子どもの成長のさまざまな場面につきあっていると、
きらきらした感じがなくなったように見える時期は、
新しい価値を生み出すような変容の時なんだな、と感じます。
教室でははじけるようなやる気で、もりもりと大きなものを
創作していた女の子たちがいましたが、その子たちは、小学3年生を過ぎる頃に、
なかなかやりたいことが決まらずに、何をするかで延々と議論していたり、
試行錯誤を繰り返しては未完成で終わったりする姿がありました。
それまでのやり方で満足できず、かといって、自分たちが新たに価値を感じる外の世界の
さまざまな物事は、やってみてすぐにうまくいくわけでなく、
そうしたもやもやを言語化して、互いの意見をぶつけあったり、妥協して受け入れたり、
創造的に解決したりしていました。
外から見ると、きらきらからはほど遠く、有意義な時間を過ごしているようには見えないのです。
ぐたぐたぐずぐず時間を浪費しているように見えます。
そうした時期を経て、その子たちが創作に向けていた
集中力やエネルギ―は、その後、旺盛な読書量や読書の幅の広さとか、
自発的な勉強などに向けられるようになりました。
物作りが大好きで、もりもりと大がかりなものを作っていた
男の子の3人グループでも、ちょうど2年生にあがったころに、
外から見ると、あれ?っいう変化の
時期がありました。
そのうちのひとりAくんは、車の内部のエンジンや船をそっくりに作ったりして、
どんどん作るものの幅を広げ、完成度を上げていきました。
が、自信に満ちた様子で、思い描く完成図に向けて黙々と作業していたAくんが、
ある時期から、「うまくいかないな」「これ、どうすればいんだろう」と悩んで手が進まない
日が増えてきました。
物の形を観察して、その通りに形作るのが得意なAくんは、
それまではいかに見た目通りに仕上げるかに力を注いできており、どんどん上手になっていました。
が、Aくんがため息をつきながら、少し作っては、壊してやりなおすことが
増えた理由は、「ユーフォ―キャッチャーのつかむ部分がこんな風に動くように作りたい」
とか、「ちゃんとおつりが出てくる自動販売機が作りたい」といった
自分で動く仕組みの部分を考えたいと思うようになったからでした。
そこで安易に私から動かし方のコツを教わって
作るのでは満足できない「自分のアイデアを試したい」という気持ちの高まりが
背後にあったのです。
またAくんはこの時期、それまで興味がなかった複雑なルールのボードゲームで
喜んで遊ぶようになりました。また物作りの内容も,カードゲームやボードゲーム
とそのルールとか、調べ学習の資料作りや雑誌や本作りといったものに広がっていました。
下の写真はもやもやした時期を経たAくんが自動券売機を作っているところです。
タッチパネルを光らせたかったため、懐中電灯を機械の中に入れて、
外からスイッチの操作ができるよう試行錯誤していました。
同じ時期、この男の子グループのBくんにも同じような変化がありました。
Bくんは、ワシやトラといった鳥や動物を色画用紙で作るのが大好きで、
曲線のある体部分も上手に作るようになっていました。
が、ある時期から、地下の工事現場の様子を
動く状態で再現したいとか、忍者屋敷の中にたくさんのしかけを
つけたいと思うようになり、
試行錯誤するもののうまくいかず、未完成で終わることが増えました。
針金とか石といった特殊な材料を試すようになったのも
失敗が続いた原因でした。
そうした時期を経て、Bくんは算数で高い力を発揮するようになってきました。
このグループのCくんは、かなり後から参加した子です。
グループに入ったばかりの頃は、ブロックで物を作るのは上手だけど、工作となると
何をすればいいかわからない様子でした。
他のふたりが工作好きなので、工作に付き合いはするものの
少しすると、ブロックを使った創作をしていました。
が、ある期間、紙を切って作ろうとするけど、うまくいかず、
何もできあがらないまま終わるけれど、何かつくりたくて
もやもやしている姿が続いていました。
そんなとき、私といっしょに作ったお城の石垣部分を作ったのがきっかけで、
それから、段ボールや色画用紙を使って
上手に城を作るようになり、今は工作に熱中しています。
でも、きっとまた、そうした姿も変化の時を迎えるのだと思います。
こんな風に子どもって、いろんな時期を経て育っていきます。
身近な大人が、子どもに常にきらきらしていることを求めず、
子どもが思う存分、足踏みする時期を認めるなら、
子どもは勇気を出して、自分がそれまで蓄積してきた力を
新たな理想や願望や関心のために使おうとするのだな、と感じました。
話の途中ですが、次回に続きます。