学校受験問題

機関車トーマスの操車場を作りました

デュプロブロックでテレビを作りました

デュプロブロックで自動販売機を作りました。

デュプロブロックで幼児用パズルを作りました。

デュプロブロックでガチャポンをつくりました