虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 続き

2016-06-05 09:06:28 | 日々思うこと 雑感

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。

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『今、その子の成長にとって最も大切なことをスルーしてしまう』

早期教育で、非常に見落とされてるところだと感じます。

娘が通っている工作教室に、娘よりも2つ年上の男の子がいるのですが、

インターナショナルスクールに通う子で、早期教育に熱心な親子さんです。

でも、画用紙があっても、グチャグチャとペンを走らせるか、

関係のない文字や数字をひたすら描いたりします。

自分から、描きたい作りたいって欲求が全くなくて、大人に評価されることを嫌がって

グチャグチャにしてしまうという行動に見えます。

遊び方も、2歳の娘と同じような感覚的な遊びを好み、非常に幼さを感じるのです。

必要な時期に必要な遊び、内面的な発達が阻害されてきたのかな~と、思います。

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『自分から発する要求がない』

『評価されることを嫌がって、いい加減な行動をとる』という姿は、

早期教育の結果というだけでなく、現代の誤った0~3歳の子に対する接し方によって

とても多くの子たちが陥っている姿だと思います。

 

また私が気にかけているのは、

『声をかけても聞こえていないようにスルーすることが多い』

『言葉を発するとき、伝えたいイメージをほとんど持っていない』

『興味を抱いて集中して物を見ない』

『意欲が乏しく遊びが発展しない』

『遊びの中で表現される体験の幅が狭い』

という3~4歳の子の様子です。

 

発達障害の疑いはなさそうだけど、そうした気がかりな態度を示すという子は、

早期教育のマニュアルにそった接し方をされていた子が多いです。

子どもが意欲的で自分でよく考え、

大人の話にしっかり耳を傾けて、集中して物事を行うようになるには、

3歳までの大人の接し方がとても大切だと感じています。

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先日、1歳7ヶ月の男の子の★くんと、同じ月齢の女の子の☆ちゃんが

レッスンに来ていました。

☆ちゃんはおしゃべりはまだ片言だとはいえ、身振りや表情を使って、

さまざまなことを☆ちゃんのお母さんに訴えかけていました。

☆ちゃんにお母さんが話しかけると、即座に、「うん」「ううん、いや」と

はっきりした反応が返ってきて、自分はどんな風にしたいのかと

伝えようとしはじめます。いちごケーキのおもちゃに自分でいちごを乗せた後で、

それを小さなテーブルに乗せて自分のひざの上に乗せたいということを、

懸命に伝えようとしていました。

☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんの言葉がまだ片言でも、

表情や身振りやお母さんのしたことに対するフィードバックをきちんと受け取って、

「こうかな?」「ああかな?」と大きな子に対するようにきちんと返事をしています。

すると、☆ちゃんも自分の伝えたいことを次から次へと表現して、

自分の記憶の中のイメージや見たこと、こうしたいと思っていることなどを

説明しようとしていました。

 

そうした☆ちゃんに対して、

★くんはお母さんから声をかけられても知らんふりして、

無言で電車のおもちゃを動かしていたり、おもちゃの果物をポンポン投げたり

していました。

その様子を見ていた私は、

★くんのお母さんが「語りかけなくちゃ」「名前を教えなくちゃ」と

良い育児をすることに気を取られているので、

★くんが発信しているさまざまな思いをきちんと受け取っていないことが

原因ではないかと感じました。

それで、私が「★くんはこういうことを考えているのかな?」と察しながら、

★くんに声をかけると、真剣にこちらの言うことを聞いていて、

少しすると、「うん」とこっくりしたり、「いや、だめ!」と言ったりして、

自分の気持ちをちゃんと伝えるようになってきました。

 

たとえば、おもちゃの電車を片づけるときも、★くんにすれば、

「これとこれは片づけても良いけど、こっちの電車はまだ置いておいて、

後で遊びたい」といった気持があって、それについてたずねると、

ちゃんと身振りでそれを説明するのです。

また、電車を持ち上げて「あっあっ」と指さしているときも、

その時その時で、「これは連結できるの?」とか、「この電車はビューッと走るよ。

ぼくはビューッとできるよ」とか、「この電車、前に見たことがあるね」とか

ちゃんと伝えたいことがあるのです。

それを適当に「それはドクターイエロー!」「それは新幹線!」と、

大人が教えたい名前を言うとか、英語育児をしているからと

英語で名前を教えるといったことを繰り返していると、

子どもは人とコミュニケーションを取ることに無関心になっていきます。

コミュニケーションへの関心が薄くなると、外の世界から何か学び取ろうとする

強い意志が見えにくくなってきます。

★くんは電車を遠くまで滑らすことに夢中になっています。

それで、電車がスーッと気持よく遠くまで行ったときに、「見て!すごいでしょ!」

という表情でお母さんを見上げて、電車を指差します。

そのときに、お母さんの答えが、電車の名前ばかりでは、

きちんと自分の気持ちが伝わったという満足感は得られませんよね。

そこで私が★くんが興味を持っていると思われる内容で話しかけると、

★くんは集中してこちらの話を聞いて、どの質問にも、きちんと返事を返してきました。

その様子を見た★くんのお母さんは、赤ちゃんだと思っていた★くんが

そんなにもきちんと物事を理解していたことに驚いておられました。

このように2歳に満たない子たちの場合、

コミュニケーションの取り方に少し気がかりなところがあっても、

大人側が修正すれば、すぐに気がかりな点は消えてしまいます。

しかし、3歳前後になって、それまでに悪いコミュニケーションの仕方を身につけて

しまった子の場合、修正していくのはなかなか難しいです。

ひとつの基準として、2歳までに、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』

という信頼感が育っているかどうかがとても大切だと感じています。

また、『自分で選んですることに自信を持っている』ことも大事です。

大人が四六時中、「こうしてごらん」「ああしてごらん」と声をかけて、

子どもはその指示で動くのでは、何歳の子でも 自分で選んですることに自信を

持つことができません。

失敗するたびに、正しい方法というのを口出しされるのも、自信を失う一因です。

幼い子たちは、たくさんまちがう権利を保障してもらって、

まちがいから自分で正しい方法に気づくとき、自分の能力に自信を持ち始めます。

2歳までに、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という

信頼感が育てるなんて、すごく難しいんじゃないかな?

まだ ろくにしゃべれないような子どもたちの気持ちをきちんと受け止めるなんて

本当にできるの?

現代の親じゃなくたって、赤ちゃんの気持ちをきちんと察するなんて

できなかったんじゃない?と思った方がいるかもしれないので、

もう少し補足しておきますね。

『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という信頼感を育てるために

「大人は子どものサインを読みまちがえちゃいけない」

「いつも真剣に子どもの相手をしなくちゃいけない」ということはありません。

ちょっと適当でゆるいくらいの育児で、

そうした信頼感は育っていくように感じています。

 

話が遠回りになりますが、

先日、これまでの宮崎アニメの歩みを紹介するテレビ番組をしていました。

『ハイジ』というアニメでは、「不安を感じている」「だんだん打ち解けてきている」

「いきいきとした喜びが湧いてきている」といった心の変化を、

少女ハイジの一瞬の笑みや表情で表現していてすばらしかったです。

アニメの中でこうした表現をしようとすると、才能のある大人が、

ああでもないこうでもないと頭を絞ってそのシーンを作るわけですが、

現実の赤ちゃんや幼児は、誰に習ったわけでもないのに、あらゆる瞬間に、

その場に応じた自分の気持ちや思いを、身振りや表情やしゃべれる語彙で、

適切に発信しているのですからすごいですよね。

でも、この『ハイジ』にしても、制作者がどんなに緻密な計算のもとで、

ワンシーン、ワンシーンを作っていたところで、見る側の人が、

「これを見たらどんな得になるのかしら? 英語がマスターできる? 賢くなる?」

とか

「このストーリーならもう知っているわ。歩けなかった女の子が歩くようになる話よね」

といった先入観を抱いて、表面だけサラッと見たとしたら、

ハイジの微細な気持ちの変化は、見る人に伝わらないのではないでしょうか?

大人には伝わりにくいハイジの気持ちは、夢中になってアニメを見ている子どもには、

きちんと伝わっている場合がよくあります。

子どもは主人公といっしょになって、ドキドキしたり、喜んだり、

悲しくなったりしますから。

 

年の近いお兄ちゃんお姉ちゃんがいる二人目ちゃんは、

コミュニケーションを取るのが上手で、環境から新しい知識を学び取ろうと

アンテナをしっかり張っている子が多いです。

親からすると幼いお兄ちゃんお姉ちゃんの赤ちゃんへの接し方を見ると

ひやひやすることもあるでしょうが、実際には、子どもが子どもに接する場合、

自然でどちらも成長できるような関わり方をしているものです。

子どもは、相手がしゃべることができない赤ちゃんだからといって、

大人のように『良い接し方』をしようと 情報をいっぱい頭に詰め込んで、

一方通行のコミュニケーションを取ったりしないのです。

赤ちゃんが発するものを素直に受け止めて、わからなければ、「なあに?なあに?」と

受け取ろうとする努力をします。

たとえ、自分の思いがうまく伝わっていなくても、「何を言いたいのかな?」と

聞き取ろうと努力してもらううち、

赤ちゃんは今度は大人の伝えることを全身全霊で聞いて、よくわからないことも、

わかろうとしようとする態度を身に付けていきます。

自分にしてもらったことをそのまま模倣するのです。

現在、『大人は自分の要求に正しい形で応えてくれる』という赤ちゃんの信頼感が

育ちにくい理由として、

「完璧でしつけが行き届いた育児がしたい」

という大人の思いがあります。

「赤ちゃんの要求に応えてばかりじゃ、わがままな子になるのでは?」

という不安がブレーキになって、

赤ちゃんの発信するものをきちんと受け取れなくなっている場合があるのです。

でも、最初から「完璧でしつけが行き届いた育児がしたい」と張り切ると、

必ずといっていいほど失敗に終わります。

なぜなら、赤ちゃんが大人の指示にきちんと従うことができるようになるには、

その前に、自分が発信したことに、たっぷり十分すぎるほど応えてもらう必要が

あるからです。

 

早期教育が弊害になるのは、こういうときです。

早期教育のマニュアルにそっていろんなことを赤ちゃんにしているとき、

大人が子どもにたくさん要求していて、(ちゃんと教材を見てほしい、マニュアル通り

成長してほしい、喜んで学習してほしい、習い事でよい子にしてほしいなど)

子どもからの発信を受け取るのはすっかりお留守になっていることがあるのです。

大人の発信を赤ちゃんに受け取ってもらうのでなくて、赤ちゃんの発信を大人が

受け取るのが先だということを忘れてはいけません。


虹色教室にいらっしゃる親御さんの場合、

早期教育のマニュアルで接したり、しつけを徹底したりするより、

赤ちゃんが可愛くてたまらなくて、

とにかく子どもの要求を何でも聞いてあげようと一生懸命な方が多いです。

けれども、子どもの要求に応えているつもりなのに、

大人が自分がしてあげたい甘やかしを押し付けているだけで、

赤ちゃんの望んでいることからずいぶんかけ離れている場合もよくあります。

ひとことで簡単に説明できそうにないので、赤ちゃんがどんなことを望んでいて、

どんなことを望んでいないのかといった話はまた次の機会に、

くわしく書いていきますね。


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 続き

2016-06-04 18:36:08 | 日々思うこと 雑感

虹色教室を始める前、

児童館や青少年向けの施設でボランティアで工作を教えていたことがあります。

児童館の工作教室には、開催日を心待ちにしてくれている

幼児~小学校低学年くらいの子が集まって、ビデオカメラ、洗濯機、恐竜、動物園、

携帯ゲーム、お化粧セット、お散歩わんちゃんなど多種多様な作品を

生みだしていました。

椅子や大きな布積み木を使って人形劇場や映画館ごっこをしながら、

作った作品で遊ぶ時間も盛況でした。

 

でも、開催日が地域の幼い子向けの行事と重なったり激しい雨が降ったりすると、

こちらは持ち切れないほどの工作素材を抱えていったのに、

子どもがひとりも来ない……なんて日もありました。

寂しくはあるけれど、そういう日はそういう日しかできないことも可能です。

館内をうろついて、人数が多い日には誘いにくい子たちに、

「工作しない?工作するならおいで」と声をかけて

まわっていました。

 

児童館内には、いつも、物の破壊や他児への威嚇や大人に対する暴言が目立つ

小学校高学年くらいの男の子たちが一定数いました。

そうした子らに声をかけると、まず返ってくるのは、

憎まれ口や「死ね」「殺す」といった言葉です。

 

それでも何度も迎えに行ったり、

その子らが面白がりそうな飛ばし道具や携帯ゲームや縁日やゲームセンターに

あるようなものを見本に作って誘うと、

「だるい」「つまんねー」「しょーもない」「やりたくねー」と言いながら

こちらにちょっかいを出しにきて、乱暴な扱いでわたしが作ったもので遊んで、

しまいに、自分たちも工作に参加していました。

 

その時、毎回のように実感したのは、「死ね」とか「殺す」といった

大人も震え上がるような言葉を吐く子らに限って、しっかり関わって遊びはじめると、

大きな赤ちゃんのようにこちらにおぶさってきたり、

ベタベタと甘えてきたりするなーということです。

おぶさったりベタベタ甘えるといっても、高学年にもなる子ですから、

表向きはこちらへの嫌がらせの構えを取っています。

でも、本当の嫌がらせとは違って、甘えの屈折した表現であるのは一目瞭然なのです。

 

やり過ぎを叱ったり、ぶつかりあったり、求められるものを作ってあげたり、

作るように誘う度に「だるい」「むり」「疲れた」「くだらね」「うざい」と

言うのに、「だるい禁句。むりも禁句。疲れたも禁句。」とか、

「いいわ。言いたいことを全部、全部、言ってみて。その代わり、これを作ってね」

とか、「だるいとむりと疲れたとくだらねとうざいと殺すと死ねって、

すてきな日本語とは言えないわね。

じゃあ、それ以外にすてきな日本語とは言えない言葉ってもっとある?」などと

ああ言えばこう言うで言い返していると、

しまいにちょこんと隣に座って工作をしていました。

そのうち、「漢字がかける」とか、「カッター使ったことあるからできる」とか、

「アニメのキャラクターが描ける」など、できることをアピールするようになって、

「すごいね」「えっ、そんなことできるの?」と言葉を返すうちに、

毒のある言葉はずいぶん少なくなっていました。 


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 

2016-06-04 18:34:14 | 日々思うこと 雑感

「発達障害と診断されることはないけれど

社会性の発達にちょっと気になるところがあった」という子や

「発達障害と診断されたけれど

学習面や人との関わりにさほど問題が感じられない」という子が、

過度に危険な行為を繰り返すことがあるのを気にかけています。

 

本人は相手の興味を引きたくてふざけているのでしょうが、

相手の顔に物をぶつける真似をしてみたり、嫌がることをしつこくやり続けたり、

目打ちやカッターなど危険な道具を使っている子に、わざとちょっかいをかけてみたり、

高いところから物を落としたり、危険な場所で友だちを押すような行為です。

 

また高学年くらいになって、残虐な殺人シーンなどがたくさん出てくるゲームや、

グロテスクなものや殺人方法などへの興味を、周囲にしつこくアピールしたりする子の

存在も心に引っかかっています。

 

どちらにしても、そうした行為の動機は、

こちらに構ってもらいたい、相手をしてもらいたい、

甘えたいという気持ちであることは、子どもの姿から伝わってきます。

会話からわかる本人の心性は、見た目よりずっと幼いのです。

 

人との関わり方をほかに知らない子にとって、

嫌がらせをしたり、周囲を驚かせるような危険なおふざけにふけることは、

刺激を求める気持ちが満たされ、

不安感や緊張感をまぎらわすのに役立つことでもあるのでしょう。

 

そうした人との誤った関わり方を続けるうちに、

相手や自分を傷つけるような関係の作り方が習慣化したり、

衝動のまま振舞う行為がエスカレートしたりすることはよく見られるので、

親や周囲の人の対応はとても大切だと思っています。

 

といっても、親御さんから「どんなふうに対応したらいいでしょう?」と相談を

受けても、はっきりしたお返事ができないままになっています。

習慣化させたりエスカレートするのを防ぐための対応は、わたしの中でははっきり

しているし、実際に深く一人の子と関わる時間があれば、それなりの効果があるのは

実感しているけれど、

それを安易に言葉で伝えると、よりいっそう問題をこじらせるのではないかと

案じているのです。

ブログだと、誤解を避けながら多方面からの見方を伝えることができるので、

記事にさせていただくことにしました。

 

先日、息子と二人で夕食を外でとることになったので、

危険な行為を繰り返したり、残虐なものに興味を持つ子らへの対応について、

意見を求めました。

先入観のない客観的な意見が聞きたかったし、息子ならさほど古くない記憶として

小学生時代の自分の心や友だちの姿を振り返ることができるでしょうから。

 

息子「小学校の同級生にはそういう子がけっこういたな。

一概に決め付けられないけど、血を見るような危険なことをやってみようとしたり、

死ぬことに強い関心を示したりするのは、

普段の生活に現実感がないからじゃないかな?

 

現実味が乏しい暮らしをしていると、いろいろなものを破壊して、

現実の現実らしさを目の当たりにしたいって思うのかもしれないじゃん。

スリルを味わえることとか、自分の限界まで疲れ切るほど何かに打ち込む体験とか、

失いたくないという自分にとって大切なものなんかが、もっとあればいいのかな?

 

殺人や死にこだわるのって、生きている実感を求める気持ちの裏返しのように

思えるよ。周囲の人の態度や感情が本物かどうか壊れるまで傷つけて、

確かめたいって思いもあるんじゃないかな?」

 

わたし 「現実感の欠如?そういえば、そうかもしれない。

危険なちょっかいを繰り返す子や、グロテスクな趣味を自慢する子に接していると、

その子の心の中の世界も、その子をめぐる外の世界も、

中身のないラベルだけでできているように感じる時があるから。

 

好きな遊びや物をたずねても、

あぁ、これがこの子を毎日ワクワクさせているんだな、

これがこの子なんだな、生活の中にその子らしさがギューッと詰まっているように

感じるような答えが返ってくることはまずないの。

 

好きなもの?ない、わからん、しらん、と言うか、それほど関心がない様子で

アニメの名前を言う感じ。

高学年なら、青酸カリとか15禁映画とか17禁ゲーム、グロエロスプラッターなんて、

周囲をギョッとさせる目的でだけ返事をしているみたい。

 

社会性の発達が気になる子は、細かい感情の変化は相手のも自分のも

気づけないようなところがあるから、

気分を高揚させてくれる激しい刺激を求めることがよくあるの。

 

相手との距離感がつかめなかったり、相手が嫌がっているのに気づけないことも

あって、相手を不快にさせるような危険なおふざけもよくするわ。

 

でも、相手が嫌がるようなちょっかいが多い子も、

いずれこの子はこれを卒業していけるだろうって感じる子と、

大きくなるにつれて、周りの人の心をざわざわさせるような発言を面白がるように

なるんじゃないかと心配になる子とがいるのよ。

 

 お母さんの子どもについての相談や近況報告を聞いて、

先々、あまり心配のいらない子か心配な子か感じることがよくあるわ。

構ってもらいたさからくるお友だちへのちょっかいを目にしたお母さんが、

それをやめさせることだけを考えて終わるのでなくて、

実際に家でその子とおしゃべりしたり、ちょっかいを面白がる気持ちを創造力に

変換するような遊びで関わってあげたり、子どもの微妙な心の変化を見守っていたり

するのを聞くとこの子はきっと大丈夫と思うのよ。

 

でも、このまま放っておいてもいいでしょうか?という質問が、

もしわたしが大丈夫と答えたら、その子がお母さんから注目され、一緒に何かを楽しみ、

どんなことにどんな感情を抱いて生活しているのか、には無関心なまま、

ただ子どもに変わってほしい、期待にそってほしい、理想像に近づいて欲しいという

望みを突きつけるんじゃないかって感じる時、先のことが不安になる。

 

子どもの構ってもらいたいちょっかいは、

危険なものはきちんと叱らなきゃいけないわ。

でもそれだけじゃない。 

いろんな子が幼い頃からだんだん育っていく姿を見ていると、

ちょっかいの先に、構ってもらいたさが子どもと共に成長しようという

誰かの気持ちがある環境で満たされたか、

子どもが変じゃないか、外から悪い評価を受けないかチェックする行為だけが

続いていったかによって、子どもの未来は違っていくんじゃないかと感じるわ」。

 


子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 1

2016-06-04 08:12:46 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 1

0、1歳児~の数学的なセンスの発達 と ハンディーを持った子の算数 2

の記事に次のようなコメントをいただきました。

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今回の内面的な敏感期?のお話、とても勉強になりました。

今までは目で見て分かるような敏感期にばかりとらわれていたように思います。

推測する力を伸ばしたい時期があるという発想は新鮮でした。
息子も何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、

飽きもせずやり続けているので、何か伸ばしたい内面的なものがあるのかも

しれませんね。そういった視点から息子を見てみると新たな発見がありそうで

楽しみです。
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『何かを隠しては、親に探させて、見つかると一緒に喜ぶという流れを毎日、

飽きもせずやり続けている』のは、

自分とは他の人の心の動きや視線に気づきはじめる時期によくするように思います。

そのためか他者の情動を推測するのが苦手な自閉症スペクトラムの幼い子たちが、

こうした遊びを喜ぶ姿はあまり見かけないのです。

(けれど、就学前後の自閉症スペクトラムの子の中には、こうした遊びを

繰り返したがる子がいるように思います)

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↑の写真は今年、年長さんになる子たちのグループレッスンでのひとこまです。

『うちのタマ知りませんか?』というボードゲームをしています。

段ボールに入れられて捨てられたタマを探しに行くゲームです。

「自分ひとりだけ段ボールの中を確かめることができる」というカードを引いた

☆ちゃんが、そっと段ボールの中をのぞいて、

「タマだったの?」というみんなの視線が集中する中で、

「タマじゃないよ~」と言いながら笑っているところです。

(本当はタマなのですが、嘘をついて、みんなに気づかれないようにタマを

救いにいかなくてはならないのです)


このゲーム、言葉の上でも表情でも、みんなをだまして嘘をついて、

自分が有利になるように自分だけの秘密や自分だけの記憶を保たなくてはなりません。

そのため、このゲームを本当に楽しむには、複雑な他者の思いを理解できる準備が

できていなくてはならないのです。

男の子たちのグループだと、こうした心理面での複雑なやりとりを面白がるのは

もっと月齢が上がってからかもしれません。

女の子たちは、とにかくおませです。

『自分が目にしているものを、他の人からは見えないことを理解した上で、

自分がそれについて言葉で表現することで、それが見えていない他者の心は、

自分の言葉を信じて真実と異なることを想像する。』

他者の心の動きに敏感になる時期の子たちは、

そうした体験をものすごく面白がります。

相手の表情を読んでは、ゲラゲラ笑い転げて、何度も繰りかえそうとします。

いただいたコメントにあった『物を隠して探させる』遊びの場合、

このゲームを楽しんでいる年長さんたちよりもう少し単純な

『他者の心が、目の動きやびっくりする表情で「見える」こと』が面白くて

しかたがない時期なのでしょう。

何気ない日常の暮らしの中で、幼児の心は外からは見えにくい尺度で

進歩し続けています。

たくさんの乳幼児と接していて感じるのは、

体系化された早期教育や子育て情報の影響で、幼児を外から見える『ものさし』で

測定しつつ育てることの弊害です。

外から評価できる尺度をあてて躍起になって子育てすると、気がつかない間に、

子どもの内面で敏感になっているものを無視したり、壊したり、つぶしたりすることが

起こりがちなのです。

早期教育の全てに、害があるというわけではありません。

外側に作られた尺度に気を取られるあまり、子どもの内側から発信されてくる

『今、その子の成長にとって最も大切なこと』をスルーしてしまう

ことが、問題なのです。

このことは次回、もう少しくわしく(2歳まで、3歳まで……という時期、

その後の成長に欠かすことができない内面の発達について)

書かせていただきますね。


回転ずし と 算数パズル

2016-06-03 20:27:05 | 算数

工作や手芸が大好きな小1のAちゃん。

教室に着くなり、「おすしが作りたい」とのことでした。

「残念だけど、ちょうど使いやすい粘土がなくなってしまったのよ。

今日は、おすしじゃないものを作った方がいいんじゃないかな?」とたずねると、

「おすしのごはんの部分はティッシュとかでいいから、回転ずし屋さんが作りたい」と

お願いされました。

材量の入っている箱を出してあげると、クッキーが入っていた缶などを選んでいました。

 

Aちゃんは毎月、教室に来るたびに、

お家で作った大量の作品の写真を撮ってきてくれるほどの工作好きなので、

おすしのひとつひとつも1年生と思えない出来栄えでした。

 

「2ケタの暗算ができるようになった」というAちゃんと

算数パズルを作って遊びました。

25が3つで75、25が4つで100、45が2つで90といった

高学年になってからの工夫する計算や角度の計算の勘が身に着くような

数でパズルを作っています。

 

写真はAちゃんが作った問題です。

 

「25、45、60の数のピースを使って

(使わないものがあってもいいし、同じピースをいくつか使ってもいいです)、

270になるうさぎを作りなさい」

 

答えは、「60+60+60+45+45」です。 


考えたり推理したり試したりできるような遊びや工作を楽しむには? 2

2016-06-02 18:06:36 | 日々思うこと 雑感

 

『魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」ではダメ?

で紹介した『web屋の日常』のtoksatoさんの

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食も情報も生き方も飽和状態の今の日本では、

子どもに釣り方(テクニックや公式など)を教えるだけでは、とてつもなく危険で、

魚を釣ることの楽しさや意義を教える必要がある。

「なぜ釣りをするのか」を自分で噛み砕いて把握しなければ、

その熱意と哲学がなければ、扱えないし、磨きあげることができない。

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という考え方に深く共感しています。

ですから、子どもが、「考えたり推理したり試したり」するようになるには、

テクニック的なことを教えるのではなく、考えたり推理したり試したりする

楽しさを思いっきり味わう必要があると思っています。

そのためは、自分が学んでいるひとつひとつの内容に愛着を抱き、

考えたくてたまらなくなるほど好きになるのが一番です。


「好き」な気持ちは伝染します。

だからこそ、ちまたではいろいろなものが流行するのですよね。

知識や考えることに対する「好き」も例外じゃありません。

つい最近も、小学生の子らに「大阪城めぐり」の企画と準備をさせることにしたとたん、

教室中が歴史ブームに湧いているのです。

 

最初に「好き」という気持ちがベースにあると、

「どうやって畳36枚分もあるような巨大な石を運んだんだろう?

どうやって、船に乗せたんだろう?」という疑問に必死で頭をひねるし、

昔の人の知恵に心底、感服します。

「考えるってすごいなぁ」「こんな途方もないことを実現しちゃうんだなぁ」

「いろいろ知るのって楽しいなぁ」「やってみて試してみるのはワクワクするなぁ」と

身体で感じ取るはずです。

 

新一年生のAちゃんが忍者めしというグミを教室に持ってきていました。

そこで、同じく新1年生のBちゃんといっしょに『忍者の大常識』という本にあった

非常用の携帯食を作ることにしました。

作るといっても、ごっこ遊びの延長で、ひと通り材料は用意するものの、

全部偽ものなんですが……。

 

<作り方>

そば粉の代わりに、塩土を削ったもので。

 

小麦粉ねんどの人参。

 

手書きのレシピ通りにあれこれ混ぜ合わせて、

3年酒にひたす振りをして、できあがり。

(本当は、水渇丸も飢渇丸ももっと小さな粒だったはず……。)

「ごっこ」とはいえ、こんなふうに本格的にごっこ遊びに興じると、

いろいろな知識をもっともっと得たいと感じるようになるし、

昔の暮らしについてさまざまな疑問が湧いてきます。

 

AちゃんとBちゃんは、竹筒の中に目つぶしのとうがらしを仕込んだものと、

くさりのついた武器を仕込んだものを作りたがりました。

 

ついでに自分の足の型を取ってぞうりを作り、

黒い覆面をかぶって、忍者になりきって遊んでいました。

 

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他の子らが作った石落としの仕掛けに、

石垣をつけくわえることにした新一年生のCくん。

 

石落としの仕掛けを見た新一年生のDくんは、

コップの中にビー玉が入ると、ビー玉の重さでひもが引っ張られる仕組みを

使ってエレベーターを上げることにしました。

 

でも、ひもが絡まってうまく作動しませんでした。

このように「うまくいかない時」は、「考える時」です。

 

ひもが絡まらないようにひと工夫。

と、次は、ビー玉がコップいっぱいに入っても

エレベーターが上がらないことがわかりました。

そこで、コップの下にもうひとつコップをつけ足して、

最初からビー玉をある程度入れておくことにしました。

 

すると、ビー玉コースターを通って、一定量のビー玉がコップに溜まると、

ゆっくりとエレベーターが上がりだしました。

Dくん大感激。

 

エレベーターも石落としの仕掛けも、前回の記事で紹介した、

「スロープを滑って行くビー玉をコップで受ける」という

遊びの形を変えたものです。

面白くて夢中になれることなら何でも、ちょっと形を変えて、

発展させると、考えたり推理したり試したりするきっかけになります。

 

 


考えたり推理したり試したりできるような遊びや工作を楽しむには? 

2016-06-02 15:24:47 | 幼児教育の基本

春休み中、「今日のレッスンに取り入れてほしいことはありますか?」とたずねると、

「遊びでも工作でも何でもいいのですが、考えたり試したりできるような体験を

してほしいです」「自分でやらず、自分で考えず、ママやって、が目立ちます。

考えたり推理したりして頭を使ってもらいたいです」という声を

いくつかいただきました。

 

そこで、教室のレッスンの中で、子どもが考えたり推理したり試したりする

体験ができるように工夫している点を紹介しますね。

 

 

その子が今、興味を持っているものを通して考えるきっかけを作っています。


新年少のAくんと新年中のBくんは、クレーンのおもちゃをいじって遊んでいました。

ただクレーンを上下に動かすだけでは、考える楽しみが味わえないので、

クレーンの先にひっかけるバケツ(紙コップ製)を作って、

Aくんが好きなビー玉転がしのおもちゃと組み合わせて遊ぶことにしました。


転がり落ちてくるビー玉を

クレーンの先につけたバケツで受け取る遊びにふたりは夢中。

 

ビー玉転がしとクレーンのようにふたつの遊びを組み合わせることで、

いろいろ工夫するチャンスが生まれます。

 

Aくんのお母さんが、

紙コップで「中に入ったビー玉がひっくりかえる」仕掛けを作ったので、

先の転がってきたビー玉を紙コップのバケツで受ける遊びと

組み合わせることにしました。

 

ついでに今、教室で流行っている武士の時代の戦法の『石落とし』(もどき)として

遊ぶことに。

 

どの位置にひもを貼るかで、ひっくり返ったり、返らなかったり。

 

ビー玉がたまると、石がごろごろ。

こういった遊びは、十分遊びきった後も、さらに発展した遊びにつながりやすいです。

同じようなシステムでエレベーターを各階で止まらせたり、

コインを入れると出てくる自動販売機なども作れます。

車にひもをつけて坂道を上らせることもできます。

 

また、紙コップのバケツでビー玉を受け止めるのではなく、

落ちた先でできることをいろいろ考えてみるのも面白いです。

 

普段はなかなか遊びが長続きしないBくん。教室で見つけた

ガムマシーンの部品が気に入って、「誰にも貸したくない」と一悶着起こした後で、

キャンディー屋さんをして遊んでいました。

紙コップに穴を開けて、キャンディーの機械のコインの投入口を作ったのが

うれしくてたまらないらしく、「ぼくがj考えたんだよ」と繰り返していました。

 

そこで、いっしょにキャンディーマシーンを作ることにしました。

 

「コップに切り込みを入れる」という

Bくんの思いついた工作方法でほとんどできる作りです。

 

上から見ると、どうすればビー玉が下に落ちるのかわかります。

「ここをもっと切ればいいんだよ」と、切り込みを広げることを思いついたBくんは、

とても誇らしそうでした。

 

 毎回のように書いていますが、

子どもの好み、個性、熱中する事柄を把握するも大切です。

新年中のCくん。一番大きい数、最強の生き物、でっかい乗り物など、

比べられる量やサイズに注目する子です。

 

算数タイムに、「3人の子の手の中に隠した3体ずつの人形の数がいくつか」

といった問題にいきいきと取り組む姿があります。

頭の中で扱っている数をカウントしていくのが得意なようです。

男らしい強さへの憧れから、危なっかしくて乱暴な遊びやルールや物を

破壊するような遊びをしたがることもありますが、何かに熱中し始めると、

ねばり強く取り組みます。

 

Cくんがデュプロの線路をつないで遊んでいたので、

「線路をだんだんだんだん高くなるようにしていって、車がシューッと

ジェットコースターみたいに滑りおりてくるようにしてみる?」とたずねると、

うなずきました。

Cくんのように数の増減が気になる子は、こんなふうに「だんだん高くなっていく」

といった物作りをとても好みます。

他に、「高い高いビルとエレベーターを作る」とか、

「大量に何かを取りつけて最強の武器を作る」といったシチュエーションも。

 

下の写真は、Cくん同様、数や秩序を好む子たちが熱中する作品作りです。

 

 

Cくんの場合、サイズや数の好みが強さへの憧れと結びついているので、

下のような作品作りを巨大化させたり、

強く見えるよう飾り付けていく方が好むかもしれません。

 

何かを破壊してしまうほどの強さを好む子には、

最後に「滑り降りてくる」とか「すばやく走る」とか「高速回転する」といった

オチも必要なようです。

 

 

今回作った「だんだん高くなっていく線路」の話題に戻りますね。

「速くダイナミックに滑りおりてほしい」という思いがあれば、

「もっと速く滑りおりるにはどうすればいいだろう?」と

大人といっしょにいろいろなことを試してみることができます。

 

☆ 坂を急にする。

☆ 乗り物に重りを乗せて重くする。


など、いろいろな方法が試せるかもしれません。

「速くなるのはどうしてか」「遅くなるのはどうしてか」と

理由を話しあうこともできます。

  

今回は、たまたま教室にあったデュプロの線路で、

「どうしたら速くすべりおりるか」を試していますが、

ビー玉転がしのおもちゃを使ってもいいし、上の写真のようなビー玉が滑って行く

仕組みを、紙を折ってブロックに乗せることでも再現できます。

 

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<おまけ> ブロックでクレーンを作る方法。

 

 

 

 


コップのふち子さん風手品

2016-06-01 20:32:09 | 理科 科学クラブ

手品好きの小4のAちゃんといっしょに、

『不思議!おもしろ科学マジック』

(ナポレオンズ考案 米村でんじろう科学解説/主婦と生活社)

にあった「空中浮遊」という手品を作りました。

 

コップの縁に頭だけ乗せて浮遊する女の子。

以前、娘が集めていたコップのふち子さんという

フィギュアを思い出しました。

 

作り方は、画用紙に人形の絵を描いて

(人形の頭が10円玉より少し大きいくらいのサイズにします)、

人形が2体になるように画用紙を重ねて切り取ります。

2体の人形を糊で貼り合わせるのですが、

その際、頭の部分に10円玉をはさんでおきます。(セロテープ等で貼り付けます)

 

できあがり。

 

コップに頭を乗せて、足を支えていた手を離すと

空中浮遊しているように見えます。


算数の世界への興味につながる『ふでばこ作り』が流行中

2016-06-01 08:11:05 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

今、教室ではふでばこ作り(ふでばこの中身も)が流行しています。

なかでも一番人気が、コンパス。

子どもから子どもへ、作り方が継承されていくうちに進化して、

最近はコンパスの先に折ったえんぴつの芯を取りつけて

本当に円がかけるコンパスを作るのが主流です。

えんぴつの芯の折り方は、まずえんぴつけずりで芯を思い切りとがらせてから、

えんぴつの芯の根元にゆっくり前後に力を加えると、

5ミリ~1センチほどの長さに折れます。

 

色紙をくるくる巻いて作る『くるくる棒』の先に

色紙を円すい形に巻いたものを貼りつけて作ったえんぴつに

少しだけ手を加えてコンパスにしています。

ものさしや分度器作りもとても人気があります。

 

コンパスや分度器、えんぴつ、ものさし、ふでばこ、などを作っていると、

算数の世界への興味が増すようです。

円をかける道具、角度を測る道具などに愛着が湧くし、

円すい形や箱の形の展開図への理解もすすみます。

 

写真は小1の子たちの作品です。