前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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『今、その子の成長にとって最も大切なことをスルーしてしまう』
早期教育で、非常に見落とされてるところだと感じます。
娘が通っている工作教室に、娘よりも2つ年上の男の子がいるのですが、
インターナショナルスクールに通う子で、早期教育に熱心な親子さんです。
でも、画用紙があっても、グチャグチャとペンを走らせるか、
関係のない文字や数字をひたすら描いたりします。
自分から、描きたい作りたいって欲求が全くなくて、大人に評価されることを嫌がって
グチャグチャにしてしまうという行動に見えます。
遊び方も、2歳の娘と同じような感覚的な遊びを好み、非常に幼さを感じるのです。
必要な時期に必要な遊び、内面的な発達が阻害されてきたのかな~と、思います。
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『自分から発する要求がない』
『評価されることを嫌がって、いい加減な行動をとる』という姿は、
早期教育の結果というだけでなく、現代の誤った0~3歳の子に対する接し方によって
とても多くの子たちが陥っている姿だと思います。
また私が気にかけているのは、
『声をかけても聞こえていないようにスルーすることが多い』
『言葉を発するとき、伝えたいイメージをほとんど持っていない』
『興味を抱いて集中して物を見ない』
『意欲が乏しく遊びが発展しない』
『遊びの中で表現される体験の幅が狭い』
という3~4歳の子の様子です。
発達障害の疑いはなさそうだけど、そうした気がかりな態度を示すという子は、
早期教育のマニュアルにそった接し方をされていた子が多いです。
子どもが意欲的で自分でよく考え、
大人の話にしっかり耳を傾けて、集中して物事を行うようになるには、
3歳までの大人の接し方がとても大切だと感じています。
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先日、1歳7ヶ月の男の子の★くんと、同じ月齢の女の子の☆ちゃんが
レッスンに来ていました。
☆ちゃんはおしゃべりはまだ片言だとはいえ、身振りや表情を使って、
さまざまなことを☆ちゃんのお母さんに訴えかけていました。
☆ちゃんにお母さんが話しかけると、即座に、「うん」「ううん、いや」と
はっきりした反応が返ってきて、自分はどんな風にしたいのかと
伝えようとしはじめます。いちごケーキのおもちゃに自分でいちごを乗せた後で、
それを小さなテーブルに乗せて自分のひざの上に乗せたいということを、
懸命に伝えようとしていました。
☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんの言葉がまだ片言でも、
表情や身振りやお母さんのしたことに対するフィードバックをきちんと受け取って、
「こうかな?」「ああかな?」と大きな子に対するようにきちんと返事をしています。
すると、☆ちゃんも自分の伝えたいことを次から次へと表現して、
自分の記憶の中のイメージや見たこと、こうしたいと思っていることなどを
説明しようとしていました。
そうした☆ちゃんに対して、
★くんはお母さんから声をかけられても知らんふりして、
無言で電車のおもちゃを動かしていたり、おもちゃの果物をポンポン投げたり
していました。
その様子を見ていた私は、
★くんのお母さんが「語りかけなくちゃ」「名前を教えなくちゃ」と
良い育児をすることに気を取られているので、
★くんが発信しているさまざまな思いをきちんと受け取っていないことが
原因ではないかと感じました。
それで、私が「★くんはこういうことを考えているのかな?」と察しながら、
★くんに声をかけると、真剣にこちらの言うことを聞いていて、
少しすると、「うん」とこっくりしたり、「いや、だめ!」と言ったりして、
自分の気持ちをちゃんと伝えるようになってきました。
たとえば、おもちゃの電車を片づけるときも、★くんにすれば、
「これとこれは片づけても良いけど、こっちの電車はまだ置いておいて、
後で遊びたい」といった気持があって、それについてたずねると、
ちゃんと身振りでそれを説明するのです。
また、電車を持ち上げて「あっあっ」と指さしているときも、
その時その時で、「これは連結できるの?」とか、「この電車はビューッと走るよ。
ぼくはビューッとできるよ」とか、「この電車、前に見たことがあるね」とか
ちゃんと伝えたいことがあるのです。
それを適当に「それはドクターイエロー!」「それは新幹線!」と、
大人が教えたい名前を言うとか、英語育児をしているからと
英語で名前を教えるといったことを繰り返していると、
子どもは人とコミュニケーションを取ることに無関心になっていきます。
コミュニケーションへの関心が薄くなると、外の世界から何か学び取ろうとする
強い意志が見えにくくなってきます。
★くんは電車を遠くまで滑らすことに夢中になっています。
それで、電車がスーッと気持よく遠くまで行ったときに、「見て!すごいでしょ!」
という表情でお母さんを見上げて、電車を指差します。
そのときに、お母さんの答えが、電車の名前ばかりでは、
きちんと自分の気持ちが伝わったという満足感は得られませんよね。
そこで私が★くんが興味を持っていると思われる内容で話しかけると、
★くんは集中してこちらの話を聞いて、どの質問にも、きちんと返事を返してきました。
その様子を見た★くんのお母さんは、赤ちゃんだと思っていた★くんが
そんなにもきちんと物事を理解していたことに驚いておられました。
このように2歳に満たない子たちの場合、
コミュニケーションの取り方に少し気がかりなところがあっても、
大人側が修正すれば、すぐに気がかりな点は消えてしまいます。
しかし、3歳前後になって、それまでに悪いコミュニケーションの仕方を身につけて
しまった子の場合、修正していくのはなかなか難しいです。
ひとつの基準として、2歳までに、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』
という信頼感が育っているかどうかがとても大切だと感じています。
また、『自分で選んですることに自信を持っている』ことも大事です。
大人が四六時中、「こうしてごらん」「ああしてごらん」と声をかけて、
子どもはその指示で動くのでは、何歳の子でも 自分で選んですることに自信を
持つことができません。
失敗するたびに、正しい方法というのを口出しされるのも、自信を失う一因です。
幼い子たちは、たくさんまちがう権利を保障してもらって、
まちがいから自分で正しい方法に気づくとき、自分の能力に自信を持ち始めます。
2歳までに、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という
信頼感が育てるなんて、すごく難しいんじゃないかな?
まだ ろくにしゃべれないような子どもたちの気持ちをきちんと受け止めるなんて
本当にできるの?
現代の親じゃなくたって、赤ちゃんの気持ちをきちんと察するなんて
できなかったんじゃない?と思った方がいるかもしれないので、
もう少し補足しておきますね。
『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という信頼感を育てるために
「大人は子どものサインを読みまちがえちゃいけない」
「いつも真剣に子どもの相手をしなくちゃいけない」ということはありません。
ちょっと適当でゆるいくらいの育児で、
そうした信頼感は育っていくように感じています。
話が遠回りになりますが、
先日、これまでの宮崎アニメの歩みを紹介するテレビ番組をしていました。
『ハイジ』というアニメでは、「不安を感じている」「だんだん打ち解けてきている」
「いきいきとした喜びが湧いてきている」といった心の変化を、
少女ハイジの一瞬の笑みや表情で表現していてすばらしかったです。
アニメの中でこうした表現をしようとすると、才能のある大人が、
ああでもないこうでもないと頭を絞ってそのシーンを作るわけですが、
現実の赤ちゃんや幼児は、誰に習ったわけでもないのに、あらゆる瞬間に、
その場に応じた自分の気持ちや思いを、身振りや表情やしゃべれる語彙で、
適切に発信しているのですからすごいですよね。
でも、この『ハイジ』にしても、制作者がどんなに緻密な計算のもとで、
ワンシーン、ワンシーンを作っていたところで、見る側の人が、
「これを見たらどんな得になるのかしら? 英語がマスターできる? 賢くなる?」
とか
「このストーリーならもう知っているわ。歩けなかった女の子が歩くようになる話よね」
といった先入観を抱いて、表面だけサラッと見たとしたら、
ハイジの微細な気持ちの変化は、見る人に伝わらないのではないでしょうか?
大人には伝わりにくいハイジの気持ちは、夢中になってアニメを見ている子どもには、
きちんと伝わっている場合がよくあります。
子どもは主人公といっしょになって、ドキドキしたり、喜んだり、
悲しくなったりしますから。
年の近いお兄ちゃんお姉ちゃんがいる二人目ちゃんは、
コミュニケーションを取るのが上手で、環境から新しい知識を学び取ろうと
アンテナをしっかり張っている子が多いです。
親からすると幼いお兄ちゃんお姉ちゃんの赤ちゃんへの接し方を見ると
ひやひやすることもあるでしょうが、実際には、子どもが子どもに接する場合、
自然でどちらも成長できるような関わり方をしているものです。
子どもは、相手がしゃべることができない赤ちゃんだからといって、
大人のように『良い接し方』をしようと 情報をいっぱい頭に詰め込んで、
一方通行のコミュニケーションを取ったりしないのです。
赤ちゃんが発するものを素直に受け止めて、わからなければ、「なあに?なあに?」と
受け取ろうとする努力をします。
たとえ、自分の思いがうまく伝わっていなくても、「何を言いたいのかな?」と
聞き取ろうと努力してもらううち、
赤ちゃんは今度は大人の伝えることを全身全霊で聞いて、よくわからないことも、
わかろうとしようとする態度を身に付けていきます。
自分にしてもらったことをそのまま模倣するのです。
現在、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という赤ちゃんの信頼感が
育ちにくい理由として、
「完璧でしつけが行き届いた育児がしたい」
という大人の思いがあります。
「赤ちゃんの要求に応えてばかりじゃ、わがままな子になるのでは?」
という不安がブレーキになって、
赤ちゃんの発信するものをきちんと受け取れなくなっている場合があるのです。
でも、最初から「完璧でしつけが行き届いた育児がしたい」と張り切ると、
必ずといっていいほど失敗に終わります。
なぜなら、赤ちゃんが大人の指示にきちんと従うことができるようになるには、
その前に、自分が発信したことに、たっぷり十分すぎるほど応えてもらう必要が
あるからです。
早期教育が弊害になるのは、こういうときです。
早期教育のマニュアルにそっていろんなことを赤ちゃんにしているとき、
大人が子どもにたくさん要求していて、(ちゃんと教材を見てほしい、マニュアル通り
成長してほしい、喜んで学習してほしい、習い事でよい子にしてほしいなど)
子どもからの発信を受け取るのはすっかりお留守になっていることがあるのです。
大人の発信を赤ちゃんに受け取ってもらうのでなくて、赤ちゃんの発信を大人が
受け取るのが先だということを忘れてはいけません。
虹色教室にいらっしゃる親御さんの場合、
早期教育のマニュアルで接したり、しつけを徹底したりするより、
赤ちゃんが可愛くてたまらなくて、
とにかく子どもの要求を何でも聞いてあげようと一生懸命な方が多いです。
けれども、子どもの要求に応えているつもりなのに、
大人が自分がしてあげたい甘やかしを押し付けているだけで、
赤ちゃんの望んでいることからずいぶんかけ離れている場合もよくあります。
ひとことで簡単に説明できそうにないので、赤ちゃんがどんなことを望んでいて、
どんなことを望んでいないのかといった話はまた次の機会に、
くわしく書いていきますね。