フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月11日(土) 曇り

2009-07-12 12:52:09 | Weblog
  9時、起床。朝食は、残りもののコロッケを麺つゆで煮て、ご飯にのせて食べる。お彼岸ということで、昼前に妹夫婦が家に来ることになっていたのだが、交通渋滞でだいぶ到着が遅れそうなので、出前の鮨をそそくさと食べて家を出る。
  今日は大学院の修士論文中間報告会がある。今年度修士論文を提出予定の5名の院生が報告をした。私は今年度は修士論文の主査も副査も担当していないが、どういう院生がいてどういうテーマで研究をしているかを知るいい機会である。教員はほぼ全員が出席していた。一方、院生の方は、報告者以外の院生は2人くらいしかいなかった。来年度に修士論文を書くマスター1年生はぜひ参加すべきだったと思う。報告内容は、修士論文であるから、それぞれ専門性が高いが、報告の仕方はもう少し工夫されてしかるべきだろう。レジュメを読み上げるだけというのはいかにも素朴すぎる。学部の1年生の基礎演習で同じことをしたら注意されるだろう(されないのかな?)。書かれた文章を読み上げるのは弔辞のときだけにしてほしい。空気が湿っぽくなっていけない。顔をあげて話すこと。そうしたらもう「読む」ことはできない。「語る」ほかはない。「語る」ためには使われる言葉が自分のものになっていなければならない。古風な言い回しをするならば、自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものになっていなければならない。そうやって語られたものだけがその人の思考なのだ。「考えていることがうまく言葉にならなくて・・・」という言い訳はナンセンスである。それは十分に考えられていないからだ。逆もまた真なり。語る訓練をつめば思考を鍛えることができる。だから一人で文献を読んでいるだけではなくて、読んで考えたことを人に語ること(対話的方法)が大切だ。
  報告会は5時前に終わった。次の予定まで少し時間があったので、「シャノアール」でハムトーストと珈琲を注文し、ゼミの文献に目を通す。

         

  九段下経由で新宿線に乗り換え初台に行く。新国立劇場で牧阿佐美バレエ団の公演「ジゼル」を観る。先月、東京バレエ団の「ジゼル」を観たばかりなので、自ずと比較しながら観ることになったが、ジゼル役の上野水香(東京バレエ団)と伊藤友季子(牧阿佐美バレエ団)、二人はずいぶんとタイプの違うダンサーである。見た目も違うし、踊りの質も違う。それはとくに第一幕の最後でジゼルが狂死する場面にはっきりと表れていた。上野水香のジゼルは、踊りを制御する脳幹にウィルスが侵入して、まさに狂乱という表現がピッタリな、糸の切れた凧のような狂おしく激しい動きの果てに、バッタリと倒れて死ぬのだが(その瞬間、それまで息を止めていた観客たちは「ふ~」と安堵にも似た深い溜息をついた)、伊藤友季子のジゼルは、狂乱の果ての死というよりも、精神の死が瞬時に訪れ、抜け殻となった身体が行き場を失ってしばし空しくさすらい、そして小さなロウソクの焔が消えるように静かに横たわり目を閉じて息絶える。上野水香と「動」と伊藤友季子の「静」、このコントラストは偶然なのだろうか。偶然にしては鮮やかすぎるように思う。おそらく両者(それぞれの演出家・振り付け師)が互いを強く意識した結果ではないかと思う。こういうことは、バレエ団同士の間で常にあることなのだろう。そのおかげでわれわれは同じ作品をさまざまな味わいで楽しむことができるわけだ。
  公演が終ったのは9時ちょっと過ぎ。蒲田に着いてから、喜多方ラーメンを食べる。

         
                        葱ラーメン