9時、起床。ソーセージ、トースト、紅茶の朝食。女塚神社に旧い注連縄とお札を持っていく。お焚き上げをしてもらうためだ。10時頃、家を出る。母と妻と息子と鶯谷の菩提寺に墓参りに行く。現地で妹夫婦と合流。墓参りをすませて鶯谷の駅の近くの路地裏にある「錦華楼」で食事。銘々好きなものを注文する。私は海老そば。母が注文して食べ切れなかったレバニラ炒めとご飯も食べる。これは決して私が食い意地がはっているのではなく、一種の親孝行なのである。減量作戦遂行中だが、いたしかたあるまい。「錦華楼」は安くて美味しい店である。何を注文しても杏仁豆腐がサービスで付いてくる。
食事を終えて、息子は大学へ(部室の大掃除と忘年会)、妻は浅草橋に手芸用品の買出しに。母と私と妹夫婦はアメ横へ。混んではいるが、人出はまだまだこれからであろう。世の中は未曾有(「みぞう」と読みます)の不景気だが、ここには庶民のバイタリティがある。
有隣堂で『百年小説』(ポプラ社)という広辞苑のようなボリューム(1331頁!)の短篇小説集を購入。鴎外から太宰まで51人の作家の51篇の短篇小説が収められている。ボリュームの割に収録作品が少ないのは活字が大きい(しかも総ルビ)だからである。選者は明記されていないが、1作家1作品(短篇)というのは百人一首みたいで編者のセンスが問われるところだ。私がこの本を購入することに決めたのは、活字が大きいということと、志賀直哉の「真鶴」が入っていたことによる。これがもし「城の崎にて」だったらあまりにも凡庸だ。もちろん「城の崎にて」が代表作と呼ぶに相応しい作品であることは間違いがないが、それではあたりまえすぎて面白くない。「真鶴」は私の大好きな作品で、この本の選者(複数いるのかもしれないが)とは馬が合いそうだと思った。定価6600円だから、単純計算すると、一作品あたり130円ということになる。着うた一曲は105円だから、それと大して違わない金額で日本近代文学の佳作を楽しむことができるわけだ。リビングのテーブルの上に置いておいて、食後にお茶を読みながら読むのがいいかもしれない。
食事を終えて、息子は大学へ(部室の大掃除と忘年会)、妻は浅草橋に手芸用品の買出しに。母と私と妹夫婦はアメ横へ。混んではいるが、人出はまだまだこれからであろう。世の中は未曾有(「みぞう」と読みます)の不景気だが、ここには庶民のバイタリティがある。
有隣堂で『百年小説』(ポプラ社)という広辞苑のようなボリューム(1331頁!)の短篇小説集を購入。鴎外から太宰まで51人の作家の51篇の短篇小説が収められている。ボリュームの割に収録作品が少ないのは活字が大きい(しかも総ルビ)だからである。選者は明記されていないが、1作家1作品(短篇)というのは百人一首みたいで編者のセンスが問われるところだ。私がこの本を購入することに決めたのは、活字が大きいということと、志賀直哉の「真鶴」が入っていたことによる。これがもし「城の崎にて」だったらあまりにも凡庸だ。もちろん「城の崎にて」が代表作と呼ぶに相応しい作品であることは間違いがないが、それではあたりまえすぎて面白くない。「真鶴」は私の大好きな作品で、この本の選者(複数いるのかもしれないが)とは馬が合いそうだと思った。定価6600円だから、単純計算すると、一作品あたり130円ということになる。着うた一曲は105円だから、それと大して違わない金額で日本近代文学の佳作を楽しむことができるわけだ。リビングのテーブルの上に置いておいて、食後にお茶を読みながら読むのがいいかもしれない。