昼から大学へ。3限の大学院の演習はAさんが中条百合子の小説「禰宜(ねぎ)様宮田」を素材にして報告をしてくれた。「してくれた」と書いたのは、昨日、博士論文報告会が終ったばかりで、今日の報告の準備では大変だろうから、無理をしなくてもいいと言ってあったからである。お疲れ様。
昼食は「早稲田軒」のワンタン麺。昔ながらの東京のラーメンのスープだ。次回は麺抜きのワンタンにしてみようか。子どもの頃、蒲田の駅前商店街の中華料理屋で食べたワンタンが美味しかった記憶がある。ワンタンの魅力はヒラヒラしたものがツルリと口の奥に入っていく感触にあるように思うが、味わいとしては単調で、中華料理のメニューの中では主流からちょっと外れたポジションに置かれている。長ずるに及んで、めったにワンタンを注文しなくなった。他の客がワンタンを食べているのもあまり見ない。でも、ワンタンを食べているときの、どこかのんびりとした感じは悪くないと思う。
帰宅の途中で竹橋で下車し、東京国立近代美術館に寄る。「沖縄プリズム1872-2008」という企画展をやっていた。なかなか面白い企画だったが、それより、今日、驚いたのは、常設展の多くの作品がカメラ撮影OKになったいたことだ。いや、かなり以前からOKになっていたのだろうが、私がそのことに気づかずにいたのだ。美術館=作品に触れてはいけない=写真撮影もいけない、と思い込んでいたのだ。なぜ今日気づいたのかというと、私の目の前で実際に写真を撮っている人がいたこと(最初、美術館の担当の人なのだと思っていた)、一部の作品にのみ「写真撮影禁止」のマークが貼ってあったこと(ということは他の作品はOKなのかと思って係の人に尋ねたら、そうですと言われた)。係の人に申し出て許可証代わりのワッペンを上着の腕のところに貼ってから、お気に入りの作品たちをカメラに収める。ただしブログに載せられるのは著作権がすでに消滅しているもの(作者の死後50年が経過)に限られる。新海竹太郎(1868-1927)の「ゆあみ」は明治40年の第一回文展(文部省美術展覧会)の彫刻部門の最高賞を受賞した作品。同じく洋画部門の最高賞の和田三造「南風」はどこかへ貸し出しているらしく今日は展示されていなかった。「残念ですね」と係の人に言ったら、「はい、私もあの作品は大好きです」とその人は言った。
「ゆあみ」(新海竹太郎、1907)
昼食は「早稲田軒」のワンタン麺。昔ながらの東京のラーメンのスープだ。次回は麺抜きのワンタンにしてみようか。子どもの頃、蒲田の駅前商店街の中華料理屋で食べたワンタンが美味しかった記憶がある。ワンタンの魅力はヒラヒラしたものがツルリと口の奥に入っていく感触にあるように思うが、味わいとしては単調で、中華料理のメニューの中では主流からちょっと外れたポジションに置かれている。長ずるに及んで、めったにワンタンを注文しなくなった。他の客がワンタンを食べているのもあまり見ない。でも、ワンタンを食べているときの、どこかのんびりとした感じは悪くないと思う。
帰宅の途中で竹橋で下車し、東京国立近代美術館に寄る。「沖縄プリズム1872-2008」という企画展をやっていた。なかなか面白い企画だったが、それより、今日、驚いたのは、常設展の多くの作品がカメラ撮影OKになったいたことだ。いや、かなり以前からOKになっていたのだろうが、私がそのことに気づかずにいたのだ。美術館=作品に触れてはいけない=写真撮影もいけない、と思い込んでいたのだ。なぜ今日気づいたのかというと、私の目の前で実際に写真を撮っている人がいたこと(最初、美術館の担当の人なのだと思っていた)、一部の作品にのみ「写真撮影禁止」のマークが貼ってあったこと(ということは他の作品はOKなのかと思って係の人に尋ねたら、そうですと言われた)。係の人に申し出て許可証代わりのワッペンを上着の腕のところに貼ってから、お気に入りの作品たちをカメラに収める。ただしブログに載せられるのは著作権がすでに消滅しているもの(作者の死後50年が経過)に限られる。新海竹太郎(1868-1927)の「ゆあみ」は明治40年の第一回文展(文部省美術展覧会)の彫刻部門の最高賞を受賞した作品。同じく洋画部門の最高賞の和田三造「南風」はどこかへ貸し出しているらしく今日は展示されていなかった。「残念ですね」と係の人に言ったら、「はい、私もあの作品は大好きです」とその人は言った。
「ゆあみ」(新海竹太郎、1907)