虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

算数が得意?苦手?の分かれ目 3 <記号にしたり、もどしたり>

2016-04-25 14:48:26 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

数なり式なりを記号に置きかえたとたん、

まったく頭が働かなくなってしまう子がいます。

 

読書量が多く語彙が豊富で、

言葉から言葉への言いかえは軽々とやってのける子のなかにもそうした子はいます。

たいてい、自称「算数苦手」さん。


記号に置きかえる作業は、こんな風にたとえられます。

 

ピンクのマジックオレンジのマジック緑のマジックがあります。

 

ピンクのマジックオレンジのマジック」をいったん箱に入れて、

とラベルを貼っておく」ことにするとしますよね。


緑のマジックというのは

ピンクのマジックオレンジのマジック緑のマジック

ということでもありますよね。


こんな風に、あるものをいったん記号に置き換えておいたり、

また元の姿に戻したりすることは、記号だけで見ていると

何のことやらちんぷんかんぷんでも、こうして具体物で操作してみると

イメージしやすくなりますね。

 

先日も、知的なハンディーキャップを持っているため、

ようやく小2の学習を終えたばかりの中1の★ちゃんの学習を見ていた時、

こんなことがありました。

先に、箱とマジックを用意して、↑の写真の「A+みどり=ピンク+オレンジ+みどり」

になる遊びをしてから、

箱の中に3と5と書いた紙を入れてから、Aのラベルを貼り、

外の7と書いた紙を置いて、

 

A=3+5

B=7+A

Bはいくつでしょう?

という問いを出しました。

すると、マジックの遊びで要領を得ていた★ちゃんは正解しました。


そこで、

A=3+5

B=7+3×A

Bはいくつでしょう?

という問いを加え、足し算よりかけ算を先に計算するヒントを与えたところ、

こちらも正解しました。

★ちゃんがこうした記号の扱いをすぐにマスターできると思っていなかったので、

ちょっと驚いた出来事でした。


おそらく★ちゃんに

A=3+5

B=7+Aなんて見知らぬ記号が書いてある

という問題を先に見せていたら、「わからない」という気持ちで凝り固まって、

後からどんなに見本を見せて説明しても理解できなかったのではないでしょうか。


★ちゃんがすんなり解き方をマスターする姿を見て、

算数の苦手感は、記号に対する先入観や

記号を使ってできることに関するイメージの乏しさにも一因があるように感じました。

 

また、ボードゲームやカードゲームの世界では

さまざまな形で、記号や情報が交換されていくので、

こうしたゲームに興じる子たちが自然と算数が得意になっていくのも納得できました。


見えないものが見えるように 触れられるように  

2016-04-25 07:20:45 | 日々思うこと 雑感

お正月、何よりうれしいのは家族と時間を気にせずしゃべれることです。

おせちとお雑煮をいただいた後で息子とだらだらと話し込むうちに、

頭の中のごちゃごちゃが片付いて、

昨年中、自分の中でくすぶり続けていたものの正体と

今年、生活の中心に据えたいことが鮮明に見えてきました。

 

会話のきっかけは、息子の

「今じゃパソコンがどんどんブラックボックス化しつつあって、

すごいことができていても、いったいどんな原理で実現しているんだろうって

興味を持つ人は少ないよね。

日常のあたり前の道具になり過ぎて、不思議を不思議と感じるのも難しい。

 前に見たレイン(lain)ってアニメができた頃(1998年)は、

実際にパソコンで実現できていること自体はたいしたことがないし、

たいて内部構造のシンプルさを理解している人がパソコンを使っていたんだろうけど、

パソコンに対して道具以上のイメージを重ねていた人が多かったんだろうな」

という言葉。

 

わたし 「道具以上のイメージを重ねるって、どんなふうに?」

 

息子 「未知の自然現象のように捉えていたんじゃないかな。拡張していくことで

どんなものでもできそうな無限の可能性を見ていたというか。

ライフゲームのように、空間や時間が不連続だったらどんな世界が形成されるか、

なんて哲学的な問いをパソコン上で確かめようとするなんて、

PCを便利な道具として捉えていたら出てこないイメージだと思うよ。

人工生命とか人工知能の研究とか。

SFでもコンピューターに不可能はないってほど奇想天外な世界が描かれていてさ」

 

わたし 「今は、いろいろ研究しつくされて、ある程度、

パソコンでできることの限界が見えてきたってこと?

それともお金にならない研究を続けるのは難しいのかな?」

 

息子 「お金の問題はもちろんあるんだろうけど、

限界が見えてきたわけじゃないと思うよ。ただ、機能が複雑で高度になるほど、

用途が限定されて、応用がききにくくなるし、夢が広がらないんじゃないかな。

高機能なものは、その特殊性のせいで全体像が見えにくいじゃん。

使い方の制限も増える。

使う分には、機能が高くていろんなことができた方がいいに決まっているんだろうけど、

それから別の可能性をイメージしていくことや自分の考えを組み込んでいくのは

もっともっと単純な機能の方が向いているんだと思う。

たとえば、2、3行のプログラムなら、どこか書き変えたら新しい何かが生まれるん

じゃないかと子どもでもいろいろやってみるだろうし、そこから何が正しく

何が間違っているか、何ができて、どうしたら元通りになおせるのか学び取れるよね。

でも、それが1000行とか2000行といったプログラムだったら、

ブラックボックス相手の使用者の立場なら、高度なことができていいわけだけど、

多少いじっただけでもまともに動かなくなる。

そこから自分でイメージしたり考えたりできる可能性は限られるよ」

わたし「河合隼雄先生が、最近読み返している『日本人とアイデンティティ』 の中で、

新しい発想や創造性は、既存のシステムと相いれない。

既存のシステムに固執する限り、新しい発想も創造性も悪の烙印をおされて

しまいがち……といったことを書いておられたんだけど……。

★(息子)が言う機能の高さが想像の可能性を狭める原因って、

高機能になるとどうしても機能が上がる過程で、

付け加えられるシステムに固執してしまうからってこと?」

 

 息子 「そうとも言えるけど、ぼくがさっき言いたかったのは

パッケージ化されることからくる制限と言った方が近いかな。

たとえば、ねじが一つあるとすると、実際に使えるかどうかはそのサイズや

質に左右されても、その形状からイメージできる使い道は多岐に渡るよね。

家具とか建築物とか乗り物とか、目に見えないほどのサイズにして使うことも

考えられるはず。あくまでもイメージだけど。

でも、テレビのリモコンに使われているねじは、同じねじでも、

その用途以外のものを想像しにくいよ。

 

そんなふうにパッケージ化されることで、型にはまった見方しかできなくなることって、

教育の世界でもあるんじゃないかな。

お母さんの教室でも、すぐに、それやったことあるからいい、

それ知ってるからやりたくない、っていう子がいるじゃん。

そういう子が体験済みだって主張する体験は、おそらくパッケージ化された体験に

含まれているものなんだと思うよ。

だって、本当に自分の頭と身体で体験したことを再体験するなら、

繰り返しの中で感動や理解が深まったり、

工夫して新しい価値を見つけだしたりするものだから。

でも、体験の中には、さっき言ったテレビのリモコンのねじみたいに、

パッケージの一部から切り離してイメージできないようなものがあるんじゃないかな」

 


スーパーボールすくい と 算数学習

2016-04-24 20:40:44 | 算数

今、教室ではスーパーボールすくいが流行中。

すくい網の作り方はこれまで金魚すくいの網を真似た工作見本を

いろいろ作ってきたのですが、

手間をかけて作っても、網にしているティッシュが破れるし、

破れないタイプの網は、すくうのが簡単すぎてつまらないという難点がありました。

そこで、トイレットペーパーの芯を切ったものにストローを貼ったシンプルな

道具を考えてみると、これが子どもたちに大ヒットでした。

自分ですぐに作れるし、すくう際に適度な難易度があります。

また、本物のすくい網同様、水につける時間が長いと、

すくえなくなるのです。

折目に水がしみこむからです。

 

 100均の養生テープで貼っています。

 

↑すくったところです。

 

すくい終えた子たちと、

「何gくらいだと思う?」と予想してから重さを調べています。

 

↑ 300gもすくった子も。だいたいひとつのコップに何g分入っているでしょう?

 

1年生のAちゃんがすくったスーパーボールの重さは100gでした。

スーパーボール1つの重さを量ると5gでした。

 

小学1、2年生の女の子たちに、「スーパーボールは5グラムだったね。

Aちゃんは何個のスーパーボールを取ったのかな?」とたずねて、

みんなの手の平を広げて、1つ(5グラム)、2つ(5グラム)……と数えていくと、

みんな真剣な顔でいくつなのか考えていました。

小1のBちゃんが、「20個?」とたずねました。

「正解!」

まだピンときていない子たちのために、

⑤⑤ ⑤⑤ ⑤⑤と紙に書いていくと、どの子もよく意味がのみ込めたようで、

「あ~」「20こだ」と口ぐちに言っていました。


年長さんたちのパソコン作り

2016-04-23 20:58:43 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

新年長の子たちのパソコン作り。お家のパソコンはアップルとのこと。

 

パソコンの画面に何を描くのかと思いきや、数字のパズルらしきものを描いていました。

 

「パソコン画面を立たせたい」というAちゃん。

ひもを利用して、折りたためて、開くと画面が立つようにしました。

マウスも上手に工夫しています。

 

こちらはBちゃんのパソコン。画面にはかるたのゲームの絵が。

 

いっしょにレッスンしていたCちゃんもパソコンを作ったのですが、

途中で粘土のねずみやたまごっちを作っていたので写真を撮りそびれました。

 

手を動かしながら子どもたちとおしゃべり。

「今日ね。うちのお兄ちゃんは大学の合宿に行ったんだよ」と言うと、

「合宿ってなあに?」とBちゃん。

「学校の近くに泊れるところがあって、そこでみんなとごはんを食べたり、

勉強をしたりして泊るのよ」と説明すると、

Bちゃんが、あ~それなら知ってる知ってるという訳知り顔で、

「あ~それっ、お泊り保育って言うのよね」と言いました。

それから、Aちゃん、Cちゃんに向かって、

「そういうのね、お、と、ま、り、ほ、い、く、って言うのよ」

とていねいに解説していました。

 


算数が得意?苦手?の分かれ目 2 <全体に対してどれくらい?>

2016-04-23 07:14:43 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

最初に

算数が得意?苦手?の分かれ目 1 <「大きな数」と出会ったった時の反応>

を読んでくださいね。

 

同じ場面で子どもに声をかける時、算数が得意になる子のお母さんと苦手になる子の

お母さんの言葉の選び方の違いを感じることがあります。

いちいち会話のひとつひとつをチェックしているわけではないけれど、

算数の得意になる子のお母さんが使いがちな言葉、

算数が苦手になる子のお母さんが使いがちな言葉というのがあるように思うのです。

 

たとえば、車で動物園に向かっているとして、

子どもが、「まだぁ?もう着く?」とたずねた時。

算数が得意になる子のお母さんは、

「半分くらいきたわよ」といった「全体量に対して今どれくらいか」という

答えを返す姿を見かけます。

算数が苦手になる子のお母さんは、

「ちょっと待ちなさい。ぐずぐず言わないで」とか、「何かおやつを食べる?」とか、

「まだよ。もうちょっと」といった、

その時の気分を持たせることにフォーカスした言葉がほとんどのようです。

 

子どものことで相談を受ける際も、算数が得意になる子のお母さんの場合、

子どもがむちゃくちゃに荒れている時期も、

「あの時期は落ち着いていたけれど、この数ヶ月、調子が悪い。

今後は……」といった一年とか幼稚園年長から小学校低学年の終わりまでとか、

小学校6年間といった全体を意識しつつ、今はどんな感じか……

といった話し方をすることが多い気がします。

 

「全体に対してどれくらいか」を把握する感覚は、分数を扱う時も

割合の問題を考える時も大事です。

日頃の会話のなかに、そうした全体との比率を体感させる会話があることは、

算数が得意になるための秘伝のひとつなのかもしれませんね。

 


算数が得意?苦手?の分かれ目 1 <「大きな数」と出会ったった時の反応>

2016-04-22 07:18:21 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

問題を見たら解き方がピンとくる算数が得意な子と

問題を見ただけで頭がフリーズしてしまう算数が苦手な子っていますよね。

計算だけなら、努力の分だけむくわれる面もあるけれど、

文章題の応用問題となると、そうはいかないようです。

 

教室でも、頭脳パズルやボードゲームが好きな子が、

「あーそういうことか!」「こうでしょ?」とパッと見ただけでわかる算数の問題に、

まじめでがんばり屋の子が「わからない、わからない」と頭を抱え込むことがあります。

困ったことに、知力はしっかりした子なのにも関わらず、

手を変え品を変えヒントを与えても、

どんなにかみくだいて説明しても、理解に至らないのもよくあることです。

 

そうした差は頭の良し悪しとか算数のセンスがあるかないかによるものと思われがち。

本人も親御さんも固くそう信じ込んでいる場合があります。

でも、本当にそうなのかなぁ?ともやもやしています。

良し悪しあるなしが一番の原因ではなく

好き嫌い面白いつまらないという感じ方の影響が大きいのではないか……と。

(でも、ちょっと注意が必要なのは、計算訓練等で、低学年の間に

「みんなよりできるから好き」「いい点が取れるから面白い」という気持ちを

作ってしまうことです。これは、他の子よりできなくなったとたん、やる気を失ったり、

いい点が取れなくなったとたん算数きらいになったりしますから)

 

そこで、基礎的な発見のカテゴリーに続き、

『算数が得意?苦手?の分かれ目』というカテゴリーを作って、

教室でよく見かける算数が得意な子の「あるある」や

算数苦手っ子の「あるある」を、紹介していこうと思います。

こうした「あるある」話で、子どもをコッチの子アッチの子と区別するのではなく、

算数の苦手感を克服するヒントにしていただけたらと考えています。

 

 

前置きはこれくらいにして、

<「大きな数」と出会ったった時の反応>の話題に入りますね。

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6日から11日までは何日あるでしょう?

という問題。

カレンダーに赤いチップを置いてみます。

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数えてみると、答えは、「6」。

 でもね、「6日から11日までだよね。11ー6=5なのに、

どうして6なんだろう?」と言うと、

たいていの子は、「1多くなるから」と、自分で規則に気づきます。

そこまでは、算数が得意な子も苦手な子も同じ。

 

でも、算数が得意な子は、

「だったら、5から12までの場合、12ひく5したら7になるから、それに1たして

8だよね。だったら、3から20までの場合……。」と

いった話題を続けるのが好きです。

別に難しいことを言っているわけではなく、「わかりきったことの繰り返しだけど……」

ということを確かめてみるのが好きです。

 

教室で実験をすると、

水に塩を入れる実験をしたら、「じゃあ、砂糖入れたらどうなるの?」

「じゃあ、もっといっぱい塩を入れたら?」「じゃあ……?」と、

次々やりたがる子たちにも共通する感性です。

 

その点、算数の苦手な子は、

そうした無駄ともみえる好奇心をあまり抱かないことが多いです。

 

こうして、

「6日から11日までは、大きい数から小さい数を引いたのより1多くなるよね」

ということに気づいた時、

「それなら、145から266までの数が順番に書いてある旗があります。

旗は何本でしょう」という問題を出すと、算数が得意な子は数字が大きくなっても

さっき気づいたルールで解けばいいんだな」と、問題を面白がるけれど、

算数が苦手な子は、こんな風に「大きな数」が出てきた時点で、

完全に心が拒絶してしまうようです。考えようともせずに、

「できない、わからない、いやだ、できるはずがない」と騒ぐことしきり。

 

そういえば、後から算数が得意になってくる子のなかに、

幼児期にやたら大きい数を言ってみたがる子たちがいるのが思い当たりました。

わかってなくても、「えっ100万?」とか「1兆?」「無限?」など。

 

大きな数のままごと用のお札を作ってみたり、

好きな動物について体重や走る速さのような

数に関わることを図鑑で見たりして、日頃から大きな数と友だちになっておくことが、

算数が得意になるための近道かもしれません。


基礎的な発見10<磁石で浮かべる>

2016-04-21 21:05:58 | 子どもたちの発見

基礎的な発見 4 <磁石の働き>の続きです。

 

『くもんの数字盤』で遊んでいた時のこと。

数字のコマの円周がトイレットペーパーの芯の円周に近いので、

その中にコマを入れて遊んでいました。

コマを入れる際、芯の中央あたりで同じ極同士(S極とS極、N極とN極)が

重なるようにすると、上のコマがプカプカと浮かんで面白いことに気づきました。

押すとまるで、「へぇー」ボタン。(古いですか?)

 

でも、トイレットペーパーの芯では、浮いている様子が観察できず残念です。

 

そこでペットボトルの胴体部分を縦に切ってセロテープでつなぎあわせて

透明の筒を作りました。

 

磁石の力だけで物が浮いている様は、不思議で

見ていて飽きません。

 

(お家で子どもたちに磁石で遊ばせる時は

パソコンやテレビに近づけないよう注意してください。)


2、3歳児の「へりくつ」や「意味のわからない要求」にどのように関わればいいのでしょう? 

2016-04-21 20:04:58 | 教育論 読者の方からのQ&A

2、3歳の子というのは、「へりくつ魔王」のような存在で、

どこからそんな理由が飛んでくるのかという理由を持ち出して、

自分に起こったできごとを説明することが多々あります。

うちの子の育児記録に次のような話が残っています。

 

娘がもうすぐ2歳という時期のこと。

実家に寄っていた妹に、その時まだ赤ちゃんの息子(まこちゃん)といっしょに

スーパーに買い物に連れて行ってもらいました。

帰宅した妹は、「おねぇちゃん、またよ~もう★(娘)は……」と

やれやれとため息まじりに、スーパーのお菓子売り場の前でひっくり返って駄々を

こねていた娘の様子を説明しました。

私が娘にそのことを問うと、こんな返事が返ってきました。

「ちあうの。まこちゃんね、おかちほしいな~ほしいな~言ったのよ。ちょうだいして、

ほしいなほしいなして悪い子だったのよ。」と。

「★はどうしてたの?」とさらにたずねると、

「あのね、んなちゃん(自分のこと)、まこちゃんめんめんよって言ったの」とのこと……。


付け加えておきますが、当時、まこちゃんは「んまんま……」くらいしか

しゃべれませんでした。

こんな風に、幼い子に何かたずねると、

「トンデモ発言」や「ありえないへりくつ」が飛び出してきて、

親が数十年間築いてきた常識的な世界観がグラグラとゆすぶられることが

しょっちゅう起こります。

保育現場で働いている方々は、こうした意味不明のへりくつに日々向き合っているようで、

保育の実践報告を読むと、思わず笑ってしまうシーンが多々あります。

 

『人とのかかわりで「気になる」子』という保育者向けの本の中にこんな話が

載っていました。

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二歳から三歳くらいの子というのはすごくおもしろいへりくつをつきます。

わーわー泣いているときに、どうしたの、と聞くと、

「○○ちゃんのはながたれていたからいやだ」とか、

「くつしたがぐちゃぐちゃになっているから」と言ったりします。

そんな他人のことなんかでどうして、それとあなたが泣いていることとどんな関係が

あるの、と思ったりしますが……。

でも、「あー、それがいやだったのかー」なんて受けたりします。

そうするとはながたれてるなんて言われた子は余計腹立てて怒ったりしてね。

そんなことが日々の生活のなかにいっぱいあります。

子どもたちは、そんな「へりくつ」をいっぱい出して、それにすがりながら、

立ち直りをつくっていくのだと思います。

『人とのかかわりで「気になる」子』(現代と保育編集部  ひとなる書房)P81より
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「へりくつ」をいっぱい出して、それにすがりながら、

立ち直りをつくっていく二、三歳の子。

でも、もし、大人がそのへりくつの間違いを正して、子どもにわかるように説明して、

妙に大人っぽい物分かりのよい子に育ててしまうとどうなるのでしょう?

2歳や3歳の時期から、言葉で言えばわかるわがままや、だだこねの少ない子に

してしまうとどうなるのでしょう?

最近の子育てでは、できるだけ早く大人の望むように仕立てあげてしまうことが

他人に迷惑をかけない、しつけの行き届いたいい子を育てているかのように

捉えられているところがあります。

もちろん、0、1歳から愛情を込めた年齢にそったしつけは必要なのです。

好き勝手させて放任していていいわけではありません。

でも、子どもがおりこうさんで大人の言うことを聞いてしまうからという理由で

わがままやだだこねを十分せずにこの時期を過ごしてしまうと、

子どものなかに自己をコントロールする力がきちんと育っていかなくなることが

保育の場で指摘されています。

上の『人とのかかわりで「気になる」子』に次のように書かれています。

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子どものなかに自己をコントロールする力を育てていくということを考えると、

何かあったとき、おとなが「だめ、だめ」といいながら、つけていくようにするのか、

子ども自身のへりくつの固まりのような言い分を受け止めながら、

そっと方向性だけを示してあげるのか、

その対し方のいかんが保育者としてためされるのではないでしょうか。

(略)

そのへりくつを押さえ込んでいったら、子どもたちは何も言わなくなってしまいます。

ただ泣くだけ、暴れるだけになってしまうのではないでしょうか。

ただそれが、年長さんくらいになってくると、自分が今なんで暴れているのかと

おとなの方で理解しないと満足しなくなります。ただ、だっこしたりおんぶしたりする

だけではダメだと思います。

悪いことは悪い。

「あなたのしたことは悪いと思うよ。でもそうしたかった気持ちはわかるよ」

という説明があってはじめて、落ち着く。

(『人とのかかわりで「気になる」子』現代と保育編集部  ひとなる書房 P82)


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家庭での子育ての様子をうかがうと、

上のような保育の姿勢が逆転しているケースが多いようです。

2、3歳児には「最初が肝心だから」と強圧的なほど言葉と大人側の常識で

「わからせて」しまい、そのせいで、4,5歳に問題行動が出てきます。

すると、4、5歳児には「問題行動に困って読んだ本によると子どもを受容するのが

大事とあったから」と言って悪いことを悪いとはっきり言わずに受容するか、

「しつけをしないと小学校に入ってから困るから」という理由で、

悪いことをわからせて修正させるだけで、

そうせざる得なかった気持ちを無視してしまうのです。

こうした困った親子関係がどうして生じるのかというと、

2、3歳児の「へりくつ」や「意味のわからない要求」が、その後の成長にどのような

良いものをもたらすのか知らないことによると感じています。

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昆虫や鳥の世界も4つ足で歩く動物の世界も、子どもが親をわずらわすことって

それほどありませんよね。

もちろん、ライオンの子育ての様子なんかを映像で見ていると、

子ライオンがしつこくいたずらをして、親ライオンがガブッと軽く噛みついて

どこからどこまでが許されるのかしつける姿があるのです。

でも、そうした子育てはいたってシンプルで、

人間の子ほど次から次へと親に新たなわずらわしい課題を与えることはないでしょう。

どうしてこんなに人間の子がめんどくさいかといえば、勝手に自分で育ってしまわずに

大人の手をわずらわして成長する必要がるからなのでしょう。

それほど高度な生き物なのです。

ややこしいから大人が関わって、そうして関わり合うから一人で育つ場合にはとうてい

不可能なほど大きく成長するのですから。

子どもを効率的に最善の形で発達させるために、進化の過程で得た能力のひとつが、

成長過程で親をわずらわすということなのでしょうね。

 

『関係からみた発達障碍』(小林隆児  金剛出版)のなかで、

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親(育てる者)-子(育てられる者)」という非対称的関係における

コミュニケーションの過度的段階でのある特徴を見て取ることができるように思う。

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という一文に出会い、大人の手をわずらわせながら成長する子どもが特に

ややこしくてめんどくさい時期について大切な視点を与えてくれる内容だなと感じました。

「コミュニケーションの過度的段階のある特徴」ってどんなものでしょう。

この著書によると、この過度的段階のコミュニケーションとは

次のような意味をになっています。

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ことばの獲得過程のいまだ途上にある子どもにとっては、

ことばは自ら自由に操ることができるような道具ではない。

しかし、ことばを獲得して

大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、

子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語って

もらうことが、大きな喜びとなっている。

母親に依存しながらも、ことば文化を取り入れたいという欲求をも

同時に表現している。依存(繋合希求性)と自立(自己実現欲求)が深く錯綜しながら

展開している母子コミュニケーションの一断面をみる思いがする。

 

『関係からみた発達障碍』(小林隆児  金剛出版)p129

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「過度的段階のコミュニケーションが大事なのはわかったけど、

それって具体的にいうとどんなもの?」と思いますよね。

「大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、

子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語ってもらう

ことが、大きな喜びとなっている。」ときの子どもの姿は、

↑の著書に次のようなエピソードが紹介されていました。

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<エピソード1>

絵を描いて、自分が何を描いたか、私に言わせようとする。絵を指して、

私の方を向いて<言って>というふうに少し催促する声を出す。

目を見ても<これはなんだ?>と<言ってみて!>という気持ちがよくわかる。

すぐにパッと答えてあげれれば大満足で安心する。

でも、ときどき忘れてことばにつまることがある。

そんなときは、小さな声でそっと頭文字のことばを教えてくれる。

「パーキング」なら「パ」、

「プリンスホテル」なら「プ」、頭文字がはっきり聞こえず、こちらがわからないと、

すごく怒る。

一日に数回は怒らせてしまう。たまに、途中で私がわかって正解を言うと、

パッと目に涙をためながらも笑ってくれて落ち着く。切り替えは早い。

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<エピソード2>

数日間から朝起きるとすぐに「(何かを)トッテ」と要求することが多くなってきた。

母親にしてみると何をとってもらいたいのか、

本人の好みがいくつかあるので想像はできるのであるが、何かはっきりとはわからない。

そのため時折違った物を持ってくるとひどく不機嫌になってしまう。

自分の希望の物を持ってきてもらうととてもうれしそうに反応している。

ではどうして何をもってきてほしいと明確に言わないのか、言えないのだろうか。

日ごろはほしい物に関して何らかの表現方法は身につけているのであるから

言ってもよさそうなのだが、それを母親に直接的に言わない。

なぜなのか母親は首を傾げている。

(エピソードはふたつとも 『関係からみた発達障碍』(小林隆児  金剛出版)より引用

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子育て中の方は日々体験しているでしょうが、

子どもって自分で言わずにわざわざ大人に言わそうとして、

ややこしい行動をとるものですよね。

ユースホステルでのレッスンで、教室での定期レッスンにも通ってくれている2歳の

おしゃべりの男の子のお母さんから、

「うちの子良い子すぎて心配なのですが……」という相談をいただき、

「えっ?★くんが?いえ、★くんは、いつもけっこう好き放題言ってて、

良い子すぎじゃないから大丈夫ですよ~」と思わず笑いながら応えてしまい、

後から、「奈緒美先生、ひどいですよ~あれは結構傷つきました」とこれも笑いながら

告げられた出来事がありました。

というのも、★くんはそうとうなぐずぐずさんで、激しいかんしゃくこそ起こさないものの、

何かするたびに、ぐずぐずぶつぶつぐだぐだ~とややこしいこと極まりないのです。

★くんのお母さんは大らかな性質の方でとにかく★くんがかわいくてたまりませんから、

いちいち「これはどう?」「ならこれでは?」と延々と相手をしてます。

そうしてたくさん相手をしてもらっているので、しょっちゅうぐずぐず言っていても、

それが★くんのお母さんにとってわずらわしいことのようには感じられず、

楽しい親子の交流の時間になっているのです。

そうして相手をしても少しも苦とは感じないお母さんももとで、

★くんは2歳とは思えないほど表現豊かに会話したり、考えたことを言葉にするのが

上手になっていました。

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2、3歳は子育ての要ともいえる非常に大切な時期だと言われています。

この時期の大人との関わり方いかんで、その後の成長が左右されるような

ところがあるからです。

人間関係の土台が、この時期に作られるといっても過言ではありません。

 

『人とのかかわりで「気になる」子』という保育実践の本に次のような文章がありました。

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自我の肥大期ともいえるこの時期(2、3歳)の子どもたちは、

次に示すような矛盾する二つの顔を持ちながら大人との関係を作っていくが、

そこでどのような関係を保障されるかということが、

その後の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる。

 

A 自己主張が強く、それが実現しないと強烈なダダコネをして抵抗する

B 保育者と気持ちが一つになるような関係ができたとき、素直に喜びを表現する

 

この場合Aの方が、子どもの内面から湧き上がる要求を出発点にするのに対して、

Bの方は、マテマテ遊びやじゃれつき遊びのように、保育者が作る積極的な関わりを通して

子どもたちが感じる、解放された幸福感のようなものを基礎に形成されていく点を

特徴としている。

ここでとりわけ重要な意味をもつのが、強烈なダダコネまでして

自己主張するこの時期の子どもたちを、彼らに寄りそおうとする大人が、

いったいどこまで受け止めることができるかという点である。

どんなにダダコネしても、そんな自分を辛抱強く受け止めてくれ、

身体が「心地よさ」を感じるまでつきあってくれる。そんな体験を積み重ねた子どもたちが、

自分の思いを受け止められる喜び、聴き取られる喜びをベースに、

今度は相手の言葉を聴く姿勢を自分のものにしていく……。

この時期の子どもたちは、まさにこうした関係の中で自分を

ステキに育てていくのである。

 

『人とのかかわりで「気になる」子』現代と保育編集部・編 ひとなる書房)

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2、3歳児を育てる大人の仕事は次の3つです。

 

★ どんな自己主張も、受け止めてあげること

★ ゆったり受け止めた後で、子どもが混乱した状態から抜け出ることができるように

そっとサポートして、良い大人と子どもの関係を作っていくこと

★幸福を身体全体で感じるようなコミュニケーションを含んだ遊びを体験して、

成長した次の段階の「幸福の形」を見つけることができるように導くこと

 

もし、大人が、

「そうはいっても、子どもが自己主張するとイライラして受け止めることができない」

と言う場合、

子どもはダダコネ段階からいつまでも抜け出せずに、

「へりくつ」や「意味のわからない要求」ばかり繰り返す魔の2歳児を卒業していくことが

できませんよね。

 

子どもが激しく駄々をこねるということは、それまで十分可愛がられてきて、

自分を思いきり表現しても、受け止めてもらえるという信頼感があるからでもあります。

(ただ、その姿に、「感覚過敏が原因?」や「これはパニックでは?」と

いったちょっと一般的なダダコネとは種類が違うと感じたときは、注意が必要です。)

 

自分の思いどおりにいかないことで泣きわめいてごねているのなら、

きちんと自我が成長している証拠とゆったり構えて、

まず子どもの気もちを受け止めて、でたらめなへりくつや

意味のわからない要求をたくさん言わせてあげることが大切です。

 

そうするうちに、身体が疲れるまでダダをこねつくした後には、

心の中に湧いていたムシャクシャするわけのわからないものがすっきり消えて、

「お母さん、お父さん、大好き!」という気持ちだけが残っていて、

今度はたっぷり甘えるうちことを繰り返すうちに、

いつの間にか、この難しい小さな暴君のような一時期を卒業していくはずですよ。


2歳児さんと敏感期 <やりたいことがいっぱい>

2016-04-21 08:26:15 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

2歳半のAちゃん。「あれもこれもやってみたい」時期です。

遊びのなかには、敏感期の子特有のものごとの秩序への気づきがちりばめられています。

とにかく次から次へといろいろなことをやりたがるので、

まだAちゃんが遊ぶのは早そうだというものは、

「広げて、一部のルールで関わって、おしまい」となることもありますが、

最初から終わりまできちんとやり遂げられることも増えてきました。

 

ラミィキューブを新しく買い替えた(コマの一部をなくしてしまいました)

ので、古いものは敏感期の子たちのおもちゃにしています。Aちゃんは、

ラミィキューブのコマがすごく気に入ったようで、列車の札として置いていったり、

ブロックの切符の機械から出しては長いこと遊んでいました。

 

マンションとエレベーター。

 

パズルは、最初から最後までやりきって大満足。

まだ形だけを合わせています。

 

ボタンを押して玉をそろえるおもちゃで遊びました。

上にそろっている押しボタンは押すけれど、下の押しボタンには気づかない様子。

 

レーザーのパズル。光を当てて、ロケットに点灯することはわかっているようです。

 

ディクシットのゲームを出したい、と大騒ぎ。

トランプのばばぬきの形だけ(カードを広げて、相手のカードを引く部分)で遊びました。

 

公文の数字盤をやりたがりました。

1から10くらいまでは正しく置くことを心がけていましたが、その後は

マスをうめつくしていくことに興味がありました。

 

とても熱心だったケーキ作り。

わたしが縦にまっすぐ玉を置く見本を見せると、「ちがう。まあるく」とのこと。

Aちゃんがわたしに示してくれたお手本です。

 

Aちゃんのお姉ちゃんが、Aちゃんのために数の絵本作りを手伝ってくれました。

 

お姉ちゃん作の数絵本を数えています。

 

ハリガリを少し易しいルールで楽しんでいました。

 

Aちゃん用のらんどせるをお姉ちゃんが作ってくれました。

背負ってみて、「きつい」「小さいよ」と指摘。結局、背負いひもを長くして、

お姉ちゃんが背負っています(誘ってもめんどくさがるAちゃん)。

2歳児さんはお姉ちゃんの思うように動いてくれませんね。

遊び中、あれやこれや自分のためにお姉ちゃんを働かせながら、

時折、大きな声で「ちがう!」「いやっ!」と自己主張。

お手伝いしているお姉ちゃんが、おそるおそるAちゃんにおうかがいをたてていました。

2歳児さんは、手ごわい遊び相手です。 


基礎的な発見 9 <回すのは楽しい 回転はすごい>

2016-04-20 19:50:03 | 子どもたちの発見

教室で大人気の清掃車。

清掃車の中にゴミであるビー玉を入れるための

小道具を子どもたちといっしょにいろいろ作っています。

 

紙コップふたつに穴を空けて、ひとつのコップの中にスロープができるように

適当なサイズに切った紙を入れます。

 

コップに輪ゴムを貼り付けて、ブロックに装着できるようにしています。

スロープのある方のコップを回すと、穴が重なる時にビー玉が出てきます。

 

レバーになる紙を貼ると、さらに楽しいです。

 

 

回転の動きを利用したゴミを作る(?)道具をもうひとつ。

丸い空き容器が入った四角い箱。

端を少し切ると、丸い容器がはみでます。

はみでている部分をスライドさせると回転します。

穴を空けて、上の写真のような形のビー玉受けの紙を貼り付けます。

 

 

ビー玉を入れるとこんな感じです。

 

回転させると、穴が重なる時にビー玉が出てきます。