フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月1日(月) 晴れのち曇り

2008-12-02 02:24:46 | Weblog
  朝食(昨夜の残りの赤飯と天ぷら)の後、近所の耳鼻科に行き、左の耳の奥を掃除してもらう。一応耳垢は除去されたけれども、耳鳴りの方はあまり緩和されない。風邪の引きはじめで喉が腫れているせいもあるかもしれない。先生が言うには、私の耳の穴、とくに左耳の穴の奥はとても狭いとのこと。知らなかった、耳の穴の発育不全(?)だったとは。去年だったか、やはり近所の歯科の先生に、「大久保さんは歯をくいしばる癖があるでしょ。頬の内側にそのことを示す瘢痕があります」と言われたときと同じくらいの驚きだ。きっと自分の身体なのに知らないことがもっとたくさんあるに違いない。
  午後、散歩に出る。少し寒気がする。「やぶ久」で日替わりセットの「ハヤシライスとかき玉そば」を食べる。「蕎麦屋のカレーライス」というのはしばしば語られるが、「蕎麦屋のハヤシライス」というものが語られることはほとんどないのではなかろうか。これがけっこういけるのである。付いてきた温泉卵をハヤシライスの上に載せて一緒に食べると美味しいことを発見した。しかし、毎度のことだが、日替わりセットの意図が読み取れない。ハヤシライスとかき玉そば・・・、どういう関連があるのかまったくわからない。たぶん関連など考えていないのだと思う。そこが面白い。

         

  食後の珈琲は「テラス・ドルチェ」で。持参した諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』(NHKブックス)を読む。来週の演習「現代社会とセラピー文化」でとりあげる文献だ。

  「このわずらわしい現代社会で、タフに、しなやかに、そしてイキイキと生きていくためにまず何より必要なこと。
  それは、「いざとなれば、ひとりになってもかまわない」と思える、勇気と覚悟。「面倒臭い人間関係に気を使って、エネルギーを消耗してしまうくらいなら誰からも理解されなくてもいい。わかってもらえなくてもかまわない。もしもその結果、人から嫌われ、見放され、孤立して、ひとりになってしまったってかまわない。〝自分〟を見失うよりは、ずっといい」
  そう思える、ほんのちょっとの、覚悟と勇気なのです。
  それさえあれば、確実に、人生で大切な何かが変わり始めます。
  逆に、それがなくては、何も始まらない。
  つまり、〝ひとりになる勇気〟〝孤独への勇気〟こそ、あなたの人生をほんとうに変えるための、どうしても必要な第一歩。スタートライン。
  すべてはそこから始まるのです。」(11-12頁)

  現代の日本人に必要なのは「孤独であるためのレッスン」だと諸富は述べている。私が一言それに付け加えるなら、そのレッスンが終了したら、「社交のレッスン」に取り組む必要がある。それはわいわいがやがや群れることではなくて、孤独な人間同士のコミュニケーションの技法だ。