2、3歳の子というのは、「へりくつ魔王」のような存在で、
どこからそんな理由が飛んでくるのかという理由を持ち出して、
自分に起こったできごとを説明することが多々あります。
うちの子の育児記録に次のような話が残っています。
娘がもうすぐ2歳という時期のこと。
実家に寄っていた妹に、その時まだ赤ちゃんの息子(まこちゃん)といっしょに
スーパーに買い物に連れて行ってもらいました。
帰宅した妹は、「おねぇちゃん、またよ~もう★(娘)は……」と
やれやれとため息まじりに、スーパーのお菓子売り場の前でひっくり返って駄々を
こねていた娘の様子を説明しました。
私が娘にそのことを問うと、こんな返事が返ってきました。
「ちあうの。まこちゃんね、おかちほしいな~ほしいな~言ったのよ。ちょうだいして、
ほしいなほしいなして悪い子だったのよ。」と。
「★はどうしてたの?」とさらにたずねると、
「あのね、んなちゃん(自分のこと)、まこちゃんめんめんよって言ったの」とのこと……。
付け加えておきますが、当時、まこちゃんは「んまんま……」くらいしか
しゃべれませんでした。
こんな風に、幼い子に何かたずねると、
「トンデモ発言」や「ありえないへりくつ」が飛び出してきて、
親が数十年間築いてきた常識的な世界観がグラグラとゆすぶられることが
しょっちゅう起こります。
保育現場で働いている方々は、こうした意味不明のへりくつに日々向き合っているようで、
保育の実践報告を読むと、思わず笑ってしまうシーンが多々あります。
『人とのかかわりで「気になる」子』という保育者向けの本の中にこんな話が
載っていました。
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二歳から三歳くらいの子というのはすごくおもしろいへりくつをつきます。
わーわー泣いているときに、どうしたの、と聞くと、
「○○ちゃんのはながたれていたからいやだ」とか、
「くつしたがぐちゃぐちゃになっているから」と言ったりします。
そんな他人のことなんかでどうして、それとあなたが泣いていることとどんな関係が
あるの、と思ったりしますが……。
でも、「あー、それがいやだったのかー」なんて受けたりします。
そうするとはながたれてるなんて言われた子は余計腹立てて怒ったりしてね。
そんなことが日々の生活のなかにいっぱいあります。
子どもたちは、そんな「へりくつ」をいっぱい出して、それにすがりながら、
立ち直りをつくっていくのだと思います。
『人とのかかわりで「気になる」子』(現代と保育編集部 ひとなる書房)P81より
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「へりくつ」をいっぱい出して、それにすがりながら、
立ち直りをつくっていく二、三歳の子。
でも、もし、大人がそのへりくつの間違いを正して、子どもにわかるように説明して、
妙に大人っぽい物分かりのよい子に育ててしまうとどうなるのでしょう?
2歳や3歳の時期から、言葉で言えばわかるわがままや、だだこねの少ない子に
してしまうとどうなるのでしょう?
最近の子育てでは、できるだけ早く大人の望むように仕立てあげてしまうことが
他人に迷惑をかけない、しつけの行き届いたいい子を育てているかのように
捉えられているところがあります。
もちろん、0、1歳から愛情を込めた年齢にそったしつけは必要なのです。
好き勝手させて放任していていいわけではありません。
でも、子どもがおりこうさんで大人の言うことを聞いてしまうからという理由で
わがままやだだこねを十分せずにこの時期を過ごしてしまうと、
子どものなかに自己をコントロールする力がきちんと育っていかなくなることが
保育の場で指摘されています。
上の『人とのかかわりで「気になる」子』に次のように書かれています。
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子どものなかに自己をコントロールする力を育てていくということを考えると、
何かあったとき、おとなが「だめ、だめ」といいながら、つけていくようにするのか、
子ども自身のへりくつの固まりのような言い分を受け止めながら、
そっと方向性だけを示してあげるのか、
その対し方のいかんが保育者としてためされるのではないでしょうか。
(略)
そのへりくつを押さえ込んでいったら、子どもたちは何も言わなくなってしまいます。
ただ泣くだけ、暴れるだけになってしまうのではないでしょうか。
ただそれが、年長さんくらいになってくると、自分が今なんで暴れているのかと
おとなの方で理解しないと満足しなくなります。ただ、だっこしたりおんぶしたりする
だけではダメだと思います。
悪いことは悪い。
「あなたのしたことは悪いと思うよ。でもそうしたかった気持ちはわかるよ」
という説明があってはじめて、落ち着く。
(『人とのかかわりで「気になる」子』現代と保育編集部 ひとなる書房 P82)
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家庭での子育ての様子をうかがうと、
上のような保育の姿勢が逆転しているケースが多いようです。
2、3歳児には「最初が肝心だから」と強圧的なほど言葉と大人側の常識で
「わからせて」しまい、そのせいで、4,5歳に問題行動が出てきます。
すると、4、5歳児には「問題行動に困って読んだ本によると子どもを受容するのが
大事とあったから」と言って悪いことを悪いとはっきり言わずに受容するか、
「しつけをしないと小学校に入ってから困るから」という理由で、
悪いことをわからせて修正させるだけで、
そうせざる得なかった気持ちを無視してしまうのです。
こうした困った親子関係がどうして生じるのかというと、
2、3歳児の「へりくつ」や「意味のわからない要求」が、その後の成長にどのような
良いものをもたらすのか知らないことによると感じています。
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昆虫や鳥の世界も4つ足で歩く動物の世界も、子どもが親をわずらわすことって
それほどありませんよね。
もちろん、ライオンの子育ての様子なんかを映像で見ていると、
子ライオンがしつこくいたずらをして、親ライオンがガブッと軽く噛みついて
どこからどこまでが許されるのかしつける姿があるのです。
でも、そうした子育てはいたってシンプルで、
人間の子ほど次から次へと親に新たなわずらわしい課題を与えることはないでしょう。
どうしてこんなに人間の子がめんどくさいかといえば、勝手に自分で育ってしまわずに
大人の手をわずらわして成長する必要がるからなのでしょう。
それほど高度な生き物なのです。
ややこしいから大人が関わって、そうして関わり合うから一人で育つ場合にはとうてい
不可能なほど大きく成長するのですから。
子どもを効率的に最善の形で発達させるために、進化の過程で得た能力のひとつが、
成長過程で親をわずらわすということなのでしょうね。
『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)のなかで、
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親(育てる者)-子(育てられる者)」という非対称的関係における
コミュニケーションの過度的段階でのある特徴を見て取ることができるように思う。
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という一文に出会い、大人の手をわずらわせながら成長する子どもが特に
ややこしくてめんどくさい時期について大切な視点を与えてくれる内容だなと感じました。
「コミュニケーションの過度的段階のある特徴」ってどんなものでしょう。
この著書によると、この過度的段階のコミュニケーションとは
次のような意味をになっています。
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ことばの獲得過程のいまだ途上にある子どもにとっては、
ことばは自ら自由に操ることができるような道具ではない。
しかし、ことばを獲得して
大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、
子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語って
もらうことが、大きな喜びとなっている。
母親に依存しながらも、ことば文化を取り入れたいという欲求をも
同時に表現している。依存(繋合希求性)と自立(自己実現欲求)が深く錯綜しながら
展開している母子コミュニケーションの一断面をみる思いがする。
『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)p129
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「過度的段階のコミュニケーションが大事なのはわかったけど、
それって具体的にいうとどんなもの?」と思いますよね。
「大人文化の仲間入りをしたいという欲求(自立したい欲求)を持つがゆえに、
子どもは母親を自らの方に引き寄せて、母親に自分の内的表象をことばで語ってもらう
ことが、大きな喜びとなっている。」ときの子どもの姿は、
↑の著書に次のようなエピソードが紹介されていました。
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<エピソード1>
絵を描いて、自分が何を描いたか、私に言わせようとする。絵を指して、
私の方を向いて<言って>というふうに少し催促する声を出す。
目を見ても<これはなんだ?>と<言ってみて!>という気持ちがよくわかる。
すぐにパッと答えてあげれれば大満足で安心する。
でも、ときどき忘れてことばにつまることがある。
そんなときは、小さな声でそっと頭文字のことばを教えてくれる。
「パーキング」なら「パ」、
「プリンスホテル」なら「プ」、頭文字がはっきり聞こえず、こちらがわからないと、
すごく怒る。
一日に数回は怒らせてしまう。たまに、途中で私がわかって正解を言うと、
パッと目に涙をためながらも笑ってくれて落ち着く。切り替えは早い。
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<エピソード2>
数日間から朝起きるとすぐに「(何かを)トッテ」と要求することが多くなってきた。
母親にしてみると何をとってもらいたいのか、
本人の好みがいくつかあるので想像はできるのであるが、何かはっきりとはわからない。
そのため時折違った物を持ってくるとひどく不機嫌になってしまう。
自分の希望の物を持ってきてもらうととてもうれしそうに反応している。
ではどうして何をもってきてほしいと明確に言わないのか、言えないのだろうか。
日ごろはほしい物に関して何らかの表現方法は身につけているのであるから
言ってもよさそうなのだが、それを母親に直接的に言わない。
なぜなのか母親は首を傾げている。
(エピソードはふたつとも 『関係からみた発達障碍』(小林隆児 金剛出版)より引用
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子育て中の方は日々体験しているでしょうが、
子どもって自分で言わずにわざわざ大人に言わそうとして、
ややこしい行動をとるものですよね。
ユースホステルでのレッスンで、教室での定期レッスンにも通ってくれている2歳の
おしゃべりの男の子のお母さんから、
「うちの子良い子すぎて心配なのですが……」という相談をいただき、
「えっ?★くんが?いえ、★くんは、いつもけっこう好き放題言ってて、
良い子すぎじゃないから大丈夫ですよ~」と思わず笑いながら応えてしまい、
後から、「奈緒美先生、ひどいですよ~あれは結構傷つきました」とこれも笑いながら
告げられた出来事がありました。
というのも、★くんはそうとうなぐずぐずさんで、激しいかんしゃくこそ起こさないものの、
何かするたびに、ぐずぐずぶつぶつぐだぐだ~とややこしいこと極まりないのです。
★くんのお母さんは大らかな性質の方でとにかく★くんがかわいくてたまりませんから、
いちいち「これはどう?」「ならこれでは?」と延々と相手をしてます。
そうしてたくさん相手をしてもらっているので、しょっちゅうぐずぐず言っていても、
それが★くんのお母さんにとってわずらわしいことのようには感じられず、
楽しい親子の交流の時間になっているのです。
そうして相手をしても少しも苦とは感じないお母さんももとで、
★くんは2歳とは思えないほど表現豊かに会話したり、考えたことを言葉にするのが
上手になっていました。
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2、3歳は子育ての要ともいえる非常に大切な時期だと言われています。
この時期の大人との関わり方いかんで、その後の成長が左右されるような
ところがあるからです。
人間関係の土台が、この時期に作られるといっても過言ではありません。
『人とのかかわりで「気になる」子』という保育実践の本に次のような文章がありました。
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自我の肥大期ともいえるこの時期(2、3歳)の子どもたちは、
次に示すような矛盾する二つの顔を持ちながら大人との関係を作っていくが、
そこでどのような関係を保障されるかということが、
その後の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる。
A 自己主張が強く、それが実現しないと強烈なダダコネをして抵抗する
B 保育者と気持ちが一つになるような関係ができたとき、素直に喜びを表現する
この場合Aの方が、子どもの内面から湧き上がる要求を出発点にするのに対して、
Bの方は、マテマテ遊びやじゃれつき遊びのように、保育者が作る積極的な関わりを通して
子どもたちが感じる、解放された幸福感のようなものを基礎に形成されていく点を
特徴としている。
ここでとりわけ重要な意味をもつのが、強烈なダダコネまでして
自己主張するこの時期の子どもたちを、彼らに寄りそおうとする大人が、
いったいどこまで受け止めることができるかという点である。
どんなにダダコネしても、そんな自分を辛抱強く受け止めてくれ、
身体が「心地よさ」を感じるまでつきあってくれる。そんな体験を積み重ねた子どもたちが、
自分の思いを受け止められる喜び、聴き取られる喜びをベースに、
今度は相手の言葉を聴く姿勢を自分のものにしていく……。
この時期の子どもたちは、まさにこうした関係の中で自分を
ステキに育てていくのである。
『人とのかかわりで「気になる」子』現代と保育編集部・編 ひとなる書房)
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2、3歳児を育てる大人の仕事は次の3つです。
★ どんな自己主張も、受け止めてあげること
★ ゆったり受け止めた後で、子どもが混乱した状態から抜け出ることができるように
そっとサポートして、良い大人と子どもの関係を作っていくこと
★幸福を身体全体で感じるようなコミュニケーションを含んだ遊びを体験して、
成長した次の段階の「幸福の形」を見つけることができるように導くこと
もし、大人が、
「そうはいっても、子どもが自己主張するとイライラして受け止めることができない」
と言う場合、
子どもはダダコネ段階からいつまでも抜け出せずに、
「へりくつ」や「意味のわからない要求」ばかり繰り返す魔の2歳児を卒業していくことが
できませんよね。
子どもが激しく駄々をこねるということは、それまで十分可愛がられてきて、
自分を思いきり表現しても、受け止めてもらえるという信頼感があるからでもあります。
(ただ、その姿に、「感覚過敏が原因?」や「これはパニックでは?」と
いったちょっと一般的なダダコネとは種類が違うと感じたときは、注意が必要です。)
自分の思いどおりにいかないことで泣きわめいてごねているのなら、
きちんと自我が成長している証拠とゆったり構えて、
まず子どもの気もちを受け止めて、でたらめなへりくつや
意味のわからない要求をたくさん言わせてあげることが大切です。
そうするうちに、身体が疲れるまでダダをこねつくした後には、
心の中に湧いていたムシャクシャするわけのわからないものがすっきり消えて、
「お母さん、お父さん、大好き!」という気持ちだけが残っていて、
今度はたっぷり甘えるうちことを繰り返すうちに、
いつの間にか、この難しい小さな暴君のような一時期を卒業していくはずですよ。