虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ (もう少し2)

2019-02-20 13:13:09 | 日々思うこと 雑感

親御さんらから聞いた「現在、非常に困っている解決しにくい問題」には、

こんなものもあります。

 

明るく素直で優しい性格で、誰からも好かれているAちゃん。

学校での先生からの評判は絶大で、懇談に行くと

褒め言葉のオンパレードだとか。

Aちゃんは、数年前から、Bちゃんという女の子と仲良くなったそうです。

Bちゃんは、Aちゃんのことが好きでたまらず、常にべったりとひっついて

遊びたがるので、AちゃんとBちゃんはどこへ行くのも一緒です。

それはAちゃんにとって楽しいけれど窮屈な関係でもあるようです。

Bちゃんが興味がなければ、自分がやりたいと思う遊びができないし、

ほかのお友だちと自由に仲良くすることもままならないですから。

 

ある時、我慢の限界を迎えたAちゃんが、しじゅう自分を束縛するBちゃんに対して

はっきりと「いや!」という気持ちを伝えました。

でも、いつでも誰にでも親切で優しい態度しかとったことがないAちゃんは、

嫌の気持ちを表現するのが不慣れな上、

あまりに長い間、言語化していない不満や理不尽な思いや怒りを蓄積していたために、

相手を強く拒絶するような態度になってしまったようです。

 

揉めている知らせを受けた先生が、Aちゃんの態度のどこがいけなかったのか説明し、

友だちと仲良くするように指導して、一件落着となりました。

先生に言うことをよく聞くAちゃんは、それからはBちゃんとぶつかることはなく、

以前にも増してAちゃんを意のままに束縛しようとするBちゃんに

従順に合わせて行動するようになったそうです。

その後、学校の先生から、外見からは仲睦まじく遊ぶふたりについて、

「ケンカをせずに上手に遊べていますよ。よかったですね」という報告があったものの、

親御さんの心にはもやもやした不安が渦巻いているということでした。

 

ユースホステルでのレッスンに来ていたAちゃんは、

初めて会った子ともすぐに打ち解けて、楽しそうに遊んでいました。

寂しそうにしている子がいると率先して仲間に入れてあげながら

持ち前の想像力と創造性を使って上手に遊びを作りだしていました。

揉めている子らがいると、積極的に解決に乗り出し、

プチ先生になって、「~しないとダメだよ。こうしなよ」と優しく諭していました。

ユースホステルには、「Aちゃんと二人だけで仲良くしたい」と切望する子は

いませんから、自由にのびのびと過ごしている姿しか目に入ってこないので

Aちゃんについて気になる点を見つけ出す方が難しいのですが……。

 

でも、Aちゃんの弟くんのわがままが目立つ時など、

天使のような優しさで対応するAちゃんの様子を目にすると、

本来ならあってよさそうな「ゴネ得する弟くんへの不満やら嫉妬心」や「怒り」や

「ちょっといじわるをしたくなる気持ち」がまったくないように見えるのも、

ちょっと心配かな、と感じました。

 

自分の中にネガティブな気持ちが芽生えても、それに気づくのも難しいくらい

自分の心のネガティブな一面との関わりを絶っているようでしたから。

 

話は変わって、Sちゃんという別の小学生の女の子の話も考えさせられるものでした。

Sちゃんは明朗活発な頭のいい女の子です。

思考力を必要とするゲームや物作り、楽器の演奏、理科実験、スポーツ……と、

何でも喜んで取り組み、いつも楽しそうに笑い転げています。

 

ある時、Sちゃんのお母さんは、Sちゃんが同じクラスの女の子から

信じられないほどひどい意地悪をされている事実を

Sちゃんの友だちのお母さんから聞いて、驚愕しました。

それがお母さんにとって青天の霹靂とでも言うべき出来事だったのは、

家でのSちゃんは、落ち込むどころか明るすぎるほど明るく元気に振舞って

いたからです。

Sちゃんは、お母さんを心配させまいとして、

気丈に辛いのを我慢していたのでしょうか?

どうも、そうではないようです。

「マンガが好き」というSちゃんに、「マンガのどんなところが好きなの?」と

たずねると、「嫌だな~って気持ちの時も、マンガを読むと気持ちが変わるから」

という返事が返ってきました。

「他人から嫌なことをされたり、嫌なことがあった時にどうしますか?」という

アンケートでは、「先生や親に相談する」とか「友だちに相談する」といった選択肢

ではなく、「考えないようにする、忘れる」の欄に丸をつけていたそうです。

 

子どもたちと話していて、マンガにしてもテレビゲームにしてもDVDや

テレビの視聴にしても、

惹かれる理由が、「面白い内容にワクワクするから」とか「○○が、好きだから」

ではなく、Sちゃんのように、「気持ちが変わるから好き」という答えを聞くことが

増えていることを気にかけています。

また、嫌な目にあった時、四六時中一緒に手をつないで行動しているほどのお友だちにも

自分の胸の内を打ち明けず、「感じないようにする」「考えないようにする」

「新しい刺激で気持ちを変える」といった方法でまぎらわしている子が珍しくない

事実にも、胸を痛めています。

 

ちょっと脱線するかもしれませんが、前回までの話題と

同じ根っこを持つと思われる問題について、もう少し書かせてください。

 

小学校の先生をしている方から、

「最近の子には、もし自分がそれをやられたらどうするの? 

自分が同じ目にあったら嫌じゃないの?が通用しなくなったので、

ケンカを叱るのも大変」という話を伺いました。

「別にやられてもいい。ぼくは気にならないもん」

「同じ目にあってもいい。わたしは、嫌じゃない」と返ってくるので、

二の句が継げないのだとか。

 

親御さんのひとりから聞いたこんな話。

中学生の男の子の間で流行っているラインを使ったこんな遊び。

最初からいじめるターゲットを決めた上で、ラインのグループを作り、

ターゲットの子だけ無視するなどしていた子(どこにでもいるような温和な性格の

良い子です)に、「どうしてそんなことをするの!?自分がされたらどう思う?」と

叱ると、「あいつは陰キャラだから(いじめに合う)。おれは陽キャラだから

そんな目に合わない」と言ったそうです。

 

この夏に教室に来てくれた海外在住の子や帰国子女の子とその親御さんから

聞いたこんな話でも、心の中がもやもやとくすぶりました。

 

日本に滞在中、子ども向けのサマーキャンプに参加した小学校中学年のJくん。

すぐに誰とでも打ち解けて親しくなれる明るく頭の回転が速い男の子です。

キャンプの初日、スタッフの方々から、

「それぞれがやりたい遊びを提案して、自由に遊ぶように言うと、

Jくんが積極的にアイデアを出して、上手に遊んでいましたよ」というコメントを

いただいたそうです。

ところが、Jくんのお母さんがJくんにその日の様子をたずねると、

暗い表情で意外な答えが返ってきたそうです。

スタッフに言われた通り、「こんなことをしようよ」とアイデアを出したJくんの案に

その場にいた子らはすぐに乗ってきたのだけれど、少し遊んで飽きてくると、

その子らがJくんの人格を否定するようなひどい言葉を浴びせて、

去って行ったそうです。

 

この話を息子にすると、「途中で遊びがつまらなくなってくると、

遊びの言いだしっぺの子を責め立てたり、たいした理由はないんだけど、

嫌な気分の責任を取らせるように、キモイとかうざいとか消えろとか言う子は

けっこういたな。

エンターテイメント性を売りにしたアミューズメント施設で、

めまぐるしく新しい面白い刺激で満たしてもらうのを遊びだと思うのが主流になって、

遊びを楽しむには、自分でもそれなりの努力がいるのを忘れているのかもな」

という返事が返ってきました。

前置きがずいぶん長くなってしまいました。

そろそろ「何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な小学生のBくん」への

対応について、わたしの考えを言葉にしておかなくてはなりませんね。

 

Bくんのお母さんから、こんなコメント(ブログへの文面引用はOKという

非公開コメント)をいただきました。

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いろんな状態・状況の子たちも、根源的な問題は共通しているのですね・・・。

ネガティブ感情・・・そんなに否定してきたつもりもなかったのですが・・・。

特に、就学前までのややこしい時期には、それこそややこしくて、

ネガティブ感情をもろに私にぶつけてきて、私もいつも途方にくれながらもひとまず

受け止め、受け入れ、「この時期を乗り越えたら、また成長する!」と信じてきたし、

実際そうやって成長してきたと痛感しています。

でも、就学してから、ネガティブ感情を私にぶつけなくなりました。

今までなら、ぶつける前は、自分で抱えていっぱいいっぱいになっていて、

感情が不安定だったり、何かしら前兆というか、

ストレスを抱えているんだなということを察することができましたが、

就学してからはそういう姿も見られなくなりました・・・。

実際とっても困っていることもないようですし、

先生から特に注意を受けることもなく・・・学校のことは大好きだし・・・。

だから、安心していたのですが、その反面、手ごたえの無さにいつも歯がゆい気持ちや

不満・漠然とした不安を抱いていました。

この手ごたえのなさ、なんなのでしょう??

わたしはいつも、もっとぶつかってきて欲しい、と思っているのですが・・・。

結局わたしの一方的な思いをぶつけるだけで終わってしまいます。

支配的なわたしの接し方のせい??

(勿論、いつでも言うことを聞かせたいとは全く思っていませんが・・・)

学校のせい??

(学校は、ガチガチに厳しいということはありません。個人の才能を伸ばそうとして

下さっている、と思っています。)

どうしてこうなっちゃったのでしょう?!

夏休みの宿題、特に自由研究は、Bからの発想や意見などを待ちたくて、

声掛けはするものの、あまりうるさく言い過ぎないように、と気を付けてきました。

今日、宿題提出のための登校日でしたが・・・。

おとといの夕方から取り組み出したため、勿論間に合いません。

結局ほとんどの下書きを主人と私が書きあげ、

Bは写すだけ・・・ちょっと聞いても、「わからないー」と。

そして、勿論、写すのでもめんどくさそうで全くやる気なく・・

休憩してはちょっとやり・・・文句言っては休憩して・・・。

当然間に合うハズもありません。

結局昨夜も10時過ぎには「もうねむい・・・・」「間に合うし・・・!」

とか言って寝て、それでも今朝は早く起きようという意志はなく・・・。

普通に起きてきて、机に広がった宿題を見て、ベソをかき始める始末。

学校行くまでに30分もないのに、朝ごはんも食べずに宿題を写しだし・・・。

なんなのでしょう???

今までタラタラ書き写して、半分もできてないのに、この10分20分で、

なんで「できる」とか思えるんでしょう?? 

今更泣く??今頃泣くの???

昨夜まで出来る気でいたのよね??

今まで間に合わないとは思わなかったの???

全て不思議です。

まだ3年生だからそういうものでしょうか??

それとも焦る気持ちから、心を切り離してきていたのでしょうか??

(宿題の合間合間にラキューに集中して、というか、ラキューの合間合間に

タラタラ宿題をして、いろいろ作っていました・・・)

結局電車の時間もあり、「遅刻は絶対したらいけない!」という強い約束を夏前に

していたので、直前にベッドでゴロゴロ現実逃避していましたが、

なんとか間に合うようには学校に行きました。

行ったら行ったで、宿題できずに忘れている子が何人かいるので安心したのでしょうか。

学校から帰宅後「明日までにはやる!」と張り切って言っているのに、

昼前に帰宅してから先程スイミングに行くまでの間も、

わたしが「ちょっとやれば?」と声をかけるものの、やっぱり一切せず・・・。

この夏休み、あまりの宿題のやらなさに、習い事も減らそう、塾もやめていいし、

学校も変わったらいい、と言っても、「やめない!どれもやめない!!」と言います。

わたしも、習い事をやめたり、時間をたくさん与えることが解決に繋がるなら

全てやめさせるのですが、時間がないとかが本質的な問題でもないな、と感じています。

この夏休み、かなり時間がありましたが、結局自分自身の心やらと向き合うことは

なかったのではないかと思います。

感情と思考・・・どうやったら自分自身と結びついてくれるのでしょうか???

以前から先生には指摘して頂いていましたが、

今頃になってようやくわたしも腑に落ちました。真剣に思い悩んでいます。

ああしたら治る、こうしたら良い、という簡単なものではないことは、

重々承知しています。

でも、ヒントになるような糸口をみつけることができれば・・・と思っています。

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この悩ましい状況への解決の糸口として、3つの視点から

よく考えてみるといいように思いました。

 

ひとつめは、「常に意識の焦点を当てて言語化している悩み」が、

「ステレオタイプな外から与えられる情報か、他者からの評価にかかわるもの」

絞られているため、日常に散らばっている根っこ部分の問題を解決するためのチャンス

逃しているのではないか、という見方です。

 

ユースホステルのレッスンでは、

寝食を共にして、普段のレッスンの外にある子どもの姿、親御さんと子どもの関わりを

目にすることになります。

 

その時、驚くのは、しょっちゅう悩んでおられる問題を解決するようなチャンスが

目の前にあって、それがとてもわかりやすいものでも、

たいていの親御さんが気づかないか、躊躇している間にチャンスを逃すか、

わかっていてもスルーしてしまわれることです。

 

「何でも興味を持って手を出したがるけれど、表面をかするような関わり方ばかりで

どれも深まっていく気配がない。困り事があると、ママーと頼っては、

頭も心も100パーセントお母さんに預けてしまう。

自立心と責任感の育ちが気になる」という小2のMくんのお母さんが、

「(事あるごとに頭も心もお母さんにバトンタッチという態度が気になるので)

親の目のないところで子ども同士で遊ぶ体験をさせたいけれど、そうできる相手も

場も時間もない」ということを何度も口にして悩んでおられました。

 

この日のユースホステルのレッスンには、子どもだけで参加しているMくんより

年上の男の子たちが参加していました。どの子も親しみやすい気さくな子たちで、

初対面のMくんを快く遊び仲間に迎え入れてくれました。

Mくんは、Mくんの生意気やおふざけが過ぎても、

大らかに接してくれるお兄ちゃん連中に解け込んでいましたが、

遊びに飽きるとお母さんのところに戻ってきてベタベタしていました。

 

そのベタベタは、お母さんに甘えたいから甘えているというより、

子ども同士の世界にどっぷりつかって遊びたいものの、そうすると、

「こうしようよ」とか「それは嫌だよ」とお母さん抜きで直に相手に自分の思いを

伝えていかなければならない場面にぶつかるので、それを避けたい様子。

子どもの世界に片足をかけた状態で、もう一方の足は常に退陣場所(お母さんのところ)

をキープして遊んでいました。

 

お母さんがわたしに、「子どもだけで遊ばせたいけれど、そうできる相手や場所がない」

という悩みを口にしておられた、まさにそのとき、

同じ部屋で、男の子たちが着替えとバスタオルをまとめて、上の階の銭湯に行く準備を

していました。

 

ここのユースホステルには、

小学生になると男の子は男風呂、女の子は女風呂に入る決まりがあります。

ですから、女の子たちはお母さんといっしょに風呂に入りますが、

男の子たちは、「銭湯内では、暴れない、泳がない、走らない。

何かあったらすぐに大人に知らせる。身体を洗ってから風呂に入る。

年長の子は責任を持って年下の子らの面倒を見、

年下の子は年長の子の言いつけに従う」と厳しく言い渡されてから、

男同士、何人かでいっしょに風呂に行くことになっています。

 

「Mくん、男の子たちみんなでお風呂に行っておいで」と言うと、

Mくんは、「ぼくは……うーん……お母さんと入ろうかな……」と

迷っていました。口ではそう言いながらも、男風呂はとても魅力があるようで、

心が揺れているのがよくわかります。

すると、先ほどまで「子どもだけで遊ばせる場がない」と悩んでいたお母さんが、

男同士で風呂に行かせるのは心配な様子で、無言ではあるけれど、

「行きたくないなら行かなくていい」とでも言うような、

はっきりしない態度になりました。

すると、お母さんの迷いがMくんに感染して、

Mくんもぐずぐずと態度を決めかねていました。

 

「ちょうどここでは小学生は性別にお風呂に入る決まりがあることですし、

滑って転ぶ心配もあるでしょうけど、そこは厳しく注意しておいて、

思いきって男風呂に行かせた方がいいんじゃないでしょうか」とわたしが言うと、

お母さんの返答は、「ええ、まぁ……」とちょっと歯切れが悪いものではあったものの、

Mくんをお兄ちゃん仲間に同行させることになりました。

 

気になったのは、Mくんのお母さんが何について心配しているのか

いっさい言語化しないまま、Mくんの揺れる思いを自分のほうに

引き戻そうとしていたことでした。

迷いの原因が、環境の不備や事故につながるような本人の認識の甘さにあるのなら、

そこにあるリスクをはっきり言葉にしておかなくてはならないし、

生死にかかわることは真剣に言い聞かせ、他人の迷惑になることは

具体的に相手がどんな気持ちになるのかまで教える必要もあるでしょう。

 

でも、Mくんのお母さんの迷いは

そうした具体的な未知のリスクにあるのではなさそうです。

 

「子どもだけで遊ばせて、自分で問題にぶつかって、

大人に頼らず問題を解決する機会を与えたい……でも、

子ども同士遊ぶ場や相手がいない」という悩みがレベル5なら、

そのレベル1にあたる

「子どもだけで活動するといっても短い時間だし、安心できる相手だし、

事前に注意事項を伝えることができるし、何かあれば知らせてくれるよう頼んだし、

もしもの時は壁ひとつ隔てた場所に大人がいるし、

揺れているとはいえ本人がいっしょに行きたい気持ちを持っている、

おまけに、それを体験させれば

自立心や男の子としての自信につながるにちがいないという利点がある」

という状況下での活動も、チャレンジさせるのは何となく不安。

本人が揺れているなら、やらない方向に流れた方がいい……という

お母さん自身の心の中に迷いの原因があるようなのです。

 

 だとすると、「子ども同士で遊ぶ場がない」と何度も口にしている悩みは、

叶わぬ願いだからこそ口にできるもので、

実際に子どもだけで遊ぶことが可能になると、悩みはもっと大きくなるかもしれません。

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ (もう少し)

2019-02-19 21:30:01 | 日々思うこと 雑感

「学校の持ち物の管理がいい加減である」という問題の主役は誰か、といえば、

Bくんです。

そして、管理を怠ったために困っている人物は誰かというと、Bくんです。

 失敗して叱られたり、「ない」ことで困ったり、

なくしたために学校に行くのが憂鬱になったり、友だちに借りたため別の問題に

ぶつかったりして、実際、辟易しているのです。

Bくんは「何があってもどこ吹く風」という様子で、

どーんと大らかに現実を渡り歩くタイプの子ではなく、ちょっとしたことで気を

病みやすく、小さい変化にビクビクする過敏な一面がある典型的な現代っ子。

 

でも、Bくんのお母さんの相談とBくんの姿から、

「物の管理の問題で悩んでいる」のは、Bくんのお母さんだけであることがわかります。

 

「問題解決に取り組んでいる」のもお母さんだけです。

 

ついでに言えば、

「その問題を恥ずかしいと感じている」のも、「どうしようかと考えている」のも、

「起こった出来事を思い出し、状況をシュミレーションしている」のも、お母さんです。

  

 「寝る前に宿題をするまで、嫌なことは一つもなくて、

楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ」というBくんの弁から察するに、

肝心のBくんは、

「物の管理の問題」で、しじゅうお母さんから叱られたり、愚痴を言われたり、

悩みの種にされたりしていることすら、少しも悩んでいないのです。

 

正確には、言語化して悩んでいない、それに意識の焦点をあてていない、

といったことでしょうが。

 

とにかく、主役も、問題に遭遇したのも、

現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

お母さんにバトンタッチ。

心と頭はお母さんの担当……という子は、Bくんに限ったものではありません。

 

ワークショップ等に参加している幼児や小学生にしても、

ちょっとうまくいかないことがあると「ママー」「せんせー」と助けを呼ぶところ

まではいいとしても、こちらが援助の手を差しのべたとたん、

「うまくいくかな?」「どうしよう?」「ちゃんとできたらいいな」と事の成り行きを

心配そうに……あるいは真剣に見守るのではなく、

その時点ですっかり他人事になって、気もそぞろに新しい何かを探索しはじめる

……という子があまりに多いのです。

 

子ども間のトラブルにしても、当人同士が、嫌な気分を味わったり、

不満をぶつけあう時間もないままに、親なり園の先生なりが割って入って、

「~だよね。ごめんなさいって謝ろう」と、それぞれの子がどういう感情を抱いて、

どういう行動を取ればいいのか示唆してしまうので、そこでも、

主役も、問題に遭遇したのも、現場で困ったのも子ども本人ではあるけれど、

あくまでそれは身体としてのその子で、問題にぶつかった時点からの感情と思考は、

大人にバトンタッチ。

心と頭は大人の担当という流れができています。

とにかく忙しい現代。子どもの感情が興奮してから鎮まるまで待っていられないし、

子どもの考えが自己中心的なものから、より大きな視野で考えられるまで

紆余曲折して成長する時間を考慮していられないのです。

そもそも、問題に遭遇するまでしていた活動が、問題を乗り越えても

やりたいほど『したい』ことだったのかあいまいでもあるのでしょう。

子どもが自分のやりたいことを見つけるまで……

また、やってみたいという気持ちに火がつくまで、

ゆったりとした時間があるほうがめずらしいでしょうから。

 

感情と思考を抜きにした体験から、動物のように、皮膚感覚だけで、

「あれは嫌」「あの子は嫌」「取られたら嫌」といった反射的な反応を

身につけるものの、

日々の体験が、自分なりの価値観を育むものになっていない、ということは、

多かれ少なかれ、どの子にも起こっているのです。

 

だとすると、Bくんのお母さんは、現在の子育ての落とし穴にはまって、

今の時代が抱える問題を悩んでいると言えるのかもしれません。

 

小学校高学年や中学生の子をお持ちの親御さんや小学校で教員をしておられる方から、

「現在、非常に困っている解決しにくい問題」というのをうかがうと、

一つひとつの内容は千差万別でも、

問題の根っこの部分はとても似通っている印象を受けます。

 

解決しにくい理由を探っていくと、必ずといっていいほど、

「ネガティブな気持ちになる何かに遭遇した時点から、

感情と思考は、大人にバトンタッチ」という子どもの態度に行きつくのです。

 

大人にバトンタッチできない場面では、

気持ちをフリーズさせるか、ごまかすか、まぎらわせるか、

なかったことにして忘れるか、

気分を手っ取り早く変化させるために誰かを傷つけたり、マンガやゲームに

頼ったりするかして、感情と思考のスイッチを切っているようです。

 

同じ根っこを持つ「現在、非常に困っている解決しにくい問題」と思われるものに

こんなものがあります。

 

先日、小学校で教員をしている方から、

小学4年生くらいまでテストで80点や90点を取っていたのに、

5年生になったとたん10点とか20点といったびっくりするような点数を取る子らが

増えていて、対応に追われているという話を耳にしました。

 

一方、高学年の子をお持ちの親御さんから、

「授業の確認テストや小テストはよくできているのに、学期末等にある総合的な

テストになると、ほとんど解けておらず、さっぱりわかっていないようです」

「学校の宿題がわからないと騒ぐので、塾に行かせてみたら、塾の宿題もわからないを

連発するので、個別に切り替えたものの、プラスになっているのかどうか……

これからが心配です」という相談をいただくこともよくあります。

 

そこで、「どんなところにつまずいているのか」と問題を解かせてみると、

多くの子が、とてもよく似た「できない理由」でつまずいているのが見えてきました。

 

問われている内容が、わからないわけではないのです。

解くのに必要な知識はちゃんと記憶しています。

 

 でも、5年生になると、「理解はできる」「解き方は知っている」というものが、

二つ三つ、合わさって問われるようになるのです。

 

つまり、Aという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていかなくてはならないのです。

そういう問題は、最初にパッと見た目で正解がひらめいて解けることはなく、

解いている最中に、自分で解決できるレベルで、ちょっとの間、考え込まなくては

ならないところがあります。

 

感情の面で、「できるかできないか不安」という数分をこらえなくてはならないし、

思考の面で、前にやったものをそのまま記憶からコピーするように解くのではなく、

「前にやったことがあるものを自分なりにアレンジしなおして、自分の頭の中で

練ってみる」という作業をしなくてはならないのです。

 

でも、4年生くらいまでの学習では満点近い点を取っていたという子の

ほとんどが、どちらも未経験で、

「難しそうだけど、考えればできそう」という部分にさしかかると、

心と頭のスイッチを切ってしまうので、

自分を励まして何とかやり抜こうという意欲も、考える努力も見られないまま、「できない」と放棄してしまうのです。

 

このAという「できるし知っている」部分と

Bという「できるし知っている」部分と

Cという「できるし知っている」部分を、

自分で組み合わせて解いていく力って、どんな時に身に付くのでしょう。

 

以前なら、子ども同士、大人がいない空間で遊ぶ時間に育まれていった

ものなのかもしれません。

小さいトラブルがある度に、大人が飛んできて、大人の流儀で解決するのではなく、

子どもたちの知恵の範囲で、あれこれ考えて

解決を図るでしょうから。

 

ただですら、子ども同士で群れて遊ぶ機会が減っている現在。

大人の関わりのあり方が問われているのかもしれません。

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ(続きの続き)

2019-02-19 10:08:41 | 日々思うこと 雑感

先の記事で取り上げた「何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な

小学生の男の子」についてもう少し。

 

この男の子は、嫌なことは先延しするタイプで、

日々の宿題も「あとで、あとで」となかなか手をつけないものの、

さぼるわけではなく、成績は良い子です。

温和で明るい性格で、遊び友だちには不自由していません。

 

そう書くと、

「小学生の男の子なんて、几帳面な方がめずらしい。持ち物の管理のいい加減さ

くらいで深刻に悩むなんて親御さんの気にしすぎではないか?」と感じた方が

いらっしゃるかもしれません。

確かに、文面上の相談コーナーなら、「気にしすぎ、神経質すぎ、個性!個性!」

「お母さんはお子さんをもっと大らかに見守って!」と

軽い叱責に加えて、励ましのエールを送れば一件落着となるケースなのかも

しれません。

 

でも、どうなのでしょう?

長期間、悩みが続いているからには、

言語化して相談できる内容が本当に困っていることであるほうがまれで、

その水面下には、もやもやと言葉にすることも気づくのも難しい、

漠然とした『不安のもと』が横たわっているのではないでしょうか?

 

ユースホステルのレッスンで、この男の子とさまざまな活動をともにした時、

ところどころで、親御さんの『不安のもと』を垣間見た思いがしました。

また、ぼんやりながら『解決の糸口』をつかめた気もしました。

 

ユースホステル2日目の朝食後の学習タイムでの出来事。

Aくん、Bくん(この男の子)、Cくんの男の子3人が、

「勉強、いやだ~!」「勉強したくな~い!」「いやだ~!」とおふざけモードで

主張しながら部屋に入ってきました。

 

チェックアウト前で散らかしたくないこともあって、

「勉強、いやだ~!」の3トリオからヒントを得て、

会話主体の学習をすることにしました。

 一人ひとり「好きなこと」や「嫌いなこと」や「いつもよくする遊び」

「家でどんなことをして過ごしているか」「趣味は何か」「何でもいいから言いたい

こと」などを言い、それに対して当人とみんなで、

「どうして好き(嫌い)なのか」「どんなところが好き(嫌い)なのか」

「よくそれをする理由は何なのか」「その魅力はどこにあると思うか」

「最も嫌な部分はどこか」「それはどんな価値を生み出すと思うか」といった意見を

出し合うのです。

 

簡単に何をするのか説明したあとで、Aくん、Bくん、Cくんの3人に、

「3人は、勉強が嫌いなの?」とたずねました。

「まぁ、嫌いっていうか、あぁ、嫌い嫌い。もう夏休みの宿題をやったのに、勉強だから

嫌なんだよ」とAくん。「そうそう」とうなずくBくん、Cくん。

それぞれに話を聞くと、勉強そのものが嫌いなのではなくて、

何をどれくらいしたらいいかがあいまいで、遊んでいる時も、あとでしようと

先送りした勉強が待っていると思うと憂鬱な気分になるようです。

 

そうした話し合いの最中に、「勉強したくない、勉強は嫌」チームで、

「勉強のどんなところが嫌なのか」という理由を説明するはずだったBくんが、

「だったら、ぼく勉強嫌じゃなーい」と言い出しました。

 

「Bくん、勉強が嫌じゃないんじゃなくって、説明するのが嫌なんじゃないの?

じゃあ、理由を説明するのが嫌だチームに入って、

説明するののどんなところが嫌なのか、説明してよ」と冗談交じりに問うと、

身体をくねくねさせて苦笑いをしていました。

 

Bくんは、その後、ほかの子らが「わたしたちは、お化け屋敷を作って遊ぶのが好き」

「どうして好きかというと、ほかの人がびっくりしたりして、つまらなかった気分が

面白い気持ちに変わるから」とか、「趣味は、読書」「よく読む本は冒険もの」

「スリルがあって、ドキドキするところが好き」「冒険ものの本の魅力って何だと

思う?」「次にどうなるのかなって思うと面白い。ハリーポッターを読んだ時も、

1回目はどうなるんだろうってすごく面白かった。」

「じゃあ、2回目に読む時はどう?次にどうなるかなってドキドキする?」

「しなーい。でも、留守番とかしていて、暇な時に2回目読む」といった意見を交わして

いる間、どの意見に賛成するでも反対するでもなく、意見を求められることなく、

「そうそうそう!」と同調すればいい場面でだけ、笑いながらうなずいていました。

 

Bくんが、理由を問われそうになると自分の意見を変えること、

それも声高に大騒ぎして、主張していた意見と正反対の意見に流れる姿は、

これまでもたびたび目にしたことがありました。

 

また、ゲームで相手にズルをされるなど、

明らかに自分が不利な立場におかれていても、

騒ぎながらじゃれるように揉めることはあっても、

いざ、どんなことがあったのか、なぜ揉めているのか説明を求めると、

「あの子がこんなことしたんだよ」とか「ぼくは悪くない」と訴えることもなく、

いつも、「もう、いいや」「いい、いい、いい、負けでいい」とお茶を濁すのも

気になっていました。

 

ユースホステルでのレッスンでも、1日目の晩にこんなことがありました。

2段ベッドの取り合いでケンカしている子がいると聞いて、

男の子たちの部屋に向かうと、AくんとBくんが、下の段のベッドに寝転がって

押しあっていました。

揉めているというより、じゃれあって遊んでいるような雰囲気です。

とはいえ、Bくんにはかなり不満もあるようで、顔をゆがめて、こちらに何とか

してもらいそうな目を向けていました。

 

バラバラに断片的に告げる説明をつなげると、こんな話が見えてきました。

最初、二人とも2段ベッドの上の段で寝たかったようです。

そこで、上の段で寝る権利を取り合って

『STRATEGO』というゲームで真剣勝負をしたのだとか。

勝利者はAくん。

 

ややこしいのは、勝負で上の段に寝る権利を得たAくんが上段に寝転がってみると、

そこはファンの向きの関係上、クーラーの効きが悪い場所だったので、

「やっぱり、ぼくは下の段がいい」と言い出したのだとか。

すると、それまでは「上の段で寝たい」と言っていたBくんも、

「ぼくも下の段がいいし、ぼくのところだ」と主張したそう。

その挙句、Aくん、Bくんのふたりが下の段のベッドで、おしくらまんじゅうを

していたというわけです。

 

状況をはっきりさせてから、どうすればいいと思うか、

当人らや部屋の他のメンバーに意見を求めると、

「はいはい、わかりました。ぼくが諦めますよ」と言いながら、

Aくんが上段のベッドへ去りました。

 

AくんとBくんは仲良しで、Aくんは気の荒い子ではありません。

本来ならBくんはもっと事の理不尽さを訴えてもいい立場のはず……。

でも、こうしたやり取りの間、Bくんは、

「えぇー、えぇー、いやだなぁー」と言いながら、ベッドを占領する以外、

周囲に説明してもらうまで、自分の不利さや不満を口にしませんでした。

 

Bくんは算数の文章題や国語の読解問題が苦手ではなく、

言葉を理解したり、言葉で考えたりするのは得意なタイプ。

また、茶目っ気のある快活な性質で、引っ込み思案や対人恐怖のために

自分が出せないわけでもありません。

それなのに、どうも腑に落ちないBくんの言動は、

Bくんだけに限らず、最近の子に非常によく見られる姿なので、

心に引っかかりました。

 

先に書いた朝の学習タイムで、こんな一コマがありました。

Bくんは、「いつも家で何をして過ごしているのか」の質問に、

「楽しいこと」と答え、その後の話しあいの中で、寝る前に宿題をするまで、

嫌なことはひとつもなくて、楽しいことをしていて、その間ずっと楽しい気分だ、

と説明しました。

 

Bくんのお母さんから、Bくんが毎日のルーティーンワークである

「玄関先の決まった場所に、学校に必要なものをかけておく」というルールを守らない

こと等で、何年越しに悩み、イライラし、手を変え品を変えしてしつけを試み、

のれんに腕押し状態が続いてがっくりしてきたか、それによってどれほど先々の

不安まで覚えているかを耳にしていたわたしは、Bくんにちょっといじわるな質問を

しました。

 

「Bくん、Bくんは、学校から家に帰ったら、自分の好きな楽しいことをやって、

どんどんどんどん全部、楽しいことだけ続けていって、ずっと楽しい気分で、

最後に宿題をやる時だけ嫌な気持ちって言ってたわよね。」

「うん、そう」

「それがね、Bくんのお母さんからは、Bくんがそうやって、全部楽しくって

しょうがないって時間に、Bくんが帽子をちょっとかけておくとか、体操服を出して

おくとか、ちょっと面倒で嫌だなって思うことをやらないから、イライラしたり、

がっくりしたり、悩んだりしているって聞いているのよ。

 

ということは、Bくんが、その時間、その時間、100パーセント楽しいことだけ

しようと思わないで、ちょっとは楽しくないことも、やるべきことはしなくちゃなって

思わないから、そうなっているんじゃないの?

第一、Bくんは、自分がすごく楽しくってしょうがなくて、もっと楽しいことを

しようって思っている時に、横でお母さんがイライラしていても、

楽しい気持ちのままなの?それはOK?」

そうした問いは尋問するようにかけているわけではなく、

面白い雑談をする雰囲気でしているのですが、Bくんは、責め立てられでもしている

ように困惑しきっていました。

その一方で、話の内容を自分のこととして受け止めて、

考えている様子はありませんでした。

この質問はBくんに間違いを悟らせて、態度を改めさせるためにしたのではありません。

言い訳でも、愚痴でも、「そうだな」と納得するだけでも、

「どうして先生にそんなこと言われるの?」と反抗するのでもいいから、

Bくんの考えを聞きたかったからです。


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ (続き)

2019-02-18 14:25:10 | 日々思うこと 雑感

日常の基本的なことを身につけるのに、一般的な子の何倍も何十倍もかかる子がいます。

何度も何度も口を酸っぱくして注意しても、

いっこうにきちんとするようにならない……という場合も、

「線」で対応するより、枠組みを作って「面」で対応した方がうまくいく時があります。

 

わたしが教室で、幼い子たちや発達に凹凸のある子たちに

新しいことを身につけさせるのに一番有効だと感じている方法は、

「何度失敗しても、初めて教えるかのように、気持ちよくお手本を見せてあげる」

ことです。

 

「また?」という表情をしたり、心の中でうんざりしたり、

「何回教えたら覚えるのか」と心配したりせずに、毎回、同じように対応するのです。

すると、いつの間にか、ちゃんとできるようになっています。

 

でも、わが子に向かって、そうも気長に接するのは難しいし、

親子間の甘えもありますから、毎回、見本を見せているつもりが

「お母さんがしてくれるならやってもらおう」とか

「叱られないなら、やらなくていいや」という依存につながることもあります。

ですから、ある程度、限度や段階を設定して枠を作っておいて、

その上で、多少の停滞や後退を気にせずに、子どもを見守るのがいいのかもしれません。

 

例えば、宿題を終えた後、机の上に出しっぱなしで

宿題忘れが続いているから、宿題が終わったらランドセルに入れるよう

繰り返し注意をしているとします。

「線」で対応していると、

「何度か机に忘れている宿題を見て、厳しく叱ったものの、翌日も机に出しっぱなし。

注意するとしばらくは片付けているけれど、気づけば元の木阿弥。

カミナリを落としてもダメ、チクチク嫌味を言ってもダメ、

失敗するまで放っておいてもダメ、褒めておだててもダメ、

何百回も注意してきた気がするが、いっこうに直す気配がないから、

きっと後何百回も注意しても直らないにちがいない……」という具合に、

親の対策も思考も袋小路に迷い込みがちです。

 

そこで、先の記事同様、いったん「線」で考えるのをやめて、

ざっくりと枠を作ってみることにします。

 

基本的なことがなかなか身につかないのには、

ADHDやADDのような脳の特性や、

おっとりした性質、あまり親の言うことを聞く気がない自己中心な性格、不器用、

完璧主義すぎて柔軟性がなく新しく教えることを受け入れない……など

さまざまな理由があることと思います。

 

枠のサイズを決めるために、理由と思われることや

新しいことを身につけるのに、一般的な子の何倍くらい時間がかかるかなどを、

参考にします。

 

「もし一般的な子に3回言えばすむことが、

その子には30回は言わなければならない」と思ったなら、

覚悟を決めて、

「30回、正確にカウントし終えるまでは、

頭ごなしに叱ったり、愚痴を言い続けたり、子どもの態度に絶望したりするのは

なし」というルールを自分に課して、

30回は気楽な気持ちで、初めて教えるかのように教えて、子どもを支援します。

途中で「このまま、永遠にこの子はできるようにならないのではないか」と心配に

なったら、「そういう心配は、30回、教えたあとでいい」と自分に言い聞かせる

ようにします。

 

子どもはがんばってもできないことで叱られ続けると、

自分はダメな子だと自己肯定感を下げるだけで、いっこうにやる気にならないものです。

でも、そうした一定の猶予期間があると、

何度か「また、やっちゃった」という経験をしながら、

次には少しだけ気をつけるようになっていくものです。

親が自分の問題のように心配し、感情的になって、将来まで悲観していると、

自分の欠点を見つめるのも怖くなって、

やらなくてはならないことから目を逸らして、

困った事態に陥っては叱られるというお決まりのパターンに、

甘んじるようになっていきます。

でも、親が、一定期間、自分の不安な感情に飲み込まれないようにして

子どもに手を差し伸べていると、子どもはそれを乗り越えなくてはならない

自分の問題として捉えるようになるし、ゆっくりと義務感や責任感が芽生えていきます。

 

とはいえ、どんなにすばらしい手を講じても、親と子どもは別の人間ですから、

得意不得意も大いに違って、どうやっても親が満足するほどできるようにならない、

というものもあるはずです。

 

そんな時は、「子どもが将来、自分で付き合っていく短所であって、解決するなり、

そうした欠点を持ちつつ自分の長所を育みながら生活するなり、それはそれとして

子どもに預けよ。」という心の柔らかさも必要なのかもしれません。

 

うちの子の困った習慣がなかなか直らない時や、受験期に机に座る気配がない時に

こうした方法で、あらかじめその子の性質や得意不得意から

どのくらいの時間をかけたらできるようになりそうか考えた上で、

「10回は教えるまでは、あれこれ思い悩まずにただ教えよう」と決めて接すると、

こんな発見がありました。

だいたい4回目あたりで、「もう何十回も注意しているのに、いっこうに直らない……」

という気分になってくるんですよ。

ネガティブな事柄に心はオーバーに反応するようです。

そこで、わたしがネガティブな気持ちに流されてしまうと、子どもにしても、

「どうせ自分は何度やってもダメなんだ」と取り組むことを放棄して

しまうのでしょうね。

でも、「10回までは、あれこれ考えない……と決めたんだから、

もう少し辛抱しよう」と思いなおすと、

今度は、6回目あたりで、たった10回の約束事が面倒になって忘れてしまいそうな

自分の姿にぶつかります。

他人にはちゃんとして欲しいと願うけれど、自分がちゃんとするのは難しいものですね。

 

前回書いたようなアイデアは、

「問題があるから悩み、悩むからさらに問題を悪化させてしまう」悪循環から

抜け出すのには役立ちます。

 

でも、『悩み』って、悩んでいた事柄がなくなれば解決するほど

簡単なものではないのかもしれません。

悩みの根っこにあるものをよく見極めたり、

背後に隠れている本当の意味を探ったりしないと、

一つの問題を解決しても、新しい悩みが次々と浮上してくることは

よくあるのです。

 

教室やユースホステル等で親御さんたちの相談に耳を傾けていると、

「これから初めての子育て」「まさしく子育てまっただ中」という方の悩みと、

「子育てに慣れてはきた」「子育てに少し余裕がある」という方の悩みは、

相談内容こそ同じでも、その根っこや背後にあるものは

ずいぶん異なるのかも……と感じます。

 

「これから……」とか「……まっただ中」という方にとって、子どもについての悩みは、

たいていが、他者との関係の中で生じるし、外からもたらされるもののようです。

 

でも、「……慣れてきた」「……余裕がある」という方にとって、悩みの多くは、

自分自身との関係の中にあるのかもしれません。

もやもやと悩み続けている事柄が、子どもの発達上の問題であるか、

子どもの言動や生活習慣であるか、子どもの友達関係や将来のことであるか、

といった違いに関係なく、悩みの糸をたぐっていくと、行きつくところは、

「自分自身の未来のビジョンや自己実現とどう向き合うか」という思いに

ぶつかるようです。

自己実現とは、自己の素質や能力などを発展させ、より完全な自己を実現して

ゆくことです。

 

若い頃、読んだ本で、「問題」とは、変化(成長)しないように自分をとどめておく

手段か、何か得るための計画だ、という言葉を目にしたことがあります。

「わたしたちは過去のお荷物や傷を背負って生きており、

それらはすべて問題という形に変装して、現在に現れ、癒されようとする。

現在起きている問題はすべて、過去の解決していない問題の複合物といえる。」といった

内容だったと思います。

 

この数年、子育て中の主婦同士で、子育ての悩みを共有しあう機会が

よくあるのですが、

日常は自分自身も触れない深い思いまで、時間の許す限り話し合うにつれ、

わたし自身の問題もですが、

それぞれの方が悩んでいたはずの「問題」が、

現在を癒し、より自分にとってしっくりくる未来を作っているんだな、と

実感することが多々あります。


子育ての迷いや悩みから抜け出すためのあれこれ (はじめに)

2019-02-17 21:13:19 | 日々思うこと 雑感

子育ての迷いや悩みが答えを出せないまま堂々巡りし続けているとき、

ちょっとした枠組みを作ってみることで、解決しやすくなることがあります。

 

悩んでいるときというのは、

心が気にかけている「そのこと」に一点集中していますから、

一つの明快な答えを求めて真っすぐ真っすぐ、悩みを追いかけているものです。

でも、子育ての悩みって、機械ではない人間相手の困りごとですから、

「線」で対応するより、最初からズレやブレを想定した枠で囲った「面」で

対応したほうがうまくいきやすいのです。

 

たとえば、子どもが何をするのも、「ママ、やって!」と頼り気味で、

ぐずぐずだらだらして覇気がないことを悩んでいるとします。

「線」悩んでいると、注意してもダメ、叱ると泣いて余計にぐずぐずする、

褒めておだてても依存するばかり……もっと構ってあげればいいのか、

もっと厳しくすればいいのか、これまでの対応がまずかったのか、

迷いと悩みは深まるにつれて、親ががんばればがんばるほど、子どものダメなところが

目についてくる……ということが起こりがちです。

 

そこで、いったん「線」で考えるのをやめて、

ざっくりと枠を作ってみることにします。

 

 枠のサイズを決めるのに、数ヶ月前までの過去を振り返って参考にします。

すると、「弟や妹ができた」とか「家族が入院した」とか「引っ越しした」

「保育園に行き始めた」「クラス替えがあって担任が変わった」

「父母が言い争うことが多かった」など、

子どもにとったら衝撃的で不安でたまらなくなるような出来事が

思い当たることがあります。

 

小学生でしたら、「クラスの仲良しグループに入れてもらえない」

「勉強がさっぱりわからなくなってきた」

「厳しい担任になって、他の子が怒鳴られている時もビクビクしている」といった、

親には見えにくい学校内での変化に伴う戸惑いもあるはずです。

 

子どもにしたら手に余るような事態だったはずなのに、

どうしていたかな……と思いを巡らすと、

「ちょっとおとなしいな」「下の子をかわいがっているな」

「ボーッとしていることが多いな」くらいで過ごしていたことに、

気づくかもしれません。

 

そんな場合、遅ればせながら、

「これからしばらくは覇気のないだらだらぐずぐずする時期」が続いて、

 「出来事を受け入れる元気が出てくるころから

泣いたりわがままを言ったり、赤ちゃん返りをしたりして、周囲を困らせる時期」が

くるだろう。

 「子どもの精神的な成長に関わる」のはそれからでいい……

 と、時間軸をざっくり区切っておくと、成長を支えやすいです。

 

というのも、そんなふうに生活が変化したり、普段通りでない出来事に遭遇したあとは、

大人も知らず知らず不安を抱えがちなので、子どものダメな部分が目につきやすい

ものなのです。

そのせいで、近視眼的になったり、感情的になったりりして、

子どもの不安をあおって、困った行動を誘発したら、元も子もありませんよね。

 

「ちょっと気になる」程度の成長の遅れを

子どもの将来を悲観するほどオーバーに悩むこともあります。

他の子のようにできないことがあると、それがちょっとしたことでも、

子どもは子どもでジレンマを抱えたり、不安を覚えたりしているものです。

つまり、心にかかった負荷を消化するそれなりの時間が必要なのです。

そうでないと、がんばる気持ちにスイッチが入らないですから。

子どもは感情を持たない機械と違って、

いくら大人の気持ちが急いていて、今すぐにでも、子どもの遅れを埋める

あれやこれやの対策を打ちたいとあせってみても、

必要なものを飛ばせば、結果的には、ゆっくり対応した場合の何倍も時間がかかることに

なるかもしれません。

 

子どもがさまざまな現実を受け入れて乗り越えていくチャンスと時間を奪ってしまうと、

子どもとの関係がどんどんこじれてきて、

解決しようのないような問題に発展することもあります。

 

枠組みを作るということは、気になる問題を放置したり、

問題があるのに「ない」ものとして否認することではありません。

子どもは人間で、親も人間であることを前提にして、

子どもの側が自分の感情を封じたり無視したりしないように、

大人の側が自分の不安や恐れに基づいて、子どもに関わることがないように、

そのせいで問題をこじらせて悪循環に陥らないように、

ストッパーとして働くような枠を作っておくという生活の知恵のようなものです。

 

子どもの心が自ら成長しようとする自然なプロセスを大事にすると、

問題を安全にスムーズに解決していくことができますよ。

 

ユースホステルのレッスンで、

何度注意しても、学校の持ち物の管理がいい加減な小学生の男の子の

ことで悩んでいる方から相談を受けました。

(実はこの子は最近、ほぼ自分の力で難関中学に入学したそうです。

少し前に、お母さんといっしょに教室に遊びに来てくれたのですが、

しっかりした中学生に成長していました。)

 

「必要なものをかけておくだけでいいように環境を整え、

畳みかけるように言い聞かせ、

本人自身、管理がいい加減だったため何度も痛い目にあっているというのに

直す気配がない。

反省の色もうかがえない。

どうしたものか。

放っておいたら自然にできるようになるようなら、見守りたいものだけど、

そう甘くはいかないのは承知している。

子どもの良い面は十分理解しているし、認めてもいる。

こんなふうに子どもの問題ばかり気にかけているのはどうかと思うし、

自分で自分のしていることにうんざりしてしまうけど、注意せざるえないし、

気にせずにはいられない」というお話でした。

 

ADHD,ADD気味のうちの家族の姿を思うと、大いに耳が痛い内容。

 

「注意欠如の特性は、本当にあなどれないから

意志の力と努力で簡単に克服できるわけでないし……」と思いつつ、

こんな話をしました。(いくつかの会話をまとめています)

 

「わたしも今だに物忘れやミスがひどいですから、

そんな親に育てられているうちの子たちは遺伝もあるから、

Aくん(相談者の息子くん)と同じように生活のごく基本的なことが呆れるほど

何度言ってもできるようにならない……というところがありました。

 今も一般的な基準からすると、ダメな面がずいぶん多いはずですけど、

欠点を持ちつつ、仕事先で大事な役を任されたり、友だちと創造的な活動をする

よい関係を作りあげたりして、それなりに何とかやっています。

 

二人とも自分の欠点への向き合い方とか失敗の受け止め方とか

自分に合う場を見つけるのが上手いな、と思います。

自分に合う場がなければ自分で作ってしまおう……というところすらあります。

 

わたしが娘や息子の年齢だった頃と比べると、わたしの場合、失敗すると

自分はダメだ……ダメだ……と自虐モードに入って、起こった事実を正確に把握する

勇気が持てないために、何度も同じ失敗を繰り返すことがあったけれど、

うちの子たちは、失敗が続いたからといって自分たちを欠陥商品だと思わないし、

素直に自分の失敗を見つめて、それを言葉にしながら

悩んだり反省したりすることができる点が頼もしいなと思います。

それができるからこそ次の対策を練ったり、解決を図ったりすることに

つながっているのもわかります。

 

ですから、何でもきちんとこなせるテキパキとした子に育て上げる方法は

何も言えませんが、反省していないように見える状態から、

現実に起こることを自分の問題として責任を持って引きうけていけるように

後押しする方法ならいくつかアドバイスできるかもしれません。

 


遊びと学びの中間ゾーン

2019-02-17 17:56:35 | 工作 ワークショップ

工作はただ工作するだけでも、

巧緻性や創造力や芸術的な感性を高めてくれる楽しい活動です。

でもそれではちょっともったいないな~と感じるのです。

工作活動を支援する大人がほんの少し工夫するだけで工作は小学校に上ってからの

さまざまな分野の学力の基盤を作ってくれるものだからです。

そのためにはどんな工夫をすればよいのか、私が気にかけている点を書いてみます。

工作教室やアトリエに通っていると、「もう工作はしたから十分」と大人は思って

しまいがちです。けれどもそうした創作活動だけを主とした場とは別に

工作と勉強の中間ゾーンを意識した活動時間も持っていただきたいのです。

工作中、どんなことに気をつけると学力につながるのか……というと、まずひとつは、


★「見積もる力をつける」ということです。

見積もる力は、大人の指示に従いながら、集団で同じものを作っているうちはなかなか

身につきません。どんな簡単なものでもいいから、自分で作りたいものがあって

試行錯誤するとこうした力はアップします。

たとえば、四角形の周りの長さが20センチ、縦の長さが4センチの長方形の面積を

求める問題を見積もる力は、箱やひもを使って工作しているときに、

材料が足りなかったり、思うように作れなかったりする経験の積み重ねから生まれます。

準備しすぎず、完璧を目指しすぎず、教えすぎないことが工作を学力に結び付けます。

もうひとつ。

★ 道具の使い方を教えることも大事。

それも完成した道具よりも、ひもとプッシュピンと鉛筆をつないだコンパスとか、

お皿を使った円の描き方とか……が最適です。

なぜかというと、そうした原始的な道具は、辺や中心点の意味をそのまま子どもに

悟らせることができるからです。

また、ものさしの目盛りの読み方や、はかりや分度器の使い方をマスターさせると

理科でも算数でも役立ちます。

教え込むのでなくて、ゆっくり子どものペースでマスターさせていきます。

★ 動きを加えて、理科の知識を増やし、工作道具で遊ぶことが、実験の結果を

理解することにつながるようにする。

★ さまざまな角度からのものの見え方に興味がわくように工作する。

★ 手を使ったさまざまな作業を正確にマスターさせる。

★ 素材について学ばせる

★ 積み木やブロックなどシンプルなもので、頭を使う。

デュプロブロックとレゴの小さなパーツのブロックでは、デュプロの方が見積もる力を

育ててくれる一面があります(本格的なレゴ作品は別)。

パーツの形が決まっているので、計算しながら組み立てないと、

形が作れないからです。

どんどん複雑に、難しいものを・・・と親心でおもちゃのレベルを上げることは、

学力につなげるという点からいうとあまりよくないように思います。

 

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先の記事と重なる部分が多いのですが、遊びと学びの中間ゾーンを意識した活動の様子を

いくつか紹介しますね。

 

小学生の女の子ふたりの『お祭りの屋台ごっこ』です。

「分類する」作業が遊びに含まれていると、

楽しさが増すし、遊びの世界が広がります。

カラフルなおはじきやビー玉を色分けしては、キャンディー屋さん、ジュース作り、

魚の配達などをして遊んでいます。

  

水風船を膨らませて、ヨーヨー釣りを作りました。

 

「ろ過する」作業を喫茶店遊びに入れています。

  

屋台で売る小物として指輪を作っていました。

「折り紙を半分に折り、もう一度半分に折る」という作業で、

どの折り方が適切な細さになるのか考えました。

 

こんなシンプルな物作りでも、折った後の形を推理するようにしていると、

算数のセンスが身についていきます。

 

 

屋台とは関係がないかもしれませんが、

『ピッケのつくるえほん』というソフトで手作り絵本を作って、

販売するコーナーを作りました。

本作り、マンガ雑誌作り、新聞作り、詩集作り、写真集作りなども

遊びに取り入れると、遊びの質が上がります。

 

クレープ製造機。

 

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この日の午後に来た小1の男女のふたごちゃんと幼稚園の女の子のレッスンの様子です。

午前のレッスンの女の子たちが作っていた屋台用の遊び道具をもとにして、

自分たちが考えた遊びをいろいろと発展させていました。

 

色違いのスライム作り。

 

ヨーヨー釣り用の釣る道具は

ティッシュペーパーにモールの釣り針をつけて作ります。

簡単な工作だからこそ、物差しで測る作業や

「1㎝はどれくらいの長さか?」「10㎜は何㎝か」といったことに

気をつけて作ることができています。

 

濃度の異なる砂糖水を作って、二層ジュースを作っています。

 

水で膨らむジェルを使って遊ぶついでに試験管に入れて遊びました。

それぞれの数を描きだしたり、大きい球のときと小さな球のときでは、

どちらがたくさん入るのか推理したりしました。

  

「Aの5」「Fの6」など、座標を言って攻撃するバトルシップゲーム。

とても面白かったようです。

 

付録のおさるのてんびんばかりで遊びました。

付録で遊ぶときは、説明書が自分で読めるようになるようにサポートしています


デジタル顕微鏡を購入しました♪

2019-02-16 21:57:58 | 虹色教室の教具 おもちゃ

オリジナルプレパラート作りが流行中の教室。

幼い子もいっしょに拡大したものが見れるように

デジタル顕微鏡を購入しました。

画面の赤くて大きな塊は、「七味唐辛子」です。

 

<おまけ>

Aくんが、石の立体パズルをもってきてくれました。

地面にぶつけたら石がばらばらにくだけたそうです。

たまたまできた不思議なパズル。

Aくんの宝物です。


それぞれ作るものはこんなに違うけど、最初に見た見本は同じです♪

2019-02-16 08:55:10 | 工作 ワークショップ

4年生と5年生の子らのレッスンで、

「切り込みを一度入れてから折ると、こんなふうにさまざまな形が生まれるよ」

というお手本を、作っている過程を見せて示したところ……。

「面白そう!」と夢中になって見ていた子たちがそれぞれ作った作品は、

次の通り……!?

 

それぞれ自分の好きなものを作っているようで、お手本からアイデアを得たり、

お友だちの作ったものからひらめいたり、お互いに影響を与えあったりして

作っていました。どこが同じかわかりますか?

 

切り紙から小さな冠を作り、それをカチューシャにすることに。

 

滑り止めもつけました。

 

 

世界の切り紙。雪の結晶の形がきれいです。

 

 

分度器を使って、60度ずつ折ります。

最初は難しかったようですが、上手に作れるようになってから、

いくつも作ってモービルを作っていました。

オリジナルデザインのものも作って、お友だちに絶賛されていました。

 

 

アナと雪の女王に出てくる誰でしょう?

 

 

 

占いの棒と入れ物。

 

 

帽子(わたしのお手本の山を応用)と、

広げると自然にもどってくる(はずだった)棒2タイプ。

 

 

この日は、角度の問題をいろいろ解きました。

こんなふうに、折り紙に問題を作ったものもあります。

それぞれ作るものはこんなに違うけど、最初に見た見本は同じです 1

と同様の、切り込みを入れて組み立てる見本を見た小2の★くんと☆ちゃん。

二人はお手本のアイデアを生かして遊園地を作っていました。

 

切り込むだけでできる動く歩道。

 

クリップで上下するエレベーター。エレベーターは直方体のたれ入れの容器で

作っています。

 


遊び方から見えてくる子どもの資質、才能、学び方、伸ばし方 続き

2019-02-15 20:58:51 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

女の子たちは積み木を使って遊んでいました。

ひとりの子が作っていたのはお家。

家の間取り図のようにそれぞれの部屋の囲いを作って、ベッドやタンスを置いていきます。

あっという間にいくつも部屋を作り、迷う様子もなくそれぞれの部屋に合った家具を作っていた姿から、

次に何をするかイメージしたり、すばやく決断をくだしていくのが上手な子だと

思われました。

積み木では表現しにくいドアなどは、プレートのおもちゃを活用していました。

 

こうしたきびきびしたタイプの子には子ども部屋の改装を計画させるとか、

パーティーの企画をさせるとか、

休日の料理係に任命するとか、

現実の生活で自分で計画から実行まで全てを任せみて、

大人がサポート役に徹すると、

いきいきしてくるのかもしれないと感じました。

 

別の女の子は積み木を高く積み上げる形でお家を作っていました。

安定の悪い板状の積み木で作ろうとするので

何度も何度も崩れます。

でも何度失敗してもくじけずに

熱心に取り組んでいました。

崩れてしまうために大人の目から見て

評価できるような作品は残らないものの

そのねばり強さは、それだけで価値があるすばらしいものに感じられました。

この子は別の時間にビー玉転がしのおもちゃを組み立てていた際も

お友だちが自分の主張を聞き入れてくれなくて

お手伝いにまわる時間が長引いても、「こうしたい!」という最初の目標を投げださずに

最後まで熱心さを持続していました。

勉強の時間も、何度間違えてもくじけずに

積極的に参加していました。

時期尚早に、「正誤」や「点数」や「評価」でこうしたタイプの子の心を傷つけて、

よい資質をつぶしてしまわないように

気をつけないといけない、と思いました。

地味な作業にも長時間、熱意を失わずに挑戦し続けることができる力は、

いずれ頭脳パズルを解いたり、難しい算数の問題を考えたりすることにも役立つように

なるかもしれません。

あるがままの姿を認めていけば、

どんなに時間がかかっても、後は自分の力で目標を達成していくのでしょうね。

 

 ↑レッスンのために無償で貸していただいていた幼稚園のお部屋です。

園長先生が長年、科学者として第一線でお仕事しておられた方なので、

園内のあちこちに科学にまつわるクラフトが飾られています。

 

↑園庭も緑に覆われていて素敵です。あちらには蚊がいないのがありがたいです。

 

 

同じおもちゃで遊んでいても、子どもの遊び方は千差万別で、

遊び方を見ると、その子の資質や才能や学び方や能力の伸ばし方などが

見えてくる、という話の続きです。

 

写真の切り込みのあるプレートのおもちゃ。

こうした創作活動をうながすおもちゃで遊んでいる子を見ると、

大人はつい仕上がった作品の優劣にばかり目がいきがちです。

 

でもそれはあまりにも偏狭な見方のように思われます。

作品の出来不出来だけでは

子どもの本当の姿も才能も見えてきませんから。

 

たとえば、仕上がりとしては見栄えの悪いパッしないものを作っている子が、

いたとしますよね。手先が不器用なのか、やる気がないのか、

それ自体を評価する目で眺めるといい印象は受けないかもしれません。

 

でもそうした子に作品についての話を聞くと、

板にしか見えない面には、宇宙からの電波を受信して放映する液晶パネルが埋め込んであることになっていて、

その下にある空洞には朝と夜に別の機能で活用されるスペースであって、多くの専門家がそれぞれの持ち場で

仕事にいそしんでいるのだ、といきいきとした表情で説明してくれるようなことは

よくあるのです。

 

想像力の豊かさ、語彙の豊富さ、表現力といったものが、その子の資質なのでしょう。

子どものそうした資質に気づくには、子どものしていることに興味を抱いて、

子どもの話に耳を傾けるのが一番です。

 

 

 

物事をイメージする力にはいろんな種類がありますよね。

同じおもちゃで遊んでいても、イメージする能力の現れ方はさまざまです。

 

ひとりの子は空間認識能力が優れていると思われる子で、配色やバランスに気を配りながら、

見た目に美しい作品を作っていました。

どの部分が何で、どのように使いたいか、細かいところまで考えていました。

形をイメージするのが得意なんですね。

先に紹介したドールハウスに置く家具を次々イメージして作っていく子も

形をイメージすることと、自分の身のまわりに何があるのか具体的に思い浮かべることができるのでしょうし、

可動式の機械を作っていた子は、目的に合わせて何が必要なのかや動きをイメージするのが

上手なのでしょう。

 

レッスンに参加していた別の子(わたしがシアトルで滞在させていただいていたお家のお子さんでもあるのですが)は、

他の子らに働きかけて、ひとりでは作れないような大掛かりなものを作ろうとしたり、

映画のシナリオのように作ったものを使ってストーリー性のある遊びを展開しようとしていました。

とにかくエネルギッシュな子で、『小さなスピルバーグ監督』といった様子。

次々やってみたいことのアイデアが閃く回数も多ければ、それを実行に移すパワーもただものではなくて、

自分の思っていることを表現する能力もたいしたものでした。

 

でもそれだけに相手の子が乗り気でなくても、いっしょに大作を作るよう誘ったり、

休憩時間や終了時間がきてもパワフルに新しいことをやりたがって

周囲とは衝突が絶えませんでした。

そのため、どうしても大人たちから注意や叱責を受ける場面が多くなっていたのです。

 

でも、そうした注意や叱責が、この子の貪欲なほどに可能性を追求したり、

他の子らと協力しあって大きなことを成し遂げようとしたり、

多角的に多面的に考え、そうした考えを説得力のある言葉で周囲に伝えていこうとする態度自体を

弱めるようなことがあってはいけないな、とも感じていました。

 

今、その子の置かれた立場では、問題と映ることも、

他の子にはないすばらしい資質のあらわれでもあるからです。

行き過ぎや、他人への配慮は教えていかなければならないけれど、

同時に、凸凹も含めてその子らしさを認めて、大切にしてあげたいな、と思いました。

 


遊び方から見えてくる子どもの資質、才能、学び方、伸ばし方

2019-02-15 16:38:06 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

この夏、アメリカのシアトルで、私立幼稚園の教室をお借りして

工作と算数のレッスンをしました。

前回、アメリカでのレッスンに参加していただいた方の要望もあって、

今回は午前と午後それぞれ1クラス親子5組までの少人数で、ひとりひとりの子の個性にていねいにフォーカスする形で

レッスンをすることにしました。

 

(シアトルの私立小学校のバイリンガルクラスの先生からレッスンを依頼していただいていたものの、

スケジュールが合わずお断りすることになったのですが、

今回、来てもらった子の中にその学校の生徒さんがいてびっくりしました。)

 

同じおもちゃで遊んでいても、子どもの遊び方は千差万別です。

遊び方を見ると、その子の資質や才能や学び方や能力の伸ばし方などが

見えてきます。

 

それではわたしが遊び方のどのような点に注目して、気づいたことをどのように発展させているのか、

シアトルでのレッスン風景から具体的に説明させていただきますね。

 

レッスン中、組みあわせて遊ぶプレートと積み木、紙や空き箱で遊ぶ時間を設けました。

その場にいた6人の子どもたちは、

関心の向ける方向からアイデアの取り入れ方や広げ方、友だちとの協力の仕方、

問題の解決の仕方、集中の移り変わり、素材の活かし方、イメージの扱い方、どんなことに粘り強くあれるか、など

どれをとっても一人として同じ子はいませんでした。

 

たとえば、写真にあるプレートは、切り込み同士を差し込んで作品を作っていくおもちゃなのですが、

ひとりの男の子は、わざわざ切り込みのない面にプレートを差していました。

この子は他の子らが切り込みと切り込みを合わせてものを作る様子を

じっくり眺めていたので、このプレートの基本の扱い方については十分承知していたようでした。

眺めていた分、他の子らより出遅れていたのですが、

作りはじめたものは、他の誰の発想からもかけ離れたもので、おそらくこのプレートのおもちゃの

従来の遊び方を超えたものでした。

 

何を作っているのかたずねると、「こうして後ろに倒したり、前に倒したりして、ミサイルを打つんだよ」

と答えてから、

可動式にするために工夫したことを説明しはじめました。

見ると、別の作品も、見た目は地味だけれど、動く過程をイメージしながら

作られていました。

作品についてさまざまな質問を投げかけると、

どんな理由で、どのような目的で作ったのか

くわしく的確に答えることができていたことから、できあがり作品はいたってシンプルだけれど

この子が非常によく考えながら作っているのが

わかりました。

 

この子は算数の文章題を学ぶ時間も、他の子の答える様子を黙って眺めていましたが、

自分の番になると、他の子の答えに引きずられず、

他の子らの試行錯誤の結果から、自分の考えをじっくり練っていって

正しい答えを導きだしていました。

 

子どもがぼんやりと他の子の様子を眺めたまま

なかなか作業に入ろうとしないとやきもきしてしまいますよね。

 

でもそうした観察する時間が長い子のなかには、

頭の中で試行錯誤を繰り返したり、

よりよいアイデアを探求したりしている子もいるのです。

 

子どもの個性はそれぞれ面白いですね。