虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの個性と才能に寄りそう 2

2016-06-10 20:09:57 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

この日、たまたま午後のレッスンが休みだったので

Aくんたちと教室の近くにある(といっても一駅ほどの距離はあります)

下水道科学館に行くことにしました。

少し前からAくんが水の性質に関心を持っていたので、

機会があったら連れて行ってあげようと思っていたのです。

 

アルキメデスの原理を体感。

下水道科学館の展示物の多くは、教室でも再現できそうなものがいろいろありました。

工作や実験で楽しめるよう工夫する予定です。

 

とはいえ、机の上で工作したり実験したりする時に、子どもたちの

「なぜかな?」「どうしてだろう?」という強い好奇心を引き出すには、

先に、子どもが全身全霊で遊び込むような体験が必要です。

 

一次体験での感動が重要なのです。この日のお出かけのAくんもBくんも

さまざまな水の姿に夢中になっていました。

 

Aくんが面白がっていた表面張力についての展示品。

 

雨の強さに興味しんしん。

 

教室でやってみる予定のエアレーションの実験。空気はストローを使って人力で……。

 

「水が蒸発して雲になって、終いに雨になって地面におりてくる」という設定で

作られたピタゴラ装置がとても面白かったです。

工作で作るにはどうしたらいいかAくんと話しあいました。

 

Aくんは、今度、教室に来たら、曲がるストローをどんどんどんどんつないでいって

長い地下の水の通り道を作りたいそうです。下水道科学館で地下探検号に乗って

地下の下水道内を冒険したのが心に残ったようです。


子どもの個性と才能に寄りそう 1

2016-06-09 20:27:28 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

年中のAくんと3歳になったばかりの弟のBくんのレッスンの様子です。

Aくんは感覚が優れている男の子です。

感覚が優れている子たちは、

「どんどん高くしていく」とか「どんどん長くしていく」とか「どんどん埋めていく、詰めていく」とといったことを主にして

物作りをすることがよくあります。

ブロックでピラミッドのような秩序のある建造物を作るのも大好きです。

↑感覚が優れている子たちとの物作りで出番が多い『世界遺産大図鑑』です。

 

教室に着くなり、AくんとBくんは「金貨」のおもちゃで遊びだしました。

「金貨を洞窟やピラミッドに隠そうか?」とたずねると、

「えっ、ピラミッドって何?」とAくんが強い好奇心を示しました。

そこで、世界遺産大図鑑やツタンカーメンのポップアップ絵本を

持ってきてあげると、ところどころに載っている秘宝のイラストに釘付けになっていました。

↑「宝物が入っているの?」とたずねられたけれど、これは……。

Aくんは迷路が好きです。

とはいえ、同じ迷路好きの子でも、どのような迷路が好きかという点でさまざまな

個性があるので、迷路が好きだから「市販の迷路のワークブックを与えて……」という

ステレオタイプな接し方をしてAくんらしさを枯らしてしまいたくないなと

考えています。

 

Aくんの「迷路が好き」という思いには、まず、

「どんな迷路が好きなのかな」

「迷路のどんなところに惹かれているのかな」

「心の底からワクワクするような迷路を楽しむ体験をさせてあげられないかな」という

「こちら側のAくんに対する関心」で返したいです。

 

以前、教室の子どもたちと大阪城巡りに出かけた時、

Aくんは城内の地図を指でだどりながら

自分がどのルートを進んで行くのか思いをめぐらせて遊んでいました。

本好きのAくんは、紙の上で目にしている情報と、

自分が実際に歩いて体験していることのつながりをイメージして結びつけられる子で、

そうした迷路の楽しみ方を好む子です。ですからAくんとの迷路遊びは、

Aくんの「イメージする力」をよりはぐくむような形

関わりたいと思っています。もし、迷路のワークブックを与えるとしても、

そうした関わりを十分した後でいいのでしょう。

 

今回のレッスンで、Aくんはブロックの川が印刷されている基礎板が

少ないことに不満そうでした。

「ここで終わっちゃう」と川がとぎれてしまうことに戸惑っていました。

そこで、続きの川を青いブロックをつなげて作っていく提案をすると

とても喜んでいました。

途中で川を2方向に分かれさせて、一方が迷路のようにひとめぐりして

元の本流に戻ってくるようにつないでいました。

それから、川がどんな風に流れているのか、曲がっていくところを指でたどりながら

満面の笑みで説明していました。

 

滝のように高いところから水が流れ落ちてくる場所も作っていました。

自分のアイデアに大満足のAくん。

 

「高い高い塔を作って宝物を隠すAくん。

最後にピラミッドと合体しました。高い塔に入口がないことに気づき、

スライド式の扉をつけることにしました。

 

扉をあけると、金貨が流れだしてきます。 


発達障害の子の高学年からの変化 続き

2016-06-09 15:11:07 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「うちの子は反抗ばかりして言うことを聞かず、こんなにもだめで、

あんなにもできなくて、やる気がゼロで……」と、

とんでもなく困ったちゃんだという軽度発達障害の小学校高学年の子や

中学生と会うことがあります。

 

私はこの年齢で虹色教室に、親についてやってきた時点で、

親御さんが思っているよりも素直で従順な一面があるんじゃないかなと

感じています。

というのも、うちの娘も息子も、素直で優しい気質の育てやすい子たちではあるけれど、

高学年とか中学生ともなると、

親の私が「○○にいっしょに行くわよ」と言ったところで、

「やめとく」とスパッと言ったきり、それぞれの仲の良い友だちのもとへ

出かけて戻ってきませんでしたから。

子どもはこうも大きくなってくると、親の思い通りに動いてはくれないものです。

 

それが親の誘いにしぶしぶでもついてきて、

親にあれこれ自分のふがいない点を並べたてるのをムスッとしながら聞いていて、

時折、ちょっとイライラした様子で

「そんなことないよ」「やってるよ」と言い返す姿を見ると、

「ああ、この子はまじめで素直な子で、ちゃんとやらなきゃという気持ちで

がんじがらめになっているんだな」と感じる時があります。

 

親御さんが、ほとほと困った子だと気を揉むのは、

ADHD傾向のある非常に軽度の自閉症スペクトラムの子の場合がよくあります。

「ちょっと年齢からすると幼いかな?」という理由で、たびたび人と揉めたり、

後先を考えないで軽率な遊びをして事件になったりするので、

親御さんにするといつもヒヤヒヤしていて気が休まるときがないのです。

親御さんの感じ方からすると、

「常に問題を起こし、常にやる気がなく、常にミスをし、常にするべきことを怠け、

常に親に反抗しているように見える」場合も、

実際に、ひとつひとつの問題を整理して分析していくと、

「そうでもない」「けっこうがんばっている」「けなげなほど努力はしている」

「本人なりのベスト」であることが多いです。

 

どうして親御さんの見え方と子どもの現実との間にそんなに大きな溝ができるのかと

いうと、「テレビの報道番組の罪」というか、子どもならしょっちゅうあるような

兄弟げんかレベルの友だちとの揉め事も、即座にイメージの世界で過去の犯罪事件と

結び付けてしまうような飛躍が言葉の端々に見え隠れしています。

親御さんだけがそんなオーバーな捉え方をするというのではなく、

子どもをめぐる大人たちが、(世間全体がといっても過言ではないくらい)

成長過程の子どもの小さな失敗をそのまんまワイドショーで取り上げる事件のように

捉えて、時には報道番組から仕入れた妄想を交えて噂話をするので、

事実や現実の子どもの姿が見えなくなっているのです。

親御さんはそうした世間の声におびえて、過剰に子どもに干渉してしまいがちなのです。

 

発達障害のある子は悪気なく「うっかりやっちゃった」ということを

たびたび起こします。人との関わり方が稚拙で誤解を受けることもよくあります。

でも、そのほとんどは、正確に事実を確認すれば、取るに足らないような

ささいなことばかりです。

現実を正確に捉えて、失敗すれば、間違っている点を修正させ、

できるレベルの課題設定を手伝っていると、高学年頃になると、

それまでにはできなかったことができるようになってきている事実に

たくさん気づくかもしれません。

でも、子どもがどんどん悪くなっていると感じている親御さんのなかには、

そうした成長を確認したとたん、

「それではダメなんです」「そんなことでは無理なんです」と、

いきなりすべてを否定しはじめる方がいます。

よくお話をうかがうと、その子のペースで課題を見つけてこなしていくのでは、

とても高校受験には間にあわないからだそうです。

受験となると、あれも必要で、これも必要で、

すべてをオールマイティーにこなせてはじめて目的を達成できるわけですから、

どんなにがんばったところで、この子にできるわけがないと言うのです。

それほど独断的に言いきってしまうときには、親御さんの頭の中が

いろんな心配ごとやら、先に受験をした他人の噂話や、子どもに対するイライラや、

何から手をつけたらよいかわからないやらでごちゃごちゃになっているのかもしれません。

 

子どものことで、いろんなことを一度に考えて混乱をきたすのはよくありませんよね。

もともと課題を設定して努力することが苦手な発達障害の子が

親御さんの思考の混乱に巻き込まれて、何から手をつけたらよいのかわからなくなることが

よくあります。

 

発達障害の子にとって「オールマイティーにできるようになること」ほど

難しいことはありません。

勉強はがんばれても、提出物の出し遅れやケアレスミスは

どうしても防げないという子もいます。

最初に「オールマイティーであること」が目標に掲げられてしまうと、

発達障害のある子は、何をやっても無駄だからと、

がんばることをあきらめてしまうかもしれません。

まず「できること」と「できそうなこと」とじっくり関わるようにすると、

高学年の時期の脳の変化や身体の成長が、子どもの能力(学力だけでなく、

さまざまな面での生きていく力)の伸びを助けてくれるのではないでしょうか。


「真田丸の水攻めシーンを再現したい!」

2016-06-08 21:03:57 | こんなこと、やってみたい!

小2のAくんとBくんのレッスンで。(年中の弟くんも参加)

「真田丸の水攻めシーンがやりたい!」と意気込むAくん。

アイパッドで水攻めシーンの映像を見直して、どういうふうに作るか話し合いました。

「水を止めているところは木じゃないとダメだよ。

ひもを切ると、パアーッと水が出てくるようにしなくちゃ!」とAくん。

Aくんの構想は大きく膨らむものの、水を扱えるもので教室にあるのは

スーパーボールすくいに使っているプラスチックの衣装箱くらい。

牛乳パックの空き容器も切れています。

水が流れる通路をどうしたものかと思案したあげく、厚紙をサランラップで

覆うことにしました。

Aくん、Bくん、弟くんの3人は、水で流れる敵軍を表現するために、

ラップにプラスチック人形(50体100円です)を貼りつけていました。

 

それにしても、水を木でせきとめておいて、一気に放出するなんてできるのでしょうか?

「絶対、ひもを切ったら、バシャーッて水が流れるんじゃないといやだ。

そうじゃなきゃ、真田丸の水攻めじゃない。それと、水を止めているのは、木だから!」と

Aくんが力説するので、「ひもを切ること」と「木でせきとめていること」の2点さえ守れば、

後はまあいいか……と、簡単な作りにすることにしました。

 

木の扉を貼りつけたペットボトルの口にひもを縛り、

ひもを天井にあるフックに通しました。

ペットボトルの底は水用通路に貼ってあります。

エレベーターを吊り上げる要領でひもを引っぱり、ペットボトルが立つ位置で

ひもの先を木製のドールハウスに結びつけました。

ペットボトルに水を注いで準備完了。

 

はさみを切った習慣、水が入ったペットボトルが倒れ、木の扉を押しのけて

水が流れ出しました。

プラ人形たちが流れて、迫力のシーンができあがりました。

 

Aくん、Bくん,弟くんが、めいめい、水攻めシーンの指揮を取り、

3回、録画しました。

 

算数タイムにピグマリオンの算数脳トライアル2~3年生の問題を解きました。

逆思考の必要なかなり凝った問題です。

ふたりとも、とても難しい概念を理解していて感心しました。


2、3歳の子と年齢と高い子向けのゲームで遊ぶためのアイデア

2016-06-08 07:58:06 | 幼児教育の基本

虹色教室には、

2、3歳児でも遊べる(対象年齢が2~や3~のもの)カードゲームやボードゲームを

いろいろ用意しているのですが、

子どもによって対象年齢が高い子向けのゲームで遊びたがる子たちもいます。

 

そんな時は、本来のルールを簡略化して、

幼い子が満足する部分をいくつか盛り込んで遊んでいます。

 

写真は、『キング オブ トーキョー』という小学生に大人気のゲームです。

年中や年長の子たちとは、少しサポートを入れながら

既存のルール通り遊んでいるのですが、

2、3歳の子と遊ぶ時は、幼い子向けの手作りルールで遊んでいます。

このルール、2、3歳児にすごく人気があって、

帰り際に、「もう一回ゲームしたい」と泣く2歳児さんが何人かいました。

 

 <幼い子向けの手作りルール>

使うサイコロは、3つ。

カードをテーブルに並べます。

得点とハートをカウントするボードをそれぞれ0と10にあわせます。

 

サイコロを振って、

 

攻撃マークが出たら、パンチのポーズを取ります。

 

直接、人形にパンチしないこと。パンチポーズを取られた相手の人形は倒れます。

 

ハートをひとつ減らします。

 

カミナリのマークが出たら、緑のキューブを出た目の数だけもらいます。

 

緑のキューブをためて、好きなカードを買います。

 

2歳児さんにとって、攻撃マークでパンチポーズ、

カミナリマークでキューブをもらう、キューブでカードを購入する、

という流れは比較的わかりやすいようです。

ハートの数が減ることに関心をしめす子もいます。

数字の目が出た時は、星印の得点を増やしていますが、

そちらはあまり興味がないようです。

それでも、2と3がでたら、「2+3だから、5」と指で形を作って

得点ボードを回転させる作業は、手伝ってもらいながらルールを守っています。

 

このゲームの他に、教室にあるたいていのゲームに

幼い子向けのルールを作って、やりたがる時はいっしょに遊ぶようにしています。

こうした手作りルールで遊んでいた子ら(教室では、赤ちゃんルール等と

呼んでいます)は、自然に年中頃には、本格的なルールでの遊びに参加しています。


発達障害の子の高学年からの変化 

2016-06-07 19:57:16 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

沖縄で精神・神経科に勤務しておられるYANBRU先生のブログを見ていたら、

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発達障害の臨床を経験している人であれば、

「ADHDが小学校5年生頃の時期に突然周りが見えるようになり、

物事の理解がその時期を期に急速に進む」 という現象を目にしたことは

おありだろう。私はこの現象を、私自身の遠い体験からも、

「それまでバラバラだったさまざまな知覚や認識が突然説明可能な形でまとまって

見えてくる」と理解している。

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という一文が目にとまりました。

YANBRU先生のブログは、YANBRU先生ご自身がADHDの当事者ということで、

勤務先での発達障害の臨床の経験とご自身の体験をもとに、

洞察力に富んだ理解しやすい記事を提供してくださっています。

私自身も高学年頃に同様の知的な面と精神的な面の急激な変化を体験しているので

それについて書かせていただこうと思います。

また教室で出会う発達障害の子たちの高学年になったときの変化についても。

先に教室で出会う発達障害のある子たちについて言うと、

急速に物分かりがよくなり、論理的に考えることができるようになり、

発達障害だったことが全くわからなくなるほど大人びてくる子と、

外から見たところ幼さが目立ち、大人とはほとんど口をきかず、

極端に成績が落ちてくる子の2タイプに分かれるように思います。


一部には、精神的には大人びてきて、責任感や人を思いやる気持ちは芽生えてくるのに、

学力の面では、全くついていけなくなる子もいます。

「ADHDが小学校5年生頃の時期に突然周りが見えるようになり、

物事の理解がその時期を期に急速に進む」 というYANBARU先生の言葉。

私も小学校5、6年生ごろに急速に理解力が良くなった覚えがあります。

といって未診断なので「たぶんADDかLDがありそう……」と

自分で考えているだけなんですが……。

私には幼いころからずっと、ワーキングメモリーの働きの悪さや

聴覚に関わる聞こえにくいというハンディーとは別の

聴覚認知の障害(雑多な音のなかから自分に必要だと思われる音が拾えなかったり、

聞きながら書く作業をするようなときはほとんど音が聞き取れなくなります)や

身体の扱いが極端に不器用なところがありました。

以前も書いたことがあるのですが、小学校6年生ごろ、

本屋で私立中の5年分の試験問題がセットになっているものを見つけて、

興味本位で購入したことがあります。

その後、親に隠れてこそこそと(うるさく構われて、100マス計算をさせられたく

なかったので)片っ端からいろんな中学の受験問題を解きまくりました。

国語と算数と理科が主で、社会には手をつけていませんでしたが……。

 

「世の中にはこんな面白い勉強があるのか……」と驚きと感動で

胸がいっぱいになった記憶があります。

公式なんて知りませんから自己流で解くのですが、答えあわせをすると国語は漢字以外は

よくできていたし、算数は時間はかかりましたがだいたいできていました。

 

それまで、小学校では(当時、流行していたため)繰り返し100マス計算を

やらされていたのですが、

何度やってもいっこうにタイムは縮まらないし、ミスは減らないしで、

学習意欲はさがっていく一方でした。

親の勧めでそろばんにも通っていましたが、こちらも級はいっこうに上がらないし、

計算力はつかないし、少しもやる気がありませんでした。

 

不注意型のADHDゆえか、ぼんやりした夢見心地な子どもだったので、

そうした自分の「できなさ」を気にすることもなく授業中も自分の考え事を追いながら

のんびり過ごしていました。

そんな風に高学年くらいまで、寝てるんだか起きているんだかわからないような様子で

ポケーッと過ごしていたのですが、

ちょうど先に書いた入試問題を解くのに熱中していたあたりから、

突然、周りが見えるようになり、因果関係や物事の背後にある意味が深いところまで

わかるようになったように思います。

国語の授業で、宮沢賢治の作品を習ったことがあるのですが、

他の子がもじもじしてクラス中が静まり返っているようなときも、

先生の質問がどれも易しく思えて、手を挙げて発言すると先生からとても感心されて、

褒めてもらった記憶があります。

 

そのように高学年ごろを境に、

急速にいろんなことがわかるようになった覚えがあるものの、それ以前の自分が、

外から見るとぼんやりしているから、

高学年後の自分より劣っているのかというとそうでもなく、

それまではそれまでの独特な感性があって、アウトプットこそできていないものの、

自分らしさを作っていく上でとても大切だったようにも感じています。

 

聴覚認知が難あり……とはいえ、裏を返すと敏感で、非常に細かい音の聞き分けまで

できるところがあって、小学校に上がる前からクラシックのピアノの演奏を聞くのが

大好きでした。

視覚の認知はもともと良かったので、物の質感や微細な色の違いにも敏感で、

いまだに赤ちゃん時代に見たベビーブックの付録のお人形に使われていた

薄紙の色合いや質感をはっきりと目に浮かべることができるほどです。

小学校高学年くらいまでのぼんやりしていた時期は色でも音でも、

まるで自分自身の内面に直に浸透してきて、

濃度の濃い状態で刷り込まれるような感覚があったのです。

そのためか、幼児の頃からクラシック音楽とか名画などを、親が勧めたわけでもないけど

吸い寄せられるように好むところがありました。

それが、頭で考えるのが上手になりだして、言葉を扱うことが得意になってくると、

そうした独特の感性は薄れていきました。

 

先に「急速に物分かりがよくなり、論理的に考えることができるようになり、

発達障害だったことが全くわからなくなるほど大人びてくる子と、

外から見たところ幼さが目立ち、大人とはほとんど口をきかず、

極端に成績が落ちてくる子の2タイプに分かれるように思います。

一部には、精神的には大人びてきて、責任感や人を思いやる気持ちは芽生えてくるのに、

学力の面では、全くついていけなくなる子もいます。」と書きました。

 

「できるようになる」ケースと「さらにできなくなる」ケースを

分けるのは何なのでしょう?

 

個々の個性や能力といえばそれまでなのですが、

その時までの環境や周囲の接し方も大きく関わっているように感じています。

教室に通ってきていた生徒だけではなく、

知人の子どもさんや児童館等で会った子で発達障害があると思われる子たちの

高学年以降の変化について思い返してみると、

高学年頃からそれまで以上にできなくなる子には、共通点があるのです。

 

多動や衝動性といった知力とは別の面で学習が停滞していた子たちも

高学年頃には脳の変化や身体の成長とともに多動や衝動性がおさまってきます。

でも、そうして脳の働き方からくる困り感が減る時期に、

今度は精神的なダメージが原因で、勉強ができなくなる子がいるのです。

この精神的なダメージというのは、その子の持って生まれたハンディーというより、

悪い環境や悪い接し方の結果生じる二次障害です。

 

学校でいじめや差別に会うとか、

親が叱り過ぎるとかいうわかりやすいダメージはもちろん

もっと微妙でわかりにくいダメージもあります。

 

発達障害のある子は外から見ると、人の心の弱さを

体現しているように見えるときがあります。

 

すぐに飽きて放り出す。「がんばろう」と決意しても、すぐに怠ける。

ていねいに見直さず、ミスが多い。ちょっとしたことで怒りだす。忘れる。

基本的なしつけが身についていない……などです。

 

人というのはそうした人のダメな一面を見ると、

相手を一段下に見た上からの態度で接したり、

そうしたまなざしで眺めてもいいと思っているところがあります。

 

発達障害のある子たちというのは、怠け心に負けて、

すぐに飽きたり怠けたりしているのではなくて、

脳の機能の一部が未発達なため、ちゃんとしようと思っていても

そのようにできない時期があるのです。

ミスが多かったり、忘れっぽかったりするのも、物事を適当に扱ういい加減さが

原因なのではなくて、努力をしてもすぐには直せないような困り感との戦いの末、

そうした結果が生じているのです。

 

ですから「この子は甘えたで怠けもので、適当な性格だ」と

決めつけるような態度で接し、視線を投げかけつづけると、最初はそうでなくても、

その通りの子に育っていくように思います。

 

発達障害があるということは、ハンディーを持っている側からすると、

みんなが手で文字を書いているときに、

ひとりだけ「足の指を使って書きなさい」と強要されているようなものなのです。

ひとりだけそんな無茶な努力を強いられても、子どもはがんばります。

他の子はらくらくと作業をしていて、自分だけやってもやってもうまくいかなくても

周囲の大人が求めればそれにチャレンジし続けます。

でも、自分だけ他の子より大変な思いをしているのに、「字が汚い」とか

「がんばりが足りない」とか「この子はこういうダメな子だ」と言われたり笑われたり、

その出来不出来が人間としてのあり様を表しているかのように説明されたのでは

自己肯定感や意欲が薄れていくのをとめることはできません。

 

発達障害のある子に対して、母親は愛情と不安と世間体を気にする気持ちから、

いくつになっても幼児にするような構い方を続ける場合があります。

もちろん、いくつになっても適切な支援を必要としている子はいるのです。

でもそれは人としての尊厳も人としての羞恥心も認めず、

年齢相応の境界線を設けずに子どもの内面世界に侵入してもいいということでは

ないはずです。

また、「できない人間に対しては、乱暴な対応をしてもいい」という

極端な信念も危険です。

見た目をよくするために心を壊してもいいわけではないからです。

 

支援する部分と信じて本人の成長に任せる部分のバランスを取りながら、

大切に扱っていくと、発達のアンバランスな部分が整ってくる時期には

自分の力を100パーセント出しきってがんばるようになってくると思います。


『ピタゴラスイッチ研究部』とフロー

2016-06-07 09:18:55 | 積み木  ピタゴラスイッチ

かなり前の記事です。

現在、当時のピタゴラスイッチ研究部は(子どもたちの興味が別に移ったので

自然消滅したままになっています。

でも、このところ、教室内でピタゴラスイッチ遊びが再燃の模様です。

近々、新しいピタゴラスイッチ研究部が生まれるかもしれません。

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もう3年も前のことになりますが、虹色教室では『ピタゴラスイッチ研究部』という

クラブを作って、自分で考えたアイデアを競いあうことをしていました。

競いあうといってもそれぞれの子の自分のアイデアですから、

その子の個性が強く出て、電気やモーターを使った仕掛けに熱中する子、

音の出る仕掛けばかり作る子、ゴールに凝る子と興味の方向が異なります。

優劣決めがたい互いに切磋琢磨する面白い研究報告になりました。

私は基本的に、材料の調達と、『フロー状態』が起きやすいような環境を

作ること以外はあまり手を出さないようにしていました。

「そんなものを使うの?」という子どもならではの変なアイデアが、

すごい動きを生み出すこともよくありましたから。

また、そうした遊びの興奮のあるうちに、レッスンの後半は算数や数学の学習に

集中させるようにしていました。

「たくさん学んで、もっと高度なことができるようになりたい」という気持を

引き出したかったからです。


フローとは、人が時間も忘れて無我夢中になって何かに没頭しているときの

精神状態をいいます。

心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱されました。

やってることにのめりこみすぎて、行為と意識が溶けあうような感覚です。

子どもにフロー状態を体験させるには、管理しすぎず、成果を求めず、

それぞれの子が自然な状態で自分に自信が持てるよう支えることが大事です。

また、友だちと協力しあって同じ目標に向かって努力するときも、

それぞれひとりひとりの子が、自分自身の好奇心や探究心に突き動かされて

取り組めるよう支援します。


この当時、5歳だったピタゴラスイッチの研究部員さんたちは、今小1生。

最も難しいレベルの小学2、3年生の文章題や4年生~の数学検定の問題を

難なく解きます。

この子たちは、勉強中もフローの状態を作り出すことができるように

成長してきています。

この研究部は、アイデアマンの主力メンバーが受験に突入したことと、

幼い子たちが『化学実験』ばかりやりたがる時期が続いたので、

半休部状態のまま今に至っています。

それが最近になって子どもたちの間に、「面白い崩れ方をするドミノが作りたい」

いう気持ちが生まれてきたので、ピタゴラスイッチ研究部、復活しそうな気配です。

 

ピタゴラスイッチ研究部の報告 無事にライトがつきました!

ピタゴラスイッチ研究部の報告 無事にライトがつきました!2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 運動の向きを変える 1

ピタゴラスイッチ研究部の報告  運動の向きを変える 2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ビー球スライダー 1

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ビー球スライダー 2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ゴール地点の工夫 3

ピタゴラスイッチ研究部の報告  ビー球がよくすべる波の形 

ピタゴラスイッチ研究部♪ 音の出る仕組み

ピタゴラスイッチのスタート部分♪

科学クラブでのピタゴラスイッチ研究 1

科学クラブでのピタゴラスイッチ研究 2

 

ピタゴラスイッチ作品のアイデアは、

これ以外にも面白いものがたくさんできたのですが、きりがないのでこれくらいで……。

 


これは昨日の小1生たちがドミノで遊んでいる様子です。

最初に円の上にドミノを並べてみて面白かったので、

もうひとつ作って、8の字を一筆で書くように倒れるようにしたいと思いました。

が、台にしている円形の板は周りが丸まっていて、

思うように交差しておくことができません。

そこで、8の交差する部分にあたるドミノを吊り下げる作戦に出ました。

 

よいアイデアではあったんだけど、これは失敗。

すると、ひとりの子が、この吊り下げたドミノを使ったゲームを思いつきました。

下にドミノを重ねておき、ひもをつけたドミノを上から落として

いくつドミノが崩れるか競うゲームです。

改良を加えて棒を1本足すと、カーブを描いてドミノが降りて来て

積んだドミノをはじくゲームが完成しました。

子どもたちが次々にアイデアを出しながら、

自分たちで工夫しながら遊ぶようにするには、子どもたちのひとりひとりが

『フロー状態』に入っていけるように環境や大人と子どもの関係を整えることが大切です。

 

おまけ

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100円グッズで、ピタゴラスイッチ作り♪ 

ピタゴラスイッチ研究部♪ 透明ホースの中を走る

ピタゴラスイッチ研究部員さんたちの研究発表です♪

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3、4歳の子でも、曲線のある立体物を作れるようになるための手順

2016-06-06 20:56:14 | 算数が得意?苦手?の分かれ目

ショベルカーが大好きな年少のAくん。

教室にある小さな宝箱を見つけて、フタの部分を指さして、

「パワーショベルのほるところ」と言いました。

確かにパワーショベルのバケットと呼ばれる部分は、そんな形です。

 

パワーショベルの土をほる部分は、年少児には難しいだ円を半分にした形です。

そうした曲線を扱う工作をする時、教室では幼い子向けにこんな手順を見せています。

 

①長方形の紙を用意して軽く曲げて作りたいものの形にします。

 

②側面にする紙に当てて、えんぴつで曲線をなぞります。

 

③えんぴつでかいた曲線を切る時、紙をもう一枚重ねて同じ形が2枚できるようにします。

 

④側面にテープで貼り付けたらできあがり。

 

こういう作り方をしていた子たちは、自然に展開図を思い描くことができるように

なっていきます。

 

 

写真のように、細長い箱をふたつ貼りあわせると、

パワーショベルのアームと同じように曲がります。

アームを車本体に貼りつける時、ゼリーの空き容器などを2つ重ねて使うと、

アームを自在に回転させることができます。

 

 


子どもが危険な行為を繰り返すこと。残虐なものに興味を持つことについて。 おしまい

2016-06-06 13:37:54 | 日々思うこと 雑感

前回の記事に、特別支援学級で補助の仕事をしておられる方から

こんなコメントをいただきました。

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緊張が強い子‥‥の記事で、

奈緒美先生が書かれていた「子どもの心に風穴があく瞬間」に、

私も何度か出会ったことがあります。

子どもが負の気持ちを表現してきた時にこそ、多く現れます。

負の感情に怯まず、飲み込まれず、ばんばん言い返したり、笑いに転換したり‥‥

はたから見れば、口喧嘩をしてるだけに見えても、子どもの心がしっかりと闇に

包まれて、負の気持ちを実感できると、ふと子どもの心の中に、

ぽっと小さな灯りがうまれる瞬間を感じます。この小さな灯りが他者への優しさや

思いやりだったり、はたまた物事に対するやる気へと成長していったり、

様々な感情へ育っていくから、本当に不思議です。

大人が闇を恐れて、スルーしてしまい、共有できなかったり、大人が闇に正論で

光を当てようとしてしまうと、この灯りはなかなかうまれにくいなぁと感じています。

子ども自身が灯す灯火なんでしょうね。

この灯火がうまれないと、物事や対人関係を快と不快とでしか判断できず、

他罰的な思考にとらわれてしまう事が多くなるな‥‥と感じています。

以前の記事でもありましたが、アニメの世界が明るくて安全な世界が多くなっていき、

また子どもの遊びも変わり、子どもが負の気持ちを実感できる場所が少なく

なっているのかもしれません。

「子どもの心は大人の与えたがる道徳教育とは別の筋道を通って人としての資質を

身につけていく」本当にその通りだと実感しています。

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<大人が闇を恐れて、スルーしてしまい、共有できなかったり、

大人が闇に正論で光を当てようとしてしまうと、

この灯りはなかなかうまれにくいなぁと感じています。>

その通りだと思います。

教育現場も家庭も、闇を恐れてスルーするか、

正論で光を当てるかの二択に陥りすぎているとも感じています。

 

気味の悪い人の噂と噂の賞味期限

の記事を書きながら、

「子どもを育てるには、機会あるごとに、相応の覚悟がいるもんだな」と

考えていました。

 

親としてはもちろんだけど、仕事で子どもに関わるにしろ、地域の子らを見守るにしろ、

大事な時に『覚悟』がないと、闇雲に悩むかぶつかりあうだけで、

子どもの存在や問題を見て見ぬふりをしてしまうでしょうから。

周囲の目や損得を気にしたり、子どもが抱えている闇を怖がったりして。

 

ちょっと話が脱線するのですが……。娘から何度か仕事上の相談を受ける中で、

『覚悟』という言葉を意識する瞬間がありました。

 

半年ほど前から、職場で後輩たちを指導する立場になった娘。

それまで経験したことがない新しい人間関係の課題にぶつかって悩んでいました。

ただ和気あいあいと仲良くしていればよかった頃とちがって、

後輩たちのルール違反を叱ったり、売上を気にしながら、厳しい指摘をしたり、

要望や不満に耳を傾けて解決しなくてはならないこと。

自分だけがんばってもダメで、やる気がない発言を繰り返す相手の意欲を高めたり、

後輩が起こすトラブルと向き合っていかなくてはならないこと。

 

初めのうちは、損な役回りが多い「育てる」立場に戸惑って、

壁にぶつかるたびに自信を喪失し、被害意識でいっぱいになっていた娘。

でも、どん底まで落ち込む度に、持ち前の自分を見つめる力と問題解決能力を

発揮して、難局を抜けだしていました。

娘の出した答えは、

「損だと感じることも、敵をつくるリスクがあることも、立場上、

しなくてはならないことなら、自分から動いてみる」という覚悟のようです。

 

「前は、どうせ言ってもわかってもらえないとか、

厳しいことを言うと嫌われるんじゃないかって、悪い方へ悪い方へ想像して

何もしなかったけど、思いきって、積極的に自分から動いて、

いちいち言葉にしていなかったことも伝えるようにすると、

自分側の要望ばっかり主張しているように見えた子もけっこうちゃんと聞いてくれるし、

周囲にもいい印象を持ってもらえるってわかったわ」

 

「自分が有利になるように持っていくのが上手な裏表のあるタイプの子が注目されて

みんなから褒められていて、

わたしばっかりダメな部分が目立ってて悩んだ時、お母さんに相談したら、

あの子の性格はこうなのに……とか、自分はがんばっているのに……とか

あれこれ考えずに裏方に徹してみたら?……って、言われたでしょう?

今日、そうやって、何も考えずに裏方役を申し出て、一生懸命それをやっていたら、

気まずくなっていた子からお礼を言われたり、

いろいろなことがすごく上手くいくようになったわ」

 

「昨日のミーティングでこんなことがあって。

仕事中、気づいたことを言ってもらう時、ひとりの子が○○のことをかなり怒っている

様子で言ったのよ。

○○は、わたしもずいぶん前にひどいことだって腹が立って、上の人にも相談してみて、

こうするのが妥当ってことになった話題なのよ。

前のわたしなら、それは自分の中では終わっている話題だから……って気持ちで、

これこれこういう事情でこうなったのよって、結果を説明して終わりだったと思う。

でも、アドラー心理学の本で見た自分だけのメガネを通して眺めずに、

相手の立場に立って考えてみる……って言葉を思い出して、

その話はこういうことになって、いったん解決しているって説明した後で、

小さいことだから言わなくてもいいかなっと思ったり、

もう解決したことかもと思っても、

こうやって、気づいたことは何でも言ってもらうようにすると助かるわ、

ありがとう、とつけ加えたの。

そうじゃないと、相手の立場からすると、せっかく言ったのに、言って損したって

気持ちになるだろうから。

そうしたら、結局、意見はボツになったのに、とってもうれしそうにしていたし、

他の子らまで、お店を盛り上げて、がんばっていこうって雰囲気になったのよ」

 

そんな発見を口にする娘は、上の方から、

「今よりさらにもうひとつ上の立場で働くことを想定に入れて、がんばってみて」

という声をかけられたそうです。


子どもの発達 見える尺度 見えにくい尺度 (5,6歳児) 

2016-06-06 09:16:53 | 日々思うこと 雑感

 

見える尺度、見えにくい尺度という見方は、

就学前の5歳児、6歳児にとっても大切なことだと思います。

 

今日はもうすぐ1年生になる☆くんのレッスンでした。

ぴぐまりおん(1、2年生)というワークで、

ビンゴカードを使った問題を解いていた☆くんが、

「たて よこ ななめのどれか一列がそろったら勝ち」というルールを

知らなかったので、シークエンスというビンゴに似たルールのゲームを教えました。

すると、☆くんはゲームが難しい局面に入って、よく考えないと負けてしまうような

ヒヤヒヤした勝負になるたびに大はしゃぎ。

「もう1回やりたい!もう一回!」と何度も言ってました。

他のゲームでも、すばやく見分けたり、集めたカードを数えたりすることに

とても熱心でした。

このゲームでも、「もう1回!」「もう1回」と何度繰り返しても飽きない様子でした。

横で2歳半の弟くんが、カードを出すお手伝い中。

☆くんはこれまで、絵を描いたり、ブロック遊びをしたりするのは好きだけれど、

頭を使ってじっくり考えるような遊びを嫌がるところがありました。

☆くんのお母さんは、ちょっぴりマイペースな☆くんが、

その時期、その時期、夢中になることに付き合ってきました。

すると、最近になって、「頭を使うことがとにかく面白くってしょうがない」

「すばやく情報を処理すること、記憶すること、

数字を扱うことが楽しくてしょうがない」という姿が見られるようになってきました。

 

根気良く何度も繰り返す

達成する

自分の力を限界まで使う

とにかく頭を使う

 

ということが楽しくて楽しくてたまらない時期に突入したようなのです。

自然な発達を大切にされてきた5,6歳児は、就学前になると、

『自分の意志の力やねばり強さを極限まで使いきる』ことに熱心になってきます。

そのあらわれ方は子どもの個性や好みによってちがって、

折り紙やあやとりでその力を洗練させる子もいるし、

カルタやなぞなぞでがんばる子もいます。

スポーツでその力を発揮する子もいるし、

ボードゲームや図形パズルに夢中になる子もいます。

 

幼児の場合、やる気や根気のような力は、

学習を習慣付けることで身につくものではなくて、

子どもの内面で、そうした成長がとても敏感になるときに、

自分がやりたいと思うものに全力で取り組む中で育ってきます

 

 

↑は☆くんがやりたがった『地層』作り。

他のグループの子たちの作品を見て、作りたくなりました。

真剣に制作する☆くん。

幼い頃から、「自分の好きなこと」を大切にしてもらってきたので、

何をするにも、ひとつひとつの作業に心から愛情を込めて行います。

落ち着いて全てをやり遂げた後で、満足そうな満面の笑みを浮かべていました。