「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、
実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子が
たくさんいるんじゃないかな?と思います。
子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、
いくつか体得していかなければならない技術のようなものがあると感じています。
遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて
おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。
でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!
目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、
遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに
ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、
遊びがワンパターンだったり、幼なかったり、依存的だったり、
友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで
遊びが発展しなかったりする子っていますよね。
そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。
もちろん、それらの影響も大きいはずです。
でも、それとは別に、
「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも
遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。
では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?
まず最初に大事なのは、
「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。
ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、
「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。
遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば
発展していくわけではありません。
楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という
実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。
遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、
おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。
子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、
大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、
奪ってしまったりすることもよくあることです。
また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、
自分から使おうとしない子もいるのです。
環境と大人の役割は大きいです。
↑と↓は前にブロック用の板を並べた時の写真です。
↑ こんな風に道路を作って遊んだ楽しい体験を思い出したようです。
わたしが列車を走らせるためにブロックを横につないでいく見本を見せると、
他で遊んでいた子らも集まってきて、長い線路を作り始めました。
こうして手を使ってする作業に没頭し始めると、
子どもの態度は素直で落ち着いたものになっていき、
同時に頭の中はいきいきと活発に動きだすようで、
意欲的でよく練られた考えや言葉が出てくるようになります。
線路をつなぎ終えたとたん、Nゲージを走らせてみてから、
「そっちとこっちとで発車したら衝突しちゃうよ。
こっちの線路は、こっちからあっちに行って、あっちに着いたら
戻ってくるようにして、
あっちの線路は、あっちからこっちに行って、戻ってくるようにしたら?」と
言う子がいました。
すると別の子は自分の好きなように走らせたかったようです。
線路に1台だけ走らせるのでは嫌らしいのです。
そのため何度かNゲージが衝突することになり、言い合いになりかけたものの、
「それなら、連結したら?」という意見が出て、問題が解決しました。
Nゲージをどんどん(セロテープで)連結すると、長い1台の列車になるので、
1台ずつを行き来させているのと同じになったのです。
そうして遊び出すと、ここが終点、こうやって切符を買って……とごっこ遊びを広げる子、
駅で電車に乗る人が住んでいるお家を作ってストーリーを膨らませる子などが出てきて、
遊びが広がっていきました。
遊びって、ある程度、「ああ疲れた」「やるだけやった」というところまで
自分の身体なり、頭なりを使いきらないと、楽しさが湧いてこないものなのです。
その「やるだけやった」は、その時期その時期の子が
やっているうちにどんどん楽しくなっていって、「もうちょっともうちょっと」と
自分の限界までやり遂げないと気がすまなくなっちゃうような活動であること、
五感にとって気持ちいいこと、目で見て満足できるものであることが大事です。
だからといって、
わざわざこういうおもちゃを買いそろえなくちゃいけないということはなく、
お家にあるもので十分だと思います。
今回の「つないでつないで長く長くしていく」という活動は、
子どもにとって楽しくて達成感のある活動のひとつですが、
ブロックの板がなくても、下の写真のように「柵だよ」と言いながら
ブロックを置いていくだけでも、子どもにしたらさまざまな想像力を
掻き立ててくれりものなのです。
↑の写真の作品を作った子は、教室の端から端まで柵を付けた後で、
おもむろに立ちあがると、
しみじみと自分の作り上げた作品を眺めながら、
「どうして、こんなにすごいのが作れちゃったんだろう?」とつぶやきました。
置いていくだけ、並べていくだけ、囲むだけでも、道路ができ、
線路ができ、工事現場ができ、公園ができます。
そうした作業に熱中するうちに、想像力がいきいきと働き始めます。
「新しいおもちゃを出して、ちょっと触ってはお終い」という遊び方をしていたら、
自分の想像力を使うところまで行きつかないのです。
そうして想像力を働かせて遊んでいると、次には、
「上から電車を眺める駅を作りたいな」「これは特急で、こっちは回送で……」
「こういう風にしたい」「ああいう風にしたい」と
今度は思考力を働かせて、遊び始めます。
↑ 電車をくぐらせようとしたら、人形がトンネルの屋根にあたってしまうから
トンネルを高く作り直しました。
どんどんどんどん線路を長くしていく遊びから、
「地下鉄が上の駅のところに登って行くようにしたい」という願望が生まれ、
苦労してだんだん高くなっていく高架を作りました。
どんどんつないでいく楽しみも、
お城のなわばり図を作るという意味を意識しながら作ることで、
昔の人の知恵への関心が高まり、
自分たちもあれこれ知恵を絞って遊びこむことができました。
↑通ろうとすると、橋が崩れる仕掛け。
どんどん並べて、どんどん乗せているうちに、いろいろな物語が生まれていました。
どんどんどんどんつないでつないで……に熱中していると、こんな素敵な街になった
こともあります。
夢中になって遊ぶには、簡単にすぐできて、何度も繰り返したくなるような作業を
思い存分やることができる環境が大事だと思います。
公園でする砂遊びでも、お花を絞って作る色水遊びでも、何でもいいのです。
そうした身体を使って集中する活動を洗練させていきながら、
それがごっこ遊びにつながっていって、想像力をたっぷり使う機会が生まれるように
サポートしてあげることが大事だと思っています。
また思考力を使って次々生まれてくる願望を言葉にしたり、それを達成したり、
問題を解決したりする楽しさをたくさん体験させてあげるのも
とても大切な身近な大人の役目だと考えています。