2限の授業(ライフストーリーの社会学)で1968-69年の大学闘争を取り上げ、当時の映像を見せた。団交などで教員が学生たちに吊るし上げられる場面が何度か出てきた。それを見て、出席カードの裏に「教授という立場で、この映像を学生に見せて、自分も反抗されるかもしれないという不安はなかったですか?」というコメントを書いてきた学生がいたが、そういう不安はまったくなかった。授業で刺激的な映像を一度見たくらいで教員に反抗しようと考える(そして実行する)学生はいないだろう。少なくとも、今はね。早稲田大学の教員になって間もない頃、授業で家庭内暴力の事例を取り上げたとき、出席カードの裏に「先生は僕を挑発するつもりですか」と書いてきた家庭内暴力経験者の学生がいて、次の授業のとき、私とその学生と討論をした。なかなかスリリングが場面で、他の学生たちも固唾を呑んで見守っていたが、これと似たようなことは当時はよくあった。とにかく尖がった学生が多かった。たぶん尖がっていることがかっこよかった時代なのだ。
授業の後、TAのI君、そして今日は日本語・日本文学コースの院生のTさんも一緒に、「メーヤウ」で昼食。Tさんは今年、軽井沢のルヴァン美術館で開催された「富本憲吉と西村伊作の文化生活―暮らしとデザインする」展の監修を手がけたのだが、そのときのパンフレットを頂戴した。富本憲吉(1886-1963)は人間国宝の第一号となった陶芸家。西村伊作(1884-1963)は文化学院創立者。この二人の出会いと文化生活(洋風生活)の展開を示してみせるというのが展示会の目的である。Tさんの本来の専門(大正期の文学)ではないが、縁あって出会った仕事に精一杯取り組むことで若い研究者は成長していくのである。われわれが「メーヤウ」の窓辺のテーブルでおしゃべりをしている間に、空は暗くなり、風は強くなり、雨が激しく降ってきた。
帰宅の途中で丸善丸の内店に寄り、川上弘美『どこから行っても遠い町』(新潮社)と伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮社)を購入。川上の本はサイン本である。電車の中で読み、蒲田に着いて、さらに「シャノアール」で読んだ。電車の中がむしむししていたので、冷たいクリームソーダが美味しかった。
授業の後、TAのI君、そして今日は日本語・日本文学コースの院生のTさんも一緒に、「メーヤウ」で昼食。Tさんは今年、軽井沢のルヴァン美術館で開催された「富本憲吉と西村伊作の文化生活―暮らしとデザインする」展の監修を手がけたのだが、そのときのパンフレットを頂戴した。富本憲吉(1886-1963)は人間国宝の第一号となった陶芸家。西村伊作(1884-1963)は文化学院創立者。この二人の出会いと文化生活(洋風生活)の展開を示してみせるというのが展示会の目的である。Tさんの本来の専門(大正期の文学)ではないが、縁あって出会った仕事に精一杯取り組むことで若い研究者は成長していくのである。われわれが「メーヤウ」の窓辺のテーブルでおしゃべりをしている間に、空は暗くなり、風は強くなり、雨が激しく降ってきた。
帰宅の途中で丸善丸の内店に寄り、川上弘美『どこから行っても遠い町』(新潮社)と伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮社)を購入。川上の本はサイン本である。電車の中で読み、蒲田に着いて、さらに「シャノアール」で読んだ。電車の中がむしむししていたので、冷たいクリームソーダが美味しかった。