フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月16日(火) 晴れ

2008-12-17 02:29:46 | Weblog
  8時、起床。ソーセージ、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートの更新をしてから大学へ。2限の演習「現代社会とセラピー文化」では冬休みの個人レポートのテーマ(取り上げる本や作品)について発表してもらう。ついでに明日のコンパの出欠を確認したが(私が幹事なので)、事前にアンケートをとったときは明日に○を付けた学生の欠席が相次いで、これではアンケートをとった意味がないではないではないか。幹事泣かせもいいところだ。「やれやれ」という感じ(洒落か)。
  昼食は「ごんべえ」でカレー南蛮(かやくご飯は抜きで)。「シャノアール」で食後の珈琲を飲みながら、湯浅誠・河添誠編『「生きづらさ」の臨界』を読む。職業役割は個人の社会的意味の源泉であるから、雇用不安はまさに社会的人間としての存在論的不安といってもよいものだろう。もっともっと注目されていい問題である。来年度の現代人間論系総合講座でもぜひ取り上げよう。そんなことを考えながら本を読んでいたら、突然、近くの席に座っていた若い男が、店員に向って「早く水を持って来い!」と大声を上げた。明らかに切れている。いくら待っても注文を取りに来ないことに腹を立てているようだ。これは誰にも経験があることだが、店に入って、席について、しかし、店員がそれに気づかずに、放置されると、こちらからアピールするのがしゃくにさわるというか、だんだん意地になってきて、ひとりでイライラしてしまう。要するに自尊心が傷つくのである。こんなことなら早い時期に「あの~、お願いします」と手をあげとけばよかったと後悔しているだろうが、引っ込みがつかなくなったその若い男は、しばらく店員に怒鳴った後、「ばかばかしい!」と捨て台詞を残して、店を出て行った。他の客たちはみな唖然としている。ここで店員が、とくに店長が、他の客たちに向って「お騒がせして申しわけありませんでした」といえばよかったのだが、何も言わないので、気まずい雰囲気が停滞してしまった。店員もびっくりして言葉を失ったのだろうが、こういうときは後始末が肝心である。
  5限の「質的調査法特論」は、今日、インタビュー記録(年表、編集版ライフストーリー、完全版トランスクリプト)の提出日だったのだが、ちゃんと提出できたのが全体の3分の1に満たなかった。提出された資料を共有して、それを分析してレポートを書くというのが冬休みの課題なのだが、しかたがないので、インタビュー記録の提出を今週いっぱいまで延ばすことにした。チームで作業をしているときは、ひとつひとつの課題を時間厳守で遂行することが大切である。私もあまり人のことは言えないが、専門社会調査士の資格をとろうとしている人であれば、そのあたりのことはきちんとしてほしいと思う。
  今日は、現代の若者の独特な感覚に触れた一日だった。