虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもは自分から発信したことを熱心に探求していく 1

2019-05-17 08:12:56 | 3、4歳児

子どもって、どんなにおもしろそうな企画を準備しようと、どれほどすばらしい環境を

整えようと、自分発信で始めたものほど夢中にはならないものです。

それがどんなにささいなことでも、「えっ、それ?」と驚くようなものでも、

自分のアンテナに引っかかって、自分から外に発信したものに

最大の探求心を示します。

じっくり言葉を選んで考えていく姿があるし、

大人の話にもきちんと耳を傾けます。

そんな子どもたちの姿を

3歳6ヶ月のAくん、4歳0ヶ月のBちゃん、4歳1ヶ月のCちゃんのレッスンの様子から

お伝えしますね。

この日はレッスンの時間が午前から午後に切り替わった日で、

お家にいればおやつを食べている時間に教室に着きました。

そのためこれまでならレッスンの合間の休憩時間にたまにおやつを食べる程度のAくんが、

教室に着くなりおやつをほしがり、ラムネを手にして

ただぼんやりとおもちゃをいじって過ごしていました。

 

Aくんがギューッとにぎりしめている小さいラムネの袋を見て、

「今、このラムネはAくんにとって大事なものなんだろうな」と思ったので、

「お菓子はおしまい」と言って取り上げるかわりに、

「Aくん、てんびん作ってラムネをいれてみる?こっちが重いかな?あっちが重いかな?って」

とたずねました。するとAくんはお姉ちゃんの影響か「てんびん」を見たことがあるらしく

急に瞳をきらっとさせてうなずきました。

そこで紙コップに取っ手をつけて、「これを割りばしにひもでつらそうか?」と

たずねました。

するとAくんは、紙コップの取っ手をそのまま割りばしにかけて、

「ここのテープを貼るんだよ」と言いました。

思いもよらなかった斬新なアイデアにびっくり!

正確に量れるとはいえないけど、

これでも物を入れたらきっと傾くはず。

Aくんは自分で割りばしの両端に紙コップをかけてテープで貼りました。

棒の真ん中にひもをテープでつけてあげると、

さっそくAくんは真剣な表情でラムネを一方のコップに入れました。

すると、ひとつぶのラムネでちゃんと一方が下がりました。

Aくんは大はしゃぎ!

全身で喜びを表現していました。

反対のコップにラムネを入れると釣り合い、もうひとつそちらに入れると

今度は入れた側が下がりました。

Cちゃんも興味しんしんでお手伝い。

Aくんは自分の持ってきたラムネでてんびんが動いていることと

自分の考えた直接棒に取っ手をかける方法がうまくいったのが

とにかくうれしくてたまらないようで、

急に工作に積極的になりました。

紙コップにストローを貼って

水が通るところを作ったと説明しました。

そこで、穴をあけたコップをつないで

一方のコップに水を入れると、もうひとつのコップに水がたまっていくようにしました。

すると、何度も水を入れて熱心に観察してから、

「ここに入れたお水が、このストローをツーッといって、

それからこっちからお水がでてくるんだよ。」と

自信満々に説明していました。

(この1分工作の作り方、近いうちに写真に撮って紹介しますね。)

その後、Aくんは算数道具の棚から量りを取ってきて、

いろいろなものを乗せては、針がどううごくか観察していました。

 

この日、Cちゃんは何かの付録なのか紙でできた「ひみつのここたまのお家」を教室に

持ってきて他の子らに見せてあげていました。

Cちゃんがそれは一生懸命みんなに見せていたので、

そのお家の形を観察することをこの日の工作のテーマにしました。

「今日は、おうちの形の作り方を習うよ。

先生の説明を聞いて、同じようにできるかな?」と言うと、

「はい!」「はい!」とみんな大はりきり。

Bちゃんはお手本を見ていて、きちんと再現していました。

 

自分の持ってきた「秘密のここたま」のお家をみんなが作っている状況がうれしくて

たまらないCちゃんは、

「わたしの住んでいるマンションみたいに高い高いお家にしたい」と言いました。

「それならたくさんたくさんお家の形を作らないといけないよ。

みんな手伝ってあげて!」と言うと、

Aくん、Bちゃんと、Bちゃんのお兄ちゃんも手伝って

高い高いマンションができあがりました。

この通りです!

 

3歳になったばかりの頃は、ゲームの最中にうろうろしはじめることも多かった

このグループの子たちも、

いつの間にかルールを守って最後までゲームを楽しむようになってきました。

算数の時間にも、「3つずつくばる」「2つずつくばる」といった指示に従ったり、

「あといくつで10になるか」にきちんと答える姿がありました。

 


学びの原動力は『謎』

2019-05-16 18:14:46 | 日々思うこと 雑感

『小さな友へ』という詩は、10年ほど前に、子どもたちに向けて書いた詩です。
もし何でも子どもたちにプレゼントできるとすれば、何を贈ればいいだろう?
私が子ども時代に手にしたもので、最高にすばらしかったものって何だろう?
今も宝物となっているものは何だろう?
そんな考えをめぐらせながら書いた詩です。

当時、私が、「子どもがもらって、心がときめくのはこれしかない」と考えたのは、『答えのない問い』でした。
つまり、『謎』であり、『不思議』であり、自分独自の『知りたい思い』『まだ答えが与えられていない未知の課題』です。
この思いは、10年経った今も、少しも変わっていません。

先日、『おせっかい教育論』 著者 鷲田清一 釈徹宗 内田樹 平松邦夫  
(株式会社140B)という著書のもくじ欄で、
『子供が育つには「謎」が必要』というタイトルを目にし、思わず、即、購入して帰りました。


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この著書の中で、内田樹氏は、
子どもにとって、成長の一番の契機になるのは「謎」だと断言しておられます。
子ども自身が自分の知的な枠組みを壊してブレイクスルーを
果たすためには、「なんでこの人はこんなことをやっているんだろう」というミステリアスな大人が絶対不可欠なのだそうです。
学校では、文部省は一貫して教員たちの規格化・標準化を進めてきているので、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てなくなってきている問題を指摘しています。


鷲田清一氏は、大人が言うことが一色なのも問題で、いろんな考えがありうるという、複数の可能性のフィールドを提示するのが大人の責任だとおっしゃっています。
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この著書で書かれているミステリアスな『謎』は、私が詩で表現した『謎』とは少し意味がちがっていたのですが、
とても共感できるすばらしい本でした。

勝手に拡大解釈させていただいて……
「子どもが育つには『謎』が必要」という言葉は、いろんな意味で、今子育ての場に最も足りないもので、最も重要なもののひとつでもあると感じました。

教室でもワークショップでも、
子どもの目が輝き出し、一生懸命課題に取り組み出すきっかけとなるのは、「どうしてだろう?」「おかしいな」「不思議!」と感じた瞬間です。

子どもはすでにわかっていることを「覚えなさい」「練習しなさい」と言われるときではなく、「どうして?不思議!」と大人でも首をかしげるような疑問にぶつかったときに、全力で問題を解決しようとします。
そうして考えることの面白さに気づいた子は、普段の勉強もまじめにこなすようになっていきます。

『謎』は、上で紹介したような好奇心をくすぐる不思議との出会いや、価値観の異なる人々との出会いとは別に、『未知』であるという意味で、
学ぶ意欲と深いところでつながっています。
↓は過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。
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『明後日(あさって)』の感覚って聞いたことがありますか?
アーティストの日比野克彦氏が、哲学者で大阪大学総長の鷲田精一氏との
対談中に使っておられた言葉なんですが、
目にしたとたん、
「良い言葉だな~」という感動を通り越して、
自分の生きてきた方法とか、やってきたこととか、考えてきたこととか、
そうしたもの全てに太い一本の芯が通って、
「あ~、私はこうした感覚を大事にしてきたんだ」
と納得したような気持ちになりました。


日比野氏が、

明日のことはある程度はっきりわかる。1ヶ月後のことは全然わからない。自分の絵の描き方やワークショップなどの共同作業は、
ちょうど、「明後日」のように、ぼんやりと大まかなところだけわかっている感じなんです。
……(中略)ある一つのアクションが次のアクションを生み、この人と出会ったから、このアクションにつながっていく。
いつもその連続です。
絵も同じで、大まかな方向性はありますが、「黒い線を描いた、この次はどうしよう」と、まず一手を描かないと次の一手を思いつかないものです。……(略)

と、アーティスト自身が先行きを正確に把握しないまま進んでいくプロジェクト
について、「明後日」の感覚という言葉で言い表したところ、

鷲田氏が、

そういうプロセスには、「新しい社会性」とでもいうものを模索していくヒントがあるような気がします……(続く)

といったこと答えておられるんです。

以前、教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 
という一連の記事を書いて、教育の場に、『ブラックボックス』という言葉が必要なのでは?……といったことを書いたことがあります。
子どもたちが、ブラックボックス化する世界に生きていることを無視したまま、、パソコンや携帯ゲームや、○○○計算や○○時間といったよさげ~な方法だけ取り入れても、子どもたちが主体的に勉強していく方向には、
機能しないんじゃないかな?
という疑問を言葉にしたものです。
(多くの方が、同じようなことを考えていたそうでした)


日比野氏の『明後日(あさって)』の感覚という言葉に出会ったとき、村上陽一郎氏の『ブラックボックス』という言葉を目にしたときと同じような強い衝撃を受けました。
そして、この『明後日(あさって)』の感覚という言葉もまた、
「教育現場に必要な言葉じゃないかな?」
「子どもが意欲ややる気を取り戻すキーワードじゃないかな?」という
思いにかられました。

虹色教室で子どもたちに学ばせているとき、私には、
どうすれば子どもたちのやる気や意欲が盛り上がってきて、知りたい!調べてみたい!もっとがんばりたい!という気持ちになるのか、
だいたいのところ勘でわかっているんです。

それは、「自分は既存のきまったコースをなぞってるだけじゃないんだ」という感覚……というか、
「ある方向性はあるけれど、進んでいく先はガチガチに固まったもんじゃないんだ」
「自分のアイデアや考えや発言が、未来を変えてく影響力を持っているんだ」
という感覚でレッスンを受けているということです。

教室で、時々、にんじゃブームとか、日本全国のゆるきゃらを覚えようブームとか、宇宙の実験ブームとかが巻き起こるのですが、
最初の火付け役の子たちの時期には、
黒い布切れにもぐって宇宙気分を味わうことから、宇宙への興味が膨らんでいくような、教材は整ってないし、やることは見えてないしで、
言わばレッスンとしたら、「レベル低い!」状態なんです。
でも、そんなカオスな時期こそ、子どもたちは、「こうしたら?」「これしたい!」「なんでだろ?」と主体的に自分で動いて、それは熱心に学びたがるんです。
そのブームが飛び火して、他の子たちの興味も加わるにつれ、
私は子どもたちがワクワクして熱中していた学習課題を扱いやすい教材にして、
「宇宙」といったタイトルのついた箱の中に溜めていきます。

すると、大人の目には、箱を開けるだけでワクワクするような
教材パックができあがるんです。
もたつかずに、「わ~」っという感動や、
「そういうことだったのか」という知識を得るのも手っ取りばやくて、
大人は満足。
でも、最初の子たちに比べたら、ものすごく良い教育環境……のはずが、
後の子たちほど、しら~っとやる気がない状態に陥ってしまいがちなのです。
そこから、発展させて自分で調べてみようという気持ちになりにくく、
「見て、不思議でしょ?」と、笛吹けど踊らずという状態です。

同じように見えるけど、
むしろ、後の方がよっぽど魅力的なのに、
何がどうやる気や意欲を半減させるのでしょう……?

大人が何日も前から事前に準備していた魅力的なプロジェクトよりも、
下の記事のような3歳の子のふとした発見の方が、どうして子どもたちの探求心に火をつける場合があるのでしょう?
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 1
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 2
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 3
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 4
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 5
子どもの意欲ややる気の盛り上がりって、ランダムでその日のお天気で決まっているように見えて、
やっぱり言葉にして整理できる一定のルールが存在する気がしています。

うちの息子が、小学3,4年生の頃、
ビデオカメラ片手に友だちと映画を撮ることに熱中していたことがありました。
上映会というのに、引っ張っていかれて見たら、
期待以上の面白さで、
「今度、もっと良いのができたら、公募に応募したらどう?
映像作品の募集がないか調べてあげるわ」と言ったことがあります。
すると、息子は呆れたように、
「お母さんは、遊びってものがわかっていないな~。
何かのためとか、結果とか気にせず、自由にやるから遊びで、
だから面白いんだよ」
と言い返されたことがあります。

子どもって、もともと功利的じゃないんですよね。
「遊び心」が汚されていない場や時間の中ではじめて、
いきいきと自分を発揮できるし、
思いきりがんばれるし、頭をしぼりきって考えられるのでしょう。
それと、遊んでいる途中で、映画作りが、探偵ごっこに変わるかもしれないし、
まったく別の興味へと流れていくかもしれない
という未来が固定されていない感じが、
今の集中や全力投球を支えているのでしょう。

そういえば、昔、私が通ってた小学校や高校(中学は荒れてました)は、きちんと学校としての秩序は保たれていたけれど、日比野氏の言った
『明後日(あさって)』の感覚というものが、いろんな場の底流に流れていて、
私たちの好奇心を持続するのに役立っていたな~と思いあたりました。

虹色教室では、子どもたちと小さなものから大きなものまで、
さまざまな創作活動をすることがよくあります。
子どもの興味に引っかかったものを、先行きについては『あいまい』なまま
気の向くままに、
その都度、学べそうな要素をいろいろ盛り込みながら作っていきます。
こうした制作活動は、たいていの場合、
いつも最初に期待していたよりも何倍も良い結果を得て終わります。

はじめ結果が読めないのは、その子その子の個性が混じるからです。
子どもによって、作ってるうちに、歴史や地理に強い興味を抱くようになったり、緻密に計算された作品を作るようになったり、根気が伸びたり、
自己肯定感が上って、何ごとにも積極的になったり、
算数や理科が得意になったりとさまざまです。

そんな風にそれぞれが得るものは異なるけれど、
手でする作業と、自分のなかの美を感じる気持ちと接触した後って、
必ずといっていいほど、
期待以上の結果を手にすることになるのです。

何かすごい作品を作ろうと力むのでなくて、
面白そうだ~というアンテナにかかった作業にモクモクと熱中してみることで、
子どもは素直になり、落ち着き、個性的な「自分」という感覚や、
自由な生命力を取り戻すように見えます。

積み木で、幼稚園や小学生の子たちと、
海上のピラミッド モン・サン・ミシェルやパルセノン神殿を作ったことがあります。
そうした製作はたった一日の出来事ですが、
その後、教室では、
古代のカレンダー ストーンヘンジや
ピサの斜塔、コロッセオなど遺跡を作る子たちが続出し、
学習への集中力や海外の文化に対する興味が高まりました。
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日比野克彦氏と鷲田清一氏は、アートの

『絵でも工作でも何かをつくることで、気持ちを共有したり、
コミュニケーションの輪が広がったり、新しい発見ができたりする』

という機能に着目しています。

「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」の3つは、
虹色教室でも、製作活動中やその後で起こりやすいことです。

子どもが作品を作ったとき、時折、それを教室に飾っておいてあげると、
「私も飾って!」と言い出す子がいて、
描いたものを「誰か」が見てくれることがうれしくてたまらないという気持ちが、他の子の作品にも興味を持ち、
自分の中にその良さを取り込んでいこうする態度に変わるときがあります。

また、ひとりの子の作品が、たくさんの子の心を揺さぶって、電子工作や歴史的な建造物を作るといったことが流行することがあります。

だれかが発見した科学的な仕組みを、
別の子たちが別の作品で利用することが流行るときもあります。
「新しい発見を発表しなくちゃ!」というワクワクする気持ちと、小さなアイデアが広範囲に影響を及ぼす力に子どもひとりひとりが感動する気もちを持っています。

教室では、自然に遊びが共同制作へと流れていくことがよくあって、
ピタゴラスイッチのような装置ややどかりハウス(だんだん巨大化して屋根つきを作ります)などを、
「ぼくは、ここするから、そっちたのむよ」「これどう?いいでしょ?」「うん、すごいすごい!」といったやりとりをしながら、
熱中する姿がみられます。
完成の喜びが、「磁石について、くわしく調べたい」「恐竜の時代について研究したい」など、強い知的好奇心に結びつくこともよくあります。

製作の場で、
「気持ちの共有」「コミュニケーション」「新しい発見」が活性化されることと、
日比野氏の『明後日』の感覚といったものはつながりがあると感じています。

「こういうものを作りなさい」「それぞれ個人で」
など、ルールや先行きがかっちり決まりすぎていると、
ただ作った~で終わっちゃいがちなんですね。
子どもを見ていると、人って個人的に何か上達することよりも、人とコミュニケーションを取ることや、互いに響きあうとき、誰かの役に立ったとき、
認め合ったときに、
一番いきいきするんだなと感じています。良い作品ができたとき、高い点数をつけてあげるより、
「みんなに、どうやったら
こんな風にできるのか教えてあげてちょうだい。
みんなに、どこを工夫したか説明してあげてね!」
と言った方が誇らしげな顔をしているのです。


日比野氏の言葉に、次のようなものがあります。
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そう展覧会でも、「この絵いいよね」という人もいれば、無言で通りすぎていく人もいる。
絵は同じでも、判断は百人百様です。
絵はダンボールに絵の具がのっているだけのものですが、人によっては、見た瞬間に時空を超えることもできる。
それって、芸術の力としては、絵描きの力よりも見る力のほうがすごいんじゃないか。
それで、だんだん、見る力のほうに興味が移ってきました。
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子どもに創作させるとき、「わが子が何を作ったか?」「他の子より上手か?」という点だけ気にかける親御さんはいるのです。
でも、本当は何も作っていなくても、他の子の作品を「見る」だけでも、
見る力が高まっているんですよね。

「見る」力だけでなく
★幼児が「よく考える」ようになるためのいくつかのステップ で取り上げた
さまざまな力が、製作をお友だちと共有しあう場では、向上するのだと思います。

脳への「入力」自体が変わる、と言っても過言ではないのでしょうね。

日比野氏は美術を日常のなかに機能させる機会を広げることを、
自分の役割と感じておられます。

美術を日常のなかに機能させる大切さって、すごく感じた出来事があります。
去年、母の死の後、
私は母への供養の意味もあって、曼荼羅風の絵を何枚も描きました。

どうして曼荼羅かというと、
母が末期癌におかされて入院中、「暇つぶしに」と、
色鉛筆のセットと分厚い曼荼羅塗り絵というのを持っていったことがあるのです。
母は、クリスチャンだったので、曼荼羅とかかわりがあるわけじゃないのです。ただパッチワークが好きだったので、
曼荼羅が母の縫うパッチワークのパターンのようにも見えて
買っていったのです。

数日後、入院先を訪れると、母のベッドに
向かいのベッドの人がやってきて、
「○さん、ありがとう。2枚も塗らせてもらっちゃったわ。心が落ち着くわ~ほんとに楽しいわね~」と言って、例の曼荼羅塗り絵を差し出しました。
母に塗り絵の進行状態を見せてもらうと、何十ページももう塗られていて、
メモの欄に、病室の人らしき名前や看護士さん、実習生の方などの
名前がつづられていました。

塗り絵の隙間には、○さん(母)に出会えて、私は感動しました。この塗り絵作業に(勝手にプロジェクト化していたのでしょうか?)
参加させていただけて、どんなにうれしかったか……といったメッセージが、
看護の実習生や看護士さん、病棟内の友人によって、いくつもいくつも書かれていました。

この曼荼羅塗り絵は母の形見としてもらおうかと思ったのですが、母が旅立つとき棺の母の顔の傍らに入れさせてもらうことにしました。

母のいた病棟は病が重い人が多くて、
暗い気が立ち込めているような感じがあったのに、
きゃっきゃっとはしゃぎあう高校生たちのような
雰囲気で、塗り絵をしてよろこんでいる病棟の人々の姿と、それぞれの個性が
あらわれる色遣い、タッチなどの面白さが
今も目に焼きついています。

私も、スケッチブック一冊分、曼荼羅の絵を描き続けて、
ようやく母の死を静かに受け入れられる心境へと移っていった
気がします。

アートの力すごいですね。

病棟の空気を一新したアートの力が、子どもたちの心に
変化を起してくれないかな?
とそんな夢を抱きました。


道具と楽しくつきあう

2019-05-16 09:19:35 | 虹色教室の教具 おもちゃ

虹色教室には、すぐ出せる場所においていて、遊びのシーンでも、工作のシーンでも、雑談のシーンでも、

ちょっとしたことがあるたびに出してきて使う道具があります。

 

1メートルのものさし、コンパス、分度器、デジタル顕微鏡、指で針が動かせる時計、

イラストつきの地図の図鑑など。

アナログの量りもそのひとつです。

 

何かあるごとに登場していると親しみがわくし、実際に便利で、

使いながら当て物クイズをするのも楽しいですから。

たとえば、教室の子がおかしを持ってきた時なども、

食べる前に量りに乗せています。

 

めもりはそれぞれの年代の子がちょっと集中すればわかるレベルで

読んでいます。

 2歳くらいの子なら、動いた目盛りの先に指をおいて、量っている気分にひたる

だけで十分ですし、

数字が読める子には、「50グラムより重い?」とたずねたり、

「もう少しで100ぐらむ」と読んだりしています。

小学生の子らでまだ目盛りが読めない子は、

めもりの部分だけ大きく数直線にして書きだして

1目盛りがいくつずつ増えているのかわかりやすくして読んでいます。

よくする当て物クイズは、

いくつか入っているお菓子の重さがわかった時に、

「1つだと何グラムか?」というもの。

1枚何グラムくらいかな?

袋の重さはどうすればわかるのかな?

 

教え込んでしまうよりも、しょっちゅう使って、

常に新しい気づきを深めていくのが大事と思っています。

「量るのって楽しい、面白い!」という気持ち。

 

工作のあとも量り。


内向的直観タイプの子のわかりにくさについて

2019-05-14 21:52:19 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

教室でひとりひとりの子とじっくり関わっていると

この子は感覚、感情、直観、思考の

どれを主にしてものを考えていくのかよく見えてきます。

とはいえ、見えやすいタイプ、見えにくいタイプというのはあって、

子どもの姿の一部分だけ捉えて、「この子は○○タイプだろう」と決め付けても

あまり意味はないと感じています。

「こういう面があるから、この子は○○タイプじゃないかな」という印象は持っても、

「やっぱり、○○タイプなんだろうな」と実感するのは、何年もの期間、遊んだり、物を作ったり、考えたり、

おしゃべりしたりする姿を見守り続けた後となります。

「この子は、○○タイプじゃないかな」と思っても、関わる時間が増えるにつれて、

「最初の印象とは別の○○タイプの子にちがいない」という確信を持つようになる子もいます。

 

教室でスーパーボールすくいのような遊びをする時でも,

性格タイプによって、何に熱中するか、何をもっとも面白いと感じているか、どんなことに気づくか、

そこから何を学びとるかなどはずいぶん違います。

わたしが、「ちょうど100グラムぴったりになるようにスーパーボールをすくってね」とはかりをだすと、

直観タイプの子たちは、コップに入れたスーパーボールを何度か試しに量ってみてから、

戦略的に100グラムちょうどになるような方法を編み出そうとします。

「スーパーボールをひとつ取り除くと、はかりの針がこれくらい後ろにさがるから、

3個くらい取るといいだろう」とか、「ボールがコップにいっぱい入っている時は100グラムのところより

このくらい過ぎているから、コップの半分と残りの半分の半分くらいまで入れたら100グラム」といった具合に。

遊んでいるうちに、新たな「こうしたい」を見つけて

熱中しだすことはあるものの、本人なりのねらいがあるあたり感覚タイプの子たちとの違いを感じます。

 

感覚タイプの子たちの子の場合、ひとつのねらいというより「網羅したい」「できるまでやりたい」という

あたりにモチベーションがあるので、

最初に「100グラムにぴったりになるように……!」と告げていても、

スーパーボールを乗せてははかることを繰り返して、1回、1回、「あっ、○グラムだった」「今度は○グラムだった」と

確認することが遊びのメインになっていきますから。

 

思考タイプの子たちは、活動そのもにには熱心でない場合が多いけれど、

はかった重さをまとめた表を見ながらデーターを分析したり、

原因や理由について考えさせる場面でいきいきしています。

感情タイプの子たちは、お友だちと同じ目標で動いたり、

他の子らをびっくりさせたり感心させたりすることにモチベーションにしやすいです。

見えにくいタイプのひとつに内向的な直観タイプの子が入ります。

 

外向的な直観タイプの子たちは、次々と新しいことに興味を移して

「ひらめいた!」とばかりに自分のアイデアを口にするけれど、

内向的な直観タイプの子たちは、頭の中は忙しくてしていても行動はおっとりしていたり、

直観の使い方にしても、自分の内面での「あっ、そうだったのか」というひらめきが

主なので、外からわかりにくいのです。頭の中で自分の考えを追っている時は、

フリーズしたようにボーッとしているので、考えている時ほど、何も考えていないようにも見えます。

 

わたし自身は内向的直観タイプなので、

「自分の内面の動きや頭の働かせ方に似ているから内向直観の子じゃないかな」と

感じるのですが、他のタイプの子たちに比べて、

はっきり目に見える判断材料がほとんどないので、「うちの子の性格タイプは?」とたずねられると、

幼児期は、「たぶん、……でしょうけど」「おそらく……でしょう」とあいまいな返事を続けることになりがちです。

たいてい小学校中学年くらいになると、読書の好みやおしゃべりの内容に

内向的直観の子らしさがはっきりしてきます。

 

大学生の息子と話をしていると、「この子はやっぱり内向的直観タイプだな。

内向きの直観をよく働かせるんだな。」と実感することが多々あります。

物事が行き詰った時にしろ、普段のちょっとした問題解決にしろ、

自分の内面に光を当てることで答えを見いだす姿がありますから。

先日もこんなことがありました。

学校で自分の名前をテーマにした作品をプログラミングで作る課題があったそうです。

他の課題の提出時期と重なっていたため、一夜漬けで、

「自分以外の人(友人等)の名前の集合体が、クリックボタンを押す度に

まぜあわさって、だんだん自分の名前に確率的に近づいて行き、最終的に何クリックかで

自分の名前ができあがる」というアルゴリズムを組んでいました。

評価自体はよかったようですが、その出来に、

短い時間で慌てて作ったのと、何かが足りないという不全感を抱えていました。

そこで、他の作品提出の機会にそれをもう少しいい形で練り直して出すことにしたようです。

再度、作品に手を加えるにあたり、息子なりに、何が足りないのか、これから何に最も力を注ぎ、

どういう方向性で作っていったらいいのか、もんもんと考えていました。

というのも、親しい友人に、「○○くん(息子)が60%の力で作ったものは、周囲から絶賛されるけど、

100%の力を注いだものは、理解されないよな」と冗談交じりに指摘され、

「そういやいつもそうだなぁ」と苦笑しつつ、単純に、だったら肩の力を抜いて作ればいいんだなとも取れなかったようです。

 それについて、息子とこんな会話をしました。

 

息子 「大学にしろ、学会にしろ、評価の場ではあって、現時点に終始していて、

すでにどれだけ完成されたものかだけで考えるからさ。もちろん、社会に出ても、

それが重要なのはわかっているけど、作品発表での評価基準が、どうしてもパッと見の受けのよさや外から見た印象……

宣伝広告で扱われるような部分だけに

重きがおかれててさ、中身の質とか、アルゴリズムの新奇性とか、実際に使っていくなかで引き込まれていく部分なんかは

ほとんど注目されないのは残念だな。

ぼくが全力を出す時は、自分のなりのビジョンを追ってて、

未来に価値を置いているからなぁ……これから面白くしていきたいいろいろな可能性を見ながらさ」

 

わたし 「自分のビジョンの価値に気づいて、守って、温めていけるのは自分しかないんじゃない?」

 

息子 「そうだけど、これまで何か納得できなかった理由は、

そうした評価のあり方に不満や不信感を抱いていたというより、あまり考えずに全面的にそれをよしとしてしまって、

そうした評価と自分の関係のとり方についてよく考えてこなかったからじゃないかと思ってるよ。

 

ぼくが中身のアルゴリズムや内容を一番重視するのは、

今後、どうあったって変わらない部分だけど、同時にデザインや周囲にどう印象づけるか、外から見て

魅力的なものに感じられるようにするのかだって、すごく大事だと思ってることなんだ。

そして、内部になんか少しも興味がないっていう

一般的な人が、パッと見で惹きつけられるようなものを作っていく上で、今、先生から得られる

アドバイスはすごく役立つし、ぼくに足りない部分だ。

ただ、自分のあり方について何も考えないまま学んでいると、周囲の価値観を取り込みすぎて、

自分が一番重要だと思うものが侵食されていくのも事実でさ。

そうすると、成功すればするほど、自分を苦しめる悪循環が生じるよ。

 

だから、自分の強みであって、長い時間をかけて自分のなかで育てていきたいものを持ちつつ、

外の意見に耳を傾けて、足りない部分を学びとっていこうと思って」

 

息子 「名前の作品をもう一度見直してみて、内容はそう悪くないんじゃないかと思って。

これまでもの作品もそうだけど、

言葉で説明したり、自分の表現したいことを正確な言葉におきかえる面で全然足りていないんだ。

デザインとか使いごごちの修正も

もちろんするつもりだけど……。

たとえば、タイトルを、『他人と自分の境界線』ってのにして、他人の名前だけから自分ができていく様子を、

アイデンティティーがあいまいになっていく状態とするとか。

まぁ、これはちょっと行き過ぎたタイトルだけどさ。

『情報から生成される自分』くらいがちょうどいいかな?」

 

息子の話を聞きながら、問題を解決する時に、

自分の内面を探索するのは、内向きの直観ならではだな……と妙に納得しました。

 


工作と算数の世界のつながり

2019-05-13 18:28:57 | 工作 ワークショップ

小学2年生のAくんはお家で何度か割りばしと紙で作る飛行機を作ったそうですが、

うまく飛ばなかったそうです。それで、今日こそはよく飛ぶ紙飛行機を作って

飛ばそうということになりました。

さっそく教室にある飛ぶ仕組みが載っている本を調べました。

「平たい部分を上向きにカーブさせると、空気の流れがカーブしている面を押し下げる

向きに力が働いてよく飛ぶようになる」とわかりました。

Aくん、これまでは画用紙や厚紙を適当に切って飛行機を作っていたのですが、

今回はマス目のある工作用紙(厚紙です)にきちんと作図し、

カッターで切りとることにしました。

マス目のある紙に左右対称になるよう図を描くという

はじめてのチャレンジに、いきいきと取り組んでいました。

これまで自分の好きなように好きなものを作ってきたという土台が

あるからかな、とも思いました。

(こうした工作のあと、立方体の作図を楽しんだり、

線対称、点対称の図を描くことをパズル問題として面白がる子らがいます)

工作用紙はとても魅力的な素材ですが小学校2,3年生くらいになるまでは

使わない方がいいように思います。物作りは楽しいことが一番ですから。

 

今回、ネット上の見本を参考にして作りました。

 

Aくんは正確にわからない長さについて、

「この割りばしの部分は、マス目4つ分のところと同じくらいだから、4センチじゃないかな?」

とか、「マス目ふたつ分の半分よりもっと小さいから~」と

検討をつけるのに熱心でした。

それで、帰り際に、「広場で飛行機を飛ばす時、どれだけの高さ飛んだのか、どれだけの距離を飛んだのか、

測る道具がなくても、だいたいの長さを推理する方法がないか考えてみて!」というと

まじめにうなずいていました。

 

以前、科学クラブで巻き尺を手に紙飛行機を飛ばしに広場に行ったときも、子どもたちは、

紙飛行機が飛んだ高さを調べる方法にとても興味を持っていました。

でも、こうしたことは、子どもが興味がないのに、解説するように

教えても意味がありません。

「すごく高く飛んだのに、高さは巻き尺じゃ測れないな~何か測る方法はないかな」と

わいわいアイデアを出しあう中で、相似比を使った高さの求め方のようなものへも興味が生まれるんです。

 

Aくんの場合、1本の割りばし上の比率で、「だいたいこのぐらいかな?」と予想していたので、

高さを予想するにしても、目安になる木の高さを自分の背の高さを基準に推理することで、

飛行機が飛んだ高さを

予想するんじゃないかと思います。(「ぼくの背はあの木の半分の半分で、

飛行機のとんだ高さはあの木の半分くらいより少し高かったから~」と)

 

 

「 平たい部分を上向きにカーブさせる」のが、飛行距離を長くするコツと知ったので、

見本どおり、はねを15度上に傾かせるために分度器で「15度を測る道具」を作ることにしました。

分度器の使い方をしっかりマスターしたAくん。

 

 

飛行機のはねに15度ずつの傾きを作れました。

ゴムカタパルト(ゴム発射台)も作りました。

 

 

2年生になって、Aくんはさまざまなことに自発的に取り組むようになりました。

1年生の半ばくらいまで、「疲れた」「ママやって~」が口癖の

気が散りやすいタイプの子だったのです。

そういう時期はそういう時期として、

ゆったりマイペースに過ごさせてきました。

それが最近、

得意の工作だけでなく算数の学習でも

しっかり集中して、高い能力を示すようになってきました。

Aくんの成長ぶり、うれしいです。

 おまけ

『ライト兄弟はなぜ飛べたのか』紙飛行機で知る成功の秘密

土佐幸子著 は、

小学生の子と空飛ぶおもちゃを工作した時に、ぜひいっしょに楽しみたい

本です。

本業は自転車屋で、飛行機に関しては専門家でも何でもなかったライト兄弟が

なぜ世界のだれよりも早く飛行機で空を飛ぶことに成功したのか、

どんなことを工夫し、発明したのか、ワクワクする物語と、

紙があればすぐできるさまざまな実験を通して読み解いてくれる本です。

あっという間にできる工作で飛行の秘密を探る実験がたくさんできますよ。

 

 この本はとてもすばらしい本ですが、ただ本を読むだけで夢中になる子は

ごく少数だと思います。でも一度でも、「よく飛ぶ紙飛行機が作りたい」と

思って自分で工夫して工作した後には、ライト兄弟たちの決意やワクワクしていた気持ち、

どんな風に考えていたのかまで深く子どもの心に響くはずです。


虹色教室の大人の方向けの講座に来ていただく方をお知らせします

2019-05-12 17:00:53 | 連絡事項

虹色教室の大人の方向けの講座へのたくさんのご応募ありがとうございます。

こちらの方々に来ていただくことになりました。できるだけ全員に来ていただきたかったのですが、

残念ながら一部抽選となりました。

(今回、講座の流れを思うと子どもさんを待たせてしまうことになるので、お子さん連れでない方に

優先してきていただくことにしました。秋に初めて教室にいらっしゃる方向けにお子さん連れで参加していただける

レッスンを予定しています。)

 

講座の開催場所は、大阪の虹色教室です。

虹色教室に初めていらっしゃる方で、教室の住所と道案内のメールを必要とする方は

コメント欄にメールのアドレスと本名を記入してください。

非公開で見させていただいて案内のメールを遅らせていただきます。

教室に何度かいらした方で連絡不要の方の書き込みはいりません。

当日、直接いらしてください。

 

<工作とアナログゲーム  募集>

6月18日(火)10時~12時 

M.Y さん  Y.Nさん naohさん

 

6月19日(水)10時~12時 

 こみきさん あんちゃん はなさん

 

6月20日(木)10時~12時

まいこさん みみこさん じゃすみん母さん

 

 6月24日 (月)10時~12時 

まねっこさん ぴょんさん m.kさん

 

6月25日(火)10時~12時

I.Sさん ももおさん まきさん

 

6月29日(土)10時~12時  

 a10cさん  ひろぽんさん uniさん  ふーさん

 

6月29日(土)3時~5時   

Tomoeさん  リボンさん さきさん

 

6月30日(日)10時~12時  

 

なおこさん たねさん  Y.Yさん

 

6月30日(日) 3時~5時   

 きのこさん K.Nさん あみさん

 
 
 

工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの? 続き

2019-05-12 08:11:38 | 工作 ワークショップ

 幼い男の子たちが車や電車のおもちゃが気に入ると、

「何が楽しいのかしら?」と呆れるほど、

来る日も来る日も、ミニカーを前に動かしたり、後ろに動かしたりしながら、

遊び続ける姿がありますよね。

 

親御さんに、「この1月ほど、どんな遊びをしていましたか?興味を抱いていたものや、

好きになったものはありますか?」とたずねると、

目の前の子が車を前後に動かす姿に視線を投げながら、

「ずっと、あればっかりです。いつも車でしか遊ばないから、別のおもちゃも……と思うんですが、

それしかしたがらないんです。ひとりで遊んでくれるし、つい楽なんで放っといちゃうんですが、

もうちょっと遊んであげた方がいいでしょうか?」

「プラレールを買ってあげたところ、毎日、レールをつないで電車が走るところを

いつまでの眺めています。それ以外の遊びがないので気になるのですが、誘ってもそれしかしたがらないのです。

いっそのこと、好きなおもちゃ類を片付けちゃった方がいいんでしょうか?」

という質問が返ってくることがよくあります。

 

 本人が好きなことを存分にしているのですから、

いいにはいいのでしょうが、

遊べば遊ぶほど、遊びの幅が狭くなって、

親御さんやお友だちがその遊びに参加する隙もなくなってしまうのは、

ちょっと気になりますよね。

 

遊びのパターンが固定されて、柔軟性が失われると、

いつも同じことが、一貫したテーマで再現されないと落ち着かなくなるし、

遊びが、外の世界を遮断する道具になってしまうこともあります。

 

車の好きな子には思う存分、車で遊ばせてあげたいけれど、

遊び道具や遊び方の一部に、

創造的に変化させたり、

自分の思いを表現できるような柔軟性のある素材や方法を取り入れるようにするといいな、

と考えています。

 

 

ひとつのおもちゃやひとつの遊び方にこだわりが強くなると、

お友だちが近づこうものなら、「自分の遊びを邪魔される」「自分のおもちゃを奪われる」と

身構えたり、威嚇したり、人を避けたり、不安のあまり放心したようにボーツとなってしまう子がいます。

 

お友だちからお気に入りのおもちゃを奪われないかと緊迫した様子で遊ぶ子は、

お友だちが持っているおもちゃが目に付くと、

「それを自分のものにできないんだったらこの世の終わり」とでも

言いたげな態度に転じることがよくあります。

 

お友だちと過ごしている間中、

「自分のおもちゃを触られたくない」という気持ちと、

「他の子の持っているおもちゃが欲しい」という気持ちの間を行き来していて

その中間がないのです。   

すると遊びがいつまでも発展しないし、

遊びが発展しないということは、精神的な成長が停滞することにだってつながります。

 

虹色教室では、子どもの遊びの世界が、外の世界のあり様を受け入れやすい状態を保つよう、

また遊びが身の回りの環境への開かれた窓の役割を担うように……という意味もあって、

1歳、2歳という幼いうちから、遊びに物作りを取り入れています。

 

具体的な例を挙げると、たとえば、電車でひとり遊びをしている子がいれば、

ブロックで隙間を作ってもいいし、空き箱に穴を開けてもいいし、椅子の隙間をそのまま利用してもいいのですが、

それを切符の券売機に見立てて、切符が出てくる遊びを加えるようにするのです。

 

工作といっても、紙を乱雑にチョキチョキするのが楽しい時期の子もいるでしょうし、

細い紙を用意してあげて、一回、はさみを開閉するだけで

チョキンチョキンと切符ができていくのを喜ぶ時期の子もいるでしょう。

お母さんに切ってもらいながら、紙だったものが自分の見立てる力で切符に様変わりしてしまう

魔法に夢中になる子もいます。

「切符!切符!」と遊んでおきながら、ふいに紙をパラパラ散らして、

「雪!」と命名して笑みを浮かべる子もいます。

 

そのように物作りを遊びに取り入れたとたん、

自分の頭の使い道が広がり、「今日、駅で~した」と自分の体験をもっと遊びに入れてみようとしたり、

「切符だけじゃなくて、お金もいるよ」と知恵を披露してみたり、

「ジュースが出てくる機械とアイスが出てくる機械とトーマスの出てくるガチャポンも作る!(作って!)」

と創作することと想像力を使うことで、たちまち億万長者なみに自分の欲するものが手に入る喜びに浸る子も

いるのです。

 

 

↑の写真はビー玉をセロファンで包んで信号機を作っている様子です。(色の順番は

間違っていますが、本人の好きなように)

駅で信号機を発見した男の子の感動を、遊びの中で再現しているところです。

100円ショップのプッシュライトを当てると、信号を順番に光らせて遊べます。

 

こんな風に、遊びにいつでも物作りを取り入れられるようにしていると、

「駅に信号があった!」という子どもの感動が、光の性質や信号機の仕組みといった

ものに広がっていくきっかけにもなるのです。

また物作りを遊びの世界に取り入れると、「お手本をよく見て真似る」

という学びの姿勢を身につけさせる機会が増えます。

 

できるようになったことを、お友だちに教えてあげるようにも

なります。

 

そのように物に固執しなくても、さまざまな心を満たしてくれるものがあることを

知るにつれ、子どもたちはお友だちと過ごすのが楽しくなり、

上手に遊べるようになってきます。

既成の完成されたおもちゃには、たいてい子どものアイデアや想像が入る余地がありません。

 

↑の写真はブロックでケーキを作った子の作品。これから、お友だちとそれぞれ作ったケーキを持ち寄って

パーテーをする予定です。プレゼントを包み、ろうそくを立ててご機嫌の女の子。

急に思いついたように、

赤い部分をはずして、「火が危ないから、ろうそくを消しておくわ」と言いました。

自分が今、思いついたこと、知っている知識、想像したこと、願い事、自分の中に生まれた物語……

そうしたものを、遊びの世界にリアルタイムに活かしていくには、

自由に作り変え、自由に見立てることができる素材が必要ですよね。

 

工作やブロックのように自由度の高い遊びは、

子どもの頭と心の可動領域を広げます。

子どもの内面世界を目で見て触ることができるスペースを作りだします。

 

前回の記事で、1、2歳の幼い子たちの遊びの場でも

物作りを取り入れていることを書きました。

そうしていると、次のような良い効果も生まれます。

 

物作りに親しんでいると、お友だちとのトラブルが起こった時に

気持ちを切りかえたり、

問題を解決するのが上手になるのです。

 

幼い子たちはとにかく自分の物は貸したくないし、

他の子の持っている物が欲しいものです。

大人が間に入ってトラブルを解決してあげる場合、「ちゃんとお口で、貸して!って言ってごらん」

「ほら、○ちゃん、いいよ、でしょ」と、貸したくない側の子がおとなしくて聞き分けのいい子の場合、

その子の気持ちはそっちのけで、

物が行き来しておしまい、ということになりがちです。

 

そうして、大人の指示に素直に従う子は、幼い頃は、「えらいね、かしこいね」とほめられるのだけど、

自分の気持ちを上から抑え込んで我慢しているだけですから、

成長して意志がはっきりしてくるにつれ、意地でも自分の物を貸そうとしなかったり、

成長して意志がはっきりしてくるような年齢になっても、決めごとは何でも大人に頼ろうとしたり

するようになったりしがちです。

 

その一方で、人と関わりながら創造性を発達させていった子が、

年中さんや年長さんくらいになると、

こんなうれしい姿もよく目にします。

 

お友だち間でおもちゃや物の奪い合いが起こると、

「それなら、同じ物を作ればいいんだよ」と提案する子がいるのです。「作り方を知っているから教えてあげる」

「作るの手伝ってあげる」という子もいます。

「ふたりでいっしょに使おうよ。○くんが何の役するかと、ぼくが何の役するかを

決めたら、そのおもちゃは1個でも、大丈夫だよ」

「じゃあ、じゃんけんするか、何分ずつ使うか決めようよ。★くんはどういう風にしたいの?」

と遊び方の解決法を示す子もいます。

 

物作りは必ずしも、物を作ることに終始するのではなくて、

アイデアを作る、考えを作る、ルールを作る、ということにもつながっていくのです。

子どもたちは主体的に自発的に創造的に

自分の現実と向き合うことを、

自分で何かを作りだす作業を通して身につけていくのです。

 

工作の魅力的な材料が人数分足りない時なども、

「わたしはそのひもがなくても、モールを編んだら

きっと同じくらいきれいになるからいいのよ」とか

「その箱は最初から形が面白いけど、

でも普通の箱でも、いろんなところを切ったり、色紙を貼ったりした方がきっと自分の好きなものが

作れるからいいよ」

 

 

  

 ↑の写真は、科学クラブの小学生たちが協力して元素の周期表を作っているところです。

子どもたちの中から「やってみたい」と始まった作業ですが、

これまでも物作りをしながら関わる体験を積んでいるので、

思い通りにならない部分があるほど、一致団結してがんばりだして、

それぞれが自分のやるべきことを考えて、上手く役割分担して仕上げていました。


工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの? はじめに

2019-05-12 08:09:41 | 工作 ワークショップ

連休中に遊びに来てくれた教室の卒業生で現在高校生のAくんのお母さんから、

虹色教室のこと「自分の居場所として心のよりどころになっているように感じられた」という

お手紙をいただきました。

現在、医学部を目指して真剣に自分の人生と向き合っているAくん。

教室に通っていたころは、物作りが何より好きなやんちゃくんでした。

何でも手で触れて、自分で体験して、作ってみないとすまない子でした。

教室に車でに駅で乗った両開きのエレベーターをブロックで作り、作りながら、

ふたつの方向にドアが開く理由について、「2階はこっち側が駅だから、乗ったのと反対側に

降りるから、こっちにドアがついてるんでしょ」と、深く感じ入っていた姿を思い出します。

 

 

虹色教室通信では子どもたちが工作やブロック遊びといった物作りを楽しんでいる姿を紹介しています。

そうした画像を見るうちに、

「うちの子は工作やブロックが好きじゃないけど、好きじゃない子にもやらせなきゃいけないの?」

と悩む方がいるようです。

 

もちろんやりたがらないものを無理にやらせる必要はないはずです。

 

ただ、「やりたがらない」の背後にあるものを、

安易に、好き嫌いの問題とだけ捉えて、

「うちの子にはあってないようだから、させなくていいわ」と白黒つけちゃうのは

どうかな、と思っています。

 

別に工作じゃなくてもいいし、ブロックじゃなくてもいいけれど、

子どもには、おもちゃに遊んでもらうんじゃなくて、

自分で遊びを作りだしていくようなシンプルな素材との付き合いが必ず必要だと思っているのです。

 

わたしが子どもの頃は、地面や草木や外の世界にあるありとあらゆるものが

子ども自身が創造的に遊びを生み出していくための素材として利用されていました。

 

「子ども時代、工作もブロックもしたことがない」という方も、

地面に円を描いて石けり遊びをしたり、線を引いてドッチボールをしたり、階段を上り下りしながら、じゃんけん遊びをしたり、

どろだんごを作ったり、草花でままごとの料理を作ったり、フェンスを上って新しい道を開拓したりした覚えはある

ことと思います。

そうした自ら作りだしていく遊びの場では、子どもから子どもへ、伝承されていく学び合いが

常に行われていたし、自分の気持ちを表現したり、

自分の考えを伝えたり、黙々と素材の感触と触れ合うゆったりした時間が

ありました。

 

「こういう風に遊びなさい」と大人に遊びを決められたり、「こういう遊び方しかない」とおもちゃに遊び方を

限定されたすることなく、

その日の気分と自分という個性とひらめきや想像の

全てをオールマイティーに受け入れて、さらなる発展をうながしてくれるような遊びの世界は、

今の時代、大人が意識して環境を整えてあげないと

存続できないようなところがあります。

 

もちろん現代の子どもの周りにも土や草花やフェンスや階段はあります。

でも、それらに自由に働きかけることは

今の子に許されていないし、そうした遊びの手本もありません。

 

異年齢の子どもたちが自由に外遊びをする姿が減り、兄弟姉妹が減り、

遊び時間が減り、

遊びを伝承する子どもの文化が衰退し、

子どもの世界に大人が良かれと思うあれやこれやが侵入しているのが、

今の子の現実です。

 

自分で判断したり、考えたり、工夫したり、

「わたしはこういう子だ」とか

「今はこういう気持ち」というものを表現したりするもの。

 

「やーめた、やっぱりこうしよう」と自分の意のままに変更したり、

破壊したり、塗りたくったり、ちまちました作業に没頭したり、巨大なものを完成させる夢を抱いたり

できるもの、していいもの。

 

物と物を会話させたり、他の子のすることに興味を持ったり、感動したり、

自分の作り上げたものに感激したり、称賛されたりするような

人と人とをつなぐ役割を果たしてもくれるもの。

 

そうした変幻自在に子どもの力で創り上げていく遊びは、どの子にとっても大切なもの、重要なものだと感じています。

 

もちろんそれを「工作」や「ブロック」に限らなくてもいいのです。

 

でも子どもにはそういう遊びの経験がいる、ということは現代の子育てでも

心に留めておく必要があるのではないでしょうか。

 

もし「工作」や「ブロック」に興味がない子なら、「知育玩具」や「パズル」や「絵本」でいい……

というのではなく、

やはり「工作」や「ブロック」ぐらい自由度が高く、能動的に働きかけられるような

「ごっこ遊び」「劇遊び」「お姫様ごっこ」とか「秘密基地作り」とか「冒険遊び」

などが楽しめるような環境を用意してあげることが大事かな、と思っています。

 

以前、近所の児童館で工作教室をしていた時のこと、児童館の館長さんから、

「とにかく遊びというと、物を破壊したり、投げたり、足蹴りしたりすることだけ

で終始する子があまりに多いので、どうしたものかと思っています」

という相談をいただいたことがあります。

 

児童館には毎日、大勢の幼児や小学生が集まっていたのですが、

どの子も成長して子ども同士で遊ぶようになったとたん、

おもちゃを破壊して遊ぶことしか興味を示さない……ということを危惧しておられたのです。

「破壊が創造の第一歩ということはわかります。

子どもだってストレスもあるでしょうし。

でも、破壊しかしなくて、遊びが生まれないというのはどうしたものか……」

館長さんは、そう言って、ため息をつかれました。

 

児童館の館長さんの心配は

ある地域の限られた子どもたちの姿ではなくて、

ごく普通の大多数の子らが大人の管理を離れて、

自由な遊び時間を手にした時に陥る姿だと思います。

 

虹色教室では、子どもの創造的な活動に対する意欲が生まれやすいように、

お友だち間の学び合いや協力が起こりやすいように

さまざまな工夫を凝らしています。

 

物作りの技術を身につけつつ、

人と響き合う楽しさ、アイデアを出し合う面白さ、

自分の全エネルギーを無駄にも思えるような何かに投入してみる満足感、

問題を解決した時のスカッとする気持ちなどを味わうことができるような

環境を物の面でも人の面でも整えるようにしているのです。

そうした種まきや地道に心を耕す過程があってこそ、

子どもたちが主体的に遊びを生み出して、お互いの心を共鳴させあいながら

楽しい時間を作りだすことができているのです。

また遊びがそのまま学びの好奇心になり、学ぶ時の姿勢になり、学習動機や意欲にも

つながっているのです。

 

子どもたちはみんな現代っ子ですから、もともと想像力や創造力が豊かで、

自分で考えて遊びを作りだし、お友だちと協調して遊び、問題が起これば解決することができる子というのは

ごくわずかです。

 

教室に来ている小学生にしても、こちらが遊びを豊かにする方法を伝え、

子どもの心に「豊かさのある面白い遊び」という火を灯さなければ、

それぞれ好き勝手に自分で完結する遊びをしようとしたり、

遊びもしないのに教室を散らかしてまわったり、室内でボール投げをしたりして

ゲラゲラ笑い転げる……という児童館の先生が嘆いておられた「破壊する遊び」だけに興じるところがあります。

それが幼児期に聞き分けよく育ってきた小学生たちが好む遊びだからです。

 

そんな子どもの遊びの世界の質の低下を目にすると、大人たちは教育のことばかり語り合っていていいのかな、

と疑問を抱きます。

子どもの遊び世界とはそのまんま子どもたちの内面世界の現れではないか、

と感じるのです。また、子どもの生きている世界の投影でもあると思われるからです。

 

子どもの遊びの世界が衰退し、瀕死の状態にあるということは、

子どもの内面世界が枯渇し、子どもを取り巻く環境が寂しいものとなっていることを

伝えるSOS信号とも受け取れるからです。

 


『子どもの学力の基本は好奇心です』という本

2019-05-10 09:43:54 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

『子どもの学力の基本は好奇心です』(汐見稔幸著  旬報社)という

幼児や小学生の子を育てている親御さんにお勧めしたい本があります。

読むうちに子どもの教育に関することがシンプルに整理されて、

迷いが晴れるかもしれません。

 

この本にこんな話が載っていました。要約して紹介しますね。

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東京大学の数学科の教授があるインタビューのなかで、東大の数学科の学生と

アメリカの大学の数学科の学生と、どっちが優秀かという話が出てきたそうです。

その先生は入学時点では東大の学生が優秀かもしれないが、

4年間教育すれば、ほぼ例外なく逆転すると言ったそうです。

 

なぜ東大の学生が伸びないのかといわれ、先生は

「感性が育っていないからだ」と答えていたそうです。

こういう感性とは、「なんでだろう」とかあ「フシギだなぁ」とか「こういうものを論理で

あらわせないのかなぁ」というように、

なにかに感じて、そこに問題をみつけ、こだわっていくことらしいです。

数学とは、計算が複雑になったものではなくて、さまざまな現象を論理や数式で

あらわす、たとえば美意識というものを論理化できないかとか、こういうものを美しいと思う人と思わない人と

どこがちがうかを数式であらわせないなどと考える学問。

その根っこは不思議がりおもしろがる感性です。

 

「感性をそだてるためにはどうしたらよいですか」という質問に、

その先生は、「それは簡単だ。小さいときにあまり勉強しないことだ」といったのだとか。

幼いころから受験勉強のようなことをさせられて、正しい、間違い、という紋切り型の思考をおぼえれば、

ワンパターンにしかものごとが考えられなくなり感性の芽をつんでしまうそうなのです。

 

豊かな感情をたがやし、豊かな感情をたがやすこと、「おもしろそう」「なぜだろう」「知りたい、やってみたい」

といった好奇心が学力を伸ばす原動力なのです。

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今日は2歳になったばかりの子どもたちのレッスンでした。

そんな幼い子らも、、「おもしろそう」「なぜだろう」「知りたい、やってみたい」に

突き動かされるように活動しています。

ひとりひとりの子の発しているものをどう感受するか、

どのようなフィードバックを返していくといいかを親御さんに伝えています。

 

たとえば、2歳のAくんは、お友だちのBくんがお母さんが作ってくれたトンネルに手を伸ばす度に

「だめぇ、こわれちゃう。こわしちゃだめぇ」と大騒ぎしていました。

遊びを観察していると、電車をぴったりそろえて並べて、

それはうれしそうにしていました。

「数や形やサイズがきちっと秩序だった並び方をしているのがうれしそうですね」

と言いながら、Aくん同様に秩序を好む感覚が優れている子の親御さんが

子どもにどんなブロック作品を作って遊んであげていたのか

駅の一部を作って見てもらいました。

すると合点したAくんのお母さん、下のような歩道橋つきのトンネルを作ってあげました。

Aくんは大喜びです。

「だんだん高くなってる」とか「同じ長さでそろっている」とかいった

目で感じとる美しさを実感していると、

数学的な感性も育ってきますね。

 

 

工作タイムに作った船です。

引っぱるとビーズがカラカラ動きます。

気になって透明のコップ部分をはがしてしまい、

青いポリひもを振りながら、Aくんは「雨!」と命名。

お友だちのBくんは、ハンドルを回すとボールがのぼっていく仕掛けが

面白くてたまりません。

自分で何度も回しながら、ボールをつかまえてみたり、段の途中に乗せてみたりして、

「不思議だなぁ」という表情をしながら熱心に遊んでいました。

こうしたささやかな遊びを通して、子どもの好奇心ははぐくまれていきます。


虹色教室の大人の方向けの講座の募集です

2019-05-08 12:56:47 | 連絡事項

たくさんの申し込みありがとうございました。

募集は終了しました。

近いうちに来ていただく方をブログ上で発表させていただきますので、

少しだけお待ちください。

 

 

虹色教室では、工作やアナログゲームで遊ぶ中で、数学的な感性を磨く 工夫をいろいろしています。

また、発達に凹凸のあるお子さんには、こうした遊びを通してコミュニュケーション能力を高めたり、

数学的な力の土台が身につくようサポートしています。

 理解力や洞察力を高め、深く集中して考えていく力を育てるための具体的な方法や適切な関わり方を

学んでいただく大人の方向けの講座を準備しました。

 

1グループ3名まで  (お子さん連れの場合、おもちゃ等がある部屋ですが、

保育はありませんので、子どもさんのお世話をしながら講座を受けていただくことになります。

 

(土日に応募が集中して抽選で参加していただくことになった場合、

秋にも募集を予定しています。)

 

開催場所は大阪市内です。

どの枠も3名までの募集です。

レッスン料3000円 (他の費用はかかりません)

コメント欄にハンドルネームと

(応募の際に調整しますので)お子さん連れかどうか 

連れていらっしゃるお子さんの人数、年齢、学年などを

書き込んでください。

 

<工作とアナログゲーム  募集>

6月18日(火)10時~12時 幼児~小学1年生までの親御さん その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

6月19日(水)10時~12時 幼児~小学1年生までの親御さん その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

 

6月20日(木)10時~12時 小学生の親御さん その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

 6月24日 (月)10時~12時 

発達が気がかりな子  幼児~小学1年生までの親御さん

その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

6月25日(火)10時~12時

発達が気がかりな子  小学生の親御さん

その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

6月29日(土)10時~12時  幼児~小学1年生までの親御さん  その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

6月29日(土)3時~5時     幼児~小学1年生までの親御さん  その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

6月30日(日)10時~12時  発達が気がかりな子  幼児~小学1年生までの親御さん

その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方

6月30日(日) 3時~5時   小学生の親御さん その年齢の子どもに関わる活動をしておられる方