虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ブロック講座参加者さまお知らせ

2017-04-19 17:30:18 | 連絡事項

こんばんは~☆

虹色教室事務担当「事務K」です。

 

かなりお久しぶりでしょうかね。

年始からドタバタしておりご迷惑をお掛けしております。

 

申し訳御座いません。

少しずつ落ち着いてご連絡など出来る状況になってきました(;^ω^)

 

さて、先日募集をさせて頂きましたブロック講座について。

まずは、今回も沢山のご応募を頂きましたこと、心より感謝申し上げます。

有り難う御座います。

 

ブロック講座ということもあり、出来るだけ広めにスペースが取れるように1回につき3組を中心に組ませて頂きました。

教室があまり広くないので出来るだけ保護者さまならびにお付き添いの方は少なめでお願い致します。

 

こちらの都合で大変申し訳御座いませんが、ご協力のほど宜しくお願い致します。

それではお越し頂く方の発表に移って参ります。

 

☆該当者さまへ投稿時の注意

 

コメント記入画面になりますと[名前]・[タイトル]・[URL]・[コメント]と出てきます。その際、[名前]の欄に募集記事や発表記事にて必要事項として挙げております【H.N.】をお書きください。

 

また、[コメント]の欄にご本名やメアドなどの連絡先をご記載頂きますので、此方の方で非公開にて拝見させて頂きます。連絡先の記載をお間違えないようにお願い致します。

 

下記にH.Nのある方は、この記事のコメント欄に【H.N】・【保護者氏名】・【電話番号(携帯)】・【メールアドレス】の計4点をお書きの上、投稿下さいますようお願い致します。H.Nは申込時のものでお願いします。変更されたい場合はその旨も一緒にお知らせ下さい。

 

それでは、お越し頂く方の発表です。

下記にお名前(H.N)があった方は上記注意を踏まえてコメントをお願い致します。

 

※敬称略

 

①2017年5月26日(金) AM10時~正午(親子同席)

るま・Tomoe・かなたママ

 

②2017年5月27日(土) AM10時~正午(親子分離)

小山・ことりママ・ブルーミニィ

 

③2017年5月29日(月) AM10時~正午(親子同席)

まこ・ぐりこ・Norah

 

④2017年5月29日(月) PM3時30分~5時30分(親子分離)

ばばばあちゃん・ぽんちゃんママ・みゆ(小3男児)

 

⑤2017年5月30日(火) AM10時~正午(親子同席)

ぽんみかん・ミルク☆・マヨイ

 

以上、5日程について各3組です。

コメントを頂きました順にメールにてご案内をお送り致します。

 

1週間以内に1度はご連絡致しますので、お手元にメールが届かない、または、電話連絡もないという方はお手数をお掛け致しますが、再度コメント欄にご連絡先をご記載下さいますようお願い申し上げます。

Eメールアドレスに連絡が出来ない場合、SMS(携帯電話番号によるショートメール)または直接お電話をさせて頂きますこと、ご理解下さいませ。

 

当方はYahoo!のフリーアドレスからの送信となります。

迷惑メールの設定にご注意ください。特に@hotmail.comなどのホットメールはほぼ弾かれて届きません。

 

メールは全部で2通、質問表をお送り致しますので、必要事項を記入の上お返事ください。

それがこちらにつきましたら、教室の場所などについての詳細をお知らせ致します。

 

それでは、宜しくお願い致します。

 

事務K


0歳児とブロック遊び

2017-04-19 13:30:21 | レゴ デュプロ ブロック

ブロック講座に来ていただく方の発表は、今日の晩になります。


『 マイコー雑記』で、空間認識力についてこんな記事を書いてくださっています。

「天才児」研究でも言及「空間認識力とは学校では見過ごされるけれど実は人が持つ最大の未開拓な潜在力」?


0歳6ヵ月のAくんと0歳10か月のBくんのレッスンでの出来事です。

Bくんは、ものをひっくり返したり回転させたりするのが好きな子です。

そうして自分の手によって起こした変化をじっくりていねいに観察しています。

そこで、ブロックで、Bくんが回転させて喜ぶサイズの

立方体のおもちゃを作りました。

Bくん、赤い面になったり、緑の面になったりすることが

面白いようです。

Bくんが、長い時間、このブロックの立方体に集中しているようだったので、

もうひとつ同じ色の組み合わせで立方体を作りました。

そうすると、「いっしょ、いっしょ」と言いながら、

同じ色の面が出た時、喜びあえます。

 

↑の写真は、Aくんがこのブロックの立方体で遊んでいる様子です。

Bくんは、ほんの少しお兄ちゃんのAくんがすることに

強い関心があるようでした。

Bくんが遊んでいたおもちゃは、自分から積極的に

手にしていました。

Bくんはまだ6ヵ月の赤ちゃんとはいえ、

好奇心や探求心がとても強いようです。

お家でも、お風呂の水面をたたいてみて、水がはねるのを面白がっていたかと思うと、

次第に、「手で水面をたたくとバシャッと水がはねるはず」と期待するような

表情で遊ぶようになったそうです。

教室でも、いろいろなものを握ったり、引っ張ったりしながら、その感触や反応を味わっていて、

少しすると、「こうなるんじゃないかな」と期待を寄せるような

遊び方に変化していました。

 

0歳の子たちとブロック遊びをする時は、子どもたちが

どんな手の使い方と目の使い方を楽しんでいるのか

観察しながら遊びを作っています。

この日はブロックと紙でロケットを飛ばして遊んだり、

ブロックをばらばらのして隠したりして遊びました。

 

 

 


角度のすべり台

2017-04-18 14:07:34 | 算数

「角度の学習は初めて」という小3、小4の女の子4人。

教室では、本格的に学ぶ前に、その概念に親しむための遊びを

いくつかします。

そうして、学習内容に対する興味関心を高めて、さまざまな気づきをうながしておくと、

問題に取り組む際の真剣さや理解の深さが変わります。

 

最初に、小さいサイズの折り紙で、「90度棒」

という90度を調べる道具を作りました。

部屋の中を探索して、90度探し。

これは園児も喜ぶ取り組みです。

レベルアップした課題として、

90度棒を使って、「90度より小さい角探し」「90度より大きい角探し」

をするのも、角度への理解を高めます。

90度がわかったところで、90度の棒をふたつひっつけると、何度になるのか考えました。

「180度!!」

180度がわかると、

「三角形の内角の和が180度」ということを、理解しやすいです。

 

本当に三角形の3つの角(内角)を足すと 180度になるのか、

この2本の90度棒を使って確かめてみます。                  

 

緑色の折り紙で作った三角形の3つの角をちぎって

合わせてみます。

上の写真のように、180度になりました。

 

角度について、少しわかってきたところで、

分度器の使い方を学習。

ついでに、自由に角度を決めて

オリジナル滑り台を試すことにしました。

56度とか75度とか89度とか……恐ろしく急なすべり台。

人形は急降下。

 

他にも、分度器を使わずに丸いピザを切り分ける遊びや

角度の問題作りをしたりして盛り上がりました。

(↑ 少し発展問題も。円周角について考えました)

 

子どもたちは、すっかく角度に夢中になっていました。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 もうすぐお終いです

2017-04-17 13:57:37 | 日々思うこと 雑感

大人が思わず眉をひそめたくなるような『タブー』となっているものや

『悪』と認識されているものと安全な形で関わることが、

緊張が強くてなかなか周囲と打ち解けるのが難しい子を

外の世界との関係へと誘い出すのを、何度も目にしています。

それは、他の人の思いやルールを受け入れることにもつながります。

 

また、周囲はもちろん、自分自身も震え上がらせてしまうような攻撃性を

アウトプットしてしまったり、

「許されないかもしれない」と感じるほどのことをやってしまったりして、

叱られるには叱られたし、泣けるだけ泣いたりしたあとで、

大人のちょっとしたことで揺るがない強さや、地に足がついたどっしりした姿を

肌で感じたときや、

大人がさまざまな視点で物事を眺めていることや、子どもが思っているより

広い視野で考えていることに気づくときも、

子どもは固い殻を破って、自ら外へ歩み出てくるようです。

 

そうしたプロセスを、経験的にはよく知っているし、わかってもいるけれど、

うまく説明できないもどかしさに苦しんでいました。

そこで、助けを求めるように河合隼雄先生の『子どもと悪』を読み返しました。

 

河合先生が、「悪の問題を論じるのに、最初に『悪と創造』を論じるのは、

思いきったことのように感じられるかも知れない」と前置きした上で、

冒頭から、悪と創造の関係について語っておられます。

著書の一部を短くまとめて紹介しますね。

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悪には、文化差のようなものが存在して、個人差を強調しすぎるきらいがある

アメリカでは、子どもが他と異なる意見を言おうとするのを教師も応援しているし、

しっかり他人と同調すると「悪」の烙印を押されそうでもあります。

一方、日本においては、創造性が悪に接近して受け止められる度合いが高いのです。

「いい子」を育てようと、教育熱心な社会では、

子どもが創造的であり個性的であろうとすることが、悪と見なされることも

多々あります。


創造性は想像によって支えられていて、想像する力なしに創造はできません。

創造につながっているような想像というのは、表層的なものではなく、

自分の存在全体と関わってくるものです。

想像のレベルが深くなってくると、平素は抑圧している内容が含まれ出すので、

悪とかかわってくることもあります。


悪は大変な破壊性を持っているものだし、理屈抜きに許されない悪があるのも確かです。

しかし、悪とは一筋縄でいかないもので、排除すればいいというものでもありません。

教師や親が悪を排除することによって「よい子」をつくろうと焦ると、

結局は大きい悪を招き寄せることになってしまうのです。

 

悪は不思議な両義性を持っています。

それを端的に示す例が、「悪と創造性」ということになります。

悪は取り返しのつかない破壊力を持つ一方で、未知のものを秘め、活力に満ち、

古い秩序を解体して、新しいものを生み出そうとする力にもつながっています。


                    『子どもと悪』河合隼雄/岩波書店

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(今回は、タイトルから少し脱線します)

前回の記事で、「安全な形で悪と関わる」ということを書きました。

具体的な例がないと、わかりにくいですよね。

 

特別、過敏な性質ではない一般的な子たちの遊びにも、

定期的に「悪の匂い」のするものが登場します。

泥棒、強盗、地獄、お化け、事件、災害にまつわるごっこ遊び。

誰かを驚かせたり困らせるためのいたずら、毒薬作り、爆弾作り、武器作り、汚い言葉。

悪にまつわる想像力が子どもたちを魅了して、そんな遊びに憑きものでもついたように

熱中させる時、それは「安全な形で悪と関わる」という体験になると思っています。

 

小学校就学など新しい生活がスタートする前後、生活が単調で不満が溜まっている時期、

一人の子がトラウマとなる体験をしたあと、精神的に急成長する時期、

親子関係や友だち関係が刷新される時などに現れやすいです。

 

つい先日も、年長さんと1年生の女の子たちのグループでこんなことがありました。

 

この日は、日時の調整の関係で他のグループのAちゃんが参加していた上、

当日、急きょ、妹の付き添いで来ていたBちゃんのお兄ちゃんにもレッスンに

参加してもらうことになったので、狭い教室が定員オーバー気味でした。

 でも、たまには、そんなごちゃごちゃざわざわした日も、

それはそれで、そんな日だからこそできることやそこから得るものがあるものです。

 

お母さんたちが席をはずしたあと、

子どもたちと「今日、どんなことをしてみたいか」を話しあったところ、

「部屋中に、ブロック板や積み木を敷き詰めて、お母さんたちが帰ってきたら

座れないようにしよう」という意見で意気投合しました。

 

狭い教室内に6人の子がひしめきあっていると、

おもちゃを広げると足の踏み場もないのですが、

いっそのこと、足の踏み場を完全になくしてしまえば、戻ってきたお母さんたちが

びっくりしたり困ったりしてさぞ面白かろう……という逆転の発想。

 

実はそのアイデアが出るまで、暑さ負けしたのか、「先生、わたしもう、

ドールハウス作りとか飽きちゃったのよ。作りすぎたの」

「何をするかって?何でもいい、でも実験とか嫌。工作も嫌」といった後ろ向きな意見が

続いていました。

が、いったん、「お母さんたちが教室に入れないようにしてやろう、困らせてやろう」

という「悪の匂い」のするアイデアが出たとたん、

集まった子ら全員にエネルギーがみなぎり出しました。

 

グループきってのいたずらっ子のBちゃんと、

新しい小学生としての生活に不慣れなためか妙に高いテンションのCちゃんが、

「教室の入り口付近にスカイツリーみたい高い高い塔を建てて、

お母さんが入ってきたら、その塔のせいで教室に入れないようにしようよ」

「じゃあ靴を脱ごうとしたら、それが倒れるようにしておいたら?」と

大はしゃぎ。

知能犯のDちゃんが、どこからか細いチューブを見つけてきて、

「塔にこれをつけて、部屋に入ろうとしたら、水がかかるようにしてもいい?」と

聞いてきました。

「それはやり過ぎよ。その代わり、水が出ているってことなら、いいんじゃない?

シャワーみたいに」と注意すると、納得してチューブだけを取り付けていました。

が、少しすると、ねんどをキャラメル包みにしたものを玄関先に置こうとし、

それには、場にいたみんなが、「そーれーはーやり過ぎじゃないの?そんなの踏んだら、

本当に困っちゃうじゃない!!」と、待ったをかけていました。

 

気の優しいEちゃんだけが、

「お母さんたちに意地悪しちゃおう」というノリに戸惑いながら、

黙々と作品作りをしていました。

↑ 後からビー玉の水を流す予定で、川を作っています。

 

川の横は田んぼ。ブロックにモールの稲を植えています。

 

 

教室中を埋め尽くした作品。川、橋、線路、水族館、

動物園、サファリ、道路、立てかけた椅子に座ると崩れる仕掛けの崖、二階建ての家、

いたずら満載の高い塔などができました。

 

「安全な形で悪と関わる」といえば、わが子たちが子どもの頃していた遊びも、

大人が規定する善といったものを引っ繰り返すからこそ面白くて、夢中になれて、

自立心を育むものでもありました。

 

『遊びが育むやる気と問題を乗り越える力』という過去記事を紹介しますね。

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 娘が5、6年生、息子が2、3年生のとき、近所の子どもたちと一緒に、

息子を社長にして、「そそそ会社」という架空の会社を立ち上げていました。

娘と娘の友だちは、いつも息子をからかったり、

キツイ言葉をかけたりしているのですが、社長に祭り上げているあたり……

遊びを生み出す発想力に関しては息子のことを一目置いてたんでしょうね。

「この子の思いつくアイデアに乗ってたら、はずれがなく面白いはず」と。


娘と娘の友だちは、いつも社長より一段上の会長職か何か……のような立ち位置にいて、

陰の支配者のようにも見えました。


この会社、子どもたちの思いつくままにどんどん事業を広げて、

(よく思いつくもの……と呆れるうちに……)

テレビゲーム製作部門、おもちゃ製作部門、販売部門、映画制作部門、販売部門、

プレイパークの運営……あげくの果てには、学校経営にまで手を出していました。

それで、近所の低学年を勧誘して、面接試験をし、社員研修までおこなっていました。

この試験とか、社員研修といったアイデアや内容は、ほとんど娘の友だちが考えていました。

「将来はシナリオライター?」と思うほど、おもしろおかしい文章やアイデアがつらつら

出てくる子なんです。

二階で好き勝手に遊んでいるのですが、時々、聞いていると、この「そそそ会社」の

面接試験も、経営している学校の入学試験も、世間の価値観の逆さまなのです。

「トイレに行ったあとで手を洗いますか?」といった質問には

「いいえ」と答えないと減点されて、試験に落とされたりするのです。

本気で試験に挑んでいた子が、泣きながら試験に落ちた~と

私のところに訴えてきたこともありました。

時折、バーッと外に出て行っていなくなったな~と思うと、バタバタ駆け戻ってきて、

また遊びが再開するという繰り返し……でした。


子どもって、親が選ぶ「良いこと」だけでは育たないな~

子どもが大きくなるにつれて感じます。

子どもの気持ちを前向きでチャレンジャーにしてくれるのは、

失敗したってどうってことない、飽きたら次を考えれば済む~という

環境のゆるさだったりします。

「新しくこんなことしてみたい、自分の全力をこれに傾けてみたい」とひらめいたとき、

一瞬の迷いも、大人への遠慮も、罪悪感もなく、

自分をその中にどっぷり投入できる……。

それが子供だけでする自由な遊びのよさですよね。

思い通りにいかないことが多いこと、頭をしっかり使わないとすぐ退屈すること、

きょうだいも、友だちも、自分から働きかけて、一生懸命、説得するなり、

ぶつかりあうなりしないと、親や大人たちのように、簡単に折れてくれないこと……。

とにかくジレンマを感じる場面に何度もぶつかるし、

考えてもみなかった事態に遭遇することもよくあります。

でも、それが、「どうしてもこれがやりたい!」という気持ちに駆り立ててくれるし、

退屈ついでの言い争いが、多少のことにくじけず、あきらめず、

どうすればいいのか考え続ける挑戦し続ける姿勢を作ってくれるのです。


私は毎日の子どもの生活に、退屈や無駄やけんかや、

大人から見ると「無意味で非効率的」なことがたくさんあるといいな~

と感じています。また、親の私が正しいと思う考えとは対極にあるものも

チラホラあるのがいいな~とも。

実際、子どもたちがかなり大きくなってみると、私が価値をおいていなかったものが、

子どもたちを鍛え成長させてくれていたことがよくわかります。


ふるまりさんの記事にもうひとつリンクさせていただいて↓

★「輪ゴムをひっかけてあそぼう」オモチャ


タロウくんが地団駄を踏んで、「これがしたいんだ~」「これじゃなきゃダメなんだ~」

と訴えて、その熱意におされて、しぶしぶ工作準備に手を貸す様子が描かれています。

これを読んで、そうそう~、もし最初から、

「お母さんはいつでもあなたの工作に手を貸しますよ、スタンバイしてますよ」

だったり、

「子どもに工作をしてほしいのは、本人よりお母さんかもしれない」って

状況だったり、

「工作教室で、きちっと材料が整っていて、今工作の時間ですよ」

だったりしたら、それほど工作に熱が入るのか……。

工作以外のことまで、貪欲にやりたいがんばりたいという気持ちが起こるのか、

疑問だな……と感じました。

こうしたところに、子どもをやる気にさせる、主体的にさせる原動力が生まれる

瞬間が潜んでいて、それは大人が「がんばって」作ろうとすると

すごく難しいことだなと感じるのです。

まず、本気で交渉すれば相手が動くという経験なり信頼感がベースにあって、

それでいて、まあまあ手ごわかったり、思い通りいかなかったりして、

軽いジレンマや、必死に、あの手この手でぶつかる時間があって……

つまり、時間に追われていないことが大事で、

その後、人と人との間で自分の思いが達成できたという満足感が残るという経験。

そうした繰り返しのなかでこそ、

自分の知力や、技術力や、体力や、精神力の限界が把握できるし、

自分が何がやりたいのか、内面から湧き上がってくるものを実感できるのですよね。


2歳くらいの子でも、新しいおもちゃを渡しても見向きもしなかったりするのに、

お友だちが持っていると欲しくなる、取り合うとさらに欲しくなって、

ものすごくやってみたくなる、

いつもならすぐに飽きてポイなのに、渡したくないからおもちゃに熱中するという

瞬間がありますよね。

そうやって人と人との間でジレンマを抱きながら、

自分の気持ちがワーっと湧いてくるから、

いろんなことに夢中になれるようになるのですよね。

もちろん勉強だって、大人の期待に応える形ではなく、

また級とか賞とか、プレゼントとか関係ないところで

「自分自身の心が強く強く何かを欲した経験」がベースになって、

がんばれるようになるのだと感じます。


うちの子たちの小学生時代のことを思い返すと、何が良かったのかって、

大人の価値観に真っ向から反抗して、好きなように無駄をやりつくして、

ひとつも「大人のため」が入っていない世界で、自分のしたいことをした、

やりたいことのエネルギーがいくらでも湧いてきたという経験なのでしょうね。

そこで、すっきりとゼロの自分になって、

自分の人生にどんな計画を思い描こう、

この人生に自分の知力、技術、体力、精神力の全てを投入して何をやってやろう!

って力が湧いてきたのでしょう。

そして、今度は、一歩、現実の世界にも足を踏み入れて、その力を勉強なり、

人との関係の構築なり、使い出すのだと思います。



緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 もう少し

2017-04-16 22:28:27 | 日々思うこと 雑感

先日、初めて教室に来た4歳の男の子に

「棚の上のものを勝手に取ったら危ないよ。取りたいものがあったら、

先生に言ってね」と注意したところ、すっかりむくれてしまいました。

自分の服についているひもの先をつまんで、そうっとそうっとこちらに近づいてきて、

注射器でちくんと刺す真似なんでしょうけど、それをわたしの腕に押しつけてきました。

顔は「先生をこらしめてやるぞ」と真剣そのものなのですが、

ひもの先は丸いし、押しつけるといっても、そろりそろりとこちらが

気づかないくらいの力の入れよう。

あまりにも攻撃力がない武器に、あきれるやらおかしいやら……。

 

その話を教室に来た少し大きな子たちに話すと、

「先生が4歳の子にやっつけられた」と大受けで、

この男の子は「先生をこてんぱにやっつけた(子どもたちの言葉)武勇伝の持ち主」

として、話の上ですっかり人気者になっていました。

いろいろな年代の子らと、この話題で盛り上がっていたとき、

その反応にハッとする瞬間が何度かありました。

 

普段からちょっと緊張が強いAくんのお姉ちゃんのBちゃんが、

この話を小耳にはさむやいなや、「えっ?悪い子の話?Aのこと?」とたずねました。

内容ははっきり聞こえなかったけれど、

「ええー!先生、やっつけられたの?」「うわぁ、わっるー」という友だちの相槌を

聞いて、Aくんの話だと思ったようです。

 

Aくんはひねくれた性格でも乱暴でもなく、むしろ情に厚くて人懐っこい性質です。

でも、感覚が過敏だったり、力加減を調節するのが苦手だったりするので、

おふざけのつもりで始めた行為がついエスカレートしがちで、

対人面での失敗が多いのです。

Aくん、Bちゃんのお母さんは決して子どもを悪い子扱いする方ではありません。

これまでも子どもたちのことを、悪く言うのを聞いたことがないほどです。

でも、「悪い子の噂」と聞いて、Bちゃんの口に即座にAくんの名前があがったのは、

常に「Aくんが悪さをして注意を受けるかも……」というピリピリした思いが

胸の中にあるからなのかもしれません。

当のAくんは、Bちゃんに「えっ?悪い子の話?Aのこと?」と言われても、

「何でぼくが?」と言い返すわけでもなく、

「ちがうちがう。この間、先生が、おそろしくこわーい目にあったのよ。

実は全然、こわくないんだけどね。ほら、パーカーのフードの部分をキューッとしぼる

部分についているようなひもがあるでしょ。その先っぽは、とんがってもいないし、

固くもなくて……」というこちらの話に引きこまれて熱心に耳を傾けたあとで、

照れたように静かに笑っていました。

緊張の強い子たちが、「何か悪さをしてやろう」とか「腹立ちまぎれに八つ当たりしてやれ」とばかりに、

自分の意思で動いた結果、叱られることは稀なのかもしれません。

たいてい、気づいた時には叱られていて、

叱られて初めて自分のしでかしたことに茫然と

してしまうという子がほとんどなのでしょう。

 

高まっていく不安にがんじがらめになって泣き叫んだり、

フリーズしたまま頑なに活動に参加しようとしなかったり、

テンションが上がってつい調子に乗り過ぎたりした揚句、

身近な人をイライラさせたり、がっかりさせたり、爆発させたりする

(緊張の強い子たちにとって日常茶飯事の)出来事は、

周囲の予想以上に子どもの自己肯定感を下げたり、自分と世界への信頼感を失わさせている

のかもしれません。

 

そのせいか、「悪さ」や「いたずら」や「嘘」や「汚いこと」といったダークな話題に敏感で、

先の4歳の子の武勇伝の話をした時ように、タブーとなっている事柄を

ユーモアを交えて、自由に言葉にできる雰囲気があると、

何ともいえないうれしそうな笑顔を浮かべたり、緊張を緩めてホッとしたような安堵の表情を見せたり、

いきいきと目を輝かせて話に乗ってきたりします。

遊びの世界でも、安全な枠を設けながら、

「これまでこうした失敗を繰り返して、傷ついたことがあるんだろうな」といったことを

自由にアウトプットできるようにしていると、ちょっと派目をはずしているな……という状態から、

だんだん内省的で落ち着いた状態に変化していって、周囲に打ち解けていきます。

そんな折に、ポロッと口にする言葉から、

「この子は自分はものすごく悪い子だと思い込んでいたんだな」とか、

「自分を信用できなくなっているんだな」と気づくことがあります。

 


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 続きの続きです

2017-04-16 18:04:16 | 日々思うこと 雑感

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1

こんなことを書きました。

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そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で

これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、

緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感することがあります。

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突然のアクシデントに気を取られているときも

子どもの出す「小さなサイン」に気づくことの大切さをいつも感じています。

 

「気づく」なんて、外からはわからないほど地味な行為ではあります。

でも、子どもとの信頼の絆は、「気づく」というささいな行為の重なりの上に

築かれていくのを実感しています。

 

「小さなサイン」には、こんなものがあります。

 

一緒に活動するのを頑なに拒絶している子が、ずいぶんあとになって

ほかの子らのしていたことを真似ようとしたり、

ほかの子の遊び道具に触れていたりすることがよくあります。

そうした姿から、「だんだんほかの子のすることに興味が生まれてきている」

「好奇心が動き出している」という子どもの気持ちに気づくことがあります。

そんな時期に、集団への活動に参加することを無理強いすると逆効果です。

自分から集団に入っていきにくい段階の子には、その子のところへ

ほかの子に来てもらうのもひとつの方法です。

それより、後から遊びを真似ようとしている子のもとに、ほかの子を呼んで、

「どうやってするの?教えてちょうだい」と頼んだり、

遊びが成り立つように取り持って人との関わりの成功体験を積ませていきます。

こんなとき、ユーモアがとても役立ちます。

ちょっとしたことをきっかけにいっしょにゲラゲラ笑う経験をすると、

緊張の強い子たちも関わり方のコツをつかんでいきます。

 

残酷なことを口にしたり、遊び方が乱暴でお友だちを驚かせてしまうような子には、

子どもと子どもの間に入って、大人が適度なクッション材になるようにしています。

緊張が強い子たちがお友だちと関わり始めた時、ちょっとしたことで攻撃的に相手を

ののしったり、おふざけのつもりや、思い通りにいかない場面の仕返しに、

相手に手をあげることがあります。

繰り返すので反省がないように見えても、感情がコントロールできないことを

その子自身が一番気にしていることはよくあります。

声が裏返るような興奮した口調で残酷な言葉を吐いていた子が、

次第に冗談半分に甘えた様子で残酷な言葉を口にするようになったなら、

子どもの心は変化しはじめています。

 

先の記事にこんなコメントをいただきました。

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先日遅ればせながら、こどもを連れてアナと雪の女王を見に行きました。(はやっているのは知っていたのですが、上の子が映画の刺激にどう反応するのか、ストーリーの内容がこどもに見せるのに適しているのか迷っていて遅くなりました。)

内容がどう、というよりLet it go(ありのままで~)の歌が、うちの子も含めてみんな好きなのだなーという感想でした。

この歌のどこがこどもたちの心を捉えるのだろう?とつらつら考えている中で、この歌のちょっとロックな、というか少し痛みを伴う感覚はなんだろうって探っていたのですが、もしかしてこれが自分を開いて、閉じられた快適な世界から飛び出す時の痛みかな、なんてふとおもいました。

ひとりごと的なコメントで失礼しました。また気が向いた時に続きお待ちしています。

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『アナと雪の女王』の姉のエルサの姿は、どこかで緊張の強い子たちに通じるものがありますよね。

 

映画を見た方はたくさんおられると思いますが、簡単にストーリーをわたし流(書き方が偏っていたらゴメンナサイ)

に整理しておこうと思います。

 

ありとあらゆるものを凍らせてしまう危険でパワフルな力を持つエルサは、

生まれ持った特性と才能ゆえに孤独を生きています。

自分の世界に閉じこもって暮らしていたエルサが、

外の世界と接触する戴冠式の日、エルサの力は暴走し、周囲を冬へと変えてしまいます。

それを機に、自分を抑えつけるのをやめてありのままに生きていく決心をしたエルサも

エルサが創造する世界も

本当に美しくて高貴な魅力にあふれていますが、同時にどうしようもない孤独も体現しています。

 

妹のアナの命の危険を顧みず自分を助けようとする姿を目にして、

エルサは、魔法の力をコントロールする術とは、

「恐れ」ではなく、相手を思いやる「真実の愛」なのだと悟ります。

 

最後に、雪と氷を空へ蒸発させた夏に戻った世界で、

エルサは自分の特性や才能を親しい雪だるまのオラフを助けることや

国民たちと真夏のスケートを楽しむために利用するようになります。

 

 

緊張の強い子たちというのは、活動にも参加せずにじっとしている時も、

無力なわけでも怠惰なわけでもないものです。

自分の内面に周囲を圧倒するような力や思いを秘めている子がほとんどですから。

 その子たちが一歩外の世界に踏みだそうとする時には、

エルサ同様、それまで内に抑え込んでいたまだ社会化されていない感情が

暴発してしまうことが多々あるのです。

それによって、お友だちや親や先生や自分自身を深く傷つけて、

夏だった世界を冬へと変えてしまうかもしれません。

 

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1 で、

わたしが第三者だからできることは、外の世界とその子の世界の境界面に立って

外と内との橋渡しをすること、

境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることで、

その瞬間は、たいてい、無意味で無駄に見えるし、

ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることが多いとも書きました。

 

そんな時、緊張が強い子とわたしの心と心がそれまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感するというのは

どういうことなのか、できるだけ具体的に書いてみたいと思います。

 


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 続きです

2017-04-16 07:20:30 | 日々思うこと 雑感

 

緊張の強い子が外の世界へ踏み出していくときについて、

こんなことを書きました。

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この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、

無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に

起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。

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緊張の強い子には、大きく分けて、

内向的だけれど芯が強くて、頑固で攻撃的な一面を持った子と

慎重でおとなしく穏やかな性質で、人が集まる場に行くと無口になって

身動きできなくなる子の二タイプあるように思います。

今回は、前者の芯が強い子について書かせていただきますね。

 

子どもの世界はすごいな、と思うのは、どんなに周囲との関わりを遮断するように

して遊んでいる子にもちゃんと揉め事が降ってくるところです。

もしこれが大人の世界なら、

「誰ともいっさい関わりたくない」という雰囲気をかもしている人が

後生大事に抱え込んでいるものを借りに行こうとは思わないですよね。

万が一、貸してもらおう思ったとしても、

「それを手放すなんてこの世の終わり」とでも言わんばかりの深刻な拒絶にあえば、

あきらめてほかをあたるでしょう。

 

でも子どもの世界では、「何が何でもどんなことがあっても貸したくない」という子に、

その子の持っているものが本当に魅力的なのか、自分はそれが欲しいのかなんて

そっちのけで、「何が何でもそれじゃなくちゃ嫌で貸してほしい」という子が

引き寄せられていく瞬間があるのです。

 

 片や手にしているおもちゃを手放すことが、そのまま自分の世界を奪われることや

自分の場を壊されることとイコールでつながっているような緊張の強い子。

 

片や部屋を見渡せば、ほかにいくらでも面白そうなおもちゃがあっても、

緊張が強い子と同じくらいエネルギーを注いで、それを得ることに固執する子。

 

そんな二人は、どこか似ているところがあって、

最終的に大の仲良しへと発展することがよくあります。

教室では、子どもたちの心と心がゆっくりと近づいていく過程を大切に見守っています。

 

誰かが作っていた積み木の駐車場を足で引っかけて壊しちゃった、

どんどんブロックの線路をつないでいた子が自分のスペースに侵入していった……など、

ひとりで静かに遊びたがっているんだから、ずっとそのまま遊ばせてあげる……という

わけにいかないのが子どもの世界です。

 

周囲から距離を置いている子自身も、

おもちゃについては、ほかの子の遊んでいるものがどうしても欲しくなって奪い取りに

いくこともあります。

 

そうして揉め事が起こるときには、

それまでほかの子や大人と交わらないで過ごしていた子も

いきなり感情をむき出しにした状態で接近することになります。

 

緊張が強い子は、もともと人との関わり方に不器用さを持っていることもあるし、

関わりそのものが経験不足でもありますから、

「おもちゃを貸して」「貸さない」「それはわたしがやりたい」「ぼくが一番先」

「ぼくが」といったちょっとしたやりとりが、パニック状態を引き起こしたり、

乱暴に反撃してしまったり、 強い態度で拒絶するため相手の子の手がつい出て

しまった……という事態につながりやすいです。

 

人との関わり方に不器用さや経験不足がある子たちが

ちょっとしたことをきっかけに周囲との激しい衝突を引き起こすときは、

どのような対応をすればいいのでしょう?

 

たいていの親御さんは、予期せぬ事態が起こると、

「こんなときはどうすればいいの?」

「どう言い聞かせてやめさせればいいの?」と目にしている一点への解決法を求めます。

 

わたしが、こういう事態に遭遇した場合、やりすぎたり、引っ込みすぎたり、

激しく感情を爆発させたり、引きこもったりする揺れ幅が大きい期間……

つまり古いものから新しいものへと移り変わって行く途中である『過渡期』として、

扱っています。

子ども同士の揉め事のクッション材となったり、傷ついた子をなぐさめたり、

おしゃべりしたり、物語の世界にあるような解決法を提案したり、

揉め事をテーマにした人形劇を見せたり、一緒になって悪を演じる遊びを表現したり、

粘土や水のような気持ちを落ち着ける素材で遊びを準備したり、

こちらに向けられる攻撃性を受け止めたりかわしたりしながら、

感情の爆発の背後にある新しい心の変化の兆しの一つひとつを、

心に留めていくようにしています。

 

緊張が強い子は、触角の過敏さや鈍感さを持っている子が多いな、と感じています。

触角が過敏だったり、鈍感だったりする子たちは、

粘土や砂に触れるのを極端に嫌がる一方で、手を洗う時の水の温度を気にしたり、

服の素材に文句をつけたりしています(それが一転して、気に入ると粘土遊びばかり

したがったり、ひんやりしてつるんとした手触りのスライムを、しつこく触りたがっ

たりすることもあります)。

 

誰かに軽く触れられただけで、ピリピリした攻撃的な目でにらみつけたり、

身体を硬直させて歯をくいしばってみたり、

人と触れる可能性がある場に近づくだけで足がすくんで動けなくなったり……。

嫌いな刺激を避けるために、ちょっとしたことで感情を爆発させて、大騒ぎしたり、

「こうしたい」とか「これはいやだ」と言い張って、意固地になったり、

訳もなくイライラしだしたと思ったら、いつまでも機嫌をなおさなかったりします。

 

自分に対しては、ちょっとぶつかられただけでも大騒ぎして怒るのに、

親に八つ当たりするときは、子どもとは思えないほどの力で叩いていたり、

おとなしくて自分から揉めるような子ではないのに、お友だちと物の取り合いになった

ときなどに突如、強い力で相手を突き飛ばしたり、物を投げつけたりするので

びっくりすることもあります。

 

緊張が強い子が、自立心の芽生えや友だちを求める気持ちや周囲の期待に応えなくてはと

いう思いや、好奇心といった自分の内からの要請に突き動かされて、

閉じこもっていた自分の世界から外に出てこようとするとき、

目で見ることができたり耳で聞くことができる形で

恐ろしいものや残酷なものがたくさん必要なんだな、と感じることが多々あります。

 

鬼や地獄絵や、ピラニアやサメのように鋭い歯を持った水の中の生き物たちや、

指名手配犯などが遊びの主役になったり、

自動車事故、殺人事件、自殺、暴力、肉食動物が他の動物を食べるシーンなどが遊びの

テーマになったり、子どものおふざけの中で、「ぼっこぼこにする」「死ね、死ね」

「じゃ、死ねば?それ、殺したら?」「くそばばあ、くそじじい」「毒薬」

といった言葉が繰り返し使われたりします。

 

たいていそうした残酷すぎることをいう子に限って、お母さんがちょっと見えなくなるだ

けで涙目になったり、怖がらなくていいようなものに極端に怯えたり、繊細で優しすぎる

一面を持っていたりするものです。

過敏な子たちにとって、安全な自分の空間から一歩外に出てくることや

他者に近づくことは、生死の際に立っているような不安を伴うもので、自分自身の存在を

揺らがすような一大事なのでしょう。

最初のうち、とげとげしい攻撃的な態度やハイテンションの冗談や吐き捨てるような

物言いの中で使われていた、残酷な主人公たちや残酷なテーマや残酷な言葉が、

ユーモアを含んだ茶目っ気のある世界で扱われるうちに、次第に必要がなくなって、

等身大の子どもの世界の主人公たちやテーマに取って変わられるようになると、

子どもは周囲の友だちともわたしともとても親しくなっています。

 

過渡期といえば、これまでこんなことがありました。

ほかの子と関わらずに自分の遊びに固執していて、

気持ちが高ぶるとお母さんを蹴ったり叩いたりする子がいました。

その子が、ほかの子らに心を許して遊びだし、新しいより成長した自分を

表現しはじめたのは、激しいかんしゃくを爆発させて、

わたしをポカポカと叩いてきた出来事がきっかけでした。

 

友だちと関わろうとせずに内に閉じこもっていた子が

次第に上手に友だちと遊ぶようになっていった過程では、

ふざけて大人を叩いてくる遊びに興じたり、わざとおもちゃやビーズなどを床にぶちまけ

たり、乱暴な言葉や残酷な言葉を連発したりする時期を通りました。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 

2017-04-16 06:58:39 | 日々思うこと 雑感

人や場に対する警戒心が強いために、さほど発達上の問題は感じられなくても

集団生活でうまくいかないことが多い子がいます。

うまくいかないから自己肯定感が下がって、

自己肯定感が下がるから自分の気持ちを素直に表現できなくなって、

さらに集団での活動がストレスになっていく……という悪循環に陥りがち。

 

そうした子が虹色教室に来ると、最初のうちはやっぱり緊張していて、

周囲に対してバリアを張った状態で、閉鎖的な遊び方をします。

狭い同じ部屋にいながら、きょうだい間でだけ打ち解けて、友だちやわたしと

一定の距離を保ち続ける子らもいます。

最初のうち……だけでなく、そうした緊張状態がずいぶん長く続く子もいます。

 

「そうした子にどう接したらいいですか?」

「どうしたら緊張しないようになりますか?」と問われると答えに困るけれど、

わたしが「お母さん」ではない第三者だからこそ、役に立てることはあります。

 

外の世界とその子の世界の境界面に立って、外と内との橋渡しをすることです。

境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることともいえます。

 

この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、

無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に

起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。

 

なぜって、緊張している子が閉鎖的な自分の世界で遊んでいるのは、

その状態が安心で心地よくて自由だからでしょうから。

もし、外からほかの子と一緒にする活動を求められたり、

内から「他と関わりたい」という衝動に突き動かされたりしたら、

ゆったりリラックスして過ごすことはできないでしょう。

 

たとえ自分自身の好奇心から外の世界へ踏み出したい場合でも、

安全が脅かされて、不快な気分になったり、

イライラしたり、キレやすくなったり、陰鬱で頑固になったりするはずです。

 

そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で

これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、

緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感することがあります。

「互いに共有する物語を持った」と言った方がいいかもしれません。

経験的にわたしは、子どもの変容のプロセスの始まりを垣間見たのだろう

と捉えています。

といって、あまりに取るに足らないような主観的なものなので、

言葉にするとなると気が引けるのですが、

緊張の強い子たちが外の世界で自分らしくいきいきと振舞うようになっていく

プロセスはとても似通っていて、

始まりはいつも、誰も目にとめないようなつまらない出来事です。

緊張が強い子が、ほかの大人や子どもがいる場で、過度に不安がったり、

新しいことへの参加を拒んだり、ちょっとしたことでピリピリしたり、

不必要なほど頑固になったりするのは、さまざまな原因が考えられます。

 

神経の細かさや高ぶりやすさのせいで内向的な態度が強くなっているのかもしれないし、

触角の過敏さなど感覚統合の問題を持っているため

人に近づくことに防衛的になっているのかもしれないし、

想像力の弱さがあるため未知のことに不安を覚えるのかもしれません。

育ってきた環境や経験の量や親子関係の問題で、本来なら「ちょっと内気かな」と

感じるくらいの性質が融通のきかないものになっていることもあるでしょう。

 

子どもをほかの子らがいる場に連れて行っても、一緒に楽しそうに遊ぶどころか、

怯えたり、イライラしたり、親の背後で固まったままだったりすると、

「何もしないのに、わざわざ連れていくべきなのかな?」

「育て方に問題があるのかな?」「子どもの発達に問題があるのかな?」と

親自身も葛藤や迷いで身動きできなくなるかもしれませんね。

 

 

『プレイセラピー 関係性の営み』の著者、ゲリー・L・ランドレスによると、

子どもには生まれながらに自己実現傾向というものが備わっていて、

そこから学びと変化へ向かう動機づけが生じるそうです。

環境への不適応を起こしていた子どもが変化していくプロセスについて、

ゲリーは次のように語っています。

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それまでとは違った自己に向かうこうした動きは、セラピストの暖かさや関心、

注意、理解、純粋性、共感を子どもが感じ取ると、それに促されて始まります。

心理的な態度が動きを促すというこの傾向によって、子どもは自己志向的に

行動するために、そして自分の自己概念や基本的な姿勢を変化させるために、

自分自身のものすごい量の資質をあてにすることができるようになるのです。

このように、変化するための能力は子どもの中にあり、セラピストが方向づけや忠告、

情報を提供した結果として生じるものではありません。ロジャースが表現したように、

「もし私がある種の関わりができたなら、個人的な発展が生じるだろう」

ということになります。

  『プレイセラピー 関係性の営み』P58(ゲリー・L・ランドレス著/日本評論社)

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ブロックの虹を描くマシーンができるまで と 物作りと「比」

2017-04-15 18:39:35 | レゴ デュプロ ブロック

小2のAちゃんとの遊びが、

「虹を描くマシーン」完成につながるプロセスを紹介します。

最初は、上の写真のように、ブロックに輪ゴムでえんぴつをはさんで、

動かしてみただけでした。

長いブロックと土台の黄色いブロックは、ひとつだけの凹凸で

つながっているため、コンパスのような動きが生まれます。

 

えんぴつがぐらぐらしてうまく線が描けない

         ↓

「えんぴつを短くしてみてはどうか?」

ということになりました。


短くしても、ぐらぐらする

         ↓

「太めのストローをはさんで、その中にえんぴつを入れたらどうか?」

ということになりました。


その時、Aちゃんのお母さんが、

「これを使ったら?」とそれまでケーキ作りの材料にしていた

ハート型のクッション材を指さしました。

 

ためしてみたら、うまくいきました。

そこで、3本えんぴつをはさんで、どんな線が描けるのか見ることにしました。

虹のように見えます。


そこで、虹を描くマシーンを作ることに


クレパスをはさみます。

 

できあがり。

 

 

動かすと上の写真のような虹が描けました。



物作りをする時、作りながら比について少しずつ学んでいると、

拡大縮小を計算したり、

いつのまにか平面図形の問題を解くのが得意になっていたりします。

Aちゃんに、比の基本に気づくようなクイズを出しました。

 

上の写真の右の形は左の形の2倍です。

それでは、下の写真の一番右のかざぐるまの形は、一番左の形の何倍でしょう?

(答え4倍)


 

 上の写真の「下の魚の形は上の形の何倍でしょう?」

(答え2倍)