虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お仕事裏話 

2017-01-13 08:51:13 | 日々思うこと 雑感

『だれのための仕事』という鷲田清一先生の本を読んでいて、こんな過去記事を思い出しました。時間がある方は読んでくださいね。

 

まだ虹色教室を始める前……私があちこちの主婦向けのパートをはしごしていたころの話です。

お友達に誘われて、郵便局の短期バイトをすることにしました。

短期といっても、年末の年賀状の区分け……ではなく、新しい保険証を全国に配る際、直接、手渡しなもんで、戻ってくる郵便物がはんぱじゃない……

そこで再配達のお知らせを電話でするというお仕事でした。

このバイト……5人がグループになって働きます。私のお仲間は若くてきれいな仕事の出来る20代。几帳面なおば様、のんびり屋の主婦と私。

性別不明(のち女の子と判明)ひと時もじっとしていない20代前半…の子でした。

性別不明の子は、初日から「友達と遊びに行くのでバイト休みます。」と宣言し、「出れる日に○してもらって雇ったはずでは…?」の質問に、

「その時は約束していなかったんです。」と平然と言い訳し 郵便局内を凍りつかせました…が、2日目からは元気に出勤しておりました。 

実はその仕事、郵便局が外部スタッフに任せたくなるような裏事情がありました。

こういう特殊な郵便物の再配達は、翌日になるんです。

翌日……フーン それで?とお思いでしょうがこれをお客様に説明したとたん

「なんで、今日持ってこれんのや!!」

「なめとんか、今すぐ持ってこんかい!」と怒鳴られるなじられる……(

お留守だったのはお客様では?そんなに保険証お急ぎですか?

「だから民営化せえ、いうとんじゃ」と説教されるで、この地域の人の心の狭さ、貧しさをひしひしと実感する結果となるのです。

数日後、仕事を覚えるまでは優等生だった美人の20代が、受話器の向こうから怒鳴られ続けて精神的にダウン……

几帳面なおば様もため息しかつかなくなり……のんびり屋の主婦も涙目に……

私としては電話の向こうの見ず知らずの人がわめこうと、ののしろうと、痛くもかゆくもないので、そのおかげで郵便局内ではかなり待遇されているこの仕事…

「結構、おいしいんじゃないかなぁ?」などと感じていました。

そうして元気なのは、私……と、一向に仕事を覚える気配のない性別不明だった女の子となりました。

その子ときたら椅子をガタガタ……シャーペンをカチカチ……電話の合間にしゃべるしゃべる……と落ち着かないことこの上ないのですが、

何せこの仕事の裏事情のせいか、上の人に叱られることはありませんでした。

その子以外の4名はだんだんにその子のことが気になってきました。

これまで よそで働けたんだろうか?……とか

親御さんはどうおっしゃっているんだろう?……などなど。

休憩時間にその子に、直接、疑問をぶつける人も出てきました。

質問をぶつけられたその女の子は、これまで幼稚園でアルバイトしていたことを話しました。

子どもたちがとてもなついて、その子が行くところには子どもの人だかりができていたのだそうです。

が、幼稚園の先生方からの評判はものすごく悪くて「覚えられないんだったら仕事の手順を書いた札を首からさげて仕事せい!!」といびられていたのだとか…

それを見かねた園児のお母さんから、「あんたー先生にいじめられてたねー」と小声で同情されるほど ひどいイジメだったそう。

その子の親御さんは、「とりあえず仕事しておれば、いいよー」と応援してくれているそうです。

きっと、家でもこの通り落ち着かないんでしょうね。

親御さんとしてはお金に換算される事さえしてくれるなら、それ以上の贅沢は言わない気らしい…。

そんな話をするうちに、私はこうも落ち着かず 仕事も覚えられないこの子が叱られても、いじめられても、がんばって仕事に来ている姿にちょっと感動してしまいました。

この子が、これからも叱られてもめげずにがんばって働いていてくれるように…と祈るような気持ちでした。

そして、他のメンバーの人たちも同じような気持ちだったらしく……

はじめは、この子のことがすごく苦手そうだった几帳面なおば様までそっと、その子のフォローをしていました。

短期バイトが終わる頃、5人のグループは、かなり親しくなっていたのですよ。

この話には 後日談がふたつあります。

ひとつめは、この時のお気楽な仕事ぶりをかわれた私は、その後も郵便局の仕事を任され10円単位のちっちゃい出世をし、内部のごたごたに巻き込まれて苦しみました!

ふたつ目は、数年後、阪急電車内で、あの女の子と再会。

なつかしくなって声をかけると「だれ?」とつれない答え。

「ほら 郵便局の短期バイトで…。」と説明しかけると、隣にいたその子の友達が、「覚えとけよー、そんくらいー」と笑いながらツッコミを入れていました。

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郵便局の短期バイトが終わる頃、私は電話の向こうの怒鳴り声に「めげない」……というか、怒鳴りだしたら受話器を少し耳から離して、「いろいろストレスあるのね~。

大阪、景気が悪いしな~。保険証の配達が翌日になるってだけで、こんだけ負のエネルギー放出できるんだから、ある意味すごいわ……やれやれ……」と怒鳴り終えるまで、鼻歌まじりに待っていて、

「どうも申し訳ありません。~~です」と用件を伝えて、ていねいに電話を切るってことを繰り返していたのですが、そのお気楽ムードの仕事ぶりが、短期バイト教育係(?)のお眼鏡にかなったらしく、

バイトが終わる頃「他のパートもやってみない?」というお声がかかりました。

ちょうど、お金が必要な時期だったので、承諾し、さっそく小荷物係をすることになりました。

私……はっきり言って、そんなに仕事ができる人間じゃありません。

雑だし、ポカミスが多いし、定期的に体調崩しますし……

でも、ある他の人に負けない特技があるのです。

それは新しい仕事を覚えるのがはやい……ということです。

といって、頭の中身は平均的日本人。覚えが良いわけでも、頭の回転が速いわけでもありません。

身体能力もダメダメです。

ならどうして仕事を覚えるのがはやいのかというと、今の仕事にもつながっているのですが、「教育する」「教える」「教わる」という

時点で、

学ぶ内容を瞬時に、ごくごくシンプルで簡単な形に翻訳することが得意なのです。

ですから、難しそうな解説書も、複雑な仕事の手順のプリントも、見ると同時に、幼児にもわかるようなイラストつきで色分けされた1,2の手順でできる内容に頭の中で変化させてしまっているのです。

そのため、頭はあまり良くなくても、驚異的な記憶力と頭の回転の速さを持ってるのじゃないか??

と誤解されるほど、素早く仕事を覚えてしまえるのです。

そのため、これまでどこのバイトに行っても、仕事を覚えるまでの時点では、他の人の先を行ってました。

絶対覚えれないような難しい仕事を「1回しか教えへんよ」なんて脅してくるいじわるな先輩の鼻を明かすのがひそかな楽しみでした。

(本格的に仕事が始まれば、ポカミスが多くてぼろが出てくるのですが)

そうして他の人が何週間かかかるという話だった新人教育期間を2~3日で終えて、楽しく小荷物係をやっていると、「もう、覚えたの?」と郵便局内の上司が小荷物係の視察に来て、

まだこの仕事について日が浅いのに、「きみ、別の部署に行ってくれ」というお声がかかり、大きな荷物の扱いの部署に移されました。

その上司は新しい部署に何度か見に来て、「女性なのに、ここの係りは大変だね。もう仕事覚えたの?きみ、別の部署に行ってくれないか?」とまたしても

お声がかかりました。

そして、留守中の荷物の保管と電話応対の部署でも同様のことがあり、「きみ、別の部署に行ってくれないか?」とお声がかかりました。

(みんな私が出席の印鑑を押すのを忘れたり、雑に押していることなんかにも、まだ気づいておりません)

私にすれば、ぼろが出る前に教育期間ばかりでラッキーなんですが、次の部署に行けば、時給数十円アップする可能性も高まるけれど……。

郵便局内でも最大の難所。絶対ミスが許されない、誰も仕事が長続きしない……と噂される速達便の区分け。

たったひと文字の見落としで、間違って遠方に郵便物が行っちゃた場合、上司が飛行機で郵便物を届けるはめになる。

人間のうっかりが、上司の一日の仕事と飛行機の運賃の金額とてんびんにかかっている常に心臓に悪い~部署なのです。

おまけに私はかなり雑で、ミスが多い人間。

うまくいくのかいかないのか、最初から逃げ出すのもな~と取り合えず受けることにしました。

次回に続きます。

続きを読んでくださる方は↓のリンク先に飛んでくださいね。

お仕事裏話 4

お仕事裏話 5

お仕事裏話 6

お仕事裏話 7

お仕事裏話 8

お仕事裏話 9


自閉症の子たち と 創作活動

2017-01-12 21:33:45 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症のAくんとBくんのレッスンの様子です。

AくんもBくんも小学1年生です。最近、学校で、植物を栽培する体験したそうです。

そのためか、『アンダーアース・アンダーウォーター』という大型絵本の地面の下で育つだいこんやじゃがいもやにんじんのイラストに強く惹かれていました。

そこで、新聞紙を丸めて、いろいろな野菜を作って、新聞紙で作った畑に植えていくことにしました。

 

Aく んは最近になるまで、ひとつのことに集中して関わるのがとても難しい子でした。

興味の範囲も狭く、何か作るにしろ、おしゃべりするにしろ、こだわりの対象であり好きなアニメに関するものと家の中にあるもの(電気のコードが中心)が主でした。

そうしたこだわりから離れた新しい体験がAくんの心に響くことはほとんどなかったので、野菜作りや作った野菜を土に植える作業にもくもくと取り組むAくんの姿にびっくりしました。

そういえば、おともだちのすることに興味がなく、むしろおともだちが何かしているとそこから離れて、うろうろ歩き回ったり、あちこちの引き出しを開けてまわったりしていたAくんが、

Bくんが何か作るたびに、うらやましそうにのぞき込んで、「ぼくも〇〇作る」と言っていました。

感情の世界が少しずつ豊かになっているようです。

 

「ぼくもじゃがいも作る」と言って作ったじゃがいも。

 

Bくんは、この数年、創作活動を通して大きな成長を遂げた子です。

長い間、会話やコミュニケーションが成りたたなかったため、工作環境を用意しても、作るというより、感覚的な刺激で遊ぶか大人に作ってもらうだけだったのですが、

いつの間にか、何でももりもり作ってしまう子になっていました。

船の絵本を見たら、船を作り、すごろくで遊んだら、すごろくを作ります。

 

わたしが一度手本を見せると、それが動画のように頭に記録されているのか、

ドールハウスのベランダ作り」のような複雑なものでも、

画用紙とストローを使ってサラッと再現するのには驚きます。

 

 

創作活動は、AくんにとってもBくんにとっても、

成長を促してくれると同時に、生きる喜びをもたらしてくれています。


親のコンプレックスと子どもの困った行動 おわりです

2017-01-12 15:35:27 | 機能不全家族・アダルトチルドレン
末っ子の母を、「ぜひ養女に欲しい」と子どものない親戚がせっついていた話を、母はよくしていました。
それもまた、母を良い子のカラに閉じ込めた思い出だったのでしょう。

母は自分の欲望を極端に我慢して、家族に奉仕する一方、いったん家族のためと言う大義名分ができると、怪しい商法の健康器具やら、鍋セットやらに簡単に大金をはたいてしまったり、そうしたものに対しては、妙に我慢がきかないところもありました。

そんなことなら、お母さんの好きなものに、自由にお金を使ってくれたら、どんなに家族は気持ちが良くてうれしいか…と思うのに、「私はボロで良いの…」とやたら自分にはケチケチするのです。

その点、妹は世界は自分を中心に回っている!と大らかに宣言しているような生き方考え方をする性格で、母にすると妹のすることなすこと気に入りません。
妹の悪い素行をしつけなおそうというより、性格を根こそぎ改造しようとでも思っているような態度でしつけをしていました。

そのため妹は、母にべったり甘えていたかと思うと、口汚くののしったり、暴力をふるったり、だめと言われていることをわざとやったりしていました。

すると母の方も本気になってしつこく妹を叱ります。
 
妹も妹で、一日中でもごねて、母を思い通りに操ろうと必死でした。
 
そんな毎日が、一年中、いえ、何年も…妹が結婚して家を出たあとも、冷たい親子の憎しみあいの形で続きました。

母は妹との関係を良いものにしたいと思っていなかったのか…?というとそんなことはありません。
 
母はいつも子育てに悩む母で、懸命に良い母になる方法を学んで自分を変えようと反省する母でした。
 
しかし母がいつも手付かずのままけっして変えようとしないものがありました。

自分が良しとする価値観…
 
「控えめで、温和で優しく、物を欲しがらず、自慢せず、自分のことよりまず人を思いやるような性格」だけを良しとする考え方です。
 
妹の「積極的で強気で自信家で快活な性質」をあるがままに認めて尊重することは決してなかったのです。
 
「コンプレックス」は、ある種の抑圧が原因となるそうです。
 
「本当は、こうしたかった」という素直な気持ちを、対人関係の中で抑圧され続けると、不満が増大し、「理性から外れたこだわり」となるようです。

子どもの願いに反した価値観を押し付けたり、よかれと思っていた教育方針が、子どものコンプレックスの原因となります。

人間関係って、本当にトラブルが多くて、傷つけ、傷つけられることが日常茶飯事ですが、相手の立場を考えず、想像力や優しさの欠けた発言をしてしまうとき、そこにはコンプレックスが関係しているように思います。

虹色教室に来ている軽度発達障害が疑われる男の子が小学生の頃、お母さんと楽しそうに笑いながら自転車で移動している時、学校の担任と会ったそうです。
 
担任は、うれしそうに微笑んで、
「こんな風に家族で仲良く過されている時もあるのですね、安心しました……」というようなことをおっしゃったそうです。
 
男の子の表情が乏しく、たびたび学校で問題をおこすので、担任は、親の愛情不足と決め付けていたようなのです。
 
現実には、男の子のお母さんはたいへん子どもを大切にする方なのです。

先生が自分の育ちの中で作ってきたコンプレックスに無自覚だと、たびたびこうした事実と異なる発言をして親や子を傷つけたり、生徒の問題を大きくしてしまうように思います。

また、親は自分のコンプレックスを見つめていく勇気を持たなければ、どんなに愛情を持って努力していても、自分のコンプレックスをわが子の中に投影して、わざわざ子どもの悪い部分を引き出して育ててしまうようです。

「投影」とは、意識が「自分のものじゃない!」と否定したがっている自分の心を、他人の心のように解釈して、相手を否定し、攻撃することです。

嫌がらせやいじめをする人の心には、この投影が働いているのでしょうね。

そうして、自分の心を守っているのです。

辛いのは、しらずしらずに大切なわが子に、この投影をしてしまうこと。

自分の先延ばし癖を見たくない親が、わが子を「ぐず!」とののしったり…
 
自分の中の怠けたい願望を無視している親が、子どもを無理な勉強に駆り立てたり…
 
自分への自信の無さを、子どもの短所と重ねて、くりかえしぐちったり…
 
なんかがそうです。

また人の心の中には、コンプレックスとは別に「シャドー」というものが存在するそうです。

人の無意識の中には、その人の性質として振舞っているのと反対の性質や考え方があるそうで、それをシャドーと言います。
 
シャドーとは当人が嫌って否定する悪で、その人の心の一部です。そのシャドーも無自覚だと、子どもに投影されます。

そして、それが原因となって、子どもの問題行動が誘発されだんだんエスカレートしていくことは、よく起こることのようです。

それでは、どうしたらそんな悪循環を絶つことができるのでしょうか?

以外に簡単なのだとか…。こうした他人の中に自分の嫌な部分を見てしまう「投影」を利用して、自分の心の闇をしっかり見ることです。
 
「私にはそんな嫌な心はないんだ…」という思いを乗り越えて、他人に見ているものが投影だと気づけば、悪い循環を終わらせることができるそうです。

親のコンプレックスと子どもの困った行動 続き

2017-01-11 13:53:21 | 機能不全家族・アダルトチルドレン
私の母は大家族の末っ子として生まれました。
 
もうこの子で終わりにしたい、もう子どもはいらない…そうした願いのもとで、はじめは、「すえこ」とか「しゅうこ」なんて名前が考えられていたようです。
でも、それはいくらなんでもかわいそう…ということで、静かでいておくれ、世話をかけないでおくれ…という母(祖母)の願望にちなんだ名前がつけられたそうです。

母は家族の中で一番幼い子として、兄弟姉妹にも母親からも特別に愛され大切にされて育ったようです。

母の両親、祖父と祖母は、きちんとお互いの顔も見ないまま、会話をかわすこともなく、お見合い結婚をしました。
祖父は芸能に秀でてハンサムで女性にもてた人らしく、結婚してからも、女性との付き合いも多い自由で気ままな暮らしをしていたようです。
祖母はとても劣等感が強い性質で、地味でまじめで働き者で、結婚してからは次々生まれる子どもと家事と畑仕事に明け暮れていました。
そんな対照的な両親のもとで、母はいつも苦労の多い母(祖母)のことを気遣い、決してワガママを言わず、心労をかけたり手を煩わせたりすることがないように、常に優しく気がつき我慢強い良い子としての子ども時代、少女時代を送ったようです。

母が子ども時代の話をする時、きまって繰り返されるのは次のような話でした。

私のすぐ上の姉は、病気をして熱を出すたびに、映画に行きたい、おいしいものが食べたいとねだって、聞き入れてもらっていた。
私は、病気になったときも、母(祖母)がかわいそうで、そんなことはとても言えなかった…。

母(祖母)はよく子ども達に「これを手伝ってくれたら、○○をあげるよ。」と言った。それで、一生懸命手伝ったけれど、一度も何もくれたことはなかった。
 
でも、母(祖母)は父(祖父)に苦労ばかりかけられて、自分のことを気遣うこともできずに、子育てに追われてばかりで、本当にかわいそうな人だった。
 
だから、一度も恨んだことはなかったし「○○はいつくれるの?」とたずねることもなかったのよ。

父(祖父)は子役のようにかわいらしい姪っ子を連れ歩くことが好きで、本当の子である私を散歩に連れて行くことは、ほとんどなかった。
父(祖父)が一度だけ優しさを見せたのは、私が大病して死にかけた時くらいだった。

母が学校の参観日に来ると「おばあちゃん?」と友だちにたずねられてたまらなくはずかしかった。しかし母が気の毒で気にしない振りをしていた。

というものです。
 
 
母は器用で、きれいなものが好きな人です。
子どもの頃、新聞の日曜版(?)だったかに、画家や切り絵作家の作品が、印刷されているのを毎週溜めていて、ある時、それを部屋のふすま一面に丁寧に貼ってました。ちょっと天然なのか…?
とても美しかったです。ベニヤ板でお人形用の立派な家を作ってくれもしました。

また、私と妹の服を、手作りするのが趣味でした。
何人か母のお気に入りのデザイナーがいて、そのなかなか洗練されたデザインの型紙で手作りするので、今のファッションにも通じるようなかわいらしさがありました。
 
私の場合ずんぐりむっくりな体型で、あまり似合うとは言い難かったのですが、父似で目が大きくて、きゃしゃな体型の妹は、「お人形さんみたい!」とよく褒められていました。
母は近所の人や、道で出会う人から、そうして褒められ認められることが、無上の喜びだったようです。
しかし、妹が堂々と自分をかわいい!と言ったり、服や持ち物を自慢するそぶりをすると、相手が幼稚園児でも容赦なく上から押さえつける時がよくありました。
私にすると、母も妹もふたりとも、だれかれなしに服を自慢したいのだなぁ…と感じていました。

私はしょっちゅう仮縫いで針がついた服を着せられるし、木にのぼったり穴をくぐったりするとき不便なので、おしゃれをするのがきらいでした。
それに、近所の人が何となく怖かったので、突然褒められると居心地が悪くてたまらなかったのです。
それで、母や妹の気持ちはさっぱりわからないし、何だか似ているな…と思っていたのです。

父は乱暴でギャンブル中毒の人(もとは子煩悩なので怒っていないときは面白くて優しいところがありました。)でしたが、仕事でほとんど家にいないので、家の中は母の夢で彩られていました。
手作りのお菓子やパンや飲み物、手芸や絵本やクラシック音楽や楽しいゲーム…イベントいっぱいのお誕生日会…などなどです。
しかし妹は目ざといタイプで、母の作るものより、友だちのように買った服がいい!買ったお菓子がいい!外食に行きたい!と何時間もごねて泣き続けることが多かったのです。

すると、母の方も意固地になって、ちょっと機嫌を取ったり、気をそらすために何か提案したりもしないで、どこまでも戦闘態勢で対応していました。
そして妹の性格や好みをことごとく批判していました。

私は、母が言うほど妹がひどい子だとは思えませんでした。
 
というのも、妹は活発で明るくてさっぱりしているので、近所中の子に好かれていたのです。
 
子どもが多い地域だったので、私も友だちに不自由することはなかったけれど、みなに好かれているとはいい難かったのです。
それで、妹は子どもの私の目からすると、とても魅力的な子に映っていました。

しかし母は、アンデルセン童話のアニメで、「ふたりのエルダ(エルガ?エルザ?)」という悪い魔法で日中、悪魔のような性格に変えられていて、夜になるともとの姿にもどる盗賊の娘の物語を見ながら、
 
「○○(妹の名前)のようだ…。寝顔だけはこんなにかわいいのに…。」とつぶやいていました。
 
母の話には、子役のようにかわいらしくて、いつも父(祖父)に散歩に連れて行ってもらっている姪の話がよくでてきました。
この姪は母よりいくつか年下で、母と同じように都会に出てきて結婚していました。
先に都会暮らしを始めていた母は、その姪を大事にして親しく付き合っていました。
その様子からは、母がこの姪に強い嫉妬心やコンプレックスを抱いているようには見えませんでした。

しかし母の妹に対する子育てには、この美しい姪に対するさまざまなもやもやする思いが含まれているのは確かでした。
母は妹が周囲から容姿のことで褒められたり、ちやほやされたりするのをすなおに喜ぶことはあまりありませんでした。
「でも、わがままで…」と付け加えたり、横にいる私を引き合いに出して、「この子は心がきれいで、頭が良いんです」と言ってみたりで…
その複雑な思いがうかがえました。

おそらく母は、姪に嫉妬している思いを認めたくなかったのではないでしょうか?
 
というのも、姪と祖父の散歩の話は、何かの折には必ずといって良いほど、母の口にのぼったのです。
 
しかし、母はだからと祖父や姪を悪く言うことは一度もありませんでした。
 
母の言葉にならない思いは、無意識の奥にしまいこまれて、自分でも気づかないうちに現実を少しずつゆがめていたのではないか…?と私には思われました。

第一、きちんと言葉にして考えることができれば、姪を連れていつも散歩していた父(祖父)は、愛情からではなく、単なる見栄えのする持ち物やペットのようにその子を扱っていた事実に気づくでしょう。
 
そして、そうした子ども時代の悲しい気持ちに決別できれば、妹に対する自分でも理解できないようなイライラした思いに悩んだりかと思えば特別扱いして甘えを助長させたりしなかったのではないか…?と思えるのです。
 

親のコンプレックスと子どもの困った行動 おわりです に続きます。

親のコンプレックスと子どもの困った行動

2017-01-10 18:25:49 | 機能不全家族・アダルトチルドレン
 
 
母は、私が物心ついた頃から、子育てに悩む人でした。
その悩みの8割が妹の素行、2割が私のぜんそくです。
 
それで、家には図書館で借りてきた、「母原病」やら「親業」やら育児に悩む親のための本が、何冊も積んでありました。
 
それで、私も小学校の高学年頃には、片っ端からそういう本に目を通すようになっていました。
 
ただ不思議なことに、母はそうした本を読むには読んでも、肝心な部分をすぽっと抜かして読んでいるような、自分の言いように歪曲して読んでいるようなところがありました。
 
それで、小学生や中学生時代は、私が母に本の内容を解説し、母が納得する…ということが、たびたびありました。
どうして母が、本を読んでもすぽっと抜けたり歪曲して解釈したりするのか、私には長い間謎でした。

母は子ども好きで優しい性格でしたが、私を評価する時と、妹を評価する時では、明らかに基準がちがいました。
母は私の事となると、きちんと現実を見ていないところがあって、1から10まで良い様に解釈していました。
 
私の内気なところは、おとなしくていい子だ、と言い、友だちが少ないと、この子はひとりの友人を大切にする、と言うような調子です。
 
一方妹の場合、活発で友だちが多いところに、気づいて褒めているのを見たことがありません。
 
時に妹は、強い愛情深い性質が溢れるようなところがありましたが、母は「この子には困った」というばかりです。

どうしてなのか、なぜなのか、私にはよくわかりませんでした。
何度、母にその疑問をぶつけてみても、他の事なら何でも親身になって聞いてくれる母が、その部分だけまるで見えない聞こえない人のように、感じられたものです。
 
母が妹をかわいがっていなかったか…?と言うと、そうでもなくて、母は妹が駄々をこねるのに根負けして、たびたび妹にだけ高価なおもちゃを買い与える時がありました。
 
駅前の店のショーケースに飾られていたピンクのうさぎのぬいぐるみもそのひとつでした。
 
私は、そのぬいぐるみを目にするたびに、うらやましくて頭がぼーっとするほどだったのですが、母はそんな私を指して「この子は欲のない子で、何か欲しいとわがままを言ったことがないんですよ。この子は、本当にいい子なんです。」と知人に説明するのです。
 
私には確かに、物への執着が薄くて、流行に疎いところがありましたが、それでも目の前で妹におもちゃを見せびらかされるともう欲しくて欲しくてたまらなくなって、夢にも出てくるほどでした。
 
 
 
けれど、母が裏表のある複雑な性格だとも思えませんでした。
というのも、母は純粋な少女のまま大人になったようなところがあって、他人の陰口をたたいたり、嫌味を言ったりすることは、まずなかったからです。
それでも、普段、非常に寛大な判断を他人にくだす母が、なぜか妹にだけは、ちょっとした反抗に腹を立てたり、することなすこと悪く解釈してみたり、かと思うと、
「お母さんは○(妹)のことが、一番気にかかる。あの子を誰より愛しているのかもしれない…。」と、まだ子どもの私が傷つくかもしれない…と配慮することも忘れた様子でつぶやいたりすることは、何だかざわざわする不安を私の心に生じさせました。

私は、そんな子育てに悩み続ける母のもとで、子育て本やら、教育書やらを覗き見していたため、高校に上がる頃には、そうした興味がもっと深い意味を求める思いに変って、ユング心理学に関する本を熱心に読むようになっていました。

そうして、ユングの著書を中心に、そのお弟子さんたちの考え方や、他の心理学者たちの考え方に触れるうち、母と妹の不思議な関係の謎が、次第に自分に理解できるものに変ってきました。

母と妹の問題だけでなく、私が疑問を持ち続けてきたおびただしい問いが、心の中でストンストンと納得できるようになりました。

幼いときから、私の頭の中は次々湧き上がる疑問で満杯状態でした。

いつもいつも不思議に感じたことを考え続けているので、実際、とんでもなく物覚えが悪くて、小学校の先生が、「明日○○を準備してくるように…。」と命じた言葉なんかを、覚えていたためしがありませんでした。
目の前にあるものにしょっちゅうつまずいたり、身体をぶつけたりするどんくさいところも目立ちました。
そんなわけで、身の回りの世界はとても生きづらくて、困難な場所のように感じていました。

ユング心理学で扱われている「コンプレックス」というのは、単なる劣等感という意味ではありません。
客観的に判断できる事実とは異なり、事実と関係なく当人が気にしている…のがコンプレックスなのだそうです。

コンプレックスとは、世間一般の考えから外れて、こだわっちゃうこと…当人の意識の外…
すなわち無意識の中のこだわりと言えます。

「無意識の産物」であるコンプレックスは、その人の理性的な言葉や行動を邪魔します。
親切に言ってくれる人に怒鳴って返しちゃったり、自分の理想を他人に押し付けてしまったりします。

コンプレックスの原因はその人の体験と人生の中にあります。
しかし、コンプレックスになったのには、「思い出したくない、知りたくない、意識で自覚したくない。」と思える辛い経験がもとになっています。
ですから、自分で自覚するのは、難しいようです。

しかしこのコンプレックスを放っておくと、人生に暗い影を落とし、心の病にまで発展することがあるようです。

コンプレックスを克服するには、
「私はこんなこだわりを持ってしまう人間だ」と理解することと、
「だからしかたない」と妥協したり、
「でもこの場ではコンプレックスを抑えなくては」と努力したりすることが大切なのだそうです。

親の影響がコンプレックスを植えつける原因となる場合が、多いそうです。
親の過剰な期待や理想の押し付けが子どものコンプレックスを作ります。

有能な父と、父を慕って勉強を頑張る娘…といったほほえましい間柄も、父が娘の成績を褒め続けた場合「成績が優秀でない子は、褒められる価値も愛される価値もない」という娘の感じ方につながり、
娘の人生を困難にする父親コンプレックスを植えつける原因となったりするそうです。
そして、娘のコンプレックスは、「自分の能力以上の努力をしない人間」に反発して、激しい攻撃をさせ、人間関係を困難にさせるのだそうです。

親の子に与える影響大きいですね。

もし、この女性が、自分の人間関係を混乱させ、人生を破綻させかけているコンプレックスを克服して、豊かな人生を作ろうと思うなら、コンプレックスと向き合って、自分の人間観の偏りを修正し、「父親が自分のコンプレックスを生み出した」事実を受け入れなくてはならないようです。

このコンプレックスというキーワードは、それまでずっと謎だった母の不可思議な言動や物の見方を、私の理解できるものに変えてくれました。

長くなったので、次回に続きます。
→ 親のコンプレックスと子どもの困った行動 続き

数日、ブログをお休みさせていただきます

2017-01-08 09:02:18 | 日々思うこと 雑感


体調を壊しているので、数日間、ブログをお休みさせていただきます。

 

代わりに……というわけっではないのですが、

年末に知人から教えていただいた『スカイのブログ』を紹介させてください。


家族に発達障害(自閉症スペクトラム、高機能自閉症、アスペルガー)の人間が多数いる

というスカイさんが、そうした困り感を抱えつつ社会生活ではある程度安泰に暮らしている親族の様子を

ていねいに綴ってくださっています。

 

いくつか興味深かった記事をピックアップしますね。

特に、最初の

「知らない」から絶望する。負の経験の逆は?

の記事は、困り感のある子を育てている方も、発達障害という概念には縁のない方も

ぜひ目を通していただきたい話題だと思います。

 

「知らない」から絶望する。負の経験の逆は?

 

「発達障害」のくくりでは理解できない、幼少期は困り感は多いのに豊かな心を持つ大人になる人。

 

コメント30-31(育てやすかった子が中学験前にASDと診断された)についてのお返事です。

 

部屋はぐちゃぐちゃ、時間は考えずだらだら、の子におすすめの本。


 

不登校、大学中退の過去から通信制大学を卒業目前に。仕事も決まりました。



年長さんたちの成長を感じた年明け

2017-01-05 20:47:47 | 通常レッスン

年明けの年中と年長の子たちのグループレッスンの様子です。

年長のAちゃんのお母さんから、「科学クラブでいろいるな体験をしたことが、

今、一気にあふれているようで、自然や生き物をじっくり観察して、

深い疑問を口にしたり、よく考えて自分なりの考えを口にするようになりました」という報告をいただきました。

 

Aちゃんはさまざまな種類のレンズをのぞくのが大好きな女の子です。

教室でも、「何でだろう?」という疑問をずっと温めていて、ねばり強く自分で考えています。

 

写真はAちゃんが作ったポップアップの作品です。

Aちゃんは「頭で考えるのは好きだけど、手を動かすのはあんまり……」という

タイプの子で、これまでは実験をするか、わたしが教えた基本の工作をパパッと真似て作るのが

主な活動でした。

が、このごろは、持ち前の意志の強さで、自分で「ちょっとレベルが高いな」という目標を掲げては、

それを最後までやり遂げる姿が目立つようになりました。

 

今日は、親戚の小4のお姉ちゃんが

教室にいっしょに来ていたのですが、そのお姉ちゃんがポップアップ作品に細かい細工をするのを見て、

Aちゃんも数ミリずつの切り込みを入れてから、凹凸をつけて

完成度の高い作品を作っていました。

 

これは年長のBちゃんの作品です。

Bちゃんは、観察して学びとる力と自分でやり遂げる力がとても高い子で、

年少のころから驚くような作品を作っていました。

今回、わたしが簡単なポップアップのしかけの見本を見せると、

見せ終わる前に、さっさと自分でも作ってしまい、

自分なりにさまざまな角度から切り込みを入れて工夫していました。

が、そうやって、模倣がメインになった作品作りは満足がいかなかったようで、

もう一度1から作りなおして、自分なりにどうしたら面白いポップアップの

しかけができるか考え続けていました。

そうして、なかなかいい作品ができたのですが、少し気に入らないようすで、

「先生、あげる。」と言いました。

わたしは思わず、「Bちゃんはとっても工作が上手だから、こうしたらどうかな、ああしたらどうかなって

自分のアイデアを試してみるでしょ。そうして誰もやったことがない新しいことをするのは

すごいことだけど、できあがったとき、うまくいかないなって思うことがあるよ」と言いました。

すると、

「先生、すごく上手なんて言わないで。わたしは、工作がすごく下手で、誰よりもできない子なんだから」

ときっぱり言いました。

「ああ、ごめん、ごめん。うっかりいやな褒め方をしちゃったかな。

Bちゃんは、上手か上手じゃないかなんて気持ちに邪魔されないで、自由にどんどん作るもんね」

というと、BちゃんはBちゃん独特の意志が強そうな笑みを浮かべて、

「先生、わたしは大きいお家を作っていい?」とたずねました。

いつもは折った2枚の色画用紙をつないで

お家を作るところ、3枚つないでいました。

 

すると、六角形の壁ができました。

「すてきなお家ができたわね。六角形の床をパターンプレートみたいに

正三角形6こ作って作ることができるよ。」というと、とても乗り気でした。

 

Bちゃんは道具の扱いや形にとても興味がある子なので、

コンパスを使った正三角形の作り方を教えることにしました。

が、コンパスの幅が足りませんでした。

「どうしよう?紙をあてて、正三角形を作ることもできるけど、

コンパスで作りたい?」ときくと、

真剣な顔でうなずきます。

 

そこで、いっしょに手作りコンパスを作ることにしました。

手作りコンパスは厚紙に2ヵ所穴をあけて作ります。

その後は、自分でどんどん作りあげて、こんな魅力的な家ができていました。

 

 

年長のCちゃんは、ポップアップではなく、トンネルをくぐっていく迷路を作りたがりました。

Cちゃんは教室に参加し始めたのが他の子らよりだいぶ後なので、工作にじっくり集中するのは

難しかったのですが、

頭のなかで論理的に考えていく力は急激に伸びていました。

算数レッスンでは、自分の知恵でさまざまな問題を解決していました。

 


小1の子たちの算数レッスン

2017-01-04 20:44:00 | 算数

小1のAくん、Bくん、Cくんの算数の学習の様子です。

 

最レベ1年生の □のある式 のハイレベル問題を解きました。

 

1問目は、こんな問題。

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□の数をもとめなさい。

みかんが85こ ありました。かぞく4人で 1こずつたべた あと、 いくつかを おとなりに

あげたので、51こになりました。

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「絵をかいて、考えてね」というと、

「85こ?あーいっぱいだー」という声があがったので、

10こずつふくろに入っているって考えてもいいよ。どんなかき方でもいいから、

かいてみてね。かぞく4人でってとこ難しいよね。いいかき方思いつくかな?」と声をかけていると、

みんな10ずつのふくろ8ことバラのみかん5つの絵をかいていました。

Aくんは、家族4人の絵をかいて、

 

ふくろの中のひとつから4つ矢印をかいて、それぞれの家族のところに

結びつけていました。

Bくんは、最初は10ずつの袋をかいていましたが、途中で、85こすべてのみかんを

かきだす作戦に出ていました。そうしてから減ったものを塗りつぶしていました。

Cくんは、85こを10入りの袋とバラで表してから、

得意の計算で何とかしようとしていました。

 

でも、みんな 「おとなりにあげたので51こになりました」の51この

扱いに戸惑っていました。

□のある文章題は、シンプルなたし算やひき算の文章題とちがって、

絵でかいて求めようとすると、

こんがらがりやすいのです。

 

そこで、どんぐりを85こ用意して、この話を物を動かして考えるなら

どうするかたずねました。

 

85このどんぐりは、のこった51こと、のこったのじゃないもの(たべたりあげたり)の

ふたつに分けられます。

「こっちが34こで、家族が食べたのが4つだから、30こ?」

と具体物を見ながらなら簡単に操作法が思い浮かぶのです。

 

 

でも、具体物を見るとすぐに理解できたのは、

その前に自分なりに絵をかいてみて、もやもやとわからない部分と向き合っていたからでもあります。

 

また、具体物で確かめたあとは、自分たちがかいた絵が

すっきり整理された形で見えてきます。

 

こんな問題も解きました。

 

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これまでに なんページか よんだ 本があります。

きょうも あしたも 12ページずつ よむと、 95ページで

よみおわることになります。

これまでなんページよんだのでしょう?

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これも絵でかいて考えた後で、実際に本をめくりながらどんなことが起こったのか

再現してみると、最終ページから24ページ分ひくことは

すぐにピンときたようでした。

 

文章題は、簡単すぎるものを絵をかかずに解いていると、

解き方を暗記して解いていく癖につながりがちです。

何段階か思考の手順を踏まなくてはならない問題を

言葉を頭のなかで整理したり、言葉を絵になおしたりしながら解くのにつきあっています。

わからないときは、教えるのではなく、具体物を用意して、

答えを出すまでどのような操作が必要か考えさせています。

3人ともしっかりと成長しています。

 

 

このごろ、動きを取り入れた工作に夢中のAくんの作品です。


勉強が好きになるまでのプロセス 10

2017-01-02 19:59:39 | 教育論 読者の方からのQ&A

勉強が好きになるまでのプロセス 4で、敏感な子についてこんなことを書きました。

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「相手と自分の気持ちが強烈に迫る状態」を解除していくことと、相手と自分の気持ちを強烈に味わいながらも、それを楽しみ、それによって自分のエネルギーを最大限に発揮していける状態にしていくこと

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これについて、勉強が好きになるまでのプロセス 9で少しだけ説明したのですが、別の面から言葉にしておこうと思います。

 

北海道大学の戸田竜也先生が、『教育』という冊子のなかで、自己肯定感について、こんな指摘をしておられます。

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きょうだいは、親だけでなく、祖父母や関係する支援者などからも「しっかりしている」「障害のある子どもの面倒を見て偉い」等評価されることが多い。

きょうだいは、自分のポジティブな側面が評価されることを学習する一方、「自分の弱さ」をそれらの人たちに受け入れられた経験・機会に乏しい。

ゆえに、あるときにはだらしなく、親にあまえたり、弱さもある「ありのままの自分」が、親や周囲の人たちに受け入れられるということに確信がもてないのである。

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この指摘は、障害児の「きょうだい」支援についての文脈で書かれたものですが、きょうだいに障害のある子がいなくても、

完璧主義の子、五感や人との関わりに過敏なところがある子、幼児期から評価や結果を比べる環境に育った子、過剰に適応がいい子、いわゆるおりこうさんタイプの子に対しても、十分すぎるほどの配慮が必要なところだと感じています。

今回の記事では、完璧主義の子、五感や人との関わりに過敏なところがある子に焦点をあてて書いていくことにします。

ごく一般的な子の場合、「褒めて育てる」ことは、自己肯定感を育むことにつながるものです。

でも、完璧主義の子や五感や人との関わりに過敏なところがある子は、褒められると、褒められるような相手の求める自分しか外に出せなくなってしまいがちなので、適度な配慮が必要です。

相手の求める自分しか出せなくなるのと正反対のようで、同じようなタイプの子が陥りがちな態度に、理想的な自分が出せない場面で、パニックを起こしたり、自分のなかに引きこもってしまったりするというものがあります。

もしかして期待通りの自分が出せないかもしれないという不安で、反抗的なムスッとした態度を取ったり、バカ騒ぎをしたりすることもあります。

特に、「相手の気持ちも自分自身の好き嫌いも強烈にせまってしまう」という葛藤を抱える子は、非常に幼い時期から、ありのままの自分を表現するのが難しいように見えます。

大人の気持ちをいち早くキャッチして、「期待通り動かなくてはいけない」という思いに縛られる一方で、年齢以上に自分の意志や好みがはっきりしていて、自分を束縛する外の刺激に対しても、外の期待を裏切りたい自分自身に対してもいらだちを感じているようです。

2,3歳であっても、「こうして、こうして、こうしよう」といった何手順かの行動のイメージを持って動いているのに、大人が自分に何を求めているかも即座に気づくため、

自分のしようとしたことをしょっちゅう中断されて、ちょっと緊張気味に大人にあわせています。

でも、自分の意志で動きたかったという気持ちはなかなか消えないようです。

おまけに、大人が自分が喜んでいることや楽しそうにしていること期待しているのを感受するため、自分自身に対するいらだちを募らせたり、

「うれしい、面白い、楽しい、わくわくする」といった感情をあまり表さなくなったりします。

一方で、同じ理由で、ずっと激しいかんしゃくを起こし続けて、リラックスして遊べなくなる場合もあります。

そうしたときに、大人がそうした子の性質をよく理解して、子どもがありのままの自分を出しやすいよう調整してあげると、激しいかんしゃくばかり起こしていた子は、真反対の終始穏やかで落ち着いた子になるし、

何をするのもイヤイヤ取り組んでいた子が、これも真反対に、長い時間、集中して物事に取り組むようになったりするのです。


考えることが苦手な子が、考えるようになるまでの道筋 

2017-01-01 22:41:01 | 教育論 読者の方からのQ&A

「考えることが苦手な子」っていますよね。

 

何かたずねると、どこから飛んできたのかわからない言葉や数を言い、間違えたと気付くと、さらに関係のない言葉や数字をパッパと口にします。

その間、考えた形跡はなし。

もちろん答えは間違っています。

 

考えることが苦手になるには、そのもととなったさまざまな原因があるはずです。

 

それにしても、

「考えることがちょっと苦手 →

 親や周囲に呆れられたり、叱られたり、笑われたりする → 

考えなくてはならない場面に遭遇すると、気が急いたり、落ち込んだり、イライラしたり、逃げ出したい気分になるから、さらに考えない癖がつく」

という負のスパイラルに陥らないためにはどうすればいいのでしょう。

 

わたしが一番大切だと思うのは、それぞれの子の「今の判断」「今の好み」「今の気持ち」「今の嫌だという思い」「今の能力」といったものを、尊重してあげることです。

特に、反抗心やネガティブな感情や不満や疑う思いが自然に自由に表現できるようにしてあげることです。

 

もし、親御さんがわが子にすばらしいものをたくさん与えてあげたいと思い、こんなおもちゃ、こんな習い事、こんなお洋服、と選んでは与え、

「これをするといいよ」「これを食べるといいうよ」「このテレビを見るといいよ」「この本を読むといいよ」と、子どもが自分で何かを選ぶ前に先回りして、子どものすることを決めてしまったとするとどうなるでしょう。

おそらく、子どもによったら、言われるままにやってみたらそれほどいやではないし、それに反発するほどのエネルギーも自信も持ち合わせていないし、

ちょっともやもやした気分だけど、まっいいか、とそれに依存するようになるでしょう。

 

すると、まず、選んで判断する時点で、「どれが自分がしたいことかな?」と以前行った時の記憶と照らし合わせながらよく考えてみる体験がなくなります。

また、やってみてうまくいかなくても、自分が選らんだのでないから責任を感じません。

つまり、結果なんかどうでもいい、という態度になるのです。

 

すると、当然、何かしてその結果がどうなるかに無関心なので、推測したり、論理的に考えたりする力がとても弱くなるのです。

 

ここまでの話を読んで、「それはわかった。でも、それならいったいどうすればいいの?}と感じた方がいらっしゃるかもしれません。

 

教室の子たちを見ていると、考えようとしなかった子が考えるようになるまでに共通する道筋があります。

 

工作でもごっこ遊びでもブロックでも、他のどんな遊びでもいいのですが、大人から見ると呆れるくらいレベルが低い活動をたくさん繰り返す期間を経るということです。

物作りが上手になって、自分の考えを論理的にわかりやすく説明できるようになる子は、「折り紙をグチャッとしただけでキャンディー」なんて物作りをしていた時期を周囲の大人に気長に見守ってもらっている子たちでもあるのです。

 

自分では作らずに、親に作ってもらう作品を心から楽しみにして、「もっともっと」と期待する時期があった子でもあります。

そんなふうにアウトプットのレベルは気にかけず、向上することを急がずに、他の人のすることにあこがれたり、面白いなと感じたり、他の子とのやりとりを楽しんだりして、視野をどんどん広げていくと、自然に考えることが好きになっていくのです。

子どもを考えることが好きな子にしようと思ったら、身近にいる大人の視線の先、興味の方向がどこに向けられているか、が重要だと感じています。

大人がわが子がどんなアウトプットをするかばかりに関心を向けていれば、子どもは自分の頭の中でイメージしたり考えたりする時間を取らずに行動するか、過去に聞いたことを口にするか、とにかく外にアウトプットすることにばかり気持ちを傾けるはずです。

一方、大人が子どもではなく、身近な不思議や、物語の進行や、物の仕組みや数や図形の世界の面白さなどに関心を向けていれば、子どもの心はそちらに吸い寄せられて、気付かない間に想像を膨らませて、さまざまなことを考えるようになりますよね。