虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どものきらきらした感じがなくなった? 3

2019-05-06 22:42:58 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

子どもの成長のさまざまな場面につきあっていると、

きらきらした感じがなくなったように見える時期は、

新しい価値を生み出すような変容の時なんだな、と感じます。

教室でははじけるようなやる気で、もりもりと大きなものを

創作していた女の子たちがいましたが、その子たちは、小学3年生を過ぎる頃に、

なかなかやりたいことが決まらずに、何をするかで延々と議論していたり、

試行錯誤を繰り返しては未完成で終わったりする姿がありました。

 

それまでのやり方で満足できず、かといって、自分たちが新たに価値を感じる外の世界の

さまざまな物事は、やってみてすぐにうまくいくわけでなく、

そうしたもやもやを言語化して、互いの意見をぶつけあったり、妥協して受け入れたり、

創造的に解決したりしていました。

外から見ると、きらきらからはほど遠く、有意義な時間を過ごしているようには見えないのです。

ぐたぐたぐずぐず時間を浪費しているように見えます。

そうした時期を経て、その子たちが創作に向けていた

集中力やエネルギ―は、その後、旺盛な読書量や読書の幅の広さとか、

自発的な勉強などに向けられるようになりました。

 

物作りが大好きで、もりもりと大がかりなものを作っていた

男の子の3人グループでも、ちょうど2年生にあがったころに、

外から見ると、あれ?っいう変化の

時期がありました。

そのうちのひとりAくんは、車の内部のエンジンや船をそっくりに作ったりして、

どんどん作るものの幅を広げ、完成度を上げていきました。

が、自信に満ちた様子で、思い描く完成図に向けて黙々と作業していたAくんが、

ある時期から、「うまくいかないな」「これ、どうすればいんだろう」と悩んで手が進まない

日が増えてきました。

物の形を観察して、その通りに形作るのが得意なAくんは、

それまではいかに見た目通りに仕上げるかに力を注いできており、どんどん上手になっていました。

が、Aくんがため息をつきながら、少し作っては、壊してやりなおすことが

増えた理由は、「ユーフォ―キャッチャーのつかむ部分がこんな風に動くように作りたい」

とか、「ちゃんとおつりが出てくる自動販売機が作りたい」といった

自分で動く仕組みの部分を考えたいと思うようになったからでした。

そこで安易に私から動かし方のコツを教わって

作るのでは満足できない「自分のアイデアを試したい」という気持ちの高まりが

背後にあったのです。

またAくんはこの時期、それまで興味がなかった複雑なルールのボードゲームで

喜んで遊ぶようになりました。また物作りの内容も,カードゲームやボードゲーム

とそのルールとか、調べ学習の資料作りや雑誌や本作りといったものに広がっていました。

下の写真はもやもやした時期を経たAくんが自動券売機を作っているところです。

 

タッチパネルを光らせたかったため、懐中電灯を機械の中に入れて、

外からスイッチの操作ができるよう試行錯誤していました。

 

同じ時期、この男の子グループのBくんにも同じような変化がありました。

Bくんは、ワシやトラといった鳥や動物を色画用紙で作るのが大好きで、

曲線のある体部分も上手に作るようになっていました。

が、ある時期から、地下の工事現場の様子を

動く状態で再現したいとか、忍者屋敷の中にたくさんのしかけを

つけたいと思うようになり、

試行錯誤するもののうまくいかず、未完成で終わることが増えました。

針金とか石といった特殊な材料を試すようになったのも

失敗が続いた原因でした。

そうした時期を経て、Bくんは算数で高い力を発揮するようになってきました。

 

このグループのCくんは、かなり後から参加した子です。

グループに入ったばかりの頃は、ブロックで物を作るのは上手だけど、工作となると

何をすればいいかわからない様子でした。

他のふたりが工作好きなので、工作に付き合いはするものの

少しすると、ブロックを使った創作をしていました。

 

が、ある期間、紙を切って作ろうとするけど、うまくいかず、

何もできあがらないまま終わるけれど、何かつくりたくて

もやもやしている姿が続いていました。

そんなとき、私といっしょに作ったお城の石垣部分を作ったのがきっかけで、

それから、段ボールや色画用紙を使って

上手に城を作るようになり、今は工作に熱中しています。

でも、きっとまた、そうした姿も変化の時を迎えるのだと思います。

 

こんな風に子どもって、いろんな時期を経て育っていきます。

身近な大人が、子どもに常にきらきらしていることを求めず、

子どもが思う存分、足踏みする時期を認めるなら、

子どもは勇気を出して、自分がそれまで蓄積してきた力を

新たな理想や願望や関心のために使おうとするのだな、と感じました。

 

 

 

 

話の途中ですが、次回に続きます。


ゴールデンウィーク

2019-05-04 20:38:01 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

今日は、お休み気分で、自分のことなど書いています。忙しい方はそのまま

スルーしてくださいね。

幼い頃から小学3年生になるまで、名古屋から虹色教室に来てくれていた

男の子が久しぶりに教室に寄ってくれました。

もう高校生!!

小さい頃はブロック遊びや工作が大好きなやんちゃくんでしたが、

今は医学部を目指すさわやかで落ち着いた青年に成長していました。

 

 

ゴールデンウィークが始まったばかりの時、

(以前、「プログラミングを覚えたい」と言って、途中で投げ出してしまった私に……)

息子が、

「もしプログラミングを覚えたいなら、最初のうちだけでも、1日、

3時間くらいずつ集中してやったら、ちゃんとできるようになるよ」というアドバイスをくれました。

 

普段なら、「三時間ずつ」と聞いたところで、「そんな時間ない~」と心が折れてしまうところなんですが、

「ゴールデンウィーク中なら時間がたっぷりあるから、毎日、三時間、やってみるわ。★(息子)が(就職で)

東京に行ってしまったら、教えてもらいにくくなるしね。」

と宣言して、とにかくやってみることに。

私はプログラミング超初心者なので、 AtCoder Programming Guide for beginners (APG4b)

の目次どおりに、順番にそこにある問題を解いて、「提出」を繰り返すうち、

亀の歩みで徐々にできることが増えてきました。本を読んで勉強するのと違って、

例題を解いて、提出ボタンを押すと、「合格」か「不合格」かわかるのが

ゲーム感覚で面白くて、結局、1日五時間以上、主婦業そっちのけでこれに

熱中していました。

それに気をよくして、毎週土曜に行われている自宅で受けられる競技プログラミングの

コンテストに参加してみましたが、それはさすがに、さっぱり解けませんでした。

でも、わからないながらに、これまで全くスルーしていた

解答のソースコードがとても気になったり、息子と問題の考え方を話しあうのが

楽しかったりと収穫はありました。

休みが明けて、忙しい日々に戻っても、ぼちぼち続けていこうと思います。

 

 


子どものきらきらした感じがなくなった? 2

2019-05-01 22:25:36 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回の2年生の女の子たちが

算数を学んでいる時、こんなことがありました。

 

2年生になったので、長さの単位について少し学んでから、

「まわりの長さ」を

問う問題をいくつか出しました。

子どもたちはすぐに理解して、「解きたい!」「解きたい!」と手を挙げて、

夢中になっていました。

 

そこで、ちょっとレベルを上げて、下のような問題を出しました。

この問題は、一つ一つの辺が何センチなのかとバラバラに考えていると

答えにいきつかないのです。

 

3つの値のわからない辺をセットにして、それが13センチと同じだということに

気づく必要があります。

案の定、みんな悩んでいました。

そこで、「さっき、ハンバーガー作るゲームで、チーズバーガーとかのセットを作ったよね」と言うと、

「そうそう!作った。わかった、こことこことここで、13センチってこと?」と

Aちゃんが気づき、他の子らも、「わかった」「わかった」と言って、

同じように辺をセットにして考えなくては解けない問題も解いていました。

 

こうしたことに気づく頭の柔軟性は、

少し前、このグループの子たちが、紙やストローを使って自在に形を作る力がついているのに、

「粘土!粘土!」と粘土をこねまわすのを楽しんでいた時期に

身についたのかもしれません。

 

紙や棒ではイメージしにくい概念を、上手にできるようになったことからいったん離れて、

ただただ素材と遊ぶ時間の中で、それまでやっていた活動の中でできてしまった思い込みを

をほぐして、バラバラにして、再構成しなおして、

いろんな角度から物事を眺めて気づくという姿がありましたから。

ただ、ここで、気をつけなくてはならないのは、だったら粘土で遊ばせたら、そうした力がつくのか

というと、そうではないことです。

 

子ども発で「やってみたい」と思うことや、自然と夢中になっていること、心底楽しいと

感じていること、真剣な顔で取り組んでいること、という旬のテーマに

じっくり関わる中で、おのずと獲得していくものだからです。

 

この日の子どもたちは、下のような問題も、単位を変換させることも

すぐにピンときて、答えを出していました。(ひとりだけ単位の変換にとまど

っている子がいましたが、ちゃんとできるようになっていました)

 

 算数を学ぶ時間はいつも、「もっとやりたい!」と余裕で解いているものから、

その時々の頭をフル回転させて考え抜かないと解けないものまで

解いています。そこで、今回、教室の年上の子用に用意していた

立体図形に垂直に穴をあける問題を出すと、みんな面白がって解いていました。

 

<問題>

下の図は27この同じ立方体を積み重ねて作った立方体です。

この立方体の●印をつけた面から向かい側まで垂直に6つの穴を

あけました。

この時、穴があいていない積み木はいくつありますか?

こうした問題を競いあうように解く姿は、大人の期待に応えようとして

がんばっているように

見えるかもしれません。

でもこのグループの子たちはみな自分の気持ちに正直で、

そうした心配をする必要は、あまりないように感じました。

手指を使ったこともいろいろ試してみたいけれど、

推理力や洞察力を働かせるといった頭を使う活動も

全力投球してみたいという意気込みがありましたから。

 

「その子のやりのこしてきたことに本能的に関わる時期や

個性の質が変化して、外からは見えにくいものに変わる時期」について、

もう少し書き足しておこうと思います。

教室には、幼児期を通して、手指を使った物づくりにはあまり興味を示さず、

ゲームや頭脳パズルばかりやりたがる子がいます。

そうした子たちが、ちょうど小学2年生になる頃、「工作したい!工作したい!」と言い出して、

色画用紙を使って、平面から立体を作っていく工作に夢中になる姿も

よく見ます。水筒の形を再現しようとして、注ぎ口の部分の形はどうやったら作れるのか試行錯誤したり、

折り紙の本を見ながら、見本を見るだけではわかりづらい部分をああではないか、こうではないかと試行錯誤し

たりするのです。

そうした活動は、「外から見ると、30分も40分もかけて、折り紙作品をひとつ折っただけ?」と

旺盛な意欲で頭脳パズルの最終問題あたりまで解いていった姿を思うと、

拍子抜けするかもしれないんです。

 でも、身近でその子の成長を追っていると、「30分も40分もかけて、折り紙作品をひとつ折ることに熱中する」

という活動の中で、その子らしい新たな成長を感じるのです。

頭脳パズルは、言葉がない状態で、

どんどん難しいレベルに挑戦していけるものがほとんどです。

それが、折り紙の解説書を見ながら折っていく場合、

つまずいた時に、「どういう意味だろう?」と書かれていることや記号について

著者の意図していることを読み取っていく努力がいるのです。

そういう時間は地味だし、目に見えるものは何も残りません。

でも、もともとパズル好きの子にすると、解説を根気よく読み解きながら

物事をやりとげようという姿勢が身につけたら、

百人力なんです。

直感だけですいすい問題を解くのでなく、条件をていねいに把握して

考えていくようになりますから。

できたのが、手のひらに乗るような折り紙作品でも、

「辺ABが点Dを通るように折る」という言葉について、

「これってこういう意味かな?それともこういうことかな?」と

意味について深く考えるのを面白がる姿がある場合、

外からは見えにくい劇的な成長が子どもの中で起こっているのだろうと感じています。

一見、足踏みしているように見える時期を経て、

それまで蓄積した力を別の場面で、

発揮できるようになるのです。

 

ですから、子どもの「こんなことがやりたい」「これ面白そう」という気持ちが見られたら、

大人の評価をさしはさまずに、つきあって支えていくようにしています。

そうして子どものそばにいる大人もいっしょにそこから学び成長していけたらいいな、と

思っています。