フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月8日(月) 晴れ

2008-12-09 02:47:02 | Weblog
  午前中に耳鼻科へ行く。耳鳴りの方はあいかわらずである。聴力検査を受ける。毎年、健康診断の一項目としてやっているものに比べると、ずいぶんと手間をかけるものである。6種類ぐらいの音を大小の音量で左右の耳でやるので、この段階で24通り。さらに、一方の耳に雑音を聞かせつつ、同じことをやる。全部で48通り。ただでさえ耳鳴り(高音)がしているのに、物理的な雑音までそこに加わり、その音のシャワーの中で小さな信号音をキャッチしてボタンを押さなければなければならないのだから、大変だ。ヘトヘトになる。検査の結果、一番高い音をキャッチできていないことが判明する。聴覚の老化の典型的なパターンだ。ただ、全体としては聴力に問題はないので、耳鳴りは聴覚神経それ自体が原因ではないでしょうとのこと(別の言い方をすると、原因はよくわからないということ)。ストミンA(耳鳴りを静める薬)とチコバール(末梢性神経障害を改善する薬)を二週間分処方される。
  帰宅すると玄関先の椿の木に「なつ」がいた。「なつ!」と声をかけると降りて来て、猫用に置いてある器から水を飲んで、ベランダの方へ行った。真冬に備えて、ずいぶんモコモコになってきたな。

         

         

         

  区民会議の報告書の原稿の編集をして大田区男女平等推進室へメールで送る。やれやれ、これで一段落だ。昼食をとりがてら散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で焼肉ピラフと珈琲を注文し、明日の授業(現代社会とセラピー文化)で取り上げる文献、諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』(NHKブックス)を読む。著者のトランスパーソナル心理学というのは、実存哲学と宗教とカウンセリングが融合したような内容である。孤独の積極的意味を論じ、孤独であるための方法論を述べた本である。
  川崎のさくらやへ行く。いま話題のミニノートPC(5万円前後)に触れてみたかったのである。ひとわたり触れてみた結果、自分には必要ないものであるとわかった。自宅と研究室でPCを操作している時間は相当に長い。わざわざそれ以外の場所(電車の中や喫茶店)でPCを使いたいという欲求が自分には乏しい。そういう場所では読書が一番だ。アウトプットの道具はペンとメモ帳で足りる。かりにPCで本気で書きものをするとすれば、大部分のミニノートPCのバッテリーの駆動時間は短すぎるし、キーボードは使い勝手がいまひとつだ。日本語変換の速度も普段に使っているPCと比べて心持ち遅いような気がする。ミニノートPCではないが、レッツ・ノートRが持ち歩くなら一番いいように思う。ただし値段は20万円近くする。いま使っているノートPC(FMV LOOX)でいいや。
  あおい書店で、諸富祥彦『生きていくことの意味』(PHP新書)と森永卓郎『年収防衛』(角川SSC新書)を購入。どちらも明日の演習がらみだ。蒲田に戻ってから、TSUTAYAでS.E.N.Sのアルバム『平日の休日』を借りる。インスツルメンタルのヒーリング音楽で、これも演習がらみだ。
  それはそうと、数日前に、来年度の私のゼミに入ることが決まった17名の学生たちに「面談」のお知らせのメールを出したのだが、ワセダネットのメールを開いていないのだろうか、半分くらいの学生からしか返事(面談の希望日時)がない。明日の午後が「面談」の初日なのだが・・・。いまこのブログを読んで、そのことを知った君、そう、そこの君、いますぐメールを開きなさい。