虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

レンズーリの拡充学習について 2

2017-01-22 21:38:10 | 教育論 読者の方からのQ&A

前回の記事の最後に、こんなことを書きました。

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教室では、ひとりひとりの個性と才能に向き合い、それを発展させる手伝いをずっと続けてくるなかで、拡充学習を成功させるための知恵をいろいろと蓄えてきました。

次回は、それについて、書いていこうと思います。

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それでは、今日の工作と算数のレッスンのなかで、どのような点に注意して子どもの才能を育む手伝いをしているのか、具体的に書いていこうと思います。

今日集まった子は2年生のAちゃん、Bちゃん、Cちゃんと、事情があって今回だけこのグループに参加している年長のDくんの4人です。

子どもたちに何がやりたいかたずねると、「ポップアップが作りたい」という話でした。

そこで、簡単なポップアップの作り方を3つ教えました。

こんな風に活動のお手本を見せるとき、

★ 2,3手順でできる易しさ

★ 今している活動の本質的な部分に気づくことができる

★ 自分の想像力で自在に習ったことを応用させていくことができる

★ 子どもたちにとって、すぐにでもやってみたいと思うような魅力的なもので、自分でできそうだという見通しが立つものである

ということを大切にしています。

工作本や実験の本に載っている見本は、子どもがその本質的な部分の気づきにくく応用しずらいものが多いので、本にあるものを教える際も、いったんそうした形に変えて伝えています。

 

年長のDくんは、器用で完璧主義で、日ごろから幾何学的な形や数の世界の秩序に強い関心を持っている子です。

そうしたDくんの資質は、教室でさまざまな取り組みを続けるうちに、非常に複雑なピタゴラ装置の仕組みを最後まで考え続けるような洗練されたものになってきました。

基本のポップアップの作り方を見たDくんは、「開いたら、5階建ての家がでてくるようにしたい」と言いました。

 

Dくんは高いお家をていねいに根気よく作っていました。

作り方に余裕があるようだったので、「ポップアップの階段の作り方を習いたい?」とたずねると、大きくうなずきました。

たたむことができる階段は、細い線を同じ幅に切ってから、階段状に折って、ポップアップする家の壁に対して垂直になるように貼ると作れます。

Dくんはこうした新しい技術の習得に熱心で、学んだことを何度も繰り返し活用し、独創的で完成度の高い作品を作りあげます。

それはDくんのすばらしい才能のひとつです。

Dくんがそうした才能を活かすには、身の回りのものや本を見た際に、そこで目にした新しいアイデアを自分のものとして取り入れるにはどうすればいいのか学ぶ必要があります。

 そこで、教室にある『工事げんば』というポップアップ絵本で使わているアイデアを取り入れて、ポップアップの家に何か付け加えてはどうかと提案しました。

 

「何度もおりたたんだ紙を広げていく」というポップアップの作り方が面白かったので、Dくんはエレベーターを作ることにしました。

 

広げるにつれて、エレベーターに乗った子が上へ上へと移動します。

工事現場の本では乗り物のクレーンに使われていたので、この活かし方はDくんならではのものです。

 

同じ見本を見せても、それぞれの子どもへの響き方は違います。

小2のAちゃんの場合、大きな大きな階段を作って、基本のお家のぐるりを囲ませていました。

たまたま見学していたお母さんが、「それじゃ、ポップアップにならないわ。開かないでしょ」と注意をしていました。

 

 

途中ですが、次回に続きます。


潜水夫を作った子たちへのお知らせ(注意事項です)

2017-01-22 09:10:22 | 連絡事項

 

今、虹色教室では(季節外れな感じはありますが)潜水夫作りが流行中。

水中に潜った潜水夫に外からプクプクと空気を送り込むと、浮かび上がってきます。

 

潜水夫を作って帰った子にお知らせです。

(細かい注意事項を伝える時間がなかったので気になっています)

 

足に使った重りのクリップがさびるかもしれないので、

遊んだあとは水中に放置せずに、よく水気をふきとっておいてください。

また、さびがついたら困るものの上におかないように注意してください。

できれえば、重りをお家にある他の物(ボルトや水につけてもさびないが重いもの)に

交換しておいてください。

 

材料のはりがねは、今はステンレスかアルミのものを使っていますが、

もし、さびが出そうなはりがねを使って作った子がいた場合、交換するので、次回にでも持ってきてください。

 

 


レンズーリの拡充学習について

2017-01-21 17:28:07 | 日々思うこと 雑感

Follow your bliss というブログをしておられるtamakiさんが世界にたった1人のこどもの個性や特徴に向き合う子育て

のなかで、『虹色教室が目指しているもの♪レンズーリの拡充学習』の記事を紹介してくださっています。

この記事は、8年前に書いたものですが、現在も算数学習とともに、この考え……

★自分で選択した分野で才能を広げて豊かにする機会

★知識の生産者になる(創造的に成果を生む)機会を支えること

を土台に教室での活動を深めています。

拡充教育は、発達に凹凸がある子たち、ギフテッドとされる資質を持つ子(ギフテッドの教育についてはマイコーさんが、ユア子育てスタジオのCategory Archives: ギフテッド教育のコーナーでくわしく解説しておられます)にとっても重要な意味を持つと考えています。

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『虹色教室が目指しているもの♪レンズーリの拡充学習』の過去記事です。

虹色教室のレッスンは、レンズーリの提案するSEM「全校拡充モデル」という子どもの個性や才能を伸ばすプログラムを参考にしています。

アットホーム な環境で、比較的 自由が利く利点を利用して、そうした理想により近づこうと努力しているといってもいいです。

また子どもの潜在的な能力を本当の意味で伸ばすこうした教育を紹介することで、多くの子どもたちが、家庭でそうした教育の恩恵を得ることができるようになることを願ってもいるのです。

拡充学習は自閉症スペクトラムの子たちを教育する方法としても、非常に優れていると考えています。

レンズーリの考えは、子どもは学校で学ぶ画一的な学習とは別に、

★自分で選択した分野で才能を広げて豊かにする機会

★知識の生産者になる(創造的に成果を生む)機会

も必要というものです。私もその通りだと思います。

子どもは自分の興味のある分野で学習活動に参加する。

興味を共有する他の子どもや大人と情熱を分かち合う。

自分の能力につりあう深さとペースで、その興味を追求する。

興味ある分野に関係する成果を選択する。

直接的な探求者になる。

という時間や場が必要なんですね。

今、子どもにとって勉強が面白くないのは学びの中で他の子と共鳴しあう他人と響きあうという熱~い部分があまりにないからだと思います。

人が大金を出して流行を追うのも、今となればやる気が起こらないファミコンゲームにかつての子どもたちが熱狂したのも、互いを意識しあう人がいるからです。

物だけが与えられて、一人で身につけたり、一人で遊んでも面白くないはずです。

子どもの学習が、コツコツするひとりの作業で他の子に負けない、他の子より先に進んでおく…

という友だちと響きあうのではなく「出し抜く 馬鹿にする 引け目に感じる」といったゆがんだ思いばかり抱いて努力するものなら、学習そのものに冷めたしらけた態度になっていっても仕方がないことです。

また、自分の能力につりあう深さとペースで、その興味を追求する。

という経験の大切さを無視していると、能力の高い子が、だんだん停滞してくる原因になるのではないでしょうか。

レンズーリの提案する拡充学習は、学校でするとなると不可能とも思える一大事ですが、家庭でするならちょっとした空き時間にお金をかけずにやっていけるようなことばかりです。

拡充の幅をより広げるためには、おじいちゃんおばあちゃんや近所の子の協力もいるかもしれませんが、アイデア次第で何とでもなります。

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『J.S.レンズーリの拡充学習について』

レンズーリの本は学校教育について書かれたものですが、

私はレンズーリの考えを幼児教育から取り入れて、子どもの潜在的な能力を多角的に捉えて育てていくのなら、全ての子どもが、すばらしい成長を遂げてくれるものと考えています。

幼児を持つ親御さんも、「拡充」学習に興味を持っていただけたらうれしいです。

『個性と才能をみつける総合学習モデル(J.S.レンズーリ)』の中で、

公教育システムは、ゆっくりだが確実に悪化して、低学力や満たされない期待、敗れた夢の大規模な倉庫になっているのだ。

学校教育の「工場モデル」(規格どおりの製品=成果を効率よく生産することを目標とする)によって、現在の学校が直面している目に見える危機が生じたのだが、

その学校教育モデルを用いるかぎり、そのモデルによって生じた問題は克服できない。

と述べています。

レンズーリは、

★「すべての」子どもに、広範囲の高度なレベルの拡充の経験を提供する。

★そういう経験への多様な「子どもの反応」の仕方を、個人や小集団としてフォローアップをするための足がかりとする。

という新しい教育のあり方を提案しています。

こうした考えを取り入れた海外の学校では、子どもの能力、興味、学習、表現スタイルの好みについての情報を体系的に集め、「全才能ポートフォリオ」という形で記録しているそうです。

全才能ポートフォリオでは、小学生であっても興味の分野の欄に、工芸、演劇、販売、経営、物理、作曲、コンピューター…といったものまで書き込まれています。

学校は自分たちのする授業でだけ子どもを評価するような偏った子どもの見方をしていないのです。

先生が絶えず子どもの得意な分野に関心をしるして、情報を収集し、情報を更新しています。

また、思考スタイルは

・分析的
・創造的
・実際的
・立案型
・順守型
・評価型

のどれにあたるのか、よく観察されていて、

日本では無視されるような創造的発明的に考える子や、日常知恵が働く実際的な考え方なども尊重されています。

表現スタイルは

・文書発表
・口頭発表
・工作
・討論
・展示
・演劇
・美術
・図示
・販売
・奉仕活動

とその子の個性的な良さが理解される形で評価されています。

授業スタイルは

・暗記
・ドリル
・友達同士の教えあい
・講義
・講義と討論
・指定された独立学習
・指定されない独立学習
・学習、興味センター
・模擬、役割演技、演劇、指導による空想
・学習ゲーム
・模倣的レポートやプロジェクト
・探求的レポートやプロジェクト
・実習
・見習い

と、さまざまな授業の中で子どもの様子を評価するので、大人の物差しによって子どもが決め付けられた評価を受けてそのために勉強が嫌になっていく…ということがないのです。

そうした教育や子ども観を一部でも取り入れた学校……すてきだなぁ~!と思いますよね。

きっと自分はだめな子なんだ~と思い込んで勉強嫌いになる子はほとんどいないと思います。

でも日本の学校でこうした柔軟な教育が受け入れられていくのは難しい~とも感じてます。

せめて親はこれくらいさまざまな視点から子どもの能力や才能を見てあげたいですよね。

学校や塾の成績や授業態度で子どもの能力を決め付けるなんてばかばかしいです。

ひとりの人というのは本当に多彩な才能を秘めた複雑な存在なのですから…。

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教室では、ひとりひとりの個性と才能に向き合い、それを発展させる手伝いをずっと続けてくるなかで、拡充学習を成功させるための知恵をいろいろと蓄えてきました。

次回は、それについて、書いていこうと思います。


極端にシャイな性格の子。 発達上の問題は? 

2017-01-20 09:13:58 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

「もしお時間があるのなら記事にしていただいて、子どもの姿を客観的に捉えなおしたいです」と★くんのお母さんの要望を受けて、書いています。

3歳半の★くん。

これまで同年代のお友だちとグループレッスンに参加してきましたが、極端に恥ずかしがり屋のため、お母さんからは「お家では自然な会話が成り立っている」とお聞きしているのに、

教室で言葉を発することがほとんどありませんでした。

★くんのおっとりした温和な風貌からは、特別な感覚の過敏さは持っていないように見えるものの、人からの注目(それがお母さんであっても)や、人の声がすると緊張が高まるようで、

身体をくねくねさせてお母さんの服を舐めたり、電車のおもちゃを前後に動かすだけの幼い遊び方に固執したりします。

お母さんは、「シャイな性格なだけと放っておいてもいいものか、知力や社会性の遅れなどはないのか……」と気を揉んでいらっしゃいました。

そこで、個別のレッスン日を設けて、★くんひとりとじっくり関わってみることにしました。

個別レッスンの日、教室に着いた★くんは、電車のおもちゃを手にして遊び始めました。

「駅を作ってみる?」「トンネルを作ろうか?」などと誘うと、恥ずかしそうにもじもじして、お母さんの服を舐めたり噛んだりしながら黙っていました。

しばらくすると、口をパクパクさせて、聞き取れないほどの小声で、「つーくーる」と言うものの、作ることにも作ってもらうことにも興味はない様子。

再び、電車を前後させる遊びに戻る★くんにやきもきしたお母さんが、「★くん、今日は何をしにきたんだったかな?」などと声をかけると、その都度、★くんが極度に照れて、お母さんの服を舐めたり噛んだりしていました。

 

★くんは、もじもじして恥しがりだすと、「これがしたい」「あれがしたい」という意志表示もなくなるし、行動も非常に幼い印象になります。

また、「何度か会ううちに打ち解けてくる」といった変化はあまり起こらず、前に緊張したシチュエーションでは、相手がお母さんであっても、声をかけられると、何分間も声が出せなくなるようです。

ただ、文章上で表現するととても似ているものの、コミュニケーションのあり方に問題を持っている、自閉症スペクトラムの子同様の態度とは、少し異なるように感じられました。

理由は、★くんにはエコラリアや目の合いにくさがないことと、自閉症スペクトラムの幼い子たち特有の、自分の周辺の状況が読めていないような雰囲気がないこと、

家では自然な会話が成り立っていることや、幼稚園で口数は少ないけれど上手に適応している姿、非言語のやり取りの通じ方や模倣の的確さなどです。

もちろん、いくら同じ自閉症スペクトラムの子でも子どもによって特性はずいぶん異なるし、発達の問題がそれほど深刻でない形で重複している子もいるでしょうから、

あくまで、その時点でそう感じられた、ということです。

 

実際の診断は、専門の機関に任せなくてはならないのは当然なのですが、問題は、病院選びや診てもらう時期によって診断名がコロコロ変わってしまうことなのです。

素人判断はよくないとはいえ、子どもの状態をできるだけ正確に把握して、どこに相談するか、どの病院で検査してもらうかを決めていかないと、

正しい診断を受けられて、今後の対応の見通しがつくかどうかわからないのです。

もう少し家庭で様子を見るとすればいつまでどのように様子を見るのか、様子を見ることによって起こるリスクはどのようなものか、各地域によっての情報が少なすぎます。

 

こんなことを書いたのは★くんの今の状態が、小学生の頃、同じクラスにいた場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)の女の子の姿と重なるからでもあります。

 

場面緘黙とは、特定の場面でまったく話ができなくなる現象です。

2~5歳の間に発症するけれど、単なる引っ込み思案といった性格的要因と区別しにくいため小学校に上がるまで診断や治療が行われることはほとんどないようです。

しかし、場面緘黙症は、成長とともに自然に治っていくものではなく、症状が強化されるケースも多いため、幼い時期の治療が重要とされているのです。

★くんが場面緘黙症の初期の状態にあるのかどうか正確なところはわからないけれど、正誤を確かめるために、近辺の病院をたずねたらはっきりするのかというと、よくわからないのです。

 

数年前に「緘黙症」という診断を受けて、病院で勧められた療育施設で体操指導(身体を動かしてコミュニケーションをうながす療育を実践しているところがあるそうです)を

受けていた子がいたのですが、

今思うと、その子は自閉症スペクトラムの子の症状がすべて出そろっている状態でした。

誤診というより、診断を受けた時期の問題なのかもしれません。

数年前までは、自閉症の診断基準を全て満たしている場合でも、ADHDとかLDとか、緘黙症の診断名がつくことが珍しくなかった気がします。

わたしが関わったことがある子たちの中にも、そうした診断名に首をかしげたくなる子が結構いましたから。

が、現在は、ちょっと発達の凹凸がある子は、自閉症スペクトラムとか広汎性発達障害の診断名がついているようでもあります。

病院の診断のあり方が変化したのでしょうか。

レッスンの途中で、一時間ほどお母さんに席をはずしていただいて、★くんと二人だけで過ごすことになりました。

 

★くんはミニカーや電車のおもちゃで遊び始めると、無言のままそれらを前後に動かす遊びをいつまでも続けています。

そこで、そうした乗り物類のおもちゃを片付けて、★くんを紙箱で電車を作る工作に誘いました。

器用ではさみを使うのが大好きな★くんは、「電車を作ろうか?」の問いに、口をパクパクさせながら、音にならない声で、「すーるー」と答えました。

 

ほかのお友だちやお母さんが一緒のときには、こんな風にわたしの問いに「すーるー」と答えることはあっても、自発的に自分のしたいことや思いを言葉にすることは、皆無に等しいです。

「すーるー」と言わないときには、★くんは照れた様子でひたすら身体をくねくねさせています。

でも、わたしと★くんのふたりだけで過ごしている間には、★くんの方から急に思いついた様子でこちらに話しかけてくることが何度もありました。

 

電車を作っているとき、★くんは車輪にするペットボトルのふたを貼りながら、

「ちがう。ここがない。もう一ついる」と言って車輪の数が足りない部分を指摘したり、「もう一回、電車作る」「連結するようにして」と要求したりしていました。

「これまでは話しかけてから何分もしてから、ひと言返事が返ってくるだけだったのに、こんなに自然に自発的な言葉が出てくるんだな」と驚きました。

それと同時に、ほかの人がいる場では一時間の間に、「○○ちょうだい」「いや!○○するの!」といった、思わず無意識に口から出てくるような言葉すら発しないことが、単なる人見知りや場所見知りの域を超えているようにも感じられました。

 

★くんと簡単なカードゲームをして遊ぶことにしました。

これまでは、こうしたゲームに誘っても、照れてもじもじするばかりで参加しようとしなかったのですが、わたしと二人だけのときは、ふたつ返事で「すーるー」と言ってカードを広げました。

電車のカードを表向きにしておいて、★くんとわたしで、順番にそこから好きなカードを取っていき、お気に入りの電車(3枚ずつ連結して完成)を作っていくというルールにしました。

といっても最初に、すべてのルールを説明して遊ぶのではなく、「順番、順番ね。好きなのはどれ?★くんの次は先生」という具合に、「かわりばんこにカードを選ぶ」ということから教えていって、

どこまで理解できそうか様子を見ながらルールを足しています。

★くんは、順番にカードを取るというルールに従えるけれど、同じ種類の電車のカードを集めることは見本を見せたり、一緒に探したりしても、ピンとこないようでした。

 

この「ピンとこない」という点で、『だるまちゃんとてんぐちゃん』という絵本を読んであげていたときも気になることがありました。

 

だるまちゃんが、てんぐちゃんに、「それなあに?」とたずねて、てんぐちゃんが「これはてんぐのうちわだよ」といい、

だるまちゃんが、「ふーん、いいものだね」というシーンでは、

「だるまちゃんは、それなあにって聞いてるね。それって、どれかな?ふーん、いいものだねっていってるのは、どれのこと?」とたずねると、★くんはてんぐのうちわを指さすことができました。

でも、だるまちゃんがやつでのはっぱをうちわにしている絵を見た後で、前のページに戻って、だるまちゃんは「どれを見つけて、うちわにしたのかな?」

とたずねて、

だるまちゃんの手のやつでのはっぱと、庭の木についているやつでのはっぱを見るよううながしてもそれらが同じであることや、だるまちゃんのしたことの意味がわからないようでした。

その後のシーンでも、お椀を帽子にしただるまちゃんが、前のページの食卓のお椀を頭にかぶっているということや、ままごとのまな板を下駄にして履いているということがピンとこないようでした。

今後、想像力や相手の伝えようとしていることを理解する力などの育ちを、ていねいに見守っていく必要があるのかもしれません。

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<その後の★ちゃんの様子>

想像力や相手に伝えようとする力が伸びてきました。

ほかの子らと一緒にいるときは、「~したい」「~ほしい」といった要求語を発することもほとんどなかった3歳6ヶ月の★ちゃん。

しばらくの間、個別のレッスンに切り替えて様子を見ることにしていました。

 

『14ひきのあさごはん』の絵本を読み聞かせている最中、★ちゃんがねずみたちが野イチゴを摘んできて食卓に並べる様子を見ながら、「ぼくもイチゴ取りたいなぁ」と言いました。

「★ちゃん、イチゴ狩りに行ったことあるの?」とたずねると、「★ちゃんねぇ、ある」とのこと。

「じゃぁ、イチゴ狩りごっこして遊ぼうか?」

そう言って、水風船を膨らませる道具を出して、いっしょにイチゴ作りをしました。

 

 

イチゴに見立てた風船がなかなかはずせない時、★ちゃんは自分ではさみを取ってきてゴムの部分を切っていました。

 

摘んだ風船のイチゴやバナナを入れるカゴを、紙袋を半分に切って作ってあげると、★ちゃんが、「★ちゃん、先生にイチゴのかごを作ってあげる」と言いました。

折り紙をどんどん切って、テープで貼って、かごの形にはならなかったけど大満足の様子。

 

★くんが自分から、「★ちゃん、先生にイチゴのかごを作ってあげる」と言ったのは、絵本を読む前に、写真のカードゲームをした際、わたしと★くんで、かわるがわるに問題を出す役をしたのが、とても面白かったようなのです。

従来のゲームの遊び方ではなく「赤い馬」「緑の犬」など課題を言って取る形で、ゲームをしました。

 

★くんと交互に絵を描いて、絵本作りをしました。

物作りをする時、★くんはとてもたくさんおしゃべりします。

 

 


「教える早期教育には反対だけれど、気づかせる早期教育には大賛成。」という言葉

2017-01-19 20:00:17 | 教育論 読者の方からのQ&A

↑この写真の答えは間違っています。どこがおかしいか直感でわかりますか?

 

以前も紹介したことがあるのですが、『よみがえれ思考力』ジェーン・ハーリー  大修館書店の中に、就学前の「学習」環境の設定する研究にもとづいたガイドラインがしめされています。

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★ 六歳以前の子どもの仕事は、周りの世界を理解する方法を学習することであり、学習に関わる神経構造が関与しない意味のない教材を丸暗記させることではない。

★ 数や文字などの作業的レベルの学習課題を「教える」ようなワークブック、あるいはそれに類似した市販の「学習教材」を避ける。

★ 遊びの感覚的な側面は言葉でつなぎとめることができる。それはどんなに見え、聞こえ、嗅い、味がし、感じがするのかたずねる。

★黒板や塗り絵、粘土や砂、フィンガーペインティング、水、折り紙、のり、どろんこが子どもの感覚受容系を構造化し、さらに成功にさせる助けとなる遊びの素材である。

目を閉じて子どもの混沌とした頭の中で、ニューロンの樹状突起が枝を広げていくさまを思い浮かべてほしい。

(『よみがえれ思考力』から)
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子どもの思考力について研究している方々によると、早期教育には弊害が生まれるものと豊かな成長の土壌となるものの2タイプあるようです。

 

先に紹介したような就学前の「学習」環境の設定する研究にもとづいたガイドラインを目にしても、教えれば教えるだけ吸い取り紙のように覚えていく幼児を見ていると、

「早めにできるようになることが、それほど問題があるとは思えない」「たくさん知識があるのにこしたことはないのに、教えることに問題があると聞いても、ピンとこない」という方が多いのではないでしょうか。

わたしも何度も繰り返しブログでこの話題を取り上げてきたもののどうも伝えたいいとがきちんと伝わっているように思えずもやもやしていました。

 

 

そんな折り、受験業界でお仕事されながら3歳と1歳のお子さんを育てておられるあさがおさんのブログを読みました。

読んだ瞬間、「そうだー、私が考えていたことは、まさにそれ!」という一言が喉元まで‥‥‥(すいません、あまりに同じ感想だったので、あさがおさんの記事から言葉をそのまま拝借しています

そこであさがおさんにお願いして、ブログで記事を紹介させていただくお許しをいただきました。

中学受験の算数について同僚と話していたあさがおさん。

ある一定のところからなかなか伸びず頭打ちになってしまう子と、そうでない子の違いは何か?

なぜ女子は(の多くが)ああも筆算が好きなのか?

工夫できるものは、筆算せずに解いた方がミス減るはずなのに。

それに筆算は機械的に計算できてしまうから、それに頼る癖がつくと、数字に対するセンスが磨かれなくなる‥‥‥などなど。

つまり、同僚の方々は、「筆算より計算の工夫をする方が楽だし応用が効くのに、何で頑なに筆算にこだわるのか」頭をかしげていたそうです。

そこで、「筆算好きな女子」の代表として、孤軍奮闘したという あさがおさん。

一度便利な道具(筆算)を手に入れて、汎用性があるとなれば、頼るようになるのは当然。

その道具に頼ることに慣れてから突然、「筆算せず、まずは計算を工夫してみろ」って言われても、それは「思考回路を一から組み立て直しなさい」、と言われているようなもの。

同僚の方々は、先に便利な道具を与えるから頼ってしまうのではないか‥‥‥と、学校で筆算を習う段階が、現状早すぎるのではないか?

習う前に、もっと計算の工夫というか、「具体」で数を扱う練習を沢山しないとダメなのではないか?

九九だって、暗唱を先にさせる前に、自らその法則性に気づけたかどうかでその後の伸びが大きく違う。

道具を先に与えてしまうことで、自ら気づいたり考えたりする機会が奪われてしまっているのでは。

と議論が深入りしていったその時、同僚の方がこんな言葉を口にしたそうです。

教える早期教育には反対だけれど、気づかせる早期教育には大賛成。

この言葉が、あさがおさんの心にストン!!と落ちてきましたそうですが‥‥‥

わたしの心にもストンと落ちてきました。本当に同感です。

 

「教える」教育と「気づかせる」教育のちがいとは、突き詰めていくと、「わかる喜び」のあるなしのちがいなのかもしれません。

今月の初めに算数難問研究部 1  算数難問研究部 2というレッスンの記事を書いた際に、青空学園数学科というブログの南海先生にホームページ上の言葉を転載させていただくことをお願いすると、

次のようなお返事をいただきました。

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前にも一度ブログで紹介いただきました.こちらはリンクも引用も自由です.
むしろ引用いただいたことに感謝します.

高校生を見ていますと,人に聞く前にまず自分でわかるまで考えないと気がすまない生徒と,
途中ですぐに答を見てしまう生徒がいます.
前者の方が時間がかかっても必ず力が伸びるのです.

この二つの傾向が,高校段階ではもうその人の考える態度としてある程度できています.
もっと小さい頃に自分で考えわかる喜びを経験していれば,
記憶の中のその喜びに引かれて,高校になってもわかるまで考えるようになります.

ですから小さい時の経験がたいへん重要だということを実感しています.
教える立場でいえば,それを引き出す指導は,なかなか難しいだろうと思います.

追伸:幼少時代に「わかった」という経験をすることが,
高校大学でどのように生きるのか,追跡調査もされると,ありがたいです.

これからもよろしくお願いします.


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文中の「人に聞く前にまず自分でわかるまで考えないと気がすまない生徒と途中ですぐ答えを見てしまう生徒がいて、この2つの傾向は、高校段階ではもうその人の考える態度としてできています。

もっと小さい頃に自分で考える喜びを経験していれば、記憶の中の喜びに引かれて、高校になってもわかるまで考えるようになります」という言葉に触れて、幼児や小学生に対する教育のあり方の大切さをしみじみと感じました。

「教える」のではなく「気づかせる」環境を与えて、自分で考え、「わかった!」という喜びをつかめるように子どもたちを支えていきたい、と強く思いました。


小学1、2年生の子どもたちの算数レッスンの様子です

2017-01-18 18:50:36 | 算数

小学1、2年生の女の子たちのグループレッスンの様子です。

小2のAちゃんが「六角形のおみくじを作りたい」というので、他の子たもいっしょに六角柱の展開図のかき方を学びました。

最初に、長方形を6つ作り、次に六角形をふたつ作ります。

 

六角形はコンパスでかきます。

円の半径の幅を円周上にかいていくだけで六角形ができるのって、「どうしてなの?」とよく考えてみると、なかなか面白いのです。

図形のゲームに親しんでいるので、「正三角形が6つあわさると六角形になる」ことはみんなよく知っているのですが、「だから円の半径と六角形の一辺は同じなんだ」と納得するのは、

実際に、作図して、作りたいものを作らないと気づきません。

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コンパスで六角形をかく方法は、子どもたちに人気があります。

下の写真は、別の1年生の女の子(このグループの子ではありません)が、六角柱のガラガラを作っているところです。

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最初の話題に戻ります。

スーパーエリート問題集2年生 の 難問研究の問題を解きました。(他にも何題か解きました。)

 

長さが30㎝の紙のテープが8まいあります。

これらを1㎝ずつかさねて のりでつなぐと  全体の長さは 何㎝に なるでしょう。

(愛知教育大附名古屋中)

どの子も自分なりの絵や図をかいて、、答えを出していて、成長を感じました。

 

1年生のDちゃん、Bちゃん、2年のCちゃんは、

30×8-1×7=233 233㎝ と解いて、正解。

2年生のAちゃんは、1×7+29×8=249 249㎝として間違ってしまいました。

線分に値をかきこんで、ていねいに解いていたのですが、うっかり見落としていた場所があったのです。

 

 

そこで、紙テープを貼り合わせて、それぞれの幅に値を書き込んでいくことにしました。

 

すると、テープの両端は29センチだけど、その間ののりがついていない幅は、28㎝になることが判明。

まちがえることはとっても大切です。

最初から正解していた子たちも、テープを貼って確かめたことで、別の解法にも気がつきました。


集団への適応力がいい子が考えない癖をつけないための微調節

2017-01-17 18:31:59 | 通常レッスン

年中さんと年長さんのレッスンの様子です。

幼稚園などの集団の場で「よくできる子」「しっかりしている子」とほめられることの多い適応力の高い子たちが、場の空気を読むことにあまりに長けているため、「考えない」癖を身につけてしまうことがあります。

先生や自分より上手にできる子を真似て吸収するのが上手で、いつも場の流れの先陣を切っている子たちです。

その場所で重要なキーマンとなる人物に即座に気付く力も持っています。

集団への適応力がいいことも、その場のカギを握っている人に気付くことも、他の人のすることを上手に真似ることができることもとてもすばらしい能力です。

ですからその資質は大切にしてあげなくてはならないのですが、その資質が原因で、考えない癖がつきはじめたら、その子への関わり方や質問の仕方などを微調整して

「自分で考える」経験を積ませたり、自分が考えたからこそ味わえる喜びや達成感を体感させるように気をつけています。

 

「集団への適応力のいい子がつける考えない癖」と聞いてもピンとこない方がいらっしゃるかもしれませんが、グループで子どもたちが活動する様子を見ているととてもよくある光景です。

集団での適応力がいい子は、どうすれば先生にほめられるのか、その場でリーダーシップをとっている子に認められるのかに敏感でよくわかっています。

またそこにいる「みんな」から好感を持たれる方法にも長けています。

常に変化する集団の行動や気持ちの流れにすばやく柔軟に対応することができます。

それらはどれも長所ではありますが、それらの長所が行きすぎると次のような困った態度も生じてきます。

 

★ 何かを考える時に、自分では考えず、一番正しい答えを知っていそうな人に同調することに必死になる。

★ 集団の行動や気持ちの流れに敏感すぎて、物事の正しさより、「多数派」の意見を正しいと感じる。

★ 先生の言う通りにするのが一番と思い、自分では考えず、先生が言った通りにする。

 

「先生の言うとおりにする」ことは、正しいよいことでもあるのですが、それがそのまま「自分の頭では考えない」「思考のスイッチを停止する」ことにつながってしまう場合、

少し体験を広げてあげる必要があると思っています。

 

物事は何でも模倣することから始まりますし、自分の頭で考えられるようになる前に意味がわからなくても丸暗記して、身体で覚えてしまうことがその先の学習の基盤にもなります。

ですから、幼児や小学校低学年の子に、「自分で考えなさい」と言葉で繰り返すことは、勉強の仕方をわからなくする原因を作るかもしれません。

わたしが気にかけている「考えない」という状況は、次のようなものです。

 

先日、年中さんと年長さんのレッスンでこんなことがありました。

積み木を並べて形を作り子どもたちの正面(反対側)に人形を置いて、その人形の目で積み木を見たらどのように見えるか、いくつかの選択肢の中から、上から見た図を選ぶという課題をしていました。

子どもたちは、「これ!」「これこれ!」と思い思いの図を選びます。

たいていの子が、自分の側からどう見えるかに引きずられて、間違った絵図を選んでいました。

その後、お人形の背後に回らせて、もう一度選択肢を見せると、子どもたちの間から、「あ~!!これだったんだ!」と歓声があがりました。

次の問題からは、「自分の見え方に簡単にだまされないぞ」という意気込みがあり、自分なりの推理を働かせていました。

 

この課題の最中、★ちゃんと●ちゃんは、ちょっと気になる態度をしめしました。

どちらも知能が高い集団への適応力が高い年中さんの女の子です。

大人の指示が通りやすくテキパキしていて幼稚園では担任の先生や周囲の親御さんから絶賛されている子たちです。

お友だちからの好感度も抜群です。

わたしにしても、このふたり本当にかわいいなぁ、といつも感心してしまいます。

 

気になる態度というのは、「これと思う」と指さす時点で、自分が好きな子やいつも正解する子が「これ」と決めるのに、瞬時に反応して、「わたしもこれこれ!」と同調するように答えを選ぶので、

 お人形の背後に回って、本当はどれが正しかったのか自分の目で確かめる段になっても「あーそうだったのか!」とか「あれ?何でだろう?ちがうな」といった反応がないことなのです。

問題となっていた積み木は見ようともせず、正しい答えを確かめたとたん急に意見を変え出したお友だちの表情ばかり気にしています。

「みんながこれだったのかーって言ってるから、これなんだな」と納得する様子です。

といっても、こんな態度をしめすからといって、問い方を工夫すれば、★ちゃんも●ちゃんも考える力が弱いわけでも、推理が苦手なわけでもないのがよくわかるのです。

ふたりのこうした「考えない態度」は集団でのあり方でより有利であるためにわざわざ学習して身につけたもので、場面によって、それを少し解除する必要を実感させていくと、対象をよく見て、

そこから秩序やルールに気付く力を取り戻していくのです。

集団への適応力がいい子が、自分で考えようとせずに他人の意見に同調する姿を見て、親御さんから

「自分で考えなさい、と言った方がいいでしょうか」

「どのように言い聞かせたらいいでしょうか」

という質問をいただくことがよくあります。

「言えばわかる子だから」という思いが、こうした質問につながりやすいのかもしれません。

適応のいい子たちは、言葉で言い聞かすときちんと耳を傾け 、素直に従おうとします。

でも、どんな形であれ、こうしたタイプの子に「言い聞かす」のはあまり効果がないかもしれません。

こうしたタイプの子らは、「耳」を通して人を介して情報を得る態度に片寄りすぎて、自分の目で見ているものよりも、人が言っていることの方を信用しがちです。

また人の言葉から学びとろうとして、直接、自分で対象から何らかの秩序を引き出そう、見つけ出そうとする意欲がみられないことがよくあります。

 

前回の記事の★ちゃんは、「答えを確かめるために、人形の後ろから見てみよう」という誘いに、他の子らが好奇心ではちきれそうになって人形側に駆けよる時に、「行かなくていいよ~、行かなくていい~もう答えがわかってるもん」と言いました。

人形側に回った子たちが、「これこれ!」と正しい答えを指すのを聞いたので、もう自分は知っているから、わざわざ見に行く必要はないと思ったようなのです。

また●ちゃんの方は、次の問題から、「わたしはここに座ってする」と、最初から人形の背後を陣取って、絶対ミスがない状態で問題を解きたがりました。

ふたりとも、好奇心から、「推理したい」「言い当ててみたい」「当たるかな?」とドキドキする楽しさを味わうよりも、大人が評価するような「正解する」という結果に心を奪われているようでもありました。

といっても★ちゃんも●ちゃんも本来、知能が高くてしっかりした子たちですから、こちらが極力、言葉で言い聞かせるのを控えて、目で対象をよく眺めるようにうながしていると、

自分の力で「原因と結果」のつながりに気づきはじめ、たちまち考えることが楽しくなってもくるのです。

また「考えなさい」と注意するのではなく、その子たちの発する思いつきや論理に、こちらが強い関心をしめすと、もともと人と人の間にある感情の流れに敏感な子たちですから、

人が興味を持っている対象には、強い集中力を発揮するのです。

相手の心が自分の発言に興味を持っていると察すると、一生懸命、考えを伝えようとします。

 

気をつけなくてはならないのは、子どもが

「大人は自分が正しいことを言うのに興味を抱いている」と思うか、

「大人は(間違っていようといなかろうと)自分が発言している内容に興味を持っている」と思うか

にあるのです。

適応力のある子たちは、とても合理的で、結果主義の子が多いので、「大人が自分が正しいことを言うのに興味がある」なら、正しい答えを知ってそうな子の意見を真似るか、

先生の言うことを、わかっていてもわからなくても、そのまんま言う方がいい、と考えるからです。

 

小学3、4年生の子らのレッスンでこんなことがありました。

自由時間に何をするかは、「工作」か「実験」か「ボードゲーム」の中から子どもたちに選ばせています。

この日は「実験がしたい」という話でした。

科学の本を見ながら、「水」に関係する実験をいくつかして大盛り上がり。

好き勝手実験が行きすぎるのをちょっと締める意味もあって、帝塚山学院泉が丘中の「水の変化の実験」を扱った受験問題を、できる部分だけ実験を再現してみて、問題の答えを推理してみることにしました。

 

①試験管に水(5℃)を三分の一ほど入れる。

②この試験管をビーカーの中央に立て、まわりに水を入れる。

③水に食塩をまぜたものを氷にかける……

 

といった設問の実験手順を、ひとつひとつ子どもたちにやってもらいます。

教室にはスタンドや試験管に入れるタイプの温度計はありませんから、水に食塩をまぜたものを氷にかけた後は、「指、温度計で!」と冷たさの変化を指で確かめる適当実験ですが、

そんな適当な実験も、問われていることの意味を実感するのにはとても役立ちました。

 

「冷たー!!」「つ、冷たいー!!」と騒ぐうちに、どの子もすっかりこの実験の世界に入り込んでいました。

 

そんなわけで、実験そのものは、とても楽しく、していることをよく理解もしていて、水が氷になる際の体積の変化や重さの変化なんかも、製氷皿で氷がプクッと膨らんでいる様子を手で作りながら

「体積は冷えると増えるけど、重さは変わらないね」などと言いあっていました。

 

しかし、温度変化のグラフを選ぶ際には、「これこれ」と適当に選んで、選んだ理由をたずねても、はっきりしません。

 

それでも選んだ理由についてあれこれ雑談する時間があって、「だんだん氷になっていくんだから、温度はだんだん下がっていくはずと思ったから」など無理やりでも理由を絞りだすと、

正しい結果を知った時に「ああ、そうだったのか」と心に響く度合いが違います。

 

この子たち、虹色教室で続けてきた算数に関わることでは、しっかり考えてから取り組むのですが、こうした見慣れないものだと、よく見たり推理したり考えたりせずに、つまり自分では全く考えてみようとせずに、

「これ!」と適当に選んで、「正しい答え」を教えてもらってから暗記すれば一件落着、という学び方があたり前となっているようなのです。

 

集団への適応力のいい子たちほど、「どうせあとで先生が答えを教えてくれるんなら選ぶ時点で真剣に考えたら時間の無駄」という合理的な精神や、

「自分で考えたものが間違えてしまうと恥ずかしいから、最初に選ぶ時点では茶化してどれにしようかな神様のいう通り~という具合に適当に選んでおこう」

と周囲の友だちを意識して、わざわざ考えないで選ぼうとする姿が目立ちます。

 

確かに、ある時期までは記憶力さえよければ、原因や理由について論理的に考えなくてもよい成績が取れるのです。

でも、いくつかの選択肢から「どれが正しいか」と選ぶ時点で、自分なりの推理や考えを練って答えて、間違えて、正しい答えを知る子と、適当に当てずっぽうで答えを決めて、間違えて、正しい答えを知る子では、

同じように正しい答えを記憶したとしても、ずいぶん差が生じてくるのです。

 

ただ、小学校高学年くらいになるまでは、むしろ、場の空気を読むのが上手で、先生の指示が通りやすくて、

「適当に当てずっぽうで答えを決めて、間違えて、正しい答えを知る」ことに徹している子の方が、学校でも塾でも、有利に働くことも多いのです。

自分で推理すると、教わった後も、自分の考えにこだわって再度ミスすることもありますから。

 

ただ、身近な大人が、自分なりの推理や考えを練って答えて、間違えて、正しい答えを知る子と、適当に当てずっぽうで答えを決めて、間違えて、正しい答えを知る子を

全く同じように見るか、

後者を優遇するようなことが続くと、ほとんどの集団への適応力のいい子たちが、その態度に染まっていくのもよく見かけます。

 

繰り返すようですが、集団への適応力がいいということは、良い資質です。

ですからそれ自体に問題があるわけではありません。

ですが、もともとの気質とさまざまな要因が重なると、「考えない」癖が身に着くことがある、という話をしました。

 

そこで、「考えない癖」を生じさせる要因と思われるものをいくつか挙げてみますね。

 

★ 周囲の大人が、結論を急ぎがち。結果を早く出そうとしがち。

知能が高めで適応のいい子が考えない癖をつけるのは、すばやく良い結果や答えに行きつくのには自分で考えない方が早いと思うからです。

わたしたち大人も、「よくわからない素人が余計なことするより、最初から専門家に頼んだ方がいい」と考えることがありますよね。

 

★ 「勉強」と名のつくものが、考えないものが中心なので、「考える」というのが、どういうことかわからない。

文字の読み書きにしても、計算練習にしても、知能系のドリルにしても、自分で考えず、先に答えを暗記しておいて解いていくスタイルに慣れている子で、「考える」というのがどういうことかわからない子がいます。

 

★ 1~3歳のころの接し方

子どもに語りかけては、何でも解説してしまうと、子どもが自分で見たり体験したりするものを大人のフィルターを通したものに変質させてしまいます。

子どもが大人に向かって話しかけたり、働きかけたりする量より、大人が子どもに向かって話しかけたり、働きかけたりする量があまりに多い場合、さまざまな問題が生じてくるのを感じます。

0歳の赤ちゃんだって、相互にコミュニケーションしようという気持ちは十分持っていますから、大人が「教えたい病」にかからないよう注意が必要だと思います。

バランスが悪い接し方を続けていると、子どもが自分で見ているものを信用せず、自分で行動した体験のフィードバックから学ばず、大人の言葉だけを頼りに世界を理解しようとするようになっています。

 

★ 幼稚園が年齢以上の過剰な適応を求めている。

幼稚園での生活が始まって、考えない癖がひどくなる子がたくさんいます。

年齢以上の過剰な適応を求めている園に過剰に適応しようとして、それができてしまうため、先生方からいつも褒められているという子に、考えない癖が定着しやすいです。


一見難しそうなことも、やってみたら案外簡単

2017-01-16 13:38:41 | 日々思うこと 雑感

正月休みが終わったとたん、ゼミの課題や院試験の勉強、定期テストの準備と時間に追われている息子。

先日、コピー用紙に数式を書き連ねながら、こんなことを言っていました。

「 うちの家は、基本は放任で、英才教育って何かしてたわけでも、系統だった勉強をしたわけでもないけど、うちの環境で育って得したって思うのは、数式とか一見難しそうってものにまったく嫌悪感がないってことかな。

丸バツつけられたり、点数でどうのこうの言われたことないしさ。

周りにぼくよりずっと頭がよかったり、いろんな訓練積んできた人がいるけど、知らない数式が出てきたら、理解するも何も、考える前に思考停止してしまうんだ。

難しい単語が出てきた場合とかも、それがラテン語だったりすると、わからないものを保留にした状態で読み進めたりしない。

 

その点、ぼくはたいした知識もないけど、物おじせずに海外のどんな難しそうな論文でもざっと目を通しておくし、数字アレルギーがないから、

苦手意識なしに、自分でできるかどうか分析せずに、とりあえず解いてみるだけどさ。

その結果、やってみたけど、結局、できなかったって恥をかくことはあるよ。

そういうときに、わざとあげつらってバカにする人もいる。

でも、一見、不可能に見えるほど難しそうでも、やってみたら案外簡単だったって場合の方がずっと多いよ。」


地下のトンネル工事の小道具ふたつ

2017-01-14 20:24:28 | 工作 ワークショップ

地下のトンネル工事中。

 

地下におりるためのエレベーターを作ると、遊びが楽しくなります。

 

エレベーターの作り方は、ふたが開く空き箱のふたを半分に折って切って、窓を貼るだけ。

 

のぼったりおりたりするシステムは、テーブルの脚にわっかをつけ、エレベーターに貼り付けた紙の帯を通すだけでできます。

 

トンネル工事の絵本に、トンネル内を通る配管の先から、風が噴出して、人がびっくりするという絵がありました。

それを作りたいというので、ストローをどんどんつないで配管を作り、ストローの先に風船をふくらますためのポンプが接続できるようにしました。

ストローがはまるサイズの小さい筒を取り付けているだけです。紙を丸めて作ることもできます

 

ポンプを押すと、ストローの先に置いた人形が風で吹き飛ぶので子どもたちは大喜び。

ポンプがない場合、牛乳パックやマヨネーズの空き容器をポンプとして使ったり、ビニール袋でポンプを作ったりできます。

最悪の場合、口で息を吹き込むと、地下のトンネル工事は進行します。


鉄道大好きっ子のレッスン

2017-01-13 19:52:43 | 通常レッスン

鉄道好きの年少のAくんのレッスンの様子です。

 

まだ教室に来始めて日が浅いので、お母さんと離れるのが辛そうだったAくん。

でも、お母さんが教室を出て1分もしないうちに、「線路がぐるっとなるようにしたい」「駅が作りたい。鹿児島中央駅と東京駅と新大阪の3つとも駅が作りたい」

とはりきっていました。

Aくんは完璧主義で、形や色や数に敏感な子です。

線路のちょっとした段差や自分の知っている鉄道情報と自分で作ったジオラマとの違いを気にかけながらも、「じゃあ、どうしよう?こうしたらいいかな?こうしたらどうだろう?」と話しあううちに、気持ちの折り合いをつけて、

明るい笑顔を浮かべて、自分なりの解決案を口にしていました。

 

飛行場の滑走路をブロックの板をひっくりかえして作ったAくん。

 

新幹線の駅のトランプで遊んでから、機関車トーマスゲームをしました。

 

100のマスまで1番乗りしたAくん。「もう一回やりたい」と言っていました。

最後に、クラッシュアイスゲームで盛り上がりました。