虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

リアルな現実の不自由さから学ぶこと と 重要なことと重要でないこと

2016-02-11 09:53:51 | 日々思うこと 雑感

地域の子どもたちの凧作り教室の講師役を任されているうちのダンナさん。

毎回のことながら、親の手出し口出しの多さに閉口している模様です。

 

和凧作りの要はバランスを考えて、左右対称に作るということ。

 

自発的にちゃっちゃと作る子たちは、

夢中になると講師の話を聞いていなかったり、寸法の一部を間違えたりすることはあっても、

「左右対称」という重要な点をきちんと押さえているので、

ちゃんと空に揚がる凧ができるそうです。

 

それが、子どもが一生懸命やっている最中も、横から親御さんが、

「ちゃんと話を聞きなさい」「こうしなさい」「ああしなさい」

と口出しばかりしている場合、繰り返し、

「一番重要なのは左右対称に作ることです!」と言い続けているのに、

「右に何センチで‥‥‥」といった新しい情報を耳にすると、

重要なものごとと重要でないものごとをごちゃごちゃにしてしまって、

きちんと揚がらない凧になってしまうそうです。

 

それを聞いて、虹色教室でも「あるある~」と感じてしまいました。

親御さんの手出し口出しが多いと、

子どもは「わかってない」のに「成功してしまう」のです。

 

失敗経験がないから、失敗につながる急所に気づけないし、

失敗しないように気をつけようとする責任感も育たないのです。

 

失敗しないことには、何のためにそれをしているのか、理由に気づけません。

「飾り」と「骨組み」の違いがわからなくなってしまうのです。

 

リアルな現実から学ぶものって、とても大きいです。

科学クラブの3年生たちが、空気砲を作る過程の写真をダンナに見せると、

「イメージの世界で、こうしようと考えるのは簡単だけど、

リアルな現実でそれを実行するのは難しいからな~。

自分でこういうことをしてみようって段階的に考えて

やっていけるとは、しっかりしている子らだな」と感心していました。

 

科学クラブの子らが褒められて思わずうれしくなって、

「勉強で何でも測りたいわけじゃないけどね。

この子たちの思いつきの工作や実験にいっぱい付き合ううちに、いつの間にか、

かなりの長文の複雑な算数の問題も解けるようになっているのよ。

工作や実験の後で算数タイムを設けているからよくわかるんだけど、

自発的に物作りをしながら考えるってことは思考する力や推測する力と

リンクしているって、子どもたちの成長を見ていてしみじみ感じるわ」

と言いました。

 

それから、写真を見せながらこんな話もしました。

 

「ピタゴラスイッチの本に、想像の自由と現実の不自由って言葉があったけど、

たかが空気砲を作って遊ぶだけのことでも、想像の世界でこうしようと思うのと、

実際やってみるのは大違いなのよ。それこそ不自由の連続。

 

科学クラブの子らにしても、最初に空気砲の中にお香の煙を溜めて、

煙の輪っか爆弾を作り出したいと思ったまではいいけど、作ってやってみると、

思うような輪ができないから、暗くしないといけないって電気を消すんだけど、

それも思うような結果にならなくてね。

それで、箱の中身をマジックで黒くしたいって言うんだけど、

実際やってみると、こんなのやってられない、絵の具じゃないと時間がかかりすぎる‥‥‥

ということになるのよ。

それで絵の具で塗ってみたら、今度は乾かすのにドライヤー使わないとベトベトで。

 

お香の煙って上へ上へ行くから、ペットボトルを逆さにしておくと

簡単に煙が溜められると思ったらしいんだけど、

落ちてくる煙に火の粉が混じっている場合があってけっこう危険なのよ。

粘土か何かに立ててやらないと、危ないの。

受けにしていたプラスチックの容器なんて熱で溶けていたのよ。」

 

ダンナからは「最初から黒い色画用紙とか準備して、大人の指示通りにやらせていけば、

合理的だし楽だけど、面白くないし、子どもが自分で考えないからな」と

しみじみ言っていました。

 

「そうよ。それに、そうやってリアルな現実の不自由にぶつからないと、

何が重要で何が重要でないかわからないでしょ」と答えました。

 

想像の自由と現実の不自由については、こんな記事を書いたこともあります。

 

『想像の自由と現実の不自由』ピタゴラ装置の話 1

 想像の自由と現実の不自由』ピタゴラ装置の話2


遊びが失われることで、自主性、創造性、問題解決能力、学ぶ喜び、率先力が弱くなる

2016-02-10 12:46:30 | 日々思うこと 雑感

いつも読ませていただいている『マイコー雑記』というブログの

「『遊び』こそが創造力の土台」と元精神科医、入学審査競争が熾烈化する中で

という記事に共感しました。簡単に紹介させていただきますが、興味のある方はぜひ

リンク先に飛んで記事をご覧になってくださいね。

 

記事では、12年間、スタンフォード大学で「遊び」についての研究を講義し、リーダーシッププログラムを率いてきた

元精神科医のBrown Stuart氏と「Caltech's Jet Propulsion Laboratory (JPL)」

のマネージャーの言葉が取り上げられていました。

Brown Stuart氏によると、学生たちは、多忙でハイプレッシャーで

ハイパフォーマンスな暮らしに慣れ、アカデミックな優秀さや成功を

追う中で、慢性的な遊びのはく奪状態にあるように見えるそうです。

その結果、自主性の減退や率先力や自発的な喜びの弱さが感じられるという話でした。

また、JPLのマネージャーは、遊びの質の変化が、

問題解決能力や創造力の欠如とつながっていると捉えています。

就職面接で「遊びの背景」をたずねるようになったところ、作業能力が改善したそうです。


この話題を目にした時、とても共感したので近くにいた息子に声をかけて

目を通してもらいました。

すると息子は、「確かにその通りだと思うし、いい話だけど……。」と言葉を濁らせて、

考え込んでいました。

慎重な性格なので、たとえ賛成でも、こういう煮え切らない返事をしてから、自分の思うところを口に

するのは毎度のことなのですが、「だけど……。」の先にある心に引っかかっているものの

正体が気になって、しばらくの間、息子と話し込むことになりました。

 

息子にすると、こうした話題と自分の考えは重なる部分が多し、こうした話題が取り上げられて

多くの人の目に触れることを歓迎する一方で、

実際に、情報を得る側が、どのように受け止めて扱っているか

普段から気になっていることがあるようでした。

 

息子 「記事に書かれていることは、その通りだと思うし、共感するよ。

今、子どもの世界でまで遊びが軽視されているのは悲しいし、

ぼく自身、何かを創っていく上でも、大学の勉強をしていく上でも、

遊び心の大事さを肌で感じてもいる。

でも、こうした情報が、○○は大事、○○は重要と広まっていくのに、

受け手の側が、○○ってどういうものなのか、その内容について探究しないのが

今の風潮みたいになっているのが気になってさ。

『遊び』って言葉も、それさえあれば万事解決してくれる魔法のアイテムや

試してガッテンって番組のネタのひとつみたいになってしまうんじゃないかって。

遊びってどういうものなのか中身について深く考えないまま、

遊びが大事なら遊ばせようって考える人は、きっと、次に

学力を維持するために塾が大事って言葉を目にしたら、

遊びのことなんてすっかり忘れて、塾探しに奔走するだろうから。」

 

わたし 「このブログ(マイコ雑記)を書いてる方は、そうした大事と思うものの

中身の部分、内容についてていねいに考え続けておられるわ」

 

息子 「それはわかるよ。お母さんにしても、ブログで、

宣伝文句のように使われて、大事か大事じゃないかだけ話題にされがちなことの

中身について、書き続けているってこともね」

 

息子を含め、中身や背景のない宣伝文句やパッケージとしての言葉が溢れる時代に

成長していく子らは、情報や言葉とのつきあい方について、親世代より、

敏感だったり鈍感だったりするのかも……と思いました。

 


工作で本当に水の出る水道つきのシンクを作るアイデア

2016-02-10 09:29:00 | 工作 ワークショップ

 

ポンプ式のハンドソープの空き容器などを使うと

本当に水が出てくるシンクを作ることができます。

 

作り方は、空き箱にポンプとプラスチック容器を入れる穴をあけてセットし、

防水用に布テープを貼るだけです。

プラスチック容器の代わりにいらないアルミのお弁当箱を使うと

さらにシンクらしくなります。

 

このアイデア、娘が幼い頃、赤ちゃん向け雑誌の工作コンテストで

(空き箱ではなく木の板を使ってていねいに作ったのですが……)

賞をいただいた思い出深いものです。

空き箱で作ってあげる場合、5分もあればできるものですが、

庭やベランダでするままごと遊びで重宝します。


ダメ出しではなく、正しい方法を見せる

2016-02-10 08:55:30 | 幼児教育の基本

4歳までの子は、大人のようにさまざまな体験を積んでいませんし、

身体や感情が自分の思うようにコントロールできるわけではありません。

 

あたり前のことを言っているようですが、

この当たり前の事実を大人が把握していないために、子どもが何かするたびに、

きちんと「使い方」や「方法」を教えるのではなくて、

子どもの心に「罪悪感」を植えつけて、

先々の困った心の癖の原因を作ってしまう場合がよくあります。

 

例えば、子どもがはさみを使いだしたとたん、

「そんな持ち方はダメダメ。ゆがんでるって。」

「そこじゃないでしょ」「それは切らないの」「こっちはしないの?」

と、常に、ダメ出しのオンパレードになっているものの、

「正しいきちんとした切り方」

「どんなものは切っていいのかのルール」などを、

正確に子どもに見えるようにしめすことはほとんどしないという方が多いのです。

「ダメ!」とダメ出ししようにも、

ダメのもとになる「正しさ」がしめされていないし、

子どもがそれをしっかり理解していないので、

子どもの心に残るのは、「ダメなことをする自分」という罪悪感でしかないのです。

4歳くらいの子の行動は、自由にさせる部分は自由にし、

「ダメ」という場面では、まず、「ちゃんと見てちょうだいね」

と言って、「正しい形」を見せることが大事です。

また失敗すれば、「ダメ」ではなくて、もう一度、「ちゃんと見てね」と

「正しい」ものを見せるのです。

子どもは何かを集中しているときに、ダメ出しすると、

「ダメ」という言葉の表すものの方向に気が取られて、

正しい方法が受け入れにくくなります。

すねてそんなふうになるのでなくて、同時にふたつのことに集中するのが

難しいのです。

 

相手がしぶりそうな内容に「うん」と言わせるのが上手なセールスマンは、

最初にその内容とは全然別件で、お互いの意見が一致する話から

話をはじめるのだそうです。

大人だって、そう簡単に気持ちが切り替わるわけじゃありませんから

いい気分で、「うん」と返事していた相手には、少しどうかな~?という内容に

話がおよんでも、「OK]を出してしまいがちなのです。

子どもの場合、もっと単純です。

最初良ければすべて良し、出だしが悪ければ、何を言っても無駄と

なりがちです。子どもが言うことを聞かない癖がついている場合、

お母さんが無意識にいつも「ダメ出しから入って、優しい説得へ」

という逆の流れを作っているケースをよく見かけます。

危なっかしい方法で、えんぴつ削りを使っているとすれば、

「そんなまわし方はダメ、危ないでしょ。反対にまわしてる」といった

注意の仕方をするのでなくて、

「静かに見ていてちょうだいね。えんぴつを刺しているときに、

えんぴつけずりのお耳を引っ張って、前へいくようにこうして。

えんぴつは少し力を入れて中に入るようにね。

ここで、手をはさむから危ないの。ここに手を置くと痛いのよ。気をつけて。

それから、前から向こうへ、ピョーンと跳ぶようにハンドルをくるくる

まわしてね。そう~」ときちんと説明し、

正しい方法を集中して聞く姿勢を育てます。

ダメ出しではなく、「正しい方法」に集中させると、子どもの気持ちは

正しいことを身につけようとする意欲的な態度で、物に集中します。

繰り返しになりますが、最初の話に戻って、

4歳までの子は、大人のようにさまざまな体験を積んでいませんし、

身体や感情が自分の思うようにコントロールできるわけではありません。

それで、きちんと教えていないのに「そんな持ち方は~」といった

ダメ出しから入ると、「学ぶ、教わる」といった気持ちに切り替わらせる

のが難しく、走り出した「ダメダメ言わないで~」という負の感情に

絡み取られているので、覚えがとても悪くなるのです。

ですから、ダメなことを教えるにしても、正しい方法から気持ちよく教えて、

本人が「私はこんなお姉さん(お兄さん)のお仕事もできる。

怖いことがおきないようにお母さんの話をちゃんと聞いておこう」と、

自分の有能感を刺激されて、

いつもよりお姉さんモード(お兄さんモード)になっているときに、

最後に注意点やどこがどうダメなのか、きちっと納得させておくと、

真剣な態度でうなずくのです。

といっても、この時期は手足がコントロールできないのですから、

頭でわかってもできなくて当たり前。

大人にしても、足の指で字を書けと言われたら、コツを教わったって、

きちんとはできませんよね。

子どもがやりたがることは、何度も気長に教えてくことが大事です。


子どもの成長に合わせて働きかけを変えていくことについて

2016-02-09 08:52:33 | 日々思うこと 雑感
今朝、「わからない問題を解決する方法を創りだす」という
過去記事をアップしたのですが、その記事の☆ちゃんの成長ぶりは、
最終的に、子どもが問題にぶつかった時、自分で考え、判断し、
解決していけるように少しずつ手を抜いていく大切さを感じさせてくれるものでした。
関連記事をもうひとつアップしておきます。
子どもは常に成長していきます。
ある時期、子どもにとって必要だった働きかけも、
子どもの成長に応じて、変化させていかなくてはなりません。

どんな場合 変えた方がいいのかというと、親子でひとつのパターンが
定着して、子どもがそれに依存しはじめた時です。

たとえば、子どもが問題を解くたびに「お母さん、あってる?」とたずねて、
自分では答えがあっているかどうか見直す素振りがないとします。
たいていの場合 親御さんは 子どもが間違いを直して、
正しい答えを覚えることに気持がいっています。
ですから「あってるわよ」とか「そこちがうわよ」といったコメントを
返して終わってしまいます。

でも、注意が必要なのは、そうした質問をする子は、
『解いた問題をチェックするのはお母さん』というパターンに
慣れてしまって、自分のしていることを少し高い視点から眺めて、
解いた答えがあっているかどうか確かめようとする、
「メタ認知」の働きが弱くなっているのです。

そんな場合は、まず、答えが正しいかどうか確かめる方法を、
ポイント、ポイントに注意して、ていねいに教えてから、
「解き終わったら、お母さんあってる?ってたずねる前に、
こうやって自分であってるかな?って確かめるのよ」と説明して、
少しずつ少しずつ親側が手を抜いていくようにした方がいいです。

写真は「見本どおり積めるかな?」という積み木の問題。
「1階、2階、屋根 OK!」とひとつひとつ指差しして確認すると
答えが正しいかどうか自分でも確かめられますね。

課題にチャレンジしている場合以外でも、
親子でできてしまった同じパターンの繰り返しが
子どもの成長の邪魔をしているケースがよくあります。

たとえば、「これ何?」「これ何?」としじゅう子どもにテストをするような
声かけをしていたり、「これは赤よ」「これは『あ』って読むのよ」などと
何かを教える声かけばかりしている親御さんの子どもで、
会話をする能力にかなりの遅れが見られることがあるのです。


会話というのは、決められた質問にワンパターンの答えを返していくだけでは
育ちにくいのです。
子どもが自発的にあれこれ話すのに、大人がちょうどいいフィードバックを
返してあげていると、上達していきます。

悪いパターンは、大人の視点が子どもの「できる」「できない」にだけ
向けられていることです。
子どもに働きかけるときに、子どもを見ることに夢中になるのではなくて、
自分自身の言動と、子どもと自分の間で交わされている言葉や、
気持ちのキャッチボールの内容に気を配るようにすると、
子どもはできなかったことを次々自分で乗り越えていきます。

わからない問題を解決する方法を自分で創り出す

2016-02-09 08:49:21 | 算数

小6の☆ちゃん。中学入試を控えているので、

虹色教室では受験問題にチャレンジしています。

先日、入試問題と格闘していた☆ちゃんが、唐突に、

「先生!段ボールと棒のようなものもらえませんか?

それから棒をさす台みたいなものもあるといいんですが」と言うので、

何に使いたいのかたずねると、算数の設問のひとつがイメージしにくいので

実際動かせる見本を作って考えてみたいということでした。

 

厚紙と楊枝と発泡スチロールを手渡すと、

ちゃっちゃと写真のようなものを作って考えていました。

 

問題やサイズの違う円形のプレートを何回動かすと

見本のような図になるのか、といった問題です。

 

数年前まで、考えようともせずに「わからない~わからない~」を連発するのが

☆ちゃんの癖だったのですが、

受験勉強をはじめたあたりから、考えるという作業自体に楽しみを見出すようになって

わたしに解き方をたずねることもなく自分で考えて、自分で答えを導きだしています。

模試の点数もとても良好のようです。

今回は、わからない問題にぶつかった時ですら

自分で何とかするにはどうすればいいだろう、と考えて、

操作できる道具を作って考えていたことにとても驚きました。

 

↑☆ちゃん手作りの問題に年下の子らも興味しんしんでチャレンジしています。

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そういえば、下の写真は☆ちゃんが1年生~の時のものなのですが、

当時の☆ちゃんが教室にみんなのための

頭脳パズルや知育おもちゃといった

教材作りをお手伝いすることが大好きだったことを思い出しました。

 
 
 
 
 
 
 

個性的な資質を伸ばすのに大切な3歳児

2016-02-08 15:26:58 | 日々思うこと 雑感
個性的なその子その子の資質を伸ばしていく上で、
とても大事だな~と感じているのは、3歳の時期です。

1,2歳から親子レッスンで、
子どものお世話をさせていただいている場合、
親御さんの考えと私の考えに微妙なずれが生じやすいのも、
この時期でもあります。

3歳の子というのは、
2歳のころの「大人の言うことや環境からの刺激を
吸い取り紙のように何でも吸収する姿」がまだ残っている上に、

「本人の意志でやりはじめること」は、
折り紙でしたら、ぐちゃぐちゃっとして、
名前をつける程度の
大人からすれば目を引かない……見栄えのよくない行動が多いのです。

3歳の子に、英語を習わせたり、音楽を習わせたりすると、
家に帰ってから習った英語を真似てみたり、
楽器を弾いたり、本人も楽しそうだし、
親御さんも次はどんなことをさせてみようかとわくわくするようです。
また、幼児用のプリントを与えると、喜んで何枚もしたりして、
このまま学習習慣をつけてあげたいとも思うようです。

こんな風に3歳になったとき、
さまざまなことに積極的に集中してチャレンジできるのは、
2歳の時期に、目と手を協応させて、
遊びにじっくり関われるように育んできた結果でもありますから、
「いろいろやれる」のだから、
無理強いはせずに「いろいろさせてみる」のは
何の問題もないように見えるかもしれません。

私にしても、「これはまだ教えるのは早い」とか思うものはなく、
「いろいろさせてみる」こと自体には何の問題も感じていません。

それなのに、親御さんと私の間に考え方の「ずれ」が生じるのは
なぜかというと、
親御さんが3歳の時に感動してあれもこれも伸ばしたいと
注目しているポイントが、植物でいうと子葉の部分……
つまり、3歳までの子の特有の長所に注目していることが多く、

私は、3歳ごろから芽を出し始めたばかりの
植物でいうと本葉の部分を見ていて、
まだ目立たない個性的な資質のあらわれを、守って、磨きをかけ、
大事に育んでいきたいと考えていて、
そこで、どちらに重点をおくかで、
何度か話し合いになることがあるのです。

もちろん、どちらも大事にしていくことはできますし、
私もそれを目指しています。
気をつけなくてはならないのは、3歳という時期は、
「あまり重要でないもの」が立派に見えて、
「その子にとって重要なもの」は、生まれたばかりで目立たない
ということなのです。

この「重要でない」「重要」の差は、
写し絵と、本物の絵のちがいのようなものです。
まだ上手に絵が描けない子に、写し絵ばかりさせて褒めていれば、
何だか立派なものができたというパフォーマンスにはなっても、
絵を描く能力を衰えさせていくのは目に見えていますよね。

これは写し絵をさせてはダメだということでは、ありません。
写し絵をして伸びるかもしれない、手先の巧緻性を無意味だと
言っているわけでもないのです。

「重要でない」ことをさせて良いかどうかの問題ではなく、

「重要」なことは、他の何に気持ちが奪われていても
無視してはいけないということなのです。

私の場合、子どもと接しているときは
私の強みのひとつである成長促進という資質がうずうずして……

今、伸びようとしているその子の個人的な可能性にのみ
惹きつけられているので、
親御さん自身が興味を持っている「子どもにやらせたいもの」が、
子どもについての会話の大部分を占めている場合、
こちらまで息苦しくなってしまうのです。
子どもが何に興味を抱いていて、何が伸びそうか、を
見つけることには、長けているものの、
それ以外のことはうまくお返事できないのです。
 
3歳の時期、子どもの遊びは、
だんだん「意味」と「目的」を持ったものに変化しはじめます。
遊んでいるうちに、
「こうしたいな」「ああしたいな」と思いがふくらんだり、
前にうまくいった方法を発展させて何かしようとしたりします。

写真では、3歳の★くんが、ビー球が転がる先に鉄琴を置いてみて、
音を楽しんでいます。
その前に、鉄琴の上にいろんな物を落としてみて、
音を面白がっていたのです。
それで、ビー球を転がしている時に、それを思い出して、
「転がったボールが鉄琴に当たるとどうなるだろう?」と
考えたようなのです。

3歳の時期には、

どんなことがやりたいか見つける
(自分がやったら楽しいものがわかっている)

「こんなことがしたい」という思いを持つ

遊びながら工夫して、「さらにこうしたい」
「こんなこともためしたい」と思いがふくらんでいく

前の経験を思い出し、今の遊びに活用する

ということができはじめます。

2歳の頃なら、ただ絵を描くだけだったのが、
いろいろな経験の幅を広げてあげると、
絵を描いたあとで、「飾ってほしい」と言ったり、
「切手を貼ってポストに入れよう」と言ったりします。

他の人のアイデアと、自分のアイデアとに、
ものすごく大きな興味の違いをしめすときでもあります。
他の人がすることよりも、自分がすることは、
「すごくてすばらしくて大満足!」という時期でもあります。

面白いなと思うのは、
3歳児の描いた何だかよくわからないプリキュアの絵を
3歳の子たちに見せると、大人の描いた上手な絵よりも感心して、
「じょうず~」「りぼんじょうず~」と絶賛したりすることです。
この時期の子は、「自分でできそうだ」ということに
心が揺さぶられるようです。
 

3歳の時期、
親御さんの考えと「ずれ」が生じる時があります~と書いたのは、
ちょうどこの頃から、
「難しいことはさせていないので、楽しくやらせているので、
~~をさせても大丈夫ですよね?」と
たずねられることが増えるからです。
 
内容は、
ピアノや文字のワークや英語やリトミック、体操などです。

どの内容なら良いのか、どれくらいするのなら良いのか、
さまざまな意見があるので、迷うそうです。

私が、う~ん、と返事に悩んでしまうのは、
子どもって、1歳でも、2歳でも、3歳でも、
「楽」なことなんてしないで、
自分の能力の限界まで力を出しきっていろんなことをしているな、
と感じているからです。
1歳児は懸命に歩こうとするし、2歳児は手を使う仕事に一生懸命です。

3歳児はというと、記憶したことを取り出したり、
自分で選んだり、決定したり、目的を定めたり、
自分の気持ちを言葉にしたり、
経験したことをごっこ遊びのなかで再現してみたりと、
自分の頭を使うことになら何でも真剣そのものです。

そのどれもが、録音、録画機能のある機械にも、計算機にも、
ロボットにもできないことばかりです。

そうした3歳児が「自分の頭を使いたい」と思っていることに
理解のある親御さんたちは、できるだけ子どもの言葉に耳を傾けて
周囲よりのんびりと生活しています。

子どもが上手にしたら、
「上手に自分で達成できた事実」を、教えてあげています。

失敗したら、子どもが自分で気づくように見守っています。
あれこれすることを指示するのでなくて、
子どもがやりたい、達成したいと思う内容を
自分で見つけて
探求していくのを支援しています。
のんびりペースで、5歳、6歳を迎えると、想像力豊かで、
思考力が高く、手先も器用で、意欲的な子に成長しています。
また個性的なその子しかない才能は、
その頃にはもう輝きだしています。

前の話題にもどって、
私が何をう~んと悩むのかと言えば、
3歳の子は、まだ自分の頭で考えることを始めたばかりですから、

しょっちゅう、考えるのを中断されたり、自分で選んだり、
決めたりできない場所でいろいろ指示されて真似することを繰り返したり、

自分の考えを実行に移すよりも
大人の求めるものを真似した方が褒められる体験をしていると、
「考えること」自体をやめてしまうからなのです。

集団でリトミックや英語などを体験するのが悪いわけではないのです。
大人の価値を置くものが外に向いていて、
お家でも、移動中も、お外でも、
あまりにも幼児の「頭で考える」時間が奪われている場合、
問題なのです。

脳の基本の操作がきちんと実行できるように、
この時期の子にはこの時期の子の
やっておかなければならない大切な仕事がたくさんありますよね。

見たり聞いたりしたことを、
遊びの中で再現しなおして、
記憶したことを、きちんとアウトプットできるようにしたり、
手で何か作ることで、
イメージしたものをアウトプットすることもそのひとつですね。
 
知的な課題が好きな子に育つお母さんの態度 嫌いな子に育つお母さんの態度


小学生と話していると、
「マンガを読むのもめんどくさい」
「ゲームをするのもめんどくさい」という子がけっこういます。
遊ぶのもめんどくさいし、
何をしようかと考えるのもめんどくさいそうです。
以前、児童館でボランティアをしていたとき、
児童館の館長先生が、
「多くの子どもが、おもちゃで遊ばず、おもちゃを壊す、
崩す、蹴ることばかりするのは、どうしたものか……」と
嘆いていたことがあります。

子どもたちの姿を見ていると、
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、
それが持続できるかがわからない様子でした。

子どもは、3歳くらいから、ひたすらそれを探求しはじめます。

どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるか
は、探求すればするほど、
遊べば遊ぶほど、豊かになり、洗練されていき、
自分の個性的な潜在能力と結びつきます。

人は自分が最も得意としていて、伸びる可能性のあることに
本気で取り組んでいるとき、一番楽しい気持ちになるし、
いつまでもそれをしていたいと思うからです。

幼児は、全身全霊をかけて自分の潜在能力探しをし続けている
と言っても良いくらいです。

大人がそれを手助けしようと思うなら、次のようなことが大切です。

★ まだ上手に言葉にできない部分を助けつつ、
よく話やアイデアを聞いてあげること

★ 問題にぶつかったとき、自分で切り抜けられるように見守り、
適度に手をかすこと

★ 子どもの興味をより広い世界につなげてあげること

★ 大人が「ここは干渉しない方がいい」というタイミングを知り、
我慢できること

★ 子どもが必要なもの(紙や描く道具やはさみや
ブロックやシンプルなおもちゃなど)と、
前回の経験が生かせるような忙しくない生活リズムが
確保されていること
 

デュプロブロックでクレーンで荷物を上げ下ろしするコーナーを作るには?

2016-02-08 14:49:37 | レゴ デュプロ ブロック

年中さんたちのレッスンで。

デュプロブロックで、「貨物列車を作ったよ」と言ってきた★くん。

「クレーンで荷物を上げ下ろしするコーナーを作る?」とたずねると、

大喜びでうなずきました。

 

クレーンの作り方です。

左右に動かすために、一か所の突起でとめます。

 

写真のようにブロックをはめます。

 

上の写真のように組んで、磁石をつけたひもを取りつけます。

 

輪ゴムに磁石を貼ったものを作り、ブロックの荷物に取り付けます。

 

★くんとわたしがクレーンを作っている間、

☆くんがその様子を真剣に眺めていました。

そこで、「☆くんもクレーンを作る?」とたずねると、

暗い表情をして首を横に振りました。

「だって、そんなの家にないもん」と、★くんが貨物列車用に使っている

かごの形のパーツを指さしました。

このパーツがないなら、クレーンの作り方を覚えて帰っても

家に帰って遊べないと思ったようです。

 

「それなら、貨物列車のパーツも作ってみる?それをお家に持って帰ったら、

クレーンといっしょに遊べるでしょう?お家に車の部分はあるの?」と言うと、

☆くんは、「車はある。貨物列車とクレーンを作るよ」と言いました。

 

貨物列車のパーツは、食品の空き容器に輪ゴムを貼って作りました。

1分もかからずにできました。

☆くんはとても満足した様子です。真剣にクレーンの作り方を学んでいました。

 


性格は遺伝? と 飽きっぽい子、我慢が苦手な子に根気をつける方法(ベビーにも)

2016-02-08 09:49:45 | 子どもの個性と学習タイプ

精神科医の水島広子氏は、『10代の子をもつ親が知っておきたいこと』

という著書の中で、遺伝の影響を受ける因子と、環境的な因子の関係について

次のように述べておられます。

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「自分はねばり強くないほうだから、ねばり強さが要求されることは避けておこう、

コツコツやらねばならないときは特別な工夫をしよう」

などと考えられるのは、自尊心の高さを示しています。

自分をよく知り、肯定的にとらえると、このような建設的な考え方ができるのです。

また、すべての人が性格について科学的な知識を持っているわけではありませんから、

時には「君はどうしてそんなに我慢が足りないんだ」

「君はどうして新しいものに関心を示さないんだ」などと責められることがあるでしょう。

その際に、それは自分には変えられないものなのだということがわかっていれば、

自分を責めて自尊心を低下させることもなくなるでしょう。

変えられないのは自分の性格だけではありません。相手の性格も同様です。

他人の不完全なところを受け入れやすくなるので、

協調性を高めることができるでしょう。

(略)

世の中にはまったく同じ性格の人はいません。

いろいろな人がいて、いろいろな出会いがあって、その中でお互いに学びあっている、

というふうに考えれば、精神性も高まるでしょう。

      (『10代の子をもつ親が知っておきたいこと』p28より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大人は子どもに対して、

「どの子もねばり強くなければならない」

「どの子も慎重にミスのない行動を取れなければならない」

「どの子も人に共感的で優しくなければならない」といった理想を押し付けがちです。

そして、欠点や弱点はできるだけ幼いうちに、

しつけて克服させなければならないと考えることがよくあります。

大人たちを見てみれば、誰もが、ねばり強くてミスをしない性格ではないし、

どの社会人も共感的で優しい性格でもありませんよね。

もちろん、欠点は見てみぬふりをしたほうがいい、弱点は克服しなくてもいい、

というわけではないのです。

ただ、生まれ持った遺伝的な気質は、

直そうと思ってすぐに直せるものではないし、

それぞれ高くても弱くても良い部分があるものです。

叱ったり責めたりして直そうとすれば、「自分はダメだ」「努力しても無駄だ」と

感じるようになります。

 

幼稚園や学校での集団の場では、「心配性」の子は、集団に溶け込みにくく、

活動に積極的でなかったり、泣いたり、ぐずぐずしたりする困った面が目立ちます。

それで、親御さんは、社交的で活発な子とわが子を比べて、がっかりするかもしれません。

でも、心配性は直さなくてはならない悪い気質ではなくて、

自尊心を育てながらその子らしさを大切にすれば、

慎重できちんとしたミスの少ない人となって、

周囲の人々から信頼を得るようになるはずなのです。

また、学校の宿題をさせようとしたり、習い事の課題に取り組むときには、

「ねばり強く」ない子は、厳しくしつけていかなければならないよう思えるかも

しれません。

でも「ねばり強く」ないことは、必ずしも悪いわけではなく、

ものごとにこだわらず柔軟性があってさっぱりしているという周囲の人々から愛される

性格のもと、とも言えるのです。

ですから、生まれ持った気質は、それぞれ良いものとして大切にしながら、

生活をしたり勉強したりする上で困ったことにぶつかったら、

自分の持っている条件の中で最善をつくせるよう工夫していくと

いいのではないでしょうか?

たとえば、大量に出る計算の宿題を嫌がって、いつもぐずぐずする子がいるとします。

その子の「ねばり強さ」が低いとすれば、

「帰宅するなり、自分から進んで一気に最後までやりきってしまう」ことを

期待しても難しいはずです。

「いつになったら、さっさと宿題をすませるようになるのかしら」と毎日ため息を

つくのも無駄なことです。

期待するとすれば、「ちょっと嫌々でも、寝るまでには何とか宿題をすましている」

くらいでも、褒めてていいのかもしれません。

そういう子は、目新しいことや自分が考えたことには乗り気で取り組みますから、

「めんどくさい宿題を、どうやったら楽しいものにできるのか」アイデアを出しあっては、

試してみるのもいいかもしれません。

ひとつ飛ばしで計算するとか、めんどくさい苦手な計算を先にするとか、

後回しにするとか、10問解くごとにスタンプ帳にはんこを押していくとか

さまざまな方法があるでしょう。

そうして自分が得意なことや長所を使えば、苦手なことは何とか乗り越えられる‥‥‥

それほど嫌ではなかった‥‥‥という体験がたくさん必要なのではないでしょうか。

 

「『ねばり強さ』が低いことは遺伝の影響を受ける因子だから、変えることは難しい」

という話を書きました。

変えることが難しい気質を、叱ったり責めたりするのは無意味ですが、

ねばり強くない子はない子なりの、根気との付き合い方が必要だと思っています。

というのも、現在は、飽きっぽくて我慢が苦手な子が、さらに飽きっぽく、

さらに我慢が苦手になるような物があふれかえっているからです。

 

テレビゲームや携帯ゲームやテレビは、自分から働きかけなくても、

次々、目新しい刺激を与えてくれます。

遊園地もショッピングモールも、飽きるという気持ちを味わう間もなく、

楽しい刺激に満ちています。

 

話がちょっと脱線しますが……うちのダンナは、もうかれこれ10年あまり、

校庭キャンプやジュニアリーダーの養成のボランティアなどをしているのですが、

年を追うごとに、子ども向けのイベントに対する周囲の大人たち(親御さんやスタッフな

ど)の捉え方が変わってきていて、困惑しているようです。

子どもたちが自分たちでテントをたてたり、自分たちで料理をしたり、

子ども同士で相談させて自主性や社会性や思考力を育むことが従来の主旨だったのに、

「準備は大人がしてあげて、子どもたちには楽しんでもらったらいいのでは?」

「料理は危ないから親がしてあげたらいいのでは?」

「塾があるので、お友だちと相談する時間には出られません。」

「もっとこうしたら、楽しいし、楽になるのでは?」

といった意見がたくさん出るようになって、イベント当日に、勝手に手出し口出しを

する人も増えて、自主性や社会性を育むという主旨は忘れ去られて、

単なるお祭りと化してきているそうです。

本当なら、ちょっとめんどくさくてブツクサ言う場面があってもいいはずなのです。

クレームのでない楽で楽しいだけの世界を作り出そうなど思わず、

「ちょっとしんどいけど、面白さがそのしんどさを忘れさせてくれる」

「友だちといっしょだから、いやだったこともがんばって我慢できた」くらいの体験こそ、

子どもの心身を鍛えてくれるはずだからです。

 

先日いただいたコメントでは、学校の授業も、子どもの自主性や社会性や思考力を

育むことより、授業がよりスムーズに脱線しないで進行し、子どもたちが考えたり

悩んだりしないで楽に参加できることを優先しているような内容だったそうです。

 

コチラです↓

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娘が小学一年生になり、授業参観がありました。

「じぶんのかおをかきましょう!」というテーマの授業でしたが、

配られた画用紙には卵形の顔の輪郭が描いてありました。

「まず、色を塗ります。肌色を横に持って~わたぬりと言います。

次に白をわたぬりします」と先生のする通りに生徒は描きます。

先生が見て、色が濃すぎた子は先生が勝手にテッシュでふきとります。

「次に目を描くよ~隣の人の目を見て~こんな風に描いて~」と先生は

黒板に写実的な目を描いてみせます。

私は思わず「隣の子の目を見て描くなら自分の顔じゃないじゃん!」

と心の中でつっこみをいれましたが(笑)子供は素直ですね~

誰も文句を言わず先生の言うとおりに描いて絵は出来上がりました。

みんな同じような特徴のない顔です。

私は「はあ~!」と疲れて、「何?この授業!」と怒りがこみ上げてきました。

一年生の授業って昔からこんなものなんですかね?

自分の時の記憶がないのでわからないのですが。

こんなつまらない、それこそ苦行のような事をもくもくと五時間目まで

続けられると勉強嫌いになってしまわないか心配です。

算数のプリントも絵の中の動物を数えるだけの問題なのに先生が黒板に

書いた通りに写さないとダメらしいです(涙)

休み時間に折り紙をして良いのですが、一日2枚しか使ったらダメらしいです(涙)

今の小学校は何なのでしょうか?

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こうした子どもをめぐる環境の変化のダメージを特に受けやすいのが、

もともと「ねばり強さ」が低い子どもです。

飽きっぽかったり、我慢が苦手でも、友だちと駆け回って遊ぶ時間がたっぷりあれば、

体や心が鍛えられて、少しずつ我慢ができるようになるでしょうし、お手伝いをしたり、

物作りをしたりする時間があれば、飽きずにがんばれることも増えることでしょう。

でも、それが難しい昨今です。

使う道具も、使い方など練習しなくても、「スイッチ オン」で動く便利なものばかり。

そうした便利で刺激的で楽で楽しい環境の中で、

我慢が苦手な子たちにとって我慢を強いられる場面といったら、

「お勉強をするときだけ」となってしまいます。

「ねばり強さ」が低く飽きっぽい子というのは、好奇心が強くて目新しいものに

強く惹きつけられる子が多く、次々新しい刺激を求めるので、

頭の回転が速い子も多いです。

ですから、本当なら、決してお勉強が嫌いなわけではないのです。

でも、便利で楽チンな世界で、唯一、勉強だけが自分に嫌な我慢を強いてくるとなると、

そうした子たちの頭の中では、

「お勉強」=「我慢すること、苦痛」とイコールで結ばれてしまいがちなのです。

それこそ、ほんの一瞬でも考え込まなきゃいけないものは、

「いやいやいやいやいや!」とオーバーなほど毛嫌いして、

いつもいつも楽しくて楽な時間だけ求めようとする習慣が身についている子もいます。

それで私は、そうしたタイプの子たちには、お手伝いや工作といった地味な活動の中で、

できるだけ飽きずに作業をやり遂げる力を養うようにしています。

 

多くの親御さんは、我慢が苦手な子たちに宿題をさせるのが

あまりに大変なものですから、「やりなさい、やりなさい」と叱って勉強させて、

勉強の時間に苦痛を味合わせて、その埋め合わせをするように

残りの時間をゲームやテレビで埋めてしまいがちです。

でも、それだと、どんどん勉強が悪者になるばかりです。親御さんの心に、

「遊びにエネルギーを使ってもしょうがない。少しでも勉強に力を入れて!」と

いう気持ちがあると、なおのこと、勉強が悪者になりがちです。

しっかり何かに関わって、集中力を継続する体験を遊びや工作やお手伝いの場で

させていけば、「ねばり強さ」が低い気質は変わらなくても、

勉強だけを極端に拒絶することはなくなってきます。

自分の手を使って何かをして達成した体験がいろいろあると、勉強でもそれを生かして、

勉強の面白い面に気づいたり、工夫したりしながら

やるべきことはこなすようになってきます。

 

うちの子たちも、「ねばり強さ」が低い子で、息子は大のテレビゲーム好きでしたから、

これはキケン!と……昭和の時代のような生活の不便さや地味な活動を

わざわざ取り入れて、大切にするようにしていました。

「買えばすむものも、作ってみる。便利な道具があっても、

あえて手間のかかる道具を使う。遠出も自転車で行く。

友だちと遊ぶ時間をたっぷり取る。たくさん失敗して自分で考えさせるため、

やりたがることは何でもやらせて、細かく干渉しない。好きなことはとことんやらせる」

といったことです。うちの家族はみな、我慢強さからほど遠い気質なのですが、

そうした生活のおかげで、それぞれが自分のやろうと決めたことを

途中で諦めたり、放り出したりせずに、ずっと続けていける力がついていると思います。

 

次のような質問をいただきました。

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昭和の時代のような生活の不便さや地味な活動をわざわざ取り入れて、

大切にするようにしていました。便利さになれないように生活したいと思っています。

体重計もデジタルを使っていたのですが、デジタルだとただ数字を読んでいるだけ

なので、ダメだなと思い、デジタルではない体重計を使うことにしました。

最初は何キロか読めず、「前の体重計がいい」とぶうぶう言っていましたが、

数ヶ月で読めるようになり、

「後1kgで20kgやぁ」とか妹やパパとの体重の違いもわかるようになりました。

先生のされていた不便な生活を、もう少し具体的に紹介していただきたいです。
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私自身が我慢が苦手な性質なので、自分に無理をさせるような「生活の不便さ」ではなくて、

「ちょっと面倒だけど、まぁ、いいか……」レベルの選択をたくさんするといったものです。

まず、子どもたちが幼かった頃の工夫から書きますね。

たとえば、子どもが幼かった頃でしたら、買い物してきた食品を袋から取り出すとき、

子どもが手伝いたがることがよくありました。

子どもって、包んである袋を自分で開けるとか、

新しいマヨネーズの銀色の蓋部分を自分で剥がすとか、

しょうゆを移し変えるのとか、やりたがりますよね。

ちょっと目新しくて、失敗しそうな危なっかしいものが好きなものです。

それで、大惨事にはならないようにだけ工夫して子どもにやらせるんですが、

たいていこぼすか、ひっくり返すかするし、上手に出来てもけっこう面倒。

でも、とにかくやらせて、こぼせば、拭くものを取ってきて

子どもといっしょに拭いて、今度はそのぞうきんを絞らせてあげました。

大人がやれば、1分もかからないものに、

ぐだぐだと無駄な時間と労力を使うのですが、

幼くたって自分がこぼしたならそれなりの責任感が芽生えますから、

いっしょうけんめい後始末を手伝いました。

子どもは「いいとこ取り」のお手伝いが大好きです。

マヨネーズをやさいの上に絞るとか、氷をトングでつかんで入れるとか、

卵を箸でかき混ぜるとか、こしょうをパッパと振りかけるとか……。

そういう子どもが好みそうなものは、サッと私がしてしまわずに、

子どもを呼んでやらせてあげて、「○ちゃんが、こしょうをかけてくれるから、

いつも助かるわ。」とか「○くんがこないと卵をかきまぜる人がいなくて大変だったわ、

あーよかった」などと言って、ひと仕事をしてもらいました。

 

ちょっと暖かくなってくると、子どもは水遊びをしたがります。

うちは一軒家なので玄関なら水がこぼれてもさほど問題はないので、

洗面器に水を汲んでハンカチを洗わせてあげました。

小さい石鹸でごしごしこすったり、絞ったり、干したり……

何十分でもきりがないくらいしています。

飽きれば、近所に子どもと野の草を取りに行って、ままごとがしやすいように

整えてあげました。途中で子どもの友だちにあったら、

ついでに連れ帰って(親御さんの承諾済みです)いっしょに遊ばせていました。

すると、木のナイフで切ったり、すりこぎですりつぶしたりして、

いくらでも機嫌よく遊んでくれます。

基本は、あまり予定を入れず、ゆっくりペースの生活です。

のんびりした気楽な生活をしながら、ちょっとめんどくさいなと思うことを、

子どものためのビッグイベントにして、とにかく作業に熱中させていました。

洗濯物を取り入れたら、その中から子どもの靴下と洋服数着を選り分けて

かごに入れて、「お仕事、お仕事。この中に靴下があるんだけど、

探さなきゃいけないのよ。見つけられる?」とたずねて、

やりたがったら、靴下探しをさせておいて、私は他の洗濯物をたたみました。

息子が1,2歳の頃、引き出しを開けては、ポイポイ中身を取り出して

散らかしていました。

開けてほしくない引きだしはストッパーで開けられないようにして、

その代わり、息子の背の届く位置の引き出しのいくつかに、わざと散らかすための

もの(空き箱など片づけやすく、出すとき心地よいもの)を詰めておいて、

ぜんぶ散らかし終えるまで見守って、それから、いっしょに片付けました。

空き箱のひとつに息子の好きなミニカーなどを入れておく工夫もしました。

かなり地味なイベント……たとえば、「お外にカラスを探しに行こう」とか、

「きれいな宝物の石を見つけよう」とか、「今日はスーパーのレジでおつりを

受け取ってね」とか、「橋の上から見た景色が夜はどんなだか見に行こう」とか、

そのくらいのことをメインにしてお出かけをして、

子どもの要望をよく聞いて、「あっちの公園にも石があるか探してみたい」とか、

「お札を渡したときのおつりももらいたい」とかいう願いを実現するために

わざわざ少し手をかけてあげるようにしました。

その代わり、その他はゆるゆる育児で、楽をしました。

 

「今日は、夜になったら、月が出るかな? お母さんに見つけられるかなぁ?」

といった悩み相談も、子どもにしておくと、

子どもは真剣に、暗くなると窓の外を見上げて、「お母さん、月、出てたよ。

出てる、出てる。○ちゃん、見つけてあげたよ。よかったねぇ」とうれしそうに

報告してくれていました。


ハンディーキャップのある子たちと 『ピッケのつくるえほん』で創作活動や学習をする時のポイント

2016-02-07 19:30:34 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉っ子や知的な面でゆっくり成長している子らと

『ピッケのつくるえほん』を通して関わる時のアイデアを紹介します。

 

幼い子やハンディーキャップのある子たちが

最初の覚えて面白がるのが、画面上の小物を押さえて、そのまま指でスライドさせる

「ドラック」という動作です。

子どもたちは、

上のパレットにある絵をどんどんどんどん画面にスライドさせていったり、

画面に置いたものを外にスライドさせて捨てていくことを繰り返す時があります。

無駄な遊びのように見えますが、「ドラック」という操作に慣れて、

扱うのが上手になるので、たっぷりやらせてあげています。

 

そうやって画面にいくつも人形を置いていくと、上の写真のように

重なった妙な絵になってしまいます。

そんな時に、「うしろにかくれているのだあれ?」という

文字を打ち込むと、面白いクイズ絵本になります。

 

そんな風にいたずら半分にしていた行為が意味のあるものに変わると、

「手であれこれ触って遊ぶ」ことから、「誰かに見てもらいたい作品作り」へ

気持ちが移っていくことがあります。

 

どんどんどんどん絵を出して重ねていく動作を楽しんだ後で、

画面の左下あたりにある「鍵のボタン」の扱いを教えてあげるのもいいです。

 

このボタンを押して鍵を開けると、手で触った絵が前面に出てきます。

「かさねじゅんをかえる」というハンディーのある子たちには

難しい操作ですが、

鍵を開けたりはずしたりして、絵を前にしたり後ろにしたりする遊びを

いっしょにしていると覚えてしまいます。

 

遊びの幅が狭く会話やコミュニケーションが困難なAくん。

自分の思いを言葉にして伝えることが上手にできないので、

自己表現のツールのひとつとして『ピッケのつくるえほん』と親しんでもらいたいと

考えていました。

 

Aくんはプラレールが大好きです。

『ピッケのつくるえほん』の汽車の絵を見つけると、

それをドラックして画面に置きました。

汽車をドラックすると、上の写真の右にある絵が現れて、

それを押すと汽車が別の絵柄に変わります。

Aくんは、連結させる後ろの車両に変えて、最初の汽車の後ろにつけました。

 

3台目の汽車も他の絵に変えて……。

 

Aくんは、作るのに何手順もかかる連結した汽車作りが

とても気に入ったようでした。

何度も作りなおして、連結させる部分をすべて同じ色にしたり、

どれも異なる色にしたりしていました。

 

 

Aくんの物事と関わりは、最初はある一部分だけ、ワンシーンだけを

しつこいほど繰り返すことから始まります。

お気に入りの『しんかんくん うちにくる』の絵本も、

しんかんくんが電車の上に乗って、「こらこらだめだろう」と叱られるシーンと

しんかんくんが街中に出て、道路標識を踏んずけてしまったシーンばかり

うんざりするくらい見たがっていました。

『ピッケのつくるえほん』でバス停の標識を見つけて、

「しんかんくん、踏んだねぇ」と大喜びのAくん。

 

イラストをドラックさせると、拡大縮小ボタンといっしょに

それを回転させるボタンがでてきます。

標識をドラックさせた後で、回転させてしんかんくんに踏まれた場面を

再現するのを楽しみました。

 

こんなふうに、自分でストーリーを考えるのが難しい子とは

お気に入りの絵本の一シーンを再現するのもいいです。

 

 

ドラックすることが楽しい時、「これは仲間か仲間じゃないか、関係があるものか

関係がないものかといったおしゃべりを楽しめます。

言葉で伝えるのが困難な子も

画面に絵を置きまがらだと比較的話しやすいのです。

「気球と飛行機と月は仲間。

みんな空にあるから」とのこと。

 

「りんごとぶどうとばななといちごはくだものの仲間。カスタネットは楽器の仲間」

 

「かにが3びきいました」

 

(一匹のかにの上に家をドラックさせて……)

「お家に帰ってしまったかにがいるよ。何匹、お家にかには

帰ったのかな?」

 

答えあわせ。

 

小学生の知的なゆっくりさんの女の子は、

『ピッケのつくるえほん』に打ち込みながら

学習すると、それまでなかなか覚えることができなかった概念も

理解できるようになりました。

 

 

自閉っ子が繰り返すひとりごとを

ピッケのつくるえほんで文字にしていくと、読むことと書く(文字を打つ)ことに

興味を持つきっかけになります。

 

Aくんは他者の誘いに乗って何かするのが苦手な上、

新しいことにチャレンジすることに尻込みする子です。

いっしょにこの日のレッスンの時間割りを作った時は、

「絵本を読んでもらう」や「工作」の後に「ピッケのつくるえほん」を入れて

いたのですが、いざその時間になって、お友だちのBちゃんが

『ピッケのつくるえほん』で遊んでいるのを見ると、

そわそわと落ち着きなく歩きまわっていました。

わたしが、「Aくん、時間割見てよ。3番目はピッケのつくるえほんって

書いているよ。」と呼ぶと、それを無視するように、

電車のおもちゃのドアに指を入れて、

「いたたたた~!電車にはさまっちゃったよー」と繰り返していました。

 

そこで、Aくんのひとりごとを何に何がどうしたのかわかるよう書きなおして、

声を出しながら、

「いたいいたい!でんしゃのドアにゆびがはさまっちゃった」

と書こうとすると、

Aくんが寄ってきて、画面を覗きこみました。

そして、「でんしゃの……」の部分から自分で文字を探して打ち始めました。

キャラクターの手の痛い部分に赤い丸をつける作業にも積極的でした。

 

いったん興味を抱いて作業に慣れてくると、機械の操作を

すぐに覚えてしまう自閉っ子はよくいます。

いっしょにレッスンしていた5歳の自閉症のBちゃんも

このアプリで絵本を作るのは2回目ですが、自分で家具を設置して

人形を椅子に座らせたり、テーブルに食べ物を乗せたりしていました。

Aくんがお友だちの真似をすることはめったにないのですが、

今回はテーブルに食べ物置いたり、キャラクターにおにぎりを食べさせたりと

積極的にBちゃんの模倣をする姿がありました。

 

 

AくんとBちゃんが気に入っていた操作です。

キャラクターをドラックして、表情のパーツから大きな口を開けているものを選びます。

 

きのこのアイコンをクリックしてから

りんごのアイコンをクリックし、

出てきた食べ物のパレットから好きなものを選んでドラックして

開いた口のところに持っていく……という作業。

言葉で書くとややこしいけれど、

 

 

Aちゃんはこの一連の操作をひとりで全部した後で、

偶然開けた表紙の画面もこんな風に作っていました。

 

 

 

食べているシーンでは手の位置を気にしていなかったBちゃんですが、

「(キャラクターを)椅子に座らせて!」と言う時は

手や足を動かしたがりました。

キャラクターを長押しすると身体のパーツが動くことは理解したようですが、

うまく扱うのは難しかったようです。

 

Aくん、Bちゃんとこんな画面を作りながらついでに数の学習もしました。

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<おまけ>

『10才までに覚えておきたい ちょっと難しい1000のことば』アーバン出版局

を参考に教室のみんなで作っています♪

どういう意味かたずねると、「あきあきする」は「秋みたいになること」といった

トンデモな答えが返ってくることがしばしば……。

子どもたちが言葉の意味を間違えたものを整理していってます。

こうした活動をしていると、子どもたちの言葉に対する感受性が高まっていくのを

感じます。

 

『10才までに覚えていきたい ちょっと難しい1000のことば』をリレー方式で

子どもたちに作ってもらうようになって以来、

家でも「これはどういう意味?」という質問したり、「この言葉は……」と説明したり

する姿が増えたそうです。