虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

100円の紙ねんどでハンバーガーショップ作り

2016-04-20 13:15:10 | 工作 ワークショップ

教室で流行中のハンバーガーショップ作り。

100円ショップの紙ねんど「かるーいかみねんど」に水性マジックで色を乗せ、

色を混ぜ込んでハンバーガーを作ります。

感触が気持ちよく幼い子でも美しい作品に仕上がります。指が少し汚れるかも……。

 

ポテトやジュース、ポテトを揚げるフライヤーなども作っています。

 

ジュースにさす細いストローは、適度に切ったストローを縦に切ってから

細くなるように巻きこんでテープでとめています。

 


2歳児さんの工作 <「できること」「やりたいこと」から 創作へ>

2016-04-19 07:18:19 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

 2歳7ヶ月のAちゃん。2歳になった頃からはさみが好きで、

猛烈な勢いで紙コップに切り込みを入れていました。

 

教室でもAちゃんの目につくと、高く積んでいた紙コップタワーがあっという間に

無残な残骸になっていました。

小学生のお兄ちゃんの話では、

お家でのAちゃんの活躍ぶりも相当なものだったようで、学校から帰ると、

部屋の半分がAちゃんが切り刻んだ紙で埋め尽くされていたそうです。

 

敏感期の子たちの一心不乱さにはいつも圧倒されるものがあります。

また、その時期を通った後の成長に驚かされています。

 

少し前まで全身全霊を切り刻むことに捧げていたAちゃん。

「それなあに?」とたずねても、「○○作ろうか?」と呼びかけても、

聞く耳持たずで、とにかく切ることに集中していました。

 

が、2歳半になった今日この頃、「何を作るのか」「どんなものを作りたいか」が、

Aちゃんにとって最重要マークがついた関心事となりはじめたようです。

 

Aちゃんは、大量に切り刻み続けた間にできるようになったことがいくつかあります。

紙コップを自在に切ること。ストローを切ること。

テープをテープカッターで切ることです。

Aちゃんのこの3つの技を使って、

Aちゃんが作りたがるものの工作見本を作ってみせると、

こちらが示した通りに再現して、いくつも同じものを作っていました。

上の作品は『フライパン』。

 

小さいビーズをセロテープでくるんで、お料理の具材を作るのにも熱心でした。

 

2~3手順ほどの工作を見て真似ることができるようになっていたので、

年少グループで人気があるお風呂の作り方を教えました。

 

まだ難しいかと思っていたのですが、自分で紙を折って、切り込みを入れ、

貼り合わせるところまでしていました。お風呂も量産。

 

 

作って、即、遊ぶのが、楽しくてたまらないようです。


基礎的な発見 8 <傾き と 出口の高さ>

2016-04-18 20:57:44 | 子どもたちの発見

 

1歳8ヶ月のAくん、1歳11ヶ月のBくん,2歳2ヶ月のCちゃんのレッスンで

どの子も段ボールのエッジの滑り台を、

ミニカーや電車が滑っていくのが楽しくてたまりません。

こちらが用意した遊びをする時、そうした遊びに子どもを引き込むと同時に、

その遊びを通じて、それぞれの子の興味を探っています。

遊びの発展は、個々の子どもの好奇心の動きからヒントを得て広げるようにしています。

 

清掃車の中に何かを入れてみるのが面白くてたまらないAくん。

「物を入れるスペースがあったら、何かを入れてみる」がブームです。

そこで、滑り台につけたトンネルに穴を空けて、

途中で荷台に物が乗せられるようにしました。

 

すると、Aくんが車の上に乗せたかったものは、もう一台の「車」でした。

お母さんの話では、カーキャリーが大好きなのだとか。

これは予想外。

 

そこで、トンネルの穴のサイズを大きくして車を乗せられるようにしました。

と、今度は、高さが足りなくて、トンネルの出口から出てきません。

最後にトンネルを高くすることに。

トンネルに入る時は自動車1台分の高さなのに、

出口では自動車2台分の高さになっていますから。

 

Cちゃんは、滑り台のレールを長くして、傾きを急にして、

ビー玉を転がして遊んでいました。

すばやいスピードで勢いよく滑っていく様子が面白くてたまらないようでした。

 

Bくんが興味を持っていた、「どーこだ?」遊び。

3つの紙コップのひとつに人形を隠しています。

人形が入っていないコップの中身を見せて、

「プーさんは、どーこだ?」と遊ぶと、目を丸くして興味しんしん。

何度も何度も人形を隠しては当てっこして遊んでいました。

 


4年生以降の学習に多い「難しいからではなく紛らわしいからミスする」ケース 2

2016-04-18 09:58:20 | 算数

前回の記事で、こんなことを書きました。

こうしたミスが多発するのは、「4年生以降の勉強は難しいだろう」という思い込みから、

勉強を教える時に、「解き方を教える」「わからないところを解説する」ことに終始しているのも理由の

ひとつです。

紛らわしいミスをする問題は、解き方を教わっている時は

とても簡単に感じるし、習った直後のテストでは満点を取れるものなのです。


それなら、どうすればいいのでしょう?


解決法のひとつは、「紛らわしいからミスする」ものは、

間違えやすいもの同士を比べて、ミスしそうな部分にフォーカスして

整理しておくことです。

記憶に残る形で、なぜそうなるのかを確認しておくのも大事です。

 

たとえば、赤い帽子をかぶった黄色いシャツを着た9歳くらいの男の子がふたりいると

しますよね。

その子たちのひとりを呼びとめて、名前や学年をたずね、

しばらくしてから別の赤い帽子と黄色いシャツの子に会って、名前や学年を聞き出したとしますよね。

どちらもたずねた直後はその子たちについてよくわかっていたとしても、

時間の経過とともに、「どっちの情報だったっけ?」と混乱してしまうのではないでしょうか。

 

そうした時に、間違えた一方についてだけ、情報確認をしなおしたところで、

次に別の一方に会うと元のもくあみとなってしまいがちです。

 

算数についても同じで、紛らわしいものを学んでいるのに、

4年生でちょこっとコレに触れて、5年生で別のコレを学んで……と

バラバラに情報を得て学ぶことを繰り返していると、まちがいが量産されていくのが目に見えていますよね。

 

先に書いた間違えやすいもの同士を比べて、ミスしそうな部分にフォーカスして

整理しておくことです。

記憶に残る形で、なぜそうなるのかを確認しておくというのは、こんなことです。

 

 

分数の足し算は、丸いピザを切り分けてから食べるイメージで

覚えられます。「どうして通分する必要があるのか」は、

切り分け方が違うと、ピースの個数は同じでも大きさがちがうから不公平だと

いうことは、生活上のイメージで理解できます。

分数のかけ算は、「いったん4分の1に切ったものを、さらに4つに切り分けたひとつ」ということで、

分母同士、分子同士をかければいいことがわかります。

 

最近、びっくりしたミスのひとつに、「分数の足し算で、かけ算同様の約分をする」というものがあります。

 

 

 

こうしたミスを防ぐために、学ぶ際にルールを丸暗記するのではなく

していることの意味を理解しておいたり、

ミスした時にまぎらわしいルールを整理しなおいたりするのが大事です。

 

4年生以降の学習では、こうした「紛らわしさ」からくるミス以外に、

「逆思考を求められる問題」「問題が抽象的になってきた」などいろいろあります。

それぞれの対応法は、また別の機会に書くことにします。

 

 


4年生以降の学習に多い「難しいからではなく紛らわしいからミスする」ケース

2016-04-17 20:40:27 | 算数

4年生以降の算数の学習では、

「難しいからミスするのではなく紛らわしいからミスする」ということが

よく起こります。

 

これまで学んできたものの記憶と新しく学んだものの記憶がごちゃまぜになってしまったり、

「紛らわしさ」というたいしたことがないように見える簡単なちがいについて

軽く捉えたりすることが原因のようです。

 

例えば、小数点の位置のつけまちがいは、

「学んできたものの記憶と新しく学んだものの記憶がごちゃまぜ」ケースの代表選手。

 

足し算や引き算の筆算は小数点をそのままおろしていたからと、

かけ算の筆算でも同様に小数点をおろして間違う子がいます。

 

小数点の位置は「割り算の筆算」「割り算のあまり」でも

「どうだっけ?」とうろ覚えからミスにつながるものがたくさんあります。

 

分数を通分して足したり引いたりする方法を学習した後で、

分数のかけ算や割り算を学習すると、

そちらでも不必要な通分をした後で、あれこれ余分な操作をして

ミスというケースもしょっちゅう見かけます。

 

円周の公式と円の面積の公式のごちゃまぜもよくあります。

 

こうしたミスが多発するのは、

「4年生以降の勉強は難しいだろう」という思い込みから、

勉強を教える時に、「解き方を教える」「わからないところを解説する」ことに

終始しているのも理由のひとつです。

紛らわしいミスをする問題は、解き方を教わっている時はとても簡単に感じるし、

習った直後のテストでは満点を取れるものなのです。

 

次回に続きます。

 

 


基礎的な発見 7 <長くしてみる 高くしてみる>

2016-04-16 20:40:13 | 子どもたちの発見

 

基礎的な発見 1  <重い>

基礎的な発見 3 <位置をずらす>

基礎的な発見 6 <引っかける> と 「基礎的な発見」のカテゴリーについて

で子どもたちが熱心に探求していた

「重いものを落とすこと」と「てこ」と「引っかける」しかけ。

こうした遊びがいったん流行りだすと、次に遊ぶ子たちは、

前の子たちが考えたアイデアや発見を全て取り込んだ上で、

新しい自分たちの目指したいものや追求したいアイデアを見つけ出します。

どんなに魅力的なアイデアも発見も、

すでに正解に行き着いているものは面白くないようです。

 

他のグループの子たちがしていた

「てこに重りを落として人形を飛ばし、ビー玉をしかけてある紙に引っかけて

ビー玉を始動させる」という流れではなく、

「てこ自体が持ち上がって、紙を引っかけてビー玉が動くようにしたい」

という新2年生のAくん。

 

でも、前のグループが遊んでいたミニカー道路の板では思うほど先が上がらないのです。

そこで、いつもピタゴラ装置遊びで愛用している

エッジという長いダンボール(家具を運ぶ際の傷防止用で1本170円ほどです。

軽いけれど子どもが乗っても折れない強度です)をてこに使うことにしました。

 

ところが、試してみると、いくら重りのビー玉を詰め込んでも

てこはびくともしません。軽く振動するだけでした。

そこで重りを落とす位置をもっと高くすることに。

「エッジの形のせいで、重りの力がてこに伝わりにくい」ということで、

カッターで筋を入れて、エッジを平たくする作業もしました。

 

 

それでも、この巨大なてこは持ち上がりません。

そこで、作戦変更。

てこの先に、昆虫の触角のようなものを取りつけて、

てこに小さい力が伝わるだけで、紙の引っかけ部分に触れるようにしました。

 

これは大成功。

 

「ひもを離すと、エレベーターの先にある重りが落ち、てこに振動が伝わり、

それが紙を押し上げてビー玉が始動する」というしかけが完成しました。

 

高い位置から落としてもビー玉が飛び出さないように

Bくんがふたを取りつけてくれました。

 

ゴールでビー玉が円を描いて1周します。


分数を折り紙で学ぶ

2016-04-16 18:29:52 | 算数

新小2生の子たちの折り紙を使った分数学習の様子です。

 

折り紙を使うと、「1」にあたる量がわかりやすいです。

「折り紙を折ってから4分の1に色を塗る」

「折り紙を折ってから8分の1に色を塗る」といった問題をした後で、

「4分の1を何こあつめると1になるでしょう?」

「16分の1を何こあつめると1になるでしょう?」といった課題にチャレンジしました。

 

 

あたり前のようでも、初めて問われた子には難しい問題です。

 

「8分の1をいくつあつめると4分の1になるか」

「2分の1の大きさの色紙をさらに半分にわけたひとつ分はどれだけか」

などの課題をしました。

 

<問題>

1から9の数で、□にあてはまる数を書きなさい。

5分の1より大きくて2分の1より小さい分数。

 

 

 


子どもの内面に自ら困難を選んで、 自分に課していこうとする力が宿っているか

2016-04-16 08:34:45 | 教育論 読者の方からのQ&A

『学びの物語の保育実践』(大宮勇雄著  ひとなる書房)は、

保育と教育の可能性を大きく広げてくれるすばらしい本です。

また家庭でどのように子どもに関わると意欲的で、持続的な自分の力を

100パーセント出しきるような学びの構えを身に付けさせることができるのか

学ぶことができますよ。

子どもに「学ぶ構え」をつけるのには、毎日、一定時間、机に座る習慣をつければ

よいと考える方がいます。

身体が習慣になじんでくると、頭も自然に集中するという理由でしょう。

でも、現実には形だけ作っても頭も心もそわそわして、

心ここにあらずになるのが子どもです。

無理矢理習慣付ければ、適当にする癖がつくか、嫌がるようになるか、

きちんとしたところで「義務を果たす」以上でも以下でもない結果となりがちです。

まず、子どもの内面に自ら困難を選んで、自分に課していこうとするチャレンジ精神を

養っていくことが外から見た目を整える以上に大切なことだと感じています。

 

『学びの物語の保育実践』にマーガレット・カーによる面白いインタビューが

載っています。

幼稚園・保育園で行っている活動の中には「むずかしいと思う」ことはそれほど多く

あがらなかったとカーは報告しています。

このインタビューによると、23人の子どもたちのうち10人の子どもたちは、

困難な課題は(園以外の)他の場所だけにあるという回答で、

つまり子どもたちのおおよそ半数は、園を、彼らが困難なことに立ち向かい

乗り越える場所としていないことは明らかだったのです。

子どもにとって集団の場には、

挑むに値する「困難な課題」が見当たらない場合があります。

それに、子どもにもみんなの前で恥をかかないようにしようとする知恵はありますから、

失敗するリスクの高いチャレンジは、十分なサポートない場ではやりにくいですよね。

この著書にあった言葉を借りれば、保育者のエネルギーが一斉保育の準備、

計画に注がれる保育、子どもの関心が断ち切られるような保育、

保育者の期待する活動や姿から子どもの「できる・できない」を評価する保育の場には、

子どもが成長するために自ら選びとっていく課題が存在しないし、

あったとしても、それに保育者が気づき、認め、応える態勢が整っていません。

最近では、早期教育の情報や幼児教室の考え方が中途半端に家庭の中にも浸透して、

0歳、1歳児、2歳児が育つ家庭環境までが、大人の期待する活動や姿から

子どもの「できる・できない」を評価するというとんでもないものに変容しつつあります。

 

『学びの物語の保育実践』に次のように書かれています。

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「困難に立ち向かう」姿は、どのようにして生まれてくるのでしょうか。

それがわかれば、試行錯誤や創意工夫をしながら問題解決に粘り強く取り組む子どもを

育てることができるでしょう。

学びの物語の五つの視点は、そうした学びがつながっていくプロセス、

つまり「成長」をとらえるうえでとても有効です。(略)

関心と熱中から、「困難に立ち向かう姿」が生まれてきた、

そういう記録を紹介します。(略)

「関心」は「熱中」をもたらし、「熱中」は「関心」の幅を広げ、その深まりをもたらす。

「関心」と「熱中」が相互に手を携えて発展する中で、子どもはむずかしいことに挑戦し、

誰もやったこともないようなやり方で自分のテーマを表現したくなる。

そして……探求は、……の本質に向かう。


           『学びの物語の保育実践』(大宮勇雄著/ひとなる書房)

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虹色教室で子どもたちと接していると、子どもが何度も何度も、

この関心と熱中から、誰もやったことのないようなやり方で自分のテーマを表現し、

自ら困難を選んで挑戦していく姿を目にします。

私が感じるのは、

こうした学びと成長のプロセスに入っていきやすいか、入っていきにくいかは、

親御さんの価値観と姿勢に大きく左右されるということです。

障害のあるなしとか、知能の高い低いとかはあまり関係ないように思います。

子どもが困難に立ち向かおうとせずにぐずぐずしがちな場合、

親御さんが子どもの関心や熱中よりも、外から子どもに与えられる評価が関わる

課題の方を重要視していることがよくあります。

子どもが自分が何が好きで何が面白いのかもわからないし、気づかないうちに、

次々、するべきことや、喜ぶべき楽しみを与えられているのです。

ベビー向けのサークル活動で楽しそうに振舞うこと、いっしょに参加すること、

絵本を喜んで読んでもらうこと、

他の子のできることは同じように意欲的に取り組むことといった親への過剰な

サービスを赤ちゃんにまで求めてしまいがちなのです。

赤ちゃんは、親へのサービス業をするために生まれてきたわけではありませんよね。

まず、子どもが自分のペースで自分を育てていこうとするのを「待つ」ことが、

子育ての最初の課題です。

子どもが何かに関心を寄せ、ひとつのことに熱中しはじめたとき、

「また、同じことをしている」「ママがしてほしいこれをやってみて」

「~へお出かけしましょう」と忙しく振り回さずに、それに気づいて、認めてあげて、

十分繰り返せるようにサポートしてあげることです。

子どもの興味や関心の中から、困難にチャレンジしていこうとする決意が生まれるまで

忙しく大人の事情でいじくりまわさないことが大事です。

大人がヘリコプターのおもちゃを見せてあげたいときにも、子どもの関心は、

工事現場で道路を掘り返しているおじさんの作業にあるかもしれません。

大人が水泳教室で級が上がるかどうか気にしているときも、子どもの関心は、

雨水の音が何かに似ていて、それを詩の言葉で表現してみたいという思いに

あるかもしれません。

 

大人が先回りして、子どもができそうな課題を設定しては「いつのまにかできるように

なっていた」という本人不在の成長をプロデュースし続ける限り、

子どもは「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、

そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という

本当の成長に結びつく体験ができません。

 

 ↓ は自ら選んだ課題に一生懸命取り組む子どもたちの姿です。





















 


生きている実感 と それぞれが惹きつけられるものについて 1

2016-04-15 14:21:46 | 日々思うこと 雑感

非公開を希望されるコメントのなかに、事前に「個人的な名前がわからない形なら公開していただいてもかまいません」と

うかがっているものがあります。

最近の子ども向けアニメのストーリー展開 と 笑いのツボとが気に入らない? 

 の記事にそんな非公開のコメントをいただきました。わたしも前々から関心を抱いている内容なので
お言葉に甘えて、紹介させていただきます。

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最近読んだ本で、“人間の根底には生きていることの実感を得たいという普遍的なものがあるが、個々で表現するものが違う。”という趣旨の内容がありました。
人は皆それぞれが惹き付けられる何かを持っていて、それに触れることで生きている実感をえることができる。個々により、その惹き付けられるものと触れる方法は違うけど、それこそが個性なのかなと解釈しました。工作をしたり、友だちと遊んだり、一見無駄に見える遊びをし続けたり、けんかしたりする子供たち。すべてが惹かれる何かに近づく方法なのかなと考えています。だから、その惹かれる何かに近づくことを認めてもらえないと生きている実感が得られないのかなと感じました。
また惹き付けられるものが何か、よく見えない、よくわからないけど、心に操縦を任せて個々の方法(文章、アニメ、工作など)を使ってものをつくると、“物語自体が自動的に展開していく状態になる”のかなと感じました。もの作りは、その出来上がる過程で自分自身の求めるものを発見したり、深めたり、もう一歩よくわからないものを感じて突き動かされながらつくることが出来て、出来上がったものは、他者、とくに同じ何かに惹かれているものが触れると、深い共感を呼んだり、一緒に成長する機会となるのかなと思いました。
ですから、1人の創造主ではなく、大人数でつくることが前提のテレビのアニメも、あらかじめ統計的、平均的な子供を想定して、結局はたった1人の子供の惹かれる過程をも反映できない身動きの取れない遊びもどこか空々しいけど、生の作者の心に呼応しながらつくるアニメだったり、1人の子供がせずにはいられない遊びやけんかは、個々で何かを得るだけでなく、他者を引きつけるものがうまれてくるのかなと感じました。

また少し話題が変わりますが、ガリレオやニュートン、アインシュタインの件で、彼らは孤独になってでも惹かれる何かがあったのかなと感じました。大科学者になるとか考えているわけではないのですが、A(息子)なんて叱られても叱られても、懲りずに体の感覚を確かめる動き、例えば引き出しの開け閉めを繰り返して引っかかりや開け閉めの圧力を確かめたり、ウノを延々とし続けたり、紙工作をし続けたり、しつこく磁石で遊んだりしています。先生の息子さんも、“高校時代まで無駄な遠回りだって言われながら、何でそうなるのか考えながら勉強した”とありましたが、内からその疑問があふれてきて思わず考えざるをえなかったのかなと感じました。こういう確かめたい、したいという欲求を強く感じる子供は(もともとうまれ持ったものもあるだろうし、持っていても成長過程で欲求が見えなくなったり、逆に成長過程で強くなる子供もいると思いますが)、周囲の目を気にしつつも、せずにはいられないし、それをやり続けることが、その子たちが個として生きる方法なのかなと考えています。

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以前、『自分なりの審美眼』という話を書いたことがあります。

こんな記事です。

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東大パパさんのブログの

きょーちゃんに国語の才能があると思う理由 という記事を

読ませていただいて、とても心に響きました。

ちょうど春休みのレッスンで、それぞれの子の持つ才能の多彩さや独自性を面白く感じていたところなので、なおさらです。

 

「お父さん、『絶対にもらえるかもしれない』っておかしいよね。」とか、

「お父さん!ここに『チョコレートできるまで』って書いてあるけど、おかしいよね。

『チョコレートできるまで』だよね!」といった指摘をするきょーちゃんについて、

東大パパさんは、こんな感想を書いておられます。

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小学一年生で出版物の方が間違っていると主張できるくらいに、

自分の中の言葉の感覚に確信を持っているというのは大したものです。

国語に限らず才能というのは、自分の中に絶対的かつ合理的なものさしを

持てる力のことだと思うのです。審美眼と言い換えても良いかもしれません。

才能を認められるためには、独創的な何かを生み出さなければいけません。

相対的なものさしでは独創的な何かは生み出せませんし、

不合理なものさしで生み出す何かは誰からも認めてもらえません。

きょーちゃんはこれから、自分の中の絶対的かつ合理的な国語ものさしを使って、

美しい言葉、美しい文章を追い求め、これまで無かったような新しい表現を生み出していくことでしょう。

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 教室の子たちといっしょに工作をしたり、ゲームをしたりしながらおしゃべりしていると、

きょーちゃんの言葉の指摘のようなその子独自の目利きの冴えに「あれっ」と驚くことが

よくあります。個性的な才能の輝きを感じます。

 

ある種のユーモアに対して、すごく面白がって、表情をパアッーと明るくする様子

を見て、それを感じることもあります。

春休みの算数クラブの6日目に、こんなことがありました。

参加してくれていたのは新1年生の子たちです。

初めて会った★ちゃんと☆ちゃんが、★ちゃんの作ったカードゲームで

遊んでいた時のことです。

★ちゃんがカードを引く度に悪い手が出て、☆ちゃんが勝ち続けていました。

 

それを見ていたわたしが、冗談半分、負けている★ちゃんの気持ちを和らげる目的半分で、

「これは、★ちゃんが作ったゲームだから、★ちゃんが勝っちゃうと、ちょっと気まずいかもしれないよね。

ほら、★ちゃんの自作ゲームで、いっしょに遊びましょって展開になっているとしたら、

☆ちゃんはお客さんのようなものじゃない?お客さんには、自分より良いもの勧めるのが礼儀だしね。」

と笑いながら言いました。

すると、たちまち、★ちゃんの顔に好奇心いっぱいの表情と満面の笑顔が広がりました。

この話題、★ちゃんの興味のど真ん中を突いたようです。

「そうそう、こういう場合は、☆ちゃんはさ、お客さんのようなもんなんだから、わたしが勝ったら困っちゃう。

そうなったら、し、つ、れ、い、になっちゃう。」

と目をくりくりさせて、オーバーリアクション付きで、そうした相手への気遣いがどれほど大切か熱弁した後で、

☆ちゃんとしっかり手を握り合ってゲームを続けていました。(もう一度、書きますが、ふたりはこの日初めて会いました)

 

★ちゃんは感情の世界の機微や人の振舞いに、とても敏感な子なのです。

わたしが、「もしもこれが3歳の子たちだったら……こうするはず。」とか、

「もしも、これがやんちゃな男の子たちだったら……こんなことするんじゃない?」とか、

「もしもこれがお母さんたちだったら……どうなると思う?」といった話題を出すと、

お腹がよじれるほど笑った後で、

「きっとさ、こうなんじゃない?」と的確な推理を働かせていました。

 

ふたりのうちのひとりは、札幌から来てくれた女の子でした。

そこで、ご当地キティーちゃんの人形(うにの帽子をかぶっています。)を

みんなに見せて、北海道の紹介をしているところです。

 

この日のレッスンで、★ちゃん☆ちゃんは、すばやくゲームを作って、

遊んでいたのですが、

●ちゃんと○ちゃんはゆっくりと自分らしい工夫をたくさん加えながら作っていました。

 

そこで、わたしが、★ちゃんと☆ちゃんには、「何でもテキパキ素早くこなすことはいいことよ。

速いってすばらしいわ!」と言い、

●ちゃんと○ちゃんには、「時間がかかっても、じっくり納得するまで取り組むのは大事よ。

自分らしい工夫をこらしているのはすばらしいわ!」と言うと、

全員が、そのどちらにも「そうそう」とうなずいていました。

 

子どもと物作りをしていると、それぞれの子の性質や何に対して美意識を持っているのか

よくわかります。

 

物を選ぶ時、何を基準にするか。

 

パッと目を引く得しそうなものを選ぶ子。流行に敏感な子。

素材やデザインの美しさで選ぶ子。

自分の中に閃いたアイデア重視の子。(白い紙を好みます。)

大人に指示してもらわないと何も選べない子。

他の子らは全く興味を引かないようなものに強い関心を示す子。

最終的な完成形をイメージした目的に添ったものを選ぶ子もいれば、

素材と戯れたり、実験的に素材と格闘したりする目的で、選ぶ子もいます。

選ぶ際に、何を選ぶかよりも、選ぶ活動の中で動く人の感情や人との関わりに

関心が行く子もいます。

 

また選ぶ姿には、決断力とか想像力とか計画性とか柔軟性なんかが

見てとれます。

 

作る過程で、発揮される能力もさまざまです。

 

自分のしていることをモニタリングしながら段取りよく作っていける子。

イメージの世界を広げて、さまざまな意味付けをしながら作る子。

こちらが教える技術を習得するのが上手な子。

模倣するのが上手な子。新しく学習したことを自分で発展させるのが得意な子。

作る過程で、気づいたことを言葉にする能力が優れた子。

 前回の記事(6日目)の●ちゃんは、立体の図形に対する感性が優れた子だな、と感じるシーンがありました。

 

雑誌にあったシルバニアファミリーの写真を使ってゲームを作ることにした●ちゃん。

わたしが駒にする人形の絵を立てるために、細く切った画用紙を折って

上の写真のような形を作ると、

●ちゃんが即座にそれを再現しはじめました。

 

その際、わたしがした作業を模倣するのではなく、細い紙にどのあたりで折ったらいいのか

指を当てて推理しながらテキパキと仕上げていました。

 

また、最終的にやめてしまったのですが、ゴールの地点に「入学式」と書いた門を立体にして取り付けようと

していました。

 

シールを5つ貼って、進むマスを作っていた時、わたしが、「これだと、最初の人がサイコロを振って、6の目が出たら

大変なことになるね。」と言うと、「そりゃ、始まったばかりで、ゴールになっちゃう。」と言って笑っていた●ちゃんは、

マス目を増やして、「1回休み」とか、「○○進む」といった文字も書きこんでいました。

自分で考えて、実行する力を持っている子のようです。

ポケモンのカードゲームをコピーしてゲーム作りをすることにした○ちゃん。

ゲーム中、勝った人が計算問題に答えるというルールにしていました。

○ちゃんは、何を素材にしてゲームを作るか考える時、ポケモンカードの体重や身長の数値が

ややこしそうだったことに惹かれて選んでいました。

また、質問用のカードも、なるべく難しそうな計算の式になるようにしていました。

○ちゃんには、計算式や小数点がついた数を美しく感じるような感性があるんだろうな、

と思いました。

それぞれの子の資質は本当に面白いです。

 

札幌から来てくれていた☆ちゃんは、★ちゃん同様、わたしが最初に提示した見本通りに

作っていて、作った作品を見る限り☆ちゃんらしさというのはわかりにくいのですが、

作る時も遊ぶ時も、その場や状況の核心部分をすばやくつかみ、こちらが伝えることを理解する面で

卓越していました。

ちょっとした場面で、☆ちゃんから返ってくるコメントがとにかく的確なのです。

たとえば、自分が住んでいる地域のご当地キティーちゃんを探して

みんなに紹介する時も、各県と特産品や行事とのつながりについて

よく理解した上で、さまざまなことを話していました。

子どもによって、独創的でマイペースな子もいれば、呑みこみが早く打てば響くような反応をする子もいるのです。

空間図形に強い子もいれば、情報通の子もいます。人の心の世界に敏感な子もいれば、

知的な世界に美しさを感じる子もいます。

記憶力が良い子、洞察力が優れている子、熟考するのが得意な子、頭の回転が速い子、

粘り強い子、言葉について敏感な子。

本当にひとりひとり違います。

 

前回の記事で、東大パパさんの記事を引用させていただきながら、自分自身が幼かった頃を振り返って、

「自分の中に絶対的なものさしを持っていたものって何だろう?

自分なりの審美眼がきいた分野はどんなものだろう?

それは今の暮らしにどんな風につながっているんだろう?」と思いをめぐらせました。

 

すると、ずいぶん小さい頃から子ども時代を通して、

あるものについて、

誰に何と言われようと揺るがないほど、その質を見分ける自分のものさしを信頼していたものが

あったことに気づきました。

 

いくつかの短い童話や説話や児童書について、

大した根拠もなく、「これは絶対に素晴らしいもの、質が高いもの」という

自己流の目利きで、愛着を抱いているものがありました。

 

どれも子どもの頃のわたしには、そこに書かれている内容を正確に理解することができないもの

ばかりでした。

ですから、どうしてそれが素晴らしいのか、理由を説明する力は

皆無だったのです。

それなのに、初めて目にした瞬間から、強く引き付けられて、

よくわからないながらに、何度も何度も読み返していましたし、

どんな賢そうな人がそれらを馬鹿にしたところで、その質の良さについて微塵の疑いも抱かなかっただろうと思います。

 

そのひとつである『ムギと王さま』という童話はこんな話です。

 

村にひとりのばかがおりました。

その子は、実は校長先生のむすこで、

もとは、その先、何を望んだらいいのかわからないような天才児のひとりでした。

校長先生はあらゆることを望み、むりやり本をつめこみましたが、子どもが十に

なった時、ぜんぜん頭が働かなくなってしまいました。

この子はウィリーという名で、時おり、ふいにつつかれてなりだすこわれたオルゴールのように、

とつぜん、舌がゆるんでとめどなく話をすることがありました。

ある時、ウィリーは、時計のくさりについているカブトムシ石をさわりながら、「ぼくがエジプトにいて、まだ小さかった

ころ……」といった話をはじめます。

最後に、ウィリーは、「エジプトの王さまとムギと、どっちが金色だ?」と問いかけます。

 

この話は、会話のほとんどが禅問答のようなものばかりで、

子どものわたしに何度も読み返させる魅力がどこにあったのか、不思議に感じます。

 

それらのわたしの心を捉えて離さなかった話の数々は、

ニューベリー賞やカーネギー賞やノーベル文学賞を取った作家が書いたもので、

その作者の生きてきた道や伝えたいことが結実したような内容だったことを

大人になって知りました。

 

わたしの両親は、「○年生用とあるからいい本」とか「分厚くて字が小さいからすごい本」とか

「テレビで誰かが勧めていたから質がいい本」といった評価していました。

一方、子どものわたしは、ただただ活字を追いながら、

「これはいい本。」「これはすごい本」と自分の判断に絶対的な確信を抱いていました。

子どもの頃、自分で選んだ話のどれもが、大人になったわたしの心を深く感動させていることを

思うと、わたしは自分にとって大切な話を見分ける鑑識眼を持っていたのかもしれません。

それは受験には役立ちませんでしたが、

生きていく指針となっているように思います。

 

1週間ほど前いただいたコメントの中で、「物理と対称性」(坂東昌子)という本を知り、さっそく

購入して読んでみました。読みやすくてとても面白かったです。

 

第一章のタイトルは、現代物理の審美眼。

 

ちょうど記事で、東大パパさんのブログから借りてきた審美眼という言葉を使っているところ

だったので、妙にこのタイトルに引き付けられました。

わたし同様、「現代物理の審美眼って?」と興味をそそられた方のために、一部を紹介させていただきますね。

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推理小説の場合でも、一見何の脈絡もなく起こる事件の中に存在する共通の意図や

共通する手口などを見いだし、犯人を追いつめていく。

それと同じように、物理は、一見対称性もなく乱雑な現象に見えるときでも、

そこに隠れている規則性や対称性を鋭く見つけだし、背後にある美しさを発見する

営みである。

こうした「隠れた美しさ」を発見する「審美眼」こそが、自然の構造や宇宙の神秘を解き明かす

大切な武器なのである。この「審美眼」を訓練によって持ちあわせているところが、

物理屋の特性である。そしてこれこそが、物理屋が「対称性」について語ることのできる

最も得意なところである。

         (『物理と対称性 クォークから進化まで』坂東昌子著  丸善株式会社 p3  より引用)

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 本の中に、「自発的対称性の破れ」という言葉を見つけて、

教室の子らと大阪市立科学館でさんざん遊んだ「磁石テーブル」(4Fにあります。)のことを

思い出しました。

 

「磁石テーブル」というのは、

「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」でノーベル賞を受賞された

南部陽一郎博士の南部理論がわかるようになっている展示物です。

ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじのようなもの(カーアクセサリー用の方位磁石)が大量にターンテーブルに

敷き詰めてあって、うにょうにょ動く……という……いかにも子どもの興味を引きそうな展示です。

 

大阪市立科学館に行く予定がある方は、ぜひ寄ってみてくださいね。

大阪市立科学館に行ってきました♪ の記事の中で、

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磁石コーナーに関心がある子が多かったので、

大阪市立科学館で作っている小冊子の『磁石と自発的対称性のやぶれ』 (斎藤芳吉彦著)を

買ってきました。(200円)

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と書いたものの、子どもには難しい内容なので、自分たちが遊んだ展示物の写真を見ながら、

あれこれ話をするために使っているだけなんですが、

「科学館で小冊子が買える!」という点に強い関心を示す子もいるので、購入してよかったです。

 

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算数ゲームを作っているところです。

テーマは流行のアニメでもゲームのキャラクターでも恐竜でも

何でもいいことにしているのですが、意外にも『世界遺産の図鑑』から

選ぶ子が一番多いです。

 

 

 

 

 


忍者の知恵を工作で再現

2016-04-15 08:04:38 | 工作 ワークショップ

小3の男の子たちのレッスンで。

「工作がしたい」というものの、

なかなか作りたいものが決まらなかったAくん、Bくん、Cくん。

この年齢の男の子たちは歴史に興味を持つ子が多いです。

「昔の人の知恵を工作で再現してみたらどうかな?」と言いながら、

『もののはじまり図鑑』や『忍術・手品のひみつ』『忍者の大常識』といった

本をいっしょに眺めるうち、何だかワクワクしてきた様子。

「こんなの作ってみたい」「これ試してみたい」と声があがりました。

 

一番人気は『水ぐも』で、

「本当に水の上を歩けるものが作りたい!」と意欲を燃やすものの、

材料と実演する場の問題から、もう少しこじんまりした作品に

チャレンジすることにしました。

 

『かめ筏(いかだ)』。ちゃんと浮かんだ時は感動しました。

 

 

『折りたたみ式の船』

 

『泳がないでお城の堀になわばしごをかける方法』

なわまき機をふたつ用意し、なわの中央になわばしごをつけて

2手のなわまき機を巻いて、なわばしごを城に近づける。

忍者のひとりは、ピンと張ったなわをつたってなわばしごを取り付けに行く。